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日記・コラム

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固いビンの蓋。

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平成19年11月22日(木)

皆さん、こんにちは。
お元気ですか?神坪です。

今日、仙台では雪が降っています。
とうとう冬がやってきましたね。
一昨日、妻のクルマだけ焦って冬タイヤにかえました。

冬タイヤころがして、ナットをゆるめて、ジャッキアップして、夏タイヤ外して、冬タイヤはめて、ナットはめてジャッキを下げて、ナットきっちりしめて、夏タイヤしまう。タイヤは4本ですから、そんな作業を4回繰り返しました。

腰にきましたが、ちょっとしたいい運動になりました。

また、何かお父さんらしい仕事をしたようで、いい気分です。些細なことですが、妻も感謝してくれました。

そう、ビンの蓋が固くて妻があけられないときに
「お父さんこれお願い。」と頼まれ、
蓋がうまく開けられたときの快感でしょうか。

妻ではなかったのですが、昔私が、何かの蓋をあけようとして、なかなか明けられないとき、一見きゃしゃな女性から「ちょっと貸してください」なんて取り上げられ、えいと蓋をあけられてしまったことがありました。

あれれ?

その女性は、悪意はなかったのでしょうけれど、私も「すごいですねー。」なんて言っていましたが、何か
立場がないなあという気がしてちょっとばかり落ち込んだものです。

そんなことってありませんか?

男は、女性には、特にうまくほめておだてられたい生き物かも知れません。

上手に頼み事をする。そして、やってくれたらほめる。感謝する。これがうまくできるといい感じですよね。

ちょっと大げさでも
「さすが、お父さん!ありがとう!!」
なんて言ってもらえると「あ、そう。」なんてなんでもないことのような顔をしながら、いい気分です。

仮に自分ができることでも、うまーく頼み事をしてみましょう。

あ、何でもかんでも押しつけるということではないですよ。

バランスが大切です。

それでは、また。

秋が過ぎ去る前に2

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平成19年11月12日(月)

皆さん、こんばんは。
神坪です。

私が住んでいるところは、仙台市北部の団地で
標高も少し高いのか、クルマの外気温計だと市街より、2、3度くらい気温が
低いようです。

家の近くの銀杏は、黄色くすでに散りかけているのに
市街地では、まだ青いです。

昨日の写真の続きです。

先週の土曜日、ちょっと朝早起きをして、クルマを走らせました。そこで見た朝日です。

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紫山公園の落葉です。

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家の近くの公園の様子です。

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大橋から仙台城隅櫓へ向かう坂道です。

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川内記念講堂前の木、まだ青かった。でもいい感じです。

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冬支度はお済みですか?
風邪などひかぬようお過ごし下さい。


それでは、また。

秋が過ぎる前に

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平成19年11月11日(日)

皆さん、こんにちは。
お元気ですか?神坪です。

秋もどんどん深まり、昨晩の強い雨にうたれて
落葉がすすみました。

家からみえる木は、もう冬姿。

ここのところ外に出かけるときデジカメをもち歩いています。あ、いいなあと思ったらすかさずシャッターを押します。
日に日に変化する葉の色合いが楽しいです。

でもどんどん変化してしまうので、旬の写真ではなくなってしまう。

そう思って、ここ2週間くらいで気ままにとった写真をアップしますね。

先週早朝に
紫山公園(泉パークタウン)にいってとったものです。
とても気持ちのいい朝でした。

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次の写真は、東北大文系キャンパスで撮りました。

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次はうちの近くで撮った写真です。
とてもきれいな雲が空にひろがっていました。

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3日前の青葉通りの欅並木です。昨日の雨でたくさん散ったかな。

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デジカメもって、「いい景色ないかなあ?」なんてきょろきょろ歩いていると、日頃何気なく目にするものの中にも、結構素敵な景色があることに気が付きます。

今まで何で気が付かなかったんだろう。

皆さんもすぐ側にある素敵な秋を見つけてくださいね。
秋が過ぎ去る前に。

それでは、また。

苦行(くぎょう)

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平成19年10月28日(日)

皆さん、こんにちは。
お元気ですか?神坪です。

こちらでは、昨日1日強い雨が降って
今日は、たくさんの落ち葉がちらばっていました。

今日はとてもいい天気です。

さて、先週の火曜日、健康診断を受けてきました。
1年に1回、秋に受けています。

私は、4年ほど前、胃のX線検査(おいしくないバリウムを飲んで、動く板の上であっち向いたりこっち向いたりする検査)で、胃にポリープが見つかってから、そのポリープがどうなっているか確認するために毎年胃カメラ検査を受けています。

胃カメラ検査、平気な方もいらっしゃるかと思いますが、私はとても苦手なんです。

健康診断が近づくととても憂鬱になってきます。
「はあー、あれをやらないといけないのか・・・」と。

カメラを口の中からぐいぐいとのど、食道、胃とふかくつっこまれ、空気をいれられ、押されていくのは、

「うぎゃー、げー、○△×*#$&!!!・・・」

という感じです。

やっているのは数分間なのですが、「もう、勘弁して!早く終わってちょうだい!」ととても長く感じます。

世の中、病気や怪我の苦痛に耐えていらっしゃる方は、たくさんいると思いますが、カメラをつっこまれている時は、「私ほど、こんな苦しい思いをしている人っていないぞ!」と思ってしまいます。

先生や看護師さんが、「もう、すぐですよ。深呼吸をして。」等と優しくいろいろと励ましてくれますが、苦しいものは苦しいのです。

「うぎゃあーーー。もうやめてー!助けてー!」と心で叫んでいます(口は動かせませんので)。
ああ、情けない。

検査が終わると、もうヘロヘロです。ただじっとしていればいい検査(じっとしなければいけない検査)ですが、とてもエネルギーを消耗します。

胃カメラ検査苦手の方には、精神安定剤の注射(セルシン)があり、私は去年まで使っていたのですが、今年は、それを使うと1日クルマの運転ができないということなので、使いませんでした。

そこで、受けた今年の胃カメラ検査は、例年以上に辛かったです。

あー、もう二度と受けたくない。

でも、1年に1回の大イベント(?)、苦行。しっかりやらないといけませんね。

健康第一。

皆さんも、定期的に健康診断受けて下さいね。
是非、胃カメラもどうぞ。

それでは、また!

キーウィの話

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平成19年10月9日(火)

皆さん、こんばんは。
神坪です。いかがお過ごしですか?

今日、街を歩いていると
キンモクセイの優しい、甘い薫りがしてきました。

さて、今日あった話し。

5歳の娘は妻に聞きました「今日の晩ご飯なにがある?」
「キーウィがあるよ。」娘にはそう聞こえました。

娘の頭の中では、「わーい!大好きなキーウィフルーツが食べられるんだ!やったあ!!」とキーウィフルーツがしっかりイメージされていました。

ところが、しばらくして出てきたのは、キーウィではなく
輪切りになった「キュウリ」でした。

ガーン!

大好きなキーウィフルーツではなく、あまり好みでない野菜のキュウリがそこにはあります。

ショックです。ありえない光景です。
どうして大好きなキーウィフルーツではなく、嫌いなキュウリがそこにあるのだ!!

娘の頭の中では、現実が理解できなかったようです。
娘はワーンと泣き出しました。

これはキーウィじゃない!!

妻が「キュウリ」といったのを、キーウィフルーツが大好きな娘は「キーウィ」と聞き間違えたのでした。

妻は、「確かにショックだよねえ。」と娘の抱いたイメージと現実の落差からくる娘の気持ちを考えて、忙しい夕食の準備途中に、近くのスーパーに「キーウィ」を買いに行ったのでした。お疲れ様。

「キーウィ」と「キュウリ」

言葉をきいて出てくるそれぞれのイメージは確かに違いますよね。

言葉を通じて、人は、やりとりをしたり、契約をしたりします。

そして、言葉の前提、背後には、自分が持っているイメージがあります。

ですが、時に、人のよって言葉からくるイメージが食い違ったりすることもありますよね。

例えば「クルマ」をイメージしてください。

そう言われ、ある人はセダンタイプのクルマをイメージし、ある人はスポーツカー、ある人は、ミニバンをイメージするかもしれない。
きっと人それぞれだと思います。

人は、自分のこれまでの体験や好みから言葉から自分なりのイメージを持ちます。

にもかかわらず、自分が持っているイメージが、きっと普遍的なもの、相手も同じイメージを持っているはずだとつい思いがちですよね。

だから、言葉を尽くさなくてもいいと、よく説明しなくても相手も分かってくれるはずだと思いこみがちです。

そして、自分が持っているイメージと、現実に相手から渡された物やサービスが食い違っているときに、不満やもめ事が生じたりします。

これは違う!
こんなはずじゃなかった!って。

ですから、特に大切な取引ややりとりをする場合には、食い違いをなくすために、お互いのイメージにブレがないかどうか、自分が抱いているイメージを正確に伝えるよう言葉を尽くすこと、明確にすること、そんなことが大切なのかも知れません。

そして、場合によっては書面で確認することも。

まあ、「キーウィ」と「キュウリ」を間違えるようなことで悲劇になることはないでしょうが・・・

娘は、妻が買ってきてくれた「キーウィ」
を幸せそうに食べていました。

よかったね。キュウリもちゃんと食べてね。

それでは、また!

勉強しなくっちゃ。

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平成19年10月1日(月)

皆さん、こんばんは。
お元気ですか?神坪です。

ここ数日、急に寒くなってきたせいか、
子供達も妻も風邪引きさんになっています。
皆さんは、体調大丈夫ですか?

さあ、今日から10月となりました。
制服は、衣替えですね。

先週、25日向陽台中、28日成田中と中学3年生に法教育出前授業をやりました。

私は、相も変わらず、最初は、緊張して舞い上がってしまうのですが、生徒さんとやりとりをしていく中で、没頭していきます。

恥ずかしがって、自分から手を挙げて話しをする生徒さんはなかなかいませんが、こちらからあててみると、結構いろいろと話しをしてくれます。

内容は、ルールの話。
ルールって何?何のためにルールがあるの?良いルールの条件は?悪いルールを作らないためのシステムは?

そういった話しを具体例、特に悪い法律を題材に考えてもらいます。

例えば
「キリスト教を信じてはならない。キリスト教を信仰したものは刑務所に入れる。」
「人が嫌がることをしたら、刑務所に入れる。」

こんな法律ってどう?問題ある?問題あるとして、どこが問題?
そういったことを生徒さんにたずねて考えてもらいます。

生徒さんとのやりとりは、楽しいひとときです。
1時間弱という時間があっというまに過ぎてしまいました。ああ、もう少し時間があるといいのに。

法教育授業をシリーズで、何回かできると、もっと本質的なことが伝えられる、考えてもらえるような気がします。

でも、こうして1時間でも、生徒さんに話しをする機会をいただけるだけでもありがたいですね。

限られた時間の授業ででも、ルールや法、民主主義や基本的人権、憲法について興味や考えるきっかけにしてもらえるよう工夫しなければいけません。

今月19日、今度は向山小学校の6年生に授業をする予定です。

初めての小学生対象です。ドキドキです。
私の話していることの意味が分からなくてポカーンとならないかな?

小学生の皆さんに、より分かりやすく、ルールや憲法について考えてもらうきっかけをつくるには、どういった教材を使って、どのように進めていったらいいかなと楽しく悩んでいます。

まずは私自身が、憲法や民主主義、基本的人権といった本質的なことを改めてしっかり理解する必要があるのかも知れません。

んー勉強しなくっちゃ。

それでは、また!

体調管理には、くれぐれも気をつけてくださいね。

具体的な裏付けはきちんとしているかな?

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平成19年9月25日(火)

皆さん、こんばんは!
お元気ですか?神坪です。

帰宅途中、夜空には、綺麗な月が見えました。
今日は中秋の名月です。

家に帰ると、ススキとお団子がありました。
妻と子供達は外でしばし月見をしたようです。

私の団子もかろうじて1個だけ残っていました。
よかった。

さて、人は経験のフィルターをみて物事をみてしまうものですよね。

見知らぬ土地に行って、お店の人とか出会った人に優しくされたりするとそれだけで、その土地の人々は優しい人ばかりなんだろうなと思います。

反対に、たまたま感じのタクシーの運転手さんにあたったり、不機嫌な店員さんにあたったりすると、そこの土地の人は、こんな意地悪な性格な人ばかりなんだろうと偏見をもってしまいがちですよね。

たかだか、2,3人の人の印象で。

人に裏切られた、騙されたりすると、人を信じられなくなってしまいます。

人なんてもう信じられないと。

男性と交際して、結婚して、酷い目、辛い目にあたりすると「もう男なんて・・」って思うでしょう。

個別の経験で、全体を想像し、思いこんでしまいがちですよね。特に悪いイメージについては。

男なんて、女なんて、大人なんて、人なんて、お役所なんて、政治家なんて・・・

個々の体験、個々の事案から、それを一般化したり、抽象化したりすることは大切なことです。

例えば、悪徳商法、いろいろな個別事案がありますが、多いのが、「いったん「うん」といった以上、契約は成立したんだ、契約は守れ!キャンセルするにはキャンセル料払え!!」という「契約は守るべし」を悪用したパターンに一般化できたりします。

そういった圧力には、解約可能であること、クーリングオフや詐欺、強迫取消等で対応できるということを知っておくと、いろいろな工夫(?)をこらして、あの手、この手で悪徳業者が物を買わせようとしたりしても、慌てずにすみますよね。

このように、個別の事案から、一般化したパターンや法則をおさえるのは大切です。他の事案に応用可能になりますから。

ですが、注意しなければいけないのは、「いきすぎた一般化」になっていないかということ。

一つ、二つの例だけをみて、「だからこうなんだ」と決めつけると、本質を見落としてしまったり、一方的なものの見方しかできなくなる危険性があると思います。

見知らぬ土地で、たまたま出会った2,3人の人が感じ悪い人だったとしても、その土地には、優しいいい人が実はたくさんいるのかも知れません。

「この土地は、性格の悪い人が多い。」というように思いこみ、そんな気持ちで見ていると、そういった性格の悪い、感じの悪い人ばかりに意識が向いて、ますます感じの悪い体験を重ねてしまい、感じの悪い人を引き寄せてしまうかもしれません。そして、実はたくさんいるいい人に気が付かない。

何かを判断する際や評価する際には、その判断材料としての今自分が持っている具体的サンプル、個々の体験は、本当に十分なものかどうかを問い直す必要があるのかも知れませんね。

ついつい、ちょっとしたことで、「この人はこういう人なんだ。」なんて評価してしまいがちですが・・・

その評価って、数少ない点で判断しているのかもしれない、その人には、他にいいところもあるかもしれない。

でも一般化した時点で、そんなことに考えが及ばなくなってしまいます。

自分が今思っていることって、
具体的な裏付けが本当にきちんとしているのだろうか?
サンプルは信頼できるものなのか。複数あるものなのか?

結構、いい加減かも知れませんね。気をつけようっと。

それでは、また。

「ひかり」をあてる。

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平成19年9月5日(水)

皆さん、こんにちは!
お元気ですか。神坪です。

9月に入り、朝晩はかなり涼しくなってきました。
スーパーでは、サンマや秋の果物が並んでいますね。

さて、前回は、自分の居場所ということでお話しました。
自分が人から必要とされること、そこにいていいんだよと言われることで、安心感、幸せを感じます。

私、日頃の生活の中で、人と人とで、「ひかり」をあてたり、あてられたりをしているのじゃないのかなあって感じています。

人から「ひかり」をあてられることで喜びを感じます。

それから「ひかり」をあてることで幸せを感じます。

先日、小学1年生の子どもの授業参観がありました。

「大きなかぶ」のミニ劇をしました。

「うんとこしょ、どっこいしょ。それでもかぶは抜けません。」というあのお話です。
3班に分かれて、交替で劇をします。

自分達のグループが劇をやっている時は、他のグループが見てくれています。

人の前に出て、劇をする。
そして、劇を演じた生徒に、先生が一人一人感想を聞く。
それから、先生が、見ているグループに、「誰のどんなところがよかったかな?」と聞いてみる。

そうすると何人かの子が手をあげて、
「○○くんの、大きな声ではっきり言っていたところがよかったです。」とほめる。

そして、先生も「そうだよね。そこがよかったよね。それに気がついた□□さんもすごいね。」と劇をした子とそれをほめた子をダブルでほめていました。

そして、ほめられた子は、恥ずかしそうなでもとても嬉しそうな笑顔をしていました。
ここでは、たくさんのひかりがあたっているのですね。

みんなが見てくれている。
自分の話を聞いてくれている。

先生がほめてくれる。
友達がほめてくれる。

友達の良かったところに気がついたこと、
そしてそれをほめたことを、ほめてくれる。

ほめられた子は、嬉しそうな顔を返してくれる。

温かい「ひかり」をあてあうことで、教室がとても優しい雰囲気になりました。

こうして温かいひかりをあてられたことって、
優しい記憶として、子どもの心に残っていくのだろうなと思います。
自分は、ここにいるんだなって実感できるのだと思います。

おはよう!こんにちは!と挨拶をする。

笑顔を見せる。

ありがとうと感謝する。

どう、元気かい?と声をかける。

話を聴く。

褒める。

お疲れ様、ご苦労様とねぎらう。

ささやかなプレゼントをする。

手を握る。

頑張ったね、頑張っているねと声をかける。

手助けをする。

仕事をお願いする。

仕事をやってもらったから助かったと感謝する。

小さなことですが、近頃こういったことが、とても大切なんじゃないのかなあと感じています。

ひかりをあてられることで、
人は、自分は役に立っているんだ、必要なんだと感じることができます。

そして、自分からひかりをあてることで、ひかりが返ってきます。

それに、自分からひかりをあてることで、自分の中から
温かい気持ちになってきますよね。

与えたからといって決して枯渇(こかつ)することはありません。
むしろ、どんどん湧いてくるような感じです。

そうしていくと自分がかけがえのない大切な人間なんだと思えていけるような気がしています。

私は身近な大切な人に、今日出会った人に、
温かいひかりをあてられたかな?
んー、私、まだまだですね。
気がきかなかったり、勇気がなかったり、恥ずかしかったりで・・・

あなたは、今日どうでしたか?
あなたに優しいひかりがあたりますように。
そして、あなたから温かいひかりが発せられますように。

それでは、また!

※関連のお話です。

心の幸せカップ

自分の居場所

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平成19年8月27日(月)

皆さん、こんばんは!
お元気ですか?神坪です。

朝晩は、めっきり涼しくなりましたね。
スイーッチョンと虫の声が聞こえてきます。

ところで皆さん、「自分の居場所」ってありますか?

書斎のこと?いいですね。自分の書斎。

家に妻にはありますが、私には書斎はありません。

そうではなくて、自分が必要とされ期待されているのがありますか、という意味です。

会社に行けば、自分が任されている仕事がある。
会社、直接には上司から、「これお願い」と任され、
期待されているでしょう。
また、お客さんや取引先にこの商品を届けて欲しい等と期待されていることがある。

ご家庭の主婦なら
家事や育児をまかされている。
ご主人や子供さんにとっては、お母さんの存在はなくてはならない存在でしょう。

自分が役に立っている。必要な存在である。
そんな感覚があるから、頑張れるのですよね。

だから一番辛いことは
自分の居場所が突然なくなること。

「君、明日からもう会社来なくていいから。」

「好きな人ができたから、別れて。」

「あなたはもういらない。不要だ。」

その言葉はとても残酷なものです。

希望した会社の面接試験で落とされる、入学試験で不合格になる、好きな人に交際を申し込んで断られる・・・
これもまた辛いですよね。

「あなたはいらない。」

とされた時、一体どうすればよいのでしょうか?

理不尽な解雇なら、解雇が無効として争うことはもちろんできます。
我が儘身勝手な、離婚の申し出なら、裁判で争うことはできます。

でも、一旦「あなたはいらない。」と決めてしまった相手の心を変えることは、なかなかできるものではありません。

それに、就職や入試で落とされる、好きな人に告白してもダメだったというのは、会社や相手を責めるわけにはいきません。
相手には選ぶ自由がありますから。

「あなたはいらない。」と言われてしまったときは、「あなたはいらない。」というような会社や相手に必要以上に執着すること、こだわることは、時に自分自身を傷つけるだけになる場合になります。

その執着を手放して、自分を自由にすれば、あなたが力を発揮できる新しい居場所や素敵な出会いがあるかもしれません。

執着し続ける限り、新しい居場所ができることはないでしょう。

あるものを思い切って手放すと、新しいなにかを手に入れることができるようになる。
余分なものを捨て去ると、そこにスペースができて、新しいものを取り入れることができるようになる。

この間、サーカスを見にいきました。空中ブランコで、自らつかんでいたブランコをパッと手放し、クルクルまわってもう一つのブランコにぶら下がっている人の手に移りました。
実にお見事!

あれって、本当に絶妙なタイミングで、自らつかんでいたブランコから、飛び移っていますよね。

当たり前ですが、手放さないことには、今いるブランコでゆらゆらしているだけで、何も変わりません。

執着、こだわりを手放すことが、あたらしい風を引き起こします。

自分から、新しい場所へ出向いて行けば、あなたを必要とする人、あなたが役に立つ場所、あなたでなければならない場所が見つかるかもしれません。

「あなたはいらない。」と言われたからといって、決してあなたに価値がない訳ではありません。
その会社や人にとってあわなかったということ。
そこが、ただ単にあなたがいるべき場所ではなかっただけ。

あなたが、充実感をもって、あなたらしさを発揮できる場所、そんな場所が必ずあると思います。
そして、その場所は、水平移動だけで見つかるのではなく、上への移動も必要かも知れません。
つまり自分を高めるということ。

執着を手放し、心も身体も軽くして、本当に必要とされ、輝く場所が見つかるといいですね。

それでは、また!

同期の勉強会

くま

平成19年8月23日(木)

皆さん、こんにちは!
まだまだ暑い日が続いておりますが、
いかがお過ごしですか?

お盆休み、実家の北九州に帰省していました。
覚悟はしていましたが、やっぱり暑かった・・

今年は仙台も相当暑いのですが、
太陽の強さが違う感じがするのです。

さて、昨日、同期の勉強会がありました。

同期って何?

ご存じの方も多いかもしれませんが、
司法試験に合格した後、法曹(弁護士、裁判官、検察官)になるには、司法修習をする必要があります。

その司法修習をした時期によって、○○期となります。戦後、司法修習制度が始まってから1期、2期・・となり現在は60期まで来ています。

ちなみに私は、53期でした。そして、期によって、期ごとのつながりとかあったり、期をみて、自分より先輩なのか後輩なのか、どれくらい先輩なのか分かったりするわけです。

弁護士同士の話で、あの先生は何期?あの裁判官は何期?同期にどんな人がいる?とかいう話はよく出てきます。

会社で言えば、入社○○年組っていうような感じでしょうか。

弁護士や裁判官もどれだけのキャリアがあるかは大切なところですので、何期なのかは気になるところです。

さて、勉強会。仙台の53期の弁護士は、現在私を含めて6名おり、弁護士になってからこれまで1月ないし2月に1回のペースで勉強会をしています。

持ち回りで、自分の体験した事件や新法等を素材にレポーターをして、感想や意見をいっていくといった感じです。

同期の皆さんは、私から見て、いろいろな経験をしていて、また「できる人」ばかりなので、毎回勉強になります。

もちろん人格的にもいい方ですよ。

弁護士を探していて、私じゃ今ひとつ不安だとと思われる方は、私の同期の方々へのご相談を検討してみて下さい。

仙台の53期の方々は、
ひろむ法律事務所、仙台中央法律事務所、仙台さくら法律事務所、一番町法律事務所、武田初江法律事務所所属の弁護士です。 

ただ、皆さんバリバリとお忙しいようですので、事前に相談予約のご連絡をお願い致します。

1時間ばかり弁護士会館で勉強会をした後は、近くの飲み屋で「勉強会の続き」をします。

決して単なる「飲み会」ではありません。
あくまで「勉強会の続き」であります。

実質、皆さんこの「勉強会の続き」を目当てに参加しているのかもしれませんが・・・

私たち53期が弁護士登録したのが2000年10月ですから、もうすぐ丸7年になろうとしています。

そして7年続いた勉強会。
ありがたいごとです。

これからも続けられたらいいと思っています。

それでは、また!
 

ぐっすり眠りたい。

あじさい

平成19年8月14日(火)

皆さん、こんにちは!
神坪です。

とても暑い毎日が続いていますが
体調はいかがですか?

ここ何日か、寝苦しくて、私ちょっと睡眠不足です。
この猛暑で同じような方も多いのではないでしょうか。

夜、眠たくなってストンと眠りに入り、
夜中ぐっすり眠って、朝すがすがしく目がさめる。
頭はすっきり、小鳥のさえずりが心地よい。
これって理想的ですよね。

でも、実際は、不安なことや気になることがあったり
今日あった出来事を思い出したりして、寝付きが悪い、夜中に目がさめてしまって、その後眠れなくなることってありませんか?

私は、そういったことが結構あったりします。

そこで、心地よく眠りに入り、ぐっすり眠るためにいろいろやってみました。

快眠グッズ、研究しましたよ。

まず枕が大切ですね。適度の高さとやわらかさ。自分に合った枕。

「これに頭を乗せたら、すぐに意識を失った。」というようなコピーにひかれ通販で高級枕を使ったりしました。

ですが、私は、意識を失うことはできませんでした。そして私にはちょっと高さがあるかな。残念。

でも、現在妻がその枕を愛用していて、私をおいてさっさと意識を失っています。

今、私は家具屋さんで買った低反発枕を使っていますが、いい感じです。

それから、ゆったりとリラックスすることが大切だとのことで
寝る前に癒しの音楽を流したり、ラベンダーのアロマを使ったりしました。

それから、足をあたためるのが大切だということを聞いたので、自分で足裏マッサージをしたり、足をあたためるグッズかったりしました。

まずまずでした。しかしそれでも眠れない日があります。

夜中に目がさめたりすると、どちらかというと不安なことや気になること等ネガティブなことが頭の中から湧いてぐるぐるしがちです。

あ、あの書面か書かなくっちゃ。とか、あの件、うまくいくかな、やっぱり難しいな、とか繰り返しぐるぐる頭を巡ります。

何やってんだろう。こんなこと考えても意味ないのに!と、それがまたストレスになって目がさえていきます。悪循環。

そこで、考えても仕方ない、眠れないなら眠れないで仕方がない、せっかく意識があるから、好きなことしようと思うことにしました。

私は、ビジネス書を中心に本を読むことが好きなのですが、その本を読んだり、あと目をつぶってセミナーや講演会のCDを聞いたりしています。

眠れないなら眠らないでいいもんね。それで有意義なことしているもんねー。ラッキー。

そうやっていると、不思議と睡魔がやってきてくれたりするんですよ。あれ?いつのまにか眠っていたなんてことが結構あったりします。

講演の内容を聞き取ろうとする際、頭の中のネガティブな思考な遮断され消えてしまうからかも知れません。

仮に睡魔がこなくてそのまま眠れなくても、有意義な時間を過ごせるわけでそれはそれでいいんです。

眠らなくてもそれはそれでかまわない、そう思うと少し楽になりました。

あ、でも好きなことっていってもパソコンは眠くなりませんね。パソコンをやっているとき、かなり多くの光を画面から浴びているので、神経を高ぶらせてしまうようです。

音楽CDもいいと思いますが、語学や講演会のCDを目を閉じながら聞くのもいいいんじゃないでしょうか?言葉の意味内容をずっと追いかけていくと、不安や心配が入る余地がありませんから。

せっかく眠れないで意識があるのなら、もう好きなことをやっちゃいましょう。

眠らなくてもかまわない。勉強できちゃう。好きなことやれる。
そして、眠ったら眠ったでそれは幸せ。

この頃、寝苦しいおかげで、よく勉強できます。

あ、でもたまには妻のようにさっさと意識を失いたいなあ・・・。

それでは、また!

サマースクールを終えて

コスモス1

平成19年8月8日(水)

皆さん、こんばんは!

暑い日が続いていますがお元気ですか?
仙台七夕祭りも今日で終わりです。

昨日、仙台弁護士会の中高生のためのサマースクール、おかげさまで無事終了しました。

サマースクールの最後に生徒さんに感想を話してもらうのですが

「とても楽しかった!」

「模擬裁判、とても面白かった!」

「裁判について興味が湧いてきた!」

「また来年も来てみたい!」

なんて感想を言ってもらえて
とても嬉しかったです。

準備した弁護士達は、みんなそう思ったのではないでしょうか。

子供達の役に立てた。
喜んでもらえた。
楽しんでもらえた。

とても幸せな気持ちになりました。
どうもありがとうございます。

子供達にとってたった1日の体験ですが、
日頃の生活とは全然違う非日常的な体験をしてもらったと思います。

模擬裁判に参加して、被告人と証人が言っていることが全然違う中で被告人の有罪か無罪かを決める。
大人でも、弁護士でもいろいろと頭悩ますような問題を考える。

不思議な体験だったと思います。
頭とても疲れたんじゃないかな?

そんな不思議な体験が核となって、
人と意見が食い違った時、もめごとが起きたとき、何かきまりを決めようとする時に、冷静に対処できる土台になるといいなあと思っています。

そして、反対意見や相手の立場も考える別の視点をもつきっかけになるといいですね。

私が子供達に何かを伝えようとしている時、
例えば、民主主義や人権について話しをするとき
自分にその本質が分かっているのかが試される気がします。

本質を自分が理解し、つかんでいないと、子供達に分かりやすく
伝えられない。言葉が表面的で上滑りし、言葉に力が宿らない。
そんな感じになります。

昨日、子供達に、民主主義や人権について少し話しをしたのですが、正直、私はまだまだその本質をおさえていないことを思いしりました。ごめんね。

でも、こうして子供達に伝えようとして初めてまだまだということが分かったんですね。

一番学んでいたのは子供達ではなく実は私だったのかも知れません。

そして、ますます楽しくなってきました。

子供達に、裁判や法律、人権のことを理解してもらえるように伝えるにはどうすればいいだろう?

この質問は、裁判や法、人権の本質は一体何だろう?という質問につながります。

本質をおさえた法教育授業ができるまでには、まだまだですが、実践が大切ですから、未熟なりに授業やっていきたいと思います。

もし、少しでも興味がありましたら、
法教育出前授業は随時受け付けしておりますので
こちらの要領に従ってお申し込み下さい。

それでは、また!

免責審尋が終わって

平成19年7月20日(金)

皆さん、こんばんは!
神坪です。いかがお過ごしですか?

梅雨のトンネルまだまだですかね?

さて、自己破産手続には、1回ないし2回程度の裁判官面接があり、最後の面接(免責審尋−免責、すなわち借金を事実上払わなくてもよいかどうかを審査する面接)が終わると手続は事実上終わりとなります。

裁判官との面接が終わって、破産手続きの依頼者の方に対し、私はおおよそ以下のようなお話をします。
他の弁護士さんも多くはこんな感じかな?

「はい、これで実質手続きはおしまいです。お疲れさまでした。

この後、裁判所の方から私に「免責決定書」つまり、裁判所が借金についてはもう支払わなくてもいいことを認めてくれた書類がきますので、それが来たら、郵送します。

まずないことですが、債権者が以前の借金のことで請求をしてきたら、この免責決定書の写しでも送れば、大丈夫ですから。

ただ、前にもいいましたが、税金とかは消えませんので、頑張って払ってください。

それから、注意して欲しいこと。
○○さんなら大丈夫だと思いますが、借入をすることはしばらくできませんので、収入の中で何とか生活していくようにしてください。
今貸してくれるところはヤミ金とか怪しい業者ですから。

そして借入ができるようになっても借りないように。裁判官がおっしゃったように、今回は、債権者に迷惑をかけてしまったことは事実ですから、借りない生活をしていってください。

特に、変なところ、ヤミ金には絶対手を出さないように気をつけて下さい。
ヤミ金から、ダイレクトメールとかが届いているかも知れませんが、無視して、捨てるだけでいいですから。実害はありません。決して電話などしないように。

それにハガキで「最後通告書」とか書いてあって、ここに電話して下さいと携帯番号が書いているようなのが来ても、電話はしないように。架空請求っていうものですから。

とにかくよくここまで頑張りました。
これで事実上借金は消えました。

でも、本当に大切なのはこれからですから、収入と支出のバランスをよく考えて生活していって下さい。
できれば簡単なものでもいいですから家計収支表も引き続いてつけた方がいいですよ。

何かありましたらって、何もないのが一番ですが、もし何かあったらご連絡下さい。

どうもありがとうございました。
では、お元気で。」

依頼された方の多くは、手続きが終わったことで、やはりほっとされた表情をされています。

私としても、依頼された方がほっとした表情をされているのをみていると、よかったなあとうれしくなります。

無事終わってよかった。よかった。

それでは、また!

「七夕祭り傷害事件」サマースクールのご案内2

七夕

平成19年7月14日(土)

皆さん、こんにちは!
神坪浩喜です。
いかがお過ごしですか?

このところの雨で、芝生も雑草も
青々と成長してきました。

さて、中高生のためのサマースクールの準備もかなり進んできました。

今年の刑事模擬裁判、「七夕祭り傷害事件」は、
全くオリジナルの脚本で、一から弁護士達がつくりました。

専門学校生の青葉くんが、パソコン入りバッグで男性の顔面を殴ってケガさせたという傷害罪の疑いで裁判にかけられているという事件です。

時は8月7日、場所は七夕飾りが揺れる仙台東一番町。
祭りでにぎわう人混みの中、専門学校生の青葉くんが、抹茶アイスを食べていた男性とぶつかり、男性の服にアイスがついてしまいました。
男性は、青葉くんの手をつかんで、どこかへ行こうとしました。
青葉くんは、きっと怖いところへ連れ込まれるのではと考え、持っていたパソコン入りバッグを振り回したところ、男性の顔面にあたり、男性が全治1か月の傷害を負ったという事件です。

青葉くんは、
「ボクは、男の人をケガさせようとしてバッグを振り回したんじゃない!怖そうな男の人に腕をつかまれ、ずんずん引っ張られたので、このままだときっと怖いところへ連れて行かれてしまうと思ったので、自分の身を守るために、バッグを振り回しただけだ!むしろボクの方が被害者だ!!」
と無実をうったえています。

さてさて、青葉くんに傷害罪は成立するのでしょうか?

青葉くんって一体どんな人?

ケガをした男性ってどんな人?

はたしてどちらの言い分が信用できるのでしょうか?

彼らの証言内容の信ぴょう性もそうですが、
加えて、彼らのちょっと個性的なキャラクターと
検察官、弁護人とのやりとりにも注目してくださいね。

参加される皆さんに楽しんでもらおうと
法教育委員会の弁護士さん達が、日頃使わないような頭をつかって
いろいろと「仕込み」をしていますので
きっと楽しんでいただけると思いますよ!

よろしければ、見に来てください!

「裁判員」になるには
中学生か高校生で、こちらの応募方法に従って7月20日までに応募していただく必要がありますが、
中高生でない一般の方も「傍聴」は、自由ですので、どうぞお気軽に遊びにいらして下さい。

青葉くんの裁判は、仙台弁護士会館4階で、8月7日午後1時開廷予定です。

それでは、また!

分かりやすさ

平成19年7月13日(金)

皆さん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?神坪浩喜です。

4日間くらい連続でぐずついた天気が続いていますが
それだけで梅雨気分に浸ってしまいますね。
そして、これからしばらく雨マークと予報されると
長ーい梅雨のような気になってしまいます。

でも、夏はもうすぐですよ!
夏の楽しい予定なんか考えたりして、頭の中、カラッとしていきましょう。

さて、昨日、裁判員裁判の研修がありました。

平成21年5月までに始まるとされる裁判員制度というのは、国民の中からくじで選ばれた人、つまり裁判員が、刑事裁判で、裁判官といっしょに裁判をする、すなわち、証拠書類を見たり、証人や被告人の話を聞いたり、検察官や弁護人の意見を聞いたりして、被告人が有罪か無罪か、有罪だったら刑の重さはどれくらいかということを話し合って決める制度のことです。

どうして裁判員制度が導入されることになったかというと

・法律の専門家ではない国民の感覚や常識が裁判の内容に反映され るように。
・国民の司法に対する理解と支持が深まるように。
・迅速な裁判ができるように。
・国民にとって分かりやすい裁判が実現されるように。

といった期待からです。

この裁判員制度が導入されることで、弁護人の立場からも、弁護活動の変容が当然求められます。これまでどおりではいけない。

これまでは、法律のプロである裁判官に向けての弁護活動だったのが、これからは、法律のプロではない一般の方々を対象として、被告人は、検察官が疑っているようなことはしていないとかを納得してもらうようにするわけですから。

判断する人に、法律のプロではない一般の方も加わるというのはとても大きな変化です。

どこを、変えていかなければいけないのでしょう?

昨日の講師の先生方は

「分かりやすさ」を強調しておられました。
そして「分かりやすい」尋問や弁論のポイント
についていろいろ講義してくれました。

これまでの弁護活動も検察官の活動も、独特な言い回しや法律用語、格調高く、緻密に、難解に、それがいいんだみたいな感じで、
一般の人からみると「何をいっているのかよく分からん」ということが多かったと思います。

でも、それでは、法律のプロではない裁判員も「分からない」ですから、当然納得はしてもらえないですよね。

裁判員の頭の中では
検察側、弁護側それぞれのストーリーが、証拠や証言にてらして
どちらが納得できるストーリーなのか、常識にかなうストーリーなのかで判断されることになるかと思います。

どちらのストーリーが納得できるのか?

そこで、弁護人としては、弁護人が信じるストーリーをかかげ、
それが証拠、証言にてらして常識にかなうこと、検察官の主張するストーリーには常識にてらして欠陥があり、無理があることを裁判員に納得してもらう活動をするということになります。

裁判員の頭の中にすっと弁護側のストーリーが入るようにわかりやすくプレゼンテーションをするわけですね。

「分かりやすさ。」「どうすれば分かりやすく理解してもらえるだろう?」

裁判員裁判に携わる弁護士、検察官は、これを常に意識していくことになるでしょうね。

裁判員裁判、いろいろと批判はあるかも知れませんが、
法律のプロ達だけで、難解な専門言語でそこの世界だけで完結しようとしたことからすると、「分かりやすさ」を意識する、聞き手である一般の人を意識するというのは、いいことだと思っています。

そう、刑事事件だけでなく、弁護士の仕事は、一般の方から相談を受けたり、依頼を受けたりしますので、「分かりやすさ」というのは重要なポイントかも知れません。

分かりやすく、分かりやすく、分かりやすく!!

それでは、また!

人生のハンドル

平成19年7月10日(火)

皆さん、こんにちは!
神坪浩喜です。

今日の仙台は曇り空。
気象予報士の齋藤さんによるとしばらく
ぐずついた天気がつづくそうですね。

さて、ここ何回かのブログ
自分の身に起きた出来事を人のせいにしないで、自分に原因があると考えてみては?ということについてお話しました。

自分に責任があると考えることによって、自分の現在地点を把握でき、これから自分がどうしていけばいいのかが見えてくる。目標や夢が自分のコントロール可能な事実になってくる。そういったお話をしました。

ただ、注意していただきたいのは、
自分に原因があると考えることは、決して自分を「ダメな奴」と責めたり、けなしたり、さらに存在を否定したりすることではありません。

自分が選んだ結果、自分に原因があるのでは?と考えることは、いわば「ありのままの自分を認める、受け容れる。」ということだと思います。

自己否定とは違う、むしろ自己肯定や自信の前提となる考え方だといえるかもしれません。

つまり、人のせいにしないということは、自分が選んできた結果の集合体として今の自分があることに気がつき、これからも自分の自由意思で自分を形成していけることを信じることができることにつながるからです。

自分で自分の将来、行き先をコントールできることが信じられる。
自分の可能性を信じることができる。
それが「自信」。

自分の現在地点を見据えた上で、自分の可能性を信じること。

「なんとなくできたらいいなあ」から「こうすればできるはず」
への転換です。

「素敵な彼(彼女)があらわれたらいいなあ。」というような運命まかせから「素敵な彼(彼女)はこうすればみつかるはず!」と運命のハンドルを自分で動かしはじめることかも知れません(変な例ですみません)。

どっちの方が、素敵な彼(彼女)に出会える確立が高いと思います?

確かに、ありのままの自分をみつめることは痛みも伴います。

「今まで、私、一体何やってたんだ!」

とそんな声が聞こえてくるかもしれません。

「うわー、道のりはまだまだ遠いなあー」

と愕然とするかもしれません。

しかし、本当にやればできることは、自分でも「やればできる」と信頼することができますし、本当に自分の力ではどうしようもないことについては、冷静にできないと気がつき、無駄なエネルギーを費やさなくてすむことができるでしょう。

抽象的な話になってすみません。

借金で苦しんでいる人がいたとします。

借金を負ってしまった原因は人それぞれです。
・リストラされたり、会社が倒産して収入がなくなった方
・子どもの学費、お稽古ごと塾代、部活費で借入をされた方
・親戚や知人の保証人になって突然莫大な請求がきてしまった方。
・パチンコや競馬で借金を作ってしまった方。
まあ、いろいろですが、どんな方にも借金を背負ってしまった原因が「必ず」あります。

そして、それを冷静に自分に原因がないか考えてみること、
ある人は、パチンコにはまってしまったことでしょうし
ある人は、一家の収入を考えて、子どもの教育費を考えるべきだった、またある人は、保証人にはなるべきではなかったいろいろあるかと思います。

そして、後悔するのではなくて、また自分を責めたりするのではなくて、これから借金に苦しまず、むしろ豊かな生活をするためにはどういうことに注意してどんな行動をしていけばよいか考えていく訳です。

ここで、あくまで自分以外の人や会社や運のせいにしたらどうでしょう。
これだけの給料しかくれない会社が悪い、税金が高すぎる、授業料が高すぎる、景気が悪いのがいけない、旦那の稼ぎが少なすぎる、妻がいろいろと買うのがいけない、運が悪く競馬で当たらなかったからだ等々。

もちろん、信頼していた人に裏切られて借金背負ってしまったというようなお気の毒なケースもあります。
でも、もっぱら人や社会や運のせいにしていると、せっかく債務整理をした後でも、また同じことや似たようなことで新たに借金を抱えてしまうかも知れません。

それでは、せっかく債務整理をした弁護士も困ってしまいますし、何より自分自身やご家族がまた辛い思いをしてしまいますよね。

破産したからといって、決してダメな人という訳ではありません。

大切なのは、自分が破産してしまった原因、事実を受け容れた上で、今後お金を借りないですむ生活、豊かで幸せな生活を自分自身や家族のために実現するためには、どうしたらよいか真正面から考えることかと思います。

そうすれば、今は仮に何も財産はないとしても、経済的にも精神的にも安定した生活はきっとできると思います。

・自分に起こった結果を人や運のせいにしないこと。
・自分に何か原因がなかったか、謙虚に、冷静に振り返ること。
・でも、決して自分をダメだとか、自己否定したりしないこと。
・自分の現在地点をみつめた上で、なりたい状況やなりたい自分が あれば、到達点を見極め、そこまでの道筋をいろいろと考えてみ ること。
・自分の将来は、運や人まかせではなく、自分の意思で決めていくのだという意識をもつこと。

こんな考え方が
今、何か夢や目標をもって頑張っている方や
悩みを抱えておられる方のお役に立てると嬉しいです。

何か、いろいろと偉そうなことを書いてしまって申し訳ありません。こんなことを書いている私自身、現在全て実行できている訳でもありません。

ですが、私の司法試験不合格体験とこれまで浅いながらも弁護士の仕事をしてきた経験等から、きっとそうなんじゃないのかなあ、ここら辺を意識すると人生もっといい感じになりそうだなあと思っています。

せっかくの人生ですから、運や人まかせにはしたくないですよね!
自分のこれからは、自分のハンドルをしっかりもって決めていきましょう!

長文、読んでくださりありがとうございました。

それでは、また!

運や人のせいにしないことで。

庭の花1

平成19年7月9日(月)

皆さん、こんばんは!
神坪浩喜です。

今日もまた素晴らしい青空が広がっていました。
紫外線もどんどん降り注いでいたのでしょうね。

さて、前回では、
自分の身に起こることは、全て自分に原因があると考えてみる、だから将来に向かって良い原因となる行為を選択することを意識してみてはどうでしょう、といったお話をしました。

特に、何か資格を取りたい、希望の職業につきたい、あの大学に合格したい、売上○○円を達成したいとかそういった夢や目標達成の場面では、人や運のせいにしないという態度は、私の数多い不合格体験をふまえて大切かなと思っています。

自分に責任がある、原因があると考えることは、今いる自分の現在地点を冷静に把握することにつながります

人のせいにしたり、制度や社会、運のせいにしている限り、それは自分の現在地点を把握することに目を背けている訳ですから、目標までの道筋が見えてくることはありません。

自分で責任をとるということは、自分の至らなさ、未熟さを思い知ることになり痛みを伴いますが、それを受け容れると、自分の現在地点がわかり、目標に到達するまでの道筋、今そのために何をするべきかが見える第一歩となります。

もちろん、自分の現在地点がわかる事は、目標達成のために不可欠なものですが、それだけでいいという訳ではありません。

さらに目標地点がどこにあるのかを把握すること、そこに到達するための道筋をみつけること、そして行動を起こすことも必要にはなります。

ですが、自分で責任をとる態度で臨めば、「自分がやるべきことをやればできるはず」(=人や運には左右されない)ということが、信じることができるので、やる気もでて、努力を続けることが苦痛ではなくなるような気がします。

私が受験中、一番不安だったことは
「私って、本当に合格できるんだろうか?」なんて考えがよぎることでした。
運や人のせいにしている以上は、勉強してもたまたま運がいいとかでないと合格できないと思っている訳ですから、勉強する気力が萎えてきますよね。

「どうせ勉強しても、運次第だし。」
何て自分を甘やかしたりして・・・

それが、全て自分の責任だったんだ、全て自分がまいた種だったんだということを真正面から見つめはじめたことで
「やるべきことをやれば必ずうかるはず。」「やるべきことをやっていれば合格しないはずがない。」と思いこむことができたような気がします。

他人のせいや運のせいにしない意識をもつことで
結構自分の可能性が拡がるような気がしています。

私は、ついつい人や運のせいにしたくなる時、

「本当にあの人のせいかな?自分に原因はなかったのかな?」

とちょっと立ち止まって考えてみようと思っています。

ただ、自分に原因がある、責任を負うと思っても、
決して自分はダメ人間だといじめたり、深刻になったりしないで下さいね。

そうやって人や運にせいにせず謙虚に自分を見つめようとするというあなたの心自体、なかなか他の人ができることではない、とても素晴らしいことだと私は思いますから。

え、おまえはどうかって?

あ、いやー恥ずかしながらまだまだです。
「あの裁判官だからなあ。」
なんて裁判の結果をつい裁判官のせいにしてしまいがちです。
ダメですねえ。

どうもすみません!

それでは、また!

すべては自分が選んだ結果。

散歩道

平成19年7月8日(日)

皆さん、こんにちは!
お元気ですか?神坪浩喜です。

今日の仙台はとてもいい天気で日差しが眩しいです。
眩しすぎて家の中にいます。

前回のブログでは、
罪を犯した人が処罰されるとされているのかについて
それは、「人は自由意思のもとに犯罪行為をしないことを選択できるにもかかわらず、あえて犯罪行為に及んだことが責められるから」
とお話しました。

自分の意思で犯罪行為をすると決め、行為に及んだことであるが故にその責任をとらされる訳ですね。

人が生きていく際には、大きなことから小さなこと事まで、良いこと悪いこと、自分の為になることならないこと、人の為になることならないこと等いろいろな選択をしていますが、その選択の結果や責任は、時間差はあるにしろ、自分におこってきます。

ところが、今自分におこっている状況や結果について
ついつい自分で責任をとることを避けて、自分以外のせいにしようとしてしまいますよね。
つい言い訳をしてしまいがちです。

私自身の話をしますと
司法試験に何度も落ちていたころ、
自分の努力不足、本気の本気で勉強しなかったことを棚に上げて、

・予備校のせいだ。あの講師の講義は今ひとつだ。
・運のせいだ。
・お参りにいったあの神社は御利益がない。別の神社にしようか。
・試験問題のせいだ。こんな問題で、実力が判定できるのか?
・採点者のせいだ。きっと公平な採点をしていないんだ。
・基本書のせいだ。難しすぎる!
・ものわかりが生まれつきわるい。
・制度が悪い。何で受験回数3回以内なら1500番でも合格するんだ(かつてこんな制度がありました)!

何てことを時に思ったりしました。

なんかひねくれた酷い奴ですね!

友人や後輩達は先に合格していっているのに、
自分の結果がでないこと、自分が社会の何にも役に立っていないことに、すねて、ひがんでいたのですね。

自分以外の他人や運や制度のせいにしていた。
自分に起きた出来事を自分で責任をとろうとしなかった。

自分に起きた出来事を、人のせいにしていることって、結局は、本当は自分の意思でコントロールできる出来事を、コントロールできないところへ放り投げてしまうことだったような気がします。

・予備校のせいだ、講師のせいだ←予備校を変える、講師を変える
・基本書のせいだ←基本書をかえる。
・採点者のせいだ←採点する人が自分の答案を評価してくれる人になるよう祈る。
・あの神社のせいだ←違う神社にお参りにいく。
・運がわるい←開運グッズを買おう。
・頭が悪い←頭が良くなるという催眠CDを買う。
・制度が悪い←試験制度が変わることを祈る。

当たり前ですがこれで、合格できるはずがないですよね!

人のせいにしているということは
人が変わってくれない限り状況が変わらないということになります。
でも、人が変わってくれるって滅多にないです。

「全ては、自分の責任、この状況は、自分自身が選択した結果」
「他のなにもののせいでもない。結局私は、司法試験に合格するために必要なやるべきことをやらなかったから合格しなかった。それだけだ。」

私の場合、ある出来事がきっかけで、この全ての原因は自分にあるという事実に直面しました。

この事実を受け容れることには、正直大きな苦痛を伴いました。

心の底では、本当はどこか分かっていたことですが、この事実を真正面からみる勇気がなかなかもてず、ずっと目をそらしていたと思います。
見ればもう合格できない、頑張らない言い訳ができなくなるから。

真正面から、やるべきことをやらずに運や人のせいにしていた自分を見ると、それがとても愚かに見えて、情けなかったです。

ですが、これを受け容れた時初めて、私にとって司法試験合格ということがコントロール可能な事実になりました。

「合格に必要なことをやれば必ず合格できるはず」「だからやるべきことをやろう」と信頼できたような気がしたのです。

人や運のせいにしているとき、その場では、楽かも知れません。
自分のせいではない、自分のコントロールではどうしようもない、
人が変わるべき、運がよくなればいい。

不合格になったときは、自分はそれなりに頑張ったけど自分はただ運が悪かったんだと慰めればいい。

そうして、今の自分、現状を認めてしまう。変わることや目標に向かって歩くことを放棄してしまう。

もちろん、世の中には、自分の力ではどうしようもないこと、理不尽なこと、その人には何の落ち度もないのに災難が降りかかるということもあります。

でも、可能な限り、人のせいにせず自分の自由意思で選んだ結果であるとその意識の範囲を拡げていくと、自分がなりたいように結果もコントロールできるような気がしています。

今の自分は、これまでの自分が自由意思のもとに選択した結果。
だから、「こんな仕事につきたい。こんな人になりたい。」という
目標とするものがあるのであれば、

起きた出来事を人のせいにせず、不平不満を言わず、それは自分で選んだ結果だと省みること

そして、今自分がしようとすることは目標や夢にかなう選択なのか意識することを心がけていけば、求めた結果に近づいていくのではないでしょうか。

現在私、実験中です。

よろしかったら、皆さんも実験してみてはいかがですか?

ただ、自分で責任をとるといっても、どうか深刻にはならないで下さいね。

皆さんの素敵な夢や目標がかないますように!

それでは、また!

自由意思の下で。

パンジー

平成19年7月6日(金)

皆さん、こんにちは!
神坪浩喜です。

仙台は、ここ2,3日梅雨空が続いていましたが、
今日は、雲は多いですがちょっと日が差しています。
その日差しは、とても眩しく感じました。

あじさいの花も続く雨にうたれて、色鮮やかになってきました。

さて、突然ですが、
刑法38条1項は、「罪を犯す意思のない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある限りは、この限りでない。」と規定しています。

つまり故意で犯した犯罪行為を処罰対象にするというもの。過失犯は例外であること。

どうして故意で犯した犯罪行為が処罰の根拠となるのでしょう?

私が受験中、本試験や模試等で何度も答案に書いていた故意についてのフレーズがあります。おそらく司法試験受験生やそのOBであればなじみ深いものだと思います。

「そもそも故意責任の本質は、犯罪に該当する事実を認識し、自己の行為が法律上許されないということを検討する機会が与えられているにもかかわずあえて犯罪行為に及んでしまうことに対する責任非難である。」

つまり、どうして犯罪行為を犯した者に処罰が与えられるのかというと、
犯罪事実、例えば、人の物を盗むことを考えれば、それはいけないことだと法律上許されないことだと頭に浮かぶ、
そうであるにもかかわらず「盗んでしまえ」と実際に盗む行為に及んだことが「けしからん」というものです。

犯罪事実の認識(店の商品を万引きすること、人の物を盗むこと)

      ↓

違法性の意識(それは法にふれ許されない悪いことだ)

      ↓

規範障害(やってはいけないことだ)

      ↓

にもかかわらず犯罪実行

そういういけない行為を知って犯罪行為を選択したことがけしからんということです。

そこには、自分の意思で自らの行為をコントロールできることを前提にしているわけですね。

高校生A君は、ゲームショップで以前から欲しかったゲームソフトをみつけました。でも手元にお金はありません。あと1個しかなく売り切れたら、いつ入荷されるかわかりません。

そんなとき
A君の頭に中に「誰も見ていないしとっちゃおうか?」とよからぬ考えがふと浮かんできました。

ここで、A君は、
「誰も見ていないし、どうしても欲しいから盗んじゃえ!」等と盗むことを選択することができる一方

「ダメダメ、盗んではいけない、お金がない以上今日は諦めよう。」等と盗らないことを選択することもできるのです。
つまり、自分の意思で、行為を選択できる。

自分の意思で、犯罪行為に及ぶかどうか選択できる。

そんな中で、頭の中で「それって犯罪でしょ、泥棒でしょ。いけないことでしょ。」という意識(規範意識)を押しつぶして、犯罪行為という選択をしてししまうということが「けしからん」と法が評価して、非難を加えられるというのですね。

よく通り魔事件とか、異常な犯罪をした被告人について、弁護人が「当時被告人は心神喪失状態であり責任能力はなかった。」と主張することがありますよね。

現行刑法上、「心神喪失者の行為は、罰しない。」(39条1項)とされています。
つまり、心神喪失者、つまり精神障害によって、自分の行為の是非善悪を理解する能力を欠く者や、是非や善悪を理解する能力はあるけれど、その理解に従って行動する能力を欠く者は、
自由意思に基づいて行為を選択できないがゆえに、責任非難が問えないとされているのです。

自分の自由意思で行動できることを非難の前提としている。
自由意思で行動できない人は非難できない。
そういう構造です。

でも、普段生活していると自分で、自分は自らの自由意思で生きているって意識していないですよね。

常習犯で何度も捕まるような盗み癖のある人が逮捕されて「ついついこの手がかってに動いてしまうんです!この手が悪いんです!」なんて弁解をしたりすることがあるかも知れません。

私は、もちろん盗んだりはしませんが、ついコンビニで、「無意識のうちに」余計なデザートやビールを買ってしまったりしてしまいます。

それでもやはり自由意思の下、選んだ結果なのです。

考えてみると人が朝起きて夜寝るまで生きていく中で、常に、自由意思にもとづく選択の連続です。

今日のお昼ご飯カツカレーにするか?ざるそばにしようか?
食後にデザートを追加して食べようか?太るからやめとこうか?
信号黄色に変わったけど、突っ走るか、止まるか。
今の会社辞めるか、そのまま居続けるか?
離婚するか、我慢するか?
私を苦しめたあいつに仕返しをしてやるか、しないか?
気になるあの人に告白をするか、しないか?

大きなことから、小さなことまで、常に選択の連続ですよね。
そして、今の自分って、これまで自分が選択した結果の集合体みたいなものなのかも知れません。

今の自分の体重、体型は、これまで、自分が選んで食べてきた食べ物や運動の結果。
今の自分の職業は、自分が選んで勉強したりした結果。
今の自分の経済状況、お金がないとしたら、それもそうなるような収入の仕事を選び、支出をした結果。
今の自分の精神状態 仮にイライラしたり、不平不満をいったり、人のせいばかりしている状態も自らが選んだ結果。

小さな選択から大きな選択まで、いろいろ選択し続けてきて、今現在の状況があるような気がしています。

いつでも選択肢は与えられている。
常に、自由意思で、こっちの道もあっちの道も選ぶことができる。
つい、こっちの道しかないようでも、実は別の選択ができることがある。

「これくらいなら太らない。食べようっと。」
「そこまで勉強する必要はない。やる気がでないし、今日は勉強やめとこう。」
「あいつが悪いのだから、こんな意地悪してやろう。苦しめてやろう。」

時に、こんな声がもっともらしく聞こえてそんな選択しかないような気になりますが、そんなことはないのが普通です。

甘い声が聞こえてきたとき「おいおい、その選択でいいのかい?」と意識してみるといいのかも知れません。
よーく考えて他の選択肢がないのか探してみるといいのかも知れません。

私は、自由意思の下、どう選択するかを選ぶことができる。
そして選んだ結果が、その後の自分をつくる。

私は今、どんな選択をしようとしているのだろうか?

今私が考えていることの他に選択肢はないのだろうか?

それでは、また!

正義のスローガン

ばら

平成19年6月30日(土)

皆さん、こんにちは!
お元気ですか?神坪です。

今日で、6月もおしまい。
平成19年も半分すぎたのですね。

このごろようやく梅雨らしい天気となってきました。

法律事務所の事務員さん、1日1回は、
書類を届けたり、もらったりするために、裁判所や弁護士会館に出かけます。

昨日は蒸し暑い一日だったのですが、
江坂さんが、裁判所にいったとき、
上のフロアに行くほど暑かったそうです。
熱が建物の上の方へこもっているのでしょうか。

地球温暖化対策ということで、裁判所の冷房設定温度を上げて
裁判所職員の方もノーネクタイ、半袖の軽装になっているのですが、昨日は、軽装でも暑くて苦しそうだったそうです。

上のフロアの裁判所の職員の方が
うちわをパタパタさせたり、冷房の風の出るところに顔を近づけたりして
「あちいー。あちいーーー。」とぐったりしていたそうです。

江坂さん、
「地球温暖化対策は大切だけど、あれでは、かわいそう。
能率が上がらなくなってしまいますよね。」
と心配していました。

確かにそうですね。
暑くて仕事ははかどらないし、集中力が落ちてしまって、ミスしたりするかもしれないし。

裁判所職員の方は、
いろいろと神経をつかう仕事をされていますので、
良好な職場環境のもとで仕事をして欲しいと思います。

裁判官の部屋も同じように「あちいー!」だったのでしょうか?

裁判官が暑くてイライラ、グッタリで判決を書いているとするとちょっと怖いですよね。

地球温暖化対策、省エネは大切ですが、
度が過ぎ、劣悪な職場環境となってしまうと、本質を損ねたりする恐れもあります。

「地球温暖化対策!」といったスローガンが
前面に出されると、それが正義であり、
そのためには何でも我慢みたいな感じになってきますが、
行き過ぎればれば、害がでます。

そしてそんなスローガンや正義が過度に押しつけられるとき、歪みが生まれてきます。

それに、個々人で、「何とかして欲しい!」と胸の内で思っていても、正義のスローガンにはなかなか抗えない。

その時の現場の状況を考慮して
「ほどほどに。」ということが大切ですよね。

そして、上の方が、杓子定規に考えないで
現場の状況を配慮し柔軟に対応する。

それが大切かなと思います。

それでは、また。

司法試験に向けての勉強−本試験が解けるようになることを意識する

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平成19年6月20日(水)

皆さん、こんにちは!
お元気ですか?神坪です。

6月も20日となりましたが、何かとてもいい天気が続いていますね。東北の梅雨入りは何時なのでしょうか?

今日は、久しぶり司法試験にむけての勉強についてお話しますね。

私は、資格試験や入学試験といった正解が決まっていて、点数によって合否が決まるものでは、「本試験を解けるようになる」「正解を出す」ということに強く意識する必要があると思っています。

当たり前ですが、本試験の問題が解ける、正解を出せば当然合格します。

こんな当たり前の話なのですが、結構意識できなかったりします。

私自身、実力がついてから、過去問はやろう、模擬試験を受けよう等と考え、本試験を解けるようになるということをあまり意識せず漫然と本を読んだりして、勉強した気になっていた時期がありました。

でもそれでは、なかなか本試験で正解を出すための知識や考え方を身につけることはできません。

本試験を意識せずに、本を読むだけで、本試験を受けようというのは、例えて言えば、畳の上で泳ぐ練習をして、水泳大会にでようとという感じです。

では、本試験の問題が解けるようになるには、一体どうすればいいのでしょう?

それは、まずは、本試験を解くことができる一定レベルの知識を身につけることだと思います。

司法試験の合格には、法的なものの考え方ができることはもちろん大切ですが、その土台、基礎となる一定レベルの法的知識は必ず必要です。

試験科目の条文を全部憶えなければいけないという必要はありませんが、重要条文や論点、学説や判例の知識の蓄積は相当程度必要です。

では、本試験を解くことができる一定レベルの知識を身につける「効率的な方法」は何でしょうか?

そのための道具としては、過去の本試験に出た問題、つまり過去問です。そしてそれにプラスして過去問を参考にしてつくった模擬試験。これだと思います。

過去に出た問題というのは、本試験で必要な知識や考え方をベースにそれが受験者に身に付いているのかどうかを試しています。

問題を作る立場からすると、身につけて欲しい、たずねたい知識の骨格があって、それに設問の衣をきせている。

そして出題者がたずねている知識の範囲はだいたい毎年同じなんですよね。

出題者がたずねている知識を押さえ、その問題のパターンをある程度把握しておけば、問題の表現や形式、切り口は違っても「あ、またあのことをきいているのね。」と対応できるようになってきます。

でも、私はなかなかそのように対応できるレベルには到達しませんでした。
私は、模擬試験で、復習してみると何度も何度も同じようなところで間違っていたりしていました。
「私って学習しないなあ?」と落ち込んだりしました。

どうしたらいいんだろう?

間違ったところにフォーカスする。意識をあつめる。そこが、私と「問題を解ける」を妨げているところなんだから、そこができるようにする。

間違ったところの根っこの知識を押さえておけば、必ずできるようになるはず、人間は学習するはず、きちんと間違った記録を残しておかないとまた間違ってしまうはず、と思い至りました。

そこで、過去問や模擬試験を受けた後、復習する際に、間違った原因、正解にたどり着くために必要な知識を書く「間違ったとこノート」なるものを作ることにしました。

本試験で必要とされているのに、今の自分に欠けている知識、情報をストックしくわけです。

なかなかすぐには点数に反映されませんでしたが、
知識がなくて間違ったところを、間違えなくするためにおさえておけば、合格するための知識は備わっていくはず。
そう思って、続けました。

これを続けていると、結構同じことで何度も間違えていたことに気がついてきます。

自分て頭悪いんじゃないの?

なんてへこんだりしていましたが、

「大丈夫、人間は学習する!」と言い聞かせ
ストックをためていきました。

しばらくは辛抱の日々だったのですが、
一定量ストックがたまってくると、

「この知識とあの知識とは、実はこうつながっているんだね!」
「Aの問題とBの問題とは、実は同じようなことをきいていたのね!」

と、頭の中で、知識と知識が有機的につながっていく、
網の目が張り巡らされていくような感じになりました。

そんな時って、結構楽しいんですよね!
そして知識と知識が結びついて理解がどんどん深まっていく感じなんですよ。

そうなると一見初めて見るような問題に出会っても
「ああ、結局あのことまたきいているのね。」と
問題の背後にかくれているききたい知識がだんだんと見えてきました。

そして、何度も、過去問を解くことや過去問で必要とされた知識が何かをストックノートや基本書で確認する作業をいったりきたりしてうちに本試験で合格点がとれるレベルになっていったと思います。

「過去問と、間違ったとこノート、基本書を行ったり来たり」

基本はこの作業の繰り返し、積み重ねでした。

いいかえると、過去問や模擬試験を解いたり、復習する際には、
「この問題は、どんな知識をたずねているのだろう?」
と意識してとき、

基本書やノートを読んでいるときには、
この知識を問題にするとどんな風になるのだろう?」と意識して読むわけです。

そんなことが今振り返って大切じゃないかと思っています。

それでは、また!

「中高生のためのサマースクール」をやります!

クレマチス1

平成19年6月12日(火)

皆さん、こんにちは!神坪です。

昨日は、1日気仙沼市役所の法律相談でした。
仙台からクルマで3時間くらいかかりますから、やっぱり遠いですよね。

でも、とても天気がよく、いいドライブになりました。
窓を開けて走ると、草のにおい、鳥や蛙のなく声が聞こえてきて気持ちよかったです。

さて、今日は、中高生の皆さん、中高生の親御さんにお知らせです。

以前お話しましたが、私が所属している仙台弁護士会の法教育委員会というところでは、中高生相手の法教育出前授業を実施しているのですが、それとは別に、毎年8月に仙台弁護士会館でサマースクールを開いております。

今年は、8月7日(火)午前9時45分から午後4時を予定しております。
今年が4回目で、昨年までは、対象は中学生だけだったのですが、今年は高校生も参加できることになりました。

予定としては、午前中は、中学生、高校生それぞれ別れて法教育授業をやる予定です。
ちなみに、中学生の授業担当は私となっていますので、よろしくお願いいたします。

何をやるのかって?

すみません!実はまだ決めていません、現在準備中です。
いろいろな教材を見たりして、みんなで話し合うのに楽しそうな題材にしたいと思っています。

午後の部は、このサマースクールの中心となる刑事模擬裁判です。

まず、刑事模擬裁判を見てもらいます。仙台弁護士会の弁護士が被告人役や証人役、検察官、裁判官、弁護士の役として刑事裁判をします。裁判は、結構本格的ですよ。

そして参加した生徒さんは、「裁判員」です。

つまり、被告人の有罪が無罪かを、裁判で出てきた証拠や証言をふまえて決める人。

みんなでわいわい話し合って、有罪か無罪かジャッジする訳です。

裁判のシナリオや演出は、全て法教育委員会の弁護士達が、頭を使い知恵を絞って作っていますので(現在こちらの準備は、かなり進んできました)、きっと面白いと思いますよ!!

裁判や法曹(裁判官、検察官、弁護士)の仕事に興味がある、将来はなりたい!と考えている中高生の皆さん!
裁判員って一体どんな感じなんだろうと興味をもたれた中高生の皆さん!

夏の一日を、私達と一緒に楽しく過ごしませんか?

参加ご希望の方は、こちらの応募方法に従って、参加申込みをされて下さい。

また、中高生でない方も「傍聴席」は準備しておりますので、興味のある方は、当日仙台弁護士会館まで遊びにきていただければと思います。

夏の一日を、皆さんと楽しく過ごせればと思っています。

では、また。

どうして「あやめ」なの?

平成19年6月9日(土)

皆さん、こんばんは!お元気ですか?
神坪です。

ぐずつく天気も増え、梅雨入りも、もうすぐですね。

梅雨、6月というと
雨に、あじさいに、かたつむり、雨蛙、そして雨傘、長靴。
こんなところが定番ですよね。

そして「あやめ」も綺麗に咲く季節。

なんで事務所名が「あやめ」なの?

と、よく聞かれます。

この名前は、私が提案して、妻や江坂さんに
承認してもらった名前なのですが、

どうして私が「あやめ法律事務所」と名付けたのかというと・・・

開設時の挨拶状に記載がありますが、
雨のなか綺麗に咲き、見る人の心を温かくするあやめ
のように、悩みをかかえ心が曇っている方々の心を
私達が少しでも温かくできればという思いを込めてつけた名前です。

そして、実はもう一つ。

この事務所を、私達の子供のように、愛し、育てていきたいという気持ちもあります。

「あやめちゃん」てあなたの知っている女の子でいませんか?

私達だけでなく、この事務所を訪れるいろいろな方々の

愛情を受けて、事務所に関わる人の心を温かくできる存在になって欲しいと思っています。
法律事務所も愛を注いで育てていくもの。一つの人格をもつ子供のような存在。だから、生まれてきた子供につけるような名前にしました。

男の弁護士で何で「あやめ」なんだ?と思われる方もいらっしゃるかも知れません。

もちろん、男の私が「あやめ」というイメージでは到底ありえません。男でも美しい方はいらっしゃるかと思いますが、残念ながら私は外見上美しさとは全く縁のない人間です。

でも、事務をしている妻や江坂さんで、そのイメージは、きっと裏切られないはず!と勝手に思っております。

ということで「あやめ法律事務所」を名乗ることをどうぞお許し下さい。

まだまだ、未熟で成長過程の「あやめ」ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

では、また。

工事をしている人はもっと大変ですね。

一輪

平成19年5月28日(月)

皆さん、こんにちは!お元気ですか?

気がつけば5月ももうすぐ終わりですね。
梅雨入りも近づいてきました。

当事務所があるネオハイツ片平の南側では、現在
「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・・・」と激しい工事をしています。
いや、マンション建設のための普通の工事なのでしょうが、地面も揺れ、音も凄いです。

打ち合わせや電話もあまり声が聞き取れなくて、正直結構辛い。

昼休み中重機が止まっていると、とても静かに感じます。
工事がない場合でも、通りのクルマの音が入ってきますが
それがとても静かに思えてきます。

相談や打ち合わせに来られた方には、本当に申し訳ありません。またこれから来られる方もどうぞご容赦下さい。

こちらのマンションに住んでおられる方もいらっしゃいますが大変ですよね。お年寄りや赤ちゃんのいる家庭もあるのかな?

ネオハイツ片平の南側の敷地は、これまでコインパーキングでした。

そのアスファルトをはがして、今地中を掘っているところで、これから14階建てマンションを建てるそうです。

ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・・・と音が響くと、やはり集中して打ち合わせや仕事がしにくいので、困ったなあと思っています。

事務の江坂さんも電話が聞き取りにくかったり、頭に響いたりしてやりにくいんだろうなと思います。

「凄い音だよねえ。打ち合わせがやりにくいなあ。」なんて江坂さんに愚痴っぽくいっていると

「工事をやっている人って、もっとうるさくて大変なんでしょうね。」と江坂さん。

ん?何?工事をやっている人が大変?

全く、工事をやっている人がどうだとかの発想をしなかった私は、意表をつかれました。

私の中では、「うるさいなー迷惑だよなー静かにして欲しいなー」と考え、せいぜい「ま、仕方がないかー」と思うくらいだったので、工事作業員さんのことを気遣うような発想は全くありませんでしたから。

確かに、間近で、重機を動かしたり、現場にいる作業員さんは、凄い音と振動がしているのでしょうね。粉じん等も吸い込んでしまうでしょうし。確かに大変な仕事です。怪我をしたりする危険も高い仕事でしょう。

でも、私は「騒音や振動を出している人達」と思いこんでしまい、工事作業員の方々が大変だ、とは全く考えもしませんでした。

む・む・む・・・・

江坂さんって、ただ者じゃないかも。
こんな、優しい人と一緒に仕事ができて
本当にありがたいことです。

ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・・・と相変わらず騒がしいですが、
ちょっと心が温かくなりました。

ありがとうございます。

それでは、また。

気持ちのコントロール

白樺

平成19年5月11日(金)

皆さん、こんにちは!お元気ですか?
ゴールデンウィーク明けの一週間、いかがでしたか?

この一週間長く感じました?それともあっというまでしたか?

私は、長く感じました。
先週の今頃は、青森の穏やかな海を眺めていたなあ・・
1週間前にもどりたいなあ・・
なんて恨めしいようなことも考えたりして。

明るい陽気や若葉の緑は、先週と何ら変わりはないのに
今日は、仕事中というだけで、変わって見えたり感じたりしますよね。

悩みごとを抱えている、やっかいな案件をこれから処理していかなければならないなんていう時には、いつもの景色が重くみえたりします。場合によっては、目に入らないことも。

反対に、嬉しいこと、楽しいことがあって、心がワクワク、ウキウキしているような時には、いつもの景色がより鮮やかに思えたりします。

私自身、長くかかってようやく司法試験に合格したことを知った時、いつも見ていた景色が全く変わったように見えたことに驚いた経験があります。

最終合格の発表は、秋だったのですが、「あれ?世の中、こんなに鮮やかで綺麗だったんだ!!」とびっくりしました。

いつもの景色は、客観的には何も変わらないのに、私自身の感情が変化したことで、そのいつもの景色は、私の中で劇的に変わったのでした。

ある一つの出来事について、客観的な事実としては一つなのに
人によって様々な受け止め方をするということを
以前お話しました。決して自分が感じているとおりに他の人も感じている訳ではない。人それぞれということを。

そして、自分一人の中でも、同じような出来事について、そのときの気分や心の状況によって、様々に感じてしまうものなんですね。

ある出来事を体験して そこから五感を通して、心の中で、嬉しい、楽しい、悲しい、不安、満足、不満、緊張等の感情を感じます。

客観的事実→五感→受け止め方→感情

という関係があると思うのですが、
「受け止め方」やそこから導かれる「感情」はいろいろですよね。

「自分がこう感じているから、他の人も同じはず」でもないし
「自分がこう感じているのは、変えられない絶対的なもの」でもないのです。

仮に、
「志望していた会社の面接試験に落ちた。」
という客観的な事実があったとします。

まあ、当然がっかりする訳です。

でも、Aさんは、がっかりしつつも、
「これで自分の人格や価値が否定された訳ではない、相性が悪かっただけかもしれない。もっと自分を磨いて、もっといい会社に就職できるように頑張ろう。」と受けとめました。決して自分はダメな人間だとは思いませんでした。

他方で、Bさんは
「あーあ。やっぱりダメだったか。私ってダメなんだ。これから頑張っても、無理なんじゃないかなあ。頑張るだけ無駄かも。バカらしいかも・・」
という感じで深く沈んだ感情に浸りきってしまいました。

このように、同じ試験に落ちたという事実でも、人によって受け止め方、感情は違ってくる。

さらに、一旦は落ち込んだBさんでも、何かのきっかけでAさんのようなポジティブな気持ちに変化することは十分ありうることです。

つまり、受け止め方、感情は絶対ではないこと。
変化可能であること。

でも、私たちは

客観的事実→受け止め方→感情

の「受け止め方」そして「感情」を絶対的なもの、それしかないものとしてつい捉えてしまいがちですよね。

だから私が辛い、悲しい気持ちになるのは、すべてその事実のせいだと思うときがある。

だから、その事実を変えるしかないんだと、
そう思う。

そして、どうしようもない事実なら、その事実を作った人が許せないと思ってしまう。ひいては世間や社会に不満をもつ。恨む。

確かに、問題の事実を変えようと努力することは大切なことだと思います(弁護士の仕事も主としてそこに関わります)。

でも、ついつい、私たちって、必要以上に自分自身を苦しめたり傷つけたりしていないでしょうか?
そして、自分から、どんどん悲しくさせ、腹を立てていっていないでしょうか?

しかし、そのわき上がってくる感情を自分である程度はコントロールできるのではないかと思います。

自分でコントロールして、必要以上に自分自身を苦しめたり傷つけたりできないようにすることって、できないのでしょうか?

自分が今頭に考える受け止め方や湧き出た感情が唯一絶対的なものではない

心が、怒りや不満、悲しみや不安の感情に覆われているような時、
ちょっとそこに意識をむけてみてみるといいかも知れません。

今思っている考え方って変えられないだろうか?
別の見方ってできないだろうか?

こんなことを意識してみると心のズームレンズ、少しやわらかくなるかも知れません。

それでは、また。

※関連のお話です。
ニュートラル 
感情さん、今怒っているんだね。 
雲を眺めるように。

釣りをしました。

平内の海1

平成19年5月7日(月)

皆さん、こんにちは!神坪です。
ゴールデンウィークは、いかが過ごされましたか?

私達家族は、途中、岩手県の安比高原で遊んでから、
妻の実家の青森へ、帰省しました。

安比高原では、釣り堀で、つりをしました。
にじますがたくさんいて、それを釣って、その場で炭火で焼いてたべるというものです。

うちの子供は、釣りは、初体験でした。

ですが、さすが釣り堀、エサをつけた針をたらすと
あっというまに魚がエサに食いついてきます。

あっという間に、釣れてしまいました。

子供は大はしゃぎ!「釣りって楽しい、簡単だね!」
だって。

「いやいや、本物の釣りは、なかなかつれなくって我慢、忍耐なんだよ」と私も妻も言いましたが、あまりにあっという間に、簡単に釣れてしまうので、全く説得力がありませんでした。

全部で9匹つって、その場で家族4人一匹ずつ、炭火で焼いて食べました。

うーん、釣りたて、焼きたての魚、おいしいです!

残り5匹は青森へのお土産にしました。

妻の実家の青森、正確には、青森県平内町土屋なのですが、海に島が浮かぶ景色が目に入る素敵なところです。
すぐそこに海があって、ちょっといったところで、釣りもできます。

魚釣りを簡単だと、すぐ釣れるものだと思った子供に、本当の釣り、釣りというのは我慢と忍耐だということを教えようと、青森についた翌日、岸壁につりに行きました。

妻のお父さんやお姉さんが道具やエサ等の準備をしてくれて、お姉さんのお子さん達といっしょにでかけました。

しかし、海釣りでのエサは、ゴカイとか、足がたくさんある虫。
ミミズは、平気なのですが、ムカデ系の足がたくさんある虫は、触りたくないのです。私。
いや、やればできるのですけどね。本当ですよ!

でも、できる人にやってもらうという主義の私は、お姉さんの言葉に甘えて、その虫を針につけることをやっていただきました。
ちょっとかっこ悪い・・・。

そして、子供達とともに、海に針をたらすと、どういう訳か、まもなくうちの子に引きがあり、小さいですが魚を釣ってしまいました。

ますます、うちの子は「釣りなんて簡単さ!」と釣りをなめてしまったようです。

一方、お父さんは、魚は釣れずに、地球をつってしまい、糸をきってしまいました・・・。あーかっこ悪い。
その後も、私は魚をつれません。
そうこうしている間に、子供は、2匹目をつっている。

でも、ここからです!お父さんが頑張ったのは!

その海では、水深1−2メートルくらいで、海底の石がよく見えていました。そして、その石の上にウニが何匹かいるのが見えました。

針が簡単に地面に引っかかるくらいだから、あのウニ、針でひっかけられないだろうか?気持ち悪いエサをつけずにすむしいいぞ。

そう思った私は、そこに見えるウニを魚つり用の針でひっかけることをやってみました。

しかけの赤いおもりを目印に、ウニに引っかけを試みます。
ゲームのユーフォーキャッチャーみたいな気分です。
何回やってみたところ、
私の予想どおりウニに針がひっかかりました。

結構手応えを感じます。
魚のようにピチピチしていませんが
黒いとげとげがウニウニ動いています。

無事釣り上げて(ひっかけあげて)、お父さん「えっへん」です。

調子に乗った私は、その後も、ひっかけを試み、合計3匹のウニをつり上げました。

ちょっと魚釣りからすると邪道のような気もしますが、
私の得意分野で勝負し(?)、お父さんの面目をなんとか保てたのでした。

あーよかった。

皆さんの、ゴールデンウィーク、楽しかったですか?

それでは、また!

棚卸し作業

平成19年5月2日(水)

皆さん、こんにちは!神坪です。
ゴールデンウイークいかがお過ごしですか?

今お昼頃なのですが、
仙台では、昨晩から降っていた雨が、上がり
明るい日差しが指してきました。

この雨で、木々の緑が更に濃くなってきたようです。

今日は、連休の谷間からなのか、かかってくる電話も
ほとんどなく、打ち合わせや裁判もないので、
今抱えている事件の「棚卸し」をしています。

弁護士の「棚卸し」って何?と思われるでしょうね?

私が勝手にそういっているだけなのですが、何をするのかというと自分が担当している事件の進行状況を確認して、やるべきことがないか、やるべきこととしていつ頃までにやればよいのかをチェックする作業です。

弁護士の仕事では、複数の事件が同時進行で進みますし、書くべき書面の提出時期が一定期間経過してからというのもあったりするので、きちんと管理していないと、

「あれ、しまった!明日が提出締め切りだった!」

とか、さらに酷いのだと

「やばい!もう期限過ぎてしまった!!」

とかいうことになってしまいます。

お店では、時々、今現在の在庫状況や販売状況なのか、チェックしますよね。

そこで、ちょっと余裕がある時期に、自分が受任している事件の進行状況をざっとチェックするようにしてみました。

パソコンに打ち込むというのもいいかと思いますが
私の場合、勢いがつくので紙にざっと書き出しています

例えば債務整理についてみると

・Aさん 履歴開示要求中

            P社について、過払い請求

・Bさん 開示完了 5月中旬和解案発送

・Cさん 4社中 3社和解成立 残りT社のみ

・Dさん Dさんと面会、整理か再生か方針再検討

といった簡単なものです。

そんな作業をやっていると
・「Bさんについて、5月中旬まで和解案作成」「Aさんについて過払い訴訟準備」 といったやるべきこと(タスク) が浮かび上がってきますので、そのタスクも書きこんでいきます。

そうやって、現在の状況とやるべき事をざっと紙に書き出していくと、「これさえやっておけば大丈夫」と思え、「あれ、何かやるべきことやっていないかな?忘れていないかな?」というようなもやもやした不安がとれてきて、落ち着いてくるのです。

そして、実行すれば、タスクを赤ボールペンで「よし!これオッケイ!」と消していっています。
その作業は、ちょっとした充実感、感じます。

その書き出した状況から変化があったり、やるべきことが発生したら随時その紙に書き込んでいきます。

そしてまた実行して消していく。

以前、お話しました
現在時点を知る
目標地点を確認する
といったことと繋がるかと思います。

皆さんも、仕事や勉強等で、
「現在状況がどうなのか」
「これから何をしなければならないのか、何をすればいいのか」について確認するために、いろいろと工夫をされているかと思います。

時に、「棚卸し」ということで、全体をざっと確認してみると「具体的に今何をしておけいいのか。」が見えてくることがあります。そうすれば安心ですよね。

「何か、いろいろやるべきことがありそうで頭の中がもやもやしているなあ。」そんな時、ちょっとだけ時間をとって「棚卸し」作業をやってみてはいかがでしょうか?

少しすっきりするかも知れません。

それでは、また。

雑草の力

sakura2

平成19年4月25日(水)

皆さん、こんにちは!
お元気ですか?

今日は、仙台では、一日雨模様です。
この時期、雨が降ると
にょきにょきと若葉が出てきているのが
実感できます。

そして、うちの庭には、雑草が生えてきました。
妻は、嬉々として草取りをしております。

雑草の生命力ってすごいですよね!

私は4年ほど前、仙台市農業園芸センターの隣にある仙台市市民農園を1年間借りて、だいこん、にんじん等の野菜を育てたことがあります。

小さな子供2人いたこともあり、あまり手入れにいけなかったのですが、一時期1か月ほどほったらかしにした後畑に行ってみると・・・

むむむ・・・畑が、ものすごい状態になっていました!びっくり!!

そこには雑草の林ができていたのです!

自分の背丈ほどもあるような雑草もあり、幹の太さも小さな木のように太くなっていました。

栄養もある土壌だったのかもしれませんが、雑草は、野菜を押しのけてぐんぐん成長していました。

「あー草取り大変だー!」と思うと同時に、雑草ってほんとうにたくましいよね!と感心しました。

人に抜かれても、踏んづけられても、はえ続け、アスファルトやコンクリートの隙間からも生えてくる。お前根性あるなあ!
その根性、少しわけて欲しいです。

草取り、頑張ってやったおかげか、秋にはちゃんと収穫がありましたよ。

形はいびつでしたが、自分たちで育て、収穫したすぐ後の、大根のだいこんおろし+さんまは最高においしかったです!

枝豆もとれましたが、とれたて枝豆+ビールも、これまたうまかった!!

何かおなかすいてきましたね。

では、また!

鈍行列車に乗って

sakura.JPG

平成19年4月20日(金)

皆さん、こんにちは!神坪です。
お元気ですか?

ここしばらく寒かったのですが、
今日はとてもいい天気であたたかいですね。

桜や若葉が眩しいです。

この桜の時期、
こんなところにも、あんなところにも桜の木があったんだと気がつかされます。

今の時期、東北自動車道を北上すると、いろいろな咲き具合の桜がみられて楽しいですよ。

妻の実家が青森で、ゴールデンウィーク中、青森に帰省するのですが、その頃は仙台では、もう散ってしまっている桜が、東北道を北上するとまだまだみられて、ちょっと得した気分になります。

南北に長い日本、桜を追いかけて南から北へ旅をすると、2か月くらい見頃の桜をみることができるのかも知れませんね。

そんな旅も楽しそうだなあ。

広島に住んでいる中学1年生の甥っ子が、春休み、友達といっしょに、「青春18きっぷ」(普通電車、快速電車乗り放題のきっぷ)をつかって、普通電車や快速電車を乗り継いで、広島から、新潟、仙台をまわる旅をしたそうです。

夜は、普通電車の夜行列車にのって、ホテル等には泊まらず、ひたすら電車にのる旅だったそうです。

飛行機や新幹線のように、目的地まで、ひたすら早くつこうとすることと違って、鈍行列車の旅は、一駅一駅、少しずつ、その地の空気や、言葉等も感じつつゆっくりすすむんでしょうね。

私の実家は、北九州なのですが、大学生の頃、18きっぷ2枚で、仙台から北九州まで、鈍行列車で帰省を何度かしました。

仙台から東京まで、約7時間
東京から、大垣行きの夜行にのります。

この夜行、今は指定席となって確実に座れるようですが、
昔は、指定でなかったので、帰省時期には、たくさんの
人がのり、通路やデッキまで、人がごろごろしていました。

私も、一晩デッキで過ごしたこともあります。

大垣から普通電車や快速電車をのりつぎ、朝に大阪を通過します。
京都から姫路あたりまでの快速電車は、快適でしたね。
通勤途中の人達の会話が、自分が関西にいることを感じさせます。

昼頃やっと岡山あたりです。

ここから、約6時間ほど、九州に入るまでかかります。
広島県、山口県は結構きついです。

新幹線だと、山の中を1時間ほどでつっきるところを
普通電車だと、海岸沿いを、ゆっくり進みます。
瀬戸内の海がきらきらと見え隠れします。

電車の窓から時々みえる新幹線の高架が、「もう、新幹線に乗っちゃえば?」
と誘惑してきます。

そんな旅をしていると、列車が関門トンネルを入ると、「おー、ついに、九州までたどりついたぞ!」とちょっと感動しておりました。

無事、家までたどり着いたときは、「偉いぞ、よく、頑張った!」なんてちょっとした充実感を感じて嬉しかったです。

同じ、目的地に行くにも、いろいろな道や方法がありますよね。

普段は、スピード重視、効率重視で動いてしまいますが、時に、あえて鈍行列車にのって、ゆっくりその道を楽しみながら進むのもいいなと思います。

ゆっくり進むからこそ、楽しめるものもあります。
ゆっくり、少しずつ進むからこそ、気がつくこともあります。

スピードも大切ですが、時にわざとゆっくりと進む道を選んでみる
ことも楽しいのかも知れませんね。

それでは、また!

新しい環境

画像 045.jpg

平成19年4月7日(土)

皆さん、こんにちは!神坪です。

仙台では、昨日桜の開花宣言がありました。
いよいよ春本番ですね!

春4月、新しい環境で何かを始めるという方も
多いのではないでしょうか?

新しい学校、新しい会社、新しい上司、初めての場所、初めて出会う人たち。

ワクワク、ドキドキもあるでしょう。
不安や緊張もあると思います。
慣れない環境で、最初のうちはとても疲れるかも知れませんね。

でも、そんな新鮮な気持ちになる環境ってとても貴重だと思います。

法律事務所では、4月に、転勤とか部署の移動とか、新入社員が入ってくるとかいうのは普通なくて、ずっと連続していく感じなので、環境が変わらないことが多いのですね。

同じ法曹と呼ばれる裁判官や検事は、3年程で、転勤とか部署の移動が定期的にあるのに対して、弁護士は、その地に根をはっていくというのがほとんどです。

もちろん、日本全国どこでも好きな弁護士会に登録をして、弁護士をやることは可能なのですが、一旦そこで登録すれば、お客さんとのつながりができてきますし、それが弁護士の財産でもありますから、別の場所に行ったりすることはあまりないのです。

裁判官や検察官の転勤は、大変そうですが、3,4年ごとに新しい環境で新鮮な気持ちで望めることができて、ちょっとうらやましい気もします。環境が変わることで、新しい見方、視点でものごとを見ることができやすいでしょう。

弁護士には、4月に環境が変わることは、あまりないのですが、裁判官や裁判所職員の方が変わることで、「新年度」を感じます。

今度きた裁判官どんな人かなあ、いい人だといいなあ。自分と相性がいいといいなあ。
破産係の書記官、優しくおおらかな人だといいなあ。

なんて、ことを思ったりします。

どんな出会いがあるのでしょうか?

弁護士の仕事は、4月だからといって基本的に環境は変わらないのですが、もちろん、自分から「環境を変える」ということはできますよ。その自由度は高い仕事かも知れません。その気になれば、いつでも環境を変えることができます。

引っ越しをしたり、新しいスタッフに来てもらったり、模様替えをしたり、新しいパソコンを買ってみたり、仕事のやり方をちょっと変えてみたり、新しい分野の勉強はじめてみたり・・・

こう書いていると、自分も何か変えたくなってきましたね!

春4月、このワクワクする空気に乗っかって、私も何か少し環境を変えてみようかな。

よし!まず、ぐちゃぐちゃになっている机の上を整理しよう!

皆さんは、この春、何か環境変わります?何か変えてみます?

それでは、また!

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