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日記・コラム

サマースクール準備中です!

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平成21年5月13日(水)

 

こんにちは。神坪です。

 

GWはいかが過ごされましたか。

のんびりできた方、忙しかった方それぞれなのでしょうね。

私は、妻の実家の青森に帰省し、

釣りなどをしてのんびりさせていただきました。

 

以前のように針でウニをひっかけるという邪道に走らず、

針に生きたエサをつけて(つけてもらって?)、正々堂々7匹も釣りましたよ!

(小さな魚でしたが・・・・)

 

 

さて、今年も法教育委員会では、

中高生向けのサマースクールに向けた準備が始まっています。

 

午前中は、法教育に関する授業、ディスカッション

午後は、刑事模擬裁判をやって、被告人が有罪か無罪かを

生徒さんに考えジャッジしてもらうものです。

 

そういったことを通じて、人の意見を尊重しながら自分の頭で考え話しをすること、

正義や公平、利益調整といった法的なものの見方、

考え方に触れてもらうことを目的としています。

 

 

私は、5年ほどサマースクールに携わってきたのですが、委員会には

やる気もあり、能力もある若手の弁護士さんが、

たくさんいらっしゃるので、今年は私は表には出ず後方支援にまわろうかなと思っていました。

 

 

が、結局、また授業を担当することになりました。

(結局、好きなんですね。すみません。) 

 

 

昨年は、中学生相手に「民主主義と立憲主義のはなし」をしました。

 

 

ものごとの決め方として、ひとりの人(王様等)が決めるのでなくて

みんなで決めるのが望ましいということ

でも、みんなで決めてはいけないこともあること、

多数派の人は少数派の人のことをよく考えなければいけないということ

をお話しました。

 

 

その上で、憲法というシステムが、蔑ろになりがちな少数派や弱い人

一人ひとりを大切にするために

国家に縛りをかけているということ、注意を促していることを伝えました。

 

 

 

さて、今年は何をやろうかな。

 

 

 

私は現在、仙台弁護士会のイベントで

映画「休暇」上映会-死刑について考える-

といった準備作業をやっていることもあり、

私自身、死刑問題について考えているところです。

 

 

いっそ中学生にも「死刑問題」一緒に考えてもらおうかな?

 

 

 

 

え?中学生には、重すぎる?難しすぎる? 

 

 

 

そうですね。確かに。

大人でも重く、難しいテーマです。 

私自身も、混沌としています。

 

 

そこで、死刑問題ということではなく(でも前提としてどこか念頭におきつつ)

身近な問題を通じて、 

犯罪と刑罰、刑事裁判について、中学生の生徒さんに考えてもらおうかなと考えています。

 

 

分かりやすく、でも本質的なところを伝え、

そして生徒さんに一緒に考えてもらえればと思います。

 

 

 

今年の仙台弁護士会サマースクールは、8月1日(土)に行います。

 

午前の法教育授業も工夫をこらしますが、

午後の模擬裁判は、例年、脚本や演出、演技もこっていて、

勉強になるだけでなく、きっと楽しい思い出になるかと思います。

 

中高生の皆さん、是非ご参加ください!

宮城県内はもとより県外からも参加も大歓迎ですよ。

 

申込み方法は、以下のとおりです。

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応募方法

ハガキ,メール,FAX

①住所②氏名③年齢④学校名⑤学年⑥電話番号

⑦このスクールを何で知ったかについて

お書きの上,下記宛先にご応募下さい。

追って,招待状をお送りします。

ハガキ送付先)

〒980-0811 仙台市青葉区一番町2-9-18

仙台弁護士会 ジュニア・ロー・スクール仙台2009係

(メール送付先)soumu@senben.org

(FAX送付先)仙台弁護士会 FAX:022-261-5945

 

応募締切 2009年21日(火)必着

 

 

 

それでは、また。

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平成21年5月1日(金)

 

皆さん、こんにちは。

神坪です。


 

今日から5月ですね。
GW真っ最中です。ここ数日お天気もよく
本当にいい季節ですね!

このブログをご覧になっている方には、
司法試験受験生もいらっしゃいます。


この季節のいい時期、

司法試験受験生は、5月半ばに行われる
試験の直前期でもあります。


私が受験生のころ
桜や新緑を見て、焦っていました。
そして、早くこの季節を心から楽しめるといいなあと思っていました。


今日は、試験直前期の勉強法の話です。


試験とは関係のない方は、申し訳ありません。
よろしければおつきあい下さい。


何年もの浪人生活後にようやく司法試験に合格することができた
私の(失敗)体験から

直前期にやるべきこと
そしてやってはいけないこと

のお話をします。 



やってはいけないこと、でもついやりがちなこと


それは、この後に及んでジタバタ新しい知識を詰め込もうとすることです。


つい、直前期になると、あれもやっていない、これも分からないと
焦って新しい本買ったりして、知識を詰め込もうとしたりしませんか。



しかし、焦って、詰め込んでも、試験に使える知識にはまずなりません。
かえって本試験に望んだとき、あやふやな知識が邪魔をして、
混乱してしまって、不正確な解答をしてしまいがちです。
  


そして、直前期にそんな詰め込み勉強をしてしまうと

精神的に不安な気持ち、自分は合格できないのでないのか、
自分にはやっぱり無理じゃないかといったネガティブな気持ちが
もくもくと出てきて、心を萎えさせてきます。


さらに、体調を崩すことになりかねません。


ですから、直前期には、新しいものには、手を出さない、
今までの知識で大丈夫なんだと腹をくくった方がよいのです。



では、直前期何をすればいいのでしょうか。

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私のお勧めとしては
直前期には、今までやってきた自分の勉強を信頼して、
作ったノートや書き込みを入れた基本書、過去問集や問題集を
何度も何度も繰り返すようにしてください。



今まで、得てきた知識、そして思考パターンを「活性化」させることに
意を注ぎましょう。



ちなみに私がやっていた繰り返しのやり方は、

1→2分の1→3分の1→4分の1・・・
圧縮法です。


ん?どういうこと?
何を圧縮するの?

 

 

答えは「時間」と「スペース」。

時間とスペースを圧縮しながら繰り返していました。


つまり、例えばこの論文問題につき、
最初は30分かけて復習、次の見返しのときは目標15分で、
その次の見返しのときは10分で、さらにその次は7分くらいでと、
どんどん復習する時間を短くしていくのです。


さらに、スペースも圧縮します。

スペースの圧縮ってどういうことでしょう。

 

書き出す紙のスペースのことです。

 

司法試験の論文試験の時、答案に書き出す前に、
答案構成といって、答案の骨子を紙に書くのですが
それを繰り返しやるのが復習の基本でした。


最初は、本番同様に、A4一枚紙をつかって書きます。
次は、少し縮小してB5サイズのスペースに
次は、A4を二つに折って、A4半分のスペースに
さらに、それを折ってA4の4分の1スペースに


というような具合にサイズを縮小して、書き出していきます。
縮小するわけですから、詳しくは書けません。

 

自然と、「大切なポイントは何だろう。」と要点を絞って書くことになります。


そういう作業を繰り返しをやっていくと、
この問題の解答のキモはどこか
何を問われているのか、と考えるパターンが身に付いてきます。


そして短い時間で、小さなスペースに書かれた
圧縮メモをみるだけでも、問いに答えるための情報が
頭の中からつながって出てくるような感じになってきます。


さらに、短時間に全体を早く見渡すことにもなりますから、
この問いの答えとあの問いの答えとがつながってきたり、
ひいては科目を超えて、
思考パターンがつながってきたりします。


知識や思考パターンの根っこの部分が見えてくるような感じになります。
なんだが「活性化」してきたぞ、面白くなってきたぞ!
なんて思ったりします。


そうして「つながり」を感じ、知識の根っこの部分が分かるようになると、
一見初めて見るような問題に出くわしても対処できたりするのですね。


思考の抽象度があがることによって守備範囲が広がってきます。
一段高い鳥の目で、見渡せる感覚になってきます。


こんな状態になると合格は近いのではないでしょうか。



直前期には、
・新しいものには手を出さないこと
・今までつちかってきたものを信頼し、「圧縮」と「繰り返し」を通じて知識を
「活性化」させることに意を注ぐこと




これが合格するために大切ではないのかなと経験上思います。




あなたが、既に持っているその力を十分発揮できるよう
お祈りいたします。


 


※こちらの話も参考にされてください。

司法試験受験生の皆さんへー試験直前期について

スペシャルドリンク

映画「休暇」上映会-死刑について考える-のお知らせ

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平成21年4月28日(火)

 

皆さん、こんにちは。

神坪です。

 

新緑のみどりが眩しい季節ですね。

 

 

さて、私は、仙台弁護士会人権擁護委員会に所属しているのですが、

その人権委員会が中心となり仙台弁護士会主催で、映画上映会のイベントを行うことになりました。

 

今日は、そのご案内です。私が案内チラシを作成しました。

こんな感じです。

 

 

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                      死刑を考える日    

-映画「休暇」で見る死刑執行の実際-

裁判員になる前に知っておきたいこと

 

いよいよ5月21日から裁判員制度が始まります。裁判員制度では、市民である裁判員が、被告の有罪無罪だけでなく、「死刑」をはじめとする量刑についても判断を迫られることとなります。もしかすると、あなたが死刑判決に向き合わなければならない日がくるかもしれません。そこで今、死刑についての感心が高まっています。国会議員の間でも、死刑と無期刑の間隙を埋めるものとして、終身刑導入を内容とする議員立法が準備されています。

現在、我が国に対しては、死刑執行停止が国際社会から強く求められています。しかし国内では、死刑を容認する世論が8割を超えているとされており、死刑判決数・執行数も激増しているのが現状です。

そもそも死刑とはどのような刑罰か。できるだけ多くの方々とともに改めて考える機会をもつため、仙台弁護士会で、映画「休暇」を通じて「死刑を考える日」を開催することといたしました。

今回上映する映画「休暇」は、死刑確定者の拘置所における日常生活、死刑執行までの流れ、刑務官の苦悩などが描かれた作品です。死刑について具体的に考えるには最も適した映画の一つといえます。さらに、死刑制度に関する問題について死刑問題に精通した弁護士がご説明し、映画では描かれていない死刑の実態についても情報を提供いたします。ぜひ、ふるってご参加下さい。 

 

 

  

日 時 平成21年5月29日(金)午後6時から午後9時

会 場 仙台弁護士会館4階大会議室

参加費 無 料

どなたでもご参加いただけます。

プログラム(予定)

■映画「休暇」上映

■講演 「死刑制度に関する諸問題」   小川原優之氏(第二東京弁護士会)

 

 

 主 催 仙台弁護士会

<本件に関するお問い合わせ>

仙台弁護士会事務局 Tel:022-223-1001

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

うわー。重いテーマですね。

 

でも、社会のこと、犯罪のこと、刑罰の目的、

そして、人の生命のことを深く考える素材として「死刑」について考えることは、

とても有意義なことと思います。

 

この「休暇」という映画は、

「死刑執行の際、支え役(死刑執行補佐)を務めれば一週間の休暇を与えられる」

ということを知り、新しい家族と絆を深めるために、支え役を申し出た刑務官が主役です。

味のある俳優の小林薫さんが演じます。

 

刑務官や死刑囚、その家族。生死と直面した人々の人間ドラマとなっています。

 

 

 

そして、いよいよ今年の5月21日から裁判員制度が始まります。

 

裁判員は、有罪無罪の判断だけではなく、量刑判断もしなければなりません。

そして、裁判員対象事件は、殺人等重い犯罪です。

ですから、裁判員は、時に死刑判断に向き合う可能性があります。

 

ひょっとしたら、いつか、あなたが死刑判決を下す時が来るかも知れません。

 

 

「死刑」とは、そもそもどういうものなのか。

「死刑」に関係する人々にどのような影響をもたらすものなのか。

 

そして、「死刑」はどうしても必要な刑罰なのか?

 

 

 

一緒に映画を見て考えてみませんか?

 

 

お時間の許す方は、ぜひご参加下さい!

 

お申し込みはこちらから(仙台弁護士会HP)

 

 

それでは、また。

 

 

大阪弁護士会(大阪市)では、5月9日(土)に、

愛知県弁護士会(名古屋市)では、5月16日(土)

同様のイベントが実施される予定です。

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平成21年4月22日(水)

 

皆さん、こんにちは。

神坪です。お元気ですか。

 

昨晩の強い風雨で、桜がだいぶ散ってしまいました。

欅や銀杏からあおい若葉がにょきにょきはえてきています。

見かけるたびに青々してきて、その変化に驚きます。

そんな春の若葉や草木を見ていると「成長」ということを強く感じます。  

 

自分はどうなんだろう。去年より今年は成長したかな。

昨日より今日、成長したかな。

 

それにはっきり「YES!」と答えられるといいですよね。

 

生きていると、思うようにいかないこと、うまくいかないこと

っていろいろとあると思います。

 

振られたり、試験に落ちたり、会社をリストラされたり、病気になったり・・・

 

そういう辛いとき、大変なことって、その事実から逃げないで

受けとめて、次の一歩を出せたとき、

一番、成長しているのじゃないのかなと思います。

 

辛いことは、辛いのですから、無理に明るく振る舞ったり我慢したり

せずに、落ち込んでもいいと思います。

 

しばらく沈んだ後、落ち着いてきたら

「せっかくだから、この体験、何か活かせないかな?」

と問いかけてみます。

 

あなたにもきっと、「その時辛かった体験が、今の自分に役立っている」、

「あの体験があったからこそ、新しい出会いに恵まれた」、というような

ことがあるかと思います。

 

「あの人に振られたからこそ、今、素晴らしい人と一緒に暮らしている」

「あの会社からリストラされたからこそ、今、この仕事を充実してやっている」

「あの苦しい体験があったからこそ、同じ苦しみを味わっている人々を勇気づけるころができる。」 

 

 

そして、過去の辛い体験を「あれがあったからこそ」

と後で振り返って言えることに共通するのは、辛かった時に

「その事実を受けとめ、そして次の一歩を踏み出したこと」かと思います。

 

 

「もうだめだ。」

「男(女)なんて信用できない。」

「何て運が悪いのだろう。」

「どうせやっても無駄だ。」

 

なんて、投げやりにならず、事実を事実として受けとめ、

次の一歩を歩き出したからこそ

辛い事実が、生きてくるのだと思います。 

 

そしてその時、人は、大きく成長する。

心のあつみが増していく。

 

 

順風満帆で、何も苦労のない時って、それはそれで有り難いことなのですが、

成長の視点からいうと、あまり恵まれた時期ではありません。

 

辛い時、大変な時こそ、きっと大きく成長できるのだろうと思います。

 

 

「起きることには、きっと何か意味がある。」

 

 

そう考えて、辛い出来事や苦労を受けとめることができると

いいのかも知れませんね(辛いのは、もちろん辛いのですが・・・)。

 

 

それができると、きっと人として成長し、

周りを幸せにする素敵な人になれるのではないでしょうか。

 

 

 

「逃げずに事実を受けとめること、そして次の一歩を踏み出すこと」

そう自分に言い聞かせています。

 

私は、もともと逃げたくなる性分なので・・・すいません。 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

それでは、また。

社会とのリンク

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平成21年4月6日(月)

 

皆さん、こんにちは。

神坪です。

どうしたことか(?)楽天開幕3連勝!

ひょっとして優勝できるかも?? 

是非この調子で、秋まで頑張って欲しいものです。 

 


さて、新年度、街では
フレッシュな新入社員をみかけます。


新入社員さんは、就職により、
学生さんから、社会人として、社会につながり、リンクするわけです。

仕事をする。つまり働いてその対価(=お金)を得ること。
対価=お金を得るにふさわしい価値を創造する必要があるわけです。


これまで単なる消費者であった立場に、労働者の立場、
すなわち人に対し、社会に対し価値ある何かを提する立場が加わります。


そもそも、人は、何のために働くのでしょう?

どうして仕事をするのでしょう?




お金のため?




そうですね。

生活をしていくのにお金は必要ですから、
お金を得るために仕事をすることは間違いありません。




では、人は、お金のため「だけ」に働くのでしょうか?


もし、働かなくても暮らしていけるような、
ありあまるお金があったら、あなたは仕事をしないでしょうか?




宝くじ3億円あたったら、仕事はやめて、もう働かないですか?



もしかすると
「仕事なんかしないよ。遊んで暮らすよ。」


と答える方もいらっしゃるかもしれませんね。


では、今あなたの目の前に、大富豪が現れて、

「今後一生お金はあなたが欲しいだけいくらでもあげよう、
しかしそのかわり絶対に働いてはいけない。」


そういわれたら、あなたは、その話に乗りますか?


迷う方もいるかも知れませんが、よく考えると、
働くことが禁じられるなんて、とても堪えきれないかと思います。



私はとても堪えられません。    


ここで「堪えられない」というのは、
お金だけのために仕事をしている訳ではないということを意味します。                                         



仕事をしないこと、働かないということは、

人や社会に対して、価値あるものを何ら提供していないこと
人や社会に対して、何も価値を生み出していないこと
人や社会にリンクしていないこと
誰にも必要とされないということ

そういうことです。


それで心は満たされるのでしょうか。幸福なのでしょうか。



空しく、心に穴がぽっかりあいたような気にはなりませんか。



私は司法浪人中、勉強の合間、平日昼間の公園のベンチで
ぼんやりこんなことを思いました。


今の自分って、社会につながっていないなあ。
何の役にも立っていない。何の貢献もしていない。

早くつながりたいなあ。

そんなことを考えて落ち込んでいました。


逆に、支えになったのが、
弁護士になれば、きっと社会にリンクできるはず、
それも太くできるはず、今はその力を蓄える時なんだ

という意識です。                                        


司法試験受験生の中には、生活費や学費を稼ぐために、
アルバイトをしながら勉強しなければならない人も多くいます。

しかし私は有り難いことに、浪人中、両親や妻に経済的に支えられ、
自らが働かなくても生活をすること自体には困ってはいませんでした。


ですが、社会につながっていない空虚な感覚は、
何とも言えない重しとなって心に沈んでいました。


社会とつながりたい、人に必要とされたいという感覚、飢餓感が、
心の奥底で行き場がなく、渦巻いていました。


今、働きたくても働けない人も、多くいます。
会社から、もういらないとリストラされる方もいます。


それは経済的に苦境にたたされると同時に
社会とリンクできない、リンクからはずされるという精神的な苦痛も感じることでしょう。


人は、社会とリンクすることで、はじめて、自分の存在や役割を確認できます。
一人無人島にいる世界では、自分は何者かさえ分かりません。


喜びも、充足感も、失望も、張り合いも、哀しみも、
人とのつながり、社会とのつながりを通して感じることができるものです。



人とのつながりが、幸福の基盤なのです。



時に、その人との「つながり」がこじれたり、
煩わしく感じられたりするものですが、
この「つながり」なしには、人は人として
生きていくことはできないのだろうと思います。


どのような仕事も、仕事を通じて、他者や社会とつながっています。
目の前のお客さんや会社の人々だけでなく、
目に見えない人々まで、そのつながりは想像すると
限りなく広くつながっています。


あなたが今している仕事やこれからやりたい仕事は、

「誰と」

「どのように」

つながっている仕事ですか。

つながろうとする仕事ですか。

「つながり」をキーワードにして、仕事を眺めてみると
今まで気が付かなかったことが見えてくる場合があります。


そしてその「つながり」をどうすれば
もっといい「つながり」にできるのかを問いかけてみる。


そうすると
何か、いい変化が起きるかもしれませんよ。




思うに、弁護士の仕事というのは、
この人と人との「つながり」それ自体に向き合い、
こじれてしまった「つながり」を調整したり、
よりよいものにするというお手伝いをするようなものかも知れません。

 

 

あなたに、温かい「つながり」が広がっていきますように。



それでは、また。

春の散歩道

平成21年4月4日(土)

 

皆さん、こんにちは。

お元気ですか。神坪です。

 

暦も4月に入り、暖かくなってきましたね。

仙台でも、もうすぐ桜が咲きそうです。

 

私は、子どもの春休みにあわせて 

しばらく実家の北九州、八幡に帰省していました。

遠方でもあり年に一度だけ、この季節に帰省しています。

 

事務所にご連絡をされた方、連絡がとれず

申し訳ありませんでした。 

 

さてあちらは、既に桜は満開から散り始めで春満開でした。

菜の花やチューリップ等も咲いています。

 

仙台と比べると3週間程度、季節が早い感じでしょうか。

 

今回は、散歩がてら撮った写真を載せます。

よろしければおつき合いください。

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金山川の菜の花です。
川には小さな魚が泳いでいました。

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川沿いの桜並木。
 昔、この川沿いを通って高校に自転車通学していました。

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エリカです。

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花びらがひらひら散っていました。

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菜の花と帆柱山

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筑豊電鉄西山電停そばの赤い歩道橋

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おまけのプレーリードッグです。 何を食べているのかな?

おつき合い下さりありがとうございました。

 

それでは、また。

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平成21年3月22日(日)

 

皆さん、こんにちは!



春分の日もすぎて、春本番ですね。
東京では、桜が開花したようです。
仙台でも例年よりかなり早く桜が咲きそうです。

見頃はいつ頃かな?



さて、皆さんは、憲法と幸福って関係があると思いますか?


一見、何ら関係がなさそうですが、
日本国憲法の中には、ズバリ「幸福」という言葉がある条文があります。

何条でしょう?
 

答えは、またまた13条です。


13条は、
憲法の核心である「すべて国民は、個人として尊重される。」の文言に続いて

「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。」

と規定しています。



「幸福追求権」なるものが個人に認められているわけです。


「公共の福祉に反しない限り」というのは、
「他者を害しない限り」と同じ意味です。



つまり、個人には、他者を害しない限り、自らの幸せを追い求める自由が保障されています。


ここで、憲法は、個人に対して「幸福追求権」を保障したのであって
「幸福」そのものを保障した訳ではないことに
注意してくださいね。


当たり前のことですが、「幸福」「幸せ」は、人それぞれで、
こうなれば「幸せ」と決まっているものではありません。


どんなにお金持ちで、立派な家に住んでいたとしても、心がすさんで不幸な人もいます。
他方で、貧しくても、温かい家族や友人に恵まれて、幸せに暮らしている人もいるでしょう。


「幸せ」は、心が満たされた状態であり、一人ひとりが
他の人とは違う唯一の存在である以上、どのようなときに
心が満たされるかは、一人ひとり違います。
(もちろん、こういった状態のときは多くの人は幸せと感じることが多い
といったものはあるでしょうが・・・)


だから、国家が「幸福」を保障するなんてことはありえない。
それに、国家が決めた「幸福」を押しつけて、その人が幸せとは限らない。


国家が、よかれと思って、「これが幸せなんだ」と思って、おしつけても
いろいろな人、いろいろな価値観や考え方がある人の中では
「幸せ」と感じない、むしろ「嫌だな」と感じる人はいるでしょう。



あなたは、この人と結婚するのが幸せよ。だから結婚しなさい。

あなたは、医者になるのが幸せよ。だから医者になりなさい。



と結婚相手や職業を親に勝手に決められたことを想像してみてください。


嫌ですよね。
勝手に決められたくない。
自分で選びたい。

親は、あなたのためを心底思って、そう言っているのかも知れません。

でも、自分の希望にそぐわない相手や仕事を押しつけられたところで
あなたは「幸せ」にはなりえません。


もし国家の場合、国家が仮に、

「国のために、公のために身を捧げるのが幸せなんだ。」

といった幸福感を国民に押しつけてくると、とても怖いですよね。


だから、憲法は、国家が幸せを保障せよと言っているのではなく、
国家は、個人一人ひとりを人格をもつ独立した存在として扱い、
それぞれの「幸福追求を妨げないでね」と、
国家に個人の幸福追求権の保障を求めているのです。


もちろん、現実に国家や地方自治体は、いろいろなサービスを提供してくれます。
警察、消防、生活保護、年金、学校、道路、病院・・・
どれも大切なものです。

ですが、それは、いわば個人が幸福追求ができるための基盤
を提供してくれているというもので、
「幸福」そのものを保障したものではありません。


あくまで、個人一人ひとり自らがその自由意思で、
幸せを追求するということを前提にしています。


自由で独立した存在。
自由意思で、選択できるということ。


これは、逆にいうと、国家に頼らず、依存せずに、
自らの意思で、選択し、判断し、
その判断した責任を自らがとることが求められている
ということを意味します。



「自由には、責任が伴う」


このフレーズはよく耳にしますよね。


私はこの責任には、他者を害しないことに加えて

1 自由意思で、進むべき道を選択する責任

2 そして、自らが選んだ行動から生じた結果を受け入れる責任

があると思います。

いずれもしっかりと自ら考える意志、独立した存在としての自覚がなければ
引き受けにくい責任かと思います。

こんな責任を目の前にして


「えーい。面倒くさい。」
「責任なんかとりたくない。」
「おまかせでいいや。」
「誰か決めて、誰か責任をとって。」


こういう人もいるかも知れませんね。


「人というのは自由から逃げたがるもの」

ということをいう人もいます。


自由を面倒くさく負担に感じているとき
国家や親や誰かが

「あなたは、こうしなさい」
「あなたは、こうするのが幸せよ。」


なんて教えてくれると、
「じゃあそれでいいや」と
そのとおり、従ってしまうのでしょう。

自由より従属が楽だと自由を投げ出したりしてしまう。


でも、それで、いいのでしょうか?
親が決めた幸せ、国家が決めた幸せにのっかっていれば、
本当に「幸せ」っていえるのでしょうか?


それで、「自分は、自分の人生を生きている」
っていえるのでしょうか?




それって、飼われている動物のように、
安全で、楽なのかも知れないけれど
決して「人として」生きていないですよね。


憲法は、個人に対し、表現の自由をはじめ、
いろいろな自由や権利を保障してくれています。


でも、放っておけば、誰かに任せていれば、
その保障された自由が、当然確保される
わけではないのです。


憲法が、「幸福追求権」を個人に保障した前提には
個々人が、人まかせ、国家まかせにするのではなくて、
自らの意思で主体的に選択し、責任を負う意識をもって
生きることが求められているのです。

 

自由保障の前提として、憲法は、従属的な個人、依存的な個人ではなく、

自らの意思で判断し、主体的に生きることができる人である

ことを想定しているのです。


憲法は

「自由が保障されていることに甘えないで、
一人の自律主体として、しっかり考え判断し、責任をとらないといけないよ。」
といっている訳です。


日本国憲法12条は、こう述べています。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」




自由は、人が人らしく生きるために不可欠なもの


そして

自由を確保するためには、人まかせでではなく
自らが自律主体として、考え、判断する責任と、
結果について責任をとる覚悟が必要であること


今回は、このことを、是非押さえておいてくださいね!


それでは、また。

3つの言葉に味付けを

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平成21年3月17日(火)

 


皆さん、こんにちは。
神坪です。

 

3月は卒業シーズンですね。
私も先日、幼稚園に通う娘の卒園式に出席しました。


 

そこで園長先生は、園児達にむけてこんな話をしてくれました。

 


『 皆さん、ご卒園おめでとうございます。

皆さんは、この幼稚園でたくさんのお友達ができましたね。

 

皆さんの卒園のお祝いに
これからもたくさん友達ができる3つの魔法の言葉をおくります。

 

それは、

「おはよう」

 

「ありがとう」

 

「ごめんね」

 

です。


え、そんなこと?

 

でもその言葉には「味付け」が必要なんだよ。


「味付け」ってなんだろう?お砂糖を口につけてお話するのかな?


 

味付けというのはね

 

心をこめていう

 

ということです。

同じ「おはよう」でも、心をこめて言われたときと、ぶっきらぼうに言われた
ときって違うよね。

心をこめて言われたのかどうか、聞いていると分かるよね。

 

3つの言葉を心をこめて言うと、すぐに仲良くなれると思うよ。


 

じゃあ、心をこめるってどうすればいいのかな?


それは、

 

相手の目を見てお話すること

 

そして、

 

相手の気持ちを考えてお話すること

です。


 

○○ちゃんは、今、どんな気持ちなのかな?って思いながら
目をみて、「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」
と言ってみて下さいね。


心を込めるって
難しいことかも知れないけれどとっても大切なことなんだよ。


小学校に入っても、3つの言葉に味付けをして、たくさんお友達をつくって下さい。
                                                                        』

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このような素敵なお話を園児達に語りかけてくれました。


短いお話ですが、私の心にも響いてきました。


自分は、3つの言葉をきちんと言っているだろうか?
そして、心を込めて言っているだろうか?


 

そう自分に問いかけてみると、できていないことに気が付き

正直恥ずかしくなってきました。

 

 

 

出会ったら「おはよう」「こんにちは」と声をかけ

何かしてもらったら「ありがとう」と感謝し、

間違いをしたり、迷惑をかけてしまったら「ごめんなさい」と謝る。


 

そして相手の目を見て、相手の気持ちを考えながら言葉をかける。


 

人と接する際の基本中の基本。でも実際はなかなか難しい。

 

 

それがしっかりできるようになると、人との間に温かい関係を築くことができそうですよね。

素敵な人間関係に恵まれそうですよね。


 

 

毎朝、幼稚園の門に立ち、「おはよう」と子ども達を笑顔で迎えていた園長先生。

 

私の娘が、うまく挨拶ができないときに
心の中ではいつも言っていますよ。」
と娘の心の声に耳を傾けてくれた園長先生。

 

そんな素敵な園長先生をはじめ、娘は素晴らしい先生方に恵まれました。

温かく優しい先生方の言葉は、幼い子ども達の心に灯(ともしび)

として光り続けることと思います。

 

幼稚園の先生はやっぱり偉大です

 


本当にありがとうございました。


 

 

それでは、また。

他人を害さない限りにおいて

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平成21年3月13日(金)

 

皆さん、こんにちは。

神坪です。


バレンタインデーにいただいたチョコレートを少しずつ食べているうちに
もうホワイトデーです。早いですね。



さて、今回も憲法のはなしを続けたいと思います。

これまで、憲法の核心は、
13条 「すべて国民は、個人として尊重される。」の文言であること。


そして、個人の尊重が確保されるためには、
自由が保障されることが基本であることについてお話しました。


普通に暮らしている限り、国家から制限を受けることを感じることもなく、
憲法が自由を保障していることの実感もないのが通常だろうと思います。


何か、制限や束縛を受けたときに「自由」というものが浮かび上がってきます。


幸い日本の社会においては、多くの人にとって、自由は、空気のような存在になっているようです。


でも、憲法の理念、
「一人ひとりの人間をかけがえのないものとして大切にする。」
というのは、一人ひとりの個人が、社会において生きていく上でも、
忘れてはならない、大切な指針であると思います。

「すべての人は、人として尊重される。」

あなたももちろん、あなたの家族も、友達も、上司も、見知らぬ誰かも・・・


もし、あなたが、たった一人、無人島で暮らしているならば、
「個人の尊重」や「自由」という概念は出てきません。


あなたとは、別の誰かが存在し、何らかの関係性をもったときに、
例えば、別の誰かが、あなたを傷つけたとき、あなたの自由を奪ったときに
「私のことを尊重してよ。」「自由を奪わないでよ。」
という言葉がはじめて出てきます。


あなたの自由と、他者との自由がぶつかり合ったとき、自分の自由を意識します。


自由があるといっても、決してやりたい放題できる訳ではない、
人に迷惑をかけることはいけない、
ということは感覚的に分かりますよね。


「すべての人は、人として尊重される」
ということは、決して、やりたい放題に、身勝手にすることはできないこと
他人を傷つけることはできないことを含んでいます。


わがまま身勝手に行動すれば、他人を傷つける、
つまり、人を人として尊重していないのですから、
そんな自由は保障されず制約されるのです。


自分は、新しく買ったナイフの切れ味を試してみたいと、
道行く人を傷つけるような行為なんて絶対に許されませんよね。
当然、そういった行動は制限されます。


日本国憲法を含む近代憲法の基礎となっている
1789年フランス人権宣言第4条はこう規定しています。


「自由は、他人を害しない一切のことをなしうることに存する。」


いってみれば当たり前のことですが、他人も人として尊重される存在である以上、
他人を害してはいけないのです。
他人を害する行動は制約を受けるのです。


では、「他人を害しない」って、もう少し具体的にいうとどういうことでしょう。

憲法学者の浦部法穂先生によりますと、

「他人を害しない」の意味は、

① 他人の生命や健康を害するようなものであってはならない。

② 他人の人間としての尊厳を傷つけてはならない。

③ 他人の人権(自由)と衝突する場合、
人権と人権の相互調整という観点から一定の制約をうける。

というものです。(「憲法学教室全訂第2版」)


①は文字通り、人の体を傷つけたりする自由なんて認められないことは分かりますよね。

②は、例えば、人を、人でなく家畜のように扱ったり、
生まれによって差別したりすることを想像してみるといいでしょう。
そんなことは許されない、制限されるでしょう。

③は、週刊誌が、芸能人の私生活を暴露するような場合に、
表現の自由と芸能人のプライバシー権とが衝突した場面等が想定できます。
芸能人であっても、そんなことまで雑誌にかかれたら
たまらないということってありますよね。


①、②、③いずれも、他者も個人として尊重する観点から、
自らの自由が制限を受けるわけです。


どこまでの自由が認められるのか、どんな自由が制限を受けるのか?
こちらの人権(自由)とそちらの人権(自由)の調整をどのように図るのか?
ここまでは認められるが、これ以上は制約を受ける。

その線引きは、時に、とても難しいこともあります。

裁判所も、これまでいろいろと自由の相互調整や制限の線引きで悩んできています。


私には、自由がある。でも同じように他の人にも自由がある。

私は、人として尊重される。でも同じように他の人も人として尊重される。



だからこそ、お互いにその自由には


「他者を害さない限り」

という留保がつくわけですね。


このように他者も人として尊重される関係で、
自分の自由が制約を受けることを
ちょっと難しい言葉でいうと


「内在的制約」


と言います。いわば自由の宿命です。


一人無人島にいる分には「自由」の概念は存在しません。
もちろん、好き勝手に何をしても文句は言われませんが、
そこに「自由」は観念されません。


なぜなら「自由」とは、制限や束縛に対抗する概念ですから。

他者から制限や束縛を受けてはじめて
「自由を保障してくれ!」という話になるのですから。

無人島の一人ぼっちの世界に「自由」を意識する必要ありません。
だから「自由」の概念は存在しない。


自由の概念は、人と人との間で初めて意味をもつ。

そして、自分と同様、他者にも自由がある。



自由が「他者を害しない限りにおいて」保障されるというのは、
自由というものが、人と人との間で観念されることの、
本質的な限界なのです。


今回のお話は、少し難しかったでしょうか?


自分も含め、「すべての人」が、人として尊重される。

だから「他人を害しない限りにおいて」自由が存在する。



今回のお話では、このことを、是非押さえておいてくださいね!



それでは、また。

自由であること

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平成21年3月12日(木)

 

皆さん、こんにちは。

お元気ですか。

3月も中旬に入りましたが、昨日は、風が冷たく雪がまっていました。
今朝はうっすらと雪が積もりました。

いつ頃まで雪が見られるのだろう?


 

さて
前回「人を人として大切にする」
で、日本国憲法の、最も核心となる条文は、13条であること、

そして

  「すべて国民は、個人として尊重される。」


という一文が、一番の大切なところだということをお話しました。


憲法は、国家に対して、
「一人ひとりの人間を人として大切にしなよ。」
と言っている訳です。


一人ひとりの人間を人として大切にするということは、
第一義的には、国家が積極的にのりだして
何かをしてくれよというのではなく、
主として、個人の自由を妨げないないで、制限するなということです。


国家が、

人が表現することを妨げたり
職業を選択することを妨げたり
ある特定の宗教を信じることを妨げたり
理由もなく逮捕して、強制労働をさせたり

 

というようなことは、してはダメだよと禁止しているのが
憲法の国家に向けられた縛りの基本です。


「国家は、○○の自由を侵してはならない。」

  というわけですね。

皆さんは、日本国憲法の条文で定めている「自由」
ってどんなものがあると思いますか?

はい、ここで、例によって、六法をお持ちの方は、憲法のところを
開いて眺めてみてくださいね。




見出しをみると「○○の自由」というのが目に入ってくるかと思います。


18条 奴隷的拘束・苦役からの自由

19条 思想・良心の自由

20条 信教の自由

21条 表現の自由

22条 居住・移転・職業選択・外国移住・国籍離脱の自由

23条 学問の自由


いろいろありますね。
なお、○○の自由という形ではないのですが、
29条財産権も経済的自由の一つです。


これらを「自由権」といいます。


文言をみると
「思想び良心の自由は侵してはならない」と、
ズバリ、国家が自由を妨げることを禁止していることが明らかなタイプと

「表現の自由は、これを保障する」といった「○○の自由を保障する」
といったタイプがありますね。

ただ「自由を保障するということ」の意味は、
すなわち、「国家はその自由を侵してはならない」ということですから、
どちらのタイプも同じ意味です。


つまり、「国家よ、(表現すること、学問、思想良心・・・)に対して、
邪魔しないで、ちょっかいださないで!」


と憲法はいっているわけです。


 

「ペッパー警部! 邪魔をしないでー!」です。


 

 

・・・ごめんなさい、そういう世代です。





皆さんは、もしかすると、国家、県や市町村が、
国民の自由を保障してくれるものと思っていらっしゃるかも知れません。



現実の生活感覚からすると、国家や市町村から何か自由を奪われたりすることは、通常なく、
むしろ他の人から権利や自由を侵害されたときに、
国家を頼りにしたいという感覚があるので、
国家が自由を奪うということにあまりピンとこないのも無理はないと思います。


でも、例えば、

間違って逮捕され、刑務所に入れられたらどうでしょう。

強引に自分の土地が収用されてしまったらどうでしょう。

思想が気に入らないといって、逮捕されたらどうでしょう。


うーん、とても怖いですよね。



でもそういう可能性って、今でもまだあるのですよ。




「国家からの自由」
 

 

これが、
個人の尊重、一人ひとりの人間を人として大切にすることに
とっての根本にあることは、是非押さえておいてくださいね!

自由であること。


他からの制限や束縛をうけずに
自らの意思、良心にしたがって、考え、行動することができること。

その素晴らしさ、ありがたみは、
病気になってはじめて健康のありがたみが分かるように
自由を奪われ、束縛を受けて、はじめて分かるものかも知れません。


ですが、想像することは可能だと思います。


憲法にかかれてある自由、
もしなかったら、国家から制限されたら、どうだろう?


表現の自由はない。
思想良心の自由はない。
信教の自由はない・・・・

奴隷的拘束を受け、強制労働をさせられる・・・


一体どんな気持ちになるのだろう?


よかったら、少し想像してみてくださいね。



それでは、また。

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平成21年3月5日(木)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。


3月に入り、ひな祭りも終わりました。
桜のつぼみもふくらみ始めています
春が近づいてきましたね。

さて、皆さん、日本国憲法の条文(全部で103条あります)
の中で、最も核心となる条文は、何条だと思いますか?



六法をお持ちのかたは、少し日本国憲法の条文を眺めて考えてみてくださいね。
 

 

 

9条?



多くの方が、9条をあげるかと思います。

でも、違います。



確かに、日本国憲法の中で一番有名な条文といえば、
平和主義の9条でしょう。

9条は、世界に類のない日本国憲法の個性を示す大切な条文ですが、
憲法の核心の核心は、9条ではありません。


では、何条でしょうか?








答えは、13条、そしてこの条文の中の一文です。




「すべて国民は、個人として尊重される。」




この一言に、憲法の理念が凝縮されています。


「個人の尊重」「個人の尊厳」という言葉は、
皆さんもきっと聞いたことがあるかと思います。


では、「個人の尊重」って、一体どんな意味なのでしょう。

個人として尊重されるってどうしてそんなことを憲法は、
核心として掲げたのでしょうか?


「個人の尊重」というのは、
人を、モノではなく、機械ではなく、
一人の人間として、一人の人格をもった存在として、
尊重する、大切にするということを意味します。



一人ひとりの人間を無条件に大切にするということです。


身分や生まれた地域、性別、信仰にかかわらず、
人として大切にするということです。


「誰が」大切にするということでしょうか?

大切にするという主体、主語は誰なのでしょうか?



会社?

夫?

気にくわない上司?

友人?

隣のうるさい人?



違います。


以前、
「憲法と法律って同じようなもの?」

「憲法が国家を縛る?-立憲主義の話」


でお話しましたが、



憲法は、国家に対して向けられたものでしたよね。


ですから、第一義的には、国家に対して、

「一人ひとりの人間を人として大切にしなよ。」

 

と言っている訳です。



主体は「国家」です。



人は、皆違います。
私と同じ人はいませんし、あなたと同じ人はいません。
あなたは、唯一無二の存在として「代わり」のきかない「かけがえのない」存在です。


あなたのお父さん、お母さんにとって、
あなたは、「かけがえのない子」であり、

あなたが、親ならば、あなたは、
お子さんにとって「かけがえのない親」ですよね。


あなたの「代わり」はいないのです。
そして、あなたと同じように
どんな人も、その人の「代わり」はいないのです。


みんな、かけがえのない人。


国家は、かつて、一人ひとりの人間を人として大切にしないことがありました。

国家のために、国家の利益のために、人を駒のように扱った時代がありました。


国家、当時の権力を持つ者にとって、
好ましくない意見を言う人を、
一人の人間として扱わないことがありました。

そして、国家は、社会秩序や公の名のもとに

ときに一人ひとりを大切にしないということを

しがちな性質があります。 

 


ですから、そんなことがないように


「国家よ、一人ひとりの人間を人として、大切にしなよ。」


と憲法は、国家に命令をしているのです。



「すべて国民は、個人として尊重される」の「すべて」もポイントです。


国家が気に入ったもの、国家に文句を言わないものは、尊重するけれど、
国家に文句を言うようなうるさい奴は、尊重しないといったことはダメだよ
といっている訳です。


すべての人は、「例外なく」一人の人格をもった存在として
国家から尊重される。



それが、憲法の核心です。



皆さんは、学校で習った憲法の三原則って、憶えていますか?





平和主義



基本的人権の尊重



国民主権・民主主義



でしたね。



もちろん、これらは憲法の重要な原理原則なのですが、



その根っこは「個人の尊重」「個人の尊厳」なんですよ!



個人の尊重を確保するために、一人ひとりが、
ひとりの人間として大切にされるために、
ということが、根本中の根本、核心中の核心なのです。


個人の尊厳確保のための
平和主義であり、人権リストであり、民主主義なのです。



今回は、個人の尊重が、憲法の核心であり、
国家にむけられたものであることを押さえてくださいね。



その上でなのですが、


憲法の理念である



「一人ひとりを、かけがえのない大切な存在として大切にする」

というのは、国家ではなく、自分自身に置きかえても大切なことだと
私は思っています。





目の前の人を、一人の人間として大切にする。





多くの人が、それを心がけると温かい社会になりそうですよね!



そうなるといいなあ。




それでは、また。

心の幸せカップ2

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平成21年2月27日(金)



皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。


早いもので、2月も明日でおしまい。
ついこの間、お正月だったような気もするのですが・・・

 

前回の日記では「心のなかの幸福のバケツ」という本を紹介しました。


幸福感は、カップ(バケツでもいいですが・・・)の水量に例えられます。


幸せになりたい、満たされた気持ちでいたいのであれば、
どうすればカップの水が増えるのかが分かっているといいですよね。

 

分かっていれば幸せになるための
行動がとれることになります。


そのために、まずは、カップと水を意識すること。
そして、どんな時にカップの水が増え、どんな時にカップの水が減るのか
意識してみます。

 

「どんな時」というのは

自分が行動を起こしたとき
人から何かをされたり、言われたりしたとき

と分けられるかと思います。

マトリクスとしては 

  自分の行動 人からされたこと
水が増える  ①  ②
水が減る  ③  ④

 

 

   
こんな感じでしょうか。

自分のカップの水量の変化を意識して

 

いま、人の役に立って増えた。・・・①

意地悪なことをいって嫌な気になった。・・・③

 

人から「君のおかげで助かった」と感謝されて嬉しかった。・・・②

人から、馬鹿にされた。・・・④

と水量と自分や人の行動との関連性を意識してみます。



自分のどんな行動で、増えるのか、減るのか。

人からどんなことをされると、増えるのか、減るのか。


人は、幸せになりたいと思いながらも
つい、水が減る行動③をとってしまいがちかなという気がします。

 

無意識に①より③の行動を選択しがちなのですね。

その原因の一つとしては、

自分の行動が、①水を注ぐ行動なのか③水を減らす行動なのか

が自分でもよく分からないからかと思います。

そこで、水量と自分の行動を意識して、何が、水を満たす行動なのか、
何が、水を減らしてしまう行動なのか、心に染み込ませる必要があると思います。


もし、できることなら、先のマトリクスを紙に書いて、日記をつけてみると
いいのではないでしょうか。



自分が、こんなことをした時に、カップの水が増えた。嬉しかった。幸せを感じた。



だから、これからは、それと同じようなことをまたしよう!




自分が、こんなことをしてしまった時に、カップの水は減った。
罪悪感やイライラを感じた。



だから、もうこんなことはしないようにしよう。



カップの水の変化と自分の行動の関係を意識し、記録をつけることで
カップの水を増やす、減らさないために、
自分がこれからどうすればよいかが見えてきます。

整理しますと

1 まず、自分のどんな行動で、水が増えるのかを意識して暮らします。

2 そうして、水が増える行動を具体的に把握します。

3 そして、その行動をやってみます。

ということになります。



1,2,3のステップが身に付くならば、きっと、カップの水は満たされることが多くなるでしょう。


さらに、もっと水を増やす楽しくて効果的な行動を思いつくかもしれませんね。
そして、そのアイデアを行動にうつす。


素敵な好循環が生まれることと思います。


そうなったら、いい感じですよね。

 

「計画的に」どんどん水を注いでいきましょう!

 

あなたのカップに、あなたの大切な人のカップに。

 

 

どんどん、あなたやあなたの大切な人のカップから水があふれていきますように!


最後まで読んでいただきありがとうございました。


それでは、また。

心の幸せカップ

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平成21年2月20日(金)


皆さん、こんにちは。

お元気ですか。


今朝起きると、雪がつもっていました。今も静かに降り続いています。

雪かき隊出動ですね。



さて、先日、東京出張の帰り、東京駅の書店で買った本を新幹線で読みました。

「心のなかの幸福のバケツ」という本です。


こんなことが書かれていました。

「バケツとひしゃくの理論」

人は心にバケツをもっている。バケツには水が入っている。
バケツに水がいっぱいのときは、気分がいい。
バケツが空になったとき、気分は最悪だ。

他人から、気にかけてもらったり、褒められたり、
感謝されるとバケツの水が増える。

他人から、けなされたり、無視されたり、傷つけられる
とバケツの水は減る。


人は、バケツの他にひしゃくももっている。


ひしゃくをつかって誰かにバケツに水を注げば
(認めたり、褒めたり相手が明るくなるようなことをすれば)
相手のバケツの水は増え、さらに自分のバケツにも水がたまる。


逆にひしゃくをつかって誰かのバケツから水をくみ出せば
(相手を、けなしたり、無視したりして傷つけると)
相手のバケツの水は減り、さらに自分のバケツの水も減る。


人は、バケツの水が増えると嬉しい。前向きになる。
人は、バケツの水が減ると悲しい。元気がなくなる。


人はみな、日々あらゆる場面で選択を迫られている。


自分と関わる人の心のバケツに水を注ぐのか、それとも水をくみだすのか。

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なるほど。人は、心のなかにバケツをもっているのか・・・

 

人の何気ない一言に傷ついたりしたことってありますよね。


逆に、ちょっとした一言が、とても嬉しかったりしたことも。

「よく頑張っているね。」

「君のおかげで助かっているよ。」

「君のことを、誇りに思うよ。」


私も、言った本人はきっと忘れているような
ちょっとした一言をいってもらえて、とても幸せな気分になった
ことがいくつかあります。


あなたにもきっとありますよね。


逆に、自分のちょっとした言葉や行動が、人を傷つけてたり、
明るくしたりするということもありますよね。


もちろん、自分が傷つけられたくないように
人を傷つけたくないと多くの人は思います。


でも、漫然としていると、つい水をくみ出したりしてしまいがち
なのではないでしょうか。


ついつい、

「何やっているの!」

「ダメじゃない!」

「どうして分からないの!」

なんて言ってしまいがちですよね。


自分のその行動や言葉は、相手の水をくみ出すのか、注ぐのか。


どうしたら、その人のバケツに水を注ぐことなるのか。


ちょっと意識して行動してみるといいかも知れませんね。


まずは、バケツに水が入っているところを想像すること
からスタートでしょうか。




ん。バケツじゃ、今ひとつパッとしない?

そうですね。私もそう思います。

バケツというと、ぞうきんがセットで思い出されます。
バケツの水も汚れている。

いけてません。


ですから、あなた好みの容器、ティーカップやグラスの中に
きれいな水が入っている様子をイメージして下さいね。
(ビールがお好きなかたは、ジョッキを)


 

また、目の前のこの人の容器は、こんな感じかな?
と好き勝手に想像してみても面白いかも知れませんね。



あなたのカップの水は、今どれくらいありますか?

 

 

あなたの大切な人のカップの水は、満たされていますか?

 

もし、あなたの大切な人の水が少ないなあ、
空になっていると思うのであれば、
ぜひ優しく水を注いであげてくださいね。


それに自分のカップも水が少ないかなと思ったときにも
人のカップに水を注ぐことを意識してやるといいかも知れません。



人に水を注げば、自分のカップの水も湧いて出てくるわけですから。
それに、注いだ相手からも、水を注いでもらえるかも知れませんしね。

そうして、自分のカップにも、相手のカップにも水があふれてくる。


そうなると、いいですね!

あなたやあなたの大切な人のカップから水があふれていますように・・・



それでは、また。


※今日のお話と関連した日記です。
「ひかり」をあてる

キミが見えなくなるまで

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平成21年2月13日(金)

 

皆さん、こんにちは。

神坪です。

仙台では、このところ暖かい日が続いています。
太陽のちからが、日に日に強くなっていくのを感じます。
まだ、近くの子ども達が、
つくった「かまくら」は残っていますが・・・

 

 

さて、皆さんは、「六法」って持っていらっしゃいますか?



「六法」は、法律に携わる仕事の方や法律を学ぶ方にとっては、
なくては困る必需品ですが、そうでない方も、国語辞典がご家庭に一冊
はあるようにお手元に一冊あると便利な本ですよ。

「六法」というのは、

もともとは
「憲法」「民法」「刑法」「商法」「民事訴訟法」「刑事訴訟法」

の六つの法典をいうのですが、「六法」と名が付いて
書店で売られている本は、それ以外の法令もたくさん掲載されています。

今私の手元にある「ポケット六法」という六法も、
六法の中では一番コンパクトな部類に入るのですが、
185件の法令を収録しているとのことです。

「ポケット六法」とは名ばかりで、とてもポケットには入りきれません。

 

「どこがポケットやねん!」


とつっこみをいれたくなります。
1978ページもあり、結構重いです。


法令を収録したのが「六法」ですが、
法令には
憲法
法律
規則
等があります。



憲法と法律って違うの?同じじゃないの?


と思われる方もいらっしゃるかも知れませんね。

でも違うんですよ。レベルが違います。
憲法と法律では格が違うのです。
憲法は法律ではありません。

 

憲法は、最高法規として法の頂点に君臨し、
憲法に反する法律は無効とされます。

 

憲法98条1項
「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律・・・
は、その効力を有しない」
のです。

 

どうして憲法が法律を無効にするほど偉いのかといえば
憲法が、日本国民の基本的人権を保障し、基本的人権を侵害しがちな
国家を縛る役目を持っているからです。


憲法は国家に向けられた権利章典だから偉いのです。


憲法97条
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、
人類の多年にわたる自由獲得の成果であつて、
これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、
侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」


そして、憲法が、主権者である日本国民によって
確定されているものだから偉いのです(「国民主権」ということですね。)



以前ブログ
「立憲主義-憲法は国家を縛る?」
でも書きましたが、

 

憲法は、個人の尊厳を最大の価値とし、基本的人権を確保するために、
「国家を縛ること」を目的
としています。


国家によって、人権が侵害されてきたという苦い経験があったこと
をふまえ、国家を縛ることが人権確保にとって必要不可欠だ
とされた訳ですね。


他方で、法律は、国会(衆議院と参議院)で成立するものですが、
法律制定の目的の根底には、国家が社会秩序の維持のために、
人々の間の権利自由の調整のために、特定の個人の権利自由
を制約するものです。


いわば国家が国民を縛っているのですね。 


憲法と法律とでは、

「縛る」主体と客体が入れ替わっているのです。
「縛る」方向、矢印が正反対なのです。


憲法は 国民が国家を縛る(コントロールする)
法律は 国家が国民を縛る (コントロールする)


いずれもその究極の目的は、憲法が定める
「基本的人権の保障」にあるのですが、
人は一人で生きていくわけでなく、社会の中で、
いろいろな人とつながりを持ちながら暮らします。


それぞれ違った人、違った価値観がいる中で、
つながったり、ぶつかったり、交渉したり、物を交換したりします。



1人の自由が、他の人の自由や権利を侵害することもあります。
周りの多くの人にとって迷惑なことになることもあります。


みんなが好き勝手なことをしてしまうと、結果として社会は混乱して、
みんな不幸になってしまいますよね。


それを調整し、時に強制力をもって制止するのが国家、
法律の役目となります。


憲法13条
「すべて国民は、個人として尊重される。

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、
最大の尊重を必要とする。」



つまり国家、法律は「公共の福祉」を考えて、
個人の権利自由に一定の制約をかし、権利と権利の調整、
社会秩序維持を図ることを目的としているといえます。


でも、法律であってもあくまで究極の目的は、
「個人の基本的人権を確保するために」
その「手段」として他者の権利自由を奪うような人の自由に
制約を課しているということは忘れないでくださいね。


決して、国家が国家の利益のために、
ましてや一部の政治家や企業のために
法律があるわけではありませんよ。


憲法と法律は、「縛る」主体や客体、方向性が違うこと


でも、どちらも究極は


「個人の基本的人権を確保するために」


という価値実現のためのものであるということ


は、是非覚えておいてくださいね!


それでは、また。

約束を守れなかったときに

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平成21年2月2日(月) 

 

皆さん、こんにちは。

お元気ですか。

 

前回の日記を受けて、本日、メルマガ第4号を書いて配信しようとしたのですが

サーバの調子が悪く、配信できない状況です。

メルマガ登録の皆さん、申し訳ありません。 

 

そこで、ブログの方で、第4号の記事を載せますね。

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弁護士神坪浩喜の「リーガル&ハッピーメルマガ」

このメールマガジンは、弁護士神坪浩喜が、日々の弁護士業務や
様々な出会いを通じて得た情報や気づきを紹介し、
法的な視点や心のあり方を、分かりやすくお伝えしていきます。

第4号「約束を守れなかったときに」
─────────────────────────────── 

皆さん、こんにちは!

弁護士の神坪浩喜です。

仙台では、先日の土曜日、大雪でした。
昨日の日曜日は、天気がよく、近くの子ども達が、「ゆきだるま」
や「かまくら」をつくって遊んでいましたよ。

前回の日記では「はるの ゆきだるま 3」のお話をしました。


そこでは、どうぶつ達が、冬に山で出会った「ゆきだるまさん」に
はるのすばらしさを教え 「はるのおみやげ」を持ってくることを
約束しました。


でも、どうぶつ達は、春に浮かれてしまって
「ゆきだるまさん」の約束をすっかり忘れてしまいました。

桜が満開になったころにようやく、どうぶつ達は「ゆきだるまさん」
との約束を思い出して、急いで「はるのおみやげ」を持って行きます。


ですが、おそすぎました。


「ゆきだるまさん」は溶けてしまっていました。


そして、子うさぎさんは「ごめんね」と泣いたのでした。


どうぶつ達は「はるのおみやげ」を持ってくるという約束は守れなかったのですね。


この時、もし「ゆきだるまさん」に意識があったら、
どうぶつ達のことをどのように思うでしょうか。


それを、私が想像したものが「はるの ゆきだるま3」です。



「自らがその意思でなした約束は守らなければならない」

というのは、社会生活を送る上での、常識ですよね。


しかし、時にその約束が守れないことがあります。



わざとではなくても、ちょっとしたミスや手違いで
あるいは思いもよらない状況に陥って、約束が守れないことがあります。


そんな時、「どのような対応をとるか」が紛争になるかどうか、
関係がこじれるかどうかのポイントになることがよくあります。


そんな時、例えば、お金を借りた人が、本来は期限までに
返済するのが当たり前なのに

「仕方がないじゃない景気が悪いんだから。」

なんて開き直ってはダメですよね。

そんな対応されたら、お金を貸した人は、ムッと来ますよね。

「くー、訴えてやる!」

なんて思うかも知れません。

どうぶつ達は、確かに、春の陽気に浮かれてしまって、
約束を忘れ、「ゆきだるまさん」がいる時に「はるのおみやげ」
を届けることはできませんでした。


でも、どうぶつ達は、約束に気が付いた時、
急いで花をつみ、「ゆきだるまさん」のところに駆けつけました。

「間に合ってくれ!」と精一杯走りました。
つまりは、約束を果たそうと、一生懸命努力しました。


そして、間に合わなかったことについて

「ごめんね」と「ゆきだるまさん」の気持ちを思いながら、
涙を流して謝りました。


どうぶつ達は約束が守れなかったことについて、
「ゆきだるまさん」に誠実に向き合っていたのですね。


だから、「ゆきだるまさん」は、とうぶつ達に

「もう泣かないで」

「ありがとう」

と優しい気持ちで、きっと見てくれている、
許してくれると私は思ったのでした。


前回のメルマガで

労働契約法では、会社経営者も従業員も

「信義に従い誠実に、権利を行使し及び義務を履行しなければならない」

(労働契約法3条1項)とされているということをお話しました。


この規定は、私法の基礎法である民法の第1条の規定を受けています。

民法1条2項
「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」

民法は、主に「人と人との約束」について定めた法律です。

そこで、「信義に従い誠実に」と、民法つまりは私法の基本原則
として規定されているのです。


お互いに約束をした者(権利を持ち、義務を負ったもの)は、
約束を誠実に守ろうとすること、そして約束を守れなかった場合にも
「信義に従い誠実に」向き合うことが、求められているわけです。


もし、どうぶつ達が、約束を守れなかったことについて、
気が付かなかったり、何とも思わなかったとしたら
「ゆきだるまさん」とっても悲しかったと思います。

優しい「ゆきだるまさん」が

「債務不履行で損害賠償だ!」

なんて怒ることはないと思いますが

「ゆきだるまさん」以外なら、そう怒っても仕方がない
ところかも知れません。


約束をしたとき、そして何らかの事情で約束を守ることができなかったとき

「信義に従い誠実に」

約束をした相手の人に真正面から向き合うことが大切なのですね!


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~編集後記~

うちの子供は、風邪を引いてしまって雪遊びはできませんでした。
私も、ちょっとのどが痛い・・・

皆さんも、風邪等をひきませぬようご注意下さいね。
風邪をひいていらっしゃる方はどうかお大事に。

それでは、また次回お会いしましょう!!

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はるの ゆきだるま 3

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平成21年1月31日(土)

 

皆さん、こんにちは。

 

早いもので、1月も今日でおしまいですね。


今日も、仙台では雪が舞い、まだまだ冬の底ですが、

春は確実に近づいてきています。

 

昨年の日記で、私が子どもの小学1年生教科書から 「はるの ゆきだるま」をご紹介しました。

「はるの ゆきだるま」

「はるの ゆきだるま 2」 

 


もとは石鍋芙佐子さんの絵本なんですね。

 


どこか切なく、でもふんわりと温かいお話にそうように、やさしい絵のすてきな絵本です。

 

ふと どうぶつ達が はるのおみやげを持ってきたときの「ゆきだるまさん」の気持ちを想像してみました。

 


「はるの ゆきだるま」 -子うさぎさん 泣かないで

 

『 ひとりぼっちだった ゆきだるまさん。

どうぶつ達と ともだちになりました。

どうぶつ達に すてきな はる について おしえてもらいました。

 

はるは あたたかくて すてきなもの

はるになったら どうぶつ達が はるのおみやげをもってきてくれるって。
楽しみだなあ。

 

はるのおみやげって 一体どんなものなんだろう。

はるのひかり はるのにおい はるのかぜ お花・・・

 

(原典)

「子うさぎが、ゆきだるまとの やくそくを おもい出したとき、もう、さくらの花は まんかいでした。

「早く 早く、ゆきだるまさんが まって いるよ。」

どうぶつたちは、いそいで 花を つむと、山へ かけのぼりました。

でも、おそすぎました。

どうぶつたちが、ついた とき、ゆきだるまは とけて しまって いました。

 

「ごめんね、ゆきだるまさん。」

 

子うさぎは、なきながら いいました。


みんなは、とけた ゆきの 上に、そっと はるの おみやげを おきました。
                                                                            」

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(ゆきだるまさん) 

 

子うさぎさん 泣かないで。

 

みんな はるの おみやげをもってきてくれて ありがとう。

 

ぼくのからだは、とけてしまったけれど ぼくは ちゃんとここにいるんだよ。

ぼくのからだは、しろくて 冷たいけれど

子うさぎさん達が はるのことを 教えてくれたから こころはあったかくなったんだよ。

 

それに、子うさぎさん達がとどけてくれる はるのおみやげのことを思うと、

とても嬉しかったんだ。

 

ひとりでも寂しくなかったよ。

 

おひさまの力がつよくなり まわりの空気があたたかくなって

ぼくのからだは 少しづつとけていった。

 

ぼくの冷たいからだが とけていくにつれて ぼくのあたたかいこころは

あたたかい空気や はるのお花と一体になっていった。

 

子うさぎさん

 

どうか泣かないで。

 

子ぎつねさんも 子りすさんも 子ぐまさんも 子だぬきさんも

もう泣かないで。

 

ぼくのために はるの おみやげをもってきてくれて ありがとう。

 

ぼくに はるを 教えてくれて ありがとう。

みんなが いっていたとおり      

                                                                      
はるって ほんとうに すてきなものだったんだね。

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(原典)

いつか、山は すっかり はるでした。

どうぶつたちは、げん気いっぱい 山を かけめぐって あそんで いました。

ゆきだるまのことは、もう、わすれて しまったかのようでした。

 

「あっ、ゆきだるまさんだ。ゆきだるまさんが いる。」

 

ある日、山の上から、子うさぎの 大きなこえが ひびきました。
どうぶつたちは、びっくりして かけより、子うさぎの ゆびさす ほうを 見下ろしました。

 

「わああい、ゆきだるまさんだ。みんな、いって みよう。」

 

子ぐまも 子りすも 子ぎつねも 子だぬきも、子うさぎを せんとうに、山をかけ下りました。

 

でも、それは、あの ゆきだるまでは ありませんでした。
ちょうど ゆきだるまの 立っていた あたりにさいた、たくさんの 白い花でした。

どうぶつたちは、だまったまま いつまでも、その花の ゆきだるまを 見つめていました 」

 

 

 

 

あなたが、もしもゆきだるまさんだったら、子うさぎさん達が泣いているのを見たら

どんな気持ちだったと思いますか?

 

よろしかったら 少し思いをはせてみてくださいね。 

 

 

それでは、また。

「君、来週転勤してくれないか?」4

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平成21年1月26日(月)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

今日、仙台は、寒いですが、よく晴れた冬空が広がっています。

インフルエンザがはやっているようですので、体調管理にはお気をつけ下さいね。

 

さて、前回の続きをします。転勤のお話をしていました。

今日は、会社側の対応についてお話します。

 

設問

Y会社の立場
(5)Y社は、Xさんに配転命令を出す前にどのようなことに注意すべきでしょうか?
(6)XさんからY社に対して、「配転命令は無効だ」と主張する裁判が起こされました。Y社としてどのような点を留意して裁判上の主張立証をすべきでしょうか?

 

会社側としては配転命令を検討する場合にどうすればよいのでしょうか?

 

いきなり、辞令で「はい、来週から転勤して。」ではXさんの反発も予想されます。

 

事前に、Xさんの家庭の事情等をXさんと面談し、よく聞いた上で、検討すべきところでしょう。

 

会社の業務として、どうしてもXさんに転勤してもらわなければならない事情があるならば、それをXさんに事前に十分説明しておきましょう。

 

裁判例の中には、会社の側で、転勤に伴う利害得失を労働者が判断するに必要な情報を提供せずになされた転勤命令は、労働者側に配慮が足らないとして、権利の濫用として無効としたのもあります。

 

会社には、労働者のどうして君に転勤を求めているのか等の説明義務がかせられているのですね。

 

会社としては、Xさんの家庭の事情で、Xさんに具体的な不利益が予想される場合には、特別な補償や手当を支給する等してXさんの同意を得る努力も必要でしょう。

 

また、転勤期間を限定して、○年後はまた戻れることを約束しておいたりする提案をするとXさんも同意しやすいかも知れません。

 

強圧的、一方的にXさんを転勤させようとるするとXさんも反発してくるおそれが強くなります。

 

会社としては、会社の事情を十分説明するとともに、Xさんの事情や言い分に十分耳を傾け、Xさんの不利益ができるだけ少なくなるよう配慮するのが望ましいと思います。

 

残念ながら、会社がXさんに訴えられた場合

・配転の必要性
・Xさんを選んだ人選の合理性
・会社側で、Xさんの配転による不利益に配慮したこと

 

等を主張立証していくことになります。


会社としては、訴えられる事態も想定して、上記のような事情を裏付ける書類等を、Xさんに配転をもちかける段階から、記録保存しておいた方がよいでしょう。

 

育児介護休業法26条は、会社が労働者を転勤させようとする場合には、転勤によって労働者の子の養育や家族の介護の状況について配慮しなさいよ、と定めています。

 

また、裁判所は、「少なくとも労働者が転勤を拒む態度を示しているときには、既に転勤が決まったものとして一方的に転勤を押しつけてはいかんよ、転勤を押しつけるような場合には、転勤命令は権利濫用として無効になることもあるよ。」としました。

 

近頃、「ワーク・ライフバランス」という言葉を耳にする機会が多くなりました。


直訳すると、仕事と生活とのバランスです。

 

お父さんは仕事一辺倒、夜遅く返ってきて、休日も仕事。
仕事のために家庭生活が犠牲になるのは当たり前・・・

 

といった仕事に重きをおきすぎた風潮に対して、それはおかしんじゃない、仕事も大事だけど家庭生活も大事だよね、仕事と家庭生活、暮らしとのバランスを図っていきましょうというものです。

 

私も、お父さんが早く帰ってきて、お母さんや子ども達と一緒に夕ご飯を食べたり、お母さんや子ども達の話しを聞いたりするということ、休日は家族で遊んだりくつろいだりするのは、お父さん自身にとってはもちろんのこと、お母さん、子ども達さらには社会全体にとっても望ましいことと思っています。

 

このような流れが今なお現場では主流とはいえませんが、それを目指していこうという流れは少しづつ強くなってきているかと思います。


そのような傾向にある中、会社が労働者に配転命令を出す際には、より労働者の事情に配慮することが求められるかと思います。

 

経営者には、転勤に限らず、従業員の仕事と家庭生活とのバランスに配慮するよう、つまりは仕事で家庭生活が犠牲になることのなきよう配慮することが求められているのですね。

 

 

4回に渡った「君、来週転勤してくれないか。」シリーズも今回でようやく完結しました。よかった。

おつきあい下さりありがとうございました。

 

労働法に関する問題は、多くの方にとって、身近でかつご興味のある問題かと思いますので、また触れていきたいと思います。

 

それでは、また。

「君、来週転勤してくれないか?」3

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平成21年1月19日(月)

 

皆さん、こんにちは。
神坪浩喜です。

 

今日は、外気温が10度くらいあるようで、暖かく感じます。
それまで0度くらいの寒い日が続きましたからね。

 

さて、以前 「君、来週転勤してくれないか?」と突然言われた配転命令のお話をしていました。

この説例のつづき、やっていなかったのですね。

すっかり忘れていました。ごめんなさい!

 

設問を繰り返します。

「X(男性40歳)さんは、保険会社Y社に勤めていました。Y社に勤務後、仙台支店において営業を担当していました。ところが、Xさんは、ある日、支店長に呼ばれ「君、来週から、大阪支店へ行ってくれないか。」と内示をうけ、一週間後、正式に配転を命じられました。
Xさんの奥さんは、仙台で会社員をしています。Xさんには2人の子供(小学生)もおり、子供のうち一人は喘息で病院の治療のため定期的に夫婦交代で病院の送迎をしていました。こんな事情もあり、Xさんとしては、転勤なんかしたくありません。」

 

・従業員Xさんの立場
(1)Xさんは、内示を受けた段階で、転勤をさけるために、会社に対して何か働きかけをすることができないでしょうか?
(2)Xさんは、配転命令を受けた後、その効力を争うことができるでしょうか?またどのような事情が考慮されるのでしょうか?

(1)(2)についてまでは、以前お話しました

 

今日は、
(3)Xさんは、配転命令の効力をどのような方法で争うことができるのでしょうか?

(4)Xさんは、そんな配転命令は受け入れられないと配転命令を無視して、大阪支店に出社しませんでした。その場合、Xさんはどんな処分を受けるでしょうか?

について検討します。

 

まず(3)配転命令の争い方ですが、いろいろな方策があります。


訴訟、仮処分、労働審判、調停といった裁判上の手続の他、また弁護士会のADR(紛争解決支援センター)も利用できます。
    
どの方法がよいかの選択は、難しいところもありますので、弁護士に相談された方が無難でしょう。
    
さらに行政でも手だてが用意されています。
    
都道府県労働局の総合労働相談コーナーを経て
紛争調整委員会によるあっせんや都道府県労働局長による助言・指導があります。
くわしくは、各地の労働局労働相談コーナーにお問い合わせ下さい。

 

(4)ではXさんが、そんな配転命令は受け入れられないと配転命令を無視して、大阪支店に出社しなかった場合、Xさんはどんな処分を受けるでしょうか?

 

最悪、解雇処分となるかもしれません。

つまり、Xさんが配転命令を無視し、配転に従わなかった場合、Xさんは、会社から、Xさんの業務命令違反を根拠に、解雇処分を言い渡されるおそれがあります。

 

もちろんXさんとしては、配転命令自体がおかしいのだから解雇処分も無効だ!

と争うことになるのでしょうが、裁判所の判断によっては、会社の言い分が認められ解雇が有効とされるリスクがあります。


ですから、Xさんとしては、解雇される覚悟があるなら、配転命令を無視した上で、配転命令の有効性を訴訟等で争うことになりますが、解雇までの覚悟がない場合には、配転命令に異議がある旨、会社に通知をした上で、配転先で働いていた方が無難でしょう。

 

具体的には、

「貴社は、私に対して平成○年○月○日付辞令によって大阪支店への転勤を命じましたが、転勤を命じる合理的必要性がなく、私には○○の事情もあり転勤によって著しい不利益を被りますので、到底承服できません。

よって、上記転勤辞令は、ただちに撤回するよう申し入れ致します。
なお、混乱を防ぐために、私は暫定的に配転先に出社しますが、配転命令を承諾したものではありませんので、ご承知おき下さい。

平成○年○月○日
住所 ○○
氏名 ○○」

といった文書を、配達証明付き内容証明郵便で送付しておいた方がいいでしょう。


ただ逆に会社側としては、Xさんが配転命令を無視した場合、会社としていきなり懲戒解雇するのはお勧めできません。

 

配転命令を無視=業務命令違反があるからといって、当然には解雇事由ありとして、懲戒解雇有効とはならないのです。

裁判例でも、配転命令は有効だが懲戒解雇は権利濫用として無効とした判例が複数あります。

 

解雇が従業員に与える不利益はとても大きいものですから、そのハードルは高いのですね。

 

配転命令を無視された場合、会社としては、再びXさんに、会社の配転せざるを得ない事情やXさんの不利益に対する配慮等を説明した上で、Xさんの同意を取り付ける努力を行うべきです。

 

そして、それでXさんの同意を得られないのであれば、次に、懲戒解雇の前に、配転先で勤務していない以上は、労務の提供がなく賃金支払いの根拠を欠くとして、賃金の支払をストップするというステップを踏むとよいでしょう。

 

結局会社側、従業員側お互いの立場に言えることは、

いきなり強硬的な手段に出るのではなく、先方の事情をよく聞き配慮しつつ、当方の事情を十分説明し、主張を伝えていくステップを踏むことが大切なことかと思います。

 

これは、交渉ごとの全ての場面であてはまることですが、継続的な関係が構築されている場合(雇用、請負、賃貸借等)には、紛争がこじれないために特に大切なポイントです。

 

続きは、また近いうちに。 

 

それでは、また。

ありがとう日記

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平成21年1月14日(水)

 

こんにちは。神坪です。

 

今日は、どんど焼き、お正月の飾り物や書き初め等を燃やす日ですね。

この行事で、お正月とさようなら、といったところでしょうか。

 

これから1か月くらいは、一年で一番寒い時期、冬の底です。

でも、お気づきの方も多いかと思いますが、だいぶ日が長くなりましたよね。

 

少しずつ、でも確実に春が近づいてきています。

 

前回、「紙に書こう会」のお話をしました。

紙に書くものとして「日記」があります。

 

このブログを読んでくださる方も書いている方、今年から書き始めた方

もいらっしゃるかもしれませんね。

 

日記を書くことももちろん「紙に書こう会」会員の私はお勧めいたしますよ!

 

日記は、今日あった出来事やそれについての感想や考えを書くものですが、

自分の現在位置を確認したり、過去を活かし、将来の行動を起こすためにとても効果的な作業だと思います。

 

ところが、日記ってなかなか続かなかったりしませんか?

私も何度も挫折しました。

 

以前、大学ノートに日記をつけようとしましたが、気が向いた時だけ、それも書くことは、愚痴や自分はダメだみたいなことばかり書いてしまい、嫌になってやめてしまいました。

 

時には、3年日記というのを買ってきて意気込んだものの、10日も続きませんでした。 

1085日分もったいなかったなあ。

 

ところが、こんな私でもこのブログとは別に、紙に書く日記を平成17年10月から書き始めたのですが、おかげさまで何とか続いています。

 

どうして続いたのでしょうか。

 

 

それは、「あらかじめ自分に問いかける質問を用意しておいた」からじゃないかと思っています。

 

日付だけがあって、あとは空欄で自由に書きなさい、ということだと

「はて、何を書こうかな?」と筆がとまってしまい億劫になってきます。

 

そして、ついネガティブなこと、愚痴や不平不満なんぞを書きたくなってきます。

 

人は、質問されると、その問いに答えようと反応しますよね。

 

「あなたが、今日食べたお昼ご飯は何ですか? 」

 

と聞かれると、自動的に「今日はラーメンを食べたなあ。」と今日食べたものが思い浮かんでくるかと思います。

 

弁護士の仕事として、法廷で証人や本人に質問して、主張する事実を認定してもらうために必要な話を裁判官に聞いてもらう作業(尋問)があります。

 

それは、弁護士の質問に対して、証人がこたえていくという一問一答の形式をとります。 

 

的確な質問によって、欲しい発言が証人の口から法廷に現れていくことになります。

 

「どうぞ好き勝手にしゃべってください」では、証言する人も話にくいですし、聞く方もわかりにくい。

裁判に関係のないことをしゃべったり、不利なことをしゃべってしまうかも知れません。

 

そこで尋問は「質問→回答」の一問一答形式になっているのですね。

 

質問を的確にすることで、回答者は、焦点がしぼられた思考ができ、求められている回答ができるようになります。

 

「質問→回答」という流れができると、回答ができていくのですね。

質問は、通常他の人からされるものですが、自分自身であらかじめ紙に質問事項を書いて、自分に問いかけることはできます。

 

そこで、あらかじめ質問事項を書いて紙に印刷しておくわけです。

質問をフォーマット化しておくのです。

 

 

私の日記の質問事項はこんな感じです。

 

「 

・今日、あなたが嬉しかったこと、楽しかったこと、よかったことは何ですか?

 

 

・ 今日、あなたは、どんなことに感謝しますか?

 

 

・今日、あなたは、誰に出会いましたか?その人から何を得ましたか?

 

 

・今日、あなたはどんな本を読みましたか?その本から何を得ましたか?

 

 

・今日、あなたは、誰の役に立ちましたか?誰を喜ばせましたか? 

 

 

・今日、ひらめいたアイデア、気づきは何ですか?

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こういった質問事項をあらかじめ紙に何枚も印刷しておいて、

夜寝る前に、1日1枚ずつ記入していきます。

 

質問されると、その質問にこたえようと「うーん、今日よかったこと、嬉しかったことは何かな?」

 

事件終わってお客さんに喜んでもらえて嬉しかったな。 

お昼に食べた「とんこつラーメン」おいしかったな。

 

なんてことを思い出し書いたりします。

幸せな気分になります。

 

 

私の場合、現在、先のような幾つかの質問事項がありますが、

最初のうちは、

 

「今日、よかったこと、嬉しかったこと、感謝できることは何ですか?」

 

だけをあらかじめ印刷して、その質問に毎日答えていくというのでもいいかと思います。

 

今日一日よかったことだけを思い出して書いていく。

 

愚痴や不満を書く欄はありません。

 

よかったことを思い出し書くだけでも、毎日を明るく過ごす一つの習慣になるかと思います。

 

 

そして、これは、心のレンズをよかったことに向ける訓練になっています。

 

ネガティブなことに、つい焦点をあわせがちになるところを、意識の力で

よかったこと、明るいことに焦点を向ける習慣づくりです。

 

あらかじめ質問事項を印刷しておいて

よかったことを書く「ありがとう日記」

 

簡単でシンプルなことですが、 

私自身の体験からいって続けられますし、幸せな気分になれ、明日の活力になりますので、

よろしかったら是非試してみてくださいね!

 

 

それでは、また! 

あなたに、たくさんよきことが起きますように!

「紙に書こう会」会員募集!

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平成21年1月8日(木)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

昨日、おかげさまでメールマガジン創刊号を配信しました。

タイトルは、弁護士神坪浩喜の「リーガル&ハッピーメルマガ」です。

(ちょっと恥ずかしいのですが・・・・) 

 

弁護士らしく法的な視点、論理的な見方を意識しつつ

弁護士らしからぬ(でも実は弁護士の仕事と深くつながっている)

心の問題について、時に軽やかに、時につっこんで書こうと思います。 

 

さっそく読者の方から発刊のお祝いとご期待のお言葉もいただきました。

ありがとうございます!

 

メルマガでは、このブログとは、また違ったこと、別の角度から書いてみようと

思っていますので、まだの方は、是非登録して下さいね(無料です)!

登録は、こちら

「メールマガジンの登録」

ちなみに、創刊号は「目標を紙に書いてみよう!」という内容でした。

 

このブログをご覧になっていらしゃる方は、

「この弁護士、やたらと紙に書くことを勧めているなあ。」と思われているかも知れませんね。

 

・目標や願いを紙に書く 「サンタさんへのお願い」

・手帳に夢を書く 「手帳に夢を書こう!」

・事実経過とこれからやることを紙に書く 「経過表-出来事とタスク」

・悩みを紙に書く 「悩んでも仕方がないこと」

・借金の状況を紙に書く 「法律相談の前に。」「借金問題の相談の際に」

・間違ったところを紙(ノート)に書く

「司法試験に向けての勉強-本試験が解けることを意識する」

・やるべきことを紙に書き出す 「棚卸し作業」

・自分を労う言葉「できたね!やったね!」と紙に書く 「シール作戦」

・自分をとりまく人々を紙に書く 「あなたがドラマの主人公-登場人物相関図」

「あなたは素敵な脇役ですか」 

「あなたは一人ではありませんよ。」

・自分の短所を紙に書き出して癒す 「ごめんね。そこにいていいんだよ。」

 

そのとおりです!

なにを隠そう実は私「紙に書こう会」代表なのです!

 

 

・・・・・

 

 

すいません・・・今思いつきで作りました。現在会員は私一人です。

(※この後メルマガ読者の方で、何と「私も会員になります!」

とおっしゃってくださった方がおられました。ありがとうございます!

よって現在正会員2名です。H22.1.5時点)

 

会員募集中です!!

会員希望の方は、神坪までお知らせ下さい。

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ところで、紙に書く際の視点の一つとして時間軸を意識されるといいかと思います。

 

過去、現在、未来ですね。 

 

過去を紙に書く

現在状況、現在地点を紙に書く

未来、将来なりたい自分を紙に書く

 

と分類することができます。 

 

これは、実は私が(そして多分多くの弁護士が)法律相談を受けるとき

に意識していることなんですね。

 

つまり相談者について 

過去どんな出来事があったか。

それで、現在どういう状況か。

これからどうしたいか。どういう解決策があるか。

 

を聞き取りながら、紙に書いて考えていきます。

 

例えば

借金問題でしたら

 

現在地点

現在の負債額、債権者数、月々の返済額

収入状況、資産状況の確認

 

過去の経緯 

そして、どのような経緯で借金が増えたのか、その増えた原因は

今も続いているのか

 

将来の希望と解決策

破産したいのか、返済したいのか 破産できるのか、返済できるのか

任意整理でいいのか、破産がいいのか。再生はどうか・・・・

 

と時間軸を意識して紙に書いて整理すると、「これからどうすればいいのか。」

が見えてくることがあります。 

 

相談を受ける際の弁護士の目標は、「これから相談者はどうすればいいのか」を見極めることにありますからね。

 

紙に書くことで、思考が整理され、どこに考えるエネルギーを投入すればいいかが分かります。

 

また、頭の中でぐるぐる同じ事や考えても仕方がないことに悩むことを防ぎやすくなります。

 

何か障害に向き合っている問題解決の場面でも、

もっと自分を高めたい、幸せになりたいという夢や目標達成の場面でも

紙に書くことは、有効な手段です。 

 

問題解決や目標達成の鍵って何でしょうか?

 

 

 

私は、これから的確な行動を起こすことにあると思っています。

 

紙に書いて見えるようにしておくことで

その的確な行動が起こしやすくなってくるのですね。

 

また現在地点を紙に書き確認することで、問題解決地点や目標達成までの、

距離、道程を確認できます。

 

過去の失敗や経験を紙に書いて確認することで、

将来こんな行動をすればいい、こんな行動をしてはいけないんだと、これからの行動に反映させることができます。 

 

いろいろな場面で、「紙に書くこと」って本当に使えるのですよ!!

 

是非あなたも「紙に書こう会」に入会して下さい!

 

あ、入会しても、もちろん会費も、規則も、何らかの義務もありませんのでご安心を。

 

会員は日々の暮らしの中で、何か問題にぶつかったり、悩んだりしたとき

あるいは夢や目標をもったときに、紙に書くということを意識的にやるだけです。 

 

是非どうぞ!

 

 

それでは、また。

あなたの視界が開けていきますように・・・ 

あけましておめでとうございます!(H21)-例外ってないのかな?-

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(「かっぱえびせん」を目指すウミネコ、松島遊覧船にて撮影)

平成21年1月5日(月)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。 

 

あけましておめでとうございます!

この年が、あなたにとってよい年になりますようお祈りいたします。

 

さて、皆さんはお正月、どのように過ごされましたか?

 

実家に戻ってゆっくりされた方も多いのでしょうね。

 

私達家族も何年か前までは、お正月は、家族で、私や妻の実家に帰省していました。

が、このところ、お正月は、帰省せずに、自宅でのんびり過ごしています。

親不孝者です。すみません。

 

私の実家は、福岡県北九州市、妻の実家は青森県の平内町。

仙台から、北九州はもちろんですが、青森も結構遠いのです。

 

そして、私には「お正月帰省→風邪を引く」との法則があって、

また青森では私が以前そこでひいた風邪を、

皆さんに移してしまったというご迷惑をかけたこともあり、遠慮しております。

 

お正月になると気がゆるんでしまい、そして環境が変わると

風邪菌にすきをあたえてしまうのですね。

 

そして、青森は、寒いのですよ。本当に。

室内は、暖房がよく効いているのですが、外は本当に寒い。

しばれます。毎日のように雪が舞っています。

 

でも九州の方なら暖かいんじゃないの?

そう思われる方もいらっしゃるでしょう。 

 

ところが、北九州の実家も、実は、仙台の自宅より寒いのです。

家は断熱仕様にはなっておらず、室内は、暖房しないと10℃以下になったりしていました。

はく息は白い。 

 

もちろん外気温は、仙台より暖かいのですが、

九州は九州でも、北九州で日本海側ですから、冬はそれなりに寒かったです。

雪もふったりしました。 

 

私が北九州から、仙台に来たとき、「仙台は東北だ。東北はとても寒いぞ。耐えられるかな。」何て覚悟して行きましたが、仙台の冬を体験してみると「意外に寒くないじゃない。」と思いました。

 

東北の方が、九州の気候をイメージするとき、ひとまとめに、宮崎や鹿児島の暖かいイメージをもつ。

九州の人が、東北をイメージするとき、ひとまとめに青森や秋田の厳しい冬景色をイメージする。

 

でも、東北といっても、青森のような冬景色とはほど遠い、福島のいわき市(ハワイアンズがある)のように温暖なところもあるのですよね。

また九州といっても、私が住んでいたころ、北九州は、結構寒く、雪が年に1,2回くらいは積もっていました。 

 

 

ひとまとめにすることは、おおまかなイメージをもったり、整理するのに便利なこともありますが、そのイメージが、全ての構成要素についてもそのとおりだと思いこんでしまうと、認識を誤ることがあります。 

 

また、一般化を単純に受け入れることで、思考が止まってしまい、

実はそこに存在するチャンスを見逃すことになるかも知れません。 

 

便宜的にひとまとめにしたけれど、ひょっとしたら例外もあるかも知れない。

 

・この業界は、不況で、下り坂と言われているけど、全部が全部そうかな?どこか例外がないかな?のびる要素はないかな?

 

・○○というやり方は、既に古いやり方で一般的には使えないと言われている。でも全て本当にそうかな?このやり方から何か新しいヒントは得られないかな?

 

・この人は、○○ができない人という風にみんなから言われているが、本当にそうかな?うまく会社やチームに役だてる部分はどこかないかな? 

 

いろいろな場面で、一般化されていることについて、

その一般化を疑う思考をしてみては、いかがでしょうか。

 

一般化されたものを疑い、例外を探す視点をもつと、

面白いことに気がつくかも知れませんよ。

 

「何かを疑ってかかる」というと感じが悪いことのようですが、ものごとを客観的に見て、論理的に考えるためには、とても大切なことだと思います。

 

そして、客観的に見て、論理的に考えることができると、前に進むアイデアや行動が打ち出せるきっかけにつながります。

 

「それって、本当に全部が全部そうなのかな?」

「何か、例外はないのかな?」

 

何かを決めつけるような話しを聞いたとき、 

こういった問いかけを意識してみると 

そこから、視界が開け、今まで見えなかったことが、見えたりすることがあります。

 

私も、今年、どんどん視界が開けていくといいなあ。

 

今年、あなたの視界がますます開けてきますように!

それでは、また。

 

今年も、このブログとあやめ法律事務所をどうぞよろしくお願いいたします!

雪の散歩道

平成20年12月31日(水)

 

皆さん、こんにちは。

 

これまで多くの方にメルマガのご登録をいただきまして、ありがとうございます!

これからも登録を受け付けておりますので、まだの方は、よろしければご登録くださいね。

 

平成21年1月より無料配信予定です。

メールアドレスのご記入は必須ですが、お名前は差し支えの方は仮名でもかまいません。

 

さて、今日は、大晦日。1年で最後の1日です。 

朝起きカーテンをあけるとうっすら雪が積もっていました。

 

とても綺麗な光景でした。

もうすぐ日が昇りそうで東の空が明るくなっています。

 

きっと朝日に照らされるともっと綺麗なんだろうなと思い、

デジタルカメラをもって散歩にでかけることにしました。

 

よろしければ、一緒に散歩おつきあい下さい。

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今年最後の日の出です。

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昨日、一昨日の晴天で、すっかり溶けた雪が
また戻ってきました。 

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足跡のない雪道に足跡をつけるのは、なぜか好きです。 

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ちかくに人工の小川があり、素敵な散歩道となっています。

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銀杏並木が白樺に変身していました。 

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成田中学校となりの池です。 
繊細な白い世界。 

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長い影。

 

光があたれば影ができる。

光があたると影に気がつく。

 

影は、いつも私に寄り添っている。

どんなに嫌っても、それは私。私の影。

ずっと側にいる。

 

影があるから光を感じる。

寂しさがあるから、優しさを感じる。

 

光も影も同じわたくし。

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石の雪化粧。
適切な間合い。

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煙突のあるお家。
雪が似合いますね。 

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散歩の途中で出会ったワンちゃんです。 
 お散歩楽しそうでした。 

これが本年、最後のブログです。

この1年間、本当にありがとうございました。

新しい年があなたにとって素晴らしい年になりますよう、心からお祈り申し
上げます。

それでは、よいお年を!!

シール作戦

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平成20年12月28日(日)

 

皆さん、こんにちは。

当事務所のブログをご覧いただきありがとうございます!

 

仙台では、一昨日から寒い日が続いています。

自宅では本格的な積雪で、この冬はじめての「雪かき隊」が出動しました。

 

今年も残すところ、残りわずかとなりましたね。

昨日は、自宅で掃除をしました。

日頃、手をつけないところを中心に。

 

子ども達にも、掃除を手伝わせようと声をかけました。

「ふきふき隊やってよ。」

即座に、「いや!」との返事。

 

そこで私は、一考し「お掃除したら、お父さんがスペシャルシールをあげるよ!」といいました。

 

「そんなのいらない!」

 

とつれない返事。

 

ですが、お母さんの一声で子ども達は起動しました。さすが・・・

 

「いらない!」と言われましたが私はめげずにシールをつくります。

 

「はたらきもの!えらい!!」

「はたらきもの! やったね!!」

 

と紙にサインペンで書いたものを丸で囲んでハサミで切り取り、裏に両面テープをくっつけてスペシャルシールをつくりました。

 

子どもが、お母さんから指示を受けたお掃除作業をやりとげると、私が子どもに、よく頑張ったねととスペシャルシールを服にはりつけます。 

 

 

そうすると、最初は「そんなのいらない!!」と言っていた子供も、

作業完了でシールをもらえるのがうれしかったのか、頑張って掃除に励むようになってきました。

 

しめしめ・・・作戦成功。

 

 

ところが、調子に乗った娘は、一つの作業完了ごとに、「終わったよ、シールちょうだい。」と頻繁に言ってくるようになり、お父さんは、スペシャルシールづくり作業に追われることになってしまいました。

 

「はたらきもの!やったね!!」といくつも書き、シール作成業務に追われました。 

 

お父さんは自分のやるべき掃除は放っておいて・・・・。

 

 

娘の服には、たくさんのスペシャルシールが貼っていました。

「がんばったね。えらい!」

 

シールの数だけ、頑張ってお手伝いをしたということだね。

 

幼稚園では、シール帳があって、登園するとシールがもらえます。

自分が幼稚園のとき振り返ってみると

そのシールをもらえることが嬉しく、シールがたまるのがとても誇らしかったような気がします。

 

何かをやると、目に見える形で、そのやった印がつけられる。

何か頑張ると、その頑張りが、目に見える形で残っていく。 

 

それって、とても励みになりますよね。

よし、もっと頑張ってみよう!という気になる。

シールがたまっているのを見ると、よく頑張ったなあって自分が誇らしく思えてきます。 

 

やる気を起こす、モチベーションをあげる、自己肯定感を養うためには、「シール作戦」は結構効果的だと思っています。

 

大人は、誰かからシールをもらうことはないかも知れませんが、自分自身で、やったことを目にみえる形で残し、集積させておくといいかと思います。 もちろん、本当にシールを自分にあげることもいいと思いますよ。

 

まず何か、目標があれば、その目標に近づく、ためになる行動をリストアップする。

 

 

そして、実行できたら、シールをはる、その記録をつけておく。

○○をすれば10点、という感じでポイント加算制にしておくのも面白いですね。

 

多くの人は、自分に厳しく、「こんなんじゃまだまだだ。」「自分ってダメだ。」となってしまいがちかと思います。

 

もちろん、「こんなんじゃ、まだまだだ。」→「だからもっと頑張ろう。」

といった形で行動エネルギーを与えることも時には必要でしょう。

 

ですが、他方で、実際に行動したことについて

「よく、頑張った!いいぞ、その調子!」

と自分をねぎらい、持ち上げ、励ますことも、目標に近づくには重要なことかと思います。

 

 

うまく、状況に応じて自分になげかける言葉を、ミックスさせて、一方でおごらず怠けさせないようにしつつ、ほめて、ねぎらいいい気にさせるのが、自分にやる気を持たせ歩き続けさせるコツなのかなあと思っています。

 

そのための「一人シール作戦」。

いかがでしょうか。

 

もし、よろしければ試してみて下さいね。

 

あなたが、一歩一歩、夢に近づいていきますように。

 

それでは、また。

よいお年を。

未来に向けての「想像力」

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平成20年12月22日(月)

 

皆さん、こんばんは。

 

いよいよ仕事上のラストウィークに入ってきました。

子どもは、明日から冬休みです。

サンタさんが来るのも近いし、いいなあ。

 

さて、午前中、古川の家庭裁判所に少年に対する家裁調査官の報告書、少年鑑別所の鑑別結果報告書を閲覧した後、午後に鑑別所に審判前最後の面会に行ってきました。

 

前回の面会で、問いかけていた質問に、彼なりの回答をしてくれました。

 

私は、今日彼にこんなことを話しました。

 

「 人を殴ることで、自分にも、まわりの人にもいろいろなことが起こってくる。

どんなことが起こるか、考えてみよう。 

 

まず、当然、相手はケガをするだろう。場合によっては治らないケガかも知れない。うちどころが悪ければ死んでしまうかもしれない。

その人は、傷つく。傷つくのは体だけではない、心も傷つく。

 

殴った人を、恨んだりするだろう。絶対に許さないと君は憎まれるかも知れない。

 

殴られた人の家族も傷つく。大切にしている人が、ケガしたりすれば、悲しい。相手に腹を立てたり憎んだりするかも知れない。

 

自分はどうなる?

人を殴ってケガさせるとどうなる?

 

刑法の傷害罪となる。15年以下の懲役だ。警察に捕まって、留置場に入れられ、裁判にかけられ、場合によっては刑務所に行かなければならない。

 

刑務所は厳しいところだ。自由はなく、厳しい生活だ。歯が痛くてもすぐに診てはもらえない。狭い部屋に、他の受刑者と一緒におしこめられる生活だ。プライバシーもない。すぐそこの宮城刑務所では、暖房もなく、冬はバケツの水が凍るらしい。

 

刑務所に行けば、仕事を失うだろう。結婚していれば離婚になるかも知れない。

刑務所から出ても、仕事につくのは厳しいだろう。前科者だ。生活が大変だ・・・

 

民事上の責任もある。

殴られてケガをした人に生じた損害を賠償する責任がある。

治療費だけではない。仕事を休むことになったら、その補償をしなければならない。

そして、慰謝料というのもある。ケガの程度によっては数百万、一千万を超えるかも知れない。

 

一時の感情で、カッとなって、殴ってしまうと君はこんな責任をとらなくてはならなくなるんだ。

 

今回のことで、君も、少しこのことが分かってきていると思う。

警察に捕まって、鑑別所に入れられて「こんなことになるなんて・・・」と思っているだろう。

 

自分だけではない。家族はどうなる?

君の家族は、悲しむ、心配する。刑務所にいった君のかわりに被害者に頭をさげなければならない。弁償しなければならないかもしれない。今住んでいるところに住めなくなるかも知れない。

 

お母さんはどう思う。自分が生み育ててきた大切な子どもが、人を深く傷つけ、刑務所に行くなんてどんな気持ちになるだろう。 

 

その時、君が結婚していたら、奥さんはどうなる。子どもがいたら子どもはどうなる。

夫が刑務所に行き、収入は途絶え、精神的な支えも失うことになるだろう。

世間は、奥さんや子どもに冷たくあたるかも知れない。

奥さんや、子どもは、深く悲しむだろう。 

 

いろいろな悲しいこと、辛いことが、君の一瞬の行動を原因として起こってくる。

本当に怖いことだよね。 

 

人は、自分が起こした行為の責任をとりつつ生きているのだと思う。

よいことも、悪いことも。

 

悪いこと、人を傷つけたり、人を悲しませたりすることをすれば、それと因果の流れでつながる悪い結果の責任を自らがとらなければならない。

 

逆に、よいこと、人の役に立ったり、人を喜ばせることをすれば、それとつながるよきことが、自分に起きてくると思う。頑張って仕事をやって、社長さんやお客さんに喜んでもらえたら、給料はあがるだろうし、君はたくさん感謝されるだろう。

 

そして、人は、悪いこともよいことも選択できるんだ。 

 

今回、君は、カッとなって、悪いことを選択してしまった。だから、今その責任をとっている。

 

 

大切なことは、「想像力」だと思う。

 

自分の行為が、どんな結果が生じてくるのか、想像できる力が大切だと思う。

 

自分の行為が、将来、どんな影響を与えてくるのか。

自分に、相手に、まわりの人に、どんな影響を及ぼすのか。

 

そこをよく考えて、想像して、これからの行動を選択してください。

 

これから、目の前に腹が立つような人に会うかも知れない。いやきっと出会うだろう。一瞬、こいつ殴ってやろうかと思うかもしれない。

 

その時、どうする。そんな場面に出会ったら、この後実際に殴ったらどうなるか、よく考えてみてください。想像してみてください。

 

よく考えてみると、

気にしない。相手にしない。離れる。言葉で注意する。

と殴る以外に、いろいろと選択肢があることに気が付くだろう。

 

そして、自分が幸せになる選択をしてください。

自分が不幸になる選択をしないでください。

 

ほんの一瞬、後に生じる結果を考えずに行動することで、自分や家族、相手の人生を大きく傷つけてしまうこともある。私は、そんな人をたくさん見てきました。

 

 

どうか「想像力」をもって行動を選んでください。

 

 

自分の幸せのためにも。君の大切な人のためにも。

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こんな私の言葉が、 

彼の心にどれだけ届いたかは、わかりません。

 

でも少しでも、彼が、考えるきっかけになればと思います。

将来、彼が感情を突き動かされる場面に遭遇したとき、思い出してくれるといいと思います。

 

 

「人は、自らが蒔いた種を刈り取りながら生きるもの」というような言葉を聞いたことがあります。

そうだなあと思っています。 

 

 

行動から生じる結果は、因果の流れでつながっています。

 

今、自分の身に起こっている出来事や現在の状況は、かつて過去に自分が選択し、行動した結果といえるのですね。よきことも悪いことも。

 

だから、将来、自分を望む方向にもっていくには、よい結果を生じさせたいのならば、 

この因果の流れ、自分の選択する行為が、将来どのような結果をもたらすのかを見通せるといいですよね。

 

見通すことができれば、よき行動を選択できる。

 

この見通せる力を「想像力」と彼に言いました。

彼に偉そうに説教してしまいつつ、未熟な私自身に向けても、言いきかせていました。

 

未来に向けての豊かな「想像力」

 

私は、幸せに生きるための一つのキーワードかなと思っています。

 

 

彼が、これから、「想像力」をもって幸せな選択ができますように。

 

そして、あなたが、日々、幸せな選択をされますように。

 

それでは、また。

「よい心」にズームをかける。

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平成20年12月18日(木)

 

皆さん、こんにちは。

 

今、久しぶりに少年事件をやっています。

24日クリスマスイブの日が審判です。

ここで、少年院に行くか、保護観察で少年院にいかなくていいのか、あるいは試験観察で、もうしばらく様子をみるのかが決められる予定です。

 

今日は鑑別所に2回目の面会に行ってきました。

人を怪我させてしまったという傷害保護事件です。

少年事件につく弁護士は、刑事事件の「弁護人」とはいわず「付添人」(つきそいにん)といいます。

 

少年事件の場合、鑑別所に3回は面会に行く必要があります。

 

1回目は、顔合わせ、事実確認。信頼関係の構築です。あまりつっこんだ話しはしません。信頼関係ができていない場合には、つっこんだ話しをしても、言葉が届かないことが多いですので、まずは少しでも心を開いてもらうことに意をそそぎます。

ついついお説教したくなりますが・・・ そこは我慢です。

 

2回目は、問いかけによって、今回のことをよく振り返ってもらいます。また、これからのことをよく考えてもらいます。

 

3回目は、審判にむけての準備です。つまり、審判の時には、こんなことを聞くからね、審判官からは、こんなこと聞かれるかもよとあらかじめリハーサルしておきます。

 

今日は、2回目の面会でした。

 

こんな問いかけを記した紙を彼に渡しました。その場では、答えはもとめません。

よく考えて欲しいといって、この問いかけを投げかけます。

「 

1 今、自分が、A君を殴ったことについてどのように思いますか?

 

 

2 もし、A君が、目の前にいたら何と言いますか?「ごめんね。」と言えますか、言えませんか?

 

3 今回のことで、殴られたA君の立場に立ってみると、殴ってきた自分に対してどのような気持ちになると思いますか?

 

 

4 もし、将来君が人の親になって、ある男から自分の子どもが殴られたら、どう思いますか?

 

 

5 今後、今回のようなことを繰り返さないために、一体君はどうすればよいのでしょうか?


 

6 人を殴って傷つけたることが、どうして法律で禁止されていると思いますか?

 

 

7 君の勤務先の社長さんは、君が、今回のことをきちんと反省し立ち直る気があるならば、またう ちで働いてもらいたいと話してくれています。社長さんに、何と言いますか?

 

8 君は、これから、どんな人生を送っていきたいと思っていますか?

 

 

9 今回のことで、君はお母さんにとても心配をかけました。今、お母さんに何といいたいですか?

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そして、少年にこう話しかけます。 

 

無理に取り繕う必要はありません。心にもないことならば、書かない方がいい。

 

でも、誰しも人の心の中には「よい心」と「悪い心」があると思います。

ぱっと質問をみると、相手の気持ちはよく分からない、そんなの関係ないと思うかもしれないね。

 

でも、ゆっくり落ち着いて自分の心の中をのぞいて「よい心」があるのであれば、それに焦点をあてて、答えをさがしてみてください。

 

その答えも、まぎれもなく偽りのない君の答えです。

 

決して、逃げないで、今の自分でできる範囲でいいから、問いに真正面からぶつかり、君の中にある「よい心」から導かれる答えを出してください。

 

22日、また会いに取りに来るから、それまでによく自分をみつめて書いておいてね。

 

 

 

前回「よかったこと」にズームをかけるというお話をしました。

 

自分の中の「よい心」「優しい心」にズームをかけるということも、生きていく上で、とても大切なことじゃないかなと思っています。

 

「よかったこと」や自分の中の「よい心」にズームを柔軟にかけることができる人は、きっと幸せに生きていけそうですよね。 

 

いいですね。私も、そんな人になりたいです。 

 

少年に偉そうに言ってしまいつつ、「そうだよね、自分もそうしなきゃ。」と思いました。

 

彼の中の「よい心」が目覚めてくれることを祈っています。 

 

彼にとって、素敵なクリスマスイブになりますように。

 

 

そして、あなたにとって、素敵なクリスマスイブとなりますように。

 

 

それでは、また。

人とのつながり

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平成20年12月17日(水)

 

こんばんは。神坪です。

 

このブログをご覧いただきありがとうございます。
12月もいよいよあと2週間となってまいりました。

 

どうしてもこの時期、年内までに、何とかしたい、何とかしなければという感じになって、バタバタ過ごしています。

 

バタバタしながらも、この時期、この1年はどんな年だったのかなと振り返ることが多いですよね。
私もふっと振り返ったりしています。

 

あなたにとってこの1年はどんな年でしたか?

 

嬉しかったこともあれば、悲しかったことや辛かったこともあったかと思います。
うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともあったかも知れません。

 

でも、できるだけ、楽しかったこと、嬉しかったこと、うまくいったこと、感動したことに焦点をあてて振り返ってみましょう。そこにズームをかけていきましょう

 

どんな楽しかったことがありましたか?


 

どんなことが嬉しかったですか?
   


どんなことがうまくいきましたか?


 

どなたの、どのような優しさに感動しましたか?

 

 

今年、どんなことが新しく出来るようになりましたか?

 

 

今年、誰とどのようなつながりを持つことができましたか?

 

 

心落ち着いて振り返ってみると、いろいろと思い出すことができますよね。

私も、いろいろと思い出してきます。

こうして私自身自分に問いかけてみてみると、心が温かくなってきます。


 

この1年、結構よかったじゃない。頑張った!いい経験をしてきた!そう思えてきます。


 

もちろん、辛かったことや大変だったこと、うまくいかなかったこともあります。
全部が全部うまくいったということはありえません。

 

うまくいかなかったことがあると、ついそれに引きずられ、全体的に辛い1年だったなあと思えるかも知れません。

 

でも、そうではありません。どんなに辛かったと感じる1年であっても、思い出してみれば楽しかったこと、嬉しかったこともあったのではないでしょうか。

 

それに一見辛かったことでも、その経験が、自分を成長させることになっていると捉えることができるかも知れません。


 

私は、振り返ってみると、もちろん大変なこともありましたが、今年1年、多くの人に支えられ、助けていただいたことに気が付きます。感謝の気持ちが湧いてきます。

 

目に見え、側にいる人から目に見えないはるか遠い人まで、実に多くの人に学び、助けられ支えられていることに気が付きます。

 

特に今年、私のことを知らない遠い人でも、既にこの世にはいない人でも書籍を通じて、私に影響を与えていることの偉大さに気が付きました。

 

本当にありがたいことだなあと思います。


 

あなたは、この1年、どんな人に支えられ、助けてもらいましたか?

 

 

誰から、何を学び、どのような影響を受けましたか?

 

お父さん、お母さん、旦那さん、奥さん、先生、友達、上司の○○さん、著者の○○さん・・・・

いろいろな人が思い浮かんでくるかも知れませんね。

 

 

どんな人も、多くの人とつながりながら生きていくのだと思います。

 

 

その当たり前のように感じてしまう「つながり」、ついその存在すら気が付かない「つながり」を時々、意識してみるといいのかも知れませんね。

 

 

それでは、また。

メルマガ配信始めます!

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平成20年12月9日(火)

 

こんにちは。神坪です。

 

12月も中旬にさしかかってきました。

夜になると、あちらこちらで電飾が光っていますね。

 

さて、このブログをこれまで訪れていただいた方は、お気づきかも知れませんが、文字の大きさを少し大きくしました。

 

それから、平成21年1月から、メールマガジンの配信を始めます

今日から登録の受付を開始しています。

 

私なりのフィルターを通して、気が付いたこと、皆様のお役に立ちそうなことを配信していきたいと思っています。

 

内容としては、 

法律や裁判といった弁護士らしいお話もしていきたいと思いますが、これまでブログで書き込んできたように、心の問題につっこむ等ちょっと(かなり?)変わった弁護士ですので、メルマガでは、さらにそちらも濃くしていきたいと思っています。

 

よろしければ、ご登録下さい。

ご登録フォームはこちらです。

 

あなたのご登録をお待ちしております!

 

それでは、また。

裁判員-人を裁くということ

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平成20年12月8日(月)

 

皆さん、こんにちは。
お元気ですか?

 

今日の朝は、寒かったですね。
朝方、つま先を立ててトイレに向かいました。

 

さて、先日裁判員候補者名簿登録の通知書が発送されました。

「よし、裁判員になったら頑張ってみよう。楽しみ!」と思われる人もいるでしょうが、
多くの方は「裁判員なんて嫌だ、人を裁くなんてできない、仕事がいそがしいのに・・困ったなあ。」と思っているのではないでしょうか。

 

私自身は、やってみたいなという気はあるのですが、残念ながら弁護士は、裁判員にはなれない人なのです。
裁判に携わる人(弁護士や裁判官、検察官、裁判所職員、法務省職員等)やその他警察官や自衛官もなれません。

 

裁判員の対象となる事件は、全ての事件ではなくて、一定の刑の重い罪が対象となっています(死刑または無期の懲役・禁固にあたる罪等)。

 

具体的には、殺人、強盗致死、傷害致死、現住建造物等放火等の罪がそれにあたります。

 

多く、死亡事件で、有罪の場合には、裁判員は、長く刑務所へ行かせることを決めたり、場合によっては死刑の判断をする重大な決断が迫られたりします。

 

おそらく悲惨な証拠も目にすることになります。

被害者や遺族の深い悲しみも目の当たりにすることになります。

 

辛いことですよね。

 

裁判員に選ばれると、「自分は人を裁きたくない」と思っても、辞退することは認められていません。

70歳以上の人、重い病気や怪我の人、事業に著しい損害が生じるおそれがある場合には辞退が認められますが、「自分は人を裁きたくない。」と思っても辞退することは許されていないのです(嫌だと思って、裁判所からの呼び出しを無視していると10万以下の過料に処せられます)。

 

大きなベクトルとして、一般の方が裁判に参加することは、いいことだと思うのですが、現行の制度は、裁判員になりたくない人、人を裁きたくない人まで、裁判員になった以上は、無理をしてもやらせる色彩が強いところは、一つ大きな問題かなと私は思います。

 

広く拒否できる事由をあたえた方がいいのじゃないでしょうか。

やりたくない人、やる気のない人に無理矢理裁判をやらせるのは、その人にとっても、その裁判を受ける被告人にとっても、被害者にとっても望ましいことではない気がします。

 

人を裁くということ、目の前の人が、有罪か無罪かを決め、有罪としてどの刑罰を科すと決めるということは、本当に重大なことだと思います。

 

重大なことですから、私としては「自分の判断が間違っていたらどうしよう、本当に大丈夫かな。慎重に慎重に、判断しよう。」そう真剣に悩む覚悟のある方だけに裁判員になっていただきたいなと思っています。

 

私は、それほど多くはありませんが、弁護士としていくつかの刑事裁判に携わってきました。
自分が無実と信じている人が、刑務所に送られてしまうという経験もしました。

 

やっていない人でも、裁判によって有罪とされ、刑務所送りや死刑にさえなりうることを肌で感じました。本当に裁判というのは怖いものだとつくづく思っています。

 

裁判というのは、被告人の刑務所行きを決めたり、死刑にしたりと個人の自由や生命を剥奪する権力発動の根拠を与えるものです。

 

つまり、裁判員になるということは、かかる個人の自由や生命を剥奪する権力発動に携わるということ。

とても重い責任ですよね。 

 

裁判所や法務省の裁判員広報は

「あなたにもできます。大丈夫です。」という感じですが、裁判ってそんなに甘いものではないと思います。

 

なんとなく裁判ができたような外形は取り繕うことはできるのかも知れません。


ですが、「人を裁くということ」の意味を真正面から受けとめ、真剣に悩む覚悟がないと、本当の意味での裁判はできません。

裁判員にそのような覚悟がないと裁判が単なるセレモニーになってしまうと思います。

 

今、現場の裁判官の方々で、日々真正面から「人を裁くということ」に向き合い職務を行っている方がどれほどいらっしゃるか分かりませんが、その方々は、本当に重い責任を背負って、辛く厳しい仕事をされていると私は敬服しています。

 

刑事裁判官というのは、すごい特別な仕事だと思います。

 

人の身体の自由、ときには生命を奪う権力行使を発動させる裁判。
本当に必要な人に、必要なだけの権力発動が行われないと、困ります。

 

あなたは「人を裁くということ」ってどう思いますか?
裁判員、やってみたいですか?

 

裁判員制度について、私が考えていることは、

これから少しずつお話していきますね。

 

それでは、また。

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平成20年12月5日(金)

 

皆さん、こんにちは。

 

忘年会シーズンとなっていますが、胃の調子はいかがですか。

 

1年の忘れたいことは忘れ、記憶にとどめたい素敵なことは、

しっかり心の中にしまっておけるといいですね。

 

しかし、実際は嫌なことは、何度も思い出したりして、引きずってしまいがちです。

何度も頭の中で、再現して、腹が立ったり落ち込んだりしてしまう。

 

嫌なことはさっさと忘れて、すぐに、新しい行動に移すことができるといいですよね。

 

一体どうすればいいのでしょうか?

 

私の経験上のお話をします。

 

まず、「悩んでも仕方がないことがある」ということをしっかり認識することかなと思います。

そして、次に、考えて意味があることと、考えたところで意味がないこととの仕分けをやること。

 

考える対象、悩む対象には、考えて意味のあることと考えたところで意味のないことの大きく二つに分かれることと思います。

 

「明日は待ちに待った遠足だ。明日の天気は絶対晴れて欲しい。明日の天気などうかな?」

これって、考えたところで意味がありませんよね。考えて天気を変えられるわけではない。

てるてる坊主をつるして、あとは祈るだけです。

 

「借金取りの請求が来ている。どうしてこんなにお金を借りてしまったのだろう。バカなことをしてしまった。」

これも、借金をしてしまったことを後悔しても何ら解決になりません。借金をした過去は変えられませんから。

 

よく「他人と過去は変えられない」といわれています。

 

私もそうだと思います。

 

人に、自分の気持ちは分からないもの。 

人は、自分の期待どおりには動いてくれないもの。

だから、人と気持ちが通じあったとき、人が期待に応えてくれたときって素晴らしい。有り難い。

 

過去は、変えられないもの。悔やんでも仕方がないこと。

終わった事実は事実として受けとめるしかない。

そして、過去を活かすことを考える

 

同じ悩みが頭の中をグルグルしだした時、

 

「今、悩んでいることって、何か意味あるの?」

「悩むことで、幸せにつながるの?」

 

こう問いかけてみます。

 

私自身、昔、人が自分の期待どおりの応対をしてくれないことについてしばらく悩み、さんざん悩み疲れたころ

「何かこれって、意味がないじゃない。」

「こんな意味のないことを、自分で増幅させて、自分を疲れさせているだけじゃない。」

と気がつきました。

 

意味のないことに時間をつかい、また心を疲れさせるというのは、何とももったいないことですよね。貴重な時間をわざわざ自分を傷つけることに使うようなものです。

 

「それって考えても意味がない。」という仕分けができたとき、「じゃあ、ムダだからそれを考えるのはよそう。」と意識するようになって、私自身の経験では、悩みを大きく引きずることはなくなりました。 

 

では「悩んでも仕方がないこと」と「考えて意味あること」を仕分けするのには、具体的にどうすればよいでしょう?

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まずは、自分が一体何に悩んでいるのか、何を考えているのか、悩みの対象を明確に意識することが出発点だと思います。

 

頭の中で、悩みを認識し、仕分けしようとしても、グルグルしてしまうような場合には、紙に書き出すことをお勧めします。 

 

自分が「何に」悩んでいるのか、「何を」考えているのかを 

紙に書き出してみましょう。勢いで殴り書きしていき、頭に浮かんでいることを書き出してしまいましょう。

書き出していくうちに、感情もでてくるかもしれませんが、それもすべて書き出しましょう。

 

紙に書き出したら、冷静に仕分けをしてみます。

考えて解決策が見つかるものか、考えても仕方がないことなのか分けます。

その指標としては、「自分が」「これから行動すること」で変えられる可能性のあるものかを基準にしてください。

他人と過去は変えられませんので。

 

具体的には

別の紙に            悩んでも仕方のないこと            解決策がみつかる可能性があるもの

 

 

と先に書いて、間に線を引いて、この悩みは一体どちらに分類されるのかなと、書いていくとよいかも知れませんね。 

 

そして書き出し、分類することができたならば、 

「悩んでも仕方のないこと」に分類できたことについて、今後、頭の中をよぎったら、

「それは悩んでも仕方がない。意味がない。もったいない。」

と意識してみましょう。 

 

もちろんこれで、全部消え去るわけではありませんが、考えても仕方がない悩みについて、自分から悩みを増幅させ、自分を傷つけるようなことはかなり防げるのではないかなと思います。

 

「考えて意味があるもの、解決策が見つかる可能性があるもの」については、今後自分がどうすればいいのか、具体的な解決策を検討していくことになります。

 

時にこの解決策を探るお手伝いをするのが弁護士の仕事でもあります。

それについては、また別の機会にお話しますね。

 

それでは、また。

お風邪など召しませぬように。

読んでくださってありがとうございます。

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平成20年12月4日(木)

 

皆さん、こんばんは。

 

今午後11時半なのですが、3日連続で更新できたので、4日目もと欲が出て

こうしてブログを書いています。

 

このブログをご覧になっている方、いろいろな方がいらっしゃるのでしょうね。

どなたも貴重なお時間を使って読んでいただき、本当にありがとうございます。

感謝しています。

 

少しでも、読んでくださる方の役に立ったり、励みになったりするといいなと思っています。

 

書く際に、あらかじめ何を書こうかと決めて書くこともあるのですが、実は、書き始めて、自然に言葉が湧いて出てくるようなことが多かったりします。だから、まとまりのない文章になっているかも知れませんね。ごめんなさい。

 

言葉が心の底から湧き出るような感じで、文章にしてあらためて、自分がこんなことを考えていたのかと不思議に思うこともあります。

そして、自分で書いていながら、自分を励ましたり、自分が書く人ではなく一人の読者になったような感覚になることもあります。

そんなことって、皆さんはありませんか。

 

読み返して少し恥ずかしい気もしますし、冷静になると自分にそんなことを言える資格があるのかと思う時もありますが、湧き出てくる言葉をありのまま書き出して、こんな私の言葉でも、どなたかをもしかしたら励ましたり勇気づけたりすることができるかも知れない、それができたらどんなに素敵なことだろうと思い、押しとどめずに書いています。

 

私自身、多くの「言葉」によって励まされ、勇気づけられてきました。

その人は私のことは知らなくても、時には既にこの世にはいなくとも本に記した「言葉」によって一人の人間によい影響を与えていることもあるのですね。

遠い異国の古人の言葉が時間と空間を超えて、私に影響を与えることもある。

 

それってとてもすごいことだなと思うのです。

 

 

それから、私事ですみませんが、今はまだ私のブログを読んでいない私の子ども達がいつか読むようになった時、

 

「お父さんは、こんな仕事をしているんだよ。」

「お父さんは、こんなことを大切に思っているんだよ。」

 

と父親の未熟さもふまえ、生き方の参考にしてくれると嬉しいなと思って書いています。 

 

 

今日も、読んでくださって本当にありがとうございました。

よろしければ、今後もお立ち寄り下さい。

 

 

あなたの心が温まりますように。

それでは、また。

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