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日記・コラム

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平成25年5月11日(土) 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

仕事や家庭で、思い通りにならないことってありますよね。

 

夫(妻)が、些細なことで、文句をいったり、上司が、自分を感情的に怒ってばかりで、評価してくれなかったり・・。

 

もしかすると、この春から、理不尽な上司のもとで働くことになった方もおられるかも知れません。

ミスは、部下のせいにして、部下の提案に耳を傾けず、また機嫌が悪いと部下にあたる・・・。

 

大変なことだと思います。

特に初めて社会人になって、そんな上司のもとで働くことになった場合、社会に出ることに夢や希望をもっていた分

「あ~こんなはずじゃなかった」と思われていることでしょう。

 

そんなとき、イライラや不満な気持ちになって、それをそのまま相手にぶつけてしまうとさらに険悪なムードになってしまいますし、鬱々とためてしまうと、自分の心を痛めてしまいます。

 

できれば、イライラや不満といったネガティブな感情が出てくることは、ある程度は仕方がないにしても、できるだけ小さなものに止めておけるといいですよね。

 

その酷い上司がいなくなったり、困った性格を変えてもらえれば、問題は解決しそうですが、そうもいきません。

 

確かに、その上司は、酷い人なのかも知れません。でも、イライラや不満といった自分の感情は、あくまで自分の頭、脳の中で起きて感じていることです。

 

酷い上司であっても、自分の中で、なるべく心が平穏でいられる受け止め方を選択することもできるのです。

(もちろん、あなたの人格を侵害する場合には、信頼できる誰かに相談してくださいね)

 

心穏やかでいられるために、どうすればいいのでしょうか?

 

こんなことを書いてある本に出会いました。

 

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心の穏やかさとは、自分を取り巻く社会・環境やその変化を受け容れる心があるということです。

それを可能にするのは、自分が人生で最善を尽くしているという自信です。

 

感情の乱れの多くは、他者との関係から生じます。

他者の言動が、自分の考え方や物事のあるべき筋道にそぐわないとき、怒りやいらだちの負の感情が生まれるのです。

 

しかし、相手の言動が自分にとってどんなに理不尽きわまりないものであっても、相手の立場になれば、そこには、相手にとっての合理的な理由が存在しているのです。それは受け入れなければなりません。

他者の自由意思を認めることこそが、自身が穏やかでいるための基本です。

 

他者との間にトラブルが起きたとき、「どうして」と考えてはいけません。

 

「どうして」を考え始めると、イライラが募り、怒りや不安が増幅します。

他者は思いどおりにはならないものです。

自分の思いを他者に押しつけるのは不毛なことです。

 

他者が何を言ってきても、それはその人の考え方なので仕方がありません。

相手がどのように物事を考えようと、それはその人の自由です。

いちいち「どうして」という言葉を返さずに、「なるほど」と受け入れればいいのです。

 

他者の言動を「なるほど」と受け入れるのは、他者のためではありません。

あくまで自分の内側の穏やかさを維持するためなのです。

 

理不尽さの背後には、その人の合理的な理由があります。

不安、嫉妬、自己保身・・・

 

人にはそれぞれの信念や価値観があります。

その人の行動の是非を決めつける前に、その部分を理解できれば、不毛な対立を避けることができるのです。

 

「時間に支配されない人生」ジョン・キム著 幻冬舎

 

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なるほど。

 

嫉妬や自己保身という動機でさえ、相手にとっては合理的な理由だとするところに、「えっ!」と思いましたが、確かに、理不尽なことでも、相手にとっては合理的な理由であると思うと、それはそれで仕方がないかもという気になって、ラクになります。

 

相手には、相手がどのように考えるかの自由がある。

人には、それぞれの価値観がある。

 

それを、どうこうしようとしない。「おかしい、理不尽だ」と裁かない。変えようとしない。

 

他方で、自分には、自分がどのように考えるかの自由がある。受け止め方は自分の自由である。

 

理不尽だと思う相手を目の前にして、自分の心を、相手への不満やイライラで満たすのではなく、相手がどうであれ、平穏を維持することもできるのですね。

 

相手へに対して「○○すべき」「○○でなければならない」という期待を手放し、心を自由にしていると、相手への不満や怒りが、鎮まります。

 

さらに心を自由にしていると、理不尽なことをする相手の心の底にある悲しみや不安、痛みが見えてきます。

その悲しみや不安、痛みを理解すると、相手に対する感情が変わってきます。

 

「この人もこの人なりにがんばっているんだ」

「この人もこんな心の痛みをかかえているのだ・・・」

 

心を自由にしていると、冷静に物事を判断し、適切な行動を選択できそうです。

 

そして、相手とうまく距離をとり、共感のかけ橋をかけることだってできるかも知れません。

 

そうなったら、素晴らしいことですよね。

 

なかなか難しいことですが、そんなことができる人って、人としての奥行き、深みがあって、素敵だなと思います。

 

 

それでは、また。

 

あなたが、心穏やかでいられますように!

 

※関連のお話です。

 

ゆるす力

法教育をやってみよう

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平成25年5月2日(木)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

GW、いかがお過ごしでしょうか。

29日に妻が、「白石温麺(うーめん)を食べたい!」ということで、白石に行ってきました。

片倉小十郎ゆかりの白石城にも行ってきたのですが、天守閣内で

「武者走り-戦闘状態になった時、武具を付け武器を持った武士が走り回るところです。」

といった説明を見て、突然、妻が走りだし、城の中をひと回りしてきました。

まずは、やってみる。素晴らしいことです。

 

でも変です(笑)。

 

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先週の木曜日は、法教育委員会の新入委員歓迎会でした。

今年度からとうとう委員長になってしまったのですが、挨拶でこけないようにと原稿を用意して乾杯のあいさつをしました。

 

その原稿です。

 

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委員長の神坪です。

 

まずは、この場を準備設定してくれた幹事のT先生、ありがとうございます。

 

今年度から新しく法教育委員会に入ったみなさん、法教育委員会へようこそ。

多くの委員会があるなかでここを選んでくれて本当にありがとうございます。

 

私自身、この委員会ができた平成16年から続けているのですが、その面白さと可能性、やりがいにとりつかれて、ここまで続けてきました。

 

法教育委員会の活動は、学校の教室に行ったり、弁護士会館を一日学校にして生徒さんを呼んだりする動く活動的な委員会です。

 

子どもたちとふれあったりするのは、実に楽しいものです。

緊張もしますし、授業の準備も大変ですが、教室での子どもたちのその反応が素直で、キラキラした目を見ると実に嬉しいものです。

 

法って面白そうだな。あ、こんな考え方もあるのか。

答えのないことをみんなと話し合って考えるのって楽しい。

 

そして、あとあの弁護士さんって素敵だなとか~(笑)

 

その心に何かの種を植えることができるかもしれません。

そして、それがきっかけとなって、今すぐに何かにはならなくとも、何年も後になって、きれいな花を咲かせることがあるかも知れません。

 

そうなったらとても素敵なことですよね。

 

私からのお願いなのですが、こども達に笑顔で、声をかけてみてください。

がんばって発言したら、ほめてあげてください。

いいところをみつけたら、「いいね!」といってあげてください。

法や裁判、弁護士の仕事の楽しさややりがいを、自分の言葉で語ってみてください。

きっと誰かのキラキラした目を見ることができると思います。

 

法教育、それは自分の頭で考え、自分で判断する。

人の考えを頭から否定せずに、ますは受け入れてみる。話し合ってみる。

さまざまな価値観、いろいろな考え方がいることを知る。

そんな人々の中で、自分の価値観を大切にしつつも、人も同じように大切にしているものがあることをしること

他者と共生すること、ともに生きることをめざしているものです。

 

私の予感ですが、法教育は、これからますます面白いことになっていくような気がしています。

私たちは、何かの縁があって、今、こうして同じ場所にいます。法教育という縁を通じて集っています。私はこの縁を大切にしたいと思っています。

 

新しく入った先生方もこれまで続けてこられたみなさまもどうぞよろしくお願いいたします。

 

それでは、新入委員のみなさまの歓迎と委員のみなさんと一緒に、楽しくやりがいのある法教育活動ができることを祈って、乾杯したいと思います。

 

乾杯!

 

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法教育を通じて、自立した個人同士が温かなつながりで結ばれた、豊かな社会ができたらいいなと思っています。

 

私と一緒に法教育、やってみませんか。

 

 

それでは、また。

 

あなたが幸せでありますように。

 

※関連のお話です。

法教育ってなんだろう?

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平成25年4月27日(土)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

ゴールデンウィークに入りましたが、いかがお過ごしでしょうか。

仙台では、桜も終盤となり、欅並木の新緑が眩しい季節となりましたよ。

 

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最近、余裕がなくて行けなかったのですが、久しぶりに書店をぶらぶらしてきました。

そこで、ある本が目にとまりました。

 

板東眞理子さんの「つなぐ力つながる作法」という本です。

良い人と、温かなつながりが持つためにどうすればよいかについて、具体的実践法が書かれていました。

 

プロローグのところを読むと、「うん、そうだよね!」と嬉しく、みなさんの参考にもなるかもと思いましたのでご紹介しますね。

 

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良い人間関係づくりのために

 まず①「型から入る」こと、基本的なマナーをわきまえることが大切です。

まずは挨拶や話し方、服装など人づきあいの基本となる型を身につけるのです。

次に、型を整えた後は「型に心を込める」ことです。

挨拶にも心を込めれば、自然と笑顔がこぼれ、親密な心と心の交流が生まれます。

 

もう一つのポイントは、

② 相手の欠点よりも、長所を探し出すことです。

 

相手の長所を素直に賞賛すれば、それが相手にも伝わり、人間関係が好転して物事がうまくいくという好循環が生まれます。のみならず、他人の優れた点を認めれば認めるほど、刺激を受け、自分をどんどん高めていくことができるのです。

 

ところが、世の中には、なかなか他人の長所を認めることができない人がいます。

 

なぜ他人の長所を認められないかというと、自分自身の自尊感情が確立していないからです。

 

誰かが自分より幸せだ、有能だというだけで悔しくなり、相手の欠点をあげつらったり、相手の足を引っ張ったりします。

せっかく良い人と出会えても、その出会いをプラスに生かすことができず、自分を成長するチャンスをみすみす逃してしまうのです。

 

どうすれば、健全な自尊感情を育てることができるのでしょうか。

 

それは、自分自身の長所に気づいて、それを磨くことです。

自分の良いところを磨いて小さな成功を経験したら、「私もなかなか捨てたもんじゃないぞ」と自分を褒めてあげる。

自分を甘やかしたり、うぬぼれたりするのではなく認めてあげるのです。それが、人を助けて感謝されると効果大です。

 

このときに気をつけたいのは、最初から大きな成功を目指さないこと。

自分なりの小さな目標をセットして、見事やり遂げたら、日記に二重丸をつけておく。

 

ささやかな努力を積み重ねるうちに、「私もなかなかやるぞ」と思えるようになる。

 

「私もデキるけれど、おぬしもデキるな」と、相手を認める心のゆとりが生まれるのです。

 

まずは自分自身の価値を認めましょう。

そうしてはじめて、私たちはより良い人間関係を築くためのスタートラインに立てるのです。

 

( 「つなぐ力つながる作法」 板東眞理子著 潮出版社 )

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幸せな人生の大きな要素として、私は、人との温かなつながりがあることだと思っています。

 

そしてその基盤となるのが、板東さんが「健全な自尊感情」と表現している自己肯定感です。

 

他人への嫉妬や自分への劣等感というものは、とてもやっかいな感情で、あたたかなつながりの障害となるものですが、

自分は価値ある存在なんだという自分自身への信頼感があれば、嫉妬や劣等感にとらわれることなく、他人を素直に認めることができるでしょう。

他人を素直に認めることができれば、そこから温かなつながりを持つことができるでしょう。

 

だから、まずは自分自身の価値を認め、自己肯定感を満たしていく。

 

そのために、小さなこと、そして人や社会の役に立つことをやると効果的なのですね。

 

笑顔で声をかける、ほめてみる、困っている人を助ける・・・。

 

そして、小さなことでもできたら、自分を「よく、やった!」とほめる。

私も、あらためて意識してみようと思いました。

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

 

※関連のお話です。

 

人をほめると自分を好きになる

レクイエム

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平成25年4月21日(日)  

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

昨日の午後、妻と子どもたちは、昨日封切りの名探偵コナンの映画を見に行きました。

私は、家に残り掃除をしました。1階に掃除機をかけて、2階の妻の部屋に掃除機を持ち込みました。

 

そこで、河上民法ゼミ文集「青葉をわたる風 第5号(1994年度)」がふと目にとまりました。

 

当時、河上ゼミでは記念文集をつくっていて、1~4号は、私も大切に持っていたのですが、この5号については、読んだ記憶がありません。

 

開いてみると私のメッセージは、「皆さん、お元気で・・・」とぶっきらぼうに一言だけ書かれていました。そうでした。この時は、妻が合格したのに自分が合格できず、気持ちがすさんでいたこともあって、文集を読みもしなかったのです。

 

河上正二先生が、ゼミ生やOBに一人ずつ一言書かれていて、私あてには

「もう何も言うことはありません。機は充分に熟しています。基礎を固めながら、背水の陣でのぞんてください」

と実に痛いことが書かれていました。河上先生にも、ずいぶんとご心配をおかけしました。

 

私は平成2年から河上民法ゼミに参加して、平成3~6年もOBとして河上先生の厚意で参加させていただきました。妻は、平成4年に大学3年生のときから参加し、平成5,6年と在籍しました。

 

私も妻も司法試験の勉強をしていました。

一緒に合格しようとがんばった平成6年、妻は合格したのですが、私はまたもやダメでした。

 

このこともあって、私は、すねて、ひねくれてしまい、妻にあたったりしたこともあり、妻には、辛い思いをさせてしまっていました。

 

妻は文集にこんなことを書いていました。

 

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みなさま、河上ゼミでは 1年間or2年間or3年間

お世話になりました。それぞれの進む道で、いっしょうけんめい

がんばって下さい。

おわり

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昨年も、一昨年も、タラタラと書いてしまったので、今年は簡潔にしようと思って、上のようにしたのですが・・・。

やはりスペースがあまると何かさみしい。で[メモ欄]にしようかと思ったのですが、使ってくれる方がいるとは思えないし。う~ん、何を書こう・・・・

 

      Requiem

Under the wide and starry sky

Dig the grave and let me lie.

Glad did I live and gladly die,

And I laid me down with a will.

 

This be the verse you grave for me:

Here he lies where he longed to be;

Home is the sailor, home from the sea,

And the hunter home from the hill.

 

Robert Louis Stevenson

 

(効用) 精神安定、気力回復(に効くような気がする)

 

(使用法) 朗読する(a)の発音がきくらしい

(ただし、人にみられるとアヤしいヤツと思われ気味悪がられるおそれがあるので、

時と場所には注意しましょう)

 

(服用期限)なし(だけど効果があるかどうかの保証もなし。かえって気がめいって

しまったら、服用を中止してください。)・・・ナンダコリャ

 

○仕事・勉強etcに疲れたときにどうぞ。

 

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この詩は、広い星空のもと、墓を掘って横たわりたいという何とも暗い詩です。

レクイエムですから魂を鎮める詩です。

 

あの頃、私が知らないところで、妻は、何度この詩を朗読していたのだろうか、どんな気持ちで、朗読していたのだろう・・

妻はこの詩を何度も口ずさんで、広大な星空に横たわることを想像して、悲しくて辛い気持ちを落ち着かせようとしていたのかも知れません。

 

本当に辛い思いをさせてしまいました・・・。

 

 

胸の奥がぎゅっと締め付けられて痛みました。

そして、わっと涙があふれてきて困りました。

  

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「レクイエム」

 

広く満天の星空の下

墓を掘ってわたしに横たえてほしい

わたしは喜びと一緒に生き、そして喜びと共に死にます

そして自分の意志で、私の体をこの墓に横たえます

 

墓碑にはこの詩を刻んで欲しい

「彼は、思い焦がれたこの地に眠る

船乗りは海から故郷を想ふ

狩人は丘から故郷を想ふ」と

やりたいことは何でしょう?

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平成25年4月6日(土)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

4月に入り、新年度が始まりましたね。

お正月もそうですが、心機一転、新しいことを始めるのにはいい時期です。

私も何か新しいことを始めようかな。

 

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「お父さん、やりたいことがあるならやっておいた方がいいよ」

 

1か月ほど前の晩御飯のときに、妻が沈んだ声でそういいました。

 

ん?いきなり、なんだ、なんだ!と思っていると、妻は、一枚のはがきを持って、私に見せながら

 

「こちらに引っ越す前に、行き来をしていた友だちが亡くなった。友だちの旦那さんから葉書がきた。まだ若いのに・・・。」

と言いました。

 

「そう・・・。」

 しばらくの沈黙の後、私は、言いました。

 

「お母さんもやりたいことがあるならやっていいよ。何がしたい。どこへ行きたい?」

 

そうすると、妻はしばらく間をおいて「青森の高校の同窓会に行ってもいいかな」とこたえました。

 

震災をきっかけにして、妻は高校の友人との付き合いが復活したらしく、時々会っていて、それが楽しく、もっと高校の懐かしい友だちと久しぶりに会ってみたくなったそうです。

 

そんな気持ちはよく分かるので「もちろん、いいよ」と私はこたえました。

 

そして、「私自身、もうやりたいことをやっているよ。好きなことを好きなようにやっている。我ながら、時々ぶっとんでしまっていると思うけれど、メルマガやブログに、書きたいことを書いているよ」

と笑いながら言いました。

 

 

本当にそう思っています。

 

 

やりたいことは何でしょう?

行きたいところはどこでしょう?

自分にとって、大切なことは何でしょう?

 

そして・・・

大切な人は誰でしょう。

       

 

一日一日を悔いのないように、大切に生きることができたらいいですね。

 

 

それでは、また。

 

あなたが幸せでありますように。

 

 

※関連のお話です。
 


大切なものは何ですか?

最後の説教

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平成25年3月23日(土)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

春分の日もすぎ、春の日差しがまぶしい季節になってきました。

仙台では、まだ先ですが、東京ではもう桜の季節のようです。

 

この季節は、卒業や転勤等別れの季節でもあります。

 

縁あって出会い、ひと時を一緒に過ごした親しい人と離れてしまうのはとても寂しいことですが、一緒に過ごした体験は、自分の心に残り続ける永遠のものですよね。

 

 

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「最後の説教」

 

さて3月19日、上の子の小学校の卒業式がありました。

体育館での式が終わり、卒業生たちはクラスに戻ってきました。

そこで最後にクラス担任の先生からのお話がありました。

 

強面で熱血タイプの男性のY先生は、迫力ある声で、子どもたちに向かって言いました。

「説教がいいですか、それとは違う話がいいですか」

子どもたちが、違う話がいいと言う間もなく、「はい、説教がいいですね」とY先生は笑顔で言いました。

 

そして子どもたちの顔を見渡しながら「最後の説教」をはじめました。

 

いいですか。

先生はこの1年間、みんなに本気で、全力でということを何回も言ってきた。厳しく言ってきた。

みんなは、これから、いろいろな困ったこと、困難なことにぶちあたると思う。

そのときどうするか。

全力で勇気をもって立ち向かうか。逃げるのか。

 

逃げたくなることもあるだろう。

失敗を恐れて逃げたくなるだろう。

でも逃げるとどうなるか。

一度逃げてしまうとと逃げ癖がつきます。

ずっと逃げてしまうことになる。

 

だから逃げるな。やってみること。本気で全力でやってみること。立ち向かうこと。

そうするとどうなるか。

 

まず失敗します。いいんです。失敗してもいいのです。

一度や二度の失敗はするものなのです。失敗から学べばいいのです。

 

ただし、失敗をまわりのせいにはするな。

自分自身に原因があったのだと真正面から受け止めろ。

受けとめたときから、成功への前進がはじまるのだ。

 

ただ、これからの人生。

どうにもならない時もあるだろう。追い込まれる時がきっとくる。

その時は、立ち止まっていい。休んだっていい。

そして、そういう時こそ、親に話をしなさい。親を頼りなさい。

 

みんながどんなに悪態ついても、どれだけ生意気になっても

親は、みんなが赤ん坊のころ、ハイハイしながら抱きついてきたときの喜びは忘れない。

 

だから、みんなのために家族のために働いているのだ。

みんなが経験したことのない修羅場をくぐって今まで生きてきたんだ。

みんなが逆立ちしたってかないっこない経験があるんだ。

親ってすごいんだぞ。

 

面と向かって話してみなさい。

真剣な答えが、必ず帰ってくるから。

 

それでも、どうしようもないければ、先生を頼ってくれ。

先生でよければ、話を聞くから。いつでも力になるから。

 

みんなには一番の味方がいる親がいる。そして、仲間がいる。先生もいる。

だから、あきらめるんじゃない。

もうだめだと思うんじゃない。

自分の人生を終わりにしようだなんて思うんじゃない。

 

みんななら大丈夫だ。

自信を持って中学校へ行け!

 

先生のこと、忘れるくらいに、毎日を真剣に生きろ。自分の人生を精一杯生きろ。

そうして、先生のことは、忘れるのがいいと思っている。

それが先生の喜びであり、それが先生というものなんだと先生は思っている。

 

 

だから・・・

 

 

だから、先生というものは、寂しいのです・・・。

 

 

・・・・

 

これから、みんなと会う機会はぐっと少なくなる。

いや、ほとんどないだろう。

しかし、先生は、みんなのことを、いつでもどこでも応援していようと思う。

 

 

卒業おめでとう。

 

先生は、みんなに出会えて本当によかった。

 

この一年間、本当にありがとう。

 

 

(おしまい)

 

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ジーンと心に響く「最後の説教」でした。

先生は、子どもの心に素敵な種を植え付けてくれました。

 

そして、大人の私も、逃げないで立ち向かう人生を選択しなければ、とそう思うのでした。

 

先生、この一年間、本当にありがとうございました!

 

 

それでは、また。

 

あなたが幸せでありますように。

 

 

※関連のお話です。

 

真正面から問題に取り組む

平成25年3月3日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

今日は、桃の節句、ひなまつりですね。

 

私の家では、ガラスケース入りのひな人形を飾っていますが、「震災のとき、片付けていてよかったね」と妻が言っていました。もし3月11日までに片付けていなかったら、きっとガラスが割れて壊れていたことでしょう。

 

早いもので、あの時からもうすぐ2年なのですね・・・。

 

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信頼していた誰かに裏切られる、人格を否定する言動をされた…。

普通「許せない!」と思いますよね。「仕返しをしてやる」と思うかも知れません。

確かにそれはある程度は仕方がないことです。よほどひどいことなのでしょう、でも・・・

 

何度も何度も、そんな相手のことを考えてしまうことは、もったいないことです。

思い出すたびに嫌な気持ちになりますし、今の大切な時間とエネルギーを使ってしまいます。

 

出来事と自分の感情、行動の選択にはスペースがあります。

出来事=不幸という訳ではありません。

 

出来事に対する反応もまた人それぞれで、自分に選択が委ねられています。

そして辛い出来事を何度も何度も思い出して何度も辛い気持ちになる人もいれば、早く立ち直って前向きに生きる方もおられます。さらにそれを成長の糧にされる方もいらっしゃいます。

 

辛い過去、理不尽なことをされた過去とどう向き合えばいいのでしょうか。

 

「明けない夜はない」(石井希尚著・ディズカヴァー)で石井さんはこうおっしゃっています。

 

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過去のことは水に流すしかないし、許してあげるしかない。

過去は、それがいやなことであっても、乗り越えて、前に進むしかない。

 

過去は絶対に変わらない。変わらない過去について、いくら考えても絶対に何も変わらない。

「どうして!」「なんで!」といくら言っても、何も変わらない。

それどころか、言えば言うほど、怒りややり場のない感情に支配されて、自分をむしばみ、自分にとってメリットは何ひとつない。

 

過去の傷をなかなか手放せない、許してあげられない人、常に相手がしたことばかりを考えている人は、過去を思い出し、過去について考えることを楽しんでいるのだ。

 

楽しんでいなければ、やめなさい。

やめられないのは、楽しいからだ。それを捨てるのがいやなのだ。

相手の過失を考えつづけて、それを言い続けたい。

 

ほんとうにいやなら、やめられるはずだ。

いやなことに時間を取られるのは、それこそいやではないか。

いやなことを意識しつづけるのは、ばかばかしいではないか。

 

あなたが、相手の行為を思い出すたびに抱く否定的感情を、そのまま放任しておくと、それは、あなたのなかで、確実に悪意となって育っていく。

 

あなたに危害を加えたその人が不幸になることを考えたら、きっとあなたはうれしいはずだ。

その人の人生で何か問題が起これば、自業自得だと思うだろう。

「ざまあみろ!」と思うのだ。「自分にこんなことをしたから罰が当たったんだ!」と思うかも知れない。

相手の不幸は、あなたの喜びだ。これを悪意と言わずしてなんだろうか。

あなたは悪意と親しくしていることになるのだ。

 ・・・

感情はコントロールできる。

あなたが選ばなければ、怒りの感情は出てこないのだ。

 

(「明けない夜はない」石井希尚著・ディズカヴァーより)

 

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 辛い思いをしている人に「過去について考えていることを楽しんでいる」「悪意と親しくしている」だなんて、キツいですね。

 

「喝!」といった叱咤系のお話で、私自身、とても痛かったのですが、冷静に考えるとそのとおりだと思います。

 

確かに、いつまでも忘れられない傷や怒りを持つのなら、よほど相手の行為は酷いものだったのでしょう。

もちろん必要があればきちんと法的な責任はとってもらいましょう。

 

でも、そんな相手のために、何度も辛いことを思い出して、今の自分を不幸にしなくてもいいのですよね。

そんな相手のために、今の自分を不幸にするなんてもったいないことです。

 

過去は過ぎ去りました。過去はどこにもありません。

辛い過去にしがみついて生きることも、今を生きることも自分の自由なのです。

 

今を生きることを選んでもいいのですよ。

過去を思い出すのは、楽しい思い出や未来への教訓を得るためだけにしておけるといいですね。

 

それでは、また。

 

あなたが幸せでありますように。

 

 

※関連のお話です。

 

昨日はどこにもありません

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雪が少し残っている庭の片すみに、スノードロップ(待雪草)が顔を出しました。

スノードロップを見ると春が近づいて来ていることを感じます。

スノードロップの花言葉は「希望」。


今は寒くて辛くても、もうすぐ暖かい春がやってくる。だから「希望」を捨てないで・・・

 

ということなのでしょうね。

言葉が私を導いていく

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 平成25年2月25日(月)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

言葉が人を導くことがあります。

 

「あなたは、優しい子だ」と言われた子どもは、優しい子に育ちます。

「あなたは、ダメな子だ」と言われ続けた子はダメだと思い込むでしょう。

 

大人でもそうなのだろうと思います。

 

「お前はダメな奴だ」と言われ続ければダメになります。

「君は素晴らしい人だ」と言われ続けると輝いていくことでしょう。

 

あなたは○○な人だ

そういわれていると本当に○○になっていきます。

 

優しい人だと言われ続けた人は、優しくなっていく

温かい人だと言われ続けた人は、ますます温かくなっていく

 

だから、あなたの近くにいる大切な人には、そうなって欲しいという温かい言葉をかけるといいですね。

 

あなたは優しい子

あなたは素晴らしい

あなたは素敵です

あなたは温かい人です・・・

 

そう伝えていくと、その人はますますあなたにとってそういう人になることでしょう。

 

それから、なりたい自分があるのならば、自分自身に対しても、照れずに「私は○○な人なんだ」と言い聞かせるといいのかなと思います。

 

私は優しい人です

私は素晴らしい人です

私は温かい人です

私は誠実な人です

 

ハイ、とっても恥ずかしいですね(笑)

 

でも、その恥ずかしさを乗り越えて、自分に優しい言葉をかけるのがポイントだと思いますよ。

 

ほとんどの方は「私って、ダメだなあ」とつい言い聞かせてしまって、「私は素晴らしい!」だなんて言葉を自分に言いきかせることはないかと思いますが、ここは、ためしに言い聞かせてみてくださいね。

 

素敵な言葉が、あなたの大切な人を、あなた自身を素敵な方向へ導いていきます。

 

 

それでは、また。

 

あなたやあなたの大切な人が、素敵な言葉から、素敵な方向へ導かれますように!

 

 

※関連のお話です。

 

あなたの○○が素晴らしい!

お母さんのお弁当

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平成25年2月17日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

先日、調停の仕事をしているときに弁護士の仕事をしながら子育てをされた女性のS先生とお話する機会がありました。お子さんは現在大学生。

 

私が、先生に「子育てで一番大変な時期はいつでしたか?」とたずねるとS先生は、「高校生の時でした。毎朝お弁当を作るのが大変でした」と答えてくれました。

 

私は、「小学校に入る前かな」と想像したので、「へえ~そうなんだ」と思いました。

確かに、毎朝のお弁当作りというのは、大変なことですよね。それも、仕事をしながらだとなおさらでしょう。

 

そんなことから浮かんだ物語です。

 

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「お母さんのお弁当」

 

 

「お母さん、今日のお弁当のたけのこ、まずかったよ!」

高校2年になる理沙は、家に帰るなり、不満を母親の佐代子にぶつけた。

 

「しょっぱすぎて、食べられなかった。部活のときお腹がすくからちゃんと食べられるものを入れてよね!」

理沙は母親の佐代子に向かってさらに文句を続けた。

 

理沙が、私立高校に入ってから、佐代子は、理沙のために、毎朝お弁当を作っていた。

 

佐代子も、家のローン返済や子どもたちの学費のために、フルタイムのパートに出かけていた。

だから弁当は、毎朝5時に起きて、朝の支度とあわせて作っていた。

 

佐代子は、少し悲しそうな顔をして

「そうだったの、ごめんね。お母さんよく味見すればよかったね。つい急いでしまって・・・」と言った。

 

理沙は、佐代子の言葉が終わらないうちに、ぷいと2階の自分の部屋にあがっていった。

 

 

4つ上の兄の啓太が、理沙の部屋をノックした。

 

「理沙、ちょっと入っていいか」

 

「何の用。お兄ちゃん」理沙は、マンガ本を見たままで、啓太を見ないで言った。

 

 「理沙、お弁当のことだけど・・・」

 

そう啓太が言い終わらないうちに、理沙はすぐに言葉をかぶせて 「まったく、まずくって食べられなかった。お母さん、ちゃん作って欲しいよね」と怒って言った。

 

 

「理沙っ!」

啓太は、強い口調で、怒った。

 

優しい兄がこんな大きな声を出すことに驚いて、理沙は、思わず啓太の顔を見た。

 

 

「お母さんな、毎朝、毎朝、朝早く起きてお弁当を作っているんだぞ!それがどんなに大変なことか分からないのか!」

 啓太は、理沙に近づき、理沙が持っているマンガ本を取り上げてさらに続けた。

 

「いつも美味しいお弁当をつくってくれているときは何も言わないで、ちょっと不味かったときだけ、文句をいう。それじゃ、お母さんがあまりに可哀そうじゃないか!」

 

兄がこんな風に怒るのは、滅多にない。

 

理沙は、何も言い返せなくなった。

啓太が怒って部屋を出て行ったあと、理沙は、窓の外を眺めた。

つばめが、雛にエサを与えるために、飛んでいるのが見えた。

 

 

・・・・・

 

 

確かにそうだ。

 

お母さん、毎朝、毎朝、何も文句を言わないで、私のためにお弁当を作ってくれる。

そして、いつもは美味しい。栄養のことも考えているし、私の好きなものを入れてくれる。

 

今日は、確かにまずかった。味付けがおかしかった。

 

でも、お母さんだって失敗することだってあるよね。

 

 

私なんて、いつも失敗ばかりじゃない・・・。

 

それなのに、私、お母さんのたまの失敗に怒ってしまった。

 

そして、いつも私のために黙って毎日、毎日、お弁当を作ってくれるお母さんを責めてしまった・・・。

 

そういえば、誰かが「有り難う」の反対は「当たり前」と言っていたな。

 

 

私、いつの間にか、お母さんがお弁当を作ってくれること、それも美味しいお弁当を作ってくれることを「当たり前だ」と思っていた。そうしてくれることが当然だと思っていた。

 

お母さんへの「ありがとう」の気持ちを忘れてしまっていた。

 

毎日、お弁当をつくってくれること。

それは決して「当たり前」ではなくて「有り難い」ことなんだ。

 

私、お母さんに、なんて酷いことを言っちゃたのだろう・・・。

理沙の脳裏に、先ほどの佐代子の悲しそうな顔が浮かんできた。

 

胸の奥が、後悔の思いで締め付けられた。

 

母親が、小さいときから、お弁当だけでなく、

これまで自分のためにしてくれたことが次々と浮かんできた。

 

お母さん、ごめん・・・・。

 

理沙の目から涙が溢れてぽろぽろと落ちていた。

 

理沙は、母親に手紙を書いた。

 

「 お母さんへ

  さっきはひどいことを言ってごめんなさい。

いつも私のために、毎朝早起きをしておいしいお弁当をつくってくれてありがとう。

理沙 」

 

 

(おしまい)

 

 

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ご飯を作ってくれる人がいるのなら、おりにふれて、「いつも美味しいご飯をありがとう」と伝えられるといいですね。

 

それでは、また。

 

あなたの心が、温まりますように!

バレンタイン恋ものがたり

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「バレンタイン恋ものがたり」

神坪 浩喜

1)

もうすぐバレンタインデーか・・・。

 

岩槻百合子が、お昼のランチを買いにコンビニに入ると、チョコレートのコーナーがきらびやかに飾られていた。

 

事務所の毛利先生からは、気をつかわなくていいよと2年前に言われ、義理チョコをあげることはなくなった。気楽な面もあるが、何も買わないというのも少し寂しい気がする。

 

2月14日がチョコレートを好きな人にあげる日というのならば、今年の百合子はチョコレートをあげたい人がいた。そして、そうすればあの人が喜んでくれることも分かっていた。

 

でも・・・。

 

4年前の23歳の冬、百合子は3年ほど交際した植西と別れた。

植西とは大学のサークルで知り合った。植西は、百合子の3年先輩で、弁護士を目指していた。百合子は、受験勉強でくじけそうになる植西を励ましていた。

 

百合子は、植西と別れたというより一方的に振られたのだ。

植西は、情熱的にアプローチをしてきて「君ほど素敵な人はいない。君が一番好きだ」と何度も言っていた。

植西は、合格する前は優しかったのに、司法試験に合格し、司法修習に入ってから、人が変わって冷たくなった。どこか傲慢になり、百合子はぞんざいに扱われるようになった。

 

それでも、おそらくこの人とこのまま結婚するのだろうとそう思っていた4年前のクリスマスの5日前に植西から「別に好きな人ができた。相手も弁護士なんだ。その人と交際したいから」と突然別れを告げられたのだった。

泣きながらふらふらと夜の道を歩いたあと、橋の上から川を眺めていると、つい吸い込まれそうな気持ちになった。

 

もう二度とあんな気持ちを味わいたくない。

 

百合子はそう思って、それから何人か、交際を申し込んでくれる人がいても断り続けていた。

その中には、いかにも自分に自信ありげな弁護士もいた。

どうせ、最初だけなんだ。

私のことをよく知ると、愛想をつかされてしまうんだ・・・。

 

それに、百合子が自分は結婚できないと思う理由が他にもあった。

百合子自身の身の回りに、植西と別れてから、不運が続いていた。百合子の実家は、盛岡でわんこそば屋をやっていたが、近くに大手そば屋のチェーン店ができて、お客がめっきり減ってしまい、経営が苦しくなった。

さらに、叔父の会社が倒産し、父が連帯保証人になっていたため、多額の借金を抱えてしまっていた。妹のすみれを大学にいかせるお金はなかったが、百合子は、自分が大学に行かせてもらったこともあり、自分が働いたお金を仕送りしてもすみれを大学に行かせたかった。

 

百合子は、両親に「毎月5万円を仕送りするから」と誓った。

これまで育ててもらい、大学にも行かせてもらったのだ。今度はお父さんやお母さん、妹を自分が支えなければ。

父親は「百合子、お父さんが不甲斐ないばかりに、本当にごめんな」と申し訳なさそうに言った。

そんな父親の様子を見るのも辛かった。

 

毛利法律事務所の給料は恵まれてはいたが、それでも毎月5万円の仕送りをすると、自分の生活は切りつめなければならなかった。

私の家庭の事情については、毛利先生を含め誰にも話をしていない。

 

こんな借金を背負っている家庭の娘といったい誰が結婚してくれるというのだろう。

 そう百合子は、思った。

 

一人で強く生きていくしかない。

今、実は社会保険労務士の試験の勉強をしている。仕事が終わった後の勉強は眠たくなってしまうが、がんばって何とか来年合格したい。

 

恋なんてしている場合じゃない。

 

ところが、3か月前の11月に、そんな決心と裏腹に、心が動き出した。

 

 2)

 

弁護士の武知泰介が、毛利事務所に頻繁に来るようになった。

現住建造物放火の裁判員裁判で、毛利と武知で、共同で弁護することになり、そのうち合わせが、毛利事務所で頻繁に行われることになった。

被告は、「自分はやっていない、人違いだ」と容疑を否認しているらしく、毛利先生は「これは大変な事件だ」とよく言っていた。

 

武知は、弁護士になって5年目の34歳で、この事件以前にも、何度か事務所や弁護士会館等で見かけたことはあった。最近、独立をしたとの挨拶状をみかけた。

 

お客や弁護士に対しては丁寧な態度をとる一方で、事務員相手には、ぞんざいな対応をとる弁護士も中にいるのだが、武知はいつも丁寧に挨拶をして、笑顔を向けてくれた。

 

毛利先生が武知先生と共同で、裁判員裁判をやると知ったとき、百合子は嬉しかった。

会議のときに、お茶を出すことが楽しみだった。武知はいつも百合子に優しい笑顔を向けて「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言ってくれる。

 

3回目の会議のときのこと。

百合子が、お茶を出したとき、毛利が、前のうち合わせが長引いて会議室に入ってくるのが遅れたことがあった。

 

武知がお茶を一口飲んだあと話しかけてきた。

「いつも思うのですが、岩槻さんの淹れてくれたお茶って美味しいですね。

うちの事務所で出すお茶よりも美味しいです。ありがとうございます!」

 

百合子は、話しかけられて、胸がどきんとした。

「八女のお茶なのですが、武知先生にそうおっしゃっていただけて、とても嬉しいです」

耳が少し赤くなってしまったのを気づかれただろうかと百合子は慌てた。

 

「あっ、八女茶なのですね。母も八女茶が好きでよくいれています。八女茶は確かに美味しいですよね。でもこのお茶には、岩槻さんの心がこもっている、だから美味しいのだと、そんな気がします」と武知は嬉しそうに言った。

 

毛利先生の前の打ち合わせは長引いているようだ。

毛利先生が来ないことをよいことに、百合子は武知といろいろと世間話をしてしまった。

武知は、嬉しそうに刑事事件に情熱を燃やしていること、毛利先生を尊敬していること、それから犬が好きでいつか飼いたいと思っていることを話した。

 

百合子も、緊張しながらも、心が開いていくようで、気がつけばいろいろと自分のことを話していた。お茶が好きなこと、好きな食べもののこと、ねこも犬も好きなこと・・・。

もっとも実家の借金のことは話さなかった。

 

いつのまにか百合子は、毛利先生のスケジュールを見て、次に武知がやってくる日をチェックするようになった。武知とたわいもない会話をすることが、楽しみになっていた。

 

百合子は、武知と何気ない会話をするたびに、武知にひかれていった。

どこか大きく包んでくれる優しさを感じていた。

 

もう恋なんてしない、そんな暇はない、一人で強く生きていくのだとそう理性で言いきかせても、

心は裏腹に、武知に吸い込まれていった。

好きになってはいけない、後が辛いだけだ、虚しくなるだけだとそう思っても、いつしか心は走り出していた。

 

「武知先生には、彼女がいるのかな。やはり植西さんと同じように相手も弁護士なのだろうか」

百合子が裁判所に書類を提出しに行ったとき、ロビーで武知が桐嶋佳織弁護士と仲よく話しているのを見かけた。

「女性の私の目から見ても、桐嶋先生は、とてもきれいで素敵な人だ。凜として、知的なオーラが出ている。武知先生には、あんな人がお似合いだ」

切なく沈んでいく気持ちを見つめて、こんなにも武知のことを思うようになったことに百合子は愕然とするのだった。

 

早く、裁判員裁判が終わればいいのに。

武知先生が、もうこの事務所に来なければいいのに。

忘れてしまえば楽なのに。

 

いいえ、会いたい、たわいのない話をしたい。ただそれだけでいい・・・。

 

矛盾する思いに、胸が引き裂かれそうになる。

 

裁判員裁判の公判は2月上旬に予定されている。

武知は、裁判員裁判のことで頭がいっぱいのはずだった。そう百合子は思っていた。

ところが、1月26日に、そうでないことを知った。

 

3)

26日のうち合わせが終わり、毛利が席を立った後、岩槻が緊張した様子で百合子に言った。

「今日のお茶も美味しかったです。ありがとうございます。・・・・あの、岩槻さん、裁判員裁判が終わったら、夕御飯をご一緒してくれませんか」

 

「え!」百合子は、驚いた。

もっと驚いたことはすぐに自分が「はい!」と笑顔で答えてしまったことだ。

 

武知は「本当ですか!うれしいです!」と素直に喜んでいた。

 

こんなことがあっていいのだろうかと百合子の心は弾んだ。

でも、その先のことを考えると、胸の奥が締め付けられるような気がした。

 

裁判員裁判が終わった。

結果は、無罪の主張は認められず、結果は有罪だった。毛利先生も武知先生も酷くがっかりしていた。手応えはあったし、裁判自体はうまくいったと思ったが、僅差の評決で負けたのだろうと毛利先生は言っていた。

控訴審でがんばる、ひっくり返すと、武知先生も力強く言っていた。そんな武知先生も素敵だと百合子は思った。

 

食事の日は、2月14日になった。

武知先生が、14日はどうでしょうと少し緊張した様子で聞いてきた。

百合子は少しためらったが、予定はなかったので受けた。

14日だなんて、先生に彼女はいないのだろうか、そんなことを考えて嬉しい気持ちになっていた。

 

チョコレートはどうしよう。

普通なら、義理チョコでも渡すところだろう。

しかし百合子は渡すのであれば、好きな気持ちを込めたものを渡したかった。

そうでなければ、むしろ渡さない方がよいと思った。

 

それは武知に対して、好きでないという訳ではない。

その反対で、武知のことが、もうすでに大好きになっていたからだった。

 

武知先生は、きっと喜んでくれる。嬉しそうに受け取ってくれるだろう。

でも、その笑顔を見てしまうと、私は、ますます好きになってしまう。

どうせ叶わぬ恋ならば、傷は浅い方がいい。

憧れだけに留めて、素敵な思い出にしてしまった方がいい。

武知先生が、私や私の実家のことを知って、私を嫌いになる前に、先生から離れてしまうのがいい。

武知先生だけには、失望されたくない。嫌われたくない・・・。

 

百合子は、灯りを消した自宅の暗い部屋の中で、そう言いきかせた。

 

だから、チョコレートは贈らない・・・。

 

14日だけの楽しい思い出をつくろうと百合子は心に決めた。

 

4)

 

「どうしてこんなに好きになったのだろう」

 

武知は自分の気持ちに狼狽していた。百合子さんが笑顔で出してくれた温かいお茶。

いつも温かな笑顔がふんわりと心を和ませてくれる。

でしゃばることなく、大切にしてくれることが伝わってくる。

彼女と話をしていると、つい安心して自分のいろいろなことを話してしまう。

 

そして、僕は、彼女が、辛い思いをしながら、がんばっていることを知ってしまった。

百合子さんの叔父さんの会社の破産管財人をやって、百合子さんのお父さんが連帯保証人になっていたこと、百合子さんが、ご両親や妹さんのために仕送りをしていることを叔父さんから聞いたのだ。

 

そんな辛い思いをしながら、笑顔でまわりを明るくする女性。

こんな女性とずっと一緒に過ごせたらどんなに幸せなことだろう。

そして、そんな辛い思いをしている彼女を、僕が少しでも支えてあげられたら・・・。

 

1月26日に思い切って、食事に誘ってみた。

OKといってくれた。とても嬉しかった。14日にしたのは、彼女の気持ちを確かめたかったから。もし、チョコレートをもらえたなら、きっと百合子さんも僕にことを悪くは思っていないのだろう。もちろん、義理チョコなのかも知れないが、それはそれでいい。

そこから、3月14日にお礼ができてつながるから。う~ん、どんなお礼をしようかな。

まだチョコレートをもらっていないのに、先走って考える自分がおかしかった。

 

もし、もらえなかったなら、彼女の優しさから1度だけ、食事につきあってくれたのだろう。

優しい人だから、僕のことを好きでなくても、傷つけないようにしてくれたのだ。

そのときは、好きな気持ちは、彼女に伝えずに心の底に留めておくつもりだ。

今、実家のことで辛い思いをしている彼女に、僕自身が重荷になりたくないから・・・。

 

5)

 

14日の夜は、雪が降っていた。うっすらと歩道に積もった街灯に照らされて、静かに光っていた。

 

イタリア料理のレストランを出て、二人並んで、雪の歩道を歩いていた。

夢のような楽しい時間だった。2時間はあっという間に過ぎ去った。

百合子は、このまま時間が止まってしまえばいいのにと思った。

 

今日が最初で、最後。あなたとこうして会うのは今日限り。

素敵な思い出にしてしまうために。

 

百合子は、武知の瞳をしばらくみつめて、心の中で、そうつぶやいた。

 

「百合子さん、今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」としばらく黙っていた武知が言った。

そして、少し間をおいて、ためらいがちに何かを言いたそうにした。

ただ、百合子の瞳を見つめるだけだった。その瞳が百合子には潤んでいるように見えた。

 

百合子は、もし武知から「また会って欲しい」と言われたら、きっとまた「はい」と答えるだろうと思った。

しかし、武知は、黙ったままだった。

百合子は「会って欲しいと言わないで」と思いつつ「どうして言ってくれないの」と武知の瞳を見つめてそう思った。

 

そして、百合子は武知と静かに別れた。

 

雪がうっすらと積もった道をうつむきながら歩いた。

信号で立ち止まって、ビルの上を見上げると十六夜の月が高くのぼっているのが見えた。

 

これでよかったのだ。

素敵な思い出にしてしまうのだ。

素敵なあの人に、私はふさわしくない。私は、あの人を好きになってはいけないのだから。

これ以上好きになると、私自身、後が辛いだけだ。

忘れよう、忘れてしまおう・・・。

 

月を見上げて、上を向いているはずなのに、涙がとめどなく溢れてこぼれ落ちていった。 

 

 

・・・・・・

 

 

「百合子さーん!」

 

後ろから、大きな声がした。

振り返ってみると、武知だった。百合子はあわてて涙をふいて、武知がくるのを見た。

 

「すみません!お渡しするものを忘れてしまって・・・。あの、これ、よかったら、美味しいですからのんで見て下さい」

武知は、よもぎ色の紙袋を差し出した。

 

受け取って中を見ると、八女茶が入っていた。

「実家で大切な人に贈り物をするときの八女茶です。百合子さんが淹れるときっととても美味しいと思います」

 先ほどまでにあんなに泣いていたのに、私、どうしたのだろう。

笑顔が自然とこぼれてきた。

私が、お茶を入れる。そのお茶をこの人が美味しそうにのんでくれる。

そんな映像が、百合子の脳裏にふっと浮かんだ。

 

武知は、まっすぐな目で百合子を見つめ言葉を続けた。

「そして、僕は、百合子さんが淹れてくれたお茶を、百合子さんのそばで、ずっと飲めたらなら幸せです」

 

百合子はせっかく笑顔になったのに、また涙が溢れでてきて困ってしまった。

百合子は、涙を見られないようにうつむき「ありがとう」と肯いた。

 

 

(おしまい)

お母さんの図画工作

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平成25年2月3日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

早いもので、節分になりましたね。明日は立春。

日の出の時間が早くなり、日の入りの時間は遅くなってきました。

 

まだまだ寒いのですが、太陽の光の強さが、春が近づいていることを感じさせます。

 

 

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さて、青森県十和田市に住んでいる友人が、保育園から「寝相アート」という宿題を出されたそうです。

大きな桜の花びらを作って、赤ちゃんの上にちりばめて写真をとったとのこと。

 

そのお話から湧いて出てきた小さな物語です。よろしければお付き合いください。

 

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「お母さんの図画工作」

 

 

さあ、いよいよ初めての一人暮らしだ。

 

蘭子は、東京の第一志望の美術大学に無事合格することができ、慌ただしく引越の準備をしていた。

蘭子は青森の八戸に生まれ育ち、この町が好きだった。でも東京の大学で美術を学びたかった。

 

蘭子が東京の大学に行きたいと言ったとき、お父さんもお母さんも、とても心配そうな顔をした。

蘭子も両親と離れて暮らすことに、不安はあったが、どうしても東京の美大に行きたくて、両親を説得したのだ。

 

東京のアパートに持って行くものをチェックしていたら、アルバムから1枚の写真がでてきた。

 

「わ~かわいい!」

 

蘭子は思わず声が出た。

それは私が赤ちゃんの頃の自分の写真だった。

 

お布団の上に、にこにことご機嫌の私。子ぐまのプリントがあるスタイ。クリーム色のカバーオール。

 

小さい頃は「お父さん似だね」って言われたらしいけど、中学生になったころからは、お母さんに似ているってよく人に言われる。

それは蘭子にとって嬉しい褒め言葉だった。

 

画用紙で切ってつくった大きなさくらの花びらがお布団にちりばめられていた。

 

さくらが満開だ。お母さんいったいどんな気持ちで図画工作をしたのだろう。

想像してみるとおかしくなった。

 

写真のそばにお母さんの手書きのメモがあった。

 

『 2013年1月

保育園の宿題で「寝相アート」というものが出された。

本当は、ネクタイを頭にまいて、缶ビールを近くにおいて「花見で酔っぱらうサラリーマン風」を目指したが、パパにダメだしをされて諦めた。』

 

 

まったく、お母さんってお茶目だなあ。

私は思わず笑ってしまった。

 

そしてお母さんは、続けてこう書いていた。

 

大好きな蘭子。

こうして健やかに笑っている蘭子を見ているだけで、お母さんはとても幸せです。

蘭子が大きくなって、この写真を見て喜んでくれたら嬉しいな。

 

・・・・・

 

 

胸の奥がきゅんとした。

 

お母さん・・・。

 

蘭子は、その写真とメモを両手で胸におさえつけて、しばらくそのまま動けなくなってしまった。

小刻みに蘭子の肩は震えていた。

 

こんなにもお母さん、私のこと愛してくれていたんだね。大切に思ってくれていたんだね。

 

 

ありがとう。お母さん・・・。

  

(おしまい)

 

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あなたが赤ちゃんのころ、お母さんは、どのような眼差しで、あなたを見てくれていたのでしょうか。

 

 

きっと、とても温かな優しい眼差しで、見てくれていたのだと思います。

 

あなたのことを、とても愛しく見ていたことでしょう。

 

かわいくて、かわいくて、かわいくて・・・。

 

 

※関連のお話です。

 

「ちいさな あなた」の目から

 

 

 

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 1月22日に、1月10日の清滝小に続いて、白石市立福岡小学校に法教育出前授業に行ってきました。

小学5年生45名を対象に、「商店街の自転車問題を考える」というルール作りの授業を行いました。

小5対象授業は初めてでしたが、一緒に授業をしてくれたT先生のおかげもあって、生徒さんよく考え発言してくれて、楽しく授業をすることができましたよ。

 

弁護士にとっても、法的なものの見方や考え方を子ども達に分かりやすく伝えようとするのは、よい勉強になると思っています。それになにより楽しいです。

 

学校関係の方、お呼びしていただければ、喜んで伺います。

どうぞよろしくお願いいたします!

 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

地震で賃借物件が壊れたときに

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平成25年1月26日(土)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

昨日、災害委員会の行事で、この冬に仙台弁護士会に入会された新人弁護士さん達に、震災関連でよく聞かれる相談例についてお話をさせていただきました。

 

多くの新人弁護士さんが、弁護士として、被災者の方の役に立ちたいと志をもっていて、大変頼もしく感じました。

 

がんばってください!(私もですが)

 

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私は、学習会で賃貸借問題について次のようにお話しました。

 

震災では、多くの建物が壊れました。その中には、賃借(賃貸)物件もたくさんあります。

 

賃借物件が壊れたとき、賃貸借契約はどのようになるのでしょうか?

修繕費用を大家に要求できるの?

賃料は負けてもらえるの?

大家から立ち退いて欲しいと言われたけれど、立ち退かなければいけないの?

敷金はどうなるの・・・・

 

いろいろな問題が出てきます。

 

このような問題がどうなるかは、修繕が可能かどうか、建物が滅失したと評価できるかどうかに、大きく関わってきます。

 

Ⅰ 修繕不可能、建物滅失と評価できる場合

賃貸借契約は「終了」となります。

その結果、

①貸主としては

・修繕する必要はなくなります。

・敷金は、原状回復の必要がなくなるので、全額返還することになります(ただし賃料滞納分等はのぞく)

・敷金について、不可抗力の場合に返還しない特約があっても無効で、全額返還しなければなりません。

 

②借主としては

・立ち退き、明け渡しが必要になります。

・滅失以後の賃料を支払う必要はありません。

 

Ⅱ 修繕可能でかつ過大な修繕費用がかからない場合

賃貸借契約は「継続」します。

その結果

①貸主としては

・修繕する必要があります。

※この場合、修繕費用を借主に負担させる旨の特約があったとしても、原則としてなお修繕費用は貸主の負担です。

小修繕であり、かつ修繕費用負担を借主に求めるかわりに賃料や敷金を低額に設定している場合に限ってかかる特約が有効になります。

・修繕のための一時退去を借主に求めることができます。

 

②借主としては

・修繕を貸主に要求できます。

・賃料を引き続き支払う必要があります。

ただし、修繕まで、使用収益できない割合に応じて賃料が減額されます。 使用収益と賃料は対価関係に立つからです。

もっとも、使用収益できない割合の判断は難しいので、貸主とよく協議して、金額を決めてください。

・修繕のための一時退去中の賃料は支払う必要はありませんが、仮住まいの費用や引っ越し費用を貸主に請求することはできません。

  

以上のとおり、修繕不可能・建物滅失とされるのか、修繕可能・建物存続と評価されるのかで、その後の対応が異なってきます。ですから、修繕不可能なのか、そうでないのかを見極めることが重要です。

 

貸主としては、建物が壊れたので、修繕をすることなく、借主に立ち退いて欲しいと思い、他方で借主は、貸主にきちんと修繕して欲しいと思って、対立することもよくあります。

 

そして、津波で、建物が丸ごと流されてしまった場合等には、はっきりと、修繕不可能、建物滅失と分かりますが、大きく損壊しているが、修繕しようと思えば費用はかかるが修繕できそうにも思えるという微妙なケースもあります。

 

修繕不可能か、可能か、建物が滅失しているのかそうでないのかについては、

・物理的な建物の損壊状況-建物の損壊写真、り災証明における損壊認定、地震保険における損壊認定

及び

・経済的な建物損壊状況-修繕費にどれくらいかかるのか修繕費の見積(建物の資産価値との比較)

を確認することになります。

 

もっとも、はっきりと修繕不可能か可能かが割り切れない場合、当事者として納得できない場合もあるでしょう。

 

先の例で、貸主は、滅失-立ち退きを希望し、借主は、修繕-契約継続を希望していました。

このような場合、貸主において、借主に立ち退いてもらうために立退料を支払うことを提案したり、借主として、貸主に修繕してもらうために、修繕費用の一部を自らが負担する提案をしたりして、自らの希望を相手に受けいれてもらうよう交渉することも考えられます。

 

訴訟のような一刀両断的な解決ではなく、話し合いを通じた柔軟な対応が好ましく、調停やADRになじむ事案ですね。

 

損壊の程度だけではなく、貸主、借主のさまざまな事情も考慮して、

将来に向けて、どのような解決がよいのかを柔軟に考えていくのが大切だと思います。

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

※関連のお話です。

被災者のみなさんから多く寄せられる相談例
(震災相談Q&A)

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平成25年1月20日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

さて、知的で聡明な人って素敵ですよね。

知的で聡明な人は、単に知識量が豊富ということではなく、ポイントを捉え、話が論理的ですっと頭に入ってくる感じですし、こちらの話もきちんと受け取ってくれて、話していて心地がよいものです。

 

知識が豊富であっても、どこか本質的なところがずれていたり、話が論理的でないと、知的で聡明な印象は受けません。

 

人と温かなつながりを持つためにも、より知的で聡明な人、論理的な思考ができ、論理的な話ができる人に私はなりたいなと思います。

 

ところで、そもそも「論理的」ってどういうことなのでしょうか。

 

「なぜか成果が出てしまう人」の習慣術(土井哲・髙木進吾著 東洋経済)では、次のように「論理」を説明しています。

 

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論理力とは 「物事の関係を捉え、正しく考える力」です。

 

物事の関係とは、結論と根拠の関係だけではなく、原因と結果の関係、全体と部分の関係、相手の主張と自分の主張との関係など、様々なパターンの関係があります。

 

これらの関係がしっかりした話をしていれば、「この人の話は論理的だ」と捉えてもらえて、納得感も高まります。

 

論理的ではないというのは、話の内容に、モレ(入るべき内容が網羅的に示されていない)、矛盾(両立しない内容になっている)、飛躍(内容と内容の距離が遠い)があるといった関係がしっかりしていない場合です。

 

では、関係をしっかりさせるためにどうすればいいのでしょうか。

 

その効果的なツールとして 「空・雨・傘」があります。

「空・雨・傘」は「事実、意味合い、打ち手」という3要素のコンビネーションです。

 

「①空が曇っている(事実)→②雨が降りそうだ(事実から何が言えるかの意味合い)→③傘を持って出かけよう(打ち手)」

 

つまり、事実に基づく根拠やそこから導き出された意味合いが示されて結論が述べられていると、話が論理的でわかりやすく、納得感も高まるということです。

「なぜか成果が出てしまう人」の習慣術より

 

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論理は、関係がしっかりしていること、議論の中では、主張と根拠との関係がしっかりしていることを意味します。

 

そのために、主張(意見)、根拠(事実)、事実からの推論をおさえることが重要です。

 

ですから、論理力をつけるためには、

①相手の話から、主張、根拠事実を取り出す。主張と根拠のつながりを考える

②自分が話をするときは、主張と根拠を伝える。主張と根拠のつながりを考える。

ことが基本中の基本なのですね。

 

すなわち、

「主張は何だろう?」

「その根拠は何だろう?」

「主張と根拠はちゃんとつながっているのかな?」

この問いかけを、意識的に行って検証し答えをだすことで、論理的な思考が導かれるのです。

 

少し例をあげましょう。

 

先日行った法教育出前授業では、商店街の自転車乗り入れ全面禁止にするか否かについて、生徒さんに話し合ってもらいました。

 

Aさんはこう訴えます。

「私は、今回、通学途中の高校生に自転車でぶつけられて骨折をし、とてもつらい思いをしました。

これは商店街の中で自転車が走っているのがいけないのです。商店街に自転車が走っていると、これからも不安でたまりません。

安全のために、商店街内の自転車乗り入れを全面禁止にしてください。」

 

この中で、①主張②根拠事実③推論を抽出するとどうなるでしょうか。

 

①Aさんの主張は何でしょうか?

→「商店街内の自転車乗り入れを全面禁止にしてください」というものですね。

 

②では、その根拠事実は何でしょうか?

→それは、Aさんが、商店街内で走っていた自転車にぶつけられて、ケガ(骨折)をしたという事実です。

 

③そして、その事実から

「自転車が商店街内を走るとまた誰かがぶつけられてケガするかもしれない」という推論を立てて、安全のために自転車乗り入れを全面禁止にすべきという主張につながるわけです。

 

この例では、主張と根拠事実とは、つながっています。

 

では次の例はどうでしょうか?

 

例1)「A君は足が速い。なぜならA君は陸上部だからだ。」

 

主張-A君は足が速い

根拠-A君は陸上部だ

推論(根拠事実からの推論)-陸上部なら足が速いのだろう

 

陸上部であれば、通常、足が速い人なのだろうという推測が働きますので、つながっていると言えます。

 

では同じような例ですが、これはどうでしょう?

 

例2) 「A君は足が速い。なぜならA君は茶道部だからだ。」

主張-A君は足が速い

根拠-A君は茶道部だ

 

しかし、茶道部から足が速いだろうとはつながりませんよね。

主張と根拠事実とがつながらず、論理的ではない(論理に飛躍がある)ことになります。

 

主張には理由が伴わなければなりません。相手と対立する主張を言う場合には特にそうです。

理由は、通常、「根拠となる事実」と「事実から主張が導かれるという推論」を要素としています。

つまり、その根拠事実は主張と関係のあるものでなければならないのです。

 

主張が説得力を持っていることは、理由がしっかりしていること、それはすなわち根拠となる事実から主張へのつながりが「強い」場合です。

 

以下の例の場合、根拠事実と主張へのつながりは「強い」といえるでしょうか?

 

例3)「XはYの財布を盗んだ。なぜならXはYの財布を持っていたからだ」

 

 

主張-XがYの財布を盗んだ

根拠-XがYの財布を持っていたこと

推論-XがYの財布を持っていたのなら、XがYの財布を盗んだからだろう

「XがYの財布を持っていた」という事実から、必ず「XがYの財布を盗んだ」ということが導かれるでしょうか?

その例外はないでしょうか?

 

ここで、例外が考えられないというのであれば、根拠と主張のつながりは強く、その主張に説得力が与えられます。

しかし、例外がいろいろと見つかるようであれば、根拠と主張のつながりはまだ弱くて、他の根拠事実で主張を支える必要があります。

 

XがYの財布を持っている事実には、Xが落ちてあったYの財布を拾った可能性やXが別の誰かからYの財布をもらったり、買ったりした可能性も考えられます。

 

そのような例外の可能性も考えながら、「つながりの強さ」を見ていくわけです。

 

以上、論理的な人になるための基礎である

①主張、②根拠事実、③推論(根拠と主張のつながり)についてのお話をしました。

 

この考え方は、相手の話を理解しようとするときや自分の伝えたいことを相手に伝えようとするときに、便利で効果的な考え方ですから、ぜひおさえて活用してみてくださいね。

 

多くの人が論理力を身につけて、知的で聡明な人になれますように!

 

※関連のお話です。

 

それは事実かな?意見かな?

 

 

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「空・雨・傘」というのは、ロジカルシンキングでの有名なツールですが、

松下幸之助さんの「雨が降ったら、傘をさす」という有名な言葉は、

生き方の指針として、心にとめておきたいなと思う言葉です。

 

雨が降ったら、傘をさす。

 

雨が降ること、運が悪いこと、起きた出来事を恨まずに、

起きた事実を受けとめて、今、自分ができることをしておこう

起きそうな事実にあらかじめ備えておこう・・・。

 

なかなか難しいことかもしれませんが、そんなふうに生きていきていけたらいいですね。

 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

お父さん、ずっと見守っていてくれた

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平成25年1月19日(土)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

今週は雪の多い一週間でした。

雪かきもやりましたよ。妻の半分くらいは(笑)。

 

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さて、ある友人のお話をもとに、私の想像をブレンドして物語をつくってみました。

よろしければ、お付き合いください。

 

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「お父さん、ずっと見守っていてくれた」

 

 

「こんなのじゃダメだ!もう一度やり直し!」

 

今日もまた課長に怒鳴られた。

「私、本当はこの仕事、向いていないのかな」

新卒で生命保険会社に就職して3年目になる木村美咲は、昼間の出来事を思い出し、

布団の中で天井を見ながらつぶやいた。

 

父が亡くなって2年が経った。

それでも美咲の母親は、父親が使っていた靴やかばんを処分することができずにいた。

山が好きだった父親が使っていた登山靴もまだ残っている。

 

あれはいつのことだっただろう。

美咲は、月夜のあかりでぼんやり見える山の風景写真のカレンダーを見ながらそう思った。

 

私が小学6年のころ、お父さんは、はじめて私を山に連れて行ってくれた。

途中から、とてもきつくて、辛くかった。

何でこんな苦しいことをお父さんは好きなんだろうと美咲は思った。

 

途中、美咲がへばって休憩しているとき、父親はこういった。

「美咲、ほら周りを見てごらん。いい眺めだろう。もうずいぶん歩いてきたな。

歩けば歩いただけ新しい道が開けてくる。見える景色も変わってくる。

お父さんな、頂上についたときの眺めも好きだけど、こうして歩く途中の景色も大好きなんだよ」

 

苦しくて、余裕はなかったけれど、周りの景色を眺めていると、爽やかな風が優しく

頬をなでて気持ちがよかった。

 

あんなに元気で強そうだったお父さん、どうして私やお母さんをおいて、逝ってしまったの。

お父さん、どうしてもっと一緒にいてくれなかったの。

どうしてもっと一緒に山に連れて行ってくれなかったの。

ずるいよ。ひどいよ。寂しいよ!

 

お母さん、寂しがるから、心配するから、私がしっかりしていないといけない。

涙は見せられない。強く生きなきゃ。頑張らなきゃ。

仕事が辛くても我慢しなきゃ。我慢しなきゃ・・・。

 

あふれてくる涙を、どうすることもできずに美咲は眠りについた。

 

 

「美咲、美咲・・・」

 

美咲は、遠くから、でもはっきり聞こえる懐かしい声に目が覚めた。

 

「お父さん、お父さんなの!」

 

美咲は声がきこえる方向に目をこらした。

そこには、月の光に照らされている父親の姿があった。

 

温かい手がのびてきて、美咲の涙が流れた頬を包んだ。

「ごめんな、美咲。辛い思いをさせてしまって、本当にごめんな」

 

「ううん。お父さん、戻ってきてくれたの」

美咲は首を振りながら手のぬくもりを感じてそういった。

 

「美咲。美咲は優しい子だから、我慢していろいろなことを抱え込んでしまったことだろう。

でもな、辛いときは、辛いといっていいんだよ。泣いてもいいんだよ。誰かに助けてを求めてもいいんだよ・・・。

お父さん、何もできないけれど、これからもずっと美咲やお母さんのこと、見守っているからね」

 

「お父さん・・・」

美咲は父親の温かい手に大粒の涙を落としてそういった。

 

「お父さん、心配かけてごめんね。私を励ますために、天国から来てくれたんだよね。でも、もう大丈夫だよ。」

美咲の声は、父親の温かな瞳に吸い込まれていった。

どれだけの時が過ぎたのだろう。涙が流れていたはずなのに、いつのまにか美咲は笑顔になっていた。

 

・・・・

 

美咲は朝、目が覚めると、心がとても軽くなった気がした。

前を向いて歩いて行こう。そして見える景色を楽しもう。

「お母さん、行ってきます!」

美咲がそういって、家を出ようとすると、玄関に昨日まであった父親の靴が消えていた。

 

「よし、今度の連休に、思い切って友だちを誘って山に登ってみようかな」

美咲は、昨日とは違う玄関の光景を見て、ふとそう思った。

 

美咲は、雲の晴れ間から差してくる朝の眩しい光を浴びながら、速足で歩いて行った。

 

(おしまい)

 

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お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

あなたのことも誰かが、ずっと見守ってくれているのかもしれません。

 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

 

※関連のお話です。 

 

七五三のおんぶ

転校日の夕焼け空

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平成25年1月12日(土) 

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

1月10日、大崎市立清滝小学校に、法教育出前授業に行ってきました。

45分という短い時間でしたが小学6年生14名の生徒さんと楽しいひと時を過ごすことができました。

子ども達、とても素直で元気で熱心にワーク(ルール作り)に取り組んでくれましたよ。

 

次は1月22日に、白石市の小学校に出前授業に行く予定です。

 

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冬休みが終わり、子ども達の学校も始まりました。転校生もいたそうです。

新しい環境に飛び込んでいくというのは不安なものですよね。そんな転校生のお話をつくりました。

よろしければお付き合いください。

 

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「転校日の夕焼け空」

 

どうしてお父さんは転勤なんかするのだろう。

私は、もう転校なんかしたくない。

 

寒々とした冬の道をうつむき歩きながら萩原多佳子はそう思った。

小学5年の多佳子は転勤族の父親の転勤にともなって、小学校で3度目の転校をした。

 

「いつもごめんな。多佳子」

今朝の父親の申し訳なさそうな顔が、頭に浮かぶ。

 

今日は、新しい学校の最初の登校日だった。以前通っていた小学校には2年ほどいた。

ようやく慣れて、仲のよい友達もできたというのに

どうしてまた転校なんだろう・・・。

 

先生に連れられて教室に入り、みんなが私を「こいつなんだろう」という目で見た。

私が自分の名前をやっとのことで言うと誰かがクスクスと笑った気がした。

恥ずかしくて、どこを見たらいいのか分からなかった。

 

休み時間はひとりぼっちだった。

多佳子は、自分から誰かに話しかけることができなかった。

友達もすぐにはできなかった。休み時間が嫌だった。

 

学校が終わり、ほっとする。

早く家に帰ろう。家には、お母さんや妹がいるだろう。

妹は私と違って、自分から声をかけることができる。

きっとすぐに新しい友だちができたんだろうな。

 

多佳子が雪がところどころ残っている道をひとりうつむいて歩いていると、後ろから「萩原さ~ん」とはずんだ声がした。

 

声のする方をみると同じクラスの坂本恵美が明るい笑顔でこちらを見ていた。

「萩原さん、家は柳町の方向なの?私も同じなんだ。一緒に帰ろう」

一日だけだが、恵美がクラスの中で明るく目立っていたことはすぐに分かった。

 

そんな恵美がどうして私なんかに声をかけてくるのだろうと、多佳子は思った。

多佳子が、うまく返事をできないでいることはお構いなしに、恵美は多佳子のそばによって並んで歩きだした。

そして、笑顔で、いろいろと話しかけてきた。

 

多佳子は、いつのまにか恵美のペースに載せられて、話をしていた。

気が付いたら、多佳子は恵美のことを「恵美ちゃん」といい、恵美は多佳子のことを「多佳ちゃん」と呼んでいた。

 

粉雪がふわりふわりと降ってきた。

 

空を見上げると、雪雲の向こうに明るい夕焼け空が見えていた。

心の芯がぽかぽかと温かくなった。

 

友だちができて、嬉しいな。

恵美ちゃん、声をかけてくれてありがとう。

 

多佳子は、父親が帰ったら、まっさきに「もう友だちができたんだよ!」と言ってやろうと思った。

 

お父さん、いったいどんな顔をするだろう。

 

「ただいま!」多佳子は元気に自宅の扉を開けた。

(おしまい)

 

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お付き合いいただきありがとうございました。

 

新しい環境に飛び込んでいくというのは、きっと不安なことだと思います。

 

そんな「転校生」や「新入生」に、明るく声をかけられたら素敵ですね。

 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

※関連のお話です。

 

3つの言葉に味付けを

真正面から問題に取り組む

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平成25年1月6日(日)

 

こんばんは。

 

神坪浩喜です。

 

1月も6日となり、明日から出勤して仕事をされる方も多いのでしょうね。

「明日から仕事か~」とちょっと憂うつな気分になっていませんか。

 

仕事ができるということはありがたいことです。

正月明けはちょっと辛いものがありますが、がんばっていきましょう!

 

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以下の文章は、私自身が、うまくいかないことがあったとき、自分自身を励ますために、自分に言いきかせている言葉です。

よろしければ、あなたも、がんばってもうまくいかないときに、こんな言葉を自分にかけてみてくださいね。

もしかすると元気が湧いてくるかも知れません。

 

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「真正面から取り組んでいけ」

 

うまくいくときもあればそうでないときもある。

 

運に見放されることもあるだろう。

 

 

しかし、できるかぎりのことをやることだ。結果をだそうと力を尽くすことだ。

 

問題に真正面から取り込むことだ。

 

それができたのならば、恥じることはない。

かりに結果がでなくても、何ら恥じることはない。

 

恥ずかしいのは、どうせダメだと全力でやらないことだ。

手を抜くことだ。問題から目をそらして逃げることだ。

 

真正面から問題に取り組み、全力を尽くして、結果がでなかったことと

手を抜いて、逃げて結果がでなかったことは、結果がでなかったとしても、決して同じではない。

 

その生き様において雲泥の差がある。

はっきりと異なる。

 

その目に見えない違いが、能力ばかりだけではなく、人としての器も決めていく。

君には、大きく成長してほしい。大きな器の人になってほしい。

 

だから、決して手をぬくな。問題から逃げるな。

どんな問題でも真正面から取りくんでいけ。全力をつくすことだ。

自分ができる限りのことをすることだ。

 

そして、それができたら堂々と誇らしくすればいい。

 

君ならできる。君はとても素晴らしい人なのだから。

 

 

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問題は目をそらしたり、逃げようとすると問題が解決しないばかりか、心理的な負担もふえていきがちです。

 

逆に、真正面からガツンと取り組んでいこうとするならば、意外と解決できたりするものです。

そして、自分に貴重な経験と自信がもたらされます。

 

だから、問題にぶつかったとき、逃げないで、目をそらさないで、真正面から取り組むことが、問題解決にも、心の平穏にも、

そして自分の成長にも大切なことなのですね。

 

もちろん、一人で抱え込まないで誰かの助けを借りることも大切ですよ。

 

真正面から問題に取り組んでいきましょう。

(・・・と私も私に言いきかせています)

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

※関連のお話です。

 ずっと運が悪い人はいませんよ。

2013初日の出-縁あって出会った人を

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平成25年1月2日(水)

 

 

あけましておめでとうございます。

 

神坪浩喜です。

 

平成25年という新しい年がはじまりましたね。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

初日の出の写真です。

光の柱が天にまっすぐとのびていて、これから世を照らしていくのだというような力強さを感じさせます。

 

 

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あやめ法律事務所の年賀状では、毎年スタッフの一言を書いています。

今年は以下のような一言でした。

 

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神坪

いただいたご縁を大切にしたいと思います。

 

塩谷

何か新しいことに挑戦したいです。

 

江坂

感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。

 

安沢

時間を上手に使えるようになりたいです。

 

逢坂

当たり前のことを当たり前にできる人になれるよう

日々努力したいと思います。

 

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前からそうなのですが、最近特に「縁」の不思議さとともに大切さを感じています。

 

人生を充実したものにするためには、縁あって出会った人々と温かなつながりを築けるのかどうかが、大きなポイントだと感じるのです。

 

人と人とのつながりを縁といいますが、人は誰かとつながりあって、生きています。

 

あなたも多くの人々とつながっていますよね。

 

いろいろな縁の形、いろいろなつながりがあります。

 

日頃接する人もいれば、年に1回も会わない人の縁もあります。

一生に一度会うだけの人かも知れません。

 

世に人がたくさんいる中で、また大きな時の流れの中で、このタイミングで、その人と出会ったことは、そこに何かしらの縁があるのだろうと思います。

 

考えてみるととても不思議で、奇跡のようなことに思えてきます。

 

「起きることには意味がある」と私は思っているのですが、その流れで「縁あって出会う人にも意味がある」と思っています。

 

このタイミングで、その人と出会ったのは、きっと何かの意味があると思っています。

 

出会う人には、いろいろな人がいることでしょう。

あなたにとって好きな人、心地よい人もいれば、苦手な人、そうでない人もいるかと思います。

 

ドラマで言えば、悪役、敵役みたいな人も登場するかも知れませんね。

「この人がいなければいいのに!」という人もおられるかも知れません。

 

それでも、自分にとって必要だから、その人は、自分の目の前にあらわれてきたのです。

 

敵役は、何か自分に課題を与えてくれる人とも言えます。

何かを気づかせてくれる存在だったりします。

 

「起きることには意味がある」の他、もう一つの人生の軸が「自分が自分の人生を創る」という考え方です。

 

他人まかせ、運まかせではなく、自分の人生は、自分が舵をにぎること、作っていくということです。

 

人とのつながりの点でいえば、誰かに「つながり」をつくることをまかせてしまって、流されてしまわないということです。

誰かがそう言っているからそうなんだと諦めてしまわずに、自分の頭で考えて、行動するということです。

 

二つの軸「出会う人には意味がある」「自分が自分の人生を創る」をあわせると

「縁あって出会った人と最適なつながりを持てるように、自分の頭で考えて行動する」ということになります。

 

縁あって出会った人の存在を受け入れつつも、適切なつながりを作っていくということです。

 

縁あってその人と出会いました。

 

そこから自分で、その人との適切なつながりを作ることができるのです。

適切な間合いをとってもいいのですよ。

自分で、その人とのつながり方を調整してもいいのですよ。

 

「縁あって出会った人とのつながりを大切にする」

 

というのは、その人の言いなりになったり誰かに依存するということではありません。

そうではなく、自分自身は地に足をつけて、自らの足で立ち、そのうえで、誠実にお互いにとって良い関係を築いていくということです。

 

そういった心地よいつながり、温かなつながりを縁あって出会った人とつくるができたら、とても素晴らしいことです。

 

そういえば、あなたと私も、縁あってこのブログでつながっています。

本当にありがとうございます。

 

私にとって大切にしたいつながりです。

今年もどうぞよろしくお願いいたします!

過去はもう過ぎ去りました

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平成24年12月31日(月)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

今日は、大晦日。

平成24年の暦も今日でおしまいですね。

 

わたわたと大掃除をしながら、昔の書類を見て、いろいろなことがあったよなあ、とつい現実逃避をしてしまっております(汗)。

 

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26日に、ある忘年会がありました。

最後に僭越ながら〆のご挨拶をさせていただきました。

 

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みなさま、今年一年、大変お疲れさまでした!

 

今年一年、辛いこと、大変なこと、悲しいこと、嫌なこと、ストレスがたまること、いろいろなことがあったことと思いますが、

それはもう過去のこと、過ぎ去ったことです。さよならです。

 

ここでリセットしてしまいましょう。

そしてよき新しい年を迎えましょう。

新しい年がよい年でありますように、乾杯です!乾杯!!

 

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という短い挨拶でした。

 

そう、過去のことは、過ぎ去りました。

どんなに辛いこと、悲しいことがあったとしても、それはもう過去のこと。終わったことです。

 

自分の頭の中で、何度も思い出して、辛さや悲しみを繰り返すこともできますが、捨て去ることもできるはずです。

 

この一年間、辛いできごと、理不尽なできごと、悲しい出来事に直面された方もおられるでしょう。

 

そんな辛いことを、なかなか忘れることができずに、

新しい一歩を踏み出せない方もおられるかも知れません。

 

辛かったですよね。悲しかったですよね。

 

 

でも、日が暮れて夜が来ても、また日が昇ります。朝がやってきます。新しい一日が生まれます。

 

地球が太陽のまわりを一周して、新しい一年がはじまります。

 

 

昨日の辛いことは、昨日のこと。今日のことではありません。

昨日はどこにもありません。悲しい昨日はもう過去のこと。

 

今年の悲しいことは、今年のこと。来年はまた新しい年です。

新しい年が始まれば昨年はどこにもありません。

辛かった昨年のことはもう過去のこと。

 

辛い過去はもう過ぎ去りました。さよならです。おさらばです。あばよ!です。

 

ここでリセットしてしまいましょう。

心の窓をあけて、古い空気を流し、胸いっぱいに新しい空気を取り入れましょう。

 

大切な思い出だけを胸にしまって、新しい一歩を踏み出してみましょう。

 

 

来る2013年という新しい年が、あなたにとって素敵な一年になりますように!

 

今年もお世話になりありがとうございました。

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※関連のお話です。

 

昨日はどこにもありません

あの日の約束

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平成24年12月23日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

12月21日は冬至、一年で一番夜が長く昼が短い日でした。

これから少しずつでも着実に昼の長さが長くなっていくのですね。

 

今、運が悪いと感じている人も、必ずいつかはよくなっていきますよ。

 

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司法修習65期の方は二回試験の発表が終わり、弁護士登録をされている方もおられるようです。

 

東北大学無料法律相談所の後輩で弁護士のTさんが、旦那さんが弁護士登録されたことにあわせて入籍されたそうです。

 

そのお話から、私の想像をアレンジしてお話を作りました。

よろしければ、お付き合いください。

 

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「あの日の約束」

 

 

「おめでとうございます」

区役所の窓口の人が笑顔でそう言ってくれた。

今、僕たちは、婚姻届を出し、晴れて夫婦になったのだった。

僕たちは、二人が弁護士になってから同じ苗字になろうと決めていた。

 

大学1年生のころ、法律相談サークルで僕たちは出会った。

お互いに弁護士になろう、そして結婚しようと、一緒に勉強をした。

 

彼女は、明るく元気いっぱいで、いつも僕を明るく励ましてくれた。

 

二人、同じロースクールに進み、司法試験合格を目指した。

 

一緒に合格するはずだった。

今年こそはとのぞんだ年の司法試験。手ごたえはあった。

 

しかし、僕は落ちてしまい、彼女は合格した。

彼女は先に司法修習生となった。

 

 

僕は果たして合格できるのだろうか、大丈夫だろうか。

時にプレッシャーに押しつぶされそうになった。

彼女にあたってしまったこともあった。

 

それでも彼女はいつも明るく僕を励ましてくれていた。

「大丈夫だよ。絶対合格できるよ」と僕の合格を信じて待っていてくれた。

 

だから僕はがんばることができた。

必ず合格して弁護士になる、そして絶対に君と結婚すると決めたのだ。

 

彼女が合格して一年後、僕は司法試験に合格することができた。

その日、彼女は自分が合格したとき以上に喜んでくれた。

 

一年の司法修習を終え、2回試験に合格し、苦労したけれど無事法律事務所への就職も決めることができた。

弁護士登録をして、僕も弁護士になった。

新しい弁護士バッジが胸で輝いている。

 

そして、今、約束の日を僕たちは迎えている。

「二人とも弁護士になったら結婚しよう」

そう学生のころに誓った未来が今訪れているのだ。

 

新しいスタートラインに僕たちは立つことができたんだ。

 

区役所を出て、二人歩道を並んで歩きながら、「弁護士になって結婚しよう」と約束した日のことを思い出していた。

 

これまで長い道のりだったね。

二人、この日をめざして支えあってがんばってきたんだよね。

ありがとう。これからもよろしくね。

 

君の明るい笑顔を眺めながら僕はそうつぶやいた。

 

冬の冷たい風の中、温かな日差しが優しく僕たちを包んでいた。

 

 

(おしまい)

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Tさんご夫婦のお話は、私自身が妻の支えで司法試験に何とか合格できたこともあって、とても嬉しかったです。

 

おめでとうございます!

お二人とも末永くお幸せに!

 

 

※関連のお話です。

 

居酒屋結婚式

 

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冬至の一日遅れの22日、妻が夕食の一品として「かぼちゃのいとこ煮」(かぼちゃと小豆を煮たもの)を作ってくれました。

「何で従弟(いとこ)なんだろう?」と妻に尋ねると「似たものどうしだからかじゃない」と言います。

 

私が「でも、かぼちゃに似たものといえば『イモ、栗、かぼちゃ』でイモと栗ではないの」と反論しますと、妻はそれらは似すぎて『兄弟煮』になるのではと申します。

 

なるほど・・って本当にそうなの(笑)!

微妙に似ているから「いとこ」ですかね??

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

先生は私のこと、わかってくれた。

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平成24年12月16日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

気が付けばクリスマスまで一週間、今年も残り二週間となりました。

 

忘年会シーズンですね。

この一年の嫌なことは忘れて、いい思い出は心に刻み、縁あって出会った方、お世話になった方に感謝したいと思います。

 

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さて、法教育に関心をもっていただいたある高校の先生とお話をして、学力の高い生徒が、授業のレベルが低すぎて、授業を聞かずに、他の生徒にちょっかいを出してしまう、せっかく能力が高いのに、自分はダメな生徒だと思い込んで勉強する機会を逸し、伸びずに終わってしまうという「ふきこぼれ」問題があるというお話をうかがいました。

 

それをもとにしたお話(フィクション)です。

よろしければお付き合いください。

 

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「先生は私のこと、わかってくれた」

 

私の名前は、牧村美穂、高校で社会科の教師をしている。

地方の女子高校を出て、国立大に進み、出身の高校で12年教壇にたってきた。

 

私が担任をしているクラスの三田真希が、授業中、隣の生徒にちょっかいを出したり、保健室に行ったりして、授業を聞こうとしないとある教科の先生から話を聞いた。

 

そこで私は、母親と真希を学校に呼び出してこういった。

「真希さんは、よくできる子ですね。既にわかっていることを授業でやっていて退屈なのだろうと思います。授業は、わからない生徒にも配慮してやっていかなければなりませんので、真希さんには優しすぎるのでしょう。申し訳ないと思っています。こちらの本をお貸ししますので、真希さん、これで勉強してみたらいかがでしょう。質問はいつでも受けますし、問題の添削はやりますから」

 

真希の母親は、そう言われたことに驚いて

「今回もまた、娘は落ち着きのないダメな子と言われると思っていたのに、そんなふうに言ってもらえるなんて・・・はじめてです」と嬉しそうに言った。

 

真希は、私の顔を不思議そうな目でみていた。

そしてしばらくするとその目から涙があふれ出してきた。

 

私は、真希のような子の気持ちは分かる。

なぜなら、昔の私がまさに今の真希だったから・・・。

 

私が地方の女子高に入って、まもなく私は「授業を聞かない問題児」と周りの人からレッテルを貼られていた。

 

学校の授業がつまらない。面白くない。

そんなことはもうわかっている。

こんな授業をきくために、この高校に来たわけではないのに。

やはり通学1時間半かけても街の進学校に行けばよかったのかな・・・。

 

高校一年の夏まで、私は、こんなことを繰り返し思ってイライラしていた。

 

あまりにつまらない授業を聞くことが嫌で、今日もまたつまらない授業と思えば、「先生、保健室へ行きます」とさっさと手をあげ、先生が返事を返す前に、私は席を立って教室の外へ歩いていた。

 

高校に入れば、本格的な勉強ができる、歯ごたえのある授業を受けられる、そう期待していたのに、学校の先生は、落ちこぼれをつくらないように、学力の低い生徒に授業レベルをあわせていた。

先生たちの気持ちはわかる。落ちこぼれないようにすることも大切なことだろう。

でも、私は、もっとしっかりした授業をききたかった。

なのに、何なんだろうこのつまらない授業は!

 

「落ちこぼれ」ではなく「噴きこぼれ」

この学校に私の居場所はないのかな・・・。

 

「今日もまたか」と保健室へうつむき向かうときに、そう思って思わず泣きそうになった。

 

そんなとき、社会の田辺先生が声をかけてきた。

身体も声も大きく、曲がったことは決して容赦しない、生徒からも保護者からも怖がられている先生だ。

 

田辺先生は、私に一冊の分厚い本を差し出してこういった。

 

「おい牧村、この本をあげるから、自分で勉強してみないか。質問があればいつでも来ていいから。おまえには、授業はやさしすぎてつまらないだろう。先生、お前に申し訳ないと思っている。授業のペースにあわせる必要はない。自分のペースで、どんどん勉強していけばいい。おまえにはそれができる。環境に負けずにがんばってみろ」

 

「田辺先生・・・。」

 

その後、私は何もいえなくなって、本を受け取り、黙ってうなずいて、しばらくうつむいていた。

 

先ほどのやりきれない涙が、「私のことをわかってくれる人がいた」ことのうれし涙になって、あふれて止まらなかった。

 

それから、私は、自分で本を読んで勉強し、分からないところがあれば、田辺先生に聞くようになった。先生は、私の質問に真正面からこたえて、さらに新しい課題を出してくれたりした。勉強することがとても楽しくなった。

 

「そうか、勉強はやろうと思えば、自分でできるのだ、やりたい勉強を思い切りやってもいいんだ」

 

そのことを知って、私は嬉しかった。

そして、この学ぶことの楽しさを誰かに伝えたいとそう思うようになった。

 

私の中で、教師になりたいという夢が芽生え膨らんでいった。

 

私が、縁あって出会った生徒にとって「先生は自分のことをわかってくれる」

そう思ってもらえる教師になりたいとそう思ったのだった。

 

あのときの、田辺先生のように・・・。

 

今、目の前で、涙をふいている真希を見ながら、私は田辺先生のことを遠く思いだしていた。

 

  (おしまい)

===============================

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縁あって出会った方々に「自分のこと、わかってくれたんだ」とそう思ってもらえるようになれたら素敵ですよね。

 

私も、そうありたいです。

 

 

※関連のお話です。

 自己肯定感と法教育

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

私は、日弁連の市民のための法教育員会に所属しているのですが、その企画として、来年の3月16日に、小学校中学校の先生方を対象に、法教育教員セミナーを行う予定です。

法教育に関心のある学校の先生方といい出会いがあるといいなと思います。

 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

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こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

朝起きて窓の外を眺めると、外は真っ白な雪景色でした。

本格的な冬の到来ですね。

 

雪が降っても、マリは元気に散歩していますよ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

さて、信頼されていた誰かに裏切られたとき、大きなストレスを感じますよね。

 

「あいつだけは、決して許せない!」と強い感情が起きることでしょう。

 

あんなに目をかけていた部下に、裏切られた

がんばっていたのに、上司から捨て駒にさせられた

信じていた知人から頼まれ、お金を貸したのに、踏み倒された

信じていた夫が、家を出て行った・・・。

 

認知科学者の苫米地さんは「あいつだけは許せない!」といった怒りの感情への対処法について次のようなことを言っています。

 

=================================

 

あなたが社長で、目をかけていた社員に会社の金を横領されたとしましょう。

そのときに、一つ上の抽象度のゲシュタルト(バラバラのものを統合してひとまとまりの状態にしたもの)

をつくるには「こいつ許せない!」と相手に向かってカッとなるのではなく、まず「あ、自分のせいかもしれない」と自分のほうに向き直ることです。

 

そして「なぜ、あいつを採用したんだろう?次は、もっと人物をよく見て採用しよう」とそれを防ぐ方法を考える。

 

「あ、自分のせいかもしれない」で始まる内省は、自らを客観的に見て、評価することです。そのときに考えたことは、すべて、前頭前野による評価になるわけです。

 

 (中略)

 

「なぜ、その「嫌だ」が起きたのですか」もしくは「次は、それをどう防げばいいですか?」

「そのいやな感情がなぜ生まれるのか、それはまっとうな感情なのか」

と自分に問いかけ前頭前野を働かせ、その体験を評価するのです。

 

面白いもので、イヤな体験を評価し、前頭前野を働かせることを繰り返していると、「許せない!」「嫌だ!」という情動がものの見事に鎮まっていきます。

  

(「イヤな気持ち」を消す技術 苫米地英人著 フォレスト出版)

 

==================================

 

怒りや悲しみ、不安といった情動は、脳の中の大脳辺縁系という部位で起こるそうです。

 

他方で、知性を司る前頭前野は、大脳辺縁系という部位より上位層にたち、こちらが優位になると低位にあたる大脳辺縁系の情動は抑えられるとか。

 

なので、怒りや不安といった情動がたちあがろうとしたら、直ちに、前頭前野を働かせて「客観的評価」「論理的な評価」に持ち込むといいそうです。

 

感情は、どうにもならない問題ではなくて、自分の脳の中で起きることだから、自分でコントロールすることができるのです。

 

「許せない」という怒りの無限ループに陥らせずに、知性、理性を発動させて、嫌な情動を抑制することができるのです。

 

「あ、自分のせいかもしれない」

「なぜ、その『嫌だ』が起きたのかな?」

「次はどうすればいいのかな?」

 

今度、嫌な出来事が起きたときに、ちょっとこの言葉を自分に投げかけて見てはいかがでしょう。

 

そうそう、紙に書いて整理してみるともっといいかも知れません。

 

私もちょっと、試してみようと思います。

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

※関連のお話です。

  

ゆるす力-私は今、許せないと感じているのだなあ。

今度は大丈夫、なんとかなる。

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平成24年12月2日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

何かをやろうとするとき、初めてのときは、うまくいくか不安ですよね。

 

さらに、以前やって失敗したことをやるのは、苦手意識が出てきて、心理的なハードルはさらに高くなります。

 

 

「また、失敗したらどうしよう」

「また、失敗するに違いない」

「どうせ、ダメな私・・・。」

 

そんな心の声が聞こえてきて、不安になり心が萎縮します。

 

例えば、初めてのスピーチで緊張で頭が真っ白になって、しどろもどろになってしまったような場合、またスピーチをしなければならないことになったとき、以前の失敗を思い出して、「また、失敗したらどうしよう」と誰しも思うことでしょう。

 

「また失敗したらどうしよう」という思いが強すぎると、また緊張して失敗してしまうものです。

 

「また○○したらどうしよう」と思いながら、なかなかうまくいくことはありません。

 

 

例えば試験に何度も落ちていると

「また、落ちたらどうしよう」「また落ちるに違いない」という声が聞こえてきます。

 

仕事がうまくいかなければ

「また、うまくいかなかったらどうしよう」「きっとまたうまくいかないだろう」

 

好きな人に振られてしまえば

「また、振られたらどうしよう」「また、振られるのだろう」

 

心が萎縮して、頭や体の動きがこわばってしまい、うまく動かすことができません。

 

うまくいくためには、過去の体験から湧き出る恐れから自由になることがポイントです。

 

人は生きているといろいろな体験をします。

 

その経験は、嬉しいこと楽しいこともあれば、辛いこと悲しいこともあります。

成功体験もあれば、失敗体験もあります。

 

信じていた人に裏切られてしまったり、人を傷つけてしまって罪悪感に苦しむこともあるでしょう。

力になりたい人の力になれない自分の不甲斐なさを悔しく思うこともあるでしょう。

がんばって努力しても、なかなか思うような結果が出ないこともあります。

 

そんな悲しい経験、辛い経験が、「また○○になったらどうしよう」と恐れになってしまうと現在や未来まで尾を引いてしまいます。

現在や未来を辛い過去の体験の反復に費やしてしまいます。

 

とても辛いことですよね・・・。

 

あの苦い体験を忘れたいのに忘れられない。何度も何度も頭の中で繰り返してしまう・・・。

 

 

悲しい体験、辛い経験は避けることはできません。

理不尽としかいいようのない体験をすることもあるでしょう。

 

そこで、大切なのは、過去の悲しい経験、辛い経験、失敗経験をどのように受けとめ、向き合うかです。

 

ものの見方、受け止め方を切り換えて、できる限り心のダメージを少なくできるかどうかです。

 

同じような体験をしても、その受け止め方は人それぞれです。

 

酷く落ち込んで何も動けなくなる人もいれば、あまり気にしないで前向きに受けとめて、活動する方もいます。

 

なかなかできることではありませんが、忘れてしまうこと、気にしないこと、さらに現在やこれからに活かすことができたら、最高ですよね。

 

大切な時間やエネルギーを、過去の辛い思い出に費やさずに今このときに使えるといいですよね。

 

 

いったいどうすればいいのでしょうか?

 

 

思考は言葉で行われます。

 

不安は「また失敗したらどうしよう」という言葉から導かれています。

 

ですから、ここは思考パターンを変えるために「言葉の力」を使ってみてはいかがでしょうか。

 

 

「また失敗したらどうしよう」と不安に思ったら「いや、大丈夫、今度はうまくいく」とすかさず言葉をかぶせるのです。

 

「そんなの無理だ」「できない」「わからない」という言葉に「大丈夫」「できる」「なんとかなる」とかぶせていくのです。

 

 ネガティブな言葉は、どんどん湧いて出てくるでしょうが、そのたびにしつこく、「今度は、大丈夫」をかぶせていくのです。

 

 

そのうち「今後は大丈夫、なんとかなる」という気がして前向きな気持ちが優勢になっていくでしょう。

 

言葉の力は、意外とあなどれません。

私は最近、その人が言っている言葉が、その人の人格や人生を形成するといっても過言ではないような気がしています。

 

 

そしてさらに「行動の力」もあわせて使ってみると効果的かなと思います。

 

 

深い呼吸をします。不安なときは、呼吸が浅くなっているからです。

 

笑顔をつくってみます。「イエーイ!」と笑って言えたなら最高です(笑)。

 

下に下がっていた目線は意識的に上に上げます。

 

そして拳を握って、上に上げて「よし!」と言いながら引くと気持ちが明るくなってきますよ。

 

 

過去の経験から、不安な気持ちが湧いてきたら、負けずに「今度は大丈夫、なんとかなる!」等と体を動かして切り換えてみてくださいね。

 

気持ちが少し明るくなったら、勇気を出して新しい一歩を踏み出してみましょう。

 

きっとよくなるはずです。

 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

※関連のお話です。

 

言葉の力を味方に

日の出写真集

平成24年12月2日(日)

  

こんにちは。

神坪浩喜です。

12月に入り、ますます寒くなってきましたね。

毎朝、小犬のマリと散歩をしているのですが、朝焼けや日の出といった素敵な光景に出会うとつい写真を撮ってしまいます。

そんな中からいくつかご紹介しますね。

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10月31日のあかつきです。

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11月2日の日の出です。

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11月3日の朝焼け、もうすぐ日が昇るところです。

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11月5日の朝焼けです。オレンジ色にもえています。

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ちょっと休憩の「もみじとマリ」です。

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11月14日の朝日です。

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11月15日の朝焼けです。 
ほんのり赤く染まっています。

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11月18日の朝日です。

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11月25日の日の出です。小学校の窓ガラス越しに光がさして、幻想的できれいでした。

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11月28日の朝焼けです。
あともう少しで日が昇るところです。

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12月2日、今日の日の出です。
 
寒くなりましたが、空気が澄んできて、日の出もますますキレイになっていくような気がしてきます。
 
お付き合いいただき、ありがとうございました!

日の出写真集

平成24年12月2日(日)

  

こんにちは。

神坪浩喜です。

12月に入り、ますます寒くなってきましたね。

毎朝、小犬のマリと散歩をしているのですが、朝焼けや日の出といった素敵な光景に出会うとつい写真を撮ってしまいます。

そんな中からいくつかご紹介しますね。

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10月31日のあかつきです。

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11月2日の日の出です。

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11月3日の朝焼け、もうすぐ日が昇るところです。

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11月5日の朝焼けです。オレンジ色にもえています。

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ちょっと休憩の「もみじとマリ」です。

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11月14日の朝日です。

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11月15日の朝焼けです。 
ほんのり赤く染まっています。

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11月18日の朝日です。

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11月25日の日の出です。小学校の窓ガラス越しに光がさして、幻想的できれいでした。

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11月28日の朝焼けです。
あともう少しで日が昇るところです。

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12月2日、今日の日の出です。
 
寒くなりましたが、空気が澄んできて、日の出もますますキレイになっていくような気がしてきます。
 
お付き合いいただき、ありがとうございました!

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平成25年1月1日から、家事審判法に変わって家事事件手続法が施行されました。

家事事件の手続が新しくなったです。どのように変わったのか、Q&A形式で主なポイントをお話いたします。

 

 

Q1: 家事審判手続法とは何を定めた法律なの?いつから施行されたの?

A1: 家事事件手続法とは、家事事件の手続を定める法律で、平成25年1月1日から施行されました。

 

家事事件は、夫婦間の紛争や成年後見など家庭に関する事件のことをいい、家事審判に関する事件と家事調停に関する事件に分かれます。

審判は、裁判官が、両当事者の言い分や様々な資料に基づいて判断し決定する手続です。

調停は、裁判官1人と調停委員2人以上で構成される調停委員会が、当事者双方から言い分を十分に聴きながら、話し合いを行う手続です。

 

家事事件手続法は、平成25年1月1日から施行され、平成25年1月1日以降に申し立てられた家事事件が適用になります。

  

Q2: どうして家事事件手続法が制定されたの?

A2: 家事事件の手続を国民にとって利用しやすく、現代社会にマッチした内容とするためです。

 

昭和23年1月から施行された家事審判法を廃止して、あらたな手続を定めたものが家事事件手続法です。家事審判法施行開始より65年を経過して、家族をめぐる状況や国民の法意識は大きく変化しました。現代社会では、当事者が手続に主体的に関わるための機会を保障することが重要になってきました。そこで、家事事件の手続を国民にとって利用しやすく、現代社会に適合した内容とするために、全面的に見直し、新たに家事事件手続法が制定されたのです。

 

Q3: 具体的にどのような点が見直されたの?

A3: 具体的に見直しのポイントは主に次の点です。

・当事者等の手続保障を図るための制度を充実させること

・家事事件の手続を国民にとって、より利用しやすいものとすること

・手続の基本的事項を整備すること

当事者に適正手続保障し、また手続の透明性の確保することによって、当事者に主体的に紛争を解決するという紛争解決意欲を高めてもらうことを目指しています。必要な情報をお互いに認識した上で、自らの判断によって、主体的自律的に紛争解決してもらうことを期待しているといえます。

 

Q4: 家事事件手続法は、家事審判法とどんなところが変わったの?

A4: 重要なところでは、

① 申立書の写しの原則送付

② 審判における当事者からの謄写閲覧請求は原則許可

③ 陳述の聴取が必要的になったこと

④ 子どもなど審判の結果により影響を受ける者の手続保障がなされたこと

⑤ 電話会議テレビ会議システム利用の手続を認めたことです。

 

従前は、感情的なものに配慮して、裁判所、調停委員会の方で後見的に情報統制を行っているような感じでしたが、 新しい手続は、情報の透明性を確保し、当事者が必要な情報にアクセスできるようにし、また情報発信がしやすいようにした上で、当事者による自律的な紛争解決を促すものと言えます。

 

① 申立書の写しの原則送付

原則として、申立書は相手方に送付されることになりました(法256条1項本文)。

家事審判法下では、相手方が感情的にならないように、申立書の写しを送るとはされておらず、運用にまかされていましたが、現代社会においては、自分自身の紛争に関する情報について入手できることが重要であり、また事前に検討して自分の言い分などを準備することができることから、原則送付としたのです。

ただし例外として「家事調停の手続の円滑な進行を妨げるおそれがあると認められるとき」(256条1項但し書き)例えば申立書を相手方にそのまま見せてしまうと、申立人と相手方との間の感情のもつれが一層激しくなって、手続の円滑な進行に支障をきたすおそれがある場合は、申立書の送付はいたしません。

② 記録の閲覧謄写

審判と調停では扱いが異なります。

○審判

当事者からの請求は原則許可するものとしました(法47条3項)。

ただし、事件に関係する人のプライバシー等に配慮して、例外として一定の場合には不許可とすることができるとして、不許可とされる場合を明確に規定しました。

不許可とされる場合は以下の4つです。

ⅰ 事件の関係人である未成年者の利益を害するおそれがあると認められるとき

ⅱ 当事者又は第三者の私生活又は業務の平穏を害するおそれがあると認められるとき

ⅲ 当事者又は第三者の私生活についての重大な秘密が明らかにされることにより、その者が社会生活を営むのに著しい支障を生じ、又はその者の名誉を著しく害するおそれがあると認められるとき

ⅳ 事件の性質、審理の状況、記録の内容等に照らして当該当事者に申立を許可することを不適当とする特別の事情があると認められるとき

○調停

家事審判法と同じく、裁判所が「相当と認めるとき」にだけ記録の閲覧・謄写ができます(法254条3項)

③ 陳述の聴取

相手方のある家事審判事件では、原則として、当事者の陳述(事件についての認識、意見、意向等)を聴取しなければならず、当事者の希望があれば、裁判官が直接陳述を聴く手続によって行わなければならないこととしました。

 

④ 審判の結果により結果を受ける者(子どもなど)の手続保障

・審判の結果により影響を受ける者が手続に参加した場合の権限を明確にし、閲覧謄写等について、当事者と同様の権能を与えることとしました。

・個別の家事審判事件ごとに、審判の結果により影響を受ける者等から陳述を聴かなければならない場合を明記しました。

・特に子どもが影響を受ける事件では、子どもの意思を把握するように努め、これを考慮しなければならないとしました(法65条、258条)。

 

⑤ 電話会議システム

遠隔地に居住しているといった事情でなかなか出頭が厳しいという場合に、電話会議やテレビ会議の方法で調停の手続を行うことができるようになりました(法54条、258条1項)。

ただし、離婚や離縁の調停を成立にあたっては、本人の意思を慎重に確認する必要があることから、電話会議やテレビ会議の方法ではできません。

 

 「民事調停について思うこと」でもお話しましたが、これからは「当事者による自律的な紛争解決」という視点が、重要です。

 「お互いが必要な情報を出しあって、その情報を前提として、これからの紛争解決に向けた提案をお互いが冷静に出しあい、自らで紛争の解決を選びとる」そういったことが、浸透していくといいなと思います。

 

このような考え方は、「自分たちの身の回りに起きる様々な問題について、自律的・主体的に考え、判断し、行動する能力や態度をもった市民を育成する」という法教育のめざすところとリンクしているのですよ。

 

以上、家事事件手続法施行についてのお話でした。 

 

夫婦や子どもの問題でお悩みの方は、お気軽にあやめ事務所(022-779-5431)までご相談ください。

人をほめると自分を好きになる

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平成24年11月17日(土)

  

こんにちは。

神坪です。

  

「出来事の意味は選ぶことができる」について、ある読者の方からとても温かなメールをいただきました。

 

私の言葉を受け取っていただいて、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

 

書いてくれたSさんのOKをいただきましたので、ご紹介いたしますね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

神坪浩喜 先生

 

ご無沙汰しております、以前何度かメールを送らせて頂いた、

栃木県在住のSと申します。

 

すっかりご無沙汰となってしまいましたが、

毎回メルマガを、有難く読ませて頂いております。

 

いつも心に染入る素敵な言葉で溢れていて、

読んで励まされたり、前向きになれています。

 

ありがとうございます。

 

そして、今日のメルマガは、

本当に今必要な言葉で、

思わず読んでいて涙がほろりとしてしまいました。

 

本当に、心に突っかかっていたものが、取り除かれた気がします。

 

 

実は、今日の出来事をこのメールで説明していたのですが、

読み返しましたら、なんと、まぁ、小さなことなのだろうか!と

改めて、事の小ささに気が付きました!

紙ではありませんが、やはり「書く」ということは、内省にも繋がって、

心と頭の整理が出来ますね。

 

先生の「紙に書こう」会と、メルマガのお陰で、

少なくとも、読んでいて気持ちの暗くなるメールを、

先生に送らずに済んで、ホッとしています!

 

 

いつも読み逃げのような形になっていて、

お礼の言葉もお伝えできず、非礼をお許しください。

 

メルマガに、いつも元気を頂いています。

 

先生に直接お返しは出来ませんが、

せめて、私の周囲の人達に、

先生に頂いた「元気」をお分けできるように、

日々、心を込めて、笑顔で、

接していきたいと思っています。

 

 

いつもありがとうございます。

先生、周囲のみなさん、みんな、みんなが幸せでありますように☆

 

心を込めて―

 

S 拝

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

Sさん、本当にありがとうございました!

 

Sさんの他にも、Mさん、Tさん、Yさん他、温かな感想をくれる方々がいてくれて、私は幸せ者です。ありがとうございます!

 

こうして、誰かのことを素直に認めたり、感謝したりすることは、実はなかなかできないものです。

 

 

恥ずかしさや、無視されてしまったときの恐れ、また見栄や嫉妬の ような気持ちが邪魔したりします。
 

人を認めると、どこか自分が負けた気持ちになりそうに感じてしまうこともあります。

素直に認めることができない。

例えば試験に落ちたとき、合格している人を「おめでとう、よかっ たね!」と祝福することができない。それどころか「あいつは単に 運がいいだけだ、いい気になるんじゃないぞ」そんな内なる醜い声 も聞こえてきたりします。そしてそう思ってしまう自分がますます 嫌になっていく。

人が幸せに生きる大切なものとして、自分で自分のことを好きでい られること、自分の存在を肯定できること、すなわち「自己肯定感 」が重要です。

私は、教育の重要な目的は、「自己肯定感」を養うことにあると思 います。自己肯定感があるからこそ、他者と温かなつながりを築く ことができるからです。

自分のことを嫌いでいるとき、自分なんて意味のない存在だと思っ ているとき、他者に向けられる視線はどうしても恐れや支配になっ てしまって、他者とうまく関係を築けなくなってしまいます。

これまで自分のことが嫌いだった人が、自分のことを好きになった ら、きっと人生は好転していくことでしょう。

これまで「自分なんかダメな人間だ」と思っていたとしても、大丈 夫ですよ。
これから、自分のことを好きになればいいのです。そしてそれはで きるのです。

では、自分のことを好きになるためにはどうすればよいのでしょう か?

それは、まずは、ちょっとしたことでもがんばったことや出来たこ と、誰かの役に立ったことについて、自分で自分をよく褒めること です。

「よく、がんばった!」「昨日よりはできるようになった!」「こ うして続けている、自分もなかなかのものだ」「Aさんに感謝され た!役に立っているぞ!」

こんな言葉を自分自身に頻繁にかけてあげるのです。

そして、さらに効果があるのが、自分から誰かを認め、褒めたり、 ありがとうと感謝することです。

それも最初は簡単な「いいね!」「ありがとう!」でいいのです。
「やるね!」「すごいね!」と短い単語でOKです。「素敵だね! 」「素晴らしいね!」というのもいいでしょう。

そうすることによって、自分は人に「いいね!」「ありがとう!」 と言えるのだ、自分って結構いい人なんだという気持ちになってき ます。心にどこか余裕ができてきます。同時に、言った相手からも 「いいね!」や「ありがとう!」が返ってきて、自分についての意 識がますます明るいものになっていくのです。



「結構自分っていい人じゃない」と思えるかどうかは、大きなポイ ントです。「オレってグレイト!」とふんぞり返って高慢になって はいけませんが(笑)、「結構自分っていい人じゃない」と思うこ とは、幸せに生きるためには必要かつ大切なことです。

その方法として、自分ほめと同時に、誰かに「いいね!」「やるね !」とほめることが効果的なのです。人をほめることは、人のため だけではなくて、自分自身を好きになることにつながるのですね。

「人を呪わば穴二つ」という怖い言葉があります。
 

人の不幸を念じてしまうと、自分も不幸になってしまうというもの です。

私は、その言葉のとおりだと思うのですが、そのしくみは、人の不 幸を念じてしまうと、頭の中が憎いその人のことを考えて暗闇で一 杯になることと、そんなことをしてしまう自分のことが大嫌いにな ってしまうからではないでしょうか。

怖いことですよね。

その逆もまた真だと思います。

つまり「人の幸せを願えば、自分も幸せになる」ということです。

それは、人の幸せを願えるそんな自分のことを好きでいられるから です。なかなか難しいことですが、まずは家族や親しい友だちに「 いいね!」をたくさん言ってみるといいでしょう。fbの「いいね !」も活用できます。
そして、縁あって出会った人々に広げていく・・・。

そうすると、きっと自分を好きになって素敵なことが起きそうな気 がいたします。

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それでは、また。
 

あなたが、自分のことをますます好きになり、幸せでありますように!

 

 

※関連のお話です。

 

自己肯定感と法教育

出来事の意味は選ぶことができる

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平成24年11月12日(月)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

最近、アニメ「宇宙兄弟」にはまっています。主人公だけではなく、登場人物のそれぞれの生き方や内面も描いていて面白いです。

それから、「アポ」というパグのワンちゃんが、うちのマリとはタイプは違いますがとても可愛いのです(笑)。

 

オススメです!

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる」

という言葉があります。

 

そのとおりなのですが、変えられない過去であってもその意味は変えることができます。

 

上司に「お前、こんなこともできないのか!」と罵られた。

夫がとても無愛想で馬鹿にしたような態度ばかりとる。

 

その時、心は「許せない」「腹が立つ」

・・・そんな気持ちでいっぱいになります。

許せない、いつか必ず仕返しをしてやると思うかも知れません。

 

そう思って、こちらも無愛想な態度をとったり、攻撃的な言動をしてしまいがちです。

 

でも、実はどのような状況におかれても、いかなる気持ちになるか、どのような態度をとるのかの自由は与えられているのですよね。いつも自分に選択権は与えられているのです。

 

相手がどんな暴言を行ったとしても、「単なる音声」として意味を与えず流してしまうことも可能なのです。

 

例えばフランス語がわからない私が、フランス語で「あなたはバカだ!」と言われても「???」で別に何とも思わないでしょう。

それに、同じように「バカ!」と言われても、深く落ち込み人もいれば、軽く受け流して平気な人だっているものです。受け止め方や反応は、人それぞれです。

 

だから、言葉に意味を与えて、それをどのように取り込むかは、自分自身の中のコントロール領域なのですね。

 

相手の酷い言葉を、言われたときだけではなく、その後も何度も心の中で繰り返して、そのたびにイライラしたり、落ち込んだりすることってありますよね。

そうして落ち込んだり、腹が立ってきたりすることも、実は自分が「選択」していることなのです。

 

自分が選択していることだから、意味を与えない、受けとらずに流してしまうという選択もできるはずです。

極端に言えば「単なる音声」だとしてしまうことだってできるはずです。

 

心ない人の悪意に満ちた言葉を、何度も繰り返して落ち込むことはもったいないことです。

そんな言葉に、時間やエネルギーを費やしてしまうことはもったいないことです。

 

そして、「気にしない」のさらに上のレベルで難易度は高いのですが、どんなときにも、温かな思いやりのある態度をとることだって選択できるのです。酷いことを言ってきている相手に対してさえも、思いやりのある態度で接することもありえます。

 

そしてそのような態度をされたとしたら、相手は驚き、自分の人としての器の小ささを感じるかも知れません。これ以上、意地悪な態度をとることに躊躇する気持ちが芽生えてくるでしょう。

いい状況のとき、幸運なとき、思っているようにものごとがすすんでいるとき、そんなときは、誰しもが機嫌がよく、心にも余裕があって、優しい態度をとることができるものです。

 

難しいのは、つらい状況のとき、大変な状況のとき、ものごとが思い通りにいかないときです。そんな辛いときに、どのような態度をとることができるのか、そこで人としての深み、器の大きさ、真価が問われているともいえます。

 

そんな辛いときも、優しく、明るく、ユーモアを忘れずに笑顔で接することができること、人を喜ばせようとすること、そんな心の構えをもてる人は、とても素敵で素晴らしいですよね。

 

辛い過酷な環境においても心は「自由」です。

出来事の意味を選ぶことができるのです。

自分の人生をコントロールすることができるのです。

 

どんなときも、どのような態度をとるのか、その自由は私に委ねられている、思いやりに満ちた優しい態度をとることができる。

 

誰かが意地悪なことをしても、気にしないでいることができる。

心穏やかに思いやりのある態度で応対することさえもできる・・・。

 

そうなったら素敵で、無敵です。すごいことです。

 

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とはいえ、「バカ!」と言われたら、やはり腹は立ちますし、言い返したくもなります。それが普通です。

ですから、腹を立てたり、落ち込んだりするからと言って、自分を責めないでくださいね。

「単なる音声」として聞き流すことは、なかなかできるものではありません。

 

でもそんな選択もあるということを、あなたには知って欲しいのです。

 

起きた出来事は変えることはできません。

しかし、起きた出来事の解釈、受け取り方は自分次第です。自分でコントロールができるのです。

その事実に気づくかどうかで、人生は大きく変わってきます。

 

受け取り方は自由だと気づいたときにはじめて、自分自身の心が平穏である受け取り方を選ぶこともできるのです。

 

それに気づかずにいると「みんなあの人のせいだ」と思い続けて、大切な時間を費やしてしまうのです。

 

さらに、人を憎んだり、恨んだりするときというのは心に黒雲が立ち込めているのですから、表情や態度もどうしても暗くなってしまって、人との温かなつながりも築きにくくなってしまいます。

 

それはもったいない。実にもったいないことです。

 

このあたりのお話は、今誰かに傷つけられて悩んでおられる方にとってきついお話かも知れません。

ごめんなさいね。

 

でも、こうして縁あって出会ったあなたには、幸せになって欲しいので「自分は過去の出来事の意味を選ぶことができる」 ということに気がついて欲しくてお話させてただきました。

 

この言葉、受けとっていただけると嬉しいです。

 

読んでくださってありがとうございました。

 

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昨日、東北大学無料法律相談所の学生さん達の法律相談のお手伝いに言ったのですが、学生さん達に、少しお話させていただく機会をいただき、法律相談においては、法律的に重要な事実が何かを念頭において事実確認をすることが大切ですよというようなお話をしました。

 

法曹の仕事って、法的に重要な事実を切り取って、それに法的な意味を与えていくという仕事でもあります。

 

「事実認定と法的評価」

 

これがしっかりできるように日々精進しなければならないのでした。

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

 

※関連のお話です。

人生の主役は誰ですか?

ずっと一緒にいたかった-2

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平成24年11月3日(土)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

青森の妻の実家から、美味しそうなりんごがたくさん送られてきました。

二つの種類があって、一つは大きな赤いりんごの「サン北斗」、もう一つは黄色いりんご「星の金貨」。

 

「星の金貨」って素敵なネーミングですね。

 

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今日は11月3日文化の日。

 

私と司法研修所同期のSさんが逝ってから今日で7年がたちました。

一昨年に書いたものですが、今また自分に言いきかせたい気持ちもあって再びお話をさせてください。

 

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「ずっと一緒にいたかった」

 

平成17年10月末、Sさんが事務所で仕事中、突然倒れました。

救急車で病院に運ばれましたが、そのまま意識が戻ることなく約1週間後の11月3日に亡くなりました。

30代前半の若さでした。

 

 

Sさんとは、亡くなるほんの2、3週間ほど前に、同期の飲み会で一緒に飲んだばかりでした。

 

いつもは皆で仲良く飲んでいたのですが、その時は、別の同期の弁護士さんと些細なことで口論となってしまい、

Sさんは、怒ってしまって、席を立ち、店を先に出てしまいました。

 

私も店を出て、あたりを見わたすと、Sさんが少しよろめきながら暗がりの中へ消えていきました。

その背中はどこか陰があり淋しそうでした。

 

それが私がSさんの元気な姿を見た最後でした。

 

Sさんは、職人気質で、まっすぐな方でした。

弁護士の仕事に誇りをもって、事件を一生懸命やっていました。

 

依頼者のためを思って、法的な解決だけではなく依頼者を立ち直らせるために、何時間も話込んでいたそうです。

また時に、依頼者を本気で叱ったりしていました。

 

お通夜の時、Sさんのかつての依頼者の方が駆けつけてきて、いきなりSさんの側で泣き崩れていました。

わんわん泣いて、ボロボロになっていました。

 

その様子を見つめながら、もし私が、死んだら、こんなに泣いてくれる依頼者がいるのだろうかとふと思ったりしました。

 

 

Sさんには、優しい奥様がいました。

奥様の深い悲しみに沈む様子から、Sさんがどれほど奥様を愛し、奥様がどんなにSさんを愛していたかが、痛いほど私の胸に伝わってきました。

 

納棺のとき、奥様が、横たわるSさんの冷たい頬に自分の頬をつけてSさんをぎゅっと抱きしめた様子がとても痛々しかったです。

 

その様子を見て、私は思いました。

 

 

ああ、そうか。

 

人は、必ずいつかは死ぬんだ。

それは、自分も、自分にとって大切な人も例外ではないんだ。

必ず別れの時が来るんだ。

 

そして、それが何時なのか分からないんだ。

Sさんのように突然やってくることもあるんだ。

突然、思いもよらない時に別れがやってくることもあるんだ。

たとえ、どんなに愛する人がいたとしても、どんなにずっと一緒にいたいと願っていたとしても・・・。

 

そんな当たり前のことを思い知らされたのでした。

 

当たり前のことですが、人はいつかその命を終える時を迎えます。

 

そして、それが何時なのかは分かりません。

それは、40年後かも知れないし、20年後かも知れないし、1年後かも知れません。

極端なところ今日、明日という可能性だってあります。

 

平均寿命まで生きられる保障なんてどこにもありません。

 

ついさっきまで元気であっても、体のどこにも具合が悪いところがなくても、予期せず突然寿命がつきることだってあるのです。

 

Sさんも、よもや自分の命がここで終わることなんて思いもしなかったでしょう。

 

大好きな奥様とずっと一緒にいたかったでしょう。

誇りある仕事を続けて、将来こんなことをしたい、こんな弁護士になりたいといろいろと将来に夢をはせていたことでしょう。

 

奥様もよもやこんな日が突然やってくるなんて思いもよらなかったでしょう。

夫婦2人で力をあわせて、素敵な法律事務所をつくっていくと思っていたでしょう。

 

でも、叶わなかった・・・。

 

 

そういえば、事務所には、Sさんがとても可愛がっていたワンちゃんもいましたね。

白くてふさふさの毛で、とても人なつっこい可愛いワンちゃんでした。

 

そのワンちゃん、事務所にもSさんと奥様と一緒に出勤して、依頼者との打ち合わせにも同席していたそうです。

可愛いワンちゃんは、辛い経験をされて傷ついている依頼者の方の心をふんわりと癒していたのでしょうね。

ワンちゃんもSさんと奥様と一緒に仕事をしていたのですよね。

 

ご遺体の側に、Sさんがあちらで寂しがらないようにと可愛がっていたワンちゃんの写真と毛の束がそえられました。

 

 

Sさん・・・

 

大好きな奥さんとワンちゃんとずっと一緒にいたかったんだよね。

ずっとずっと一緒にいたかったんだよね・・・。

 

それなのに運命って酷だよね。

本当に酷いよね・・・。

 

「人は、いつか必ずこの世を去らなければならない」

「そしてそれがいつかは分からない」

 

とても重い現実で、目を背けたくなりますが、目をそむけずに心の奥底に留めておかなければならない現実です。

 

まだまだ時間はいくらでもある、そう思ってしまうと、「いつかそのうち」となってしまって、結局何もできずに人生を終えてしまうことだってあるかも知れません。

そんなことにはなりたくないですよね。

 

 

やりたいことをやっておこう。

自分にとって大切なことを優先的にやっておこう。

自分にとって大切な人を大切にしておこう。

後悔しないように、チャレンジしていこう。

愛をひっこめないでおこう・・・。

 

今日という日を過ごしていることが当たり前と思わずに、毎日を大切に過ごすことができたらいいですね。

 

Sさんは、まだ若く、遺された奥様のことを考えると無念だったと思いますが、その短い人生の中で、精一杯生きられたのではないかと思います。

 

そして、私に大切なことを気がつかせてくれました。

 

 

Sさん、ありがとう。

 

 

(おしまい)

 

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このお話を書いて思い出した詩があります。

 

アメリカのノーマ・コーネット・マレックという女性が、わが子を亡くしたときに書いた「最後だとわかっていたなら」という詩です。

 

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あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど

 

最後だとわかっていたなら

 

一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」とわたしは伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら

わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 

「最後だとわかっていたなら」より(ノーマ コーネット マレック 訳 佐藤睦)

 

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今日という日を大切にして、大切な人に愛を伝えられるといいですね。

 

 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

仮説思考-はやく正しく考えるために

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平成24年10月27日(土)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

秋が深まり、紅葉も進んできました。

日に日に色が変わっていくのがわかります。

 

書店に行くと、来年の手帳やカレンダーがおかれていました。

もうそんな時期なのですね。

 

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以前、「なぜか成果が出てしまう人」の習慣術(土井哲、髙木進吾著 東洋経済新報社)の中の「着眼大局 着手小局」のお話をしました。

 

 

このブログについて、著者の髙木進吾さんから「非常に誠実な形で著書を取り上げていただきとてもうれしかったです」との御礼のメールをいただき、びっくりするとともに嬉しかったです。

 

この本はいろいろと仕事の場面で参考になることが、分かりやすく書かれているのですが今回は、「はやく正しく考える」手段としての「仮説思考」のお話をご紹介したいと思います。

 

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正しいには二つあります。

① 客観的に正しい

② 相手の主観から見て正しい

の二つです。

ビジネスの世界で現実的にめざすのは②の「相手の主観から見て正しい」です。

 

ビジネスの世界では正解が一つということはほとんどありません。正解が一つではない世界で正しいというのは、結局、その人が正しいと思い、納得したからそう判断しているだけなのです。

 

そして、相手が正しさを構成する要素、つまり、その人の持つ知識・情報、判断基準、価値観、興味や関心、損得勘定といったものを適切に理解した上で、相手に正しいと思ってもらう働きかけを行う力が説得力なのです。

 

目指すは「はやく正しく」考えることです。「はやく」 は着手の「早さ」と実行スピードの「速さ」があります。

 

そして「はやく」考えるために必要なのが「仮説思考」、「正しく」考えるために必要なのが「論理思考」です。

 

「仮説思考」とは、端的に言えば、最初に答えから考えるというアプローチです。

 

手持ちの情報、分析、直感、感性、過去の経験などありとあらゆるものを総動員して、「少なくとも今の自分が考える限り、これが最も正しいと言える答え」を相手に示す、言い切る態度のことを言います。

 

そのためには考える姿勢も大事ですが、答えを言い切るという姿勢や自信、ある種の開き直りも必要となります。

 

仮説思考の反対は情報をためこみ、ピカピカの答えがいつか降臨するのを待つ完璧主義の思考です。

 

仮説思考には「情報収集の効率化」と「議論を前進させる」メリットがあります。

情報収集の効率化がはかられるというのは、仮説を立てることで、どういう情報を集めればよいのかあたりをつけることができるのです。他方で完璧主義思考だと、やみくもに情報を集めようとして無駄な作業が増えてしまいます。

仮説思考で、議論を前進させることができます。

完璧主義思考だと、根拠となる情報の有無に気をとられて、意見やアイデアが出しにくいですし、意見の相違点や論点が明確にならず議論が散漫になり、時間ばかりかかってしまいます。

仮説思考だと、お互いの仮設を提示し、ポイントを明確にすることで、建設的な議論ができます。

仮説と検証はワンセットです。仮説はあくまで仮説です。検証が必ず必要です。

 

論点(何について話すか)・主張(自分はどう考えているのか)・根拠(なぜそう考えているのか)をひとまとめにしたお互いの仮設をぶつけあってみて、よさそうだなと思った仮設から情報収集・検証をしていくのです。

 

情報をひたすら蓄えながら、いつか生まれるピカピカの答えを待つより、仮説と検証を繰り返す。

まずは答えを出してみて、検証のための情報を集めて検証し、違う視点を持つメンバーと議論して巻き込みながら精度を高めていく。

 

こういう泥臭いアプローチが、着実に答えの精度を高めていくのです。

 

「なぜか成果が出てしまう人」の習慣術(土井哲、髙木進吾著 東洋経済新報社)

 

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なるほど~。

 

仮説は、あくまで仮説だから、臆することなく提案することができますよね。

まずは今できるところでとりあえずの判断をして、検証してみようということです。

とりあえず今の情報、知識を総動員して、「とりあえずの結論」をだす。あたりをつける。

間違っているかも知れない、検証が必要だとの留保をつけて、「とりあえずの結論」をまず提案するのですね。

ある意味、謙虚さをもって提案するとも言えます。

 

情報をやみくもに集めて、完璧な提案をするよりも、今ある情報を前提として、経験や推理力を働かせて、今この場で提案する。

あくまで仮説で、正しいと決まったわけではないから、思い切って、早く提案できる。

いろいろな仮説の意見が出て、ブラッシュアップされる。その仮説の中から、正しそうなものを選んで検証してみる。

 

だから機動力がでる。勢いがでる。流れがでる。

何がポイントなのか、何が足らないのかも見えてくる。

 

そういうことなのだろうと思います。

 

弁護士や民事調停官の仕事においてもこの仮説思考は役に立ちそうです。今ある情報のもとに「おそらくこうではないだろうか」と考える。

例えば調停の場合、お互いの言い分をよく聞いて情報を集め、真相はおそらくこうではないかとあたりをつける。

他方で、それは、あくまで今ある情報のもとの判断で、間違っているかも知れないと留保をつけて変更可能の余地は残しておく。

 

柔軟性を持ちながら、事案のポイントをおさえてスピーディに進行させていく。

 

ただここで、気をつけなければいけないのは「とりあえずの結論」がいつのまにか正しいと思いこんでしまって、それに沿わない情報が見えなくなったり、今の判断に固執してしまい、検証を怠ってしまうことかなと思います。

 

「仮説はあくまで仮説、それが結論ではない。間違っているかも知れない。仮説は必ず検証して確かめる」

 

そういうことを常に念頭に置きつつ、仮説思考によって、正しくはやくものごとを見極めていけるといいですね。

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

 

 ※関連のお話です。

 

具体的な裏付けはきちんととれているかな?

鏡の物語

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平成24年10月14日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

秋も深まってきましたね。宮城では、いも煮会シーズン真っ盛りです。

青空のもとで食べるいも煮って、本当に美味しいですよね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

さて、自分が「この人、苦手だなあ」と思っていると、鏡のように、相手からもネガティブな感情が返ってくることがよくあります。

そのことについて、ある方から聞いたお話をもとにつくった物語です。よろしければお付き合いください。

 

物語の主人公は「ゆり」という新人女性保育士です。 

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「鏡の物語」

 

 

私が保育士になりたての頃だった。

 

あの頃、無我夢中で仕事に取り組んでいた。

うまくいかないこともあって落ち込むことも多かった。

 

ゆきなちゃんという赤ちゃんが保育園にやってきた。

その子は、私が抱っこするといつもくずって泣いてしまう。

一生懸命あやしても泣きやまない。正直どうすればいいのか困っていた。そんな私の様子を見るに見かねて保育士の先輩の佐藤さんが「ちょっと抱っこさせて」と声をかけてきた。私が佐藤さんにゆきなちゃんを預けると、どういうわけかゆきなちゃんは泣きやむのだった。

 

ああ、私って本当は保育士に向いていないのかなあ・・・と気持ちが沈んだ。

 

その後も、ゆきなちゃんは私が抱っこすると泣いてばかりだった。そんなことを繰り返していると抱っこする前から「また泣くのだろうな」「苦手だな~」という気持ちになる。

 

そして、また泣かれてしまうのだった。「ああ、今日もやっぱり泣かれてしまったか・・・」と落ち込んでいると、佐藤さんが、私に向かって温かい紅茶を差し出して、こう言った。

 

「ゆりさん、ゆきなちゃんを抱っこするとき、あなた『また泣くかな』『苦手だな~』と思っているでしょう。子どもは、自分の心を映す鏡なの。あなたが思っていることは、言葉にしなくても伝わるものなのよ。そして、子どもからあなたと同じような気持ちが返ってくる。

『苦手だな~』というような気持ちで接していると、言わなくても子どもからも『苦手だな~』と返ってくるの。だから、保育士は、そんな気持ちは消してフラットに接することが大切なのよ。そして、最初は無理をしてでも『大好きだよ』『かわいいな~』という気持ちで子どもに接していると、子どもからもいつか同じ温かいものが返ってくるものよ」

 

ふ~ん、そうなんだ。子どもって鏡のように私の心を映してしまうものなんだ・・・。

 

確かにそうなのかも知れない。私が、かわいいなあと思っている子は私に懐いてくれている。

 

私は、それから、ゆきなちゃんを抱っこする前に、「ゆきなちゃん、大好き!」「かわいい!」「抱っこできて嬉しい!」と思って、抱っこするようにした。最初はぎこちなく、ゆきなちゃんは泣くこともあった。でも、そのような気持ちで接し続けていると、次第に本当に私はこの子が好きなんだという気持ちになってきた。

 

すると、ある日、不思議なことが起こった。

あんなに私の腕の中で泣いていたゆきなちゃんが、泣かずに、にこにこ微笑んでいるのだ。

 

私の腕の中で、にこにこ笑ってくれているこの子。

  

その笑顔をしばらく眺めていると、ふいに胸の奥が温かくなって、涙が溢れてきてしまった。

ああ、かわいいなあ・・・。

なんて素敵な笑顔なんだろう。

 

 

ああ、そうなんだ。佐藤さんが言っていた「子どもは自分の心を映す鏡」ということはこういうことなんだ。

 

私は、ゆきなちゃんのことが心の底から大好きになった。

ゆきなちゃんも私のことを大好きになってくれた。

 

 

その後私は結婚し、娘を授かった。

私は、その子の名前に大好きな名前の「ゆきな」と名付けた。

 

(おしまい)

 

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いかがでしたでしょうか。

実話をもとにしたフィクションですが、こんなことってありますよね。

 

私にも経験がありますが「この人、感じ悪いなあ」という気持ちを持っていると、言葉にしなくても相手に伝わって、相手からも「嫌だな~」という感情がはね返ってきます。そして、お互いの関係が気まずくなっていくのですよね。

 

苦手だなと思っても、そんな感情を脇に置いて、フラットにニュートラルに接することが、関係を悪くしないためには大切なことです。(これがなかなか難しいんですけどね!)

 

そして、さらにできることなら、「感じいい人だな~」「この人に会えて嬉しいな~」という温かい気持ちで接することができたなら、鏡のように相手からも「いい人だな」「嬉しいな」という温かいものが鏡のように返ってくるでしょう。

 

大人でも気持ちが鏡のように返ってくるでしょうが、子どもは素直で「鏡の反射率」は高いので、大人が先行して「いい子だな~」という気持ちで接するといいのでしょうね。

 

それでは、また。

あなたが、幸せでありますように!

 

※関連のお話です。

 

心の幸せカップ

3つの言葉に味付けを

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