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日記・コラム

雁のねぐら入り観察会

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平成20年12月3日(水)

皆さん、こんにちは。

昨日もまた夕焼け空がきれいでした。

月と金星、木星の「見かけ上」の位置関係は、1日でも、かなり変わっていました。


さて、私の自宅から、空を見上げてみると雁(かり、がん)や白鳥が列を組んで飛んでいくことを見かけることがあります。
一体どこから来たのだろう。どこへ行くのだろう。そんなことを考えて上を見上げてしばらく眺めたりします。

先の土曜日、大崎市田尻の蕪栗沼に、雁のねぐら入り観察会に参加しました。

朝、夜明け頃に沼から飛び立っていった雁たちが、
夕方日没頃に、また沼に戻ってきます。日中は、沼近辺の田に散らばっているのです。

夜は沼が、雁たちが休む「ねぐら」になるのですね。

「ねぐら」に入る雁は、約5万羽もいるそうです。
 

午後2時50分にIR田尻駅に集合して、案内のバスに乗って沼へ向かいます。

専門のガイドさんが、いろいろと説明してくれます。
雁の種類、大人と子どもの見分け方、落雁について、「雁首(がんくび)をそろえて」の由来などなど。

途中、沼に帰る前の田にいる雁たちを、遠くから望遠鏡や双眼鏡で観察します。

バスをおりて観察ポイントまで、30分程度歩きます。

太陽が沈んで、西の空が、夕焼け空に染まります。とてもきれいでした。

そして、その夕焼け空に雁が舞います。小さな列、大きな列、はぐれてしまった雁・・・
どんどんその数が増えていきました。

あかね空に無数の黒点が動いています。
その鳴き声も、結構な音量になってきました。

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何とも言えない美しくも不思議な光景でした。

空間の一部を切り取った写真では、とても表現できません。

実際に体験した後ならば、その光景の写真を見て、その時に見た感動を思い出すことができますが、体験していないと、写真を見ても、実際にライブでその場にいた感動を体験することは難しいかなと思います。

映像でも言葉でもなかなか表現できない・・・

だから、実際に自分が行って見てみる、体験してみるということが大切なのでしょうね。

実際に少しでも体験してみると、その体験したものの映像をみたり、言葉について、深く味わうことができます。自分の体験と映像や言葉が重なりあって、味わい深くなります。

「雁」に関しては、古(いにしえ)の人々も心を動かされ歌を詠んでいます。

ながつきのその初雁のつかひにも思ふ心は聞え来ぬかも
                                                                        『万葉集』

ゆく蛍 雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ

                                                                           在原業平『伊勢物語』『後撰和歌集』

まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。
                                                                           清少納言 三巻本系『枕草子』

私が実際に見た光景と重ね合わせて、古の人がつむいだ言葉からその感動を想像します。

実際に体験すること、そしてその感動を表現しようとすること。他の人の表現を、想像力を持って味わうこと。

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そんなことのいったりきたりで、日々の暮らしは、味わい深くなっていくのかも知れません。

蕪栗沼ねぐら入り観察会は
今期は、12月21日までの土日に行われています。
午後2時50分JR田尻駅前集合
予約制で電話は0229−38−1401です。詳しくはこちらまで

参加される方は、とても寒いですので、防寒対策はしっかりされてくださいね。

それでは、また。 

自分が見ているのは「見かけ上」のことかも。

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平成20年12月2日(火)

皆さん、こんにちは。

昨日、日が暮れた後、西の空に、三日月と金星、そして木星が綺麗に光っていました。

昨日は「見かけ上」金星と木星が最接近したとか。

金星も木星も「惑星」です。

「惑星」って惑う(まどう)星と書きますよね。

他の星が時間と季節によって、全体として動くのに対して、惑星は、その星の間をうろうろ動いているようにみえます。

ですから、○○座と星座の星になることはできません。うろうろしていますから。

でも、惑うように、うろうろしているように見えるのも、地球上から見た「見かけ上」のことです。

金星も、木星も、地球と同じように、太陽の周りを、規則正しく一定の軌道上を回っています。

金星や木星にしてみれば、「自分は惑ってなんかいないよ!きちんと規則正しく動いているぞ!」

と言いたいところでしょうね。

北の夜空には北斗七星が見えますよね。明るい七つ星。おおぐま座のしっぽの部分で、北極星を探すのにつかったりします。

新しい仙台市天文台の展示室に、北斗七星を「横」からみると?という模型がありました。

地球上からではなく、宇宙に飛び出して、北斗七星を別の角度から見てみるとどんな風に見えるのでしょう。

七つの星は、天球の天井にくっついているわけではありません。地球と星との距離は、7つともバラバラです。調べてみるとある星は79光年、別の星は120光年といろいろでした。

ご想像のとおり、別の角度から見てみると「北斗七星」の形には見えませんでした。

北斗七星のあの形は、あくまで地球から見た「見かけ上」のことなんですね。

自分から見たものが「絶対だ。」「正しいんだ。」「常識なんだ。」と思いこんでいると

実は、それが「見かけ上」のこともあったりします。 

それに気がつかず、自分が見たものがあたかも客観的な真実に間違いないと思いこんでしまうと、他の人の考え方や新しい有効な見方を排除したり、無視したりするおそれがあります。

他の人もまた、その人が立っている立ち位置から見えたもので、あなたに意見を言っているのでしょう。

双方が、同じものを見ながら、「見かけ上」は全く違ったものに捉えられることもあるのですね。

ついつい、私もそうなのですが、人は自分の立った場所から見えたものの見え方によって、それが絶対だと判断してしまいがちですよね。自分から見たものが「絶対正しいんだ。」「常識なんだ。」と思いこんでしまう。

でも、実際のところ、別の見方はいろいろあったりします

判断する際には、あくまで、自分が手にしている情報と自分の価値判断で、判断していることを忘れずにいることが大切かなと思います。

これは、自分なりの判断を下したり、自分の意見を出してはいけないということではありません。まして他の人の意見に迎合した方がいいというのでもありません。

そうではなくて、あくまで自分の判断や意見は、手にした情報と自分の価値判断をトレースして出されたものであり「一つの見方」であることにすぎないという謙虚さを持つことが大切だということです。

謙虚さを持ちつつ、自分が下した判断の判断材料となる情報、根拠とものの見方を示し、相手に話をしていくのです。

相手は、当然には、自分の考え方や気持ちを分かってくれないものですから。

そして、相手もまた、相手が手にした情報と相手の価値判断をトレースして、相手の立場から評価や意見を言っていることを理解する。

「絶対的なもの」「常識」「相手は間違っている」と決めつけないで、あくまで自分も相手も「一つの見方」から、意見を言っていることを忘れないことがポイントです。

こちらが「正義」と思っていると同じように、相手方も自らこそが「正義」と思いこんでいるのかも知れませんよ。

自分は、「何を」見ているのかと「どんな角度」から見ているのだろうか?

別の角度から見ることはできないのか?

そして相手は、「どんな角度」から見ているのか?

想像してみましょう。

地球を飛び出さなければ、実際の北斗七星を別の角度から見ることはできません。

でも、私たちは、想像することによって、別の形になることは予想できます。

人には、想像力が、備わっています。

その想像力は訓練によって鍛えることができます。 

「絶対正しい」と決めつけずに、「別の角度」から見た「別の見かけ」が存在するかも知れないと心に余白を残し、「別の角度」を探す習慣を身につければ、次第に相手の気持ちもわかるかも知れませんね。

そして、お互いにとっていい解決策を見つけることができるかも知れません。 

出発点は、気がつくこと。

自分の見ているものはひょっとしたら「見かけ上」のものかも知れないと謙虚に思うこと

そんな風に思っています。

それでは、また。

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平成20年12月1日(月)

 

皆さん、こんばんは。

 

とうとう12月に入ってしまいました。

1年も残すところ1か月、慌ただしい気持ちになってきます。

 

まだ葉が残る欅並木の枝には、電球が既に取り付けられています。

光のページェントももうすぐですね。

 

前回、前々回と目に見えないものを見ようとすること、相手の声にだせない声を聞こうとすることが大切なのではというお話をしました。

 

でも、これを反転してしまって、「私の言えない声を聞いてよ。」「言わなくても気持ちをわかってよ。」と相手に要求してしまうと問題が出てきます。

 

このような気持ちになるとその後は大抵、相手に対して「私の気持ちを分かってくれない。」と相手を責めたり、「どうせ自分の気持ちなんて分かってくれない」といじけてしまったりと心に波が立ってくるのですね。

 

人の気持ちに共感できること、寄り添うことができるのは素晴らしいのですが、多くの人々は、自分のことで精一杯で、なかなかそれができないのが普通でしょう。

 

できるならば

「私の気持ちを分かって」等と期待しない方がいいと思います。

そして「気持ちが分からないのが普通だ。わかってくれたら有り難い。」と自分の感情のものさしをセットしましょう。

 

実際、もし側に、あなたの気持ちに共感してくれる人が一人でもいるのであれば、とても素晴らしいことなのだと思います。

 

もちろん、自分の気持ちを分かって欲しいことってありますよね。

「分かって欲しい。でも言えない。言うと何か負けたような気がする。どうして分かってくれないの。これくらい分かってくれてもいいじゃない。」なんて鬱々(うつうつ)したりすることってありませんか。

私も、もちろんあります。

 

そして、時には鬱々したエネルギーがたまってしまって、ちょっとしたことがきっかけで、爆発する。相手を強く責めてしまう。責められた相手も、その攻撃に思わず反撃をしてしまう。そして、相互にミサイルが飛び交ってしまう。

怖いですね・・・・

 

もちろん自分を高めていくこと、本や何かで気がついたこと、自分や人のためになること、自分を律していくことはとても素晴らしいことですし、大切なことです。

 

 

ところが、きちんと自らを律することができる人、正しさを追求しようとする人、自らは正しく行動できる人がよく陥りやすいのは、「自分はきちんとしているのに、この人はなぜできないのだろう。」「自分は、こうしているのに、あの人はどうしてそれがわからないのだろう。」と相手を裁いてしまうことです。

 

できる自分を基準にしてみると、いろいろと他人の粗が見えてしまう。

大抵自分の周囲の多くの人は、自分の思うような行動をしてくれませんから、ストレスがたまるのですね。 「正しい人」ほどそのストレス度は高くなりがちになる。

 

そして、イライラしてしまう。「何やってんの!」と心の中で思ってしまう。

相手もそんな自分のイライラを受けて、ますます思うような行動をとってくれません。

 

ある奥さんが旦那さんとのことで悩んでいました。

そんな時、「人を動かすには、思いやりが大切です。」という本を読みました。

その人は夫を思いやろうと努力しました。実際にいろいろとその夫のことを気遣いました。

 

ところが、夫は、なかなか自分に対して思いやる態度で接してくれません。

 

そこで、妻は夫に対して「何であなたは自分勝手なの。私がこんなにあなたのことを考えていろいろしているのに、どうしてあなたには思いやりがないの!」とイライラしてしまいました。

 

「私は、思いやりがあるのに、できているのに、何であなたにはないの!」

 

「思いやりがないあなたは、本当にダメな人!」

と裁くようになってしまいます。

 

そして、夫もそれに反発し、ますます関係が悪くなっていく・・・・ 

悲劇ですね。

「思いやりをもつこと」は確かによいことなのですが、それを押しつけると

かえって問題が起こってしまう・・・

 

 

このような悲劇を防ぐには一体どうしたらよいのでしょうか。

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以前、「人は人、我は我なり。」 というお話をしました。

自分の心の安定のためには、人と比べない、人と自分とを分けて考えてみることが大切なのでは、ということでした。

 

頑張って自分は、学び成長することができました。そうするとその高みから、周囲の人を見てみると、周囲の人の弱みや至らなさも目に入るようになりました。

 

その高みに至った場面で、周囲の人を見て「ダメだなあ。なってないなあ。」と思うのか、それとも「人は人、私は私。人には、それぞれ個性があって、成長のスピードがある。それはそれで仕方がないこと。」と思えることができるかは、大きな分かれ目になってくるのだと思います。

 

「人も自分のように正しくあらねばならない。」と固い気持ちではなく、

「人もこうあって欲しいが、人の成長にはそれぞれのスピードがあって、今は仕方がない。」とおおらかな気持ちでいられると、自分も相手も穏やかな心でいられます。

 

ですから、相手が正しくないとか、未熟だなと思えてしまったときには、人にはそれぞれの個性と成長スピードがあること、その相手の弱さを理解すること、そして自分もかつてはできなかったことを思い出して、高い所から相手を裁いたり、見下したりしないことが大切です。

 

でも、これが実際はなかなか難しくて、「偉くなった人」の中では、周囲の人が、間違いばかりで、なっていないように思え、自分はイライラし、周囲にも嫌われてしまうということに、なりがちです。

 

ですから、自分を高めたり、学ぶ一方で、しっかり謙虚さや周りの人への優しい眼差しを「努力して」持ち続ける必要があるのですね。 

 

それから、第2に大切なことは、相手に「それくらい気づいてよ。」「そんなの分かるのが当然でしょ。」と鬱々としてしまうのではなく、 相手に対してして欲しいことや、相手の気になる行動について自分はこう思っていると「穏やかに」言ってみましょう。

 

できれば相手も自分も機嫌がいいときに、ねちねちと言うのではなく、サクッと気になる事実と自分の気持ち、希望を相手に伝えてみましょう。

 

「○○して欲しいな。」「○○はやめてくれると嬉しい。」と言ってみましょう。

 

例えば、平日は、仕事や飲み会で夜遅くかえって、

休日は、ゴロゴロしたり、自分の趣味ばかりで、家事や育児を全くしないお父さんに対して

 

「子どもたち、お父さんと遊んでほしいんじゃないかな。」 

「土日の休みのうち、1日は子どもたちと遊んで欲しいな。」

 

と責めずに、やることが当然だという感じではなくて、「穏やか」に言ってみてはどうでしょうか。

 

そして、「○○さんの旦那さんは、○○してくれているそうよ。」なんて他の旦那さんと比べることはやめておきましょう。それで旦那さんは奮起するどころか、「どうせ」と意固地になって逆効果になる可能性が大ですから。

 

「言わなくても分かってくれる人」というのは本当にスペシャルな人なのです。

 

自分から、言うのは、何か負けを認めるようで嫌だなと思われるかもしれませんが、そこで思い切って言ってしまえば大抵楽になりますよ。

 

ため込んで、言ってしまうと、どうしても感情的になり、攻撃になってしまうので、ためずに、穏やかに話をした方がよいかと思います。それに、永久にため込めるわけでもなく、いつかは爆発してしまうものですし、爆発する前でも嫌な「ため込みオーラ」がにじみでてしまうので、自分にも相手にもストレスがたまってしまいます。

 

人は、人と喧嘩するよりは仲よくしたい、怒りをぶつけ合うよりは笑いあいたい、憎しみよりは愛情ある関係でいたいという気持ちでは、どの人も共通しているのだと思います。

 

愛情ある関係を築くことが目的であるならば

自分の基準で人にあるべき行動をおしつけたり、責めたりしないこと

相手と摩擦が生じたときに、ためずに、事実と自分の気持ち、希望を「穏やか」に伝えること

それが大切なのではないのかなと思います。

 

今日のお話、実は、少しばかり私の苦い体験をふまえてのものでした。

 

妻に言っています。

「私は鈍感だから、何か気がついたことがあったら、ためこまないで、すぐに言ってね。」

 

それでは、また。

あなたが心が穏やかでありますように。

 

※関連のお話です。

言いたくて、でも言えなくて。

自分コマ、相手コマ

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平成20年11月28日(金)

皆さん、こんにちは。
神坪です。

仙台では今日は一日雨模様です。
冷たい雨が、葉を散らせています。

さて今日は、私が読んで心が温かくなった本の紹介をしたいと思います。

前回の日記で、園長先生が、あいさつができなかった娘のことを気にする私に対して「大丈夫ですよ。心の中では、いつも言っていますから。」とおっしゃってくれたことに感動したというお話をしました。

園長先生が、目に見えるもの、耳に聞こえるものだけでなく、子どもの心の声に耳を傾けてくれたこと、目に見えない子どもの心を見てくれていたことが、嬉しくジーンときたのでした。

目に見えないものを心の目で見ようとすること、耳では聞こえない声を心の耳で聞こうとすることってとても大切なことだと思います。

そんな時、野口嘉則さんの「心眼力」という本に出会いました。

野口さんは、高校時代対人恐怖症に悩み、それを克服しようと心理学や東洋哲学、成功法則を学んで、克服し、その後コーチングのプロとして、多くの方々の悩みの克服や自己実現のサポートをされてきた方です。

「鏡の法則」の著者と言えばお分かりになられる方が多いかも知れませんね。

その野口さんの新刊である「心眼力」は、幸せで楽しい人生を実現するための鍵を握っているのが「心の目で何を見ているか」であるといっています。

まえがきの一部を引用します。


『 逆境の中にいても、それを乗り越えた自分の姿を、心の目で見ることができる人は、勇気が湧いてきて積極的に行動することができます。

また、反抗する子どもの姿の奥に、心の目で、子ども本来の素直さや素晴らしさを見ることができる親は、子どもを信頼することができるので、いずれは子どもからの信頼も得られます。

私達は、意識をどこにフォーカスするかを選択できるのです。そして、それこそが私たちの人生を大きく左右します。 』

その後、本章で詳しく、心の目で「何を」見ればいいのか、どこに意識をフォーカスすればよいのかの道案内をしてくれています。

肉眼で見える上辺だけのことで判断したり、決めつけたりするのではなく、心の目で、相手の心を見ることができるための具体的なアドバイスがあって、私は、たくさん本に線を引いてしまいました。

例えば、こんなところ。


『 トマトやキュウリは、苗を植えた直後に水をやったら、その後は数日間、水をやらないでおきます。枯れそうになるギリギリの状態で水をやります。そうすると、毎日水をやったトマトやキュウリよりも、背も高く、茎も太くたくましくなるそうです。

これは、水がないというピンチの状態を経験したトマトやキュウリは、水を求めて根を深いところまで張りめぐらし、強くなるから。

人間も、困難や逆境や悩みを経験するからこそ、根を深く張って強く大きくなれる。

だから、大きな悩みや困難を抱えている人は、

心の目で「今、私は、目に見えないところで、根を深く張りつつあるんだ」と考えてみてください。 』

このようなお話は、多くの人、特に今悩みを抱えていらっしゃる方にとって、とても励みになるのではないかと思いました。

もしかすると、あなたは、今、困難に立ち向かっているかも知れません。

大変な悩みを抱えていらっしゃるかも知れません。

でもグッとこらえて真正面からその困難に向き合って耐えているとき、あるいは問題解決のための行動を勇気を出して実践しているとき、目に見えないところで、あなたの芯は強く成長していっているのですね。

そして、その強さ、たくましさをもって周りの人を幸せにすることができるようになる。

あなたの人としての深みがますようになる。

そんな困難に真正面から向き合う人を私はとても尊敬します。 

この本を読んだ後、心がぽかぽかと温かくなってきました。

読んで励まされるだけでなく、具体的にどのような心の持ち方がいいのか、行動をすればいいのかが書かれていますので、実践していくと大きな変化があらわれるかも知れません。

特に家庭の問題や職場の人間関係に悩んだりしている方にとって、とても役に立つ本だと思いました。

よろしければ、手にとって見てくださいね。

静かに心の目で、真実の姿を見ることができると希望を持って前に進むことができます。
心の耳で、相手の心の中の声を聞くことができるようになると思いやりのある対応をとることができます。

そして、穏やかで幸せな気持ちでいることができます。

日々何かに怒っってしまったり、イライラしたり、心が波うつことが多い方は、 

最初は、なかなか難しいかも知れませんが、まずは「自分が何を見ているのか、何に意識を向けているのか」を日々意識するといいのかなと思います。

少しずつ心のズームレンズを柔らかくしていきましょう(私もですが・・・)。

それでは、また。


あなたの心が温かくなりますように。

心の中ではいつも。

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平成20年11月25日(火)

皆さん、こんにちは。

昨晩、少し雪が降り、屋根やクルマにはうっすらと雪がつもりました。

寒くなってきましたね。


今朝は、娘を幼稚園に送って行きました。
いつもは、妻が送っているのですが、ごくたまに私も送っています。

その幼稚園、成田中央幼稚園の園長先生は、毎朝、園の門に立って、子ども達やお母さん達に「おはようございます」とあいさつをします。

今年の4月に着任された女性の先生で、着任以来、毎朝笑顔で子ども達を迎えてくれます。

子ども達の多くは、自分から、あるいは園長先生から「おはようございます」といわれて「おはようございます」とあいさつができているようです。

ところが、私の娘は、朝が苦手な上に、あいさつも苦手で、タイミングがいいとき、機嫌がいいときにはいえるのですが、園長先生に「おはようございます」と声をかけてもらっても、あいさつが言えないこともあります。

言えないとき、うつむいて小さくなり、固まってしまうような感じです。

私から「ほら、ちゃんとあいさつしなさい。」と強制なんかすると、意固地になってさらに固まってしまうので、そういうことはしていません。

私自身、あいさつというのは大切なことだと思っていますので、娘のことが心配になります。そして、親としてしつけがなっていないのかなというような気も少ししてきます。

私自身が、進んであいさつをすることを見てもらったり、娘があいさつができたときに、ほめることで、娘があいさつができる子になってくれればいいと思っています。

幼稚園に送るときは、いつも今日は、園長先生にあいさつができるかなと、少しどきどきします。


今日は、残念ながら、あいさつができませんでした。

娘が幼稚園の園舎の中で消えていくのを見送って、一つため息をつきます。
帰り際、園長先生に声をかけます。

「すいません。あいさつができなくて。」

すると園長先生は

「大丈夫ですよ。ねねちゃん、ちゃんと言えるときもありますよ。

それに、心の中では、いつも言っていますから。」

と笑顔でおっしゃてくれました。

心の中では言っている・・・か。

通勤途中、クルマのハンドルを切りながら、園長先生のその言葉を繰り返していると、なぜか目頭が熱くなってしまいました。

園長先生は、子ども達の心の中の声を聞いているのですね。

娘自身、あいさつしたいという気持ち、あいさつをしなければいけないという気持ちがある一方、口に出していうことの恥ずかしさとの葛藤があって、今は恥ずかしさに圧されて、あいさつができないという状況なんだろうと思います。

それでも心の中では「おはようございます」って言っているのですね。
口に出せない言葉を心の中で言っているのですね。
そして、何とか口にだして言ってみたいと恥ずかしさと葛藤している。

園長先生は、娘の心の中の声を聞いている。聞こうとしている。
「あいさつをしなさい。」「あいさつできないのはダメだよ。」なんて責めたりしないで、じっと信頼して待っててくれている。


子どもを本当に信じてくれているのですね。

とても素晴らしい先生だなと思いました。

私もそうですが、つい人は表にあらわれた言葉や目に見えるものだけで、人や物事を判断したり評価したりしてしまいがちになります。

その人の心の中で、どんな葛藤が起きているのか、どんな言葉が湧き出ているのかも知らないで、出てきた言葉や態度だけで、一方的に判断してしまうことがよくあります。

その心の中の声を、少しでも聞くことができたなら、いや、聞こうとする意識を持つだけでも、その人のことを、上辺だけで判断しないで、しっかり受けとめることができるのかも知れませんね。

私も「心の中の言葉」に、耳を傾けることができるようになりたいなと思った朝の出来事でした。

そして、園長先生が、娘の心の中の言葉を聞いていてくれていたことに、心が温かくなった出来事でした。

園長先生、ありがとうございました。

傷つきやすい純粋な心を持つ幼少の頃に、先生のような温かい先生に、巡り会えて、娘はとてもよかったと思います。

本当にありがとうございました。

それでは、また。

あなたの心も温かくなりますように。

※関連のお話です。

言いたくて、でも言えなくて。 

よきことがシャワーのように。

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平成20年11月23日(日)

皆さん、こんにちは。

季節は、晩秋。クリスマスももうすぐですね。

幼稚園に通っている娘は、クリスマス会の劇の練習を頑張っています。

さて、ちょうど1年前の今日、大切な方の結婚披露宴があり、スピーチをやりました。

私にとっては初めてのスピーチです。事前に原稿を準備して、一人リハーサルを何度も繰り返しました。

弁護士なんだから、喋り慣れていそうなものですが、そうでもない弁護士もいるのです。どきどきしながら、当日を迎えました。

紹介され、マイクに向かいます。

冒頭、緊張で言葉がやや震えながらも、祝福と感謝の気持ちを込めて、新郎新婦、ご列席の皆さんに語りかけるよう話し始めます。

『 皆さん、こんにちは。


ご紹介いただきました、神坪浩喜と申します。


利光さん 容子さん、ご結婚おめでとうございます。

私は、裁判所の近くで、妻とともにあやめ法律事務所という法律事務所を開いております。新婦の容子さんは、この事務所のとても大切なスタッフです。

今から2年半前の平成17年春のことです。当時私は、犬飼健郎先生という先生のところで、お世話になっていたのですが、弁護士になり4年を過ぎたころで、そろそろ独立して自分の事務所を持ちたいと思うようになっていました。

事務所を開く際には、物件の確保や机、パソコンといったハード面の準備も大切ですが、それ以上に大切なのが、どんなスタッフと一緒に仕事ができるのかということです。私は誰かいい人いないかなあ、と悩んでおりました。

私には、事務所を作る際、「明るく心のケアもできるような温かい事務所をつくりたい。」という理想がありました。ですから、それにそう人がいい、優しく思いやりのある人がいいなあと思い抱いていました。

そんな時、ある女性のことが頭に浮かびました。犬飼事務所時代、2年ほど一緒に仕事をさせていただいたのですが、その誠実な仕事ぶりと優しい人柄が思い出されました。

例えばこんな出来事がありました。平成16年の寒い冬のことです。私が弁護士になって間もないころにある刑事事件の弁護団に入り、無実の青年を救おうと情熱を注いだ刑事裁判がありました。

その最終弁論は朝から晩まで1日がかりでやらなければなりませんでした。前日は弁論の総仕上げで、徹夜も覚悟しなければならない状況でした。そんな時、私の机の上におにぎりとのど飴が置いてありました。その上に容子さんの字で「弁論頑張ってください」とメモがありました。

私は「うわー。なんて優しい人なんだろう!」と、その心配りと優しさに胸がジーンときました。

彼女今頃何しているのかな。彼女がスタッフになってくれたら、どんなに嬉しいことだろう。そうして、私は、思い切って彼女に「是非うちの事務所を手伝ってください」と手紙を送ったのでした。

その時彼女は、私が手紙を出す半年前に勤め始めた新しい職場でのびのびと活躍していましたが、会ってお話しをすると、私はますますその素直で優しい人柄に感心し、是非うちの事務所に来てくださいと何度もお願いしました。

この懸命な私の願いがかなってか容子さんに事務所に来てもらうことができました。とても嬉しかったです。

そして、平成17年8月盛夏、私と私の妻と容子さんとで立ち上げたあやめ法律事務所。あれから2年4か月ほどですが、容子さんの思いやりがあり誠実で優しさあふれる仕事ぶりに、私も妻もとても素敵な人にスタッフになってもらったと感謝の気持ちで一杯です。

事務所も容子さんのおかげで、多くのお客様のお役に立つことができました。また法律事務所にはいろいろな悩みを抱えていらっしゃる方が訪れます。

そんなお客様にとって容子さんの素敵な笑顔と思いやりあふれる穏やかな応対は、救いになっていることでしょう。事件が終わってほっとされるお客様の何人ものかたが容子さんに感謝していました。

そんな優しい素敵な容子さん。そんな素敵な容子さんに引き寄せられ、見事伴侶にすることができたとても幸せ者の利光さん。

そんなお二人ですから容子さんや利光さんがこれまで育ってきたそれぞれのご家庭のように、きっと温かい素敵なご家庭を築かれることでしょう。本当におめでとうございます。

最後にお二人とお二人を育まれたご両親、ご兄弟、ご親族の皆様そしてこの素敵なお二人とご縁がありこの祝宴にご列席されている皆様方に、よきことがシャワーのように降り注ぐことを祈りつつ私のお祝いの言葉とさせていただきます。

ありがとうございました。

                          平成19年11月23日

                                                神坪 浩喜 』

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あなたにも、よきことがシャワーのように降り注ぎますように。 

それでは、また。

落ち葉ひらひら

平成20年11月22日(土)

皆さん、こんにちは。

ここ数日の寒波で、蔵王も泉ヶ岳もすっかり雪化粧しました。

もう冬なんですね。

街の落葉もかなりすすんで、落ち葉がひらひらと舞い、路面にたくさんおちています。

ここ数日撮った写真です。よろしければおつき合い下さい。

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大崎から仙台へ向かう帰り道、高速の鶴巣PAで撮った写真です。 

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もみじが、色鮮やかに色づいていました。

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こちらは色に力なく、くすんでいますね。

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当事務所が入っているマンション西側にある良覚院丁庭園です。 私は、毎朝事務所がある11階まで階段昇りをしていますが、昇りきった後は、よくこの庭園を眺めながら「ぜいぜい」しています。

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少し、ズームをかけました。

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青葉通の晩翠草堂前です。

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あひる?の行進。

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おまけのひなたぼっこネコちゃんです(女川)。いいお魚食べているのかな。 

今日もおつきあい下さりありがとうございました。

それでは、また。

あなたの心も明るく色づきますように。

就活−採否は「会って五秒」できまる!?

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平成20年11月19日(水) 

皆さん、こんばんは。

神坪です。

天気予報によると、今晩寒波がやってくるようです。山沿いでは雪だとか。
早く冬タイヤに変えないとまずいですね。

「民主主義と立憲主義」の小冊子、さっそく申込みをいただきました。とても嬉しいです。

ありがとうございました。 無料でお配りしていますので、どうぞお気軽にお申し込み下さい。

さて、先日、内田樹先生の「街場の教育論」という本を読みました。


内田先生は、教育改革の成否は、現場の教員たちの教育的パフォーマンスを向上させ、オーバーアチーブを可能にすること、そのために、現場の教師のために「つねに創意に開かれた、働きやすい環境」を整備することに尽くされると述べています。

私も全くそうだなと思いました。直接生徒さんに接する教育現場の先生方が、いかに明るく楽しく、生徒さんに向き合う余裕をもち、創意工夫をもって教育を実践できることが大切なことだと思います。

教師が、上から指示された大量のことを、とにかく処理しなければならない状況だとすると、当然余裕がなく、生徒に向き合うことも難しくなります。なかなかよい教育なんてできないですよね。

教師の教育力向上ということも大切ですが、それより、現場の教師が、情熱をもって、創意工夫ができるような教育環境をいかに整備していくことの方がより大切なことだと私は思います。 

さて、その本のなかには「へぇー」と思ったところがいくつもあったのですが、その中の一つをご紹介したいと思います。

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就職活動、「就活」って本当に大変ですよね。

希望した会社に就職できるか、そもそも仕事にありつき生活の糧を得ることができるかは

人生において大問題です。 

その就職できるかの場面、内田先生によると

採用面接において合格者は「会って五秒」で決まるそうです。

以下、本からの引用、要約です。


『 就活において「努力と成果が相関しない」という経験に学生たちは遭遇する。
受験勉強は「個人の能力の格付け」
ところが、就活の採否の基準は「個人の能力の格付け」ではないのです。

いったい何を基準に採否をきめるのか?

大手出版社の編集者4人 これまで数百人の面接をしてきた経験者が、
異口同音に「会って五秒」で合格者は決まるという。

受験者がドアを開けて入ってきて、椅子に座って、「こんにちは」と挨拶をしたくらいのところで、○がつく人には○がついている。残り時間は、×をつける人に「どうやって、気分よく退室していただくか」のサービスの時間だとか。

「会って五秒」でどうして決められるのか?何を見て決めているのか?

彼ら(面接試験官)は、今目の前に立っている受験者がそこにいるせいで、自分の気分が「少しよくなった」のか「少し悪くなった」のかを吟味しているのです。受験生をチェックしているのじゃなくて、自分の身体感覚をチェックしているのです。

その人が周りの人の気分を軽く、浮き立たせる人か、周りにいる人を気鬱にさせるタイプの人か、だいたいわかってしまうんです。

「労働」の場とは言い換えると「協働」の場のことです。競争の場ではありません。

その人、その感化力で、周りにいる人たちが少しだけ元気になって、少しだけ輝きを増すような、そういう「集団のパフォーマンスを高める知識と技術」が何より求められています。

採否の基準は、
この人といっしょに仕事をしたときに、楽しく仕事ができるかどうかです。

ですから、就活の面接のコツは、「自分をよく見せよう」と思わないで、その場にいる人たちが(いっしょに面接を受けている競争相手も含めて)気分がよくなるようにふるまうことです。
                                                                     』

「へぇー、そうなのか・・・」

学生さんでも、転職希望の方も、失業して求職中の方も、希望の会社に採用されるかどうかは、大きな問題ですよね。

就活ということで、いろいろな本を読んだりして、履歴書の書き方や面接で、自分をどうやってアピールしようか等と研究されている方も多いかと思います。

このところを読んで
私自身の経験、新卒時は、司法試験受験を決めていましたし、法律事務所就職時には、先輩弁護士の紹介もあってすんなり犬飼健郎先生のところに就職できたので、本格的な就職活動の経験はないのですが、司法浪人中に受けた塾講師のアルバイトの面接のことを思い出しました。

応募者5、60人ぐらいいるところ、一次選考の筆記と簡単な模擬授業で10人ぐらい絞られ、その後、しっかりとした模擬授業をやってみるという試験がありました。その試験で最終的に2,3人くらい採用される予定でした。

私は、自分には能力があることを試験官に分かってもらおうと自分をアピールすることに頑張りました。ややオーバー目に。ギラギラしていたかも知れません。

自分としては、まずまずの授業ができたと思いました。
他の受験者の方の模擬授業を見てみても、相対的にみれば、おこがましくも自分の方がいいと思いこんでいました。「多分、合格するな。」なんて。

ところが、結果は「不採用」でした。

当時は、「え?何で?あの試験官人を見る目がないんじゃないの?」等と思っていましたが、

今思えば採用されなかったことがよくわかります。

今の私が、試験官でも採用しなかったでしょう。

今振り替えると、そのときの私には、「嫌な競争オーラ」「俺が俺がオーラ」みたいなものがでていて、採用する側が、「この人とは一緒には働きたくないな。」と思ったのも当然です。

何百人も面接をしてきて、採用をきめてきた面接試験官の感覚からすると、
理屈よりは、その感性、直観で
その人が入ってくることで、自分の気分がよくなるかどうかで決めているのでしょうね。

見る人が見れば、あっというまに判断されてしまう訳です。
怖いですねー。

でも、会った瞬間に「いい気分」になってもらえるようにするってどうすればいいのでしょうか?

初対面の人に会った瞬間に「いい気分」になってもらえるようなことは、一朝一夕では、身に付かないことでしょう。

日頃は「俺が俺が」といっているような人、人の悪口や不平不満を言い慣れている人が、面接試験の時に、繕うとしても、見る人が見ればすぐに本性がばれてしまうでしょう。

結局、日々、自分の周りにいる人たちが、気分よくなるようにふるまうこと、つまりは

ニコニコと笑顔で接すること

不平不満や悪口を言わないこと

優しく穏やかに接すること

思いやりをもって接すること

を心がけ実践して習慣化していくしかないのかなと思います。


習慣化して、自分のものとなったとき、それがその人のまとう温かい雰囲気、素敵なオーラとなって、就活の試験官はもとより、日々暮らしていく上でも、出会った人々の応援を得られる人になるのでしょうね。きっと。

私は、本当にまだまだですが、

私の周りにはそんな素敵な雰囲気をもった人が何人もいて参考になります。

ありがたいことです。 

それでは、また。

あなたの毎日がもっと明るく楽しいものになりますように。

「民主主義と立憲主義のはなし」の小冊子さしあげます。

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平成20年11月18日(火

皆さん、こんにちは。

日がほんとうに短くなりましたね。

今日は曇り空ということもあって午後4時ころでも、薄暗いです。

さて、前回の日記で、大須中学校での法教育出前授業では、時間の関係上「民主主義と立憲主義のはなし」は割愛したとお話しました。

ですがここのところは、是非、中学生の皆さんには、知ってもらいたい、考えてもらいたいところでしたので、このブログで書いたもの

民主主義のはなし

民主主義のはなし2−安易に多数決で決めないこと

憲法は国家を縛る?−立憲主義のはなし−

民主主義と立憲主義1−多数決で決めてはいけないこと

民主主義と立憲主義2−表現の自由がない世界

民主主義と立憲主義3−個人の尊厳をまもるために

に若干加筆修正を加えて小冊子にしておいたものを「生徒さんにお配りして下さい。」と先生にお渡ししました。

そして、渡した後、このブログをご覧になっている方にも、もしご希望の方がいらっしゃれば、この小冊子をもらっていただけると嬉しいなと思いました。

そこで、単にプリントアウトした紙をホッチキスでとめただけのものですが、もし読んでいただける方がいらっしゃれば、喜んで差し上げたいと思います。

もちろん無料です(送料も)。

小冊子ご希望の方は、お手数ですが

お問い合わせフォームに、お名前、住所、ご質問記入欄に「小冊子希望」とご記入の上、送信してください。郵送でお送りいたします。

また、紙ではなく、ワードや一太郎ファイルでの送付をご希望の方は、メールアドレス(携帯ではないもの)をお知らせ下さい。添付ファイルの形で送付します。

どうぞ、お気軽にお申しこみ下さい。

それでは、また。

きちんとした手続を踏むこと

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平成20年11月16日(日)

皆さん、こんにちは。


ここ数日秋晴れのさわやかな天気が続いていましたが、今日は、久しぶりの雨模様です。
さて先日、石巻市立大須中学校へ、法教育出前授業に行ってきました。

仙台から、石巻まで高速で行き、女川をとおって、海岸沿いの狭く、くねくねした道を進んでいきます。紅葉も見頃で、時折のぞかせる海がまた綺麗でした。

大須中学校は、旧雄勝町、南三陸リアス海岸沿いにあり、学校から海が見えます。全校生徒21名の小さくて素敵な中学校でした。校舎は、年代ものの木造校舎、歩くと床がギシギシきしみます。私が通った小学校や中学校は鉄筋コンクリートの学校だったのですが、とても懐かしい感じがしました。

穏やかに、静かに時が流れていくようです。豊かな自然環境の中、生徒さんは少人数ですから、先生も余裕をもって生徒さんに向き合うことができて、素敵な教育環境だなと感じました。

法教育授業は、中学3年生7名が参加してくれました。
今までで、最少人数です。生徒さんいずれも熱心に聞いてくれ、また一生懸命考えてくれたようでとても嬉しかったです。ありがとうございました。

 (大須中学校校舎、全学年生徒21名)

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時間は、1コマ50分と限られていましたので、今回は、民主主義と立憲主義の話は割愛して、
「ルールの必要性→ルールの危険性→良いルールをつくるための視点」というラインで授業をすすめました。

事前に生徒さんに配布した資料の一部は、こういったものです。

よろしかったら、皆さんも少し、考えてみてくださいね。

第1 ルールや法律はどうしてあるんだろう?−もしルールがなかったら?

1 もし,交通ルール(制限速度,赤信号で止まる等)がなかったらどのようなことになるだろう?

2 もし,人の物を盗んだら処罰されるという法律(刑法)がなかったらどのようなことになるだろう?

3 人から物を買ったらその代金を支払わなければならないという法律(民法)が,もし,なかったらどのようなことになるだろう?
                                                                        』

ルールや法律がない世界って、どのような世界なのでしょう?

以前、刑法がない世界、人の物を盗んでも処罰されないという世界だと、盗ったりする人が増えて、じゃあ自分も盗んでやろうかとなったりして、社会が混乱してしまうといったことをお話しました。

1の交通ルールがない世界も想像できますよね。交通事故が多発して、今よりはるかに多くの人が亡くなったり怪我をするでしょう。

3の、売り買いの約束をしたら、買主は売買代金を支払わなければならないという義務がもし発生しないとするならば、売主は泣き寝入りが、自力でお金をもぎ取ることを考えますよね。そもそも、代金がもらえないなら、怖くて商品を売ることもできない。お店も開けない。

ルールや法律がないと、結局、力の強い者が勝つ、弱肉強食の世界になりそうです。混乱と無秩序で、人々はとても安心して暮らせない。人を信用できないでしょう。怖い世の中ですね。

そこで、近代国家は、力づくで権利を実現するという「自力救済」を禁止しました。そのかわり、国家が権力=強制力を独占して、一定の人を傷つけたりする行為は、犯罪行為として定め(刑法)、裁判を通じて、犯罪をしたとされれば、それに応じた刑罰をかすことにしました。

また、物を買ったのに売買代金を支払わない人には、裁判でその義務を確認した上で、買主の財産から強制的に代金を取り上げるシステムをもうけました。

ここでは、「強制的に」ということがポイントになります。

つまり、「嫌だ」といっても、裁判で懲役刑がきまれば、強制的に刑務所に閉じこめられ、作業をやらされますし、裁判で、売買代金を支払えとの判決が確定すれば、強制執行手続で、財産を差し押さえられ取り上げられたりするのです。

強烈な力が、権力にはあるのですね。

かかる力が背景にあるからこそ、「人の物を盗んではいけない」「人から物を買ったらその代金を払わなければならない」といったことを、守ろう(守らなければ、処罰を受けたり財産を取り上げられる)と多くの人は思い、社会の秩序が保たれ、つまり人々が安心して暮らせることになるわけです。

でも、権力には、強烈な力があるがゆえに、間違ったり、行き過ぎたりすると、逆に人々を不幸にしてしまいます。

間違って刑務所に入れられたとしたら、たまりませんよね。
間違って財産を取り上げられたら、困りますよね。

そこで、間違いがおきないように、法は、権利や義務を発生させるプロセスについて、細かに決められています。有罪とされ刑務所に入れられることが決まるまでのプロセスを事細かく定めているのが、刑事訴訟法、私人間で何かの権利義務があると裁判で決められるプロセスを事細かく定めているのが民事訴訟法です。

不利益を受ける側の言い分を聞く場が保障されているわけです。
権力に携わる人(公務員)によって、恣意的な判断がされないように、必要な手続が法で定められ、それに従って、必要とあれば権力が発動されることになります。

人が恣意的に判断しないように、証拠に基づいて、事実の有無が判断され、その認定された事実から、権利義務が発生するのか、法に従って判断されることになります。

ここでわかるとおり、権力が必要なときに適切に発動されるために、権利義務があるかないかを定める法(実定法といいます)の他に、権利義務が発生するかどうかを明らかにするためのプロセス・手続に関するルール・法(手続法といいます)が必要不可欠になります。

手続法は、権力発動に至るプロセスを定めて、社会秩序維持・紛争解決と権力発動による人権侵害の危険性をてんびんにかけながら、調整をはかっている法ということになります。

もし、刑事訴訟法がなくて、例えば、刑法に書いてある犯罪行為にあたるかどうかを、警察が判断して、警察が逮捕した後、いきなり「君は懲役10年だ。」なんて、刑の種類や重さも決めてしまうとすると、とても怖くありませんか?

刑事ドラマでは、刑事さんが、苦労して犯人逮捕にこぎつけたところで、一件落着というように、逮捕で事件がすべて解決したようなイメージですが、本当に刑法等が定める犯罪行為を犯したかどうか、犯したとしてどのような罪が相当かどうかについては、刑事訴訟法に定める手続にそって、これから判断されることになるのです。

むしろ、逮捕がスタート時点なのですね。

話は飛びますが、子どもを叱るときも、一方的に決めつけて叱りつけると、子どもの心には、届きませんよね。しっかり子どもの言い分をきいて、よく事実関係を確認した上でないと「何で、お母さんは僕の話を聞いてくれないんだろう。○○の事情があったのに。」と心を閉ざすかもしれません。

私自身、つい「ダメなものは、ダメ!」というような感じで、子どもを頭ごなしに叱ることがあって、その度に後悔しています・・・

きちんとした手続というのは、しっかりと言い分を聞くこと、これこれの理由から叱るとその理由をしめすこと、問題となる事実を証拠に基づいて判断するということです。

社会秩序維持を図ったり、侵害された個人の権利の回復を図りつつ、権力発動による過大な権利侵害を防ぐため(つまりは個人の尊厳を確保するために)、きちんとした手続をふむということは、とても大切なことなんですよ。

ですから、憲法は、第三十一条【法定手続の保障】何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。  

と明確に手続の保障を定めているのです。 

プロセスをきちんと踏むことは、とても重要なことなんですね! 

それでは、また。

秋の並木道2(東京編)

平成20年11月9日(日)

皆さん、こんにちは。

いかがお過ごしですか。

朝、水が冷たく、顔を洗うのが辛くなってきました。

さて、前回に引き続き、街を歩いているときに「あ、いいな。」とつい撮った写真です。

先日は、会議で、霞ヶ関にある弁護士会館に行ってきました。

よろしければおつき合い下さい。

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左が弁護士会館

中央が裁判所

右が法務省、検察庁

です。

会館は、地下鉄霞ヶ関駅と直結しているのですが、 私は、時間に余裕があれば、有楽町駅から、日比谷公園を通って、会館に向かいます。

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日比谷公園の木々の葉は、まだ青々していました。

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お堀沿いをてくてく歩きました。

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こちらの銀杏は色づいていました。

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二重橋から東京駅へ

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銀杏並木の奥が東京駅です。

田舎者ですから、超高層ビルをみると

つい、見上げてしまうのです。

何で、あんな物建てることができるのだろう?

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たそがれ霞ヶ関

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おまけのお堀白鳥です。

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東京の秋も、とても素敵でした。

でも、仙台に戻るとホッとします。

(新幹線ホームから青葉通り方面)

今回も、おつき合いくださり

ありがとうございました。

それでは、また。

あなたの心も明るく色づきますように。 

秋の並木道

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岩沼緑地です。

平成20年11月6日(木)

皆さん、こんばんは。

日に日に変わっていく葉の色合いが

とても楽しみです。シャッターを押すことが増えてきました。

一ブログで写真は1枚か2枚なのですが、それだと冬になってしまうので

今日は、近頃撮った写真を並べてみますね。

よろしければおつき合い下さい。

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仙台空港で見た夕日です。

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ズームアップ!
とてもきれいな夕日でした。 

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東北大の中善並木です。

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いい色だしています。 

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コブシの並木道です。 

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パークタウン内のとある道

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宮城大学で、「何か」が走っていました。 

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あおば通です。

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県立図書館前の並木です。

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おまけのワンちゃんです。 

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もう一枚!

おつき合いくださりありがとうございました。

それでは、また。

東北大学無料法律相談所

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平成20年11月4日(火)

皆さん、こんにちは。

街のアーケードでは、クリスマス飾りが飾られていました。

もう年末モードに入っているのですね。 

先週は、私にとって「スクールウイーク」でした。

10月29日(水)に、古川西中学校で、法教育出前授業

10月30日(木)に、鹿島台商業高校で、消費者教育授業

11月1日(土)に、東北大学無料法律相談所の主審

をやりました。

あと、小学校で何かをやっていれば、サイクルヒットでしたね。ほしい!

「東北大学無料法律相談所」というのは、東北大学法学部の自主的な勉強サークルの一つです。

家族法の大家である故中川善之助先生が昭和3年に設立されたものです。 

名前のとおり、学生が無料の法律相談活動を行っています。

私は学生時代に、ここの所員でした。とてもお世話になり、いろいろな思い出があります。

そこでは、法学部生が、学んだばかりの法律知識を使って、本を調べ、みんなと話し合いながら、何とか来所された方の相談に応じようとするわけです。

学生だけでは、不安なところもあるので、学生がした「予審」判断が正しいかどうか、付け加えることはないか、大学の先生が、回答内容を確認します。それを「主審」といいます。

昨年度まで、河上正二先生が所長をされていたのですが、先生が東大に移られたことで、現在は、民法の水野紀子先生が所長をされています。

その水野先生から、9月に、主審担当依頼のご連絡をいただきました。河上先生が移られたことで、主審担当が不足しているとのこと。

私が在学中、無料法律相談所の主審といえば、林屋礼二先生、広中俊雄先生、阿部純二先生といった雲の上のような先生方というイメージがあったので、「私如きでいいのかな?」と思いながらも、「私如きでも役に立つなら。」と引きうけることにしました。

代表の学生さんから、初回の主審担当日に、一言何かご挨拶をお願いしますと言われました。

私は、思いつきで、話せないので、原稿をつくって準備します。

当日は、ほぼこの原稿にそって話しをしたのですが、話しそびれたところもあり、付け加えたところもあります。

対象は、東北大学無料法律相談所の学生さん達、法律相談サークルですから、将来弁護士になることも考えている方も多いだろうと思って、話をくみたてました。

『 皆さん、こんにちは。神坪浩喜です。

平成4年卒業です。仙台で弁護士をしています。この法相には大変お世話になりました。

楽しい思い出もたくさんあります。

今回、河上先生を経由して、水野先生、石森さんから主審の話しをいただき、私ごときでいいのか?と思いながらも、少しでも役にたつのなら、と思い引き受けることにしました。

大学を卒業して、もう15年以上たっているんですね。大学1年生から4年生が、集ってくるこの場、変わらないですよね。

1年生でこの場に始めてきたとき、スーツ姿の4年生がとても大人に見えました。初めて相談に立ち会って、相談している様子をみるとすごいなあと思いました。
話している内容は、よく分からないし、どうすればいいのかもよく分からない。

自分もあんな風になれるのかと不安でした。
でも3年生、4年生になって、いざメインで相談することになると、背伸びしながら、困りながらも何とかやっている訳ですね。

皆さん、相談の前ってどうです?特に3年生、緊張しません?どきどきしません?どんな相談がくるのだろうか?自分に答えられるだろうか?間違ったことをいっちゃうんじゃないか?と不安ですよね。

法相のいいところって、普通のサークルと同じように、いもにかいとか、模擬店とかコンパとか、楽しいイベントがあったりして、楽しい仲間ができて楽しいこともあるとあるとは思うけれど、

「背伸びする」「緊張する、ドキドキする」「ちょっと困る」

という体験ができること特にいいところじゃないかな、と思っています。

3年生で、既にメインを体験した方はわかると思いますが、初めての相談で、なんとか相談に応じることが出来たときって、何ともいえないい感じ、充実感を感じませんでしたか。

自分でできるのかな、大丈夫かなと不安なまま、緊張しながら、相談にのぞむ、
それに精一杯話しを聞いて、回答をさがす。分からない、こまったと、本を調べる、仲間にきく。そしてできる範囲で答える。困ってしまうから、少しでも勉強しておこうと授業にでる。本を読む。

思えば、まだまだ法律のこともよく分かっていない段階で、人が実際に困っている法律相談にのるというのは、「背伸び」そのものでしたね。
だから緊張するし、分からないし、困る。

でも、この体験が、とてもいいんですよ。そして貴重なんですね。これは実は、今私が弁護士の仕事をしても思うことです。

未だに、知らないこと、分からないことばかりです。
分からないとき、自分にある意味負荷がかかるわけです。
そのとき、何とかしないと、思いますよね。そして調べる、頑張ってみる。
それが、自分の力になっていくんですね。

ああこれは分かっていることと楽に仕事をしている時より、ちょっと背伸びをして、緊張して、困ったときほど力がついて成長できるわけです。

法相の活動、相談というのは、おそらく皆さんにとって「背伸び」体験であり「ドキドキ」体験であり、「困る」体験でしょう。
それが、いいんですよ。どんどん味わってみてください。

そして、さらにそこには、相談者という人がいる。自分だけのチャレンジということであれば、何かの試験に合格するとか大会で優勝するとかいろいろあるかと思いますが、ここの背伸びは、ダイレクトに「人の役に立つ」ということなんですね。

弁護士の法律相談は、無料相談もやっていますが、通常、30分5000円とかのお金をもらってやっています。それだけの価値、役に立つということがあるからお金がもらえる訳です。

皆さんの法律相談は、無料で、つまりボランティアなのですが、「人の役に立つ」活動であることにかわりはありません。反面、責任も背負っているわけです。無料だから責任がないわけじゃないですよ。

相談が終わったとき、自分にもできたんだという感覚とともに「あ、自分でも人の役にたったんだ。」という感覚もきっと味わうことと思います。
特に、相談者の方が、納得して、感謝してくれたときは、とても嬉しいですよね。

学生の時、相談にくる方は、自分よりも大抵年上で、人生経験、社会経験がある方ばかりです。そのような人達に、自分が学んだ法律の知識で、自分のような者でも、役に立つことができるという体験は、とても貴重なものでした。

私が、弁護士になりたいな、と思ったのも、この役に立つ体験をもっとしたくてというのが一つのきっかけでした。

弁護士の仕事において、出発は法律相談なのですから、重なってくるわけですよね。もちろん弁護士の仕事は相談だけではないのですが、人と対話をすすめていくことが基本になりますので、相談は弁護士の仕事の基本、土台、核心といっていいと思っています。

皆さんの中で、将来、弁護士になりたいなと思っている方は、この相談は弁護士と同じことをやっている訳ですから、じっくり味わってくださいね。弁護士になったつもりで、相談してみてください。

また、将来のことを決めていない人は、ここでの相談活動をやってみて、心の底から湧き出るような充実感を感じるようであれば、きっと弁護士に向いていると思いますので、選択肢の一つとして考えてもいいのではないでしょうか。

また、公務員になるとか、民間企業に就職するとか、いろいろな仕事につく上でも、人の話を聞きながら、問題の解決方法を探すという体験はとても貴重な体験になると思います。

実は私にとっても、主審というのは、結構な「背伸び」なんですね。ちょっとドキドキしています。

皆さんも、大いに背伸びしてみて、相談の場に臨んでみてください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


  』

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東北大学無料法律相談所の相談の特徴は

・無料であること

・土曜日に相談があること

・法学部生がとにかく一生懸命相談に応えようとすること

・じっくり話しを聞いてもらえること

です。

学生が行う相談に立ち会わせていただいたのですが、担当の方は、本当に一生懸命、相談される方の話しをじっくり聞いて相談に応えようとしていました。 

毎週土曜日午後に東北大学法学部棟1Fでやっております。

予約制となっていますので、相談を希望される方は、TEL:022−795−6243

へご連絡下さい。 予約受付時間は平日午前10:30~午後2:30となっています。

それでは、また。

※関連のお話です。

誰かの役に立っている 

記憶に残る3つの理由−東北大学無料法律相談所・出張相談2010

「ちいさな あなた」の目から

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平成20年11月1日(土)

皆さん、こんにちは。

お元気ですか。寒くなってきましたね。

 

暦も11月になり、秋が深まってきました。

街の木々も色づき、葉が舞い落ちています。

 

さて先日、「ちいさなあなたへ-Someday」という絵本を読みました。

お母さんが、すやすやとゆめをみている子どもへ語りかけます。

この子の赤ちゃんのころを思い出し、この子の将来に思いをはせながら。

 

とても心あたたまる素敵な絵本でした。

よろしかったら手にとって読んでみてくださいね。

 

この本を読んで、自分が生まれた時、ちいさな人だったころ、その目で見た母を想像してみました。いや、思い出したのかもしれません。

 

あなたは、億千万の人の中から、その人をお母さんに選びました。

その人の子どもになりたい、そう心の底で思って、その人をお母さんに選びました。

あなたは、目を開けて、その小さな目で、はじめてお母さんを見ました。

お母さんは、いとしそうにじっとあなたを見ています。

お母さんは、あなたに幸せになって欲しいと願いを込めてつけたなまえで、あなたに声をかけてきます。

優しい声ですね。あったかい声ですね。

 

ちいさなあなたを見て、お母さんは何を感じているのでしょうか。

どんな気持ちで、あなたのなまえを呼んでいるのでしょうか。

あなたには、それがわかります。

 

あなたは、お顔をしわくちゃにして、泣いています。

お母さんが、あなたを抱っこしてくれました。

 

お母さんて、あったかいなあ。やわらかいなあ。いいかおりがします。

 

あなたには、たくさんの愛が注がれています。

ありのままで、愛されています。

 

あなたには、幸せに育って欲しいと、優しいひかりがさんさんと注がれています。

 

お母さん、ありがとう。

いろいろと苦労をかけることになってごめんね。

そして、こんなにも愛してくれたことを、忘れてしまってごめんね。

 

心が、寒く感じたとき、思い出してみませんか。

あなたが、小さな赤ちゃんのとき、その目でみたお母さんを。

心がぽかぽかあたたまりますよ。

それでは、また。

消費者クイズ−あなたなら、どうする?

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平成20年10月13日(月)

皆さん、こんにちは。

仙台は、さわやかな秋晴れです。

日経新聞を見ていたら、やたらとランニングシューズの広告が

ありました。そうか、今日は体育の日なんですね。

確かに今日みたいな日は 

ちょっとジョギングでもしようかな、という気になりますね。

さて、今日は、今月末に行く予定の高校生のための消費者教育授業の資料を作っていました。

以前とは違ってほぼクイズ形式で作りました。これは、他の先生が作られたものを土台にして

私が手を入れたものです。

対象は、これから社会に出ようとする高校生です。

よろしかったら、少し考えてみてくださいね。

Q1(欲しい物があるときに)
どうしても20万円のバイク(バッグ、パソコン)が欲しい。でも、お金が足りないとき、あなたならどうする?
1 お金を貯めてから買う
2 消費者金融会社(サラ金)から借りる
3 クレジットカードで買う
4 当面はがまんする

クレジットカードの分割払いで簡単に欲しい物は手に入れることができます。でも、安易に買ってしまうと、その後はしっかり金利もついて、大変なことに・・・     

Q2(保証人になるって?)
①友達から、ちょっと保証人になってくれないかと頼まれた。
「絶対に迷惑はかけない」「自分がちゃんと返す」「別にしっかりとした保証人がいる」「形だけだから」「この書類にちょっと名前と印鑑を押すだけだから。」と言っている。あなたなら、どうする?

1 友達を信頼して保証人になる。
2 友達に「必ず自分で返します。」と念書を書いてもらって保証人になる。
3 自分以外に保証人がいることを確認して保証人になる。
4 断る。

これって、よくあることですよね。頼まれたら断れない方。特に気をつけてくださいね。

ところで、大衆食堂の「めしの半田屋」で、「貸借は友を失う(ゲーテ)」という標語?が掲げられていました(今もあるのかな?)。

この仕事をしていると、「確かにそうなんだよね。」とその言葉の重みを実感します。友達との間にお金の貸し借り、保証人が絡んでくると、うまくいかなくなった時、お互いに疑心暗鬼となって関係にヒビが入るのをたくさん見てきました。

自分が借金を背負っても構わないというようなよほどの覚悟がない以上は、お金を貸すことや保証人になることは、きっぱり断りましょう。断っていいのです。 

断りにくいときはこう言いましょう。

「ごめん、我が家の先祖代々からのしきたりで、絶対に保証人にはなっていけないことになっているんだ。」 


②友達が行方不明になって、貸金業者から自分に請求がきた。

1 友達が迷惑をかけないと言っていたといって請求を拒める。
2 自分は「形だけ」保証人になっただけだといって請求を拒める。
3 別の保証人に請求してくださいと請求を拒める。
4 請求を拒めない。

保証人になるというのは、貸金業者と自分との間で保証契約、つまり借りた本人が払わない、払えない場合には、かわりに払うという契約を結ぶということです。
だから、お金を貸した人に対して、「借りた本人から、保証人には絶対迷惑をかけない。大丈夫。」といっていたから自分は支払わないというのは全く通用しません。

保証人は、とても怖いのです。

Q3(契約した以上、キャンセルはできないの?)
    販売業者から電話がかかってきて、ついその気になって、30万円の英語会話教材を買うと言ってしまった。しかし、よく考えたら、自分には必要ないし、お金もない。キャンセルしたい。でもキャンセルしたいと業者に電話したら、業者から「もう契約は成立したんだ。キャンセルしたいなら違約金50万円支払え。」と言われた。あなたなら、どうする?

1 一度自分で買うといった以上、契約は成立しているので、キャンセルできない。あきらめる。
2 消費生活センターや弁護士に相談してみる。
3 販売業者にもう一度電話して、交渉する。
4 クーリング・オフの通知書を送る。

悪徳業者は、よく「一旦買うといっただろ!もう既に契約は成立したんだ!解約はできないぞ!」というようなことを言います。でも、実はいろいろとキャンセルできる場合あるのです。クーリング・オフもその一つ。業者のいいなりにならずに、一人で悩まずに、まずは、 消費生活センターや弁護士に相談してみましょう。  


Q4(おいしいバイト?マルチ、ネットワークビジネス)
高校時代の友達が
「おいしいバイトがあるんだ。会員になって、この健康食品を友達や知人に会員になってもらうと紹介料がはいる。さらにその友達が別の人にダイエット商品をかってもらうと、その分の紹介料も入る。どんどん儲かる。絶対もうかる。いいでしょう。会員になるには、この健康食品10万円を買うこと。クレジットで大丈夫。やってみない?俺もやっているし。とりあえず説明会に来ない?」と誘ってきた。あなたなら、どうする?


1 自分も儲けたいので会員になってやってみる。
2 とりあえず説明会にいってみる。
3 やめておく。
4 友達に「本当に大丈夫なのか?誰かに相談した方がいいよ。」と相談を勧める。

マルチ、マルチまがい商法です。今はネットワークビジネスとか、何かかっこいい名前で近づいてくるかも知れません。でも、儲かる人はほんの一部の人で、大抵の人は、逆に損をしたり、友人を勧誘したことで友人に損を与えたり、嫌がられたりして友人を失ったりします。

おいしい話には必ず裏があります。 

Q5(身におぼえのない請求が来たら 架空請求)
ダイレクトメールで、「ネット利用がありましたので情報料10万請求します。延滞金かかります。こちらへすぐお振込下さい。払えない場合は、すぐ090−××××−××××へ。 連絡ない場合、給料を差押えします。」ときた。あなたなら、どうする?


1 給料を差し押さえられたらこまるので、サラ金から借りて10万円支払う。
2 支払えないので、指定の携帯電話に連絡してみる。
3 ネットを利用したおぼえがないので、どういうことなのか確認するために指定の携帯電話 に連絡してみる。
4 無視する。放っておく。
5 消費生活センターや弁護士に相談してみる。

いわゆる架空請求です。基本は「無視」です(ただし裁判所から書類がきたら、単純に無視できない場合もあるので専門家に相談して下さい。)気になって確認しようと電話をかけると、いろいろと業者から言われて払わなければいけないような気になってきます。もし、気になるのであれば、やはり専門家に相談しましょう。

Q6(もしも、たくさんの借金を抱えてしまったら)
あなたは25歳のサラリーマンで月給は手取り20万円ですが、借金がついに700万円になりました。支払いの催促の電話がたくさんかかってきている。あなたなら、どうする?
1 夜逃げをする。
2 自殺を考える。
3 親に援助してもらう。
4 貸してくれる業者から更に借りて返済を続ける。
5 弁護士や司法書士といった専門家に相談する。

借金を抱えてしまっても夜逃げや、ましてや絶対に自殺なんかしないでください。借金の問題は、専門家に相談すれば、ほぼ間違いなく解決できます。

また頑張って返そうとする気持ちはいいのですが、新たに借り入れや援助でどうにかしようとするのではなく、弁護士や司法書士に相談して下さい。

☆まとめ−お金に困らないための行動指針
・安易に物を買わない。安易に購入クリックしない。
・クレジットカードはできるだけ使わない。
・買ったことを後悔したなら、キャンセルできるか相談をしてみる。
(キャンセルできることが結構ある!)
・保証人にはならない。保証人になることはとても怖いこと。
・友達とお金でつながらない。
貸さない、借りない、保証人にならない、名義貸しをしない、おいしい話の誘いは断る。
・サラ金からお金は借りない。金利を意識する。
・困ったら、一人で悩まず、業者の言いなりにならず、すぐに消費者生活センターや弁護士に相談して下さい。

消費者クイズいかがでしたか?あなたは何問正解できましたか?

ちょっとした知識ですが、ほんの少し知っておくだけで悪徳業者にだまさずにすんだり、借金に苦しまなくてすむこともあります。

それでは、また。

「人は人。我は我なり。」

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平成20年10月5日(日)

皆さん、こんばんは。

昨日は、下の子の運動会でした。年長さんですから幼稚園最後の運動会です。

娘は、運動があまり得意ではなく、かけっこは、去年、一昨年とビリでした。

 

今年も娘は、一生懸命頑張って走ったのですが、またビリとなってしまいました。

子どもの頃って、学校の成績よりも、足が速いこと、運動ができることの方が友達から尊敬されたりして、大事なことのように思ったりしますよね。

 

ですから、足が遅いことや運動ができないと結構辛かったりします。

お父さんは、頑張って走ったことだけでとても嬉しかったけれど、

娘自身は、またビリになったことを気にしているのじゃないかな。

 

「一生懸命がんばればいいからね。順番は関係ないからね。」

 

と私も妻も言っていますが、やはり走る本人にとって順番は気になるし、自分が遅いことを確認してしまうのは、辛いことでしょう。

 

人と競争することによって、順番はつきます。勝者と敗者がはっきりします。

人に勝てば嬉しいし、人に負ければ悔しい。

だから、人は人より優れよう、勝とうとするし、人に劣ったり、負けたりすることを嫌がります。

 

今の世の中で、生きていく以上、人との間で生きていく以上、競争することは避けられません。

人と比べ評価されることは、小さいころから当然のことのようにされています。

それは、勝つことが大切なんだ、負け犬になるな、負け組になるなとせかされるようです。

 

そんな日常生活の中で、人から比べられることだけではなく、さらに自分からも進んで人と比べてしまうように当然であるかのようになってしまいます。

 

自分にない物を持つ人に対して嫉妬したり、自分が人が持っていないものをもっていると

嬉しかったり自慢したくなったり。

経済的な豊かさや社会的地位を比べて、卑屈になったり、ちょっと傲慢になったり。

人の幸せそうな様子がうらやましい。そんな風に思えてしまうことって大なり小なり誰にでもあると思います。

 

それは、それでいいと思います。仕方ないと思います。私自身ももちろんあります。

でも、人と比べることに執着してしまうと、生きるのがとても苦しくなってきます。

劣等感と優越感の振り子に翻弄されてしまいます。

 

もしあなたが心穏やかではなくて「あ、今、人と比べて嫉妬しているな。落ち込んでいるな。何か傲慢になっているな。」と感じたならばこうつぶやいて見てはどうでしょうか。

 

「人は人。私は私。」

「私は、私らしく生きればいい。」

 

ものごとの部分と全体を分けるのと同じように 

人と自分とをしっかり分けて捉えることで、劣等感やその裏返しの優越感から自由になるきっかけがつかめるのではないかと思います。

 

当たり前のことですが、結局、人は、自分の人生を生きることしかできません。別の人の人生に乗り換えて生きるわけにはいきません。

そうであるならば、天から与えられた人生を自分らしく生きることが最高の価値ある人生となります。

 

そして、自分という存在は、唯一無二の存在で、他の誰にもとって変わられない存在です。自分にしかできないことがあります。

誰もが生まれたその瞬間から、お母さんにとって、他の誰にも変えられないかけがえのない存在になっていますよね。

 

人と比べるのではなく、自分というかけがえのない存在をどれだけ輝かせて生きることができるのかが問われています。

 

社会生活を送る上で、周囲から評価され、人と比べられてしまうことは避けられませんが、自分を人と比べたり、人をどうのこうのと評論するのは、あまり意味がありません。やらない方が心穏やかに過ごせるでしょう。

 

比べるものは人ではなく自分の中だけで比べます。

人との水平軸ではなく、自分の時間軸で比べる。

つまり、過去の自分と、現在の自分を「成長」の視点で比べるのです。

 

昨日の自分より、今日はほんのちょっとだけど成長した。

○○ができるようになった!うまくなった!

それが嬉しいのです。楽しいのです。そして、それで十分なんです。

人と自分の差ではなく、過去の自分と現在の自分の差に焦点をあてていきましょう。

 

初めて逆上がりができた!

初めて補助輪なしで自転車に乗れるようになった!

その時、同い年の友達が先にできたかどうかに関係なく嬉しかったですよね。

 

「人は人。我は我なり。」

「私は、私らしく生きればそれでいい。」

 

今日、初めて補助輪なしで自転車に乗れた娘の笑顔はとても輝いていました。 

それでは、また。

「それはそれ。これはこれ。」

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平成20年10月1日(水)

皆さん、こんにちは。

10月のスタートです。下の子どもの幼稚園の園服が冬服にかわりました。

さて、以前、一部分だけをみて安易にそれがその人だと評価しがち

一部分の情報だけで、効果があると信じこみがちであるという話をしました。

全体から見ると、ほんの一部分のことに過ぎないのに、その人はそういう人だとか、この商品は

こういう物だとか、つい思いこみがちですよね。

 

これは、自分自身の評価にも、当てはまります。

 

人から、例えば上司や親から、何か注意を受けたりしたり、何か失敗したときに

「私ってダメ人間だ。無能なんだ。」なんて思うことってありませんか。

 

実際には、一つの行動や態度に対する注意だったのに、自分の人格全体が非難されたように感じる。

本当は、一つの失敗に過ぎないのに、それだけで、「自分はできないんだ」と評価してしまう。

そんなことってありませんか。

そんな時って辛いですよね。落ち込みます。

 

でもそれは、結局一部分をもって、全てについてこうだと決めつけているからなのですよね。

本当は、人の注意は、自分の一部分についてのものであって、自分全体の注意や非難ではありません。

 

もし「私ってダメだ。」とか「何て能力ないんだろう。」といった考えが浮かんできたら、一部を全体と思いこんでいないかチェックしてみましょう。

 

それはそれ、これはこれ。

そう自分にいってみてはいかがでしょうか。

 

確かに、自分はミスをした。上司の注意もそのとおりだ。でも、それはそれ。

それで、私がダメだとか無能だということにはならない。私の全部が否定された訳ではない。

希望の会社に就職できなかった。希望の大学に合格できなかった。借金を抱えて破産してしまった。

だからといって、人間としてダメだという訳ではない。人生おしまいという訳ではない。 

 

失敗や人からの批判によって、強いストレスを感じたとき、自分はダメなんだと思っている時、

「それはそれ、これはこれ。」といって、一旦部分であることを意識して、その上で部分を全体と切り離してみてはいかがでしょう。

 

強烈な体験ほど、すぐ全体に浸食してきます。

ですから意識的に、「これは一部なんだ。」と対象を明確にします。

紙に、問題となった事実を書き出してみます。

 

「私は、顧客に状況を報告し忘れたために、顧客に余計な出費をかけさせてしまった。

このことで上司からこっぴどく叱られた。」 

「第一希望のA社に就職できなかった。」

「B大学に合格できなかった」

「借金をたくさん抱えて破産してしまった。」

 

そして「で、それが何か?」と書いてみます。

自分に質問してみます。

ちょっとつきはなすような感じですが、「で、それで何が問題なの?」と問いかけてみます。


人生おしまいですか?自分はダメ人間ということになってしまいますか?

決してそうではないですよね。

別に死ぬわけではありません。人生が終わりという訳でもありません。

断じてダメ人間ということではありません。

失敗についてフォローや挽回することはありますし、失敗という経験を活かしたり

成長したりすることもできます。

A社に就職できないとしても、他の会社に就職したり、起業したり、資格をとって自分らしく生きることは可能です。

破産しても、これから生活を立て直して、立派に生活していくこと、これから多くの人に役に立つことは十分可能です。

「それはそれ、これはこれ。」

「で、それが何か?」

人から、そう言われると、「この人何も分かってくれない!」なんて考える気にもならないかも知れませんが、自分で自分に対してそう問いかけてみると、時に落ち着くことがあります。

部分があくまで全体の中の一部分、人生の中の一部分、自分の中に一部分ということが意識できると落ち着いてきます。

今日のお話は、ほんの一部分が全体に浸食することを防ぐ、ストレスをためないための一つの提案でした。

それでは、また。 

ほんの少しの想像力

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平成20年9月29日(月)

 

皆さん、こんばんは。

 

今日は、大崎市古川の裁判所へ、裁判と家事調停のために行ってきました。

古川は、ササニシキ、ひとめぼれのふるさと。 

豊に実った稲穂の絨毯が夕日に照らされ金色にひかっていました。

とても綺麗でした。

あちらこちらで稲刈り、収穫をしていました。

 

当たり前のことですが、土地に栄養を与え、種をまき、苗を育て、田植えをし、除草や除虫をし、

温度を管理し、水や養分を与えるといったいろいろな経過を得て、この収穫の時期を迎えることができるのですよね。

 

収穫のところだけ見てみると、それだけのことのようについ思えていますが、そこに至るまでは、大変な苦労や努力があります。

 

ひとつの商品が世に出て人々の手元に届くのも、商品の開発や販売、流通管理、資金調達等いろいろな人が関わり、失敗や試行錯誤をくりかえして、いまここにその商品があります。

 

私もそうですが、つい目に見えるものだけで、何かを評価しがちですよね。

今目にしているものだけで、その人やものを知った気持ちになる。

そして、そこで思考がストップしてしまう。

 

でも、どんなものでも今目に見える状態になるまでの経緯、歴史があります。

必ず今の状態に至る因果の流れがあります。

突然、稲穂が実るわけではありません。 

 

ほんの少し想像力を働かせて、その人や物に、今目に見えるものに至る過程、歴史を考えてみると、違う見方ができることがあります

 

身近な誰か、例えば会社の上司から些細なことで

「何やっているんだ!お前なんかいらない!」

なんて言われたら大抵の人は傷つくことでしょう。

何であなたにそんなことを言われなければならないんだと反発するかも知れません。

 

少し、目に見えないものを想像してみましょう。 

 

上司がどういった背景からそんなことを言うに至ったのか?

上司自身、自分の上司から「何やっているんだ!」と言われ続けているのかも。

奥さんとの中がうまくいかなかったり、子どもからも無視されて、悩んでいるのかも。

あるいは、あなた自身が、かつてその上司を深く傷つけた言動があったのかも。

 

上司は、ストレスで自分をコントロールできずに、そんなことを言ったあと、何て酷いことをいってしまったんだ、すまないと心の中であなたに謝っているのかもしれません。

 

目に見える ところで評価すると

「そんなことを言うなんて、酷い上司だ!許せない!」とただ怒ったり

あるいは「自分は何てダメな人間なんだ。不幸なんだ。」と落ち込むところでしょう。

自分の感情は大きく揺れ動き、傷つくことになります。

 

でも目に見えないところから来ているかもと想像力を働かせてみると、

それは、上司の側の問題であって自分の問題ではない、

自分が怒ったり、落ち込んだりする必要がないと見方が切り替わってきます。

上司のために自分が必要以上に落ち込んだり、腹を立てるのは「馬鹿らしい。」と思えてくるでしょう。 

 

6歳になったばかりの娘が先日私に手紙を書いてくれました。

 

あ り が と う

お と う さ ん

 

ただ、これだけです。書けるようになったばかりのひらがなで書いたつたない字です。

字の大きさもバラバラでした。

目に見えるものとしては、それだけのものです。

 

でも、おとうさん、とても嬉しかった。

ちょっと涙がでてしまいました。

 

それは、懸命に書いている子どもの姿を想像したから。

一生懸命練習して、書けるようになったばかりのひらがなで、

おとうさんに気持ちを伝えたいという子どもが、

ペンを持って、手紙を書く小さな背中を想像したからなんですね。

目に見えるものから、ほんの少し想像するだけで、目に見えるものが、奥行きのあるものになったり、輝くものに見えたりすることもあります。

 

ほんの少しの想像力。 

 

意識してみると、今より、少し楽に、そして幸せに生きられるのかなと思っています。 

 

それでは、また。

弁護士が法律相談で意識していること

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平成20年9月28日(日)

 

皆さん、おはようございます。

 

昨日、今日と朝はとても冷え込みましたね。

冬の空気を少し感じました。

つい、この間まで夏だったのに。

 

さて、弁護士の重要な業務として法律相談があります。

事件受任の際にも、まずは法律相談をやってからになります。

 

弁護士は一体どのようなことを意識して法律相談をやっているのでしょうか?

 

法律相談の目的は、相談されている方の問題について、法的な見通しと今後の行動方針を立てることにあります。

 

相談者が、何に困っているのか、何を聞きたいのかを意識します。

法的に問題となっている事実の確認をしていきます。

 

借金問題なら、

債権者数、負債額、保証人の有無、収入状況、返済能力、資産の有無、借金が増えた原因等について確認します。

離婚問題なら

婚姻日、子の有無や年齢、別居の有無・状況、離婚原因、資産状況、収入状況、これまでの離婚についての話し合いの有無・内容等について確認します。

 

そして、相談者の希望を確認します。どうしたいのか、何に困っているのかです。

返済方向なのか、破産を考えているのか

離婚ならば、離婚しかないのか、修復も考えているのか、離婚した場合の子の問題(親権、養育費)、財産の問題(財産分与、慰謝料)について、どうしたいのかを確認します。

 

相談時間は、通常30分とか限られていますので、まずは判断に必要な事実の骨組みを確認していくのですね。 

 

問題となってくる事実とそうでもない事実とがありますので、弁護士から質問をしていって問題となる事実を抽出していきます。

 

また、相談者の方の感情・気持ちは無視はできませんが、時間も限られていますので、それは一旦はわきに置いておいて、まずは淡々と事実の抽出を試みます。

(もちろん、相談者の中には、法律相談というより、自分の話を聴いてもらいたいというような方もいらしゃるので、その場合には、気持ちを優先して、時間がある限り傾聴するということもあります。)

 

事実の抽出で問題となってくる「事実」というのは、弁護士の頭の中では「裁判になったらどうなるだろう、どこが問題となってくる事実なんだろう?」という意識からフィードバックされる事実です。

 

相手方がある問題であれば、相手方の要求や希望をききます。相談者の希望とどこが、どれだけ違っているのかを確認します。

相談者の事実と相手方がいっている事実が食い違っている場合もよくありますので、それが何かを確認します。

もし食い違っている場合には、相談者の言っている事実を基礎づける証拠があるのかが問題となってきます。

 

その上で、確認された事実を前提に、法律や判例等を前提に、見通しを判断し、お伝えすることになります。

 

見通しというのは、究極的には、裁判になったとき判決でどうなるか、また裁判によって実現可能か(回収可能か)を念頭においています。

相手に資産がなければ、勝訴判決もただの紙切れになってしまう可能性もありますから。 

 

希望の確認と 

問題となる事実の抽出→法律・判例等へのあてはめ→裁判になった時の見通し(希望の実現可能性)

 

それから、実現可能である場合に

とるべき行動指針の検討です。

どのような選択肢が、実現可能性の見地から、また、労力や時間費用の点でのぞましいのかを検討します。

 

紛争というのは人間関係の問題でもありますから、いきなり裁判ではなく、お互いの関係からできれば話し合いで解決した方がいい場合もあります。

 

選択肢としては、

弁護士に依頼して内容証明・示談交渉・調停・裁判

本人で調停申し立て、ADR(調停の弁護士会版)等です。

 

こんな頭で、私は日々相談しています。

多くの弁護士さんも大方同じような頭でやっておられるのではないでしょうか。

 

ですから、 

相談しようとする方は、できれば

・自分が何を希望しているのか、何に困っているのか。

・相手は何を要求しているのか。

・問題となりそうな事実(時系列でまとめるといいかもしれません)

・自分と相手とで食い違っている事実

等を簡単なメモでいいですから、紙に書いて整理した上で、相談に行かれると、弁護士からスムーズに適切なアドバイスを受けられるかなと思います。

 

それから、こうして紙に書く作業を通じて整理してみると、自分の現在状況を客観的に見ることができて、落ち着かない気持ちが少し穏やかになるかも知れません。

 

もちろん、何が問題かよく分からない、とにかく困っているという場合もよくあることですから、自分で整理できないからといって、悩みをためこまないで弁護士に相談してくださいね。

 

弁護士の側で、質問によって、問題となってくる事実を抽出し、整理していきますので、どうかご安心ください。 

 

今日のお話は、 

相談を受ける側の弁護士の頭の中がこんなものと分かることで、相談を考えている方にとって、相談を受ける際の緊張や抵抗が少しでも減ることができればいいなと思って書いてみました。

 

急に寒くなってきましたので、風邪など召しませぬように。 

それでは、また。

さよなら、オンボロアパート。

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皆さん、こんばんは。

お元気ですか。

 

気が付けばもうお彼岸。この時期どんどん日が短くなっていくのを感じます。

 

さて、先日の土曜、東京から友人のN君が、新婚の奥さんをつれて仙台に来ました。

彼も、優秀と思われている(でも本当は誰でも入れた)河上ゼミの1期生です。

同じく1期生のT君のお店(伊達の牛たん本舗)で久しぶりの再会です。

 

N君とあったのは、本当に久しぶりです。2月の河上ゼミ同窓会の時にも、丁度新婚旅行と重なったということで会えませんでした。

 

彼からの年賀状には、「河上ゼミの同窓会をよろしく。」というようなことをしつこく毎年のように書いていました。

ついに彼の要望に応えられるぞ、と私は、ゼミ同窓会の幹事をしたのですが、彼は来ませんでした(何て奴!)。一緒に幹事をしたT君も「全くN君は!もう!」とあきれていました。

まあ、新婚旅行では、仕方ないところですが。

 

彼は、一泊二日の予定で仙台に奥さんと来ました。

土曜日の朝に新幹線で仙台に来て、レンタカーを借りて、観光したそうです。

 

松島に行きました。

(うん、定番ですね。)

 

お昼は塩竈の「すし哲」(おいしいと評判のお寿司やさん)でお寿司を食べました。

(いーなー。私は食べたことないぞ。)

 

(他には?)

N君「昔住んでいた中山のアパートを見に行った。」 

(ん?奥さんを連れて?何か、奥さんいい迷惑じゃない?)

 

N君は、奥さんを連れて大学生時代に住んでいた古アパートを見にいったそうです。

 

彼は奥さんに

「ここが、僕が大学時代を過ごしたアパートなんだ。オンボロだけど

思いでが一杯つまった大切な場所なんだ。」

 

なんてことをカッコつけて言おうと思っていたのかも知れません。

 

クルマを走らせ古アパートに近づいてきました。見慣れた景色が視界に入ってきます。町は変わったけど、懐かしい建物や道路が次々と目に飛び込んできます。

助手席の妻に「さあ、ここが、僕の・・・・」彼がそう言おうとアパートに目をやると

 

「・・・・」

「あれ、ない!あのオンボロアパートがない!!」

アパートがあるはずの空間には、少しばかりの開けた空間がひろがっていました。

目の前の地上には、やや疲れたような雑草が、秋の風に頼りなく揺れているばかりでした。

 

 

草や強者どもが夢の跡」

 

 

と彼がつぶやいたかどうかは分かりません。

 

が、過ぎた約18年の歳月は、決して短いものではありませんでした。

 

「ここに僕が過ごしたアパートがあったんだ。キミに見てもらいたかったけど、立て壊されてしまっていたね。僕が住んでいた時も相当古かったから仕方ないね。」

遠くを見つめながらN君は言いました。

 

奥さんは「あー。残念、壊されていたなんて・・・見たかったなあ。」そう言って彼とともに、しばらく更地を眺めていました。

 

N君は、懐かしのオンボロアパートに再会することはできませんでした。

奥さんは、N君が自慢していたオンボロアパートを見ることはきませんでした。

 

でも、N君も奥さんも幸せでした。

むしろ今、ないものを見ながら、とても幸せであることを感じていました。

 

今、目の前に想い出のアパートはない。なくなってしまった。

だけど、今私たちはこうして二人一緒にいる。

心通わせることができる人が確かに側にいる。

嬉しい・・・

 

「さよなら、オンボロアパート。ありがとう、僕のオンボロアパート。」

 

こうして、彼はオンボロアパートを奥さんに見せることはできませんでしたが、

翌日には、東北大学のキャンパスを見てもらったようです。

 

それに、私やT君を奥さんに見てもらいました。

以前は、N君が大学時代にやっていた少林寺拳法の仲間も奥さんにみてもらったそうです。

 

彼は、自分が歩んできた道や出会った人を妻に見せたかったのですね。

そして、自分が歩んできた道や出会った人に「妻を」見せたかった。

 

それは、自分がこれまで歩んできた道や出会った人を大切にしているから。

それは、今側にいてくれる妻を何よりも大切に思っているから。

 

彼は「大切なもの」と「大切なもの」を引き合わせているのですね。

 

そして、奥さんも、そんな彼のこれまでの道や彼が出会った人を大切にしています。

それは、彼のことが大好きだから。

 

いい生き方をしているね。N君!

次回のゼミ同窓会の幹事をよろしく。

また、いつか会いましょう。

 

それでは、また。

太陽のように、月のように。

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平成20年9月16日(火)

 

皆さん、こんばんは。

 

夜空を見上げると、まあるいお月様が浮かんでいました。

うっすらとした雲に時々隠れながら、穏やかなひかりを地上に届けています。

 

その光は、

太陽と比べれば、圧倒的に弱いものです。

でも、その光はとても心地よい。

 

太陽と比べてとても弱い光ですが

夜空の中では、その存在は頼もしい。

暗闇の中では、とても頼りになります。

押しつけがましくなく、そっと見てくれている、そんな存在です。

 

太陽のような励ましが、心の支えになるときもあります。

その圧倒的な明るさ、「頑張れ!」と大いなる声援に、元気が出てくることは多いでしょう。

 

でも、時にそんな有無を言わせないような明るさや声援が辛いことってありますよね。

心が萎えているとき、弱っているとき

「こんなに頑張っているのに、これ以上どう頑張ればいいの!」

とそんな気持ちになりませんか?

 

そんな時には、月の光のような、優しい光が 、むしろ嬉しい。

遠くで穏やかにただ見守ってくれているそんな光が有り難い。

 

この仕事をしていて、様々な悩みを抱えている方を前にして、

私はどのような接し方をしたらよいのだろうと考えることがあります。

 

また、同じ人でも、その人が今置かれている状況や感情に応じて、好ましい対応って変わってきますよね。

 

時に、太陽であろうとしたり、月であろうとしたり。 

 

とても難しいことですが、なかなかうまくいかないことの方が多いですが

これを適切に選択しようとしていくことが、人と人との関係において、

温かいつながりをもつためには、大切なことかなと思っています。

 

人と人との関係というものは、お互いに、ひかりをあてつつ、つながっているというような話を以前しました。

 

もし、誰かとの関係がうまくいかない時には、

よかれと思っていあてているひかりの加減が相手にとっては重荷になっている場合もあるかもしれません。 

 

自分が与えるひかりの質を適切に選択し、ひかりの加減を相手にとって望ましいものに調節できることが、人との間で、良好なつながりが持つ一つのポイントであるような気がしています。

 

その人、その時に応じて適切な「ひかり」を選択し、必要な量の「ひかり」をあてること。

そのひかりの源には、相手を思いやる気持ちがあること。

 

人と人とは、お互いに、ひかりをあてあって、つながっている。

そして、その与えるものの質が適切で量が丁度よい加減であるとお互いに幸せです。

 

あまり「加減」に神経質になると何も動けなくなり問題かも知れませんが、

もし人との関係でうまくいかない時は、少し「加減」を意識してみるといいのかなと思っています。 

 

ご縁があって私の目の前に来てくださった方にとって、

太陽のひかりが望ましいときは太陽のように

月のひかりが望ましいときは月のように 

そんな風になれればいいと思っています。

 

それでは、また。

法曹をめざす方の相談を受けつけます。−「失敗」を活かす。

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平成20年9月12日(金)

 

皆さん、こんにちは。

 

昨日は、新司法試験の合格発表でした。

新司法試験というのは、2年ないし3年の法科大学院を卒業した方が、法曹(裁判官、弁護士、検察官)になるために受ける国家試験です。

 

合格発表というのは、その結果によって、天国か地獄かのように別れるような気がしていて、私、いつもどきどきしていました。

 

司法試験では、何度も合格発表を経験してきましたが、「ホントにもう、勘弁して!」というのが正直なところです。

 

そして不合格だった時の、なんともいえない無力感、申し訳なさ、腹立たしさ・・・

 

司法試験を受験できる、そして発表を見る前に「合格しているかもしれない」とその結果にどきどきできるというのは、ある意味とても恵まれていることなのですが、実際不合格を知った時は、「何てダメなんだろう。」「何てついていないんだろう。」「所詮無理なのかな・・」と頭の中はネガティブワードでいっぱいになっていました。

 

通常の時期には「結果を求めて頑張る」「結果こそ全て」というスタンスでいるのがいいと思っています。

 

でも、ここは、ちょっと矛盾しているかも知れませんが、
実際に、頑張って思うような結果がでなくても、結果がでなかったので意味がなかった、それでもうダメだとか、人生おしまいだ、とか、自分を責めたり、投げやりになったりしないで下さい。

 

今年の合格に向けて、頑張ったこと、勉強したことは、自分の中にしっかり蓄積されています。絶対に無になんかなっていません。

 

結果を目指して頑張ったことは、必ずあなたを成長させています

ここが、ふんばりどころです。試されどころです。

 

踏ん張ることはとても力がいることかも知れませんが、何が何でも「グッ」と踏ん張ってください。

それができたなら、そのこと自体、また、大きな成長を手にすることになります。

 

今、この時は、気がつかないかも知れません。
今、この時は、目に見えないことかも知れません。

 

でも、この時の踏ん張りによって、あなたの奥底には、確実にたくましい芯のようなものが作られていきます。(この芯のようなものが、目に見える結果よりも、人が自分らしく幸せに生きていく上で、実はとても大切なものだと思います。)

 

そして、少し落ち着くことができたのなら、
次は、今の自分で、何が合格までに足らなかったのか、正面から見つめて下さい。

 

冷静に分析して、自分を別の第三者の目から見るような感じで、これから何をすればいいのか、戦略を練ることです。行動計画を立てることです。

 

自分の現在地点と合格地点の距離を落ち着いて把握することです。

 

そして、「すぐに」実行していきましょう。少しだけでいいですから。ほんの一歩でいいですから。

 

そうすることができた時、「失敗」はあなたの最大の味方になってくれています。
あなたを大きく成長させる出来事に転化します。

 

私、試験の失敗を重ねていたころ、この負けた時に、きちんと負けたことを正面から見つめることができずに、目をそらしていました。

そこに大きなチャンスがあったのに、失敗の現実から逃げていたんですね。そして、運のせいになんかしていました。

 

実に、もったいないことをしていたのですね。

 

失敗したときに「ガツン」と真正面から、失敗に向き合い、見据えることができるならば、確実に、そして早く目標地点に近づくことができると思います。

 

今まで歩いてきた道のりを信頼して、「失敗」によって見えてきた、あなたがこれから進むべき道を見据えて歩くことです。

 

「ああ、落ちてしまった・・・しばらく落ち込んでいよう・・・」なんてボーっとなんかしないで下さいね。

 

新司法試験は、昔の司法試験に比べても決して優しい試験ではなく、難関であることは間違いありません。
合格率33パーセントといっても、厳しいカリキュラムの法科大学院を卒業し、頑張ってきた人達の中の数字ですから。

 

ですが、法科大学院に入学し、卒業された方にとっては、冷静に、自分の現在地点と目標地点(合格ライン)を見極め、行動していけば、ほぼ確実に合格できる試験だと思います。

どうか時間を大切にしてください。

 

そして、せっかくした「失敗」を活かしてあげて下さい。「失敗」を活かそうと決意する時、その失敗が、後で振り返った時、あの「失敗があったからこそ」と言える日がきっと来ると思います。

 

もし、今回の試験で、残念な結果に終わった方、辛いことだと思いますが、この「失敗」を目をそらさずに、真正面から受け止めてくださいね。

 

あなたの素晴らしい未来のために。

そして、あなたを支えてくれる大切な人達のために。 

 

今日は、ちょっと(かなり?)偉そうなことを言ってしまい申し訳ありません。

 

でも今日の話は、かつて不合格発表の日に、落ち込んでいる私に対して、未来からの私が、伝えたい言葉です。

 

そして、本当のことを言うと、今なお、ついつい失敗に目をそらしたくなる、今の自分にも言い聞かせている言葉ででもあります。

 

法科大学院生、法科大学院を卒業され、将来法曹になることを目指している方で、将来のこと等、何か悩みがある方は、私のような者でよろしければご相談に応じます。

(大学生や高校生で、将来弁護士になりたいと考えている方もどうぞ。) 

 

どうぞお気軽にご連絡(メール、お電話)下さい。

 

業務の状況によっては、すぐにご対応できないかも知れませんが、できる範囲で誠実に相談をおうけしたいと思っています。

 

それでは、また。

かけがえのない時間

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平成20年9月10日(水)
 
皆さん、こんにちは。
 
3日続けて、さわやかな秋晴れです。
晴れていると夕焼けもまたきれいですね。
 
このブログで写真をたびたび載せていますが、私、夕焼け、夕暮れの風景が好きです。
「あ、きれいだな」と思うと持ち歩いているデジカメでつい撮ってしまいます。
 
刻々と変わる光や色合い、影、雲の様子。
少しずつ変化する夕焼けを眺めていると、今自分が見ているこの景色は、この時だけのもの、この瞬間だけのものと感じます。
 
この光の加減や、雲の形、空気の感じは、かつて似たようなものはあったかも知れないし、またこれから同じような風景に出会えるかも知れませんが、全く同じものは、この瞬間にしか存在しません。
 
そもそも、いま何気なく過ごしている私達の毎日の暮らしも、この瞬間にしか存在しないものなんですよね。同じ日、この時、この瞬間は、もう二度とこないのです。
 
どんなものも固定することなく、変化していく。私も、あなたも、周りの人も、景色も、物も。変化し、流れていく。
 
どんなに堅固なビルも、何千年も生きる縄文杉もいつかは、変化し、老い、消滅していきます。
(いや原子レベルでいえば、消滅するのではなく、また何かに変わるのかも知れませんが。)
 
「今、あなたは、二度と来ない、かけがえのないこの時を、大切にしていますか?」
 
と、私は、時おり、このような言葉が浮かんでくる度に、「どきっ」とします。
そういう時って、たいがい、私、時を大切にしないでいる時ですから。
だらだら、何かに流されてしまっている時ですから。
 
つい、今日という日が、似たような日が、ずっと続くような気になってしまう。
これからどうなりたい、どうしていこうなんて考えることなく、与えられたことについて、ただ「機械」のようにこなしていく。
 
そして、振り返って、こんなに時間が経ってしまったことに気がつきます。
しまった。あの時、もっと時間を大切にしていればよかった。○○をしていればよかったと後悔する。
 
この問いを、いつもいつも自分に問いかけ、意識するのは、疲れますが、一週間に一度くらい、例えば、日曜日の夜眠る前とかに、心を静かにして、自分に問いかけてみるといいのかもしませんね。
 
「この一週間、大切に過ごすことができたかな?」

「これからの一週間、大切に過ごしていこう。どうしたらいいかな?」
 
できる方は、毎日、夜寝る前に、一言問いかけてもいいかも知れません。
 
「今日という一日、大切に過ごすことができたかな?」

「明日という一日、大切に過ごしていこう。どうしたらいいかな?」
 
ほんの一言、二言の問いかけですが、こんなことが、習慣にできるといいのかなと思います。
 
この問いで、当たり前だけど、普通は意識しない「今という時は、二度とこないかけがえのない大切なもの」ということが意識できるでしょう。
 
そして、かけがえのない時間を大切につかうように、行動するきっかけになるのではないかなと思っています。
 
時間は、命そのものです。
 
生まれてから死ぬまでが人生です。
生まれてから死ぬまで、与えられた時間が人生です。
 
そして、今この時から、死ぬまでの時間をどうするかは、自分に委ねられています。
 
与えられた時間を、大切に、悔いのないように過ごしたいものですね。
 
あなたの大切な時間を、私のつたないブログを読むことに使っていただき、ありがとうございました。
 
それでは、また。

一部と全体−その情報は、ほんの一部分かも?

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平成20年9月8日(月)

 

皆さん、こんにちは。

 

昨日までのながく続いた不安定な天気から一変して、今日は、素晴らしい秋晴れですね。
空気もさわやかで、気持ちいいです。
今日、いも煮会なんかやると最高でしょうね。

 

さて、私は、通販やネットショッピングで、何かを購入しようとする時って、「お客様の声」「ユーザーボイス」を参考にしています。皆さんはいかがですか?

 

また、楽天トラベル等で、出張や旅行先のホテルを予約する際にも、必ず「お客様の声」はチェックして評判のいいところにしています。

アマゾンのネット書店でも、実際にその本を読んだ人のコメントを見てしまいますね。

 

楽天のネットショッピングやアマゾンのコメントは、プラス評価だけではなく、中にはマイナス評価や酷評している商品や書籍等もあって、ある程度は、冷静に購入を決めることができます。

 

でも、お店のホームページでは、その商品を利用したお客様の声は、いい感想しかのっていませんよね。
宣伝なのですから、それは当たり前です。

 

「この○○で、10キロやせました!」「リバウンドなし!楽々ダイエットでした!」
「この○○講座で、楽に、副収入が毎月10万円以上になりました!」
「このパチンコ○○必勝法で、今まで負けていたのが嘘のように勝ちまくりです!」
「この○○サプリで、元気モリモリ、毎日が快適です!」

 

ニコニコした顔写真入りで「この商品のおかげで、○○になりました!」いうような「利用者の声」が載っている広告を見ていると、「本当かな?でもちょっと試してみようかな。」なんてその気になってしまいそうですよね。

 

私も、以前「○○でぐっすり眠れました!頭をのせるとすぐに意識を失いました!」なんていうお客様の声にひかれ、つい安眠枕を買ってしまったりしました。

 

ホームページやチラシでは、そこには、当然お店の販売の意図があります。「この広告でお客さんに購入してもらいたいな」という編集の意図は加わってきます。

それは、それで当然です。商売なんですから。ビジネスなんですから。

 

あるダイエットサプリメントで、100人のお客様のうち、実は97人には効果はなく、3人だけが、効果を実感したとしましょう。

 

お店がアンケートをとって、その3人に頼んで「この○○サプリで、○キロやせました!」なんてコメントを書いてもらって、お店のホームページに掲載しました。

 

3人くらい「効果がありました!」「やせました!」「楽々ダイエットです!」なんてコメントが並んで、幸せそうなイメージ写真やイラストが載っていたりすると

「おー、やせそうだな、ちょっと試してみようかな。」
何ていう気になってくる人も結構いるのではないでしょうか。

 

全体でみると、他の97人には効果がなかったのですが、そのような情報は、広告を見る人には入ってきません。見えるのは効果があったという人だけの情報です。

 

全体でみると、ほんの一部分の事実にすぎませんが、そこに焦点をあて、そこだけを見ると、それが全体像であるかのように思えてくる。全体の一部分であるというような意識は、全く思いもよらない。

 

また、本当に100人中3人の人に効果が本当にあったのであれば、いいのですが、その3人の声自体、お店から「○○をあげるから、このサプリが効果あったとするコメントを書いて」とか頼まれて書いたものだったり、酷いのになるとそもそも誰も効果がない商品なのにお店が勝手にコメントをでっちあげて掲載したりすることだってあるかも知れませんよね。

 

実際にその商品を使用した人が「効果があった!」とコメントしているというのは、その効果を、自分にも重ね合わせて、例えばやせた自分をイメージしたりして、「だったら私も。」という気にさせます。販売者側にとっては効果的な宣伝手法です。

 

少し、冷静になってみましょう。

そのコメントは、全体の中の一部かも知れませんよ。

全体でみると、効果があったとする人は、ほんの一部で、実は効果がなかった人の方が大多数なのかも知れませんよ。

そのコメントは、お店の人から頼まれて、書いたものかも知れませんよ。

ひょっとしたら、お店で、編集を加えたりしているかも・・・

 

一部に、視点が固定化され、それで判断し、行動すると、余計なものを買ってしまったり、困った結果になったりすることもあるでしょう。

 

以前「心のズームレンズ」というお話をしました。


人は、悲しいことや、腹立たしいことについズームをかけてしまいがちで、その外にあるありがたいことを見落としてしまいがちなんじゃないのかな、ズームを引いて、ワイドにして、見えている外の部分の存在を意識してはどうでしょうか、全体を眺めてみてはいかがでしょうか、というお話でした。

 

また、人は、2,3の体験で、全体を規定しがちであること、例えば旅先で出会った人が感じが悪い人だったら、その町の人たちは性格が悪いなんて思いがち、具体的な裏付けなしに部分から全体を決めつけがちというお話も以前しました。

 

一部を見ていると、どうしても、そこに視点が固定されて、それが全てという気がしてしまいます。

一部分なのに、それだけで「この商品は素晴らしい。」「この町の人は性格が悪い。」なんて決めつげがちです。

 

そして、一旦決めつけてしまうと、それが違うかも知れないことには、なかなか考えが及ばなくなってしまいます。

 

確かに、一部分のことが、全体を表象しているようなこともあるでしょう。
一部から「全体はどうなっているのだろう?」と推認するということも大切な思考作業です。

 

ですが、それは、全体の存在を意識していること、あくまで、与えられた情報は一部に過ぎないものであることの認識が前提となっています。

 

ところが、そもそも目にしていることが「全体の中の一部であること」の認識がとんでしまいがちなんですよね。一部を当然に全体であると思い込んでしまう。

 

目に見える情報が全てだと。きっと効果があると。やせるに違いないと。そう思いこんでしまう。

目にしていない別の情報の存在に気が付くこともなく「間違いない!」と思ってしまう。 

 

コメントを出していない、「効果なんて全くない」と言っている人がいるかも知れないことは思いもしない。一部の情報かも知れないとは思いもよらない。

 

今見えている情報は、全体の中のほんの一部ではないだろうか?
見えていないところで、見えている情報とは、別のものもあるのではないだろうか?

 

「一部と全体」それを意識することがとても大切だと思います。

 

そして、一部から、安易に全体を判断しないこと。決めつけないこと。

柔軟にレンズを引いて、全体を眺めること。
今目にしている部分は、全体の中で、どんなところに位置づけられるのかを考えること

別の見方もひょっとしたらあるんじゃないかなと考えてみること。

 

そして、実際に、見る角度を変えたり、視点をずらしたり、鳥の目で上から全体を眺めてみること。

 

その上で、判断すること、行動することが大切じゃないのかなと思っています。

(と、コメントに弱い自分にも言い聞かせています。)

 

余計なものを買ってしまわないように。

そして間違った判断や誤った決めつけで、自分や自分の大切な誰かを傷つけないように

 

それでは、また。

優しく丁寧な応対

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平成20年9月6日(土)

 

皆さん、こんにちは。

 

ぐずついた天気が続いていますが、天気予報だと来週は晴天になるそうです。
気持ちのよい秋晴れが早くくるといいですね。

 

さて今日は、憲法の話は一休みにして話を。

 

当事務所では、自己破産個人再生債務整理といった借金問題に関する業務を多く行っていますが、自己破産、個人再生といった事件について、裁判所に出す書類の整備やそれに必要なお客さまとの打ち合わせは、現在ほとんど事務の江坂さんに担当してもらっています。
私は、最終的な確認をしているくらいです。

 

私の場合、丁寧にしようという気持ちはあるのですが、どうしても「合理的に、効率よく、速く」打ち合わせをしようとしてしまいます。ごめんなさい。

 

ですが、江坂さんは、お客さまに対して、本当に「優しく丁寧に」応対しているんですよね。

 

そして、お客さまは、借金を抱えて困っているという状況の方々なのですが、江坂さんとの笑い声が聞こえてきたりして、私と話をしていた時には少し緊張していたような方でも江坂さんと話をしている時には、安心されるのか、とてもリラックスしているようです。場の雰囲気が柔らかくなります。

 

そして自己破産や個人再生事件が終わったとき、多くのお客さまから「ありがとうございました。江坂さんにもよろしくお伝え下さい。」という言葉をいただきます。

 

トップページにも書いていますが、私としては、当事務所には「弁護士ってとっつきにくいな。法律事務所へ行くのって少し怖いな。」という方に特に、来ていただきたい、役に立ちたいと思っていますので、江坂さんのように「優しく丁寧に」接してもらって本当に助かっています。

 

私自身、初めていったところ、ましてや病院とか何か不安を抱えているときにいくところで、看護婦さんとか、そこの方に、優しく対応されるととても安心します。嬉しいです。

 

そんな安心や嬉しさを、当事務所を選んで来てくださった方に対しても、感じていただけるといいなあと思っています。

 

もし、あなたが、借金問題で悩んでいて、「法律事務所って少し怖いなあ。」と不安で「優しい人がいいなあ。」ということであれば、どうぞ当事務所へ入らしてください。

 

私たちは、そのようなあなたのお役に立ちたいと思っています。

 

と、今日は事務所(江坂さん)の宣伝・自慢になってしまいました。

どうもすみません。

 

それでは、また。

民主主義と立憲主義3−個人の尊厳をまもるために

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平成20年9月5日(金)

 

皆さん、こんにちは。

昨日の晩御飯は、さんまの塩焼きでした。大根おろしとポン酢でいただきました。
旨かったです。

 

さて、前回のつづきです。

 

法律は、国民から選挙で選ばれた国会議員によって、議論され、多数決によってきまるものです。民主的な基盤がそこにある。

 

そんな民主的な基盤があっても、民主主義にそっていても、「政治を批判した人を刑務所に入れる」というような表現の自由を侵害するような法律は、決めてはいけない、多数決でも決められないこともあるいうことでした。

 

憲法は、この「表現の自由は、大切なものだから、国家は制限してはいけないよ!」と国家に縛りをかけています。

 

国家に縛りをかけるという考え方を立憲主義といいますが、国民の代表者からなる国会で多数決で決められないこともあるということは、立憲主義が、民主主義を制限しているという関係に立つといえます

 

民主主義の目的は、国民一人ひとりを大切にするために、みんなの意見を反映させるということでしたが、いろいろな人がいて、どうしても多数派と少数派と別れてしまうこともありえます。

 

そして、多数決の場面で、多数派の意思にもとづいて国家や団体の意思決定がなされることになります。

 

そんな時、特定の少数の人に、一方的な不利益を与えてしまうかも知れません。負担を押しつけてしまうかも知れません。

多数派の人は、往々にして、少数派の気持ちは分からないものです。

そして、気持ちが分からないまま多数決によって、少数者の人の大切な自由を奪ってしまうかも知れません。

 

ナチスドイツのヒトラーって知っていますか。
ユダヤ人の大虐殺とか、他国の侵略をした独裁者ですね。

 

ヒトラーは、突然独裁者になったわけではなく、国民の大多数の指示を受けて、権力者の地位につき、その政策を推し進めました。民主主義にのっかっていたわけですね。

でも、あのように自国民も他国の人にも大きな犠牲がでる結果となりました。

 

民主主義は、絶対ではありません。それだけでは間違ってしまうこともある。
そして、間違ってしまったとき、大変悲惨な結果も起こりうる。

 

そんなことがないように、憲法は、多数決でも奪ってはいけない人権のリストをかかげました。これらの人権は、人が人として生きていくのに大切なものだから、多数決=法律でも決めていけないことを明かにしました。民主主義に制限をかけました

 

憲法は、民主的な基盤をもつ国家=権力に対しても、「この権利、自由は、人権つまり人が人として生きていくために大切なものだから、侵害しないように注意せよ。」と縛りをかけているんですね。

 

そうすることによって、時に、多数決によって、侵害されることもある個人、特に少数者の人権を守ろうとしているのです。

 

皆さんは、「民主主義」って聞くと、正しいもの、いいもの、間違いないものって感じがしませんか?

「民意」とか「世論」というのはどうでしょうか?それには当然従わなくちゃいけないって感じになりませんか?

 

でも、与えられた情報とか、なんとなくといったムードとかで、「あの国(あの団体)感じ悪い、怖い、気に入らない。」といったような雰囲気が生まれ、多数意見が形成される可能性は否定できません。

 

そしてナチスドイツや戦争につきすすんだ過去の日本の経験も踏まえて

民主主義は絶対ではない」としたところに大きな憲法の意味があります。

 

おそらく「民主主義=正義、絶対」となりがちなところだと思いますので、実は、そうではないんだ、限界もあるんだということを是非押さえておいてくださいね。

 

日本国憲法の究極的な目的は、個人の尊厳、つまり一人ひとりをかけがえのない存在として大切にすること、にあります。

 

第十三条 すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。

 

では、個人の尊厳確保のためにどうすればよいか?

 

歴史上、個人の尊厳を踏みにじってしまったのは、国家=権力でした。

国家権力は、安全を確保したり、社会秩序を維持したり、人と人との自由を調整したり、国民一人ひとりにとって大切なものではあります。必要なものです。

 

ですが、国家=権力は、その性質上、強大な権限、強制力があり、また強くなろう、大きくなろう、批判されたくないといった性質があるために、歴史上、間違ったり、行き過ぎたりして、個人の尊厳を踏みにじってしまったこともあったのです。

(いや、本当のところは、現在もいろいろなところで、間違い行き過ぎは起きてしまっています。皆さんは、えん罪事件って知っていますか?)

 

ですから、憲法は、国家=権力に対して向けられています。

 

国家=権力が、個人一人ひとりの個人の尊厳を害さないように
国家が奪えない権利自由を人権のリストとして、憲法に掲げているのですね。

 

立憲主義は、民主主義を制限するものということですが、他方で、立憲主義と民主主義は、いずれも、個人の尊厳確保のためのものです。

 

つまり民主主義は、国家権力自体を、国民の意思が反映され、国民がコントロールるようなシステム、権力に民意を反映するシステムによって、権力による人権侵害をおさえようとしているのです。

 

国民自らが、権力について、影響を与え、批判を加え、権力側に参加する道もあるということで、自らの権利自由を制限しないようなルールをつくっていけることになります。

 

王様のような特定の人が決めるのと国民の選挙によって選ばれた代表者が話し合って決めるのとでは、どちらが国民個人の権利や自由にとって、よい法律が作られるかどうかを考えてみると分かるでしょう。

 

少数派の人達も、議論の中で自分の意見をいい、多数派の人達も少数派の人達の意見をよく聞くことで、個人の尊厳、少数者の人権を無視するような法律やルールを作ることを一定限度は防ぐことができるでしょう。

 

この点で、民主主義は、立憲主義と相携えながら、クルマの両輪のように、個人の尊厳確保を支えていると言えるのですね。

 

それに、前回、お話しましたが、表現の自由は、民主主義を支えるものです。自由な情報の流通があり、国政への批判も含めて、自由に話し合いができるからこそ、民主主義が維持できるのです。

 

ですから、表現の自由をふくめた人として大切な権利自由をまもろうとする立憲主義は、民主主義を支えるという関係にも立つのですね。 

 

まとめると

「立憲主義は、民主主義を支え、しかし、時に制限する。

そして、立憲主義と民主主義は、ともに個人の尊厳をまもるためのクルマの両輪である。」

ということなんですね!

 

またまた長くなってしまい失礼しました。

読んでくださってありがとう。

 

続きはまた。

民主主義と立憲主義2−表現の自由がない世界

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平成20年9月4日(木)

 

皆さん、こんにちは。

昨晩は蒸し暑い夜でした。寒暖の差が大きいこの季節、寝る時の温度調節が難しいですよね。

 

下着だけか、パジャマを着るか、パジャマは厚手か薄手か
窓は開けるか、開けるとしてどれだけ開けておくか
扇風機はつけておくか、つけるとしてつけっぱなしかタイマーにしておくか
かけるのは、タオルケットだけか、毛布もかけるか

 

なんて、寝る前に、私は、暑すぎず、寒すぎず、眠れるように、風邪を引かないように、いろいろと調節しています。

皆さんは、いかがですか?

 

さて、前回のつづきです。

 

クラス会を題材にして、多数決で決めていけないこともあるんだよ、というお話をしました。

 

では、スケールを大きくして、国の場合、国会の場合はどうでしょう。
国会では、法律は国会議員の多数決によって決められていますが、多数決で決めるのなら、どんな法律であっても定めてもいいのでしょうか。

 

例えば、こんな法律はどうでしょうか?

 

「国の政治を批判した人は刑務所に入れる」

 

こんな法律を、みんなによって選ばれた代表者(国会議員)が多数決で決めてよいでしょうか、多数決でも決めてはいけないことでしょうか?

 

国会議員は、国民の選挙で選ばれた代表者ですから、その人達が、話し合って多数決で決めることなら、それが国民の意思じゃないの、国民の多数にそうものだから、何でも法律で決めていいんじゃないの?

そう思う人もいるかも知れませんね。

 

王様や将軍のような特定の人が、勝手に決めた法律は問題だけど、国民の選挙によって選ばれた人なら、自分たちが選んだ人が、話し合って多数決で決める以上は、問題ないんじゃないの「正しい」んじゃないの。それが民主主義じゃないの?

 

総理大臣や、政府の人が
「私達の政権運営を批判する人がいる。私達がやっている政治は、国民国家のためにやっているのに、正しいのに、それを邪魔するのはけしからん。私達の政治を批判する人は、国家・国民の利益を損なう人でもあるから、処罰して、批判させないようにしよう。そうすれば、正しく美しい政治が円滑にすすむ。」

 

なんて考えて、こんな法律を国会で作ろうとしています。国会では、総理大臣の政治に賛同し、「総理の考える政治の流れを止めていけない。」「反対派は、邪魔者だ。」「政治を批判するような少数派は、つべこべ言わず、政府の考えに従っていればいいのだ。」と考えている国会議員が多数でした。

 

多数決でどんな法律も決められるのなら、こんな法案も成立してしまうかも知れませんね。

どうでしょう?こんな法律をつくってもいいでしょうか?

 

まずいですよね。困りますよね。

 

国の政治を批判することができなくなります。表現することの自由が奪われることになります。怖くて言いたいことが言えなくなります。監視の目を気にして、冗談も言えなくなります。

 

「表現の自由」は、憲法の世界では、とても重要な自由、大切な基本的人権とされています。

 

政治を批判することができない、政治を批判的に論じることができない世界って、どんな世界でしょう。国家がやることに批判ができず、従順に従い、褒め称えるしかない世界ってどんな世界でしょう。

 

「それって、おかしいんじゃない?」って声を出すことができない世界。
「私は、政府のやり方より、こうした方がいい。」と言えない世界。
一体どんな世界なんでしょう。人々はどんな暮らしをしているのでしょう。

 

少し想像力を働かせてみましょう。

表現の自由のない世界ってどんな世界なんだろう?

 

テレビや新聞は、国の政治をほめたたえる報道しかしません。

政治や権力にとって不都合な事実は報道しません。国会議員や公務員の不祥事なんて明るみにでません。


だから、国民は、生活は苦しくても、不自由な暮らしを送っても、国の政治に問題があるとは思いません。思っていてもいえません。

 

学校の先生も、国の政治は素晴らしいと教育します(そういう人しか学校の先生になれません、学校にいられません)。

 

暮らしに不満があっても、それは自分とは違う考え方の人たちのせい、どこかの国のせいだと思うかも知れません。

 

一見、統一化、画一化かされ、統制がととのった見た目はきれいな感じになるかも知れませんね。

見た目は美しい。一致団結。統制のとれた集団。

 

そこでは、多様性は否定される。異質なものは排除される。少数者の利益は無視される。

そんな流れになってきそうです。 

 

画一化された人々は、国家からの情報をもとに、国家を中心に、きれいにまとまっていきます。

実は、一人ひとりの幸せや良心は置き去りにされたことに、気がつかないままに。

 

自分で自分の幸せを追求することの感覚がマヒしていきます。「これが国民の幸せなんだから、こうしなさい。」と幸せを国が教えてくれますから。 「そうなのかなあ」って。

 

画一化され、多様性が否定され、ベクトルの方向が一つにまとまった時、その方向へ、ぐんぐん進んでいきます。加速していきます。暴走していきます。「いけいけどんどん!」です。

 

国民の多くも気分は盛り上がってきて高揚してきます。「正義は我らにあり!」「平和のために、敵をやっつけよう!」なんていう気分になってきます。

 

国家=権力も、自由にものが言えない世界で、つくりあげられた国民の多数=世論に乗っかって、どんどん加速していきます。

 

こうして、国家=権力が暴走してしまっても誰も止めることはできません。暴走してしまっている時に、内心で「これは違うんじゃないかな。」「一体何のために、私達は、人を傷つけ、人から傷つけられたりしているのかな。」と疑問に思っても止められません。

 

国民が、政治の批判も含めて、言いたいことを言える自由がなければ、とても怖い世界になりそうな気がします。

 

実際、戦争につきすすんだ昔の日本では、これと似たような法律があって、国の政治を批判した人達が捕まり、批判することがおさえつけられました。

 

また、独裁国家では、これとにたような法律があります。
権力を掌握し、権力を維持、拡大する者にとっては、国民の「政治を批判すること」こそ苦々しいものはありませんからね。従順にロボットのように従ってくれる国民こそ「よい国民」でしょう。

権力をもつ者は、その性質上、批判されるのが苦手です。できれば批判されたくない。 

 

そんな世界では、一人ひとりの幸せは、大切にされません。多くの人と違うこと、多くの人の考えと違うことは、嫌がられます。「そんなのわがままだ。」と一蹴されそうです。

 

みんなと同じ考え、みんなと同じ価値観、みんなと同じ好み、そうなるよう圧力がかかってきます。そしてみんな=国の考えとなっていく。

 

自分の幸せは自分で決め、求めていく。

自分のなりたい人になる。

好きなことを仕事にする。

やりたいことをやる。

 

そして、自分の良心に従って生きる

 

そんなことは夢物語になるのかも知れませんね。

 

かつて、言いたいことがいえないことがあり、それで戦争につきすすんでしまった、戦争で多くの人々が悲惨な目にあったことをふまえ
日本国憲法は「表現の自由」を大切な人権として、定めました。

 

第二十一条集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。

 

先に、国家=権力はとても大切なものであるが、間違ったり、暴走して、国民個人の自由や権利を侵害してしまうものなので、憲法で、国家=権力を縛る、コントロールするというお話をしました。

 

国家=権力を縛るという意味で、表現の自由は、とても重要な意味をもってきます。

 

国の政治や総理や国会議員の発言についてありのままに報道し、国民に情報を与えること。そして、国民が国の政治について意見を言い、「これはまずい」「こうした方がいい」と言えること、こうしてはじめて、国民が、国家=権力をコントロールすることが可能になってきます。

 

国家からの一方通行ではなく、国家と国民の双方通行が成り立ちます。

国家=権力の間違いや行き過ぎにブレーキをかけることが可能になってきます。

 

そして、表現の自由は、民主主義を支える自由として、大切なんですね。

 

みんなが言いたいことが言える、批判したりできることで、話し合いの場で、いろいろな意見がでてきます。多数派の人だけでなく、少数派の人も、どうしてそう考えるのが自分の意見を言うことができます。少数派の人の意見を聞くことで、多数派の人の意見も変わるかもしれません。また少数派の人の意見をふまえたルールを作ることができるかもしれません。

 

言いたいことを言える自由、表現の自由があってこそ「みんなのことは、みんなで話し合って決める」という民主主義が実現されます。

 

みんなが自由に意見が言えない状況で、安易に多数決で決めるというのでは、本当の民主主義は実現されません。

 

こんな大切な人権だから、憲法は、国家=権力に対して「これは、大切な人権だから、侵害してはダメですよ。守りなさいよ。」と縛りをかけているのです。

 

憲法は「あなた(国家=権力)は、放っておくとすぐ人々の表現の自由を制約しがちで、実際にも昔、言論を抑圧して、人々がとんでもない目になったことがあるでしょ。だから特に気をつけなさいよ!」と憲法は、国家にこの表現の自由を「侵害しちゃダメだよ!」と縛りをかけているのです。

 

国家は、法律を作るときに、国民の表現の自由を侵害する法律を作ることは、許されない、もし間違ってそんな作ってしまっても「無効」とすると憲法は、国家を縛っています。

 

それは、国民一人ひとりの表現の自由を守るために。

そして、国民一人ひとりの存在を大切にするために

 

ですから、説例のような法律を国会で作ってはいけません。憲法に違反することになります。

 

長くなってしまいました。

続きはまたにしますね。

 

読んでいただきありがとうございました。

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平成20年9月3日(水)

 

皆さん、こんにちは。


早いもの8月も終わり、9月になりました。いかがお過ごしですか。

まだ日中は、まだ暑いですが、晩は虫の声が心地よいです。
スーパーに行くと、梨やぶどうが並べられています。秋限定のビールが売り出されていました。

新しいパッケージのビールを見かけると、妻の機嫌とり(?)に、とれあえず1本カゴに入れてしまいます。
もう、秋なんですねー。

 

さて、サマースクール法教育授業のつづきです。

 

前に「民主主義のはなし」で、物事のきめかたとしては、みんなのことは、みんなでよく話し合って決める。意見が分かれたら、最後は多数決だけど、安易に多数決で決めないことも大切だということをお話しました。

 

それでは、どんなことでも、みんなで多数決で決めてよいのでしょうか?
まず、クラスの中でのことを考えてみましょう。次のワークシートを考えてみてください。
(中学生・高校生対象ですが、よろしければそれ以外の方も少し考えてみてくださいね。)

この問題は、「はじめての法教育Q&A」法教育推進協議会編 にあった教材をベースに私が手を加えたものです。

 

ワークシート(1)

Q:次にあげることは、クラスみんなで多数決によって決めてよいことか、決めるべきではないことか考えてみましょう。
※多数決(たすうけつ)
会議などで、賛成者の多い方の意見によって物事を決めること

1 文化祭でのクラスの出し物
      多数決によって決めてよい          多数決では決めるべきではない
      その理由は                                                                  だからです。

 

2 クラスの生徒一人ひとりの所属するクラブ活動
      多数決によって決めてよい          多数決では決めるべきではない
      その理由は                                                                  だからです。
   

3 教室の掃除当番の決め方
      多数決によって決めてよい          多数決では決めるべきではない
      その理由は                                                                  だからです。

 

① 文化祭のクラスの出し物で、「ブレーメンの音楽隊」の劇をすることになりました。そこで、ロバの役をA君にしようと多くのクラスメイトが言い出しました。A君は、「絶対嫌だ!」といっています。多数決でA君に決めてしまってよいのでしょうか?
      多数決によって決めてよい          多数決では決めるべきではない
      その理由は                                                                  だからです。

② 教室の掃除当番を、女子だけで交替にやってもらうという意見が出されました。多数決で女子だけで交替にやってもらうということに決めてよいのでしょうか?
      多数決によって決めてよい          多数決では決めるべきではない
      その理由は                                                                  だからです。

 

いかがでしょうか?これを多数決で決めるのはどうかな?まずいんじゃないの?というのもあったかと思います。

 

解答は
多数決によって決めていいものは、1と3
多数決では決めるべきではないものと 2と①、②
となります。

 

「1 文化祭でのクラスの出し物」と「3 教室の掃除当番の決め方」は、クラス全体に関すること、クラスに属する生徒全員に関することだから、みんなで、多数決で決めてよいことがらになります。

きまりをつくる人達ときまりに従う人達とが一致していますよね。

 

では、1組のクラスの出し物を2組で多数決で決めるのはどうかな?

当然、決めるべきではないことだよね。

1組の人にとっては、「何で2組が決めるんだ!」と思うでしょう。ここでは、きまりを決める人達(2組の生徒)ときまりに従う人達(1組の生徒)とがズレているので、2組で決めるべきことではないのです。 自己統治になっていないわけです。

 

では、「2 クラスの生徒一人ひとりの所属するクラブ活動」はどうでしょう?

例えば、B君は、野球部に入りたいと思っていたのに、クラスの多数決で、「B君、キミは、ちょっと太っているから相撲部に入りなさい。」なんて決められるなんて、何かおかしいですよね。余計なお世話だという感じがします。

 

どのクラブ活動に入るのかは、それぞれ個人に関することで、他の誰かが、決めるべきことではないですよね。クラス全体に関わることではない。個人の判断にまかされるべきこと。

 

個人一人ひとりの判断にまかされるべきことについては、その個人が属するクラスにおいても、多数決では決めるべきではないのです。

 

では「1 文化祭でのクラスの出し物」について、みんなで、多数決できめてよいということでした。そこであるクラスは出し物を「ブレーメンの音楽隊」と決めました。そこで配役(ロバ役、犬役、猫役・・・)を決めるのですが、配役について、「ロバは絶対嫌だ!」といっているA君に、みんなで多数決で、「ロバ役にはA君がぴったり!」なんて、A君をロバの役にしてしまってよいのでしょうか(①の問題)?

クラスの出し物の配役をどうするかは、クラス全体の問題です。

 

そうすると、クラス全体に関することなんだから、クラスのみんなの多数決で決めていいようにも思えます。

でも、それでいいのかなあ?

 

A君以外の人達が、結束して「ロバ役はA君がいい」と票を固めれば、多数決でいいんだとするとロバ役はA君になってしまう訳です。

 

ひょっとしたら、周りからみるとロバ役にはA君がぴったりなのかも知れない。みんなはA君の演技力を評価してロバ役をA君に、と言っているのかも知れない。

 

でも「絶対嫌だ!」というA君の気持ちを無視してもいいのかな?

 

もちろん、ロバ役にはA君がぴったりだと思うから、A君よかったらなってくれないかな?とお願いするのはいいでしょう。それでA君が、引き受けてくれるなら、めでたしです。

 

でも「絶対嫌だ!」といっているA君に対して、「そんなのA君の我がままだ!」「そんなA君の気持ちなんて関係ねえ。」と周りのみんなで、多数決で、無理矢理、A君に決めてしまうのは、何かおかしいよね。

 

自分がA君の立場だったら、何ともいえない気分になります。
一人ひとりの個人を大切にしないことになります。多数派で、特定の人に不利益を負わせることになります。

だから、多数決では決めてはいけないことだと思います。

 

②の教室の掃除当番を、女子だけで交替にやってもらうと多数決で決めるのもおかしいですよね。そのクラスでは男子の数が女子の数より多く、多数決で決めるのであれば、男子が結束すれば、女子だけに掃除当番を押しつけるというきまりをつくることができるわけです。

 

数の少ない女子だけに負担をかけるもので、公平ではありません。多数派の男子が、少数派の女子に一方的に不利益を与えるもので、おかしいですよね。平等でない。

 

だから、これもやはり、こんなきまりを多数決で決めることはできません。

 

「多数決でも決めていけないこともある」

「特定の個人や少数者に不当に不利益を与えたり、個人の判断にまかされるべきことについては、多数決で決められない」

ということを押さえておいてくださいね。

 

もしキミ達が、クラス会とかで、何かを決めようとするとき、

「これってみんなで、多数決で決めていいことなのかな?」

「これを決めることで、特定の誰かに、不利益を押しつけようとしていないかな?」

ということをどこか頭の片隅においてくださいね。

結構、難しいことかも知れませんが、とても大切なことですよ。

 

では、国の場合はどうでしょうか?

国会で、多数決で決めてはいけないことってあるのでしょうか?

国会はどんな法律でもつくっていいのでしょうか?

国会が、作ってはいけない法律ってあるのでしょうか? 

 

つづきはまた。

「結果」を追い求めて。

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平成20年8月25日(月)

 

皆さん、こんにちは。
急に涼しくなりましたが、体調はいかがですか。

 

私は、急な寒さについていけず、ちょっとのどが痛くなりましたが、のど飴で何とか持ちこたえました。私の場合、風邪の進行パターンは、まずのどに来て、それでのど飴でおさまることがほとんどですが、ここで治まらないないと、寒気→熱、咳、鼻づまりという経過をへてようやく回復にむかいます。

 

のどが痛くなった段階で、何とか凌げれば、回復するようですので、その段階で、のど飴をなめ、朝鮮人参ドリンクや葛根湯等をのみ、栄養のあるものを食べて、養生しています。

 

こじらせてからは、体験上なかなか治らないので、こじらす前に、集中的に養生することが大切だと思っています(これは法律のトラブルも同じですね)。

 

さて、お盆も終わり、甲子園も終わり、そして北京オリンピックも終わり、子ども達も夏休みが終わり新学期ということで、とうとう夏が終わりましたね。日もかなり短くなってきました。

 

オリンピック選手達が、競技の後にみせるそれぞれの表情には、やはり感動してしまいます。それぞれの選手にとって、この瞬間に至るまでの、いろいろな物語があったのでしょう。

 

選手にとって、競技の瞬間というのは、4年に1回、いや多くの選手にとっては、一生に1回という、凝縮された瞬間なのだと思います。

 

勝った選手、力を出し切れた選手はもちろんのこと、負けた選手も精一杯頑張ってきたのだろうと思います。そして、自分だけではなく、コーチや家族や職場の人達とか、多くの人達の支え、応援があって、あの舞台に立ち、その瞬間を強烈に輝かせようとしていたのだろうと思います。

 

勝った選手が、勝利に歓喜して、こういいます「夢はかなうんだ。あきらめずに努力すれば夢はかならず実現するんだ!」

 

この言葉から、何かを目指そうとしている人、子ども達にとっては、とても勇気づけられると思います。私自身、司法試験浪人時代にみたオリンピックで、勝った選手のそのようなコメントを耳にするたびに勇気づけられました。

 

金メダルを目指して頑張ること、メダルや入賞、記録を目指して頑張ること、結果を目指して頑張ること、それは素晴らしいことです。

 

何かに向かおうとする時には、「結果がすべて」「結果を出さなければ意味がない」
それぐらい自分自身を追い込み、
そして「やればできる。必ずできる。必ず夢はかなう。」と信じていた方がいいと思います

 

「頑張っていればいい。結果がでなくても、たいしたことではない。」なんて、自分自身で思っていては、目標の達成や夢の実現は、とても難しいのではないかと思います。

 

いや、私自身、そんな甘い声に流され、自分自身に言い訳をしてしまっていました。

 

オリンピック選手達も、自らが求める金メダルや入賞といった「結果」を強烈に意識して「自分はできる」「夢はかなう」と信じているからこそ、あの舞台に立ち、輝くことができるのだと思います。

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でも、その勝利者を見る一方で、私たちは、もう一つの現実を目にします。

 

勝利に歓喜する選手の側で、結果が出せず呆然とたちすくむ敗者の姿を。


勝利に嬉し涙をながし、笑顔で手を振る選手の影で、肩を落とし、悔しさに身体を震わせ、応援してくれた人に謝る敗者の姿を。

 

敗者とはいえ、勝者と負けぬくらい、努力を重ね、結果を目指し頑張ってきたはずです。

 

でも、結果がだせない人が確実にそこにいる。結果に至るまでに、単純な実力だけではなくいろいろな要素が複雑に絡んでいるために、思い通りの結果をだせなかった選手はたくさんいるでしょう。

 

それまで、結果を出せなかった選手達の、これまで死ぬほど頑張ってきた長い道のりや、周囲の人達の支えや応援に応えられなかった悔しさを思うと、何ともいえない気持ちになります。

 

こんな時選手はどんな気持ちになるでしょうか?


「あんなに頑張ったのに。努力したのに!これまで自分が頑張ってきたことは一体何だったのか?私は、何のためにやってきたんだ!応援してくれたみんな、本当にごめんなさい。」

おそらく、こんな声が聞こえてくるのではないでしょうか。

 

夢を本当にかなえ、結果を出せる人は、一部の人であるという現実を目の当たりにします。

 

それでは、「夢をもち、結果を求めること」は無意味なのでしょうか?

もちろんそんなことはないと思っています。

 

自分が思い描いていた結果は手に入らなかったかも知れませんが、「夢にむかって努力したこと」「結果を出すために頑張ったこと」のプロセスで得た、心と身体の筋力、タフネスは確実に自分の身に蓄積されています。

 

そして勝負に負けたこと、それを逃げずに正面から受け止めようとすること自体が、むしろ勝った場合よりも、大きな成長につながるのではないでしょうか。

 

アスリートとしての実力の成長もさることながら、
より本質的に人間としての、幅とか深さとかの「成長」は、「夢にむかって懸命に努力したこと」「結果を出すために死ぬほど頑張ったこと」から、負けた選手も勝った選手に劣らない(むしろ多く)手に入れているのではないでしょうか。

 

勝負に負けた選手達は、求めた「結果」を手に入れた訳ではありませんが、「結果」を求めて真剣に頑張ったことで、確実に「成長」しているのですね。

そしてその「成長」には、とても価値があると私は、思います。 

 

死ぬほど頑張りながら結果がだせず、負けたことを真正面から受け止める敗者の姿。

 

そこに、私は、感動を覚えました。


夢や結果を真剣に求めることの大切さを感じました。

 

皆さんは、いかがですか?

 

それでは、また。

憲法は、国家を縛る?−立憲主義のはなし1−

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平成20年8月19日(火)

皆さん、こんにちは。
いかがお過ごしですか。
お盆も過ぎ、暑さも峠をこえ、朝晩はとても過ごしやすくなりました。

今回も、中学生向けの憲法の話です。よろしければおつきあい下さい。

 

『前回まで「民主主義のはなし」をお伝えしてきました。一人の人や特定の団体が権力を握って、物事を決めるのではなくて、みんなでよく話し合って決めた方がいいということでした。

 

何のためにいいのか、それは個人の幸せにとっていいという意味です。

ところで、権力って何でしょう?権力って何のためにあるのでしょう。

 

これは、ルールやきまり、法律が何のためにあるのかとつながってきます。

ルールやきまり、法律は、何のためにあったのでしょうか?例えば、前にはなした刑法で、人の物を盗んだら懲役10年以下の刑に処するという規定は何のためにあったのでしょうか?

一人一人の安全をまもったり、安心してくらせるようにということでしたね。

個人の幸せにつながることですよね。

 

ルールやきまり、法律を強制的に守らせる力、それが「権力」ということになります。
人の物を盗まないように、盗んだ人を裁判にかけて、法律に規定した処罰をあたえます。

盗んだ本人が、「そんなの嫌だ!刑務所なんか行きたくない!」と叫んでも、権力は、無理矢理逮捕し、裁判にかけ、刑務所に入れたりします。

他にも、自分は、税金を払いたくないと思っていても、法律上税金を払う義務がある場合には、法律の定めに従って、権力は、税金を強制的にとっていきます。

そういった強制的にする力があるからこそ、一人ひとりの安全を守ったり、必要な道路や学校や病院をつくったりすることができるわけです。

もし、強制力がなければ、法律には「人の物を盗むのはいけない」と書いていても、盗んだ人を処罰することはできなくて、やはり盗むことが多い世界になるでしょう。


頑張って働いてお金をためて、欲しい物をようやく買ったのに、それが盗まれるなんて嫌だよね。がっくりするよね。人は弱いものだから、じゃあ別の人の物を盗ってやろうか、自分も盗られたんだしとそんな風に思うかもしれない。

もし、税金が強制的にとれなかったら、多くの人は、できれば自分の税金はあまり払いたくないと思うだろうから、必要な税収が確保できず、学校や病院、道路といった公共の施設をつくる費用や警察官や消防士、役所で働く人々(公務員)の給料も払えなくなって、学校や病院、必要な道路もつくれず、安全が確保できなかったり、大変不便な生活を強いられることになるだろう。

 

だから、国家に対して、権力が与えられている。国家は権力を持っている。時に、強制的に国民に何かをさせたり、禁止したりする力があるんだ。国家が、国民を強制的に従わせる力を「公権力」といいます。

とても強い、そして特別な力が国家にはあるんだね。

 

社会の秩序を確保すること、他の人を害することや迷惑になることをやめさせること、国が国民に対して必要なサービスを実施するために必要なお金を確保するために税金をとること、それは必要で、とても大切なことです。

 

でも、公権力の使い方が間違っていたり、度が過ぎていたらどうでしょう。

権力を実際につかうのは、神様ではなくて、ロボットでもなくて、個々の生身の人間です。総理大臣も、国会議員も、警察官も、消防士さんも、裁判官も、税務署の職員さんも人間です。

 

時に間違ったり、度が過ぎたりしてしまうことってあるかもしれません。人間なんですから。完璧な人間なんていないのですから。そしてその人自身、社会生活を送り、感情を持つ人ですから。

 

強力な力を持つ人が、間違っていたり、度が過ぎていたら、どんなことになるでしょうか。

強い力ですから、間違ったりすると、とても怖いことになります。

 

警察が、きちんと犯罪を犯した人を捕まえてくれるから、国民は安心して暮らせます。

でも、警察官が間違って逮捕して、検察官も間違って起訴して(裁判にかけて)、裁判官も間違って有罪判決をかけば、その人は、本当は何も悪いことはしていないのに、強制的に刑務所に入れられることもあるのです。(怖いことですが、実際に、これまでそんなことが、ありました。)

 

そして権力には、その強大な力とともに、加え独特な性質があるような気がします。

 

まず、権力をもつ人は、自分のやっていることをあれこれ批判されるのは、苦手です。自分のやっていることは「正義のため」で間違いはないと思いがちになります。

できれば、批判されたくない。自分のやっていることに素直に従順に従って欲しいと考えるようです。そして、批判する人を排除したくなるようです。

 

「国の政治を批判してはならない、批判した者は処罰する。」

こんな法律ってどう思います?おかしいですよね。 

きっと、冷静なときには多くの人がおかしいと思うでしょう。でも、実際、過去にはこれと同じような法律があったのです。ナチスドイツ・ヒトラーもそうですし、かつて戦争につきすすんだ日本でもそんな時代がありました。今現在でも世界には、同じような法律があり、国民が、国の政治を自由に批判することができない国もあります。

権力が暴走してしまって、独裁政治になっている国では、言論の自由が否定されます。

 

そして権力は、大きくなろう、強くなろうという性質があります。国民を支配・コントールする力をもっとつけようという傾向があるような気がします。織田信長もチンギス・ハンも領土を拡大しようとしました。強くなろうとしました。国内では権力者に都合のいい法律をつくって、国民を統制しようとします。

 

権力は、一定の思想や道徳と結びつき、それを国民に強制する傾向があります。そして、異質の考えや少数派の思想を排除しがちです。権力にとって、異質の考え方の人がいると統治しにくくなりますから、みんな同じ考え方が望ましい。

 

それから、人が権力の場に長くとどまっていると、権力者自身の権力保持や拡大に向かって、国民個人の権利自由をないがしろになりがちだということです。そして、国あっての個人なんだ、安全が守られるには個人は我慢しなければならないとかといって、国(権力を持つ者)や公を強調し、個人は犠牲になることをいいがちになる。

 

そして、権力は、間違ったとしても、間違いを認めません。認めたがりません。何か間違ったとき行き過ぎたときに、それを認め、反省して、自分の力で修正するということは、なかなか難しいようです。別の第三者からのチェックはどうしても必要だと思います。

 

歴史を眺めてみて、そして弁護士になってからの刑事弁護等の体験からすると、権力にはそのような傾向、性質が本来的にあるような気がしています。

 

国家=権力は、一人ひとりの国民にとって、大切なもの、必要なものですが、歴史から導かれる本来的な性質から、時に暴走し、間違いを起こし、そしてそうなってしまうと強大な力があるがために取り返しのつかない痛みを国民にもたらすことになります。

 

そしてかつて、国家=権力は暴走していまい、権力にとって気に入らない人を排除し、ひいては戦争につきすすみ、多くの人が大切な命、自由、財産を失うことになりました。

 

人々は、二度とこんな悲しい目にあいたくないと思いました。

二度とこんなことにならないようにしたいと思いました。 

 

そんなことにならないように、憲法を定め、国家=権力に縛り(しばり)をかけています。

権力が、暴走して、国民の権利自由を踏みにじることがないよう権力を分解し、国民がコントールできる仕組みをつくりました。

 

憲法は、「国家=権力を縛るもの」

 

おそらく中学生の皆さんにとっては、初めて聞く言葉だと思います。

あれ?憲法って、法律で一番えらくて、国民が守るべきこと、道徳みたいな、何か大雑把なことが書かれているんじゃないの?

 

そう思っていませんでしたか?いやいや、実は私自身、大学で憲法を学ぶ前は、そう思っていました。それまで、日本国憲法の三原則は何?の穴埋め問題や、三権分立がどうのこうのとはか知っていましたが・・・

 

でも、憲法は、国民を縛ったり、ある行動を要求したりするのではなく、国家=権力を縛るものということが、実は憲法を理解する上での「キモ」なんですよ!

 

時に、間違え、行き過ぎてしまう国家=権力におまかせにするのではなく、放っておくのではなく、国民をそれと対峙させて、権力に縛りをかけること、対決させ、コントロールできるようにしておくことが、憲法の本質なんですよ。

 

私は、憲法は、国民の権利自由を確保するために、国家=権力を縛る、制限する、コントールするものだということをはじめて知って、「え?そうなの?」とガツンとこん棒で後ろから頭を殴られたような気になりました。

 

憲法って、国に国民の大切な自由や権利を守るよう、国家に向けられたもの。国家に守らせようとするものなのか!と。

 

そして、この憲法の意味を知って、日本国憲法を眺めてみると、憲法というのは、権力の怖さ、個人の尊厳を踏みにじってしまった過去の失敗に、ほとほと懲りまくり、深く学び、それを理性でくい止めようとする世界や日本の人々の「苦心」や「決意」が見えてきて、感動をおぼえました。

 

この憲法で国家を縛るという考え方を「立憲主義」(りっけんしゅぎ)といいます。

ちょっと堅苦しそうなとっつきにくそうな言葉ですが、これはとても大切な考え方ですよ。 

 

では立憲主義は、前に話した民主主義とどのような関係にたつのでしょうか?

憲法の条文で立憲主義の考え方はどのように反映されているでしょうか?


よろしかったら少し考えてみてくださいね。

つづく

』              

 

それでは、また。

まだまだ暑い日が続くかと思いますのでお身体にお気をつけ下さい。

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