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日記・コラム

安楽の道、努力の道

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平成22年11月21日(日) 


 
こんにちは。

神坪浩喜です。

落葉もすっかり進んで、家のしだれ桜の木も冬仕様となりました。

このしだれ桜の木、約5年半前に苗木を買ってきて裏庭に植えたのですが
どんどん成長して大きくなってきました。

昨日、その枝を剪定しようということで、妻が、「はい、ヨロシク♪」
と高枝きりばさみを私に手渡し、

妻は、
「はいそこ切って」「次はその枝」
「違う!もっと根っこの方よ」
「はい、あの枝も」
「よし、あの太い枝はノコギリで切って」
とてきぱきと私に指令を下しました。

私は、長い枝きりばさみを持って
桜の木のしたをうろうろとし、
隊長に忠実な「枝きり隊員」として活躍したのでした。


我ながらよくがんばりました。


これで、妻のごきげんポイントがたまれば何よりです・・・。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、あなたは、長い一本道を歩いてきました。


すると目の前に2つに道が分かれていました。


ん?それぞれの道に、立て札が立っていますよ。

一体何が書かれてあるのでしょうか。


立て札には、この道は一体どのような道なのかが
説明されていました。


一つの道の立て札にはこう書いてありました。
「この道は、『安楽の道』です。平坦な道です。何の苦労もありません。
努力は必要ありません。何もがんばる必要はありません。
のんびりと楽にいきましょう。」



もう一つの道の立て札にはこう書いてありました。
「この道は、『努力の道』です。決して平坦な道ではありません。
途中、山あり谷あり川ありの道です。
険しい道もあります。様々な障害物もあります。
危険なところもあります。
進んでいくのには努力が必要です。」


さあ、あなたはどちらの道を選択されますか?


「安楽の道」ですか、それとも「努力の道」でしょうか。


何の苦労もなく楽をしてのんびり歩いていける「安楽の道」
って魅力的ですよね。


特に、今、何か困難にぶつかって、疲れてしまっている方、
人間関係に疲れてストレスを抱えておられる方は、
のんびり楽ができればどんなにいいのにと、
迷わず「安楽の道」「安楽な人生」を選択されるかも知れませんね。


「楽でのんびり」

 

実にいい言葉の響きです。

私も、やっぱり憧れます(笑)。


でも、どうでしょう。


安楽な人生、
例えば、働かなくてもいいだけのお金があって
働かず、何の努力もせずに
のんびり自分の好きな趣味だけをやっている人生って
本当に幸せな生き方なのでしょうか。


最初のうちは、楽ちんでいいな~、
責任も、煩わしい人間関係もなくていいなあ
と喜んでいそうですが、
そのうち、ん~何だか退屈だな。つまらないな。
このままでいいのだろうか?

そして、一体自分って何のために生きているのだろう。
自分なんていてもいなくてもいい存在じゃない?
世の中から必要とされない存在じゃない?


だなんて、私だったら、思ってしまいそうです。


先週の日曜日、家族で県民の森に遊びに行ってきました。
そこでは、アスレチックがありました。
丸太やロープ、吊り橋、不安定な道で、そこを通るためには、

力を入れたり、バランスをとったりして集中すること

努力することが必要でした。


単に平坦な道を歩いて進むのとは訳が違います。
翌日は筋肉痛になったりします。


でも、楽しいですよね。


この丸太の吊り橋わたれるかな?


おそるおそる行って、ぐらぐらして、
腕や足に力を入れて、バランスをとって
でも何とかクリアしたときって嬉しいですよね。
途中で、リタイアしたとしても
自分の力を試している時って、充実した時間ではないでしょうか。


のんびりと楽をしている生活
それは、チャレンジがない生活です。

「楽しているなあ。こんなに楽していていいのかな。
他の人々は、毎日頑張って働いているのに。
遊んでばかりいる自分って、一体何なんだろう。」


こんな気持ちが、自分の心をむしばんでいきます。


そして「自分なんて、生きていく価値がない、いなくてもいい存在」
と自己肯定感が減少していってしまうのです。


自己肯定感、すなわち
「自分には存在価値がある。自分のことが好きだ」
という感情は、人が幸せに生きていく上でとても大切なものです。


安楽な生き方を選択しつづけると
一見楽そうで、幸せにつながりそうなのですが、
長い目でみると意外とそうでなかったりするのですね。



「あ~、自分生きているな~」という実感を持つことができるのは、
何かをがんばっている時であり、特に誰かのために何かをしようと
努力している時です。


何かを達成したときもそうですが、達成した時だけではなくて
目標に向けて、あるいは困難を乗り越えようとして
努力している過程そのものが、生きる実感をもたらしてくれます。


自らの努力によって問題を解決しようとしたり、
苦難を乗り越えようとしたり、
何か目標を達成しようとしたりしている時に

「自分は、がんばっているぞ~生きているぞ~」

と実感できるのです。

それが、自己肯定感を満たしてくれるのですね。



そして、幸せの前提となる自己肯定感をさらに
増していくためには
「自分で、自分のがんばりを認めてあげる」
ということだと思います。


自分に厳しい人は、自分のことをなかなか褒めることは
されないと思いますが、自己肯定感を満たすために
頑張っている自分を自分で大いに褒めてあげて欲しいなと思っています。


だから、あなたが、何かで努力している時には、
自分で自分をどんどん褒めてあげてくださいね。


「がんばってるよね。偉いよ。なかなかできるもんじゃないよ。
こんなに努力して、素晴らしいよ。私って。」


そうすると、ますます自己肯定感は満たされ、
自分のことが好きになっていくでしょう。自分の存在価値を
実感することができるでしょう。


幸せに生きる上で大切な「自己肯定感」を満たしていくためには
一体どうすればいいのか?

何か迷ったとき、
そんな視点を意識しながら選択すると、幸せな生き方につながるような
気がしています。


どうか長い目で選択されてみてくださいね。

そして、頑張っている自分を大いに認めて、褒めてあげて下さいね。





あなたの目の前の道が二つに分かれています。


一つは「安楽な道」

もう一つは「努力の道」

さあ、あなたは、どちらの道を選びますか?



※関連のお話です。

自己肯定感と法教育

逆境の時に

 

 

 


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枝きり隊員である私の活躍のおかげ(隊長の的確な指令のおかげ?)で、
しだれ桜の枝ぶりは、すっきりと美しくなりました。


春になったら、一体どんな桜を咲かせてくれるのだろう。

私は、どんな気持ちで、桜を眺めるのだろう。


枝きり隊のことを思い出しながら
「あの時は、よくがんばったなあ」だなんて桜を眺めるのかな。


そんな風に想像すると楽しくなってきました。

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

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平成22年11月14日(日)

 


こんにちは。

神坪浩喜です。

昨日、妻が体調を崩して、昼過ぎころから布団にもぐって眠っていました。
子どもたちも妻と一緒にはやくから布団に入って寝ました。


私もあまり食欲がなかったので、
カップラーメンを取り出して、アクアクララからお湯を注ごうとしました。

あ、お湯がでない。ボトルの水がない・・。


アクアクララのボトル交換は、いつも妻がやっていました。
妻は、どこかそれを軽々とやっているように見えました。


2階の物置から、アクアクララを1階のリビングに持ってきたのですが、
12リットル、すなわち12キロものボトルは、実際に
自分がやってみると結構重かったです。


「お母さん、やっぱりたくましいなあ」と感心したのでした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日は、なぜ、私が、妻をおそれ(?)、妻に支配されているかの
のお話を、あなたにお話しようと思います。


よろしければお付き合いください。


ここに1通の手紙があります。


その手紙は、平成10年2月に、妻から私宛に
出されたものです。


当時、私は司法浪人、すでに何度も試験に落ち続けた
29歳の冬のことです。


私は、多くの人に支えられながら、心配をかけながら
勉強を続けていました。


特に、ずっとそばにいてくれた妻には、
大変な苦労と心の負担をかけていました。


平成6年度に22才で司法試験に合格した妻は、
私の合格を待つために、私と一緒に司法研修所にいけるように
1年司法修習を遅らせてくれました。


私の平成6年度の司法試験の成績は、
1000番以内には入っていたこともあって
来年はきっと大丈夫、という思いもありました。


それなのに、私は、そんな妻の思いに答えられずに、
平成7年度も合格できませんでした。


妻は、平成8年4月、第50期の司法修習生となり
司法研修所に行くことにしました。
私は、妻とずっと一緒にいたくて、
浪人生の身ながら、修習に行く直前の平成8年2月に、妻と結婚しました。


妻の気持ちとしては、当然のことながら、
まだ早い、私が合格してからと思っていたものの、
私が妻のそばにいたいという願いをきいてくれて、
また結婚すれば、きっともっと頑張ってくれてきっと合格してくれると信じて
私と結婚してくれました。


ところが、あろうことか私は、
平成8年もさらには平成9年も、合格できませんでした。


私は、妻の苦労も知らずに、どこかひねくれて、
しょぼくれて、自分が一番かわいそうだなんて、
妻にあたったりしました。

自分の努力不足を棚に上げて
何でこんなに運が悪いんだろう等と
運や人のせいばかりにしていました。
外で人と会うことが嫌になって、自分が嫌になって、
アパートの部屋にこもっていた時期もありました。


そんな中でも、妻は、決して私を責めたり追い立てたりすること
はありませんでした。

いつも優しく、温かく支えてくれていました。



平成9年の12月、妻の後期修習がはじまり、妻は再び埼玉県和光市
にある司法研修所に行きました。

私は、仙台に残っていました。
妻とは平成4年の9月に出会ってから、
ずっと一緒にいたので、この別居生活は、とても寂しくこたえました。


妻は、司法研修所の寮で生活をしていたのですが、
体調を崩し、薬をのみ続ける生活をしていました。


年が明けた平成10年のお正月のことです。
北九州の私の実家で、妻と私は年越しをしていました。


妻は、思い詰めた顔で、真剣な表情で、
涙をぽろぽろと流しながら
私にこういいました。



「今年合格しなければ、離婚する。
だから絶対合格して、お願いだから真剣に頑張って・・・。」


私は、びっくりしました。

そして、ぼろぼろと泣いたのでした。


「私がそばにいると、この人はかえってダメになってしまう」

優しい妻がそこまで思い詰めるまで、妻を
おいつめてしまっていたことに、愚かな私は、
その時、はじめて気がついたのでした。


とても悲しくて、切なくなりました。

でも、流れ落ちる涙とともに、どこか自分の中の濁った心が
洗われていくようでした。

その後、心の芯から、強く突き動かされるような
温かくも強力なエネルギーが湧いてくるような気がしたのでした。


しばらく時が流れました。


平成10年2月、長野で冬のオリンピックをやっている頃です。

妻は、和光市の司法研修所で後期修習中でした。
相変わらず体調がすぐれず、
薬を飲み続けながら2回試験(研修所の卒業試験)の勉強をしていました。


私は、実家の北九州にもどって勉強していました。
2月の休日に、妻と一緒に千葉に旅行に行くことにしました。


下関から東京行きの夜行高速バスに乗って、
東京駅で妻と待ち合わせをしました。
電車で、木更津へ行って、木更津から久留里線にのって
湖のほとりの国民宿舎で、二人、静かな時を過ごしました。

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宿で見た長野オリンピックのテレビ中継では、
スピードスケートの岡崎朋美選手が、銅メダルをとったレースの
映像が流れていました。
岡崎選手の力を出し切った後のすがすがしい笑顔がとても印象的でした。

 

私が北九州に戻って数日後、妻から、
今も大切にしている、「その手紙」が私のもとへ届いたのです。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


前略

お元気ですか。先週末は楽しかったです。
私が体調がよくなくて大変な思いをさせてごめんなさい。
やさしくしてくれてうれしかったですよ。

さて、いよいよ来週から2回試験です。なんとか体調の方も
万全とまではいえませんが、まあまあ持ち直しホッとしています。
あとは問題文を読み違えないようにだけ気を付けてがんばります。


今日は弁護士会の入会手続の問い合わせ等に半日を使ってしまいました。
でも、なんとか目鼻がつきそうなので精神的にラクになった気がします。

もう少しで暖かくなってきますので、
身体の方も調子がよくなってくるでしょう。

浩喜も身体に気を付けてがんばってね。
あと1か月位で、また仙台で二人暮らしですね。


お正月には、いろいろあったけれども、あれで私の気持ちとしては
すっきりした気がします。
浩喜も変わったような気がするし、年の初めからつらい思いを
させてしまったことを謝ります。


新年度からは、新生活をこれからはじめるんだという気持ちで
二人でがんばりましょうね。
クラスの中では、最近子どもを産んだ方もいて、子どもの話題が多いです。
体力のある20代のうちに一人は産んでおきたいなと勝手に思ったりしています。
20世紀の初め2001年にちょうど私は29才になりますし。


ということで、浩喜には、今年か来年うかってもらいたいな・・・。
まあ、私が勝手に考えていることですので、あまり気にせず
(でも少しはプレッシャーをかけた方がよいかも)


では、またね。お互いがんばりましょう。


草々

平成10年2月20日

ゆき子


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

・・・・・

 


待ってくれてたんだね。

 

 

ずっと、ずっと待ってくれてたんだよね。

 

 

そんな君の気持ちもよく分からずに、
君がどんなに辛い思いをしていたことか分からずに、
長い間、待たせてしまったよね。

 

 

ごめんね。

 

 

ずっと待つって、とても辛かったよね。

 

 

自分ではどうしようもないものね。



君は、こんな僕のことを、本当によく待ってくれました。
信じて待ってくれました。


ありがとう。


 

ありがとう。

 

 


本当にありがとう・・・。

 

 

=================================


こんな妻の「喝!」と温かな手紙が
私を目覚めさせてくれ、平成10年の秋、私は司法試験に合格することができたのでした。


・・・・・



と、いう訳で、妻には、全く頭があがらないのです。

妻が、がっつりと私を支配しているのです。



うちでは、「法の支配」ではなく、「妻の支配」。
これでいいのです・・・。




あなたは、今、大切な誰かを待たせていませんか?

あなたを待ってくれている人の存在に気がついていますか?


あなたを待ってくれている人をどうか大切にしてくださいね。

そして、待ってくれている人の想いに答えてあげてくださいね。

 

 

※関連のお話です。
選んでくれたんだね。


妻の名誉のために。


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今日、体調が快復した妻に、
「ボトルってこんなに重いんだ。いつも交換してくれてありがとう。」
と私はいいました。


そうすると妻はにっこり笑って、

「力仕事は、お父さんに期待していません。期待するとイラっとするから」

だって!!!


く、く、く・・・。今はもう期待されていないのです。


いいんです。そちらの方が楽ですから。
でも、何だか悲しいなあ・・・。

私も思わず「だってお母さんの方が、たくましいでしょ!」


と危険な言葉が思わず喉からでかかりましたが
そこは、ぐっとこらえた私なのでした。

よかった。

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今日のお話も、妻にはくれぐれも内緒にしていてくださいね!
お願いいたします!

それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

「個人の尊重」を伝える(2)
-何かを大切に思う気持ちに違いはないこと

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平成22年11月11日(木)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。


恥ずかしながら、近頃、私の机の上のぐちゃぐちゃ度が
さらに高くなっていました。


先日、出先から事務所に戻ってくると、
なんと妻が、私の椅子に座って
私の机の上を強引に片づけているではないですか!


あまりのぐちゃぐちゃにたまりかねて、
「恐怖のブルドーザー」が強制突入してきたのでした。


うわっ!ちょっ、ちょっと待って!


う、う、お願いですから、僕のことなんか放っておいてください・・・。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、「個人の尊重(1)-何かを大切に思う気持ちに違いはないこと」
の続き「法学館憲法研究所・憲法を観る」のHPにアップされましたので、
このブログでもご紹介したいと思います。
http://www.mirukenpou.net/kenpou_kyouiku/backnumber/101108.html

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「個人の尊重」を伝える(2)-何かを大切に思う気持ちに違いはないこと



では、自分とは異なる価値観や考え方を受けとめるために必要なことは何でしょうか?

二つあると思います。



一つは「想像力」です。


相手が大切にしているものを知ろうと想像することです。

自分とは違う考え方の人がいるということ、
自分の考えだけが絶対ではないということをふまえて、
相手の立場に立って考え、相手にも大切に思っている何かがある
ということを想像することです。



二つめは、しっかりと相手の意見に耳を傾けることです。


言葉を通じてお互いの考えをよく知り合うということです。


法教育授業では、人はみな違っていること、自分の考えとは違う考え方があること、
そして違う考え方の人の立場を想像することが大切であるということ
を体感してもらうために、様々な価値観がぶつかり、
はっきりとした正解がないような問題を、生徒さん同士の議論を通じて、
生徒さんに考えてもらいます。

そして、自分以外のいろいろな意見を聞いた上で、
自分なりに考えた意見を発言してもらいます。


一つ例をあげましょう。仙台弁護士会では、
毎年夏に中高生対象にジュニアロースクールを実施していますが、
平成22年度は、高校生を対象にした法教育授業では、
エホバの証人信徒輸血拒否事件(最高裁平成12年2月29日判決)を題材としました。


信教上の理由から輸血をしないでと頼んでいた患者と
患者の命を救うために輸血に踏みきった医者といった当事者役が登場し、
生徒さんに、自らの主張や心情をせつせつとうったえてもらいます。

生徒さんは、当事者約の主張をよく聴いてもらって、
患者から医者への慰謝料請求が認められるかを
生徒さん同士で討論し、考えてもらいました。

患者、医者、それぞれの立場があり、価値観があり、意見があります。
その当事者役の声を生徒さんに聞いてもらって、それぞれの立場があること、
それぞれの価値観があること、それぞれ大切にしているものがあるということ
を体感してもらい、その上で、生徒さん自身に考えてもらいました。
裁判官でも判断が分かれた正解のない問題を考えてもらいました。


人は、往々にして自分の価値観を中心に、ものごとを判断していくものであり、
自分と違う価値観についてはなかなか理解できないことも感じてもらいました。


自分と違う価値観は、その人の意見をしっかり聞くこと、
そしてその人の価値観を意識して想像してみなければわからないものです。 


患者さんは、命を助けてもらったのに医者を訴えたというものであり
生徒さんにとっても理解しにくいものだったようです。
命より信仰を大切にするなんて、よくわからない。
医者に命を助けてもらったのに、輸血しないことにこだわって
命の恩人のお医者さんを裁判で訴えるなんて、一体どうして?


でも、患者さんの、「輸血を絶対にしないで欲しい」という言葉の背景には、
患者さんにとっては、自分が人として生きる上でとても大切にしているものがある訳です。
命と同じくらい、時には、命以上に大切に思っているものもあるのです。 


自分と違う価値観、特に相手の考えが少数なものであったとき、
その価値観の存在を受け入れることは、本当に難しいものです。
想像力を一生懸命働かせる必要があります。
相手の言葉に意識的に耳を傾け、分かろうと努力する必要があるのです。


この授業を実際に担当した髙城晶紀弁護士は、
授業の終わりにこう締めくくりました。


「その人の判断を尊重するというのは簡単ですが、
しかもそれだけ聞くとそのとおり実行するのも簡単なように感じてしまいますが、
その判断が、自分の価値観とはかけ離れたものであったり、
自分の価値観と衝突するようなものであったりすると、
人は、なかなか、その価値観や考えを尊重してあげようという気分にはなれないものです。

でも、自分にはその考え方は理解できなくても、
自分に大切にしている価値観や信念があるのと同じように、
その人にとってはその価値観や考え方が大切なのだということ、
自分と相手の大切にしているものの中身が全く違っていたとしても、
何かを大切に思う気持ちに違いはないのだということがわかれば、
異なる個性、異なる価値観をもった人達が、互いに傷つけ合うことなく、
一緒に生きていけるのではないかと思います。」 


そうです。


「何かを大切に思う気持ちに違いはない」のです。

憲法を頂点とする一連の法は、いろいろな価値観、考え方の人がいる中で、
人々が共に幸せに生きることを目指すものです。

共に幸せに生きることを実現するためには、
人がお互いに傷つけあうことや争いごとを減らすことです。
そして、「何かを大切に思う気持ちに違いはない」ということが、
一人ひとりの心の中に落とし込めたならば、将来、今より、きっと争いごとは減り、
人といがみ合わず人は人の中で自由に自分らしく幸せに生きることが
できるのだろうと思います。 


「一人ひとりをかけがえのない存在として大切にする社会」


それは、すなわち憲法がうたう「個人の尊重」が人々の心に根付いた社会です。
そんな温かな社会になっていくといいと思っています。

だから、これからも私は、
憲法がうたった「個人の尊重」を子ども達に浸透させるために
法教育をやっていこうと思っています。
 
  
【神坪浩喜(かみつぼ ひろき)のプロフィール】

1968年 福岡県北九州市生まれ 東北大学法学部卒
2000年 仙台市で弁護士登録
2005年 あやめ法律事務所開設
仙台弁護士会法教育検討特別委員会副委員長、
日弁連市民のための法教育委員会副委員長、仙台簡易裁判所民事調停官
「個人の尊重」を世に広めるべく、法教育活動を実践し、
「法と幸せ」をテーマにしたメールマガジンを配信している。 

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※関連のお話です。
法教育授業のおわりに。


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私は、小さいころから、整理整頓が苦手でした。
終業式前には、学校の机の引き出しの中がぐちゃぐちゃで
いつも「げんなり」していました。


机の上は、時々意を決して整理して、一瞬だけきれいになるのですが
基本的にはぐちゃぐちゃです。


次から次からやってくる膨大な書類を
「ま、とりあえずそこに置いておこう」と捨てられずに、
その辺においてしまったりしているうちに、あっというまに
書類の山ができていくのです。


捨てること、ファイルすることが
即決即断でできればいいのですが、なかなかうまくできません。


いったいどうしたらいいのだろう?


それにしても「恐怖のブルドーザー」が
再びやってくる前に何とかしなれば・・・・。

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

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平成22年11月9日(火)
 

こんにちは。

神坪浩喜です。

木々の葉も色づき、落葉も進んできました。
きれいな季節ですが、落ち葉のじゅうたんを歩いているとちょっぴり寂しい気分になりました。

冬ももうすぐなんですね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、前回のお話「個人の尊重を伝える(1)」の中で人は、それぞれ違っていて、その人と同じ人はいないこと、
唯一無二のかけがえのない存在であることをお話しました。



だからこそ、尊いのですね。
だけど、なかなか分かりあうのは難しくて、社会で共生していくためには、想像力と言葉による意思疎通という努力が必要になってきます。


他の人のことは、よく分からないということでしたが、実は、他者はおろか、自分自身のことさえ、よく分からないものではないでしょうか。


今ある自分の現状だけを見て、またたった数度の失敗で「自分なんてこんなもの、この程度のもの」だなんて見くびったりすることは、よくあることです。



でも、本当に、「自分なんてこんなもの」なんでしょうか。自分で、どれだけ自分自身のことを分かっているのでしょうか。
自分のことを見くびったりしていないでしょうか。


こんな素敵な詩を見つけました。

 

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「未見の我」


安積 得也


昼なお暗き大森林の
何千億の樫の葉から
一番よく似た二枚を採って較べて見る
不思議だ
一枚だって同じものはないのだから
植物学者の語る事実が
鋭い暗示を
人間個性の問題に投げかける

人皆(ひとみな)の声が違うように
人皆の可能性が
おのがじしなる持ち味を蔵している
愕(おどろ)くべき真理だ
お互一人一人が
夫々に天下一品の特質を
おおいなるものから授かっているとは
人みな英雄!
そうだ

内に隠れて見えないけれども
現在(いま)こそ内に眠り底に潜んで
自分にも他人にも発見(わか)らないけれども
五尺の我のうちにこそ
未見の我の偉大な姿が隠れているのだ
ありがたや

自分の中には自分の知らない自分がある
強くして能あり
清くして正大なり
現在の我とは比較にもならぬ
未来相の我だ

私はもう私を見くびらない
弱小の私
無能の私
あやまち多い私

しかし私は未見の我の故に
私の全身全霊を愛惜する

彼はつまらぬ奴だ
馬鹿なまねをしやがった
しかし私は彼を見棄てない
彼の内なる未見の彼を
私は限りなく尊重する


(詩集『一人のために』から)

 


================================


いかがでしたでしょうか。



人は、皆、違っている。
人の可能性もそれぞれ違っている。
それぞれに、天下一品の特質を、何かの素晴らしい可能性をおおいなるものから授かっている。


内に隠れて、見えないけれど、自分の内の中に潜んでいる可能性がきっとある。


今、何かの失敗をしていて、「自分なんてこんなもの」と沈んでおられる方、もしあなたがそうだったとしたら、どうか自分を見くびらないでください。


あなたの中には、あなたが知らない素晴らしいあなたがいるのですよ。


あなたに気がついて欲しいと待っている才能が眠っているのですよ。


今のあなただけで、あなたという人を決めつけたりしないでください。


ほら、こんな体験ってありませんでしたか。子どものころにまで遡って思い出してみてください。
何か、新しいことにチャレンジしてみたら、みんな苦労しているのに自分は、うまくいったりして「え~、自分ってこんな才能があったんだ!」と気づいたこと、きっとありましたよね。
その時、新しい自分を見つけたようで、嬉しかったですよね。


自分が気がついていないだけで、眠れる才能があるんですよ。



だから、今の自分だけを眺めて「自分なんてこんなもの」だなんて決めつけないでくださいね。


決して自分を見くびらないでください。


そして、さらに、あなたとつながりのある人が、失敗したりしていても、その人を見くびらないようにしていただけないでしょうか。


特に、親や教師、上司のような上の立場に立つ方は、お子さんや生徒、部下を「お前はその程度だ」なんて決めつけないでいただけないでしょうか。


なかなか難しいことだと思いますが、その人にも、あなたも、その人自身も気がついていない「未見の彼」が眠っているのですよ。 


親や教師は、そんな子ども達の「未見の彼」に気づき、気づかせてあげられるといいですよね。


心の眼で、今は目にみえない「未見の我」「未見の彼」を信頼すること、それを花開かせようとすることは、自分や他者を大切にするという「個人の尊重」の実践のためにとても大切なことだと思います。

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あなたが、あなたやあなたの側にいる人の「未見の我」「未見の彼」を花開かせますように!



※関連のお話です。
心の中ではいつも。

 

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自分の可能性を信じる。

こんなものじゃないとがんばる。チャレンジしていく。

そんなことも大切ですが、同時に、いまのありのままの自分も大切にしてくださいね。



あなたは、既に、多くの人の役に立ってきました。誰かに喜びを与えてきました。


そして、今のままでも、あなたは気がついていないかも知れませんが、あなたという存在は、きっと誰かにとって必要な人、大切な人なのですよ。


「未見の我」とともに、これまでがんばってきたあなたと今のあなたの存在そのものを愛してあげてくださいね。

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

「個人の尊重」を伝える(1)-何かを大切に思う気持ちに違いはないこと

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平成22年11月4日(木)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

昨日は、家族(小犬のマリさんも含む)で、仙台市荒浜の海岸公園に
出かけました。

寒く、木枯らしが吹き付けるようなお天気でしたが、
いも煮会やバーベキューを楽しむ家族連れがたくさん来てました。

マリさん、昨日もやっぱり、何人もの小さな子から、
「わ~かわいい~♪」
と言われていました。
(お前、いいなあ~こんなにモテモテで!)

 

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さて、ブログで、私が、法教育について話をしていたことに
法学館憲法研究所」の方が目をとめていただいて、
「法教育についての原稿を書いてもらえませんか」
と執筆依頼をいただきました。


これまでその記事欄で執筆された方々の蒼々たる顔ぶれや
充実した掲載内容を見ると、「本当に私如きでいいのかな?」と思いましたが、
法教育のこと、「個人の尊重」の理念の大切さを多くの人に伝えたいと
思っていた私にとって、願ってもない有り難いお話と思い、
おうけすることにしました。


そこで、「個人の尊重」を伝える-何かを大切に思う気持ちに違いはないこと
というお話をさせていただきました。


「法学館憲法研究所」のHPに前半部分のお話が
掲載されましたので、このブログでも、
2回に分けて掲載したいと思います。


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「個人の尊重」を伝える-何かを大切に思う気持ちに違いはないこと


私は、弁護士として法教育活動に携わるようになってから
6年くらいになります。

法教育とは、一般市民、特に子どもを対象として、
個人の尊重を基底とした法の原理原則(正義、公平、立憲主義、無罪推定原則等)
をふまえ、法的なものの見方・考え方ができ、
主権者として民主主義社会に参画できるような自立した個人の育成を目指す教育です。


私が考える法教育の目標を一言で言えば、
憲法が最高の価値をおく「個人の尊重」の理念を
子どもたちの心に浸透させていくことです。


「個人の尊重」とは、一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということです。


一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということは、
人を人として大切にするということであり、
誰もが、国家や力の強い者、多数者から、何かの目的のための道具や手段、
モノ扱いをされないということです。


「一人ひとり」には、他者のみならず、自分も含まれます。
だから自分も大切にし、他者も大切にするということです。
一人ひとりの人、誰もがこの世に意味があって生まれてきています。
ぞんざいに扱われてよい命なんてどこにもありません。


どの命も大切な命です。


そして、誰もが、一人の人間として、
自由に自分の幸せを求めて生きていけることが保障されなければなりません。



ところが、実際のところ、日本の現代社会においては、
自由に自分らしく生きることは、なかなか難しいのではないでしょうか。
憲法が保障する「幸福追求権」が、きちんと
保障されているとは言い難いのではないでしょうか。



競争社会で、いつも人と比べられて、人に勝たなければいけない、
人より優位にたたなければいけないと追い立てられているようです。


また、多様な価値観を受け入れることがなかなかできずに、
自分とは異なる考え方の人や少数派の人々への理解が不足しているように感じます。

どこか、多くの人々が自分を守ることで精一杯で余裕がなく、
他者に寛容であることが難しい世の中であるような気がしています。



私は、幸せの前提は、人として大切に扱われることであり、
人と争わずに温かくつながることだと思います。


その上で、自分が自分らしく自由に生きるということです。
きっと誰もが、人として大切に扱われたい、そしてできることならば、
人とは争わずに温かくつながりたいと思っているのではないでしょうか。

そして、型にはめられた幸せではなく、
自分らしく自由に生きてみたいと心の底では
誰もが思っているのではないでしょうか。



私は、仙台弁護士会の人権擁護委員会に所属しているのですが、
そこでは、刑務所受刑者からの処遇に関する人権救済申立が多数よせられています。

その申立ての背後には、「自分を人として扱ってくれない」
というような哀しみをよく感じます。



また、弁護士の仕事をして、人と人との紛争の中に身をおいてみると、
多くの紛争の背景には、相手が自分を人として大切に扱われなかったこと
についての相手への怒りや哀しみがあることをよく感じます。


人は、誰かから、人として大切にされず、
モノや何かの道具・手段として軽く扱われたとき、深く心を痛めるものです。

また、自分の意見を全く聞いてもらえず、無視され、
一方的に何かを押しつけられたとき、哀しみや怒りを感じます。


そして、自分をモノとして扱った国家や集団、誰かを恨んだり、
反発したり、攻撃したりしてしまいます。


そういったことが蔓延するとギスギスした乾いた社会になるでしょう。
そうなると攻撃的で、不寛容で、些細なことで
お互いに責め合う社会になってしまうのではないでしょうか。


逆に、誰かから、人として、自分のありのままの存在を大切にされたとき、
人は、とても深い喜びを感じますよね。
大切にしてくれた人のことは、きっと自分も大切にしようと思いますし、
感謝の気持ちを抱き、信頼もするでしょう。


お互いがお互いを人として大切にする社会は、信頼を基底にする社会であり、
他者という存在は、攻撃したり、利用したりする対象ではなく助け合うもの、
支え合う対象として捉えられ、優しく寛容な社会になるのではないでしょうか。


信頼と寛容をベースにする社会、自分も他者も人として大切にする社会
になるためには一体どうすればいいのでしょうか。


まずは当然のことながら「人を人として大切にする」という意識を
一人ひとりに浸透させることが重要です。
人を何かの手段や道具にしてはならないことを伝えることが必要です。


そしてさらに、それを実践するためには、
次の二つのことを押さえておく必要があると思います。



一つは、人はそれぞれ違っているということです。



誰もが生まれたときから違っています。
誰一人としてこの世に同じ人はいません。
誰もが違って、この世に唯一のかけがえのない人なのです。
生まれてきた環境、何が好きか、何が得意なのか、
何を大切にしているのかは、人それぞれです。みんな違っています。



それからもう一つは、人は誰もが「自分フィルター」
を通して世の中を見ているということです。


自分は、どんなに客観的に物事を見ていると思っていても、
それはあくまで自分が選んだ情報をもとに、自分の価値観を通して、
事実を認識し評価しているのです。
あくまで自分個人の「主観的な」ものの見方・考え方であり、
自分は「偏っているかもしれない」、「間違っているかも知れない」
ということを踏まえておかなければなりません。



ところが、つい人は、自分が思っているように人も思うべきだ、
自分は正しい、間違っているのは相手の方だと思ってしまいがちなのですね。
自分中心に物事を考えてしまいがちなのです。



特に、自分の考え方が多数派である場合には、
自分達の考えとは違う少数派の考え方については、
「異質だ」「変わっている」「常識ではない」等と思って、
なかなか理解できないものです。



それぞれが「自分が正しい。相手が間違っている。」と一旦思いこんでしまうと、
ぶつかりあって、反発し合い、共に同じ社会で暮らしていくことは
難しくなってしまうでしょう。



ですから、「人はそれぞれ違っていること」
そして「人は物事を自分フィルターを通して見ていること」
この二つのことをまず押さえておかないと「人を人として大切にする」
ということは、困難なことではないかなと思っています。



そして、これは、なかなか普段暮らしていく中では、会得しにくいものです。
だからこそ体験的な「教育」によって伝えていく必要があるのです。


人を人として大切にするために大切なことは、自分の考えを絶対視せず、
他者の意見を鵜呑みにすることなく、常に自分の頭で考え続けるということです。


政府や偉い誰か、メディアが、言っているからといって鵜呑みにはしないこと、
思考停止しないことです。


参考にはしても、自分の頭で「それは本当にそうなのかな?」と考え続けなければ、
情報を提供する側が意図するまま、考え方を操作されることにもなりかねないのです。



他方で、弱い立場の人、少数の人、自分とは正反対の他者の意見や価値観も
尊重するということです。
尊重するとは、自分と考え方や価値観の違う誰かの意見を、排斥したり、
無視したり自分の考えを押しつけたりすることなく、受けとめるということです。



【つづく】

つづきのお話です。

「個人の尊重」を伝える(2) 

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※関連のお話です。
「法教育」って何だろう?

個人の尊重-人格そのものを目的として尊重する

 

 

 

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11月に入り、街ではクリスマス飾りが飾られて
早くも年末モードに入ってきましたね。

今年もあと2か月。
あなたは、年頭にたてた目標は達成できましたか。
あるいは達成しそうですか。


私は、本を出版をすることを目標の一つに立て、紙に書いていました。
「紙に書こう会」会員募集!


本を出版する目標は、まだ達成できていないのですが、
こうして原稿執筆依頼をいただき、HPに掲載していただけたのは
何だか、ちょっと目標に近づいたような感じで、とても嬉しかったです。


紙に書いた夢や目標って、やっぱり叶うものかも知れませんよ!


さあ、まだ書いていない方は、ぜひ書いてみて
どうなるか試してみて下さいね。

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

ハッピーハロウィン2

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平成22年10月31日(日)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

早いもので10月も末、今日は、ハロウィン。
うちには、なぜだか4つもおばけの人形がかざっていますよ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨年のこの時期、ハローウィンのおばけの人形を眺めていて、ふと思い浮かんだ物語をお話ししました。

ハッピーハロウィン!


その物語は、ひとりぼっちで、強がって生きていたおばけが、ハルという心優しい少年に出会うことで頑なだった心が温かく溶けていくというお話でした。


この世の中に、たった一人でも自分のことを分かってくれる人がいる、自分は決してひとりぼっちではないんだということが分かると、きっと、人は幸せに生き続けられるのではないかと思います。


人は人との間に生きています。
人は、人から傷つけられたり、衝突したり分かり合えなかったりで辛かったり、人との関係で、悩んだりするものですが、それでも人との間で生きていくしかない本来的に社会的な生き物です。


ひとりぼっちであること
誰からも見向きもされないこと
自分の存在を無視されること、無関心でいられること


それほど辛いものはありません。

人は誰でも他者から、その存在を受け入れてもらいたいものだと思います。


おばけは、ハルから存在を認めてもらいました。
存在を受け入れてもらって、とても嬉しかったのですね。
温かな心に包まれて、おばけの凍って人を寄せ付けない心が溶けていきました。


自分は嫌われ者で、誰からも嫌がられる存在だと自分自身ですらイヤだと思っていたところをハルは、自分の存在を認めてくれたのですね。
ともだちになろうって言ってくれたのですね。


実のことを言えば、おばけは昔の私の分身でした。


私は、自分のことを嫌われ者だとは思ってはいませんでしたが、つまらない奴、わがままでイヤな奴と嫌っていました。
自分に自信がなくて、どこかひねくれていました。
ともだちになりたいのに、なれなくて殻に閉じこもっていました。



おばけのように、その存在を認めてほしいと思って自分を強く見せようとしたこともありました。


私が、弁護士になろうと思った心の奥底には、「弁護士」という鎧をまとうことで、自分を強くみせようと思った価値ある人間だと思いたかった、自分の存在価値を証明しようと思ったのかも知れません。



でもね。



強がる必要なんてなかったんですよ。

鎧なんてまとう必要なんてなかった。


自分の存在価値を証明するする必要なんてなかった・・・。


確かに、司法試験に合格して、弁護士になることで自信はつきました。周囲の人の見る目は変わりました。
自分は価値あるんだって思いこみやすくはなりました。


でも、本当はね。

司法試験に合格しなくても、弁護士にならなくても、そんな鎧をまとはなくてもよかったんですよ。


もともとありのままですでに愛されていたのですから。
何か意味があって今存在しているのですから。

そして、ただ存在していることによって、これらから誰かを幸せにすることはできるのですから・・・。


ハルのように、おばけのことを思って、おばけの存在を大切に思うこと、受け容れることによっておばけの心にはハルが生きることになるのです。

ハルの心には、おばけが、おばけの心には、ハルがしっかり存在することになるのです。


相手から認められることを期待するのではなく、自分から先に相手を認める。関心をもつ。受け容れる。優しい声をかける。

ひとりぼっちだと思いこんでいる人に「あなたは、ひとりぼっちじゃないよ」と声をかける。

強がっている人に「強がらなくてもいいんだよ。あなたは、そのままで素晴らしいのだから。」という。


がんばっているのに結果がでなくて落ちこんでいる人に「がんばっているね。いつかきっと報われるよ。」と声をかける。


もし、あなたが、そう誰かに声をかけたとき、その誰かの心には、きっとあなたがしっかりと存在することになるでしょう。


素敵なことですよね。

ハルは、私の理想です。

自分もハルのようになれたら、素晴らしいなと思っています。


ハルは、心の目で、おばけの心の優しさ、寂しさを見て「君はほんとは優しいおばけだよ。君とともだちになりたいな」と言いました。


こんな風に、誰か、自分に自信がなくて、ひとりぼっちだと思っている人、自分に価値がないんだと思っている人に、温かい声をかけて、心に火をともすってとても素晴らしいことだと思います。


でも、実際はなかなか、できることではありませんよね。
ほんの一言が、その人の心を温かくして、お互いに幸せになるのにそれに気がつかず、また気がついても、恥ずかしさや面倒くささによってなかなか声をかけることができません。


結構、勇気がいることだと思います。


正直なところ、私もまだまだです。
鈍感ですし、気がついても恥ずかしくてなかなか言えなかったりします。


それでも、ハルのように、心の眼で、相手の心の底にある淋しさや悲しさを見ようとして、温かな声をかけようと意識するだけで、私自身の心に映る風景や行動は、それ以前より大きく変わってきたように感じています。

そして、人の心を温めようと思い、温かな一言をかけることによって、自分自身の心が温かくなっていきました。
自分の存在を実感できるようになっていきました。


「あ~役にたっている。喜んでくれた。ありがとうっていってくれた。嬉しいな。今、私、ここにいてもいいんだ。案外、自分っていいヤツじゃない。」


ぽかぽかと自分の心の芯が温かくなってきました。
何とも言えないいい気分です。


そう、何かの鎧をまとって強がってみせる必要なんてなかったのです。
むしろ鎧をまとおうとすればするほど、人と温かなつながりはできなくなっていたのです。

何かの資格や力や持っているもので、自分の存在価値を証明する必要なんてなかったのです。


意識を自分の内側に向けるのではなく、ただただ誰かの役に立とうと行動すればよかった。


ほんの小さな愛ある行動をすればよかった。


それだけでよかった。


それが、自分の存在を認め、癒すための最良の方法だったのですね。


もしも、あなたが、自分に自信がなくなって、自分なんて社会から必要とされていない、自分なんて価値がないと思っていたとしたら、そう思うことはちょっと脇に置いて、誰かの役に立とうと行動されてみてはいかがでしょうか。

ほんの些細なことでいいですので、まずはあなたが好きな人、あなたの側にいる大切な人の役に立つことをやられてみて下さい。


そこから、少しずつ広げていきましょう。


また、あなたと同じように自信がなくなっている人がいたら励ましてあげてください。
何かの出来事で、悲しんでいる人がいたら、一緒に悲しんであげてください。


きっと、とても喜ばれますし、あなた自身の心を、癒してくれることでしょう。


人は誰でも、何かの意味があってこの世に生まれてきました。

今、ここに存在していることにも、こうして生かされているのもきっと何かの意味があります。


ありのままで既に愛された存在なのです。


決して価値がない存在ではありません。
意味のない命なんてないのです。


その素晴らしい存在、命を生かしていくためには、誰かから、何かを与えられるのを待つのではなく自分から、働きかけていくのです。声をかけるのです。愛をベースにした行動をするのです。


確かに勇気がいることかも知れませんが、ほんの小さな行動でいいのですよ。


ちょっと跳んでみましょう。


そうすれば、きっと自分の存在は心の内側から輝きはじめるでしょう。自分自身で「今、生きている」という実感をもって
生きることができることでしょう。


そうなると素晴らしいですよね。


私自身、ほんとにまだまだですが、これからもそんな生き方を選んでいこうと思っています。


あなたもよろしければ、そんな生き方を選んでみませんか。



ハッピーハロウィン。

あなたが、ますます幸せでありますように!



※関連のお話です。


優しさ配り

心の幸せカップ

あなたは素敵な脇役ですか?-登場人物関係図2

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平成22年10月11日(月)


 
こんにちは。

神坪浩喜です。


ますます秋が深まってきましたね。

梨や柿、りんごが食卓にならぶようになりました。
サンマも何回か食べました。

忘れずに食べた豪華弁当では、栗ご飯がでましたよ。
先日は、町内会の行事で、いも煮をいただきました。

秋という季節は、やっぱり食べ物で感じますよね!
(↑何か、前回と違うこと言っているような・・・)

 

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以前、人は、みな自分自身を主役とする人生のドラマを演じている
というお話を以前しました。

あなたがドラマの主人公-登場人物関係図



あなたを中心にして、関係ある人の名前を紙に書いて
線でつなげて図を書いてみると面白いですよというお話しでした。


人は、それぞれ自分を主人公にした人生ドラマを生きているわけですが、
あなたは、あなたとつながりのある誰かにとっては、登場人物の一人、
つまり脇役ということになります。


例えば、
あなたのお母さんにとって、あなたは子どもであり
あなたの旦那さんにとって、あなたは妻であり
あなたの上司にとって、あなたは部下だったりします。



あなたは、あなたとつながりのある誰かの人生にとって
どんな脇役を演じておられるのでしょうか?


一口に、例えば妻役といってもいろいろな役どころがあるでしょう。
優しくて理解のある妻、しっかりもので明るい妻、恐ろしくて夫を支配する妻・・・
いろいろですよね。


ここで、ちょっとまた紙に書いてみましょうか。
よろしければ、A4の紙とペンを用意されてみて下さい。



まずはあなたが大切に思っている人、一人を選んでみてください。


その人の名前を紙の真ん中に書いてみます。
その人を中心とした登場人物関係図を書いてみましょう。


あなたも当然登場人物の一人として登場するはずです。


主役の誰かとあなたの名前を線でつなげてみましょう。



あなたではなく、真ん中に書いた人から見て、その線、つながりというもの
はどのようなものになるでしょうか。


例えば、あなたが奥さんで、旦那さんの名前を真ん中に書いたとして、
旦那さんから見てあなたはどのような役まわりなのでしょうか。

あなたとどのような線、つながりに見えるでしょうか。

この時、あくまで、旦那さんが主人公ですから、
旦那さんの目から眺めることを意識して、あなたの役どころを
想像されてみて下さいね。


え?意地悪な役、嫌われる役、試練を与える役??


それはちょっと嫌ですよね。


できることなら、夫と良好な関係を持ち、支え助け合い、
温かくつながるいい妻の役まわりがいいですよね。



でも、もし旦那さんの立場から見て、我ながら至らぬ困った妻だなと感じられたとしても
落ち込まないで下さいね。
むしろ、素晴らしいと思いますよ。


そのように思ったということは、しっかり旦那さんの視点で立って、
自分がどんな妻役を演じているのかを想像して見ることができた訳ですから、
おそらく比較的良好な関係でしょうし、今、こじれていたとしても
これからよい関係にもっていけると思います。


逆に「自分は、完璧で、素晴らしい妻役を演じている、なのにこの旦那はっ!」
と迷いなく思うのであれば、ちょっと要注意かも知れません。


夫婦間で争いになるときは、おおよそ相手からの視点は抜け落ちてしまって
自分からの視点でしか物事が見えなくなっていることが多いからです。



他者の視点で、自分を眺めてみるということは、そう簡単なことではありません。


どんな人でも多かれ少なかれ程度の差はあるにせよ
自分中心に物事を見ていくのが通常で、相手や他者の視点で
物事をみるというのは、意識的に想像しなければできないことです。


その想像する技術として、相手を主人公としたドラマを考えて、
脇役のあなたはどのような役を演じているのか想像してみる訳です。


実際にやってみると、意外なことに気がつくかも知れませんよ。
相手は、自分に本当はこうして欲しかったというようなことが
見えてくるかも知れません。


自分が、やっていることで、知らず知らずに相手を傷つけているようなことや
ふたりがすれ違っている原因も気がつくことができるかも知れません。



夫婦間はもちろんのこと、人間関係における問題の解決には、
相手が、自分のことをどのように見ているかを想像することが有効かなと
思っています。



そのためには、まず相手の立場にたってみること、
相手の気持を想像すること。



そして、それができたならば、
相手との関係を修復するためには、一体どう行動すればよいのかが
見えてくるかも知れません。



人は、誰でも自分の価値観をベースに、出来事を見ています。
そして、それがあたかも常識、標準、当たり前のことのように
見てしまいがちなのですね。


そして、自らの価値観とは違うことについてはなかなか分かりません。
違う価値観の人のことは、なかなか分からないものです。



でも、人には「想像力」があります。


完全に相手の価値観や感じ方を理解できなくても、
「想像力」を架け橋にして、相手のものの見方や感じ方を
想像することはできるのです。



想像するための出発点は、
自分は、自分の価値観のフィルターを通して物事をみていること
そして、人にはそれぞれのフィルターがあって、自分と同じようには
感じていないということに気がつくところだと思います。


「自分の考え=常識」としてしまうと、そこで思考は止まってしまい
想像することさえ思いつきません。想像しようとさえ思いませんよね。



あなたとつながりのある誰かを主人公にして
あなたは、一体どんな役を演じているのかを考えてみると、


必ずしも「自分の考え=常識」ではないことに気がつかれることでしょう。
相手には、相手なりの「正義」があることに気がつくかも知れません。



あなたとつながりのある誰かにとって
あなたは、一体どんな役を演じておられますか?



悪役や意地悪な役ではなく、
主役を支える役、温かなつながりを持てる素敵な脇役だといいですね。



私も、縁あって、こうしてメルマガでつながっているあなたにとって
素敵な脇役になれたとしたら、嬉しいです。



あなたが、あなたの大切な誰かにとって、素敵な脇役でありますように!



※関連のお話です。

何かを大切に思う気持ち



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私事ですが、10月1日付けで、仙台簡易裁判所の民事調停官になりました。

民事調停官とは、弁護士の身分をもちながら、週1回、裁判所に勤務して
調停委員と協力しつつ、民事調停を取り仕切るパートタイム裁判官です。


10月6日に、初登庁だったのですが、挨拶まわりをして、
さっそく調停にのぞみました。


弁護士は、依頼された方の代理人として依頼者の利益確保を
第一の目的として活動する訳ですが、
調停官は、中立的な立場で、当事者双方の言い分を聞きながら
双方にとって、公平や正義にかなうような解決を目指すもので
とても新鮮でした。


私も、調停官の仕事を通じて、当事者の方への「想像力」を鍛えながら、
調停官としても弁護士としても、当事者の方々にとって「素敵な脇役」
になれるよう頑張りたいと思っています。

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

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平成22年10月3日(日)

 


こんにちは。

神坪浩喜です。


昨日の朝、小犬のマリさんと晴れた秋空のもと、散歩していたら、
ふんわりとキンモクセイの甘い香りがしてきました。

あ~いいですね!


毎年思うのですが、この香りにふれると
「あ~秋だなあ」と感じます。


あなたは、どのような時に秋を感じられますか?

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、前回のお話では、夫婦間で、亀裂ができないように
溝が深くならないように、
「相手に過度の期待をしないで、できるところを
認め感謝できるといいと思いますよ」
というお話をしました。


縁あって一緒になった夫婦が仲むつまじく幸せに助け合って
いたわり合って暮らせるということは、ありがたいことであり
幸せの一つの形ではあります。


でも、注意していただきたいのは
もし離婚に至ったとしても、不幸だと決まった訳ではないということです。


もちろん離婚は、大きな心理的なストレスがかかるもので
心を痛める方がほとんでしょう。


しかし、その時は、辛くても、離婚によって幸せの扉が開くことがることも
弁護士の仕事をして感じることです。
(離婚をしたくて、新しい人生を歩みたくて、ご依頼を受けることが
よくあります)


もし、パートナーが、暴力や言葉の暴力で、個人の尊厳を傷つけ
人として扱わず、何かの手段として扱うような人であれば、

そのような人とは、早く別れた方がいいでしょう。
一緒にいればいるだけ、自由が奪われ、心が傷つけられていくからです。


離婚といえば、どうしてもマイナスイメージがつきまといますが、
理不尽な束縛から解放されたり、自由を得て、
自分らしく生きることができたり
大きなストレスから解消されたりとプラスのこともあるのです。


日本の離婚制度では、お互いの合意があれば、離婚届にお互いがサインして
役所に届けるだけで、離婚が成立します(協議離婚)。


相手が離婚したくないというときには、まず離婚調停を申し立て、
離婚調停でも相手が離婚をしたくないと拒否すれば、
次は、離婚訴訟というステップを踏まなければなりません。


そして、離婚訴訟において離婚を認めてもらうには、
不貞や悪意の遺棄、その他婚姻を継続しがたい重大な事由
といった離婚事由の存在が必要です。


自分が離婚したくても、相手が離婚は嫌だ!と
突っぱねられると離婚するためには、結構、頑張らなければならない訳ですね。
(単に一人になりたいとかでは、離婚事由にあたらず離婚できません)




もちろん、できることなら、お互いが生涯のパートナーとして選んだ相手と
ずっと仲むつまじく一緒に暮らせるのが理想だとは思います。

前回お話したように、良好な関係を維持するための「努力」も必要だと思います。


でも、常に結婚という形にこだわって、
自らの幸せを犠牲にすることは本末転倒です。



人生の目的は、結婚を維持すること、離婚しないことではありません。


人生の目的は、あくまで幸せになること。幸せであること。

そして、自分らしく幸福を追求することだと思います。


ですから、夫婦で居続けるという選択が、かえって不幸になるのであれば、
自分の尊厳を傷つけるのであれば、その夫婦関係は解消した方が、
人生の目的にはかなうのです。

離婚した方がよいのです。





このブログを読まれている方には、もしかすると
夫婦間で、すれ違って、あるいは傷つけあって、既に冷え込んだ関係
の方もおられるかも知れませんね。


大変、お辛いことだと思います。


夫婦関係の解消ということになれば、財産関係の清算はもとより
子どものこと、離婚後の生活をどうしていくのか、仕事や暮らす場所等

いろいろなことを決めていかなければなりません。


二人が築きあげたものがたくさんあるほど、リセットすることの
ストレスは大きくなるでしょう。


それでも、解消した方が、自分の幸せのために、いいこともあるのです。



一つの扉を閉めて、新しい扉を開けた方が、
自分にとっても、相手にとってもいいこともあるのです。


仕事上、離婚が成立して、ほっとして晴れやかな表情をされる方を
何人も見てきました。


離婚をして、自由になって、いきいきと自分らしく幸せに生きられる方も
たくさんおられます。


離婚をきっかけにして、
自由になって、仕事や趣味に打ち込んだり、
新しい友人ができたりといきいき暮らせるかも知れません。
自分を個人として尊重してくれる素敵なパートナーに
出会えるかも知れません。


それにその後ずっと一人のままでも、誰かのために、時間や気をつかわないという
おひとり様のよさもあるでしょう。



離婚というと、どうしても「失敗」というマイナスイメージがつきまといますが、
けっして失敗ではないと思います。

だから、私からのお願いなのですが、
もしも、あなたが離婚をされたとしても、これから離婚を考えているとしても、
自分で「失敗」とラベルを貼らないようにしていただけないでしょうか。


ただ一つの事実があった。一つの経験をした。


そうニュートラルに受けとめていただけないでしょうか。


離婚は、大変なストレスがかかることで、
悔しさや悲しさ、どうしてこうなっちゃったんだろう
相手が悪い、自分がダメなんだと打ちひしがれておられるかもしれませんね。


そのような感情は、当然のことで、しばらく落ち込んでいいと思います。
泣いてもいいと思います。


それは、本当にお辛いことだと思いますから。


でも、しばらく泣いた後には、
こう自分に言い聞かせてみていただけませんか。


「一つの事実があった。それは一つの経験だった。
でも、私は自由になった。
これからは束縛されずに自分らしく生きることもできるんだ」と。


そして、離婚したことを、事実として捉え、
失敗と評価しないように
していただけないでしょうか。


決して、離婚や別れは「失敗」ではありません。


ましてや、離婚でこの先の人生が真っ暗になるという訳ではありません。


離婚は、とっても辛いことではありますが、
離婚で幸せをあきらめる必要はないのです。

決してあきらめないでくださいね。


人生の目的は、幸せになることです。


「別れ」は、新しい出会いを導くために、幸せの扉を開くために
必要な「別れ」だってあるのです。


その「別れ」があったからこそ、
人生が大きく好転していくことさえあるのです。



あなたが、幸せになることをあきらめさえしなければ・・・。


===============================================================



早いものでもう10月ですね。

書店では、来年のカレンダーや手帳が並んでいました。
もう来年のことも考える時期になったのですね。


ところで、今年のお正月にたてた目標、あなたは達成できましたか?


え?まだ?



あれれ、そもそもどんな目標を立てたのかを忘れたって??



・・・



大丈夫、まだあと3か月ありますよ。



「お互いに」目標を思い出してがんばっていきましょう!

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!



※関連のお話です。
起きることには意味がある。

減点法ではなく加点法で見てあげて。

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平成22年9月27日(月)
 


こんにちは。

神坪浩喜です。

昨日の日曜日、家族(小犬のマリさんも含む)で、県民の森にピクニックに行ってきました。

お天気もよく、涼しい風がふく行楽日和ということでたくさんの家族連れが来ていましたが、マリさん、何人もの小さな女の子から、「わ~かわいい~♪」と言われていました。


いやあ~照れますなあ・・・。
(↑お前が照れてどうする!)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、前回のお話の後半で、きちんとしている人は、他の人にも「正しさを要求しがちになる、きちんとするように求めたがる」ということをお話しました。


いわゆる「自らがきちんとした人」は、自分がきちんとできることを標準にして、相手がそれに達していないと「だらしないな」「これくらいやりなさいよ」と自分の基準レベルを相手に求めてしまいがちです。


整理整頓が当たり前にできる奥さん(例えば私の妻)は、整理整頓ができずにぐちゃぐちゃになってしまう旦那(例えば私)が実にだらしなく見えるでしょう。


料理が上手な旦那さんは、料理が苦手な奥さんに「何でこんな簡単なこともできないの」と不満に思うことがあるかも知れません。


あくまで、私の弁護士の仕事をやってきた中での感覚なのですが、夫婦が離婚に至るとき、特に結婚して一緒に暮らし始めて、早期に離婚に至るご夫婦の場合には、相手に期待していたものと現実との間に大きなギャップがあるように思われます。



交際中は、見えなかったものが、結婚して一緒に暮らしてみると相手の欠点や、期待はずれのところも見えてきます。
多かれ少なかれ、そういったことはどのご夫婦にもあり、少々のことはよいのですが、期待と現実のギャップが大きすぎて「許せない!」「我慢できない!」となったとき二人は一緒には暮らせなくなってしまいます。


もちろん、交際していた時以上に、一緒に暮らしてみて、より好きになったり、期待以上だったり、幸せが深くなっていくこともあるでしょう(素敵なことですね!)。


ですが、多くの方の場合、結婚時から加点されていくことはあまりなく、基本は、減点法で、期待はずれや残念なところに気がついてパートナーを見ていくことが多かったりします。
弁護士の仕事で、夫婦の溝が深くなってしまったご夫婦を多く見てきたせいかも知れませんが、そう感じています。


ですから、結婚して、年輪を重ねていく上で、お互いに相手を尊重し、溝をつくらず、絆を深めていくというのは、それはズバリ「努力」ではないでしょうか。


放っておけば、「減点法」で見てしまいがちなところを意識的に努力して「加点法」で見ていくというのが、夫婦円満の一つのポイントではないでしょうか。


交際しているときは、お互いにいい所を見せようと気を遣い、頑張っています。
また、恋に落ちてしまっているときは、相手の欠点は、なかなか目に入ってきません。


家庭に入ると、常に顔をあわせ、相手の存在が日常になり、よく見せようということはなくなり、自分のありのままを、さらけだしていきます。だらしないところも見えてくるかも知れません。



そんな相手の存在が当たり前になってきたときこそ、日々の相手に対する見方の「努力」や相手がしてくれたことに対する「感謝の気持ち」、「いたわる気持ち」が大切になってくるわけです。



夫婦の間で、亀裂が入り、溝が深まる理由は、様々なことからですが、その多くは、相手に期待しすぎて、自分の思うようにならないことにイライラし、相手を攻撃してしまうことからではないでしょうか。


「何で私ばっかり!」
「これくらいやってよ!」
「そんなこともできないの!」
「夫(妻)ならそれくらいやるのは当然でしょ!」
とかなんとか・・・。


どうでしょうか。

 

あなたは、こんな言葉をパートナーに言ったことがありますか?
逆に、言われたことがありますか?


(えっ、私?正直に白状しますと「何で私ばっかり!」と妻に言われたことは何回もあります・・・。すみません、ええ、私が悪いんです。 妻が言うことはいつも正論なんです。私がダメなんです。うっ、うっ・・・。)


言われることはもちろん、言うときもいい気持ちはしませんよね。
とても嫌な気持になってしまいますよね。



でも、実際に言葉に出して相手に言ったかどうかはともかく、心の中で浮かんだことは、ほとんどのご夫婦ではあるのではないでしょうか。それが自然だと思います。



でも、これを言ってしまうと、確実に夫婦の間に溝ができてしまいます。


ですから、もし「そんなこともできないの!」というような言葉が思い浮かんだとしても、「理性の力」で、ぐっとこらえて決して相手にはそのままぶつけないようにして下さいね。

相手に、感情的に「そんなこともできないの!」というような言葉をぶつけても事態は悪化するばかりです。



では、そんな言葉がなるべく湧いてこないようにするためには、一体どうすればいいのでしょうか?



何度もお話していますが、相手はなかなか変えられないものです。
逆に変えようとすればするほど、反発して変わらないものです。



でも、あなたの受け止め方や行動は変えられますよね。



決して簡単なことではありませんが、あなたの、相手への期待を手放すことは、できるはずです。
相手は、そういう人なんだと、「一旦は」あきらめて見ませんか。


それは、相手を突きはなしたり、無関心になるということではありません。
相手のありのままを一旦は受け容れるということです。

相手を信じるということと言ってもよいかも知れません。



その上で、意識的に「加点法」で相手を見ていくわけです。相手の既にできているところを認めて、できれば、感謝して、褒めてあげられるといいかなと思います。



例えば、奥さんの料理の腕は今一つであったとしても、きちんとご飯を出してくれたことに感謝することはできますよね。



旦那さんの稼ぎが今一つであったとしても、こうして生活できるお金を家計に入れてくれたことに感謝することは
できますよね。



そうやって、既にあること、できていることに目を向けて認めてあげていくと、結果的に相手が変わることも、実はよくあったりします。


旦那さんがあなたが作った料理を美味しく食べてくれたら、もっと頑張っちゃおうかなって思うでしょう。

奥さんがあなたが外で働いてくれていることに感謝してくれたら、もっと仕事頑張ろうかなって思うでしょう。


つまり、既にあることを認める、感謝するという行動によって、自分にとってよい方向に、相手が変わってくれるということもよくあることなのです。



細かなところをダメだしするのではなく、そこは、おおめに見てあげてください。許してあげて下さい。そして、出来るところ、素晴らしいところ、頑張っているところを認めてあげてくださいね。


それは、パートナーだけのためではなく、あなた自身の心の平穏のためにもです。



まとめてみましょう。


ご夫婦の方は、相手への過度な期待を手放して減点法ではなく加点法で相手を見るように「意識的に」日々つとめられてみてください。


できないことをダメだしするのではなく、できること、してくれることに目を向けて、「ありがとう」と言って感謝したり、褒めてあげて下さい。些細なことは、許してあげてくださいね。


そうすれば、今よりきっとパートナーとの関係はよくなると思いますよ!




どちらのご夫婦も仲むつまじく幸せでありますように!



 

それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

特捜部だって間違える

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平成22年9月25日(土)


 
こんにちは。

神坪浩喜です。

急に冷えてきましたね。
小犬のマリさんと一緒に、玄関のドアを開けて外にでた時
冬の匂いがしました。

ついこの間まで、真夏だったのに、もう冬が近づいているのですね。

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前回、「夢」についてお話をしました。

夢をあきらめずに、夢を叶えた方の講演のお知らせです。

友人が中心となって活動する「大崎自然界部」主催です。

お時間の許す方は、是非どうぞ!

10月17日 バンクーバーパラリンピック金メダリスト 狩野選手講演会

【開催日時】
         平成22年10月17日    13時開始    14時終了

【開催地】
         リオーネふるかわ    1Fリオーネプラザ
                                     2FカルチャーホールC(雨天時)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今、検察のあり方が、批判にさらされています。
村木元厚労相局長に対する強引な取り調べ、無罪判決(えん罪)
そして、大阪地検特捜部検事の証拠改ざん。

報道では、「検察の威信が地に落ちた」と言われています。


今回の一連の事件が起きる前、
多くの方が、検察というところは、正義の味方、悪い人をやっつける集団
間違わないところ、特に特捜部は、悪徳政治家を追いつめる
頼もしい存在というようなイメージをもたれていたのでは
ないでしょうか。


そのイメージは、実態として決して間違っていないとは思うのですが
検察だから、特捜部だから「常に正しい」と思いこんでしまうことは
危険なことです。


私自身、弁護士になって刑事事件、「僕はやっていない」という
否認事件をやる前は、ある意味、検察を信頼しきっていました。


私は、司法試験に合格した後、いきなり弁護士になるのではなく、
1年半の司法修習を行いました(現在は1年です)。


そのうちの3か月は、福島地方検察庁で検察修習を行いました。
私の指導担当の検事さんは、元東京地検特捜部の敏腕検事さんでした。
とても熱心に指導してくれ、また東京地検特捜部時代に、
被疑者や参考人を自供に追い込んでいった話を熱く語ってくれました。



そんな話を聴いて正義のために、悪い人をやっつけるような仕事に
「お~格好いいなあ!」と幼くも私は思ったものでした。
検察官になるのもいいかなと思ったこともありました。



人は、自分が「正義のためにやっている」と思いこんだ時
冷静に物事が見えなくなりがちです。視野が狭くなりがちです。


私の検察修習中に、こんな経験がありました。
検察修習のメインは、取調修習です。

取調修習というのは、逮捕勾留された被疑者を取り調べて
供述調書を作成するというものです。

実際に、警察官に連れられて、手錠や腰ひもをつけた被疑者が
私の大きな机の前にあるパイプ椅子に座って、私の質問に答えてもらいます。

私は、司法修習生の身ながら、大きな背もたれつきの立派な椅子に座っていました。


何人かの被疑者の取調をやらせてもらったのですが、
中には暴力団の親分さんの取調もやらせてもらいました。

日常では、とても対峙できる相手ではないのですが、
権力を持っている(と錯覚している)私は、実に偉そうに接していました。


私は、正義の味方気取りで、こちらが想定している供述を
引きだそうと理詰めで親分さんを追いつめていきました。
こちらが想定している供述をしないと
「それは違うのではないか」
「普通はこうだろう」
としつこく問いただしていきました。

親分さんとの攻防は、不適切な表現かも知れませんが、
真剣勝負をしているようで、楽しいものでした。
悪い奴を追いつめて正義を実現しているような錯覚に酔っていました。


ところが、親分さんをいい気になってあまりに理詰めで追い込んでいったため、
親分さんの感情を害してしまい

「もう、お前にはしゃべらない!!」

と怒鳴られました。
怒らせてしまい取調を拒否された訳です(取調失敗ですね)。



指導担当の検事さんに取りなしてもらい
その親分さんとは一応「和解」したのですが
自分が、いつのまにか「正義の権化」になって、真実の発見ではなくて
とにかく自分が想定する供述を獲得しようとしていたのですね。


自分が思っていることが、「もしかすると間違っているかもしれない」
だなんて思うことなく、自分が勝手に決めたゴールをめがけて
証拠を作ろうと頑張っていた訳です。


我ながら、怖いことだなと思いました。
私は、検察官になると危険かも、と思いました。


自分は、正義のため、正しいことをしていると信じ込み、一生懸命
がんばる訳です。そのがんばる方向がもし間違っていたとしたら・・・。


警察も検察も、逮捕すべき人を逮捕し、起訴すべき人を起訴する
というように当然思っています。
えん罪を作りだそうなんて考えている人はいないでしょう。


そして、慎重に捜査をして、間違いが起きないように日々気をつけている
ことでしょう。


そのおかげで、ほとんどの場合が、
適切に事件処理されていることと思います。
現場で汗をながして頑張っておられる警察官や検察庁の方には
頭が下がります。


でも、人の集団ですから、時に間違うことがあるのです。
「この人が犯人だ」という思いこみが間違っていることもあるのです。


誰かが、犯罪を犯した者として刑罰が執行されるまで
いくつものチェックがあります。


警察、検察、裁判所とチェックしていきます。
間違って無実の人を処罰しないようにと、無罪推定原則を前提にした
様々なシステムが憲法や刑事訴訟法で定められています。


ところが、「一旦、Aが犯人だ」と思いこむと、他の可能性が見えなくなり
それにそう証拠を集めることにエネルギーを集中させていくのです。
Aの自白をとろうと、「熱心な」取調をしていくわけです。
Aを有罪とすることが仕事になるわけです。

本当は、真実を発見することが仕事だったはずなのに・・・
無実の人を処罰しないように気をつけることが仕事だったはずなのに・・・。


足利事件のように、警察官だけでなく、検察官も、裁判所もみんな
とにかく有罪とすることに頑張ってしまって、
無罪の証拠を見つけることができずに、
無実の人を刑務所送りにしてしまうことだってあるのです。


今回の大阪地検特捜部の検事さんも、とても仕事熱心で、
優秀な検事さんだったのでしょう。
自ら信じることのために突っ走っていったのでしょう。
有罪とすることが、「正しいこと」と思いこんで、有罪にするために頑張ったのでしょう。

そして、有罪とするという目的達成のために手段を選ばなかった。




もしかすると間違っているかも知れない




私からのお願いなのですが、
どんな偉い人がそういっても、検察庁が起訴しても、特捜が逮捕しても
あの政治家がそういっても、マスコミがそういっていても
どこかで、「間違っているかも知れない」
とあなたの心に留保をつけておいていただきたいなと思っています。


鵜呑みにすることなく自分の頭で、「本当にそうなのだろうか」
ということは考えておいてくださいね。


自分に対しても、相手に対しても尊重しつつ
「間違っているかもしれない」
と意識をもつことで、

他者の意見を鵜呑みにすることなく、
自分の意見を誰かに押しつけることなく
他者の意見を尊重しつつ、
自分の頭で考えた自分の意見を相手に伝えることが
できることにつながるのです(これが法教育の一つの目的です)。


すなわち、絶対視しないという「間違っているかもしれない」
という意識は自らの頭で考え、他者とつながるため、
自律するための前提条件であり出発点なのですね。


もし、自分の考えや相手の考えを絶対視して
「正しいもの」と思い込んで思考停止してしまうと
相手の考えを鵜呑みにして操作されたり、
自分の考えを相手に押しつけようとして
紛争を引き起こしたりすることになりがちになるのです。


そして究極的には、国と国の戦争につながってしまうのです。



だから、「間違っているかもしれない」という意識は、
人とのつながりの中、社会で幸せに生きる上で
とってもとっても大切な意識なんですよ!


どうぞ「間違っているかもしれない」という意識を
心の片隅に置かれますようお願いいたします!

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「間違っているかも知れない」という意識はとても大切です。
でも、気をつけていただきたいのは、
自分の頭で考えた上で、もし相手が間違っていると思ったとしても
相手に面とむかって、「あなたは間違っている」
だなんて言わないでくださいね。


余計な紛争を引き起こすことになりますから。
効率化や改善に価値があるビジネスの世界ではもとより、
家族や友人関係の場では、特にご注意ください。


私が、妻に対して、そう思ったとしても、
恐ろしすぎて、とてもそんなことは
言えたものではありません。

間違って、そんなことを言った日には、一体どんな惨事が起きることか・・・。ああ、恐ろしい・・・。


相手が、間違っているかもと思った時は、
自分の方が間違っているかもということは踏まえた上で、
「これこれの前提や、事実、証拠からするとこう考えられるのではないでしょうか」
と穏やかに伝えましょう。


また、常に、改善を求めるのではなくて
些細なことには、目をつむるということも時に必要でしょう。

広い心で、現状を受け入れるということも、
家族や友人の中では、大切なことかなと思います。


特に、自らがきちんとされている方は、
「相手を正してやろう」なんて思いがちになりやすいので、
気をつけて下さいね。



妻も、広い心で、私をおおめに見てくれないかな~



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!



※関連のお話です。
足利事件-間違っているかも知れない

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平成22年9月19日(日)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
爽やかな季節になってきましたね。
夜空に浮かぶ月がとても綺麗です。
 
昨日は、妻から、あまりに事務所内の書類がたまっていることを呆れられて
「江坂さんが、困っているでしょ。いいかげん事務所の書類を片付けて!」

とお叱りをうけ、事務所にきて、片付けをしてきました。
 

放っておくと(というかもうすでに)
妻はブルドーザーのように私の領域でさえも
勝手に整理し、捨て去ろうとするのでした。

ああ、妻の粗大ゴミ人生・・・。
エアコン人生、○○人生


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
さて、突然ですが、あなたは

「あなたの夢は何ですか?」といきなり尋ねられたとしたら
あなたは、「私の夢は○○です。」とスッとこたえられますか。
 

もしすぐに「私の夢は○○です」とこたえられるとしたら
とても素晴らしいことだと思います。


でも、実際のところ、「これが私の夢です」
とこたえられる方はかなり少ないのではないでしょうか。

 
夢というはっきりしたものではなく、
漠然とこうなったらいい、これが欲しい、お金持ちになりたい、
やりがいのある仕事をしたい・・・。
そういう方が多いのだろうと思います。

だから、もし、今あなたに明確な夢がなくても、それがむしろ普通で、

これから夢を見つける楽しみもあるということですから、気を落とさないでくださいね。
 
何かをしたい。
何かを手にいれたい。
何かになりたい。
誰かの役にたちたい。
大切な人の幸せに貢献したい。
 

そういった心の底から湧いてくる「○○したい」という気持ちは、
自分が自分らしく生きることの推進力になります。

自分を大切にした生き方につながります。


夢が叶えられたら、それがとても嬉しいことはもちろんですが、
夢を心に描くことそれだけでも心には温かいものを感じますよね。


そして、夢に向かって何かをする過程で、感じるものや受け取るものも
人生に彩りを与えるものです。
夢にむかってがんばったことは、必ず糧になっています。
 

だから私としては夢を持つことを、あなたにもお勧めしたいです。
たとえ今は、どんなに辛くて悲しい状況であっても、
夢を持っていただきたいと思います。
いや、むしろ辛い状況の方こそ、そんな時だからこそ、意識的に
「○○したい」という夢をもって欲しいな。


夢を持つことで、今の逆境がきっと将来の糧、あなたの武器になりますよ。



「夢も希望もないです。その日その日を暮らしていくのが精一杯です」

そうおっしゃられる方もいるかも知れませんね。
辛くて厳しい生活を強いられている方
がそう思われるのも無理はありません。


 

「人生ってそういうものなんだ。辛いものなんだ」と思いこんで、
実際にも、ずっとそのようになってしまったりします。
 

そして、「夢や希望をもつと、夢が叶えられなかったとき落ち込むから、
そんなこと傷ついて辛いから、夢なんてもたないようにしている」
という方もいることでしょう。

自分なんて所詮こんな程度のものと自分をあきらめたりします。

 
子どものころは、いろいろな夢をもっていたとしても
親から「そんなの無理だ」と言われ続けたり、
社会に出て、様々な現実を知るようになると
「夢だなんて青臭いよ。理想なんてもたないで現実を生きよう」
という態度が大人らしいと思ったりする人も多いでしょう。

 
わかります、わかります。そのお気持ち。

 


私もかつてそう思っていましたから。

あ、正直に言えば、今もそんな気持ちは心の中に残っていますから。


 


でもね。



人間、その気になれば、本気になれば、

意外といろいろなことがやれるのではないでしょうか。


自分で自分の限界を設定しさえしなければ
自分をあきらめなければ、大抵のこと、すごいことでさえも
やれるものではないでしょうか。


当初は、「夢物語」と思えるようなこと、
他人から見て「何夢みたいなこといってんの」
と言われるようなことさえも、
結構できたりするものではないでしょうか。


夢、叶ってしまうものではないでしょうか。
 

夢を持ち、夢を叶えた人というのは、
自分の可能性をあきらめずに、可能性を信じて、
がんばった人だと思います。
 

もちろん誰もがなりたい職業につける訳ではありません。


例えば「宇宙飛行士になることが夢だ」という少年がいて、
彼が、夢を叶えること、宇宙飛行士になれることは、
現実には難しいことかも知れません。


しかし、「宇宙飛行士になる」という夢を掘り下げて、
抽象化させたもの、例えば少年は「宇宙飛行士になって宇宙開発に携わる仕事がしたい」
ということであれば、宇宙開発事業団の職員等になることで
実質的に夢を実現させることはできるでしょう。


また、例えば、あなたに大好きな人がいて(Aさんとしましょう)
あなたの夢がAさんと結婚して温かな家庭をつくることを夢に思い描いたとします。


ですが、現実問題、Aさんの気持ちや縁の問題もありますので、
Aさんと結婚できるかどうかは分かりません。
(確率は努力で高めることはできるとは思います。)
だから、Aさんにこだわると夢は叶わないこともあるでしょう。


そうだとしても、「素敵な人と結婚して温かな家庭をつくる」
と抽象化したならば、
その夢は、努力によって叶う可能性はかなり高くなるはずです。
(もっとも、恋に落ちている時は、
Aさん以外の人のことはなかなか考えられないとは思いますが・・・。)



そうした掘り下げたもの、抽象化させたものまで含めたならば、
自分をあきらめずに、夢に近づく適切な行動をおこしてさえいけば
夢ってきっと叶うものであるような気がしています。

 

もしも、夢が叶わなかったとしても、夢を抱いたことによる温かな気持ち

や夢に向かってがんばったそのこと自体、自分らしく生きた幸せで充実した時間

だったといえるのではないでしょうか。

 

そして、そうやって生きていることによって、もしその夢が叶わなかったとしても

新しい夢が見つかって輝くこともできるのではないでしょうか。 



夢を描いたってどうせ叶わないから
傷つくだけだから、無駄だから等と
もしもあなたが思っていたとしたら、お願いですから、
ちょっとその気持ちは、脇に置いてみてもらえませんか。


そして、一旦は、どんな夢も叶うものだという前提で、
自分が本当に何をしたいのか、何が欲しいのか、
自分の心がどういう状態になれば喜ぶのかを
自分の心に問いかけて見られてはいかがでしょうか。


あなたをいきいきさせる夢が見えてくるかも知れませんよ。




夢、見てもいいんですよ。



人として生まれてきた以上、誰にも、
夢を持つ権利があるのですよ。


そう、もちろんあなたにも。


日本国憲法13条は「幸福追求権」を保障しています。


一人ひとりをかけがえのない存在として、一人ひとりが夢を抱いて
その夢を実現するための自由を保障しているのです。


大切なことですから、もう一度、くりかえしますね。
「どうせ無理、できっこない、もう年だし・・・」
といった自分の可能性を否定する言葉が湧いてきたら
そんな言葉は、一旦脇においてみて下さい。


その上で、自由にあなたが、やりたいこと、なりたいもの
ほしいものを思い描いてみてください。


 

あなたが抱いた夢が何でも叶うとして、
あなたは、どんな夢を胸に思い描くでしょうか。

湧いてきたら、やっぱり紙に書いてみてくださいね。



では、あなたにもう一度、お尋ねいたします。





「あなたの夢は何ですか?」






あなたの夢が叶いますように!

 


===============================================================


9月15日に、東京へ出張したのですが、その晩、
東京の友人の薦めで「ホメゴロシの会」なるものに
参加してみました。

いわゆる異業種交流会なのですが、
それぞれの「夢」をしっかり持った方が集まっていて
そのような方々と知り合い、話を聞くことは、
とてもよい刺激になりました。


自分らしい夢や志を持ち、がんばっている方は、目がキラキラと輝いていて、
話をするだけでもたくさんの元気や勇気をもらえた気がしました。


そして、私も、私自身の夢、
「個人の尊重をベースとした温かな社会をつくること」
に向けて、がんばろうと思いました。


よし!がんばろうっと!



それでは、また。

あなたがますます幸せでありますように!


※関連のお話です。
幸福追求権

あなたの夢は何ですか?

あなたがドラマの主人公-登場人物相関図

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平成22年9月11日(土)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

つい最近までの暑さが嘘のように急に

涼しくなって爽やかな秋空がひろがっています。

秋ですね!
サンマですね!
ぶどうですね!
松茸ですね!!(私の家では関係ないけど・・・)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あなたは、テレビドラマや映画は好きですか?

 

テレビドラマや映画の紹介の時に
登場人物とその関係図(登場人物相関図)が示されることがありますよね。


例えばNHK大河ドラマの「龍馬伝」ですと
坂本龍馬が主人公、勝海舟とは師弟関係、武市半平太とは幼なじみ
お龍さんが奥さんで、岩崎弥太郎とは反発する関係等と
なっています。その他、いろいろな人との関係がありますね。
http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/cast/index.html


私が法律相談をやっているときには、たいてい
問題となっている人とその関係を図で書くようにしています。
特に、家庭の問題、相続の問題は、ほぼ必ず書いています。


それは、法律相談では、人と人との間の関係が問題となってきますから、
こうして登場人物を図で書くことによって、問題のポイントが見えやすく
なってくるからです。


人は、人と人との間に生きています。
人と社会とつながって生活しています。


あなたも、きっといろいろな人の間に暮らしてきますよね。


人は、一人では生きていないのですね。
必ず誰かとつながりながら生きています。


さて、ここで、私からあなたへの質問なのですが、
あなたをドラマの主人公とするとあなたの周りにはどんな方がいて
どんな関係になっていますでしょうか。



奥さん、旦那さん、友人や会社の上司や同僚・・・
いろいろな人が思い浮かぶことと思います。

好きな人や良好な関係な人もそうですが、むしろ
苦手な人、困った人そんな人の方が思い浮かべ安いかもしれませんね。



お時間がある方は、ここでちょっと
紙とペンを準備して「登場人物相関図」を書いてみませんか。
(またまた、出ました!「紙に書こう会」)




特に今、人間関係で悩みを抱えておられる方はぜひ試してみて
ください。
できれば一人静かな部屋で試してくださいね。





まず、あなたの名前を、紙の真ん中に書きましょう。



そして、あなたが日々接している人やあなたに何らかの
影響を与えている人の名前を書いてみましょう。
良好な関係の人、お世話になっている人だけでなく
苦手な人、困っている人も書いてくださいね。

まずは、7,8人くらいにしておきましょうか。


さて、次は、その登場人物とあなたとは、どんな関係ですか。
その人とあなたを線で結んでみてください。


その線は、どんな線なのでしょうか。


形式的には、夫、妻、友人、同僚、上司・・・・
そんなところでしょうか。

では、実質的には、どんな関係ですか。
そのつながりの線や質や色合いはどのようになっているでしょうか。


良好な関係、協調関係、温かい関係
といったあなたにとって心地よい関係もあれば、

敵対関係、気まずい関係、冷たい関係・・・
とあなたを傷つけたり悩ましたりする関係もあるかも知れませんね。


そんな人が日常的に接しなければならない相手だと
するとさぞ心理的にお辛いことでしょう。



もしかすると書きながら、
「どうしていつもこの人はこうなんだろう?」
「もうこんな関係、早く断ち切りたい!」
そう思れるかも知れません。



あなたの周りには、いろいろな登場人物がいて、
あなたを主人公にしたドラマが展開されています。
ドラマですから、様々な事件が起きています。
新しくいろいろな事実が積み重なっていきます。


あなたを主人公にしたドラマの
登場人物図面をちょっと引いて眺めてみましょうか。

どうでしょうか?



あなたを中心に書いた登場人物の図を眺めてみて、
何が感じるものはありませんか。

ああ、この人には、本当に世話になっているなあ。
迷惑ばかりかけているなあ。
なのに本当によくしてくれているなあ。



他方で、この人は、どうしていつも私に意地悪をしてくるのだろう?
冷たいのだろう?
こんな嫌な性格が出来上がる背景には、何か辛いこととかコンプレックスがあるのかな?


とか・・・。


きっといろいろな感情が湧き上がってくるかと思います。
もし感情が湧き上がって来たならば、湧き上がるままに感じていいですよ。
感情を抑えつけることなく感じつくしてください。


「ありがとう」

「感謝しています」
「本当にいつも私を助けてくれているよね」
あなたを助けてくれる人には、そんな言葉が湧き上がるかも知れません。


他方で、逆にあなたが嫌いな人や意地悪な人、怒ってばかりの上司なんかには
「こいつ大嫌い!」

「許せない!」

「どうして私だけに冷たいの・・・」

「いつも私ばっかり!」
と悲しみや怒りの言葉が湧いてくるかも知れませんね。



いいんですよ。



抑えつけないでください。


湧き出てくるもの、こみ上げてくるものがあったら

そのまま解放してあげてください。

涙があふれ出てくるならば、そのまま泣いてもいいんですよ。



感情を表に出して涙と一緒に洗い流してしまいましょう。



・・・・・



自分を主人公とした登場人物の図面を作り、眺めてみると
冷静に自分が、自分と相手との関係が見えてくることがあります。


自分がどういう人たちの中で生きているのかが分かってきます。


温かなつながりについては、
あらためて、ありがとうと感謝の気持ちが湧いてくることもあるでしょう。
自分が意外と多くの人に支えられ助けられていることに気づくかも知れません。

また、書いてみると今まで気がつかなかった温かなつながりに気づくこともあるかも
知れませんね。



逆に、あなたを悩ましたり、苦しめたりする冷たいつながりについては、
一歩引いた視点から何か解決の糸口をつかむことができるかも知れませんよ。

さあ、ドラマの主人公のあなたは、このピンチをどのように乗り越えて
いくのでしょうか?


・・・・・



すべての人は、自分自身を主人公とした人生を生きています。

あなたももちろんあなたの人生の主役です。


あなたを主人公としたドラマの登場人物相関図はどのようなものですか?


そして、あなたのドラマはこれからどのように展開していくのでしょうか?





今は、どんなに苦しくても、とても辛くて悲しくても
これから素敵なドラマが展開されるかも知れません。


そして、これまでの苦しさや辛さは、
これからのドラマティックな展開のために必要なことだったのかも知れません。



あなたを主人公としたドラマが、
これから素敵な展開をしていきますように!


※関連のお話です。
温かなつながり

人生の主役は誰ですか?

 

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今日、9月11日は、うちで飼っているパピヨンの子犬マリの

1歳の誕生日です。

 

もう子犬じゃないですね。でも、小さくて軽くて「小犬」です。


そのマリさん、私が椅子に座ってパソコンのキーボードをうっていると
近寄ってきてくるりと体をかえて頭を向こうに向け、ちらっとこちらを見て
「抱っこして♪」
とつぶらな瞳で私にうったえかけてきます。

その瞳に負けて、抱っこするのですが、たまに抱っこしないで放っていると
マリさん、後ろ足で私の足を蹴り蹴りしてきて
「おい、抱っこしてよ!」
と態度を豹変し抱っこをしつこく要求してくるのです。


ああ、家では仕事がはかどらないなあ・・・。


愛されることにも時に我慢が必要なのでした!
(のろけ話ですみません・・・)

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

その前提事実は、本当に正しいのかな?

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平成22年9月2日(木)


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

9月に入りました。
でも、まだ暑い!
TBCラジオのお天気お兄さんによると
今年の仙台は、東京並みに暑かったそうです。
東京って暑いんですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、あなたは「仙台」って聞くと何を思い浮かべますか?
けやき並木?七夕?伊達政宗?牛タン?ささかま?

「東京」だとどうでしょう?
丸の内や霞ヶ関のビル群を思い浮かべる人もいれば
新宿や渋谷の繁華街、浅草や東京タワーといった
観光地を思い浮かべる方もおられるでしょうね。


多くの傾向はあるにしても、人それぞれだと思います。


行ったことのない場所、私にとって、例えば、パリとかニューヨークとかだとすると、その情報は、テレビや雑誌等から得た情報をもとにイメージします。


パリなら凱旋門とかエッフェル塔あたり、ニューヨークなら自由の女神とか超高層ビル群とか・・・。


そして、旅行に行った時、頭でイメージしていたその街らしいものを
無意識に探しています。


京都だったら、お寺とか五重の塔だとかを見つけて「あ~京都らしいな」
だなんて思ったりしますよね。


何かイメージしているものを、期待して見つけに行くような感覚もあったりします。
「あ、テレビといっしょだ!」「実物は、思ったよりしょぼいね。」とか・・・


実際には、京都であって、近代的な建築物はあり、
仙台と同じような商店街や住宅地だってあるでしょう。

でも、京都は、古都として古い木造の建物があって、舞妓さんが歩いていて(?)
とイメージ付けされているのですね。


テレビや雑誌では、「らしいところ」をクルーズアップして、視聴者や読者に伝えていきます。
視聴者や読者も、そういった「らしいところ」を期待していますし。



犯罪報道も、テレビや雑誌は「らしいところ」に焦点をあてていきます。
犯罪報道らしいところ、それは逮捕された人がいかに酷い人だったり、生い立ちが屈折しているとか、家庭環境に問題があったりと「らしいところ」を報道していきます。



私が、かつて体験した刑事事件で、「僕はやっていない!」と無実を主張した事件があるのですが
(私は無実だと信じて弁護し、今も無実と信じています・・・)、
そこの犯罪報道もまた犯人であることを当然の前提として、いかに「犯人らしいか」に焦点をあてる報道をしていました。



もしかすると、逮捕された人(被疑者)には、報道されたような過去や事実はあったかも知れません。
でも、それって被疑者に関する事実の「犯罪者らしいところ」という目的をもって焦点を宛てられた事実なんですね。



いわば「らしいところ」を探して、切り取られた一部の事実にすぎないのです。


ところが、私たちの頭のなかで、やってしまいがちなのが、その切り取られた一部の事実をもって、
「この人はこういう奴だ」「(犯人であることを前提にして)酷い奴だ!」
だなんて、全体の判断をしてしまいます。



何かについて、正しい判断をする前提としては、必要な情報、事実を把握しておく必要がありますよ。


誤った前提事実をもとに、判断してしまうと、その判断もまた誤ってしまいます。


体重計が壊れていて実際より10キロ重い表示がされていたら
「ダイエットしなきゃ!」と間違った判断をしてしまいますよね。


だから、判断の前提となる事実、情報の把握というのは、判断をする際にとても重要なポイントになります。


ところが、その前提となる情報、テレビや新聞といったメディアがそういっているから
専門家の人がそういっているからともうそれだけで「前提事実」にしてしまいがちです。


でも、その判断の前提とした事実は、本当に正しいのでしょうか?

その前提事実は、客観的な証拠や数値によって裏付けがとれていますか?



もし正しいとしても、全体の中のほんの一部を切り取って、出した事実にはなっていませんか?



そして、その一部の事実の周辺事実や全体の位置づけまでみると、
その一部の事実の意味合いが変わることはないでしょうか?



弁護士の仕事をしていて、私もそうですが、多くの弁護士さんは仕事柄、
何かを判断するときには、判断の前提となる事実は何か、
そしてその前提事実は、証拠による裏付けがとれて本当に正しいのか、
また正しいとして、全体の事実の中でほんの一部
を切り取った事実ではないのか、
ということを意識しているかと思います。



この思考法は、事実を全体的多面的にとらえ、自分の頭で考え、
自分の判断をすることと言い換えていいかと思います。


誰かの判断を鵜呑みにしたり依存したり、
誰かに操作されることなく、自分の頭で判断するということです。



こういった思考法は、一定の訓練は必要かもしれませんが、
まずは、ちょっと意識するだけで、
ものの見方や考え方が変わってくると思いますよ。
(これが「法教育」の目的でもあります)
あなたもよろしければ、意識されてみてくださいね。



あなたが、自分らしい正しい判断ができますように!


===============================================================

友人で弁護士のM先生が、この夏、ご家族でフランス旅行をされたそうです。

そしてパリのエッフェル塔や凱旋門にのぼられたとか。

エッフェル塔にも、凱旋門にも階段があり(凱旋門は階段のみ)、
歩いてのぼれるそうです。

私は、あやめ法律事務所を開設して5年が経つのですが、
マンション11階にある事務所まで、この5年間、出勤時には、
階段でのぼってきました!
(我ながら、よく続いています・・・ハイ、ちょっと自慢話でした!すみません。)

そこで、この日々の階段のぼりの成果を試そうと
いつかエッフェル塔や凱旋門に階段でのぼることを
夢の一つに追加しました。
(さっそく紙に書きましたよ。 「紙に書こう会」代表ですから!)



あ、でも、その前に、まずは東京タワーですね!

階段のぼり、これからもがんばろうっと。



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!


※関連のお話です。
一部と全体-その情報はほんの一部かも?

H22.8.8 032.

平成22年8月21日(土)


こんにちは。

神坪浩喜です。


いつのまにやらお盆も終わり
8月も下旬になりました。
今年は、まだまだ暑いのですが、
空を見上げると、高い雲が秋の気配を感じさせました。

この暑さには、うんざり気味ですが、
それでも、ちょっぴり淋しい気分になりました。
もう夏も終わりなのかな~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


先日、刑事事件の裁判がありました。

夏休みということもあるのでしょうか、
高校生の友だちどうしで、自由研究の素材にしている様子の男子高校生が二人
50歳くらいの男性が一人
それから、途中で、高校生のカップルが傍聴席に入ってきました。

お、裁判傍聴で、デートですか~
いいですね。



私は、それを見て弁護人として、
被告人の弁護活動を頑張ることはもちろんですが、
夏休みの自由研究のいい素材になるように
またデートが盛り上がるように(?)
少々傍聴席の方々も意識した被告人質問や弁論を行いました。



あなたは、裁判をご覧になったことがありますか。


裁判を傍聴する際には、
何か特別な許可がいるのでしょうか?
裁判って、そもそも誰でも見ることができるわけではなくて
事件の関係者だけが見ることができるのでしょうか。


意外と知られていないのですが、
裁判は、誰でも、何か特別な許可や手続をしなくても
どなたでもふらっと行って、傍聴することができます。


日本国憲法は、裁判は国民に公開されなければならないこと、すなわち
傍聴が自由であることを定められています(82条)。

裁判というのは、司法権という国家権力行使の場面ですから、
かかる国家権力の行使が適切に行われているか、
国民がチェックできるようにしているわけですね。


また、裁判を公開することで、裁判をする側からすると
「ほら、このように、きちんと法にのっとって適切な裁判をしていますよ」
と国民からの信頼を確保できるわけです。


こっそり誰からも見られないところで、裁判をすると
裁判がきちんと法にのっとってなされているかどうかチェックできませんし、
チェックされないとなると、裁判官といえども人ですから、つい裁判にあたって
気が緩んだりして、もしかするといい加減な裁判をしてしまうかも知れません。


また、闇で裁判がされていると、国民は、本当にきちんと裁判しているのかな
と不審に思って、裁判を信頼しなくなるかも知れませんよね。


そういうことで、裁判は公開が原則であり、誰でも自由に傍聴すること
ができるのです。


傍聴の仕方ですが、
仙台の裁判所ですと平日であれば、ほぼ毎日、何かの裁判はやっています。
法廷の入り口付近に、今日の裁判の予定表が貼ってありますので
それを見れば、何時からどういった裁判があるのかが分かります。


できれば、はじめから見るほうがよいのですが、
裁判をやっている途中からでも傍聴席に入ることはできますよ。
(途中で退席することも自由です。)
ただ途中で出入りするときは、裁判中ですから、
裁判の支障にならないように静かに出入りしましょう。



服装は、普段着で結構ですが、あまりに目立つ格好ですと、裁判所から
注意されるかも知れません。


メモをとることは自由ですが、録画や録音、写真撮影はできません。
それから当然のことながら、裁判中は私語は禁止されています。


裁判には、民事裁判と刑事裁判がありますが
傍聴して分かりやすいのは、刑事裁判かと思います。


裁判では、様々なドラマが展開されています。
被告人や関係者の人生も浮き彫りになることがあります。
時に、自分の人生について考えさせらることもあったりします。


そして、弁護士や裁判官、検察官の仕事に興味のある方に
とっては、現にその人たちが真剣に働いている場所ですから、
その人たちの働きぶり、仕事内容を知る上で、絶好の場面だと思います。


ですから、将来、弁護士等になりたいなと考えている方やそう考えているお子さん
がおられる方は、ぜひ一度でも傍聴されてみてください。



宣伝になりますが、仙台弁護士会法教育委員会では、毎月1回
裁判傍聴会を開いています。弁護士2名がガイド役となって
一緒に法廷傍聴をして、解説をいたします。
http://www.senben.org/event01

運がよければ、傍聴した裁判で、実際に弁護活動をしていた弁護士さん
からの解説も聞けるかもしれませんよ。


実際に参加された方からは、大変ご好評をいただいていますので、
よろしければ、あなたもいかがですか。





ところで、あの男子高校生、
「僕と一緒に、裁判を見に行かないか?」

だなんて、彼女をデートに誘ったのかな?


そして裁判を見終わって、
「決めた!僕は、将来、あの弁護士のような弁護士になってやるぞ!」
と瞳を輝かせながら言い、側でそれを聞いていた彼女も、
「私も、弁護士をめざすわ!一緒にがんばろうね!!」
だなんて、会話を交わしたりして・・・


そして、二人で一生懸命勉強して、弁護士になって
夫婦で弁護士をしたりして??


そうしたら、私は、二人の人生の転機をつくった弁護士ってことかあ!!



と、そんな変な妄想をしたのでした。





でも、そんな夢を子どもたちに与えられたとしたら素敵ですね。
そうなるといいなあ!がんばろうっと。

 

=================================


裁判の公開は、裁判を国民の監視下におくことで
司法権の権力行使を適切にしようとするものです。

人から見られることで、きちんとすることを確保しようとするものですね。


人は誰でも、多かれ少なかれ、人の目を気にするときに、
きちんとしよう、悪いことはできない、ずるいことはできないという意識が働くものでしょう。

私自身も、人と接する場面や人から見られる場面では、
緊張して、ちゃんとしなければという意識が働きます。


でも本当に大切なのは、人の目がなくても、なすべきことはちゃんとして、
してはいけないことはしないことだと思います。

赤信号の横断歩道



本当のことをいいますとね、誰も見ていないなんてことはないんですよ。



天が、よい行動もよくない行動も、すべて見ています。


いや、天が見ていなくても、「自分自身」は、
常に自分自身の行動を知っているのです。
そして、ズルいことをしているとき、自分自身で、
「自分って人が見ていないときは、こうする人なんだね」
と自己暗示をかけているようなものですよね。



私自身、弱いもので、
つい「誰もみていないし~。これくらい、ま、いいか~」
となりがちなので、
誰かが見ている、天がみている、自分は知っている
ということを意識しておかないと、つい弱い心に流されてしまうのです。
(と、いうか、これまでいろいろと流されてしまいました。サボってきました。すみません!)


本当は、そんな意識なく、自然に、良心に従って、やるべき行動をやり、
やってはいけない行動をしないようにできればいいのですが、
なかなか難しいですよね。

 

私は、これができることが、人として、とても大切なのではないかと思っています。 

 

だから、私は、年齢や性別、社会的地位や職業、もっている価値観にかかわらず、

それができる人を、尊敬しています。


あなたの近くに、そんな方はいますか。

いたとしたら素晴らしいですね。




それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!




※関連のお話です。

憲法は国家を縛る?-立憲主義のはなし

記憶に残る3つの理由
-東北大学無料法律相談所・出張相談2010

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平成22年8月9日(月)

 


こんにちは。

神坪浩喜です。


毎日、毎日、とても暑い日が続いていますね。
夏バテされていませんか。

つい、そうめんやアイスといった冷たいものばかり食べていませんか?
(あ、これ、私のことです)

こんな時だからこそ
しっかり栄養のあるものを食べて、この暑さを乗り切りましょう!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、8月7日、東北大学無料法律相談所の
出張法律相談のお手伝いに福島県の須賀川市にいってきました。

毎週土曜日に行われる相談の他に
年に1回、夏に東北の地方都市に出かけて、法律相談を
行うものです。

一泊二日で行われ、合宿、4年生の引退相談でもあります。

1年生から4年生まで、総勢約140名という大所帯です。
私は、全くの役不足ながら、
前所長の河上正二先生(東大)、現所長の水野紀子先生(東北大)
坂田宏先生(東北大)、中原太郎先生(東北大)、
弁護士の花島伸行先生、丸山水穂先生
と一緒に、学生の法律相談のサポート(主審)をしました。


須賀川での相談が終わると、宿で、うちあげです。


4年生は、引退ということで、万感の思いを胸にいだいていました。

幹事の学生さんから、「主審の先生方、一言御挨拶を」
と言われ、河上先生らから、深みのある励ましと慰労の言葉が
学生達に伝えられました。


そして私の番がまわってきました。

OBも入れれば、160名を超える若いまなざしがこちらを見つめています。


あっ、やっぱり緊張するな~


==================================


みなさん、出張相談、大変お疲れ様でした。

特に、最後の相談となった4年生の皆さん、本当にお疲れ様でした。


どうでしょうか。相談を終えた今の気持ちはどんな気持ちですか。


終わった~
大変だったな~よくやったな~
といった充実感
そして、もうこれでおしまいか~
という淋しさもあるかも知れませんね。


昨年の10月から、メインとして法律相談をやってきました。
あっというまでしたね。
昨年の夏の出張相談で、先輩が引退してから、あっというまでしたよね。
よく頑張りました。



この1年の経験は、私がかつてそうだったように
皆さんも、ずっと記憶に残る貴重な体験だったと思います。


どうしてそうなのでしょうか。
どうして一生の記憶に残る1年になるのでしょうか。



私は3つの理由があるのじゃないかなと思います。




1つは、「挑戦」してきたから。

未熟ながらも誰かの役に立とう、立ちたいと
一生懸命がんばったからでしょう。挑戦、チャレンジ、
背伸びをしたからでしょう。


まだ、本当は法律のことよく分からないのに、勉強したことを
活かして、何とか相談してきた方の役に立とうと、一生懸命頑張りましたよね。


どきどきしながら、挑戦、チャレンジしましたよね。

だからこそ、心に残るのではないでしょうか。



2つめは、「共感」してきたから。

法律相談に来られる方は、基本的に何か悩みを抱えています。
離婚だったり、借金だったり、隣近所とのトラブルだったり・・・。

どれも、自分の身に置きかえると、かなりのストレスがかかることです。
そんな悩みを、近くの人には言えないような悩みを
相談に来てくれた方は、私たちに心を開いて、話してくれたのですね。

刺激的だったでしょう。あまりに気の毒で、
相談をしながら、自分も辛くなったかも知れませんよね。


でも、その相談者の身になって「共感」したということが
とても貴重な体験だと思うのです。

つい、「人ごと」となりがちなところを、
相手の身になってみるという経験は
辛かったかも知れませんが、大切なことです。



そして、最後の3つめ。


これは、もう皆さん、十分わかっているとおり、
「仲間」とともにやってきたから。


現実に悩みを抱えている相談者の方の役に立とうと
仲間で、いろいろと話をしながら、一緒に考えながら
ことにあたったこと。
一人でできないことをチームワークで乗り切ってきましたよね。


一人じゃなく「仲間」や「友達」と一緒に
相談を頑張ってきたということが
みなさんの心に深く刻まれていると思います。



この3つのことがあるからこそ
この1年は、皆さんの一生の記憶に残る1年間になるのだろうと思います。


私がそうだったように、皆さんも、きっとそうなることでしょう。



みなさんは、今日で、引退です。

でも、みなさんの人生はこれからです。


これから社会に出て、仕事につき、
多くの人とつながりをもって生きていきます。


そして、みなさんがこれからも、幸せで充実した人生を送るために
この3つのことが、これからも大切になると思います。



だから、幸せに生きるために、これから、
この3つのことを、どこかで意識してみてくれませんか。



もう一度繰り返しますね。


1つめ、「挑戦」
チャレンジしながら、背伸びしながらがんばっていくこと
安住せずに、新しいことにぶつかっていくということ


2つめ、「共感」
他者の心の痛みに思いをいたすこと、想像すること


3つめ、「仲間」
一人で抱え込まないで、仲間と助け合いながら、ことにあたっていくこと


充実した人生のために、私自身にも、そう言いきかせています。

みなさんも、ぜひ実践してみてください。



今日は、本当にお疲れ様でした!



=================================


その後、引退する4年生から、一人ひとり、挨拶がありました。


皆さん、胸にたくさんの想いを抱えながら、仲間に、先輩に、後輩に
感謝の言葉を伝えていました。


あ~いいですね。
「ありがとう」があふれているって。


幸せの尺度って、どれだけの「ありがとう」につつまれているか
「ありがとう」って言えることなのかも知れません。


学生さんが、涙をこらえ、声を震わせながら
懸命に「ありがとう」って言っている様子をみて、そう思ったのでした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

誰かの役に立とうと「チャレンジする」ということは、
失敗するかもしれないということでもあります。

「共感する」ということは、感情的に巻き込まれてしまって、
自分も辛い思いをしてしまうかも知れません。

そして、「仲間と一緒に」ということは、仲間とぶつかったり、
すれ違ったりして、切ない思いや辛く悲しい思いをすること
だってあるかも知れません。


いずれもリスクのあることです。



それでも、なお、この3つは、悔いのない生き方をするために
とても大切なことなのじゃないのかなと思っています。


つい、物事に真正面からぶつからずに逃げていたり、
一人よがりになったり、一人きりだと思い込んでいた
かつての自分を振り返ってみて、そう思っています。



いや、正直にいえば今でも、そんな弱い気持ちは、心の底に潜んでいます。



そんな弱さを受け入れながらも、弱いからこそ
理性的に、意識的に、3つのことをおさえていこうと思っています。


それは、人生の終わりに、
「私の人生って、楽だったけど、何だか逃げてばかりだったな~」
だなんて思いたくはないから。

できれば、「大変だったけど、素晴らしい仲間達と一緒に、よくがんばったよ」
って思いたいから・・・。


あなたも、よろしければ、
「挑戦」「共感」そして「仲間」
の3つのことを意識した生活を送ってみませんか。



もしかすると、そこから何かが変わるかもしれません。




それでは、また。


あなたが、ますます幸せでありますように!

何かを大切に思う気持ち-ジュニアロースクール2010

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平成22年8月5日(木)


 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
暑い日が続いていますね。
これだけ暑いと、事務所でも家でも
もう堂々と「エアコン人生」を送っております。
 
他方、妻は、近頃、私の雑然とした本の山に嫌気をさし、
それを整理すべく、スチール本棚を何と4つも通販で購入して、
この暑い中、汗だくになって組み立てました。

「粗大ごみ人生」とともに「組み立て人生」もやっております。
 
エアコン人生、○○人生
 

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
さて、仙台ジュニアロースクールが、7月31日に行われ
おかげさまで、無事大成功に終わることができました。
 


これも、準備に携わってくれた法教育委員会の若手の弁護士さん達や
弁護士会事務局の方々が、がんばってくれたおかげです。


 
午前は、中学・高校に別れての法教育授業
午後は、刑事模擬裁判を見てもらい、
生徒さんに有罪か無罪かを考えてもらいました。

生徒さんたち、とても喜んでくれましたよ。
嬉しいことに
「来年もまた来たい!」
と言ってくれる生徒さんもたくさんいました。


今年は、私自身は、法教育授業はやらずに授業のサポート役でした。
実際に、授業を担当されたK先生とT先生は、
とても一生懸命頑張ってくれて、素晴らしい授業をしてくれました。


中学生は、マンションのペットに関するルールづくり、
高校生は、輸血拒否事件の裁判を題材とした討論でした。
 
それぞれ、犬を飼って犬が大好きな住民や、犬の鳴き声に困っている住民
輸血をしないでと頼んでいた患者さんと命を救うために輸血に踏みきった医師
といった当事者役が登場して、生徒さんに、
自分の主張や気持ちをせつせつとうったえたこともあって、
生徒さん達、自分の頭でよく考えてくれました。
 

人それぞれの意見があります。


その背景をみれば
それぞれの立場がある。
それぞれの価値観がある。
それぞれ大切にしているものがある。


そして、自分と違う価値観や
自分があまり大切にしていないものを他の人が大切に思う気持ち
はなかなか理解できないものです。

人は、自分の価値観を中心に、ものごとを判断していくものですから。

 

 


何でそんなことを大切にするの?
何でそんなことにこだわるの?
おかしいじゃない。

変!


・・・だなんて、つい思ってしまう。


自分と違う価値観は、努力しなければ、意識して想像してみなければ
わからないものです。


高校の授業で登場した、患者さんは
命を助けてもらったのにお医者さんを訴えたというものであり
はたからみるとちょっと理解しにくいものかも知れません。


命より信仰を大切にするなんて、よくわからない。
お医者さんに命を助けてもらったのに、輸血しないことにこだわって
命の恩人のお医者さんを裁判で訴えるなんて、一体何で?



でも、患者さんの、「輸血をしないで欲しい」という言葉の背景には、
患者さんにとっては、
自分が人として生きる上でとても大切にしているものがある訳です。
命と同じくらい、時には、命以上に大切に思っているものもあるのです。


 
自分と違う価値観、特に相手の考えが少数なものであったとき、
その価値観の存在を受け入れることことは、本当に難しいものです。

想像力を一生懸命働かせる必要があります。

意識的に分かろうと努力する必要があるのです。



この高校の授業を担当されたT先生は、授業の終わりにこう締めくくりました。

「その人の判断を尊重するというのは簡単ですが、しかもそれだけ聞くとそのとおり実行するのも簡単なように感じてしまいますが、その判断が、自分の価値観とはかけ離れたものであったり、自分の価値観と衝突するようなものであったりすると、人は、なかなか、その価値観や考えを尊重してあげようという気分にはなれないものです。

でも、自分にはその考え方は理解できなくても、自分に大切にしている価値観や信念があるのと同じように、その人にとってはその価値観や考え方が大切なのだということ、自分と相手の大切にしているものの中身が全く違っていたとしても、なにかを大切に思う気持ちに違いはないのだということがわかれば、異なる個性、異なる価値観をもった人達が、互いに傷つけ合うことなく、一緒に生きていけるのではないかと思います。」


そう、全くそのとおりです。



人は、それぞれ大切にしているものは違っているのです。

違っていてもいいです。違うものなんです。

そもそも、私もあなたも、どんな人も唯一無二のかけがえのない存在です。
だから、価値観、大切にしているものも当然、人それぞれなのです。


そのことをよくおさえた上で、
「なにかを大切に思う気持ちに違いはない」
ことがわかれば、想像力を架け橋にして、
いろいろな考え方や価値観を持っている人びとが、
傷つけあわずに、幸せに共に生きることができるのですね。


法は、いろいろな価値観、考え方の人がいる中で、人々が共に幸せに生きることを目指すものです。


共に幸せに生きることを実現するためには、
人がお互いに傷つけあうこと争いごとを減らすことです。

そして、

「何かを大切に思う気持ちに違いはない」

ということが、心の中に落とし込めたならば、
将来、今より、きっと争いごとは減り、人といがみ合わず

人は人の中で自由に幸せに生きることができるのだろうと思います。


そんな社会になっていくといいですね。

 

だから、法教育、やっていこうと思っています。

 

=================================================================

 

仙台ジュニアロースクールは、法教育授業と模擬裁判が2本の柱です。
私は、授業のまとめ役で、模擬裁判のまとめ役は、S先生でした。

 

模擬裁判部会では、一からシナリオをつくることもあり、
シナリオづくり、また弁護人役や検察官役、被告人役といったキャストとの調整、

証拠書類の作成、模擬裁判後に生徒さんに有罪か無罪かを考えてもらうための

ワークシートづくりや司会台本の作成、当日の司会、さらには座席表の作成等

事務的なことも含めて、まとめ役であるS先生は、

本当に大変な時間と労力をかけて頑張っていました。

 

 

先生は、参加してくれる生徒さんのために、若手の弁護士さんの中心となって
本当に一生懸命準備に打ち込んでいました。


大盛況だったジュニアロースクールが終わり、生徒さんが帰り、
他の弁護士さん達もいなくなって静かになった後のことでした。

私は、先生と二人でちょっとした後片付けをして、消灯し、
会場となった弁護士会館4階の大きく開いていた扉を、ストッパーをはずして
先生と左右の扉を一緒に閉じました。

 


私が左の扉を、S先生が右の扉をゆっくり閉じました。

 

ほんの少し前まで、熱く授業や模擬裁判が行われていた会場
が視界から少しずつ消えていきました。

ゆっくりと扉を閉じ終わったとき、なぜだか胸の底から、
ぐっとこみ上げてくるものがありました。


「無事おわった~」「ああ、よかった~」
「みんな、そして先生、本当によくがんばったよね」
という気持がこみ上げてきて、胸が熱くなってきてしまったのでした。

 

何とも幸せな気分になったのでした。


 

これも、このジュニアロースクールで
一生懸命心を込めて頑張っていたS先生と
一緒に扉をしめることができたからだと思います。

 



もしかすると、がんばった一番のご褒美って、
こんな気持ちになれることなのかも知れませんね。

 

 

 

 

それでは、また。


あなたが、ますます幸せでありますように!

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※関連のお話です。                
「法教育」って何だろう。

法教育授業の終わりに。

選んでくれたんだね。

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平成22年7月25日(日)


 

こんにちは。

神坪浩喜です。

仙台も暑い日が続いています。
子ども達も夏休みに入りました。

夏休みに入って一週間は、ラジオ体操が午前6時30分からあり、
朝が弱い娘や娘を起こす妻にとっては試練の一週間でした。

ある1日は、遅刻して、妻の機嫌が悪くなり
別の1日は、妻がねむったままの娘をおんぶして、校庭に出かけました。

夏休みくらい、ゆっくり寝かせて~!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、先日、江坂さんとの雑談の中で
結婚式披露宴に、呼ぶ人が少ないと格好がつかないので
お金を払って「さくら」を雇う人もいるという話を
江坂さんから教えてもらいました。

そんなことしなくてもいいのに、
こうして自分と結婚してくれる人がいるだけでも幸せなのに
と、江坂さんは話していました。

うん、そうですよね。


こうして、自分と結婚してくれる人がいること、結婚相手として
選ばれただけでも幸せなことだと思います。


当たり前のことですが、もし、あなたが、
結婚しているということは、その人を伴侶として選び、
また、その人から、伴侶として選ばれたということでもあります。


結婚、婚姻、これは、お互いの合意によって成立するものです。

日本国憲法24条1項は
「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の
権利を有することを基本として、相互の協力により、
維持されなければならない。」
と定めています。

もっとも、婚姻は要式行為なので、お互いが婚姻届に署名を
して役所に提出することで成立します。
※民法739条1項
「婚姻は戸籍法の定めるところにより届け出ることによって
その効力を生ずる。」


でも本質的要素としては、結婚は、双方の合意、
お互いが、お互いを相手を結婚相手として
選び、選ばれているという関係で成り立っているのですね。


考えてみると、世の中にはたくさんの人がいます。
そんなたくさんの人がいる中で、
あなたの旦那さんや奥さんは、結婚相手として、
あなたを選んでくれたということです。


結婚する時は、この人と一生連れ添おうと考えて結婚する方が
ほとんどだろうと思います。
結果的に5年で離婚するということはあっても
最初から5年間だけと期間を定めて結婚はしないですよね。


だから、相手は、一生連れ添う相手として
あなたを選んでくれたということです。


誰と結婚するのか、誰と一緒に暮らすのか、
誰と一生連れ添おうとするのかは、
人生において、とても重要な問題です。


自分にあったよき伴侶と一緒になることができたとしてら
それだけでとても幸せなことですよね。


逆に、自分とはあわない、お互いに傷つけあうような人や
極端な場合、あなたを大切にせず
単に何かの手段や道具として扱うような人を
もし、結婚相手に選んだとしたら、
大変辛く悲しい思いをしてしまうことになるでしょう。


自分も、結婚相手として相手を選んだのです。
世の中にたくさんの人がいる中で、その人と結婚するという
選択をしました。


そして相手もあなたを選んでくれたのです。


世の中にたくさんの人がいる中から、たった一人のあなたを
生涯連れ添う相手として、つまり特別な存在として選んだのです。



相手にとって、あなたはスーパースペシャルな人ということです。


そう考えてみると、結婚しているということ自体、
そこに、旦那さんや奥さんがいてくれること自体、
何だかすごいことだと思われませんか。


うん、間違いなくすごいことですよ。


「この人って、世の中にこんなにたくさんの人がいる中から
たった一人、この私を特別な人として選んでくれたんだ」


と改めて、旦那さんや奥さんをそんな風に眺めて見ると、
当たり前のようにそこにいる旦那さん、奥さんのこと
ちょっと違って見えたりしませんか。
      

何だか改めて有り難い存在に思えてきませんか。


そばにその人がいるということが、不思議な気がしてきませんか。


よろしければ、ちょっと試してみて下さい。
何か気づくものがあるかも知れませんよ。



え?お前はどうかって。



分かりました。

やってみましょう。




たくさんいる人の中で、私を選んでくれたんだと、そんな風に、
今側にいる妻を眺めてみました。
妻は、取り込んだ洗濯物を静かにたたんでいました。




妻もホント物好きだよね。


結婚した当時、私は無職で浪人生で、ひねくれていて、
自分がかわいそうだなんて甘えていたどうしようもない男でした。


そんな私をよく選んでくれたよね。


わざわざ苦労を背負い込むような選択をしたよね。
決して合理的で賢い選択じゃなかったよね。




バカだよね・・・。



・・・・・



そして、そして、




ありがとね・・・。





妻が鬼や夜叉に変貌したときの恐怖は、ちょっと脇において
とても有り難い存在に思えてきました。
あらためて大切な人に思えてきました。



・・・・・




ということで、私でさえも効果がありましたから、
是非あなたも試してみてくださいね!



そして、あなたを選んでくれた人を
どうか大切にしてくださいね。

=================================================================

私たちは、いろいろな場面で、選び、選ばれています。

結婚や就職といった重要な場面もあれば
日常的に、仕事で上司からどのような仕事を任されたりするのか、
どのお店から、何を買うのかまで、様々な選択の場面を経験しています。

人生というものは、ある意味、選択の連続かも知れません。

つまり、人生は、これまで自分がどんな選択をしてきたのか、
また、どんな人から、どういうことで選ばれてきたのか
の集積といえるのではないでしょうか。


もちろん、必ずしも結婚したい相手と結婚できる訳でもないように、
誰に選ばれるかは、自分でコントロールできない領域も大きいところです。
(でも、選ばれる可能性を高めることはできますよね。
そのためには、そう、まずは自分が選ぶことです)

しかし、自分が、誰を選ぶのか、何を選ぶのかは、
コントロールできるのです。


だから、日々、自分は「選んでいる」という意識を持って、
自分らしい選択ができるようにすると
きっと幸せで充実した人生となるのではないのかなと思っています。


あなたは、何を、選んでいらっしゃいますか?

その選択は、あなたらしい選択ですか?




これから、あなたらしい素敵な選択ができるといいですね!



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!




※関連のお話です。                
夫婦の溝が深まる前に

           
人生の「主役」は誰ですか?

 

妻の名誉のために

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平成22年7月19日(月)


こんにちは。

神坪浩喜です。



東北地方も梅雨明けをしたそうで
昨日は、夏らしくとても暑い一日でした。

入道雲ももくもく湧いていて、セミもカナカナと鳴いています。
夕焼けが綺麗だったな。

いよいよ夏本番ですね~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、土曜日から、ハーバード大のマイケル・サンデル教授著の
「これから『正義』の話をしよう」という本を読んでいます。

ベストセラーになっている本なので
既に読まれた方もおられるかと思いますが、これ、面白いですね!


私が取り組んでいる「法教育」に重なるお話でもあり、
とても興味深く、参考になります。


その中の一つ、ドイツの哲学者イマヌエル・カントのお話。


カントは、道徳とは、ベンサムがいうように幸福やその他の目的を最大化するためのもの(功利主義)ではなく、人格そのものを究極目的として尊重することだと言っています。


日本国憲法の核心は、個人の尊重、すなわち一人ひとりを人として大切にすることでしたね。

それは、カントのいう、人格そのものを究極目的として尊重するということと同じです。


人格そのものを目的として尊重するということは、人を、かけがえのない人として尊重し、物扱いしないということです。


それは、何かの欲を満たすために、人を道具や手段として扱わないということです。
国家のために、人を駒として扱ったりしないということです。


カントは、人は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するという考え方をベースにしています。


「私は人類、そしてすべての理性的な存在は、その都度の意志によって恣意的に使うための単なる手段としてではなく、
それ自体が究極目的として存在すると考える」


「汝の人格においても、あらゆる他者の人格においても、人間性を単なる手段としてではなく、つねに同時に目的として扱うように行為せよ」


ちょっと難しいですが、「理性的な存在」「目的」と「手段」というキーワードに着目してみましょう。


人は、どんな人も理性的な存在であること、人は自由に行動し、自由に選択する自律的な存在でもあること。
だからゆえに、その存在自体が、尊重されるということ

何かの手段や道具とされるのではなく、ただそれ自体が目的として存在するということ、そう扱われなければならないこと

カントは、そう言っています。


つまりは、どんな人も理性をもった人として、無条件で尊重されるべきと言っているのですね。


何か、きれい事っぽい?

そんなの非現実的?
人間って、欲もあるし、汚いところもあるし、理性的といわれても・・・
それに、とても悪いことをした人でも尊重するの?


う~ん。その気持ち、よくわかります。


でも、カントは、理性を強調していますが、人が欲で行動することを否定するものではありません。

人間は、確かに、快楽を好み、苦痛を嫌う感性的な生き物ではあります。
しかし同時に、理性的で自由な存在だ、と言っているのです。 また、現実がそうだと言っているのではなく、人は、理性的な行為を目指すべき、志向すべきだし、 それができる存在であると言っているのです。


他者や集団、国家から、自分が何かの目的のための道具や手段とされた時、個人は尊重されていません。


例えば、悪徳業者が、お年寄りからお金を巻き上げる目的で健康食品を法外な値段で売りつける時、お年寄りは、悪徳業者にとってお金儲けの「手段」とされてしまっています。


ある上司が、出世を目的として、部下がやってくれた成果を自分の成果にし、部下のミスは、もっぱら部下のせいにするような場合、その部下は、上司の出世の目的の「手段」とされています。


学校で、自分達がイライラするからと、誰かをいじめているとき、それは、その誰かを、自分たちのストレス解消の「手段」としています。


国家が、他国との戦争に勝つために、特定の人に犠牲を強いる場合、それは、特定の人たちを国家の勝利のための「手段」としています。

どうでしょう。


自分自身や自分が大切に思っている人が、誰かや組織、国家の「手段」「道具」として扱われたら、どうでしょう。
誰かの私欲を満たすための手段にされたらどうでしょうか。


そんなの絶対にイヤですよね。
悲しいですよね。
悔しいですよね。


私を、人として扱ってよ!モノのように扱わないでよ!
そう、叫びたくなります。


人をもっぱら「手段」として扱うとき、それは、個人の尊厳を踏みにじっているのです。
人を人として尊重していないのです。


カントも、もちろん「手段的」な要素、自分の欲を全く排除して人と接するなと言っているわけではありません。


実際のところ、「手段的」な要素をゼロにして、もっぱらその人を「目的」として接するということは滅多にないでしょう。なかなかできるものではありません。


商売で何かを売る場合、商品を売って対価としてのお金をお客さんからいただくこと、それを期待することは当然のことで、
それは何らやましいことではありません。
利益を得ようとすることは、道徳的に決して悪いことではありません。


カントが言っているのは、「汝の人格においても、あらゆる他者の人格においても、人間性を単なる手段としてではなく、
つねに同時に目的として扱うように行為せよ」

と「手段」として扱う要素があってもいいのだけど、同時に「目的」としても扱いなよ、もっぱら「手段」だけにするんじゃないよ、
と言っているのです。


人間は弱い存在です。不完全な存在です。どうしても苦痛を避けて、快楽を求めたくなります。
自らの欲に流されてしまいがちです。
そのことは、カントも前提にしているのです。


そして、人は、つい他者との関係において、誰かを自分の欲の充足のための「手段」としてしまいがちなのことを知っているからこそ理性を強調するのです。


人は欲に流されやすい存在ですが、同時に人は理性的な存在です。
生理的欲求をおさえて、他者の人格を尊重し自分自身をコントロールできる生き物です。
正しいことをしよう、誰かのために役に立とうと生きることができる素晴らしい生き物でもあるのですね。


自由な行動とは、自律的に行動すること、自律的な行動とは、自分が定めた法則に従って行動すること、そんな生き方を人はできるのです。


「人間は弱くて不完全なものだから、理性的な生きようとしないと欲に流されちゃうよ。つい欲に流されて、人を「手段」や「道具」として扱ってしまいがちになるよ。でも、理性的に自由に生きることは、できるのだからやろうよ。そんな生き方を目指して頑張ろうよ。人間って素晴らしい生き物なのだから!」


ということをカント先生は言っているのではないでしょうか。
(理解不足だったらごめんなさい)


そして、このカントの言っていることは、私が考える法教育がめざすものと重なっているのではないか!と思って、とても嬉しくなったのでした。

法教育の目的は、人は、自由に自分らしく生きることができる存在として、自分を大切にし、また他者をも尊重する、そして、自由に他者と温かなつながりを構築していく、自由に社会とつながりをもっていくそういう自律した人を育むものだと私は思っています。

人は、理性的に自由に自律的に生きることができる存在ですが、現代の日本社会において、実際のところ、そう生きている人はあまり多くないのが現実ではないでしょうか。


お互いに、心の余裕がなくて、誰かを、自分の欲の充足のための「手段」としがちになってしまい、ギスギスした関係になりがちなのではないでしょうか。

自由に自律的に生きることが、なかなかできにくい社会なのではないでしょうか。


だから、自由の自律的に生きることができる人を法教育によって育んでいく。
それが、人と温かくつながりながら、自由に生きることができる素敵な社会づくりにつながっていくのだと思っています。


多くの人が、自律的な存在として、自分も他者も尊重しつつ、自分らしく自由に生きることができる社会になるといいですね!



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毎年、夏恒例の仙台弁護士会ジュニアロースクール
7月31日(土)午前9時45分から、
仙台弁護士会館4階で開かれます。

午前は、中学・高校に別れての法教育授業
午後は、刑事模擬裁判を見てもらい、
生徒さんに有罪か無罪かを考えてもらう予定です。

法教育委員会の弁護士さん達、主に若手の弁護士さん達が中心となって、
とても熱心に準備してくれています。


今年は、私自身は、法教育授業はやらないのですが、
担当の弁護士さんは、とても一生懸命頑張ってくれていますので、
きっと素晴らしい授業になると思っています。
(中学生は、マンションのペットに関するルールづくり、高校生は
輸血拒否事件の裁判を題材とした討論です)


今年は大盛況で、生徒さんの申込みは
既に定員に達していているのですが
傍聴席は、まだ余裕がありますので、お時間がある方は
ぜひ見に来てくださいね。

きっと有意義な時間が過ごせることと思いますよ!

 



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!




※関連のお話です。                                
人を人として大切にする-個人の尊重

「法教育」って何だろう?

がんばってるね。

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平成22年7月12日(月)

 


 
こんにちは。

神坪浩喜です。


7月も中旬、子どもたちの夏休みも
近づいてきました。

夏休み、何をしようかな♪

と、妻は、博物館いって、科学館いって、それからレジャープールにいって・・・
と子どもを連れ出す(旦那はさしおき?)計画を考えているようです。


あなたは、夏の楽しい予定をたてていらっしゃいますか?
楽しい予定をカレンダーに。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、あなたは、今、何かを頑張っておられますか?
一生懸命に何かに取り組んでおられますか。


その頑張りが、何かの成果になってあらわれたり、
社長や上司、旦那さんや奥さんに評価されているとしたら
嬉しいことですよね。



でも、実際のところ、頑張っているのに成果がでなかったり、
上司に評価されなかったりすることもよくあることではないでしょうか。



こんなに頑張っているのに上司は評価してくれない。
社長は、評価してくれない。
夫は評価してくれない。
妻は認めてくれない。

こんなに頑張っているのに・・・。 

 
そんなとき、どうしても「がんばっても無駄じゃない」
「どうして分かってくれないのだろう」
「私ってだめだなあ」だなんて思ってしまいがちです。


 
そして、それが積もり積もると頑張り続けること
ができなくなってしまうかも知れません。
 

こんなに頑張ってやっているのに
ダメなところを指摘されて、文句をいわれて、注文をつけられ
へこんでしまって、もう頑張ることなんかやめよう
そう思うことだって、あるかも知れません。

あなたにもそんな経験がおそらくあるのではないでしょうか。
 

私もこれまで何度もありましたよ。
 
 
一体何のためにやっているのだろう。
誰にも評価してもらえない。
誰にも見てもらえない。
 
 


私が司法修習生のころでした。

 
修習中に模擬裁判をやりました。
私が修習したところは福島で修習生が4名しかおらず
私は検察官役だったのですが、書記官役もかねて
各役間の調整等事務的雑用的なことを1人抱えてやっていました。

 
これが結構大変だったのですが、他の3人の修習生はそれぞれの
ことで忙しくて、手伝おうかといってくれる人はいませんでした。
 

さらに、誰にどんなことを言われたかは忘れたのですが、
私がやっている作業に、何か注文をつけられたりして、
へこんだりしました。
 
 
こんなに大変なのに・・・
こんなに頑張っているのに・・・

 
 
そんな言葉が心に浮かんでいました。
 
 
そんな時でした。

 
外も暗くなった時間に、裁判官室で、
「こんなに頑張っているのに・・・」と思っていると
修習指導担当の裁判官のTさんが、裁判官室を出て行くとき、
ニコッと笑って私を見てこう言いました。
 


「神坪さん、よくがんばってるよね」
 
 
たったそれだけでした。

そうさらっと言って、Tさんは裁判官室を出て行かれました。

 
その後、準備した書類の束をぼんやりと見詰めていると、
誰もいなくなった静かな裁判官室で、目になぜだか涙がにじんできました。
 
 
ああ、見てくれる人がいたんだ。


誰も見てくれないと思っていたけど、こうして頑張っていることを
ちゃんと見てくれる人がいたんだ。
 

心の芯がジーンと温かくなりました。

そして、準備した書類の上に、突っ伏してしばらく泣きました。
 
 
あれ?

たった一言なのに、ほんの一言なのに
どうしてこんなに嬉しいのだろう。
 

きっと言ってくれたTさんは、そんなこと憶えていないでしょう。

 
でも、あの時の「がんばっているね」は、私の心の芯深くを
とても温めてくれたのでした。
 
 
頑張っていることは、誰かが見てくれているんだ。
自分が気がつかなくても、誰かがみてくれていることもあるんだ。


その誰かとは身近な人でないかも知れない。
それは人でないく神様かも知れない。
でも、きっと誰かが見ているんだ。


そういう風に考えると少し明るい気持ちになれました。
もう少し頑張ってみよう、とそんな気持ちになれたのでした。
 


あなたが、今、もし「こんなに頑張っているのに評価されない」
と思って、辛いのであれば、「きっと誰かが見てくれている」
「神様(天)は見てくれている」
とそんな風に考えてみてはいかがでしょうか。


それに、あなたの頑張りは、間違いなくあなたを成長させています。
今は、目に見えないとしても、あなたが心を込めてやったことは
何かにつながっているはずです。

 

誰かの役に立っているはずです。


それから、私は、Tさんが「がんばってるね」
と声をかけてくれたことをきっかけに
いつか私も、こんな風に、がんばっている人のことを
気づくことができる目をもつ人になりたいなと思いました。


そして、誰にも見てもらえないと思っている人に、
「がんばっているね。ありがとう」とさらっと励ますことが
できたら素敵だなとそう思ったのでした。


「頑張れ」や「頑張ってください」は、
多くの人が言っている言葉です。

でも

「がんばってるね」


 

と、言っている人は意外に少ないのではないでしょうか。
それは、ある意味、難易度の高い言葉かも知れません。


やってもらっていることを当たり前と思わずに
「ありがとう」と感謝の気持ちで見る眼差しを持たなければ
「がんばってるね」という言葉は湧いて出てきません。


「がんばってるね」と言えるには、
そんな感謝の眼差しになれる温かな心が前提となるのかも知れませんね。


私自身もまだまだで、気がつかなかったり、分かっててもつい
照れてしまったりで、なかなか言えなかったりしています。


でも、とにかく「がんばってるね」と言おうと
意識するだけでも、昔より、がんばっている人に気がついたり、
「がんばってるね」と随分言えるようになりました。



おかげで、声をかけた方も喜んでくれるし、
私自身も幸せな気分になることが増えてきました。



あなたの側で、がんばってる人はいませんか?


今まで気がつかなかっただけで、がんばってくれている人っていませんか?

きっといると思います。


気がついたなら、その人に「がんばってるね。ありがとね」
と一言声をかけてみてはいかがでしょうか。


照れくさいかも知れませんが、ちょっと勇気を出して
さらっと言ってみてください。


きっと、温かな気分になれると思います。


声をかけられた方も、そして声をかけたあなた自身も。



「頑張れ」より「がんばってるね」

ほんのちょっとだけ、これからそう意識してみてくださいね!

 


=================================================================


「こんなにも頑張っていること」


もし他の誰かが見てくれていないとしても、
あなた自身、自分自身は、間違いなくその頑張りを知っています。


もし、誰も見てくれていない、誰も評価してくれないと
そんな気持ちになったら
その時こそ、自分で、自分の頑張りを認めてあげてください。


「よくがんばっているよね。
キミがどんなに頑張っているかを知っているよ」

「キミの頑張りをわかっているよ。ホント、よくやっているよ」



そう自分自身に声をかけてあげてみてはいかがでしょうか。



あなたの最大の味方は、あなたです。


そんなあなた自身を、大切に、ねぎらい、そして励ましてあげて下さいね。


ほら、あなたは、こんなに、こんなにも頑張っているのですから・・・。



・・・・・



それでは、また。


あなたが、ますます幸せでありますように!

 



※関連のお話です。                                
「労」&「労」-仕事の報酬

給料袋の一言

エアコン人生、○○人生

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平成22年7月9日(金)

 


こんにちは。

神坪浩喜です。


蒸し暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。

裁判所は省エネで、冷房の設定温度を高くしているのか暑いです。とくに、上の階へ行くほど熱がこもって暑いです。

先日、民事調停官(非常勤裁判官)の面接で地裁所長室に入りましたが、所長室とはいえ冷房はきいていませんでした。

裁判所の方々も暑い中ごくろうさまです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、家に帰って「暑いなあ」と思ってすぐにエアコンをつけると、妻から「お父さんのエアコン人生」だなんて揶揄されました。

これぐらいの暑さでエアコンをつけないで、扇風機でがまんしなよ、というわけです。


でも暑いのです。
仕事から帰って、お父さん、お疲れなのですから、せめてエアコンぐらい自由につけさせてください・・・・。



「○○人生」


こういってしまうと自分がそんな人生を生きてきたような気がします。


「○○人生」、あなたのこれまでの人生を「○○人生」であらわすとすると、何人生になりそうですか?


バラ色の人生?


お~それは素晴らしいですね!


え?苦難の人生、暗黒の人生、転落人生、借金人生?


それは大変でしたね。でもこれからは、きっと違いますよ。



ここでは深刻に考えないで、ちょっと遊び心で、「私のこれまでの人生ってどんな○○人生だったのだろう?」
と問いかけてみてはいかがでしょうか。


挑戦人生、大逆転人生、波瀾万丈の人生、穏やかな人生、平凡な人生、浪人人生、ラーメン人生、仕事人生、会社人生、恐妻人生・・・



いろいろと考えてみると結構面白いですよね。
自分がこれまでの人生をどうみているのかわかって面白いです。


では、これからの人生は、どんな○○人生だったらいいと思いますか?


バラ色の人生、豊かな人生、友人に恵まれた人生、お金持ち人生、いきいき人生、わくわく人生、夢と希望の人生、素敵な人生、愛と感動の人生・・・


あなたが好きなタイトルをつけてみて下さい。

こうなったらいいなあという「○○人生」を想像して、紙に書き出してみてはいかがでしょうか。



ちょっとアホかなあ?とも思いつつも実際やってみると結構楽しい気分になってきますよ。


そして、本当にそうなるような気にもなってきます。



え?お前はどうかって?


私は、ちょっとは恥ずかしいですけれど、「愛と感動の人生」なんていいなあと思っています。


誰にも言う必要なんてありませんから、これからのあなたの人生のタイトルをこっそりつけてみて下さいね。


タイトルをつけてみると何となくそのタイトルに自分が導かれるような気がしてきます。



よろしければ、ちょっと試してみてくださいね。



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妻の人生を私が名付けるとすれば、
一つは「粗大ごみ人生」です。


妻は、いつぞや「捨てる技術」なる本を読んで、捨てることに目覚め、いろいろとよく捨てます。
実に潔く捨て去ります。モノだけでなく、過去のしがらみも。


はるか昔、妻が私のために編んでくれたセーターさえも「もう着ないなら捨てるよ」と言って捨て去られました。


想い出の品も「過去にとらわれてはダメだよ」と捨てるのです。


妻は、自分のクルマ(セレナ)に、粗大ごみを積み込んで、自らゴミ処理場に持ち込むことが何度もありました。


妻は、通販やホームセンターで雑貨を買うことが好きなのですが、新しく何かを買うと前のものは実に潔く捨てるのです。


「そんなに捨てるなら、そもそも買わなければいいのになあ~」


と私は内心思うのですが、そんなことは恐ろしくて面と向かって、とても言えません。


それに、そんなことを言うと、いつか私も粗大ごみとして捨てられるかも知れませんし・・・。


ああ、粗大ごみ人生。


・・・・・



それでは、また。

あなたがますます幸せでありますように!




※関連のお話です。

「紙に書こう会」会員募集!

その仕事、誰がやる?

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平成22年7月5日(月)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

3日の土曜日に、

学校の先生方と法教育の勉強会と懇親会をしました。

 

学校の先生方のお話をうかがっていると

教師というのは、お忙しく、いろいろと神経もつかって

改めて大変な仕事なんだなあと思いました。

 

でも、学校を送り出した教え子が成長した

様子を生き生きと語る先生を見て、教師って素晴らしい仕事だな

と思いました。

 

がんばれ、先生!

 

自己肯定感と法教育 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、妻は、昨年から小学校のPTAの役員をやっています。
昨年度は小学校の広報委員長(くじびきでなりました)。
今年度は、本部役員をしています。


そこであった出来事を妻はいろいろと私に話してくるのですが、
それを聞いて、子どもたちだけでなく
「親(主に奥様)にも法教育っていいかも」
と思いつきました。


法教育は、「教育」ということもあって、
これまで主に子どもを対象にしているのですが、
法教育の考え方、
すなわち「個人の尊重、正義や公平といった法の原理原則を
ふまえ、人には様々な価値観があることを理解しつつ、
法的なものの見方・考え方を通じた話し合いによって、
共に幸せに生きようとすること」
はPTAや町内会についてお悩みの(主に)奥様方にも
きっと役に立つのではないかなと思っています。


幼稚園の時もそうでしたが、PTA役員を決めるとき
なかなかなり手がいなくて困るそうです。

役員を決めるとき、お互いに、
「誰か手を挙げてくれないかな~」なんて
何とも気まずい時間をしばらく過ごしたりしています。


私の子どもたちが通う小学校では、任意では決まらないので
子ども一人につき6年のうち1度は役員になることが
義務づけられております。
(2人なら2年間ということになります)


そして、どの委員会になるかは、希望をとってくじ引きになります。

妻がやっていた広報委員会というのは、仕事が大変な委員会ということで
敬遠される方が多く、妻のときも希望してなった方はいなかっただとか。



妻は、くじ運が強いのか弱いのか、そんな広報委員になり
さらには委員長くじまで引き当てました。


広報委員会は、年に3回、校内誌を発行するのですが、
内容をどうするのかといった企画会議から
忙しい学校の先生方や保護者からアンケートをとったり、
子ども達の夢を聞いたりといった取材
編集、印刷作業と確かにはたからみても大変そうでした。


そういった作業も大変なのですが、
いろいろな奥様がいるなかで
(別に旦那さんがPTA活動をやってもいいのですが
もうほとんど奥様ばかりです)
どのように役割分担をしていくか、どう協力して作業していくかは
かなり悩ましい問題です。

ボランティアで、時間がとられ、
「忙しいのに、できればやりたくないなあ」という気持ち
が出てくる場面で、仕事をお願いする方も、仕事を引き受ける方も
何とも微妙な心理が働いてくるわけです。


いろいろな奥様がいます。


仕事をしている奥さん
パートをしている奥さん
専業主婦の奥さん

仕事をしている奥さんは、仕事をやっているので
時間がない、できない。どうしようもない。
そう思っています。

そこで、専業主婦の奥さんばかり仕事が多くなると
「どうして、私ばっかり負担が増えるの。これって不公平じゃない?」
だなんて思うでしょうね。


働いているかどうか以外にも、
経済的に余裕がある家庭の奥さん、そうでない家庭の奥さん
親の介護に大変な奥さん
手がかかる小さなお子さんがいる奥さん
旦那さんが単身赴任の奥さん
旦那さんが家事育児をしっかり分担してくれる奥さん、そうでない奥さん


能力としても
パソコンやメールができる奥さん
パソコンやメールができない奥さん

といろいろです。


人柄や性格もいろいろでしょう。
大人しい奥さんもいれば、自分の意見をしっかり言う奥さんもいる。
話し好きで、わいわいするのが好きな奥さんもいれば
一人もくもくと作業をするのが好きな奥さんもいる。


やる気だって、何を大切にするかといった価値観だって
いろいろです。


こんなに人それぞれ違うところで
どう「公平」に分担していくのかはかなり難しい問題です。
ボランティアで、善意でなりたっているというのが、
また難しいところの一つです。

「みんなで、協力し合いながらやっていきましょう」と

皆さんが進んで仕事を引き受けてくれたら一番いいのですが

現実は、なかなかそううまくいかないものです。 



仕事であれば、労務の対価として金銭的な報酬があり、
対価関係ができて、
「お金を払うから(払っているのだから)やってください」と
言えるのですが、ボランティアですとそれはできません。

「子どものため」「地域社会のため」といった善意や大儀
「他の皆さんにもご負担していただいていますので」といったこと
でお願いすることになるでしょう。


大儀として「子どものため」「地域社会のため」
ということに反対する人はまずいないのですが、
しかし、いざその負担が自分に降りかかるのはできれば勘弁してほしい
(誰か私以外の人が引き受けてやってほしい)
とそんな心理になるのです。


「人から我が儘だとか悪くは思われたくない、
でも仕事は引き受けたくないなあ」
という微妙な心理も働くでしょう。


世の多くの奥様方は、こんな悩み、心理的葛藤を
多かれ少なかれ抱えておられるのではないでしょうか。
(旦那も抱えるべきということはあると思いますが、
世の多くの旦那さんは私も含めて、PTAの仕事は
奥さんにまかせっきりというのが現実ですよね。
ここもどうにかしなければならないところかも知れません)


以前「ケーキの分け方」ということで、利益をどう分配
するのが公平なのかを考えてみました。


逆に、負担やリスクを、誰かが追わなければ
ならないとき、それをどのような手続で
誰が分担するのか、どのような形で分担するのが
公平なのかを考えていくのも
法教育で扱う重要なテーマです。


よくある教材例としては、団地の中のゴミ置き場
をどうするのか、ゴミ出しのルールをどう決めるのか

といったものがあります。
「ゴミ置き場は必要である。でも自分の家の近くには
ない方がいいなあ」
そこで、どうするのが公平なのかを
生徒さんに考えて貰います。



役員の仕事を中にはやりがいをもってやっておられる方、
自ら意欲をもってやられる方もおられるので、

ひとくくりにPTA役員の仕事を「負担」としてしまうのは、申し訳ないのですが、
おそらく多くの方がそう思われるように
あえて「負担」として考えた場合、その負担をどう分担するのが
公平にかなうのでしょうか。



ちょっと考えてみたいと思います。



もし、よろしければ、あなたも、どうすれば公平な分担になるのか
考えてみて下さいね。


まず出発点は、人それぞれおかれている状況も考え方も違うということ
を認識した上で、それぞれどのような状況なのか、気持ちなのかを
理解しようとするところかなと思います。
人それぞれの違いを把握するということがスタートですね。
現状認識、事実の把握です。


さあ、その上で、どう分担していくのが公平なのでしょうか?



このお話は、次回以降に。



それでは、また。


※関連のお話です。
ケーキの分け方-公平であること

簿記試験を受けました。

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平成22年7月2日(金)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

6月がおわり、7月に入りましたね。 

はやくも平成22年も半分が終わったことになります。

 

あなたは、今年のお正月に立てた目標、達成しそうですか?

 

私の妻は、簿記試験合格を一つの目標にしました。

(当事務所の年賀状にも書いて宣言しています)

 

メルマガ99号の編集後記に書いたのですが、

先日、妻が目標を達成すべく簿記試験を受けてきました。

そのことについてのお話。 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

メルマガ99号編集後記(H22.6.13記)



今日は、妻が簿記3級の試験を受けてきました。

妻には、事務所の経理も家計もすべておまかせ
(財布を握られているともいう)
しているのですが、妻は、その腕を磨くべく、簿記の勉強をしていました。


夫の私が言うのも何なのですが、妻は経済的にもしっかり者で、
がっちり経理、家計管理をしてくれています。


事務所を維持していくためには、これだけの売上が必要だと
私は妻から、売上の数値目標を言い渡されています。


私は、月末になると、毎月、
今月の売上状況について書面で妻にご報告申し上げるのですが、
目標値をクリアしたときのホッとすることといったら・・・
(逆にクリアできないときの戦々恐々の心境ときたら・・・。)


妻は、売上が目標値に達していないときに

 

 


「こらっ!これっぽっちしか稼げないのか!もっとしっかり働け!!」

 

 






だなんてことは、決して言いません。



優しい妻は、どんなに少ない売上額の時でも

 


「大変お疲れ様でした」

 


とねぎらってくれるのです。優しいのです。
 


そして、こう言います。
 


「お父さんのクルマ、売ろうか?」





ひぇー!!!




クルマを売られないように頑張って働こうと思う私なのでした・・・。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

妻が受験した簿記3級の試験の合格発表が、先日ありまして

無事合格しました!(パチパチパチ)

 

もっとも、妻は、受験当日に予備校から出された解答速報をみて、

すぐに自己採点をし、「よっしゃ~!満点だね!!」と言っておりましたので

心配はしておりませんでした。

 

 

妻は、簿記3級の受験の後、帰宅途中に本屋に立ち寄り、

簿記2級の問題集を買ってきてさっそく2級の勉強を始めています。

 

2級の勉強は、昔、商法の勉強でやったことが出てくるらしく3級より面白いだとか。

 

何とも前向きな人です。 

(こういったところが、司法試験に早く合格できた一つのポイントかと思います) 

 

 

そして、ますます経理能力(夫への管理能力?)がパワーアップしていくのだろう。

きっと。

 

 

 

おそろしいなあ・・・。

 

 

 

それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

 

※関連のお話です。

すべては「思い」から。

ずっと一緒にいたかった。

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平成22年6月28日(月) (平成24年11月3日改訂)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
ここしばらく夏の日差しが照りつけていましたが今日は梅雨らしく雨模様。
庭のあじさいも咲きました。

蒸し暑く体調管理が難しい時期ですが、お身体ご自愛くださいね。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
平成17年10月末、Sさんが事務所で仕事中、突然倒れました。 救急車で病院に運ばれましたが、そのまま意識が戻ることなく約1週間後の11月3日に亡くなりました。 30代前半の若さでした。
...


Sさんとは、亡くなるほんの2、3週間ほど前に、同期の飲み会で一緒に飲んだばかりでした。

いつもは皆で仲良く飲んでいたのですが、その時は、私とではないのですが、別の同期の弁護士さんと些細なことで口論となってしまい、Sさんは、怒ってしまって、席を立ち、店を先に出てしまいました。

私も店を出て、あたりを見わたすと、Sさんが少しよろめきながら暗がりの中へ消えていきました。その背中はどこか陰があり淋しそうでした。

それが私がSさんの元気な姿を見た最後でした。

Sさんは、職人気質で、まっすぐな方でした。弁護士の仕事に誇りをもって、事件を一生懸命やっていました。

依頼者のためを思って、法的な解決だけではなく依頼者を立ち直らせるために、何時間も話込んでいたそうです。また時に、依頼者を本気で叱ったりしていました。

お通夜の時、Sさんのかつての依頼者の方が駆けつけてきて、いきなりSさんの側で泣き崩れていました。わんわん泣いて、ボロボロになっていました。その様子を見つめながら、もし私が、死んだら、こんなに泣いてくれる依頼者がいるのだろうかとふと思ったりしました。 

Sさんには、優しい奥様がいました。
奥様の深い悲しみに沈む様子から、Sさんがどれほど奥様を愛し、奥様がどんなにSさんを愛していたかが、痛いほど私の胸に伝わってきました。

納棺のとき、奥様が、横たわるSさんの冷たい頬に自分の頬をつけてSさんをぎゅっと抱きしめた様子がとても痛々しかったです。

その様子を見て、私は思いました。

ああ、そうか。

人は、必ずいつかは死ぬんだ。
それは、自分も、自分にとって大切な人も例外ではないんだ。
必ず別れの時が来るんだ。

そして、それが何時なのか分からないんだ。
Sさんのように突然やってくることもあるんだ。
突然、思いもよらない時に別れがやってくることもあるんだ。 
たとえ、どんなに愛する人がいたとしても、どんなにずっと一緒にいたいと願っていたとしても・・・。

そんな当たり前のことを思い知らされたのでした。

当たり前のことですが、人はいつかその命を終える時を迎えます。

そして、それが何時なのかは分かりません。それは、40年後かも知れないし、20年後かも知れないし、1年後かも知れません。極端なところ今日、明日という可能性だってあります。

平均寿命まで生きられる保障なんてどこにもありません。

ついさっきまで元気であっても、体のどこにも具合が悪いところがなくても、予期せず突然寿命がつきることだってあるのです。

Sさんも、よもや自分の命がここで終わることなんて思いもしなかったでしょう。

大好きな奥様とずっと一緒にいたかったでしょう。

誇りある仕事を続けて、将来こんなことをしたい、こんな弁護士になりたいといろいろと将来に夢をはせていたことでしょう。

奥様もよもやこんな日が突然やってくるなんて思いもよらなかったでしょう。夫婦2人で力をあわせて、素敵な法律事務所をつくっていくと思っていたでしょう。

でも、叶わなかった・・・。 


そういえば、事務所には、Sさんがとても可愛がっていたワンちゃんもいましたね。白くてふさふさの毛で、とても人なつっこい可愛いワンちゃんでした。

そのワンちゃん、事務所にもSさんと奥様と一緒に出勤して、依頼者との打ち合わせにも同席していたそうです。可愛いワンちゃんは、辛い経験をされて傷ついている依頼者の方の心をふんわりと癒していたのでしょうね。ワンちゃんもSさんと奥様と一緒に仕事をしていたのですよね。

ご遺体の側に、Sさんがあちらで寂しがらないようにと可愛がっていたワンちゃんの写真と毛の束がそえられました。

Sさん・・・

大好きな奥さんとワンちゃんとずっと一緒にいたかったんだよね。
ずっとずっと一緒にいたかったんだよね・・・。

それなのに運命って酷だよね。
本当に酷いよね・・・。

「人は、いつか必ずこの世を去らなければならない」
「そしてそれがいつかは分からない」

とても重い現実で、目を背けたくなりますが、目をそむけずに心の奥底に留めておかなければならない現実かと思っています。

まだまだ時間はいくらでもある、そう思ってしまうと、「いつかそのうち」となってしまって、結局何もできずに人生を終えてしまうことだってあるかも知れません。そんなことにはなりたくないですよね。

逆に、この2つの絶対的な厳しい事実を受け入れたとき、毎日の時間が大切になってきます。こうして今ただ生きているということが素晴らしいことにさえ思えてきます。生きてさえいれば、やりたいことができるのですから。

やりたいことをやっておこう。
自分にとって大切なことを優先的にやっておこう。
自分にとって大切な人を大切にしておこう。
後悔しないように、チャレンジしていこう。
愛をひっこめないでおこう。

今日という日を過ごしていることが当たり前と思わずに、毎日を大切に過ごすことができたらいいですね。

Sさんは、まだ若く、遺された奥様のことを考えると無念だったと思いますが、その短い人生の中で、精一杯生きられたのではないかと思います。 

そして、私に大切なことを気がつかせてくれました。 

Sさん、ありがとう。 
 


* * * * * * * * *

それでは、また。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

クレマチスが咲いている2

平成22年6月19日(土)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

東北地方も梅雨入りしました。

今日は、薄曇りで蒸し暑い一日です。

体調管理、難しい時期がと思いますが、

元気にお過ごしくださいね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

さて、今日は、妻が庭で育てているクレマチスの続編です。

 

クレマチスが咲いている。

 

「これなに?」としつこく妻に尋ねると、煙たがられたのか

「もう全部クレマチスでいいから!」と冷たく突き放されしまいました。

そこで、自分で図鑑(「人気のクレマチス 主婦の友社)を見て調べてみました。

 

もし名前、間違っていたらごめんなさい。

H22.6.19 011.jpg

ロコ・コーラです。
白色の大輪花。
エストニアから紹介された
クレマチスの
一つだそうです。

H22.6.19 016.jpg

キャサリンです(これは妻が
そういっていました)。

H22.6.19 018.jpg

妻曰く、
ハーグレイ・ハイブリッド
らしいです。
図鑑だと「春の星」だと思い、
そう書こうとしたのですが、
「違う!」と妻に怒られました。 

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クレマチスは大輪系の他に
ベル形もあります。
 
下に向いて咲いています。 
 
ベティー・コーニング。
図鑑曰く、せっけんのような、
無垢で自然な印象の
よい香りだそうです。
確かに、よい香りでした。 

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ベル形の篭口(ろうぐち)。
早めに剪定をすると、年に数回
花を楽しめるだとか。

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チューリップ形の
プリンセス・ダイアナ。
 
あのダイナナ妃のこと
でしょうか。 
 
夏中、次々と花を咲かせ、以前は
プリンセス・オブ・ウェールズと呼ばれていたらしいです。

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雪小町です。
ふんわり咲いています。

H22.6.19 008.jpg

お約束の(?)子犬のマリです。
 
マーガレットといっしょに。

クレマチスといってもいろいろあるんですね。

花もいろいろ、人もいろいろ。

 

私達も自分らしい素敵な花を咲かせることができるといいですね。

 

 

 

それでは、また。

 

あなたがますます幸せでありますように!

期待を手放すと。

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平成22年6月14日(月)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 


一昨日の朝、子犬のマリと散歩していたら、
小学生の女の子達から「わあ~かわいい!!」と
言われました。

 

うん、やっぱり、マリはかわいいんだなあ!

 

何といってもこの私が落ちてしまった犬なのですから。

キミの瞳に吸いこまれて

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、あなたがおいしいと評判のラーメン屋に行ったとします。


お店には、たくさんの人が行列をつくって並んでいます。
30分くらい待ってようやくラーメンにありつけました。


きっとおいしいぞ!と期待はいやが上にも高まります。



そこで、どうでしょう普通の味だったとしたら・・・


何だ、こんなものか、大したことないじゃないかとがっかりしますよね。



さらに、味が今ひとつだったら・・・

何だこりゃ、まずいじゃないか!と腹が立ってくるかも知れませんね。


中には、みんながおいしいと言っているし、せっかく待ったんだし、
まずいということを認めることが嫌で、
「これはきっとおいしいんだ」だなんて、自分を思いこませようと
するかも知れませんね。


では、値段も安くて、特においしいとの評判も聞いていなくて、
お客さんもあまりいないラーメン屋にふらっと入った場合はどうでしょう。


たいして期待していない訳です。

その場合には、そこそこの味でも、きっと満足するでしょう。


仮に行列ができて評判が高く、期待も高かったラーメンの味と
あまり期待せずにふらっと入ったラーメンの味とが同レベルであれば
行列のできるラーメン屋については、こんなものかと不満に感じ、
他方で、ふらっと入ったラーメン屋では、おいしかったと満足する訳です。



同じ事実であっても
自分のもつ期待レベルに応じて、不満に思ったり、満足したりするのです。


つまり、事実から、自分の中で不満や満足の感情が
ダイレクトに生まれてくるのではないのです。

自分の中の期待レベルによって満足なのか不満なのか左右されるのです。


そして、期待レベルをクリアし満足しているときに幸福感を感じる。


とするならば、自分の中の期待レベルを下げると満足しやすい、
幸せを感じやすいということになりそうですね。


妻が作る料理は、プロの料理人が作る料理と比べれば
まだまだかも知れない。
でも、こうして毎日、温かいご飯が食べられるだけでもありがたい。


夫の収入では、とても家族旅行になんていけない。
でも、こうして生活できるだけでもありがたい。


不景気で給料は下がってしまった。
でも、こうしてリストラにあわず、仕事があるだけありがたい。



どこに満足ラインを設定するかによって、自分の感情が

プラスになるのかマイナスになるのか
変わってきますよね。


何かを受け取るとき、何かを評価するとき、なるべく
満足ラインを下に設定しておくと、幸福感は感じやすくなるわけです。


そして、満足ラインをめいっぱい下限に設定すると、どんなことが起きても


「もう生きているだけでありがたい」
「こうして、今日を迎えられるだけでありがたい」

ということになるのでしょう。


仕事がなくても、お金がなくても、一人ぼっちでも、体の具合が悪くても
試験に落ちても、失恋しても、姑が意地悪でも、上司が酷い人でも、・・・
ただただ「生きているだけでありがたい」と。


そうなると、どんな些細な出来事も「ありがたいこと」とプラスされていきます。
ゼロベースからの加点なのですね。

道ばたに綺麗な花が咲いている、ああいいなあ。
今日は、晴れてすがすがしいぞ、ああ気持ちいいなあ。
こうして、ご飯を食べられる、ああありがたいなあ。


単なる日常も、ありがたいことだらけになります。


大きな病気を経験され快復された方は、きっとそう感じられるのではないでしょうか。


私は、今、こうして生きている。
この足で、散歩ができる。
きれいな花や草木を見ることができる。
太陽のひかりを浴びることができる。
おいしいご飯を食べることができる。

ああ、どれもこれもありがたいことだなあ・・・




もちろん、辛いときに、そんな心境にはなかなかなれないのが
現実でしょう。


私もそうですが、人は、自分が手にしていないもの、
足りないものについ目がいきがちではないでしょうか。

 

自分が設定している期待レベルに足りていない

ことを不満におもったり、がっかりしたり、

さらには腹を立てたりしがちなのではないでしょうか。

 


自分が期待していたものと現実のギャップや恵まれている他人と比べて、
「ああ、私って不幸ね、ダメね・・・」
だなんてつい思ってしまうものです。


でも、その時、ほんのちょっとでいいですから、
自分の期待レベル、満足レベルが今どのレベルに設定されるのか
チェックしてみてはいかがでしょう。


そして、期待レベルを下げてみてはいかがでしょうか。
ゼロベースからの加点法を試してみてはいかがでしょう。


期待レベルを下げ、期待を手放すとかなり楽になります。
幸せを感じやすくなります。
これは、今自分にないものではなく、
あるものにフォーカスするということでもあります。


ほら、気がつかないだけで、あなたには既に
いろいろと恵まれていることがありませんか。見えてきませんか。
意外にありがたいことに囲まれていませんか。


家族がいる、友達がいる、仕事がある、健康である、
住む家がある・・・



そうしてあることに目を向けていくと、
あまりイライラすることなく心に余裕が生まれてきます。
心に余裕がでると、自らが前向きな行動をとりやすくなります。



あなたが明るく前向きになると、
あなたと同じように明るく前向きな人が
引き寄せられあなたに協力してくれたりします。


そして、そんな前向きな行動や協力者が、
将来起きる事実を好転させていくのです。



期待について他者との関係で分かりやすく単純かすれば、
こんな流れになりそうですね。


★他者に過度の期待を持つ
      ↓
他者がその期待にこたえてくれないと思いイライラする、
いじける、攻撃する
      ↓
相手は殻に閉じこもる、あなたの足らないところを責めて反撃する
あるいは、あなたに寄りつかなくなる
      ↓
相手と溝ができてしまう。



☆期待を手放す、よいところを見る
          ↓
相手が今やってくれること、相手の存在そのものをありがたいと思う
          ↓
心に余裕ができて、前向きで、自分にとっても
相手にとってもためになる行動をとるようになる
          ↓
あなたの思いやりある行動に相手も呼応して、
あなたに協力してくれるようになる
          ↓
お互いに助け合う、支え合う関係が構築されていく


と、いうことで期待レベルを下げること、期待を手放すことは
幸せであるための重要ポイントなのではないかなと私は思っています。

 

あなたは、どちらの流れを選びたいですか?

 

なかなか難しいかも知れませんが、相手にイラっとしたら、

心の中で「・・・・してくれない」という言葉が浮かんできたら、

 

「もしかして相手に期待しすぎじゃないのかな?」

 

と自分の持っている期待レベルをチェックして、
「期待レベルを下げる」「期待を手放す」
ということを、ほんのちょっと意識してみてくださいね。

 

そうすると、今よりきっと、幸せになっていくと思いますよ。


なお、ここで、期待を手放すというのは、相手に無関心になる、
相手をどうでもいい存在と思うこととは違いますので、
誤解しないでくださいね。


むしろ、期待を手放すというのは、相手の存在そのものを認める、
ありのままの相手の存在を受容するということと同義です。
相手と温かくつながるための手段ともいえるものです。
 

この辺の話は、長くなりますので、また別の機会にしようと思います。

 

今日はこの辺で。



それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

ほほえみ進行形

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平成22年6月7日(月)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 

昨日の日曜日、水辺で子ども達と水遊びをしてきました。
おたまじゃくしを網で何匹か捕まえました。

すご~い!
みせて、みせて!

だなんて、うちの子達だけでなく、よその子にまで、賞賛を浴び、尊敬の眼差しで見られました。


いや~実にいい気分です。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

さて、昨日、ちょっとロフト(屋根裏部屋)の片付けでもするかと大きなごみ袋を持って、久しぶりにロフトに登り、いらないものを捨てようとしました。
 

そこで、見つけたもの。
 

かれこれ20年近く前の1991年(平成3年)4月1日号の東北大生協ニュースです。
 

そこに、若かりし日の妻(当時法学部2年生、19歳)を紹介する記事が載っていました。

「ほほえみ進行形」という題で、連載されているもので、コンセプトとしては、東北大の輝いている学生さんを紹介するということです。
 

妻をよく知る私にとっては、もちろん面白かったのですが、きっと客観的に見ても、ボケていたりして、面白いかな、と思いましたので、ご紹介いたしますね。実際の記事には、文章の他に写真が3枚載っています。

 

よろしければ、お付き合い下さい。

 
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「ほほえみ進行形」

 
今月は、インタビューをしているこっちまで楽しくしてしまう、ユーモアあふれる彼女を紹介します。
 
 
 
-スポーツが好きだそうですね。
 


ええ、今はあまりやってませんけど、昔はいろいろとやってました。
 


-例えばどんな?
 


そうですね、小学校の時が陸上と卓球で、中学の時はバレーボール、高校の時は剣道なんか。
 


-本当に、いろいろとやってますね。
 


実は、卓球がずっとやりたかったんですけど、地元が田舎で中学・高校と卓球部が来年で廃部だとか女子がいないとかで入れなくて、それでまあ、友達に誘われたのもあって転々と。
 


-忙しいですね。
 


まあ、でも、スポーツ好きだし。
 


-万能ってやつですか?
 


全然!(笑)

陸上は短距離だったんですけど遅いんです。
大会とかでも7人走ると5・6番目くらいなんですよ。
あっ、でも卓球は一応メダルを持っているんですよ。
 


-お~。それはすごいですね!
 

あっ、でも、町の個人戦で・・・。
優勝じゃないんですけど・・・。
準優勝でもなくて、3位なんですけど・・・。
全然すごくないですね(笑)。
 


-そんなことないですよ。でも小さい町でしたっけ。
まっ、それはいいとして話は変わりますが、趣味は何なんですか?
 


最近映画を見に行っています。読書なんかも好きですね。
私、本とか読むのが好きなんですよ。
最初は文学部にしようかと思ったんですけど、法学部にしたんです。
 


-法学部といえば、自主ゼミで青葉法律研究会に入っているそうですが、
どういうことをやっているんですか?
 


民法と刑法と憲法のゼミがあって自分で好きなのを選択できて、それに入って教科書を使って、そのことについてみんなで討論するんです。1年生が自分の意見を言って、それに上級生が答えるといった感じです。
 

自分の意見をみんなで出しあってたたかわせるのが、とっても楽しいんですよ。
女の子がいっぱいいて、本当に楽しいんです。
 


-法律と聞くと、どこか堅い感じがしますけど。
 


そうですね。でも私、法律とか結構好きなんですよ。
 


-法律のどういった所が好きなんですか?
 


ある人が言っていたんですけど、法律には答えはないそうで。
自分で筋道立てて答えていけば、それはそれで答えだし、答えは1コじゃなんだっていう、そういう所が気に入ったなと。
あいまいな所がね。
 


-それじゃあ、将来法律関係ですか?
 


まあ、そんな感じですね。将来どうなるかはわかりませんけど。
とりあえず、何か目標に向けて頑張っていきたいですね。
とにかく、目標を持ってサークルでも遊びでも中途半端にならないように
理想をもって悔いの残らないようにやっていきたいですね。
4年はすぐですから。
 


* * * * * *

 
一見すると、大人っぽい彼女ですが、人なつっこい笑顔の中でも
ちょっと考え込む表情がとても印象的でした。


新入生に一言といって「出会いを大切に・・・。」
と、言い残していった彼女。
これから、彼女自身にももっと素晴らしい出会いが
待っていることでしょう。
 


=================================
 

いかがでしたでしょうか。


なかなかいいボケをしているでしょ。

ちなみに、今も、時々ナイスボケをしています。 



彼女が言うとおり、法律には、これだという答えはなくて自分で筋道を立てて考えていく、答えていくものです。


答えは1個とは限りません。


いろいろな視点から、物事を眺め、様々な利益を考慮しながら、法の原理原則や法律の趣旨や条文に照らして
妥当な解決を図っていこうとするのですね。

あいまいで、はっきりせず、ある意味、手探りのような作業ですが、あれこれ考えて、自分なりの答えを出そうとすることは、楽しいことでもあります。


法律って、堅苦しそうに思えますが、結構面白いんですよ。




ところで、このインタビューから1年半後、彼女は、私と河上民法ゼミで出会いました。
 

それから、私と彼女は、一緒に司法試験の勉強をしました。


彼女の3年先輩にあたる私は、偉そうに受験のアドバイスや法律のことを教えました。


きっと私のアドバイスがとても的確で(え?それは関係ないって!)
彼女は素直に法律を勉強し、めきめき力をつけていき、いつのまにやら私を追い越して、22歳で司法試験に合格しました。
 


ですが、自分はすぐに合格したのに、なかなか合格できない私のために、大変な苦労をしょい込んでしまうのでした・・・。

 
 

あ、その辺のお話は、長くなりますので、また、別の機会にしますね。

 

今回は、この辺で。



・・・・・
 


あれれ?



だけど、どうして私は、出会う前の彼女のインタビュー記事を持っていたのだろう?

 

 


それでは、また。
 
あなたが、ますます幸せでありますように!

クレマチスが咲いている。

平成22年6月5日(土)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

5月も終わり、6月に入りました。

梅雨入りもカウントダウンに

入りましたね。

 

雨が降れば傘をさす。

天を恨めしく思わないで、雨が降れば傘をさす。

 

そして、雨の日にしかできないこと、

雨の日に楽しめることをやってみる。

 

な~んてことを、ラジオで言っていました。

 

うん、そうですね。

雨の日には、ただただ傘をさせばいいんですよね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 

さて、今日は、クレマチス特集。

妻が育てたクレマチスの数々です。

よろしければ、ご覧下さい。 

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ルーベンス。
 
一気に咲き、そして一気に
散っていきます。 

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H・F・ヤング
 
なんだかJ・F・ケネディ
みたいですね。

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桜姫です。
 
白さが際だっていました。

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ホノラ
濃いめの紫が綺麗です。

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モンタナ系
アーチに蔓がのびて
いっています。

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ミゼットブルー
 
これは、私が母の日に妻に
あげたものでした。
今は地面に植え替えられました。

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おまけの子犬のマリです。
 
じーっと見つめる。 
(何かちょうだい・・・)

H22.6.4 001.jpg

クレマチスといってもいろいろな種類があるんですね。 

 

妻が育てたクレマチス。

 

これから、まだまだ増えそうです。

 

  

 

 

それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

※こちらもどうぞ。

クレマチスが咲いている2

わかって欲しかった。

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平成22年5月28日(金)

 

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 

5月も残りわずか。梅雨の季節ももうすぐです。

妻が育てたクレマチスも先日の雨でかなり散ってしまいました。

かわりに雑草があちらこちらでにょきにょきと成長しています。

雑草って、本当にたくましいな。



 
さて、前回のお話では、私が娘に対して怒ったお話をしました。

怒ってしまってごめんね。


 
 
朝起きるのがとても苦手な娘は
時々、朝起そうとすると、娘は、起きずに、わんわん泣いて、
「やだ~やだ~」と布団をかぶって足をばたつかせてぐずります。
 
 
先週の金曜日の朝、ぐずるばかりの娘をみながら
「何でいつもいつもこうなんだろう」と怒りの感情が湧き上がってきて
私は「もう、いい加減にしろ!!」
と思いっきり大声を出してしまったのでした。
 
 
怒った後、娘の気持ちを考えてみて
娘、傷ついたかな。何も大声を出すことはなかったな。
「もう、お父さんなんて大嫌い!」ってなっちゃうかな。
 
娘自身、「やだやだ」状態になんてなりたくないのに
なったときは、自分でもどうしようもなくなっているのに・・・。
それなのに、頭ごなしに「いい加減にしろ!」だなんて
言ったりして・・・

 

酷いね。ごめんね。
 
 
 
私は、そんなことを思いながら、
自分がやったことを酷く後悔をしたのでした。
 
 

しばらく、沈んだ気持でいると、
「はっ」とあることに気がつきました。
 

 
あ、もしかするとこの気持って、
今まで妻は、私の何回も何倍も感じてきた気持じゃないのかと。
 
 

妻は、何度もこんな気持に向き合っていたのか。
 
 
妻もいつもはとても優しいのですが、ごくまれにですが、

鬼や夜叉に変貌し、子どもや私を叱ることがあります。
 

その恐ろしさは空気が凍る程です。
 
 
妻が娘に対して、「どうして起きてくれないの」と叱っているとき、
それは同時に「お父さんは何もしてくれないで私ばっかり」
という意味も込められていました。
 
 
私は、娘に対して、激しく怒ったことはありませんでした。
「子どもなんだから仕方がないよね」
「そのうちいつかはよくなるよ」
という感じでした。
 

それが冷静で、穏やかないい夫?

 

いえいえ、それではダメだったんです。

 

それって、どこかで、妻に任せ、依存してしまっているのです。
自分は蚊帳の外みたいな感じで。


妻は、子どもに対して、正対し、
育てることの責任を真正面から背負っていました。

 
でも私は、どこかで妻に任せてしまって、自らは背負わず
そして、背負う妻の気持ちをよくは分かっていなかったのです。

 
冷静で、穏やかに、問題解決を探るみたいな感じで、
それは結局のところ、どこか突きはなした印象を
妻は受けていたのではないでしょうか。
 

私は、怒っても仕方がない、まだ子どもだから

という気持もあり、これまでその朝ほど感情をあらわにして怒ったことはありませんでした。
 

そんな冷静な私を見て、妻は、きっと
「どうして私ばっかり」
「私の辛さやや悲しみを分かってくれない」
と思っていたのでしょう。
 
 
妻は、孤独だったのかも知れません。
 

夫は、違う場所にいて、
自分と同じ場所から一緒に子ども達に向き合って
いなかったのですから。
いつもどこか一人で子ども達と向き合っていたのですから。
 
 
妻は、その朝、私がブチ切れた事に対して、責めたりしませんでした。
いいえ、それどころかむしろ嬉しそうな様子でした。
 
 
 
それは、私が、ようやく自分と同じ場所にたってくれた
同じような視点で子どもと向き合ってくれた
自分の辛さをお父さんも分かってくれた


そう感じたからではないでしょうか。 
 


 

ああ、そうか、そうだったんだ。

同じ場所にきてほしかったんだ。



クールで冷静なお父さんなんかじゃなくて
子どもに正面から向き合って、あたふたして、困って、
そして自分と一緒に悩んでくれるお父さんでいて欲しかったんだ。
 
 

 

わかって欲しかったんだ・・・・
 
 

それなのに、私は、今まで何をしていたのだろう・・・

 

 

世の旦那さんは、おうおうにして、奥さんが悩み事を相談すると、
何でそんなことで悩むのかなあなんて、途中で話をおり、
話をまとめて、問題解決をはかろうとしてしまいます。

別の場所から、
「こうすればいいじゃない」
と冷静に言ってしまいがちです。
 

仕事では、それが普通ですし、むしろそうしなければなりません。
論理的、理性的な視点をベースに、
情報を収集し、問題の所在を分析し、俯瞰的な視点で、
クールに問題を処理、解決していくのが
ビジネスのやり方でしょう。
合理的に効率よく、無駄を排して、対処していく。
 

ところが、家の中では、奥さんは、旦那さんに、
そんな問題解決思考で対処してもらおうというのではなく、
ただただ話を聞いて欲しい
そして私の気持をわかって欲しいと思って、
話しかけていることが多かったりするのです。
 
 
どんな話をしているのか、また状況や奥さんの人柄や性格にもよりますが
「冷静になって考えなさい」
「こうすればいい」
みたいな対応をすることは、時に
「わかってくれない」
と奥さんを独りぼっちにしてしまうことに
なるのではないでしょうか。
 

そして旦那さんとしては、頑張って話を聞いて
「俺ってなかなかよいアドバイスをしてあげたぞ」
と思っていても、
奥さんから
「あなたに話すんじゃなかった」
なんてため息をつかれたりします。
(私も経験あります。)
 

これが積もり積もれば、この人は私のことを何もわかってくれない

私の辛さや悩みをわかってくれない

ひいては「性格の不一致」だなんて言われたりするかも知れません。
 


怖いですね。
 
 

その人と同じ場所に立ってみる

同じ目線に立ってみる

同じ行動を試しにやってみる

つまり、その人の悲しみや辛さを分かろうとすること
 

 
そうしてはじめて気がつくものがあるのかも知れません。 
 
 
私がブチ切れたことで、
はじめて妻の本当のところの思いが分かったような
気がしたのでした(きっとまだまだでしょうが)。
 

ブチ切れることを推奨するわけではありませんが、
時には、感情をさらけ出して真剣に向き合うことは、
家族の間では時に必要なことかも知れないなあと思っております。
 


ただ、その際は、相手を非難する言葉、
人格を否定したりする言葉を投げつけたりしないで、
「私は何が辛いのか、何が悲しいのか」を訴えるようにして下さいね。
 
人は、人から攻撃されると殻に閉じこもるか、反撃するものですから。



あなたが、今、もし孤独を感じておられるのであれば
あなたの、心を開放して、その辛さと悲しみを、
あなたの大切な人に訴えてみてはいかがでしょうか。

 

 

そして、逆にあなたの大切な人が、あなたに対して

その辛さと悲しみをうったえてきたら、すぐにアドバイスをしてやろう

と思わないで、まずは、ゆっくりと耳を傾けてあげてくださいね。

 

できる限り、その気持に寄り添いながら。


 
そうすると、
よい変化がおとずれるかも知れませんよ。
 

 

それでは、また。
 
あなたが、ますます幸せでありますように!


※関連のお話です。
夫婦の溝が深まる前に

怒ってしまって、ごめんね。

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平成22年5月25日(火)

 


 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。


昨日の大雨とはうってかわって

今朝は爽やかな青空がひろがっています。

しっとり濡れた青葉が朝日に

きらきら光ってとても清々しいですね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は、私の恥ずかしいお話を。
 

先週の金曜日の朝のことです。

 
私の娘(小学2年生)は朝起きるのが苦手で、なかなか機嫌よく
起きません。

 
起こそうとすると、機嫌が悪くなり、フニャフニャいったり
泣き出したりすることもよくあります。

 
目覚ましアラームをセットしていて、アラームが鳴っても
放っておけばスヤスヤ寝ています。
 

夕方から夜は元気になって機嫌がよくつい夜更かしをして
しまう夜型人間なのです。

 
しばらく妻がひとりで、娘を起こしていたのですが、
 
 
「何で、私ばっかり起こさなければならないの!」
 

と怒られまして、 
午前6時半までは、妻担当
午前6時半以降は、私が娘を起こす担当になりました。
 
 

その朝は、午前6時ころ起きて娘が寝ている部屋に
いくと、なぜか妻に娘を起こすことを有無をいわさず
任せられたのでした。

 
まだ6時半じゃないではないかとちょっぴり不満に思っていました。
 

その朝、娘は、いつももまして機嫌が悪く、起きてとゆらしたり、
背中を軽くトントンと叩くと泣き出してしまいました。

 
音がすれば起きやすいかと、近頃DVDをつけています。
その日の朝は、妻が「地球大進化」というNHKの教養番組のDVDをかけていました。

 

私としては、これだと逆に眠くなって
起きないのではないかと思って
妻が買ってきた「クロスゲーム」というアニメのDVDに変えたのでした。
 

しかし、娘は、相変わらず起きないし、わんわん泣いています。
「やだ~やだ~」と布団をかぶって足をばたつかせています。
 


「何が嫌なの」と聞いても、ただただ「やだ~やだ~」と
ぐずるばかりです。


しつこく、しつこく、実にしつこく足をバタバタして泣いています。

 
常日頃「優しく、温厚に、穏やかに」を心がけ、
めったに怒ることはないお父さんの心の中にも、
だんだんと「何でいつもいつもこうなんだろう」
「どうしてこんなに理不尽なんだろう」
と行き場のない感情がもくもくと湧き上がって来ました。
 
 

そして、お腹がすいている、私もやりたいことがあったのに
妻に一方的に任せられたというような事情もあって、

娘が、泣いてバタバタしている様子を見つめていると
私の中の穏やか線がプチンと切れてしまったのでした。
 


よ~し、たまには妻のように、ブチ切れてみよう。


「よし、今から怒るぞ~!」




で、お父さん、怒ったのです。

 


娘が頭からかぶっている布団を、ガバッととひっぺがして


「こらっ!何が嫌なんだ!!はっきり言え!
いつも、いつも、もう、いい加減にしろ!!!」
 

と思いっきり大声を出してしまったのでした。



あまりに大声で、子犬のマリがびっくりしてほえていました。
あまりに大声を出したので、喉が少しかれてしまいました。

 


く・く・く・・・・


メルマガやブログで偉そうなことを
言っておきながら、私も怒るのですよ。

 
すみません。
 

「私、今から怒ります」と決めて怒ったものの 
しばらく、「怒るのは当然だ」といった自己正当化の気持と
「あ~ダメなお父さん」と自己嫌悪の感情に揺れて、へこんでいました。
 

 

娘、傷ついたかな。

何も大声を出すことはなかったよね。


もう、「お父さんなんて大嫌い!」ってなっちゃうかな。

 

こうして、父と娘に深い溝が出来てしまうのかな。 



娘自身、「やだやだ」状態になんてなりたくないのに
やだやだ状態になったときは、
もう自分でもどうしようもなくなっているのに・・・。
そんなことには、娘自身、なりたくないのに・・・



それなのに、私は、
頭ごなしに「いい加減にしろ!」だなんて
怒鳴ったりして・・・
 
 

怒鳴られてこわかったよね。

きっと悲しかったよね。



ああ、ごめんね・・・。
 

お父さん、失格だね・・・。

 

娘の小さな胸のうちを思うと
胸が締め付けられるような
猛烈な後悔の念にさいなまれるのでした。


それをしてはいけないと分かっていてもやってしまう。
それをすればいいと理性では分かっていても、なかなかできない。


自分でも、すっきり爽やかに早起きがしたい。

自分でも、言葉で、何が嫌なのか、どうして欲しいのかはっきり伝えたい。

でも、それができない。


そういうことってあるよね。

大人になってからだってあるもんね。
子どものときは尚更だよね。




お父さん、頭ごなしに怒鳴ったりしないで、そんなこともあるんだよって
心の眼で、君の悲しみを見ることができるとよかったよね。



本当にごめんね。



未熟なお父さんをどうか許してね・・・




そんなことを思っていると涙が溢れてきて困ってしまいました。

爽やかな朝なのに。



・・・・・

しばらく時間が経ちました。



事務所に出勤する直前、娘は既に起きて食事をしていました。
私はスーツに着替え、娘が先ほどまで寝ていた和室のテレビに
目をやりました。


テレビの画面の上に、A4の紙が貼ってあります。


娘の字で、何か書いてあります。



ん?何だろう?






「お父さんへ
かってにDVDをかえるな!!」



・・・・・

 

 

は? 



ああ、私の心配は何だったのだろう!

そう、娘は、お父さんの喝如きでは、落ち込んで何かいませんでした。
へこんでなんかいませんでした。


わが娘よ、たくましいぞ。


さすが、妻の子だ!



そしてお父さんは、娘が落ち込んでいないことを知って
ホッとする反面、あの怒った出来事や
その後、怒って深く落ち込んだ事は一体何だったのだろうと、
ガクッと拍子抜けしたのでした。

  

怒らないって、とても難しいことですけれど
怒った後の心の状態を考えると
怒ることって、やはりできる限り、しないにこしたことはないですね。



エネルギーが実にもったいない。



そう思った朝の出来事でした。

あなたは「怒り」とどう付き合っていますか?


 

それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!




※関連のお話です。

言いたくて、でも言えなくて

感情さん、今怒っているんだね。

5月の散歩道2(花と子犬と)

平成22年5月24日(月)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

一昨日の土曜日は、子ども達の運動会でした。

おかげさまで爽やかないい天気に恵まれました。

 

一生懸命に駆ける子どもの姿って、見ていて気持ちがいいものですね。 

 

 

さて、今日は、子犬のマリとの散歩等でとった花の写真です。

よろしければ、おつきあい下さい。

5月の散歩道

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あやめです。
あ、ちなみに、うちの法律事務所の名前は 「あやめ法律事務所」
です。

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ここに錦鯉がいるんですよ。
子ども達が餌をあげに
来ていました。

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ツツジが綺麗に咲いていました。

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この間、この道を通ったときから随分花が咲きました。

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せせらぎ通りです。
キミとこの道を静かに
(振り回されて?)
歩きます。

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妻が育てたクレマチス

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花とマリと。
 
  マリ、走っています。
  
妻が育てたクレマチス2 

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私が、母の日に、妻にあげたクレマチスです。
「カーネーションをあげようか」と妻に言ったら「クレマチスがいい」とこたえました。
 
そう、妻はクレマチス好きなのでした。

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「花とマリと」2

H22.5.22 006.jpg

マリちゃん、もう1枚!
 
ふりかえり美人?

お付き合いいただきありがとうございました。

 

綺麗な花や景色はないかな~と思って、デジカメを持って

歩いていると、いろいろと素敵な光景が自然と目に入ってきます。

 

どこかアンテナが立った感じでしょうか。

不思議だなあ。

 

 

素敵なものって、実は、意外とすぐそばにあふれているのかも知れませんね。

自分が気がついていないだけで。 

 

あなたの周りにも、もしかすると、あなたが気がつかないだけで

とても素敵なものってありませんか。

 

そんな素敵なものに気がつくことができるといいですね!

 

 

 

それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

 

※関連のお話です。

気がつかない大切なもの

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