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日記・コラム

泣いてもいいんですよ。

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平成22年5月16日(日)


 
 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
青葉通のケヤキの葉も茂って緑がとてもまぶしいです。
この季節、並木道の下を通るとき
ななめ上を見上げながら、青葉通って本当に「青葉」通りだよね~
と嬉しくなってきます。
 
うん、若葉萌ゆる爽やかな季節ですね!
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
さて、私のメルマガやブログを読んでくださる方から
「涙があふれた」「泣いてしまいました」
というご感想をいただくことがあります。
 


それって、私にとってとても嬉しい言葉です。
ありがとうございます。
 
 
涙を流すこと、泣くということは
言葉に共感し、心が動いたときに、
初めてできることです。
 
だから、私の言葉で、もし、あなたが涙を流してくれたとしたら
その瞬間、まさにあなたと心がつながったということなんですね。
 
 
それって何と素敵なことでしょうか!
 
 
中には、泣くなんて恥ずかしい、涙をこらえよう
泣くのは自分くらいかもと思って、涙を抑えてしまう
方がおられるかも知れませんが、
もしも、心が動いたならば、どうか、おさえつけないで、
涙をそのまま流していただけると嬉しいです。
 
 
そして、それがあなたの心の健康にとってもいいことだと思います。
 
 
これは、私のメルマガだけに限ることではありません。
映画でも小説でも何か感動することがあって、
心が動きはじめたらブレーキをかけないで下さいね。
 
そのまま心を開放して、涙がでてきたら、
流れるままにして下さい。

 
そうした方が、心が温かくなり、きっと幸せになれるはずです。
 
 
辛かったり、悲しかったりして思いっきりわんわんと泣いたとき、
ひとりきり泣いた後では、気分がすっきりすることってあるでしょう。
 
 
泣くこと、涙を流すことには、
心の底にたまった悲しみや辛さの澱を洗い流す機能
があるのではないでしょうか。
 
 
涙をひとしきり流した後は、
凝り固まった心が柔らかくなり、一つの区切りがついて
新しい一歩を歩き出すことができるような気がします。
 
 
 
あなたは、もしかすると、今この時にでも、
辛いこと、悲しいこと、深い悩みを
抱えておられるかも知れませんね。
 


いや、多くの方は、多かれ少なかれ
その程度に差はあっても、悩みを抱えておられることでしょう。
 
過去の悲しい体験を折りにふれて思い出してしまうこともあるでしょう。
 
 
会社で、上司や同僚との関係でうまくいかなかった

夫婦や恋人、友人とけんかしてしまった

頑張って働いていても生活が苦しかった

仕事が見つからなかった

信じていた人から冷たくされた

あんなに頑張ったのに成果がでなかった

大切な人を失った・・・

 

 

あなたに、もし悲しいことや辛いことがあるとしたら、
ちょっと想像してみてください。


あなたは、そんなあなたの悲しみや辛さを
私に対して話していると想像してみてください。

 

・・・・・

 

そうでしたか。
 

あなたには、そんな辛いことがあったのですか。


 

よく話しをしてくれましたね。
 


 

とても辛かったでしょう。

とても悲しかったでしょう。
 

 

あなたは、そんなに辛いことがあったのに、
そんなに悲しい思いをしたのに、
ここまでよく頑張りましたね。
本当によく耐えてきましたね。


今まで誰にも話すことができず一人抱えて頑張ってきたのですね。
 


 

でももういいですよ。

この場では、我慢しなくていいですよ。
 
 

今は、泣いてもいいですよ。
あなた自身ををさらけ出してもいいですよ。
あなたの周りには誰もいません。
誰もあなたのことを責めたり、馬鹿にしたりはしません。
 

ここにいるのは、あなたと私だけですから。
 
 

そう、声をあげて泣いてもいいんですよ。


 

 

あなたは、こんなに辛い思いをしているんだから、悲しいのだから。
思いっきり泣いてもいいと思います。
 
 
胸の奥からこみ上げてくるものがあったなら、
そのままこみ上げるままにしてください。
自然に涙が流れるままにしてください。
心を自由にしてあげてください。

 
悲しい感情を押さえつけたりしないで、
心の扉をあけて感情を自由にしてあげてください。
 

 

今はその悲しい気持ちに寄り添ってあげてください。



・・・・・





悲しい気持ちを泣いて味わいつくした後で、
もしできるのであれば
悲しい気持ちを自由にしてあげましょう。
あなたの心からとき放してあげましょう。
 
 

 

海辺の砂を手にとって握りしめた後、
その手を開いたら砂が落ちていくように
あなたの悲しみも手を開いて放してみましょう。
 
 
 
悲しみを抑圧するのではなく、我慢するのではなく
涙といっしょに流してみましょう。

そして手放してみましょう。
 


涙を流すことで
悲しみが、涙とともに、少しずつ少しずつ、
あなたの心の底からあなたの外へ洗い流されていきます。
 


あなたの心の奥底からこみ上げる涙を
今は、ただただ流れるままにしておけばいいのです。
 

 

強がらなくてもいいですよ。

せめて、今だけは強がらないでください。
 
 


自分の心を押さえつけずに自由にしてくださいね。
 
 
私に対して、悲しい気持ちや辛い気持ちを話して
涙を流して、涙と一緒に悲しみを洗い流すことができたならば、
きっとあなたは次の一歩を踏み出すことができると思います。


 

だから、泣いてもいいんですよ。


涙を流してもいいんですよ。

 

 

 

あなたが元気になりますように。

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それでは、また。

 

※関連のお話です。
自分の中の小さな子ども
強がらなくていいんですよ。

 

あなたの人生、私の人生。

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平成22年5月9日(日)


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

 

昨日は、連休疲れがどっと出たのか、午前中、
ソファでゴロンと横になっていると
しばし、うたた寝をしてしまいました。

いつのまにか子犬のマリも一緒に。
マリは、私の腕枕で私にくっついて眠っていました。

そうか、キミは、そんなに僕のことが好きなのか!


あ~幸せだなあ。


・・・・

 

すみません!のろけ入ってしまいました・・・。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は、本で見つけた詩「ゲシュタルトの祈り」
をご紹介したいと思います。
心理療法の世界では有名な詩とのことなので、ご存じの方も
おられるかも知れません。

=============================


あなたはあなたの人生を歩み
私は私の人生を歩む

私の人生は、あなたの中にあるのではない
あなたも私の中に存在しているものでもない

あなたはあなただし 私は私なのです
 
もしも、私たちが、お互いに出会える瞬間は
それはすばらしいことなのです

でも、出会えなければ、それでも人生を楽しみましょう


=============================

いかがでしたか?

あなたは、この詩を読んでどんな印象をもたれたでしょうか。

この詩は、人と人との関係において、どのような関係が望ましいか
どのようなスタンスでいるのがいいのかについて、
よくあらわしている詩だと思います。 


人の悩みの大きくウエイトを占めるものに人間関係の悩みがあります。
弁護士がその仕事として取り扱う対象も、人と人との関係
の問題、悩みを取り扱うものです。


人間関係における悩みは、大ざっぱにいってしまえば
相手との「心理的な間合い」が上手くとれていないことに
よることが多いのではないでしょうか。


近づきすぎて依存してしまったり、振り回されてしまったり。

自分の期待どおりに、相手が動いてくれなくて、イライラしてしまったり。

「そうするのが常識でしょ。何であなたはそんなこともしてくれないの!」

というような言葉が頭に浮かんでイライラしたりします。


また、相手から依存されると、相手から束縛されているような、
自由が奪われているような気持ちを感じたりします。


「この人、自分のことばかり考えて、私のことを、大切に扱っていないのじゃないの、
この人、私を便利な道具かなんかと勘違いしているんじゃないの
もう、いい加減にしてよ!」

なんていう言葉が浮かんだりして。


依存や束縛をベースにした人間関係は、心地よいものではありません。


望ましい人間関係とは、「あなたの人生、私の人生」と
お互いに独立していることを出発的にして、つながりを構築していく
ものだと思います。



以前、「法教育って何だろう」のところで私が現在考えている
法教育の意義についてお話をしました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

法教育によって
法の原理原則(個人の尊重、民主主義、公平等)といった
一つの考える軸をもって、他者に依存せず、他者を排斥せず、
自分の考えを押しつけず、他者の意見をききつつ、
自分の頭で考えて表現する個人が確立してくのではないかと思います。

すなわち、自分の足で立ち、
自由に幸福追求をなしうる個人が確立していくのではないかと思うのです。

そんな確立された個人と個人との間では、
いたずらにトラブルが生じることはなく、
もしトラブルが生じたとしても解決しやすい、
そして温かなつながりができやすいのではないでしょうか。

ということで、法教育が普及すれば、自分が自分らしく生きることができ、
他者と温かくつながりやすくなり、
民主主義社会に貢献できる個人が育成されるのではないかと思っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


この私が考える法教育の意義と先の「ゲシュタルトの祈り」は、
根底では同じことを言っています。


あなたがいて、私がいる。
あなたはあなたであって、私ではない
私は私であって、あなたではない。


あくまで別人格であるもの。
お互いに独立したもの。

だから、自分の価値観を押しつけたりはしない。
相手の価値観を尊重する。相手の意見を尊重する。

自分の考えを持ちながら、他者の考えも尊重しつつ
温かなつながりがもてればそれで素晴らしいこと、
つながりがもてなければ、それはそれで仕方がない。


自分の価値観を相手に押しつけたり、相手を排斥したりしない。
他者に依存したり、他者の意見を鵜呑みにしたりしない。


自分の頭で考え、相手を受け入れ尊重し、
共感できる相手とは温かなつながりを構築していく。

それが、人と人との間で生きる人間として
幸せな人生につながるのですね。


独立した人間、自立した人間同士だからこそ、
温かなつながりがもてる、
個人として、社会全体として幸せにつながることが
できるのではないかと私は思っています。




あなたには、あなたの人生がある。
私には、私の人生がある。

お互いに出会って時間や心を共有できれば、
それはそれで素晴らしい。有り難い。

でも、出会わなければ、それはそれで仕方がない。
その時は、相手に執着しないで、
お互いの人生をそれぞれ楽しみましょう。



こうして他者にしがみつかず、柔軟に、しなやかに生きることが、
幸せな生き方のコツなのかなと思っています。


これは、実際にはなかなか難しいことかも知れませんが、

「あなたには、あなたの人生がある。私には、私の人生がある」

ということを意識するだけでも、
他者との「心理的な間合い」をとりやすくなって

かなり生きやすくなるのではないでしょうか。


もし、現在、あなたが、何らかの人間関係に悩んでいるのであれば、


「あなたには、あなたの人生がある。私には、私の人生がある」


ということをちょっと意識してみてくださいね。


何か解決のヒントを得られるかもしれませんよ。



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

5月の散歩道

平成22年5月8日(土)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

昨日の雨も上がり

今日はとてもよい天気。

 

今朝、子犬のマリと一緒にデジカメを持って

散歩にでかけました。さわやかで気持ちよかったです。

 

その時に、撮った写真です。

よろしければ、お付き合い下さい。

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白いハナミズキです。
うん、5月ですね~。

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黄色い色合いが鮮やかでした。
妻にきくとヒベリカム・
カミシナムというらしいです。

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近づいて撮ってみました。

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桜は散って花びらが水面に
浮かんでいました。
来年また楽しみにしているね。

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妻にきいたらオダマキ
という花らしい。
いい色だしていました。

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ピンクの花と青空と白い雲

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うちの花壇のチューリップ

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チューリップ花壇と子犬のマリです。

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マリとパンジーの花壇

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マリちゃん、もう1枚!
(瞑想中です?お静かに!)

お付き合いいただきありがとうございました!

春の散歩は、色とりどりで楽しいものですね。

 

 

 

それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

 

※昨年の春の写真です。

 春の散歩道

司法試験受験生の皆さんへ-力を出し切るために

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平成22年5月6日(木)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

まだ連休が続いているという方もおられるでしょうが

多くの方が、今日から始動されているかと思います。

GW中、比較的よい天気に恵まれ、

ご家族や友人等と楽しい思い出をつくられた方も

多いのでしょうね。

 

 

さて、一方、司法試験受験生にとっては、この時期、

試験直前期で、春の行楽どころではありません。

 

時間が許す限り、机にしがみついて最後の追い込みをかけ

バリバリ勉強している方がほとんどでしょう。

 

私が受験生していたのは、もう12年も前のことですが、

この時期、春の陽気の中、こもって勉強していたことを

時折思い出してしまいます。

 

このブログで、元司法試験受験生として、

受験体験や現在の弁護士としての経験もふまえて

私がこうすればいいのかなというお話を何回かしてきました。

 

 

今年の新司法試験は、5月12日、13日そして15日、16日とのことで、

現在この時期は、まさに直前も直前、受験生は

第4コーナーをまわってバックストレートを爆走しているというところでしょうか。

 

そこで、この時期の受験生に向けて、お話をしようと思っています。

(そうでない方は、すみませんが、よろしければお付き合い下さい)

 

この時期、いろいろな不安や焦りがでてくるかと思います。

「予定していたとおりにこなせなかった」

「まだ、あの論点をつぶしていない」

「自分って本当に合格できるのかな」

「今年は受け控えした方がいいのかも・・」等

 

ぼんやりしていると、頭の中にはネガティブワードや弱気な声が、

どんどん湧いてきてしまいます。

 

その声に、流されてしまうと、直前の勉強も手につかなかったり、

試験当日も実力を発揮できくなるおそれがあります。

 

それは、何としても避けたいことです。

 

 

一体どうすればよいのでしょう?

 

 

まずは、試験当日、問題文が配られるまで、これから自分は一体何を

するのかを見極め、行動(勉強)計画をたててください。

 

すでに多くの受験生は、計画を立てられているかと思いますが、

改めてタイムスケジュールを見直してみてください。

(やはり紙に書き出して下さいね!)

 

ここは、試験までのわずかな時間で、

合格(=得点力UP)に最大限の効果を生むと自分が信じるやるべきこと、

やれることを見極めて、書き出していくのです。

 

それは、ノートの見直しかも知れません。

書き込んだ基本書を見直すことかも知れません。

定義や論点チェックもあるでしょう。 

 

 

そうした行動計画を立てた後は

それを淡々とこなすことに集中してみて下さい。

 

この計画は、あなたが合格につながると信じてたてた計画です。

あとは、その計画を淡々とこなせば、合格することになるのです。

 

行動計画をたてること+淡々と実行すること

 

これに意識を集中させるわけです。

そうすると、弱気な声は比較的聞こえなくなってくるのではないでしょうか。

「何をすればいいか分からない」そういった時に弱きな声は

聞こえてくるものですから、やるべきことをやっていれば、

聞こえにくいものです。

 

もしも聞こえてきたら「大丈夫、これだけやっていれば合格することになっているから」

と言い聞かせて、また淡々と予定の行動をこなして下さい。

 

 

そして、意識を、自らが信じた計画を実行することにできるかぎり集中

してみましょう。

 

 

計画を実践するごとに、合格することに近づいているのです。

 

 

それから、もし不安になったら、

決してあなただけが不安になっているわけではないこと、みんな不安なことに

思いをいたしてみましょう。

みんな、あなたと同じように

「大丈夫かな」と不安に思っているものです。 

 

 

「準備万端、余裕で合格だね」という方は、滅多にいなくて

ほとんどの方が、不安と焦りを抱えているものなのです。

 

合格率は昔よりよくなったといっても、何と言っても司法試験です。

そんなに甘いものではありません。 

 

「自分も不安、でもみんなも不安なんだ、

それでも、みんな不安に負けずに頑張っているんだ。私もあともうちょっと頑張らないとね」

不安な気持ちが浮かんできたら、そう言い聞かせてみてください。

 

 

それからこの時期、「意識的に」自分で、自分を盛り上げていくことも大切です。

この時期は、どうしても不安になり、気分が下がりやすいやすいので、言葉の力で

自分を維持し盛りあげていってください。

 

「こんなに頑張ってきた自分が合格しないはずがない」

「もう合格するに決まっているよね!」

「よし、ここまで、よく頑張った!偉いぞ。後は合格するだけだ」

といったプラス言葉を自分自身に頻繁に浴びせかけてみるのです。

 

そして、これは、ちょっと恥ずかしいのですが、

鏡を見ながら、実際に声を出して自分に話しかけるというのが一番効果的です。

 

合格のために、恥ずかしさを乗り越えて、ぜひやってみて下さいね!

 

 

気持ちで負けてしまうと、今までつちかってきたものも出せなくなって

しまいます。

それは何とももったいない。

 

これまで頑張って培ってきた力を全て出し切りましょう。

 

 

この試験直前の時期、

本当に不安で辛い時期かも知れませんが、

見方を変えれば、人生で一番頑張った思い出に残るような時期

にもなる時期です。 

 

そんな貴重な時期を、せっかくですから、

思いっきり味わい、楽しんでみてください。

 

後から、「あの時は、返すが返すもよく頑張ったなあ」

と思い返せるような素敵な時期にしてみてください。 

 

 

それから、美味しいものも食べてくださいね。

元気になるような大好きなものを食べてください。

 

試験定番のカツ丼やトンカツと縁起を担ぐのもいいでしょう。

奮発して、ビーフステーキやすき焼き、うなぎ、牛タンとかもいいでしょう。

(ただ刺身等生ものは、あたる危険もあるので慎重にした方がいいですかね)   

 

あなたは、これまで、頑張ってきたのです。

本当によく頑張ってきました。

偉いです。

 

 

後は、試験当日に、これまで勉強してきたことをふまえて

問題文をよく読んで、素直に、誠実に答えていくだけです。

 

 

あなたのご健闘をお祈りいたします。

 

 

それでは、また。

 

あなたがますます幸せでありますように!

 

※試験関連のお話です。

 試験直前期の勉強法-「圧縮」と「繰り返し」

ああ、豪華弁当よ。

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平成22年4月29日(木)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

仙台でもようやく桜が満開に。
あちらこちらで桜が咲き乱れて賑やかになっています。

いよいよ春本番ですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、先週のことです。
ちょっとショックなことがありました。



私は、財団法人交通事故紛争処理センター仙台支部の嘱託弁護士で月に3回、交通事故の相談をしたり、
被害者と保険会社との間に入ってあっせんをしたりしています。

紛争処理センターでは、月に1回、合同会議といって、他の弁護士さん達とセンターの情報を共有したり、分からないところをお互いに聞いたりする会議があります。

17時20分ころから19時くらいまで会議があり、その後、夕食のお弁当がでます。


そのお弁当、結構豪華なお弁当で、おいしく、毎回楽しみにしています。


合同会議の日というのは、会議も大切ですが、私にとっては、ずばり豪華なお弁当を食べられる日なのです。


先週の木曜日、その合同会議がある日がありました。
その日の朝、今日はお弁当を食べられる日だな~なんて思っていました。

合同会議がある日は、いつもは妻に、「今日は合同会議で、夕食は食べてくるから」と朝出るときに言っていたのですが、
その日は、どういうわけか言い忘れてしまいました。


毎朝、私は、事務所に出ると、手帳を見て、今日の予定をA4の紙にざっと書き出します。
その日も、10時に裁判、13時から16時まで法テラスの扶助相談、そして17時20分から合同会議と時間の決められている予定を書き出しました。

それからやるべき事項、例えばAさんの書面準備、Bさんの記録読み等といったことも書き出しておきます。
(なお、やったことは、線をひいて消していきます。「よし、これは終わったぞ」ということで)


しっかりとお弁当の出る合同会議も書き、「今日は弁当の日だな♪」と思いました。

その日の午後は法テラスでの法律相談でした。
「アパートで、上の階の人が飼っているペットの騒音に困っている」「離婚して養育費を払っていたのだが、給料が下がって、今までの金額では払えなくなってしまったがどうすればいいだろう」等々の様々な相談がありました。


法テラスの相談が終わったとき、「お疲れ様、あとは合同会議でお弁当だね」と思いました。

「あ、妻に電話しなきゃねと」そうも思いました。


ところが・・・


相談が終わって16時過ぎに事務所に戻ってきました。
そこからいろいろな出来事がありました。


ちょっと嬉しいメールが来ていました。「わーい」と思って返事を書きました。


ワッフル売りの人が、突然ワッフルを持って事務所にやってきました。初めてのことです。
「ワッフルいかがですか、おいしいですよ!」
事務の江坂さんが対応してくれて、 私の分まで買って、ご馳走してくれました。

小腹が空いていた時間でもあって、予想外のおやつと、江坂さんの心くばりに、幸せな気分になりました。
「ラッキー!おいしいなあ~」

過払い請求をしている業者から電話がありました。
久々の大口請求の案件なのですが、300万円級の返還和解が
まとまりそうで、嬉しくなりました。
「ああ、ありがたい。」


この時点で、17時過ぎていたのですが、合同会議+豪華弁当のことは、すっかり頭から消えていました。


その後、ショックなメールが来ました。
人権委員会の関係等で1年余り大変お世話になっていた弁護士会事務局の方が、突然担当を変わられるとのこと。

「ガーン!」

しばし、落ち込んだ後、「大変お世話になり、ありがとうございました」とメールの返事を書きました。

この時点で、18時をまわっていました。
しかし、なぜだか、豪華弁当のことは気がつきません。

「わーい」「おいしい」「ラッキー!」「ああ、ありがたい」「ガーン!」
と感情を揺さぶるいろいろな出来事がありました。


そして、「お疲れさん、今日やることはやった、あとは明日でOK、家に帰ろう」

と思って、豪華弁当のことはすっかり頭にはなく、私はそのまま家に帰ってきてしまいました。


家について、妻が夕食を出してくれるのを見て、「あれれ?何か変だなあ」と引っかかりました。


「あっ!弁当、忘れてた!会議すっぽかしてしまった!」

とその時になってようやく気がつき、思わず叫んでしまったのでした。

私としたことが、不覚にも豪華弁当を食べ損なってしまった・・
何ということだ。



朝から、何度も「今日は弁当の日だ」と頭で確認したのに、手帳にも、朝の紙への書き出しにもきちんと書いていたのに、
あんなに楽しみにしていたのに、忘れてしまうなんて・・・


ショックでした。


豪華弁当を食べ損ねたこともショックでしたが、家に帰り着くまでに全く気がつかなかった自分の頭の状況にも結構ショックを受けました。


法律相談が終わって、事務所に戻ってから、いろいろな出来事で、私の頭の中の重要な位置を占めていた豪華弁当のことがスコーンと抜け落ちてしまっていたのです。


「おお、お前大丈夫か?もう脳の老化現象か!?」
ちょっと不安になってきました。


脳には一度に考えられる容量があるようです。
その容量を今回私はオーバーしてしまったのです。


例えば考えられることって机の上のスペースのような感じでしょうか。



机の上に、新しいいろいろな出来事が置かれていくと覚えておくべきことが、隠れてしまったり、机の上からずり落ちてしまったりするのでしょうね。


そして、「あ!しまった!忘れていた!」となる。


そうならないために、やはり「紙に書いておく」「メモしておく」ということが大切なのでしょう。


さらに、書いておくだけでは、場合によっては不十分で、書いたものを見返すことも必要なのですね。


今回私は、「合同会議」のことを、ちゃんと手帳に書いたり、A4の紙に書き出したりはしていたのですが、私が、手帳や紙を見返すことをしなかったために頭から抜け落ちてしまったのでした。


あんまり自分の脳を信用せずに、紙に書き出すだけではなく、その書き出した紙を折りに触れて見る、そういったことが、大切なことだと思った出来事でした。



それにしても豪華弁当が、どうしてワッフルになってしまったのだろう。



ああ、豪華弁当。来月は必ず食べてやる。



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

 


※関連のお話です。
「紙に書こう会」会員募集!

実践する人、しない人

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平成22年4月18日(日)


 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。

4月も後半に入ったのに、
昨日は朝から雪が降ってうっすらと積もりました。

もう少しで咲きそうな桜のつぼみもきゅっと引っ込んでしまいそうです。
冬が名残惜しくて戻って来ちゃった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、以前のお話「言葉の力を味方に」で、感謝の言葉やねぎらいの言葉を
大切な人に、どんどんかけてみてはいかがでしょうか

という提案をしました。
 
読者の方で、さっそく実践された方がいて
奥様に、「いつもありがとう!」「おいしいご飯ありがとう!」
「いつもきれいだね!」などの言葉かけをされたそうです。
 
さらに、言葉だけではなく、奥様を抱きしめたりなんかまでして、
愛ある行動をプラスされているそうです。

 
そしたら、ますます夫婦仲がよくなって、それを見ているお子さんも
幸せな気持ちになって、とてもハッピー!

とのことでした。
 
 
うん、素晴らしいですね!

 
それがいいと分かっていても
実際に行動に移すこと、実践するということは、
実際のところ、なかなか難しいのですが
こうして、行動に移し、さらにその上のレベルのことまで
実践するというのは本当に素晴らしいことだと思います。


このブログやメルマガでは、
私が、これまでの私の経験や本でよんだこと
また、いろいろな人をみてきた経験から、
これは私が幸せにつながると納得した考え方や行動について、
提案をさせていただきました。
 

「なるほど~」と受けとっていただける方もおれば
「いったい何いってんだ、この弁護士は」と受けとられない方も
おられるかと思います。

 
受けとられない方については、まあ仕方がないのですが、
受けとっていただいた方には、せっかくですから、
「なるほど~」で終わらせるのではなく
行動にうつしていただきたいなと思っています。
 

「なるほど~」と思っても、
実際のところ実践することは、意外とできないものですよね。
「いつかそのうちにやろう」とか思って、
忘れてしまっていたりします。
 
 
それがいいことはわかっている。
そんなこと、とうの昔に聞いて知っている。
でも、やったことはない・・・
 
ということって、結構ありがちなことではないでしょうか。
 
 
私自身も、「それっていいかも!」と思ったことを、
実際に行動に移すことがあまり抵抗なくできるように
なったのは、それほど昔のことではありません。
 
 
逆にいえば、最近になって、
行動することの効果や大切さを改めて感じているところです。
 
 
思いからスタートはしますが、思いだけでは、変化はおきません。
思っているだけで、何にも行動しなければ、
当然のことですが、やはり何も状況は変わらないのです。
 
 
試験に合格するためには、合格するための実力を身につける
勉強をしなければなりません。
 
会社に入社するためには、その会社が必要とする人物になるよう
能力や人格を磨かなければなりません。
 
ダイエットするためには、食事を制限したり、運動したり
して何らかの行動をするしかありません。


試験勉強のアドバイスを受けても、
そのアドバイスを実践する人と実践しない人に別れます。
なるほど、それっていいかもと思っている人の中でも、
実践する人と実践しない人に別れるのです。
 
そして、合格する人というのは、
「実践する人」なのじゃないのかなと感じています。
 
 
当たり前のことですが、実践しなければ、
どんなにいい気づきうやアイデアが頭の中にあっても
よい変化や成長は起こりませんよね。
 

では、どうして、なかなか実践、行動ができないのでしょうか?
 
 
いったい何が実践のブレーキになっているのでしょうか?
 
 
これは、「失敗することへの怖れ」と「面倒くささ」ではないでしょうか。
そして、心のどこかで現在の状況にどこか安住しているのですね。
 
 
私の例でいえば、私の司法浪人の後半、
何度も試験に落ちた経験を重ねたとき、浪人生活が、
どこか「当たり前」のような感じになってしまいました。
もちろん、合格して、次のステージに進みたかった気持ちがあったのですが
でも心のどこかで、現状に甘んじる気持ちもあったのですね。
 

こういうもんだって。
 

どんな状況であっても、慣れ親しんだ現状というのは、
実は、どこか心地よいものであったりします。
変えなくてもいいかな、このままでいいかも
と無意識に思ってしまいがちなのではないでしょうか。
今自分がおかれている状況ですから、リアルでそこに不安はありません。
 

ところが、変化するということになれば、
今の自分がいる世界とは違う世界ですから、どうなるかわかりません。
人は、分からないことについては、どこか不安に感じるものです。

 
失敗してしまうかもしれない。
孤独になるかもしれない。
人に笑われてしまうかも知れない。
無駄な努力になってしまうかもしれない。
傷つくかもしれない・・・
 

いろいろな「かもしれない」という漠然とした怖れが、
「現状維持でもいいじゃない」と変化することを
引きとめてくるのです。
 

この「現状維持引力」というものは、結構強力です。



太っている人は、ダイエットをしたいと思いながらも、
太っている現状にどこか安住してたりします。

お金がない状況に長くいる人は、お金が欲しいと思いながらも、
お金がない現状にどこか安住していたりします。


浪人生活を送っている人は、合格したいなと思いながらも、
浪人生活にどこか安住していたりします。


心のどこかで、現状を維持しようとして、変化を怖れてしまうのですね。
だから変化をもたらす行動にブレーキがかかる。


でも、その現状で本当にいいのでしょうか?


心を落ち着かせてみて、今の現状に本当に満足しているかどうか、
よく問いかけてみてください。


仮に、その現状でもう十分満足しているというのであれば、いいでしょう。
目標を実現すること、例えば合格することや、やせることは、
本当のところでは心底その実現を願っているわけではなくて
今のままでも「まあいいか」と納得しているのであれば、
現状維持で何ら問題ありません。


でも、何か夢や目標をもって、それを実現したいということであれば、
当たり前ですが、現状維持では、どうしようもありませんよね。


自分自身で、現在地点から目標地点まで、
歩いていかなければ、そこには到達するはずがないのです。


放っておいて、夢が実現することなんてないのです。


そして、忘れがちなことは、
私たちに与えられた時間には限りがあるということ。


現状維持って、「そのまま」という感じがしますが、
時間が有限であることを考慮すると、
きつい言葉で申し訳ありませんが
実は「退化している」と言ってしまってもいいのかも知れません。

あなたには、何か夢や目標はありますか?


あなたが、その夢や目標を本当に叶えたいのならば、
「別に今のままでもいいじゃない」という現状維持の誘惑に
負けないで、どうか常に行動してくださいね。


「今のままでいいじゃない」という声が聞こえてきたら、
これは、現状維持引力が働いてきているんだと思って、
今こそ行動すること、行動を続けることに心の焦点をあててください。



行動は、大きなものである必要はありません。


ほんの小さな、些細な行動でいいのです。
いや、むしろ、小さな行動をするようにした方がよいでしょう。


ありがちなのは(私も何度も経験がありますが)、
十分準備をした上で、立派なことをしようと思って、
結局何も行動できないこと。


そんなことになるよりは、準備はそこそこにして、
小さな行動をすぐにやる方が圧倒的に効果的だと思います。


よく準備してからとか思っていると、いつのまにか怖れや面倒くささが
頭を支配して行動に移せなくなってしまうのです。

ですから、そうなる前に、さっさと行動に移してしまいましょう。


行動こそが、変化をもたらします。


あなたは、アイデアや気づきを得て、
それを実践する人ですか、それとも実践しない人ですか?



もし、実践しないなあ、実践できないなあというのであれば、
ほんの小さなこと、ほんの些細なことでいいですから
どうか実践してみてくださいね。


きっとよい変化があらわれることと思います。


あなたの夢が叶いますように!


それでは、また。



※関連のお話です。
チャレンジ!

大切なものは何ですか?

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平成22年4月11日(日)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

昨日は、東北大学へ、無料法律相談所の皆さん対象の法教育についての講演と法律相談のお手伝いに行ってきました。

無料法律相談所にも、新入生が入ってきていて、あ~春なんだなあと感じました。

わくわくドキドキ、そしてちょっぴり不安の新入生、これから楽しい学生生活が送れるといいですね!

さて、先日は「恐怖の物語」をお話しました。
あのお話は、夜遅くまで仕事に打ち込み飲み会続きの旦那さんに、
「こうならないように気をつけて下さいね。奥さんを大切にして下さいね」

というメッセージを込めたものでした。

とはいえ、仕事の都合上、夜遅くまで働かざるを得なくなることもあるでしょう。

弁護士の仕事でも、もちろんそんな時もあります。

飲み会も、会社の立場上、出席を断れない場合もあるでしょう。

「俺だって、早く家に帰りたいよ~。妻と一緒に夕ご飯を食べたいよ。でも残業があってどうしようもないんだ。自分がやらなければ仕方がないし、やらなければ仕事がたまっていくばかりだし・・・」

仕事と家庭(奥さんの機嫌?)との間の板挟みに悩む旦那さんもおられることでしょう。


そのことをふまえた上で、それでもなお「優先順位」はしっかり意識してもらいたいなと思うのです。


自分にとって、大切なものは何かを意識して、大切なものを大切にするということを実践してほしいなと思うのです。


私たちは、意外と、日々の忙しさに流され、本当はやればできたのに「大切なものを大切にしなかった」ということが
あるような気がしています。


「大切なものを大切にする」ということに関してこんなお話を聞いたことがあります。


=================================


ある大学教授が、講義の中で、おもむろに机の上に、大きな透明な花びんを置いた。


そして、数個のゴルフボールを、花びんの中に入れて、学生達に尋ねた。

「この花びんはいっぱいかね?」

ある学生は答えた。
「いっぱいだと思います」

教授は、「そうかね」といって、今度は、砂利をとりだして花びんの中に入れていった。

教授はまた学生に尋ねた。
「この花びんはいっぱいかね?」

学生は、こんどは間違わなかった。
「多分、まだ、いっぱいではないと思います」

「うん、そうだ」と教授は答え、今度は花びんに砂を入れた。


教授はまた学生に尋ねた。
「この花びんはいっぱいかね?」

学生は、迷っていたが
「おそらく、まだだと思います」

「そうだ」と言って教授は水を入れた。

花びんから水が少しあふれでた。

教授は、学生たちを見渡して、語りかけるように静かに言った。


「いいかね。花びんは君たちの人生だ。
何で花びんを満たすのかは、君たち次第だ。
水で満たすのか、それともゴルフボールで満たすのかは君たち次第だ。

もし、先に、水で満たしてしまったら、砂利や、ゴルフボールはもう花びんには入らない。

もし、先に、水や砂といった些細なことで人生を満たしてしまったら、その後で、ゴルフボールや砂利といった大切なことで人生を満たすことは、もうできないのだ。

そんなことにならないよう気をつけなさい。


大切なこと、
それは君たちの夢や志、家族や友人、良心だったりするだろう。
自分にとって何が人生で大切なのかよく考えなさい。
そして、そんな大切なもので、君たちの人生を優先的に満たすようにしなさい。


そうでないと、君たちは、人生の終わりに後悔することになるだろう。

 


=============================



いかがでしたか?

中には、ちょっとドキッとする方もおられるのではないでしょうか。


あなたにとっての、ゴルフボール、砂利、砂、水は何でしょうか?


あなたにとって、大切なものは、何でしょうか?

あなたにとっての優先順位は、どのようになっていますか?


よろしければ、今この時、自分自身に問いかけてみて下さいね。
そして、もしできるのなら、紙に書き出していただけるとよいかなと思います。


そして、それを折に触れて意識して、自分が、時間とエネルギーを何に注いでいるのかを確認されてみてはいかがでしょうか。


もし、今あなたの生活が、些細なことに時間やエネルギーを注いで、大切なことを大切にしていないのであれば、大切なことに時間やエネルギーを注ぐように意識されてみてください。

そうすると、きっとあなたの生活によい変化が訪れることと思います。


花びんの容量は限られています。
時間は無限ではありません。

花びんをゴルフボールで満たせるように、人生を大切なもので満たしていけるといいですね。


充実した幸せな人生というのは、「大切なものを大切にできた人生」なのかなと思っています。


「あなたにとって大切なものは何ですか?」


あなたが、あなたにとって大切なものを大切にできますように!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

昨日、久しぶりに学生さんと東北大学文系食堂でご飯を食べました。

昔は、カレーの小盛(150円)をよく食べていました。
(現在は、200円になっていました)

しかし、今日は、ちょっとリッチに昔のメニューにはなかったチキンカツカレーを食しました。
おまけにデザートとみそ汁もつけて。あわせて440円。

おいしかったです!
そして、何だか幸せな気分になりました。


いいですね!学食。また食べにいこうっと。


それでは、また。

あなたがますます幸せでありますように!

強がらなくていいんですよ。

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平成22年4月4日(日)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。


4月に入りましたね。さあ、新年度です。

大きく環境が変わる方もおられるでしょうね。
就職、入学、転勤、引越・・・
自分自身が動かなくても、新しく入ってくる方の関係で、
職場や生活環境も変わってくることもあるでしょう。


素敵な出会いがあるといいですね!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、先日のブログ「卒業生の皆さんへ」
でこのようなことをお話しました。

「強がる必要はありません。
辛い時には、一人で抱え込まないで、助けを求めていいのですよ。」


これは、卒業生だけへの言葉ではなく、
悩みを抱えている方に伝えたい言葉でもあります。


どうすればよいのかわからない。誰に相談していいのかわからない。
こんな悩みを相談するなんて馬鹿にされるのではないか・・・


そうやって逡巡されている方も多いのではないでしょうか。


そして一人で抱え込んでしまって、閉じこもってしまう。
身動きがとれなくて、辛く、悲しい時を続けてしまう。


私のメルマガやブログをご覧になって、
この弁護士に相談しようかと迷って
おられる方もいらっしゃるでしょう。


結構勇気がいることかも知れませんが、
辛い時には、一人で抱え込まないで、声をかけてみてくださいね。


私でよろしければ、そんなあなたのお役に立ちたいと思っています。
私でなくとも、信頼できる人に相談してみてくださいね。

私は、人は、もともと弱い存在なんだと思っています。


そのことを受け入れた時、
そこから始めればいいと覚悟を決めたとき、
生きることって随分楽になるのではないでしょうか。


弱いから、助けを求めていいんです。
弱いから、人の心の痛みが分かり、優しくできるのです。


そして、弱い存在だからこそ、
人のために生きようとするとき
強くなれるということを知ることができる。

そうなんじゃないのかなと今、思っています。


そんなことを思っていたら、言葉が湧き出てきました。
よろしければ、お付き合いください。


===========================


「強がらなくていいんですよ。」


強がらなくてもいいんですよ。
人はもともと弱い存在なのですから。


困ったときは助けを求めてもいいんですよ。
人は人と支えあって生きていくものですから。


辛いとき、悲しいときは、泣いてもいいんですよ。
涙といっしょに、心の汚れを洗い流してしまいましょう。


笑ってもいいんですよ。
あなたの笑顔は、まわりの人を幸せにします。


疲れたら休んでもいいんですよ。
そして疲れがとれたらまた歩きはじめましょう。


嬉しいときは喜んでもいいんですよ。
遠慮せずに生きている喜びを味わいましょう。


好きなことをやってもいいんですよ。
人生は楽しむためにあるのですから。


無理をしなくてもいいんですよ。
そんなに自分をいじめないで下さい。


許してあげてもいいんですよ。
そろそろ、自分の心を自由にしてあげませんか。


ごめんね、と言ってもいいんですよ。
大切な人と勝負しないでください。


比べなくてもいいんですよ。
あなたは、あなたらしく生きればいいのですから。


さらけだしてもいいんですよ。
そこから、あなたらしさが輝きはじめます。


失敗してもいいんですよ。
そこから、大切なことを学ぶことができます。


幸せになってもいいんですよ。
人は幸せになるために生きているのですから。


自分を好きになってもいいんですよ。
あなたは、この世界にたった一人の素晴らしい存在なのです。


いいんですよ。


もう、
これ以上、強がらなくてもいいんですよ。


あなたは、決して一人ではありません。

ありのままで既に愛されています。

 

============================ 

 

あなたに、私の言葉を受け取っていただけると嬉しいです。

 

辛い時や、悲しい時には、一人で抱え込まないで

助けを求めて下さいね。 

きっと誰かが助けてくれますよ。
 

 

 

それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!


※関連のお話です。
受容-そこにいていいんだよ。

 

あなたはすでに愛されている


あなたらしく生きていけばいい。

恐怖の物語

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平成22年3月29日(月)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

昨日は、寒く、子犬のマリと散歩にでるとふわふわと綿雪が舞っていました。
 
アスファルトの地面に落ちてすぐに溶けていました。
もう積もることはないのかなあ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は、仕事にうちこむ世の男性諸氏に贈る
「恐怖の物語」です。
恋の物語の次は、ホラーに挑戦です。
 
フィクションですが、意外とすぐそこにある危機かもしれませんよ。
 
よろしければお付き合い下さい。
 
=========================
 

僕の妻は優しい人だった。
 
僕のためにおいしいご飯をつくってくれていた。
掃除、洗濯をしてくれていた。
朝、僕のことを見送ってくれた。
僕のことを大切にしてくれていた。
 
仕事で遅く帰っても大変だねって理解してくれていた。
 
 
そう、男にとって仕事は大切なのだ。
仕事をして、稼いでそれで家族が生活していけるのだ。
仕事にうちこむのは妻のためでもあるのだ。
 
 
だから仕事で夜遅くなっても仕方がないこと
休日に仕事をしても仕方がないこと
優しい妻もそんなことを当然理解してくれるだろう。
わかってくれるだろう。
そして、それが妻というものだ。
 
 
ところが、優しいはずの妻が、あるとき不満そうに言った。
 
「もう少し早く帰って来れないの」
 
僕は言った。
「仕事なんだから仕方がないじゃないか」
 
「飲み会も仕事なの」
と妻は続けた。

僕は、うるさいなあと思いながら
「飲み会も仕事の一つさ。
男には、つきあいっていうものが大事なんだよ」
と強い口調でいった。
 
妻は黙って何も言わなくなった。
 
 
こうして、僕は、相変わらず仕事と飲み会で夜遅く帰っていた。
休日も仕事をしていた。
たまに休みがあっても疲れをとるために
家でゴロゴロしていた。仕方がないじゃないか。
 

妻は時々、僕に同じような小言を言った。
しかし、その度に僕は、「仕事なんだから仕方がないだろ」
と言って、夜遅くまで仕事をし、飲み歩いていた。

 
そのうち、だんだんと妻は、何も文句を言わなくなってきた。

 
 
僕のことを理解してくれたようだ・・・とあの時はそう思った。
 
 
それからしばらくしたあるとき、
妻が具合が悪くなって寝込んでしまった。
熱もあるようだ。
 
 
しかし、その日、僕には、いつもと同じように仕事があった。
妻に少し申し訳ないなと思いながらも、仕事だから仕方がないと
思って会社に出かけた。
早く帰ろうとは思った。
しかし、また会社の同僚に飲みに誘われた。
 
 
飲み会も仕事の一つだ。
妻は・・・きっと大丈夫だろう。
いつも夜遅いのだし。きっとわかってくれるだろう。
何かあったら電話をしてくるだろう。
 
 
僕はいつもより早く12時前には帰った。
妻は、熱を出して寝込んでいた。
 
妻は、何故だか、泣いていた。
何で泣くのかわからなかった。
 
 
僕は疲れていて、面倒くさくて、妻が泣いているのを
気がつかないふりをして、着替えて布団にもぐった。
 
妻は何も言わずに壁の方を向いて肩を震わせていた。
 
 
 
それから・・・。
 
 

なんとなく妻は、僕に対してよそよそしくなった。
笑顔が消えていた。
朝、見送りもしてくれなくなった。
僕と目を合わせなくなった。
 
 
一体どうしたんだ?
 

僕はイライラしてきた。
夜遅く帰ってくることが、一体どうしたというのだ。
 
男が仕事に精を出すのは当たり前じゃないか。
君を養うために頑張って仕事をしているんじゃないか。

 
妻というものは、男の仕事に理解をしてくれるものじゃないか。
それが妻として当然じゃないのか・・・
 
 
 
 
妻が泣いていたのをみてから、一か月後。

 

 

妻は、僕の目の前から忽然と姿を消した。

 
 
 
相変わらず夜遅く飲み会から帰ると、食卓の上に
妻からの置き手紙がおいてあった。
 
 
「あなたは、私のことより仕事が大切なのね。
あなたが、そんな大切な仕事にもっとうちこめるように私は、あなたとお別れします。さようなら。」
 

 
こうして、僕は、大切なものを失った。

 
 
失って初めて、それがどれほど大切なものかを思い知った。
 
 
でも、もう妻はいない。
あの優しい妻はいなくなってしまった・・・・。
 
 
僕は、その手紙を握り締め、その場にへたり込んだ。
自らしてきたことを、猛然と後悔していた。
 
 
どうして、どうして・・・・・
 

僕は、本当に大切なものを大切にしなかったのかっ!
 
 
君と一緒になるとき、君を大切にすると誓ったのに、
この世に君より大切なものなんてないと思っていたのに、
いつのまにか僕は、君より仕事を大切にしてしまっていた。
 
 
優しい君に甘えてしまって、君の辛さや淋しさに気がつかなかった。
 
 
君をこんな悲しい気持ちにさせていたなんて・・・。
 

ごめんね。ごめんね。ごめん・・・。
 
 
 
僕は、今頃になって、自分にとって
本当に大切なものに気がついた。
 

どうしてこうなる前に気がつかなかったのだろう。


涙があふれてとまらなかった。
 

・・・・・
 
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
いかがでしたか?

 

夜遅くまで仕事に頑張って、
飲み歩いている旦那さんにとって、
とても怖い物語だったかと思います。
 
 
特に優しい奥様をお持ちの旦那さんは気をつけてくださいね。
 
 
優しく見えてその胸の内ではマグマが煮えたぎっているってことがあったりしますからね。
 
 
この物語はもちろん私の作り話ですが、私の実体験もほんの少しブレンドしています。
 
あなたは、あなたにとって大切な人を大切にしていますか?

 
あなたにとっての優先順位をきちんとおさえていますか?
 
 
 
この物語の男のように「失ってみて初めて大切なことに気がついた」なんてことにならないように、どうか気をつけてくださいね!
 
 

それでは、また。

 

あなたが幸せでありますように!



※関連のお話です。
夫婦の溝が深まる前に

日々たくさんのありがとうを

足利事件-間違っているかも知れない

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平成22年3月28日(日)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

自宅の暖房機は蓄熱式電気暖房機なのですが、
その前で、子犬のマリがまるまってくつろいでいます。

 

お前はネコかあ!

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、一昨日、足利事件の再審判決公判が開かれました。
そして菅家さんに無罪が言い渡され、
検察が上訴権を放棄して無罪が確定しました。


逮捕から18年余を経た上での無罪確定です。


菅家さんは、無実の罪で17年半もその自由を奪われました。


裁判長は、判決理由を述べた後、こういって謝罪したそうです。

「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半も
自由を奪う結果になったことを裁判官として誠に申し訳なく思います」

「二度とこのようなことを起こしてはならない思いを強くしています」

「今後の人生に幸多きことをお祈りし、
菅家さんの思いを深く胸に刻んで再審公判を終えます」

3人の裁判官は法壇で立ち上がり、深々と頭を下げました。


その時、菅家さんの胸に湧き出てきた思いは
一体どんなものだったのでしょうか。
17年半もの間、無実の罪をきせられ、自由を奪われたこと。
その重みは、一体どれほどのことなのでしょうか。


無実の人が、間違って犯罪者とされ、刑務所に行くことが
こうして現実にあるのですね。


人を、犯罪を犯した人として、刑務所へ送るためには、
さまざまな手続が必要です。いろいろな人が関与しています。


まず、警察が、犯罪の嫌疑があるかどうかをチェックして、
疑いのある人を逮捕します。


次に検察が、犯罪を犯したかどうかをチェックして、
罪を犯したと確信をもった人だけを起訴し裁判にかけます。


そして、裁判にかけられたときは、
裁判所が被告人や弁護人の言い分も
ききながら、有罪か無罪かをチェックしていくわけです。

さらに裁判は三審制ですから、高等裁判所、最高裁判所と
3回チェックがはたらくわけです。


足利事件においても、当然このチェックの過程は経ています。
それでも、警察、検察、地方裁判所、
高等裁判所、最高裁判所のいずれも
結果として「間違ってしまった」のですね。


そう、あの最高裁判所でも間違ったのです。


さらに、弁護団が重要な無罪の証拠を提出して
「有罪判決は間違っている」と
再審請求をしたのに、宇都宮地裁は、
「最高裁で有罪が確定しているんだし」というような感覚
で無視してしまいました。


こうして、無実の人が17年半も自由が奪われてしまいました。


こんなにたくさんチェックする場面があったのに、
誰もその間違いに気がつかずに、誤って無実の人を処罰し
その自由を奪ってしまったのですね。


何とも恐ろしいことです。


警察、検察、裁判所みんな立派な組織なのに、
みんな間違ってしまっていただなんて・・・


一体どうして・・・。


いろいろな要因があると思いますが、
私は一つには、この国に無罪推定原則が
根付いていないからだと思います。


特に、権力行使に携わる人達が「無罪推定」をどこかで忘れ、
「有罪推定」で動いていたからではないでしょうか。


「自分が間違えるはずがない」と心のどこかで
そう思いこんでしまったからだと思います。


「こいつが犯人だ」そう思いこみ、追い込んでいく。
その証拠をそろえていく。無実の証拠がそこにあっても気がつきません。


一部の捜査官にとって
被疑者・被告人の言い分は、耳を傾けるものではなく、つぶす対象です。
否認する被疑者は、単に反省しない悪い人です。


菅家さんの件でも、「やっていない」と言っていたのに、
捜査官は彼を追い込んで虚偽の自白をさせてしまいました。


事件が動き出したとき、逮捕したとき、有罪へのベクトルは定まります。
有罪へ向けて走り出すのです。
有罪を基礎づける証拠が集められていくのです。
有罪への流れは、世論や被害者の声に押され、さらに加速していきます。


この者が、本当に犯罪を犯したかどうかをチェックするのではなく、
この者を罰することが目的になっていくのですね。



制度として、これだけのチェック場面がもうけられている
にもかかわらず間違ってしまう。


それは、国家機関の間にお互いに「信頼」があることもあると思います。

検察は、警察が逮捕したのだから、
間違っていることはないだろうと信頼する。


裁判所は、検察が起訴したのだから、
間違っていることはないだろうと信頼する。


高等裁判所は、地方裁判所が有罪としたのだから、
間違っていることはないだろうと信頼する。


最高裁判所は・・・


そんな感じで、国家機関の「信頼」をベースに「有罪推定」
を事実上働かせているのではないでしょうか。


確かに、多くの場合は、有罪で間違いないのだと思います。
警察は、ほとんどの場合は、実際に犯罪を犯した人を逮捕しているし、
検察は犯罪を犯した人だけを起訴しているのだと思います。


でも、警察も検察もそして裁判所もその権力行使に携わる人は、
神様でなく人なのです。間違ってしまう危険性がある人なのです。


ところが、日々の仕事の中で、
「自分たちは間違わない」そういった錯覚に陥ってしまう。
そこが怖いところだと思います。


そんな「自分たちは間違わない」という思いこみによって、
これまで多くの無実の人が、処罰されてきた悲惨な歴史があります。
刑務所に行ったり、さらに死刑になったり・・・


だからこそ、法は、一人の人を処罰するまでに
いくつかのチェック場面を設けているのですが、実際に
その場面に立ち会う人の意識が「自分たちは間違わない」
という人ばかりだと、チェックが骨抜きになって無実の人が
処罰されてしまうのです。


そんな悲劇をなくすためには、

「自分は間違っているかも知れない」
と心のどこかに留めておくこと

そして

「無罪推定原則」をしっかり意識して、
虚心にニュートラルに事実と証拠に臨むこと、
被告人の言い分に耳を傾けることが大切だと思います。


そんな意識を権力行使に携わる人々がもってくれたら
えん罪の悲劇はなくなっていくのではないでしょうか。


人は、間違うもの。

そして人は弱いもの。


自らの「正義」や「思いこみ」を押しつけるのではなく
そんな人や自分に対する謙虚さが、
これから特に大切になってくると思っています。


あなたは、えん罪の悲劇をなくすためにどうすればよいと思われますか?

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それでは、また。

 

※関連のお話です。
無罪推定原則

無罪推定原則2

卒業生の皆さんへ

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平成22年3月26日(金)

 


 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。

もう春なんだなあと思っていたら、
昨日は雪模様。


冷たい雨と隣り合わせの湿った雪が舞い落ちていました。
寒暖の差が大きいので
体調管理、気をつけてくださいね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて一昨日、昨日と袴姿の女性をよく見かけました。
あ、いいなあ。
そう、今は卒業式シーズンなんですね。

一昨は、東北福祉大や東北学院大の
昨日は、東北大や宮城教育大の卒業式でした。

私は、東北大学無料法律相談所という法律相談活動を行う学生さんの
お手伝いをしているのですが、その関係で、
3年生の方から、法律相談所の卒業生に向けて、
メッセージをお願いしますと頼まれました。
今日は、そのメッセージをご紹介したいと思います。

東北大学無料法律相談所


======================

「卒業生の皆さんへ」


卒業生の皆さん、
ご卒業おめでとうございます。


大学4年間、振り返ればいろいろなことがありましたね。


はじめての相談。緊張して、いっぱいいっぱいでした。
でも相談者の方が相談後におっしゃってくれた
「ありがとうございました」
という言葉が嬉しかったですよね。


よく勉強もしましたが、よく遊びもしました。
楽しい想い出もたくさん出来たことでしょう。


でも、楽しいことばかりではなく
大変なこと、辛いこともあったかと思います。


法相の活動は、現実に困っている方の法律相談をするという
外に開かれたものです。


そこでは、人の役に立つ喜びとともに、自分の力不足や無力感も
同時に感じられたのではないでしょうか。


また、皆さんは、自分の将来に希望をもつと同時に
不安もかかえていることでしょう。
友だちとのつながりに喜びを感じるとともに
時にすれ違って、思うようにいかない辛さや切なさも感じたことでしょう。


そんな中、皆さんは、今日、卒業という節目の日を迎えました。
ここまで、よく頑張りましたね。
どうぞ頑張ってきた自分を誇らしく思ってください。
「よくやった!」と自分を褒めてあげてください。


この日を迎えられたこと。
間違いなく、それは皆さん自身が頑張った結果です。


しかし、皆さんの力だけで、この日を迎えられたわけでも
ないことも真実です。


皆さんが、今日という日を迎えることができたのは、
多くの人々の支えがあったからです。
決して、皆さん自身だけの力によるものではありません。


お父さん、お母さん、先生、友だち、法相の仲間たち・・・
いろいろな人の支えがあったからこそ、今この時を迎えているのです。
ここまでやってこれたのです。


ついつい忘れがちなことですが、どうかそのことを忘れないでくださいね。
皆さんを支え、助けてくれた方々への感謝の気持ちを忘れないでください。


これからも、皆さんは、多くの人から助けられ、
支えられていくことになるでしょう。
逆に皆さん自身が、社会に出て仕事をするようになれば、
たくさんの人を助け、支えていくことにもなるでしょう。


人は、決して一人で生きていくことはできません。
人は、人との関係で悩み、時に人から傷つけられますが
それでも、人は人と支え合い、
助け合っていかなければ生きてはいけないのです。


だから、決して、自分一人の力で生きているなんて思わないでください。
また、決して、自分一人だけの力で何とかしてやろうと思わないでください。



強がる必要はありません。

辛い時には、一人で抱え込まないで、助けを求めていいのですよ。
信頼できる友人、そう、法相の仲間に悩みを相談してみましょう。


人は、いつも誰かに支えられ、助けられて、生きている。
そして、自分も誰かの役に立つことができる。
そうして、人は、人とつながり、自分の居場所をみつけ、
幸せを感じるものです。


皆さんは、法相の活動やそこでの出会いから
そのことをたくさん学ばれたのではないでしょうか。
貴重な体験をしてきました。


そんな体験を生かして、
これからの人生、楽しんでいってくださいね。



皆さんが、幸せな人生を歩まれていくことを
祈っています。


神坪 浩喜

==========================


このメッセージ、法律相談所の卒業生に向けた
言葉ですが、その方々だけにあてはまる言葉ではありません。

何かの節目を迎えている方、転機を迎えている方、
何かに悩んでいる方にも伝えたい言葉です。
そして、私自身に言いきかせたい言葉でもあるのです。



あなたも、このメッセージから
何かを受け取っていただけると嬉しいです。

 

それでは、また。


あなたが、ますます幸せでありますように!



※関連のお話です。
温かなつながり

ハッピーハロウィン!

 

記憶に残る3つの理由-東北大学無料法律相談所・出張相談2010

キミの瞳に吸いこまれて

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平成22年3月21日(日)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

気がつけば、もう春分の日
昼の長さと夜の長さがつりあう日です。
朝、明るくなるのも早くなり、
夕方も日が暮れるのもかなり遅くなりました。

何だか「上り坂」という感じで嬉しい季節です。
桜の便りももうすぐですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて今日は、いきなり何なのですが、恋のお話。

 


目と目があい、何秒でしょうか、僕たちは見つめ合いました。
 
すっと心を持って行かれました。

その澄んだ瞳に僕の心は吸いよせられてしまったのです。

 


こんな気持ちになるなんて・・・ 


 
 
それは粉雪が舞う大晦日の日のことでした。
 

僕は、その子のことがずっと前から気になっていました。
でもただ眺めるだけでした。

 
僕に気がついて欲しいと何度か近づいてみました。
でもその子は僕のことを気がついてくれません。


目があうことはありませんでした。
声をかけたりガラスをノックすることは許されません。
 

1度、2度、3度・・・とキミがいる場所へ通いました。
 

キミがまだそこにいることにホッとしながらも、
次に来たときはいなくなってしまうかも知れない。
そんな不安にとらわれていました。
 
こうしている間にも、キミは他の誰かに連れ去られてしまうかも知れない。
 
 
勇気を出して言ってみようか。
いや、もう少し準備してからの方がいいのかな。

それに、僕よりキミを幸せにできる人がいるのじゃないのか。
僕には、キミを幸せにする資格がないのじゃないか・・・
 

そんなことを逡巡して、
僕は相変わらずキミを眺めるだけでした。

 
5度目にキミに逢いにいった時でした。


粉雪が舞い落ちる暮れの寒い日のことでした。


 
その時、いつもは僕と目をあわせることはないキミと
はじめて目があったのです。
 

何秒でしょうか。僕とキミは見つめ合いました。
 

すっと心を持って行かれました。
その澄んだ瞳に僕の心は吸いとられ、ストンと落ちてしまいました。
 
もう後戻りはできません。

 

「キミを幸せにする」

「キミと一緒にいたい」

 

そう思ってしまったのです。

 

そうして、僕は勇気を出して、
キミを幸せにすると誓い、契約をしたのでした。

 


・・・・・・・ 
 

 

と、いうことで、

我が家に新しい家族がやってきました。


その子の名は「マリ」
2009年9月11日生まれ
生後約6か月のパピヨンの子犬(女の子)です。



いや~可愛いんですよ!

親ばかですみませんが、本当に可愛いんです。


ペットショップに何回か足を運んで、「可愛いなあ~」と
眺めていました。

ただ、眠っていることが多くて、またたまに起きているときも
あっちを向いていて、私と目があうことはありませんでした。

 
いつももう誰かに買われたかな~と不安ながら見に行くと
まだケースの中にいてホッとすることを何度も繰り返しました。

犬を飼うことは、それはその犬を育て、
最期まで看取るという責任を背負うことになります。


単に「かわいい♪」というだけでは、犬を飼うことはできません。
飼う資格はありません。


「まだ、はやいかな~」
「私に育てられるかな~」

なんていろいろと逡巡して、
飼うという決断はなかなかできませんでした。


しかし、やはりその子のことが気になって、見にいったとき
目と目があったのですよ。
そして「恋」に落ちてしまいました。


今まで見に行ったときは、その子は、
だいたい眠っていたり、あっち向いていたりして、
私と目があうことはなかったのですが、
大晦日の日に、見に行った時、はじめて目があったのです。


そしてそのつぶらな澄んだ瞳に、見つめられて・・・
心をその瞳に吸い込まれてしまった私でした。


子犬のマリは、わが家に来た初日こそはびくびくしていましたが、
今は、やんちゃに部屋の中を走り回っています。


チョコチョコとその動きは挙動不審で不可思議です。


抱っこしようと追えば逃げますが、ソファにボーッと座っていると
突進してきて顔をなめてきます。

「うわっ!くすぐったい!やめてくれ~」



今日のお話は、全く法とは関係のない子犬の
お話で大変失礼しました。




でも、私、この子犬のおかげで幸せなんですね。
その幸せな気持ちを、あなたにも少しお裾分けできればいいな
ということで、書いてみましました。

 

どうかお許し下さい。


それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

※子犬のマリの写真が掲載されているお話です。

すべては「思い」から

法教育って何だろう?

はるの雪景色

 

法教育授業のおわりに

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平成22年3月16日(火)

 

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

先週積もった大雪も、春の日差しで、

あっというまに溶けてしまいました。

本当に暖かくなってきましたね!
もう、春なんだなあ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、私は仙台弁護士会の法教育委員会に所属しているのですが
その関係で、授業の終わりにまとめのコメント集をつくりましょうか
という話になりました。


そこで、荒削りですが、まとめのコメント案をつくってみました。
対象は中学生、ルール作りや模擬裁判の評議といったグループワークや
ディスカッションのある授業を想定しています。

※一つの授業例です(「犯罪歴を公開するって?」)



==============================


皆さん、法教育授業いかがでしたか。

友達の話しをきいてみると
「へ~そんな考え方もあるんだあ」
と思いませんでしたか。

「それは、ちょっと違うんじゃない」
そうも思ったと思います。

ここで、皆さんに体験して欲しかったこと
それは、自分とは違ういろいろなものの見方や
考え方があるということです。


自分とは違う考え方の人がいる。
その人の意見の理由を聞いてみると、なるほどなと感じる
でもやっぱりここが違うのじゃないかなと考える。
そんな人の話をきいて、迷ったり考えたりということ
を体験して欲しかったのです。


皆さん、法が大切にしている考え方って何だと
思いますか?


それは、一人ひとり、みんな違っているから
お互いに尊重しながら、よく話し合いをしていきましょう
という考え方です。


一人ひとりを大切にするという「個人の尊重
そしてみんなでよく話し合いをしようという「民主主義」です。


一人ひとり、この世に、皆さんと同じ人はいません。
皆さんの代わりはいません。かけがえのない存在ということです。
そして、みんなそうなのです。

みんな違います。生まれてきた環境も考え方も好みも違います。

カレーが大好きな子もいれば、嫌いな子もいる。
サッカーが好きな子もいれば、野球が好きな子もいる。
人それぞれです。

そして、人は、人と支え合って、助け合って生きていかなければ
生きてはいけません。一人では生きていけないのです。

人は、人と人との間で「人間」となるのです。

今日、皆さんが、食べたご飯、誰がつくってくれましたか。
そのお米や野菜、お肉は誰が育てたのでしょう。
誰が運んでくれたのでしょう。

お父さんやお母さんといった目に見える人はもちろん
目に見えないたくさんの人に、皆さんは支えられ、助けられているのですよ。

人は、決して、一人では生きていけないのです。


そして、人は考え方が違う。同じ人は一人としていません。
だから、自分以外の人が、何を欲して、何を考えているのかは
話し合わなければ分からないのです。


分からなければ、衝突が生じます。
自分が好きなことを、相手も喜ぶと思って行動したところ、
相手の人はそれを嫌いで嫌がることもあるでしょう。


自分の考え方や価値観を押しつけると、
相手の人は反発してしまいます。
きっとけんかになって、お互い傷つけあってしまうでしょう。


だから、よく話し合って、お互いの考え方を知るのです。
「私は、これこれの理由からこうした方がいいと思う。」
と意見をお互いに言うのです。


約束事を決めるのです。
ルールを決めるのです。
それは、混乱をさけること、お互いに傷つけあわずに
仲良く、支え合って生きていくことができるためにそうするのです。


皆さんは、「法」というものは、縛り付けるもの、
不自由なものと思っているかも知れませんね。


でも、法は、決して、皆さんを縛り付けて、
自由を奪うものではありません。

法の目的は、いろいろな考え方の人がいる社会において
人がともに支え合って、共に幸せに生きることができることを
目指すものなのです。

いろいろな価値観をもつ人がいて、
それぞれが幸せに共に生きることができるように調整し、
バランスを図ろうとするものなんですね。


人はみなちがって、いろいろな人がいるからこそ
多様性があるからこそ、
調整としての法やルールが必要になってくるわけです。


幸せのために法はあるのですよ。


一人ひとりかけがえのない存在として
その存在や意見は尊重すること

そして、みんなでよく話し合っていくこと
この大切さを、心に留めておいて下さいね。

皆さん、今日は、頑張って法教育授業きいてくれて
ありがとうございました。


今日の授業が、皆さんにとって法や裁判に興味をもつ
きっかけとなれば幸いです。


==============================

このお話は、1月30日に行われた法教育シンポの
パネルディスカッションにおける「法教育の意義とは?」
という問いに対する私の発言を生徒さんにむけた言葉
に焼き直したものです。


「人は一人では生きていけない。
人は人と支え合い、助け合いながら生きていくしかない。

そして人はそれぞれであり自分と同じ人はいない。
自分も他者も誰もがかけがえのない存在である。

だから、自分を大切にし、他者を尊重しましょう。
よく話し合っていきましょう。

人と人との間に幸せに生きるために。」


そういったメッセージを込めています。


法が定める究極の価値である「個人の尊重」
をベースにして、本当の民主主義を実現していくこと。

これは幸せな生き方につながると私は思っています。


「法と幸せ」とはつながっているのです。


だから法教育は、社会で生きる上での「幸せ教育」でもある。


法教育は、社会や人と温かなつながりをもつ技術を育むことができる。
幸せなものの見方、考え方を気づかせることができる。
そして、幸せに自由に他者や社会とつながれる個を確立することができる。


そう私は思っています。



それでは、また。

 

あなたがますます幸せでありますように!


※関連のお話です。
「法教育」って何だろう?

自己肯定感と法教育

はるの雪景色

平成22年3月7日(日)

 

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

今はほとんど溶けてしまいましたが、3月2日、雪が降り積もり

今年2度目の雪かき隊の出動とあいなりました。

 

湿った雪が、木々の枝に付着し、白い枝がとても綺麗でした。

その時の写真です。

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夕方、雨だったのが、
夜半から雪に変わりました。

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自宅前の通りです。

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白い並木道、
奥に見えるのは小学校。

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雪というものは、
景色を一変させますね。

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青葉通のケヤキ並木も
雪化粧です。

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晩翠通りとの交差点から、
仙台駅方面の写真です。

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おまけの子犬です。

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さらに!スペシャルサービス(?)
として、妻と子犬です。
(朝、子ども達を見送っているところです)

もう、これが今年最後の雪なのでしょうか。

日に日に暖かく、日の長さもだいぶ長くなってきましたものね。

 

はるのゆきだるま」溶けかけているのかな? 

 

それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

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平成22年3月1日(月)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

先日、帰宅して玄関のドアノブに手をかけた時、柔らかな匂いがしました。

匂いがする方向をみる見てみると、足下でジンチョウゲの花が咲いていました。
妻が、私が好きな匂いの花だからとジンチョウゲの鉢を買ってきてくれていたのでした。

あ、いいですね!春のにおいだなあ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、はやいもので2月も過ぎ去り、今日から3月です。年度末です。卒業式シーズンでもありますね。

私の娘は小学1年生なのですが、1年生が、6年生を送る会としてちょっとした会をするようです。

娘も、セリフを言う場面があります。
大丈夫かな?

ちょっと、台本をのぞいてみました。

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6年生を送る会 「1年生からおくることば」


気をつけ



6年生の

おにいさん
(全員で)おにいさん

おねえさん
(全員で)おねえさん

もうすぐ卒業ですね。

おめでとうございます!
(全員で)おめでとうございます!!


さて、今日は、6年生のみなさんをタイムマシンにのせて、6年前にごしょうたいします。


名前を呼ばれたおにいさん、おねえさんは、前に出てきてください

(そして、1年生一人ひとりが6年生の名前を呼び、6年生に、名前を呼んだ1年生の隣に並んでもらいます。)


ここに出てきてもらったおにいさんとおねえさんが1年生のとき、となりにならんでいる1年生と同じ身長、体重でした。


6年間で、こんなに大きくなったおにいさん、おねえさん、私たちをおんぶしてみてください。


6年前の自分をおんぶした感想をどうぞ。
(マイクをむけてきいていく)

(6年生からは、おそらく 、あ~こんなに軽くて小さかったんだ。私は6年間でこんなに大きくなったんだというような感想がでてくることでしょう)


ありがとうございました。

最後に、1年生のときにならった曲「子犬のマーチ」を演奏します。
1年生のときのことを思い出してくださいね。

合奏「子犬のマーチ」

♪♪♪


これで終わります。

気をつけ



============================

あ~何だかとても素敵な送る会ですね!

今もし私が、6年生で、かわいい1年生達からこんな送る会をされたら、間違いなく目がうるうるしてしまいます。


もし、あなたが小学校1年生のころの自分をおんぶしたとしたら、おんぶしてみた感想は、どんな感じになりそうですか?



いや~軽いなあ。ほんとに軽かったんだなあ。こんなに1年生の時の自分は小さかったんだ。かわいかったな。
今は、こんなに大きくなっちゃって・・・。


あの頃から、これまで随分といろいろな経験をしてきましたね。

嬉しかったこと。楽しかったこと。

辛かったこと。悲しかったこと。

笑ったこと。喜んだこと。

怒ったこと。泣いたこと・・・


あれから随分経って、体はこんなに大きくなったけど、心はどれだけ成長したのかな・・・。


あの幼い頃、将来に思いはせていた大人に今の私はなっているのかな?


誇れる自分になっているのかな?



・・・・・
 

 

もしもあなたの目の前に、小学1年生のあなたがいたとしたら、あなたは、幼いあなたに何と声をかけますか。


その前に、ちょっと小学1年生の自分自身を抱きしめてみましょうか。


しゃがんで小さくて幼い自分をぎゅーと抱きしめてみてください。

「大好きだよ」

そんな気持ちで抱きしめてみてください。


小さくて幼いあなたは、大人のあなたに、何か訴えてきませんか。


不安なこと、こうしてほしいこと、淋しいこと、将来の夢や希望、そんなことを訴えてきませんか。


心の耳で、幼いあなたの声に耳を傾けてください。



そして、大人のあなたの心の中からどんな言葉が湧いてでてくるでしょうか。




大丈夫だよ。


心配しなくていいよ。

 


私は、そんな言葉が湧いてでてきました。



幼い自分をぎゅーっと抱きしめながら、
「大丈夫だよ」

「心配しなくていいよ」

と優しく声をかけてみると


どういうわけか、涙がぽろぽろとあふれ出てきました。
 


小学1年生のころ、まだ純粋で、傷つきやすい自分がそこにいました。

大人の私にとって、その子は愛しくて、愛しくてたまりません。何とかしてやりたい大切な存在です。


そこから、いろいろな経験をしてここまできました。


純粋で傷つきやすい自分の上に雪が降り積もるように、いろいろな経験や思いが降り積もってきました。新しい自分が降り積もってきました。


私は、いつのまにか大人になり、家庭をもち、仕事をもち、いろいろな責任を背負いながら、社会の中で様々な人とつながりをもつようになりました。


お客さんからみれば弁護士として、堂々としているように見えるかも知れません。

でも、どんな大人になっても、生きている限り人の心の奥底には、幼くて傷つきやすい純粋な子どもがいることに気がつきます。

いろいろな鎧をまといながらも、間違いなく私の心のコアに幼くて純粋な子どもがいます。


これからもきっと純粋な子どもは私の中にいることでしょう。


人は、誰でも、どんなに強く見える人でも、立派な人でも社会的地位のある人でも、悪いことをしてしまった人でも、
その心の奥底には、幼くて傷つきやすい純粋な子どもがいるのではないでしょうか。

そう、きっと、あなたにも。

あなたの中にも、幼くて純粋な子どものあなたがいますよね。
 

深く耳をすませば純粋な子どもの声が聞こえてきませんか。


幸せに生きること、すなわち自分が自分らしく生きるひとつのポイントとして、そんな純粋な子どもの声に耳を傾けることではないかなと私は思っています。

 

そんな気がしています。


ですから、自分が自分らしく生きたいと思うのであれば、時々、あなたの中の幼い子どもにたずねてみて下さいね。


特に、もし今あなたが、「このままでいいのかな?」と何かに迷っているならば、あなたの中の純粋な子どもに「キミは何をして欲しいのかな?」とその声を聞いてみてはいかがでしょう。


ぎゅーっと抱きしめてみて、あなたの中の子どもの声に耳を傾けてみてくださいね。

 

何か自分らしく生きるためのヒントが見つかるかも知れません。


合理性や効率性が求められ、いろいろな責任を背負って、時に思うようにいかない日々の日常を生きなければならない大人だからこそ、そういった自分の中の純粋な子どもの声に耳を傾けることが、大切なのではないかなと思っています。



あなたが、あなたの中の小さな子どもとともに幸せでありますように!


それでは、また。

言葉の力を味方に

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平成22年2月22日(月)

 


こんにちは。
 
神坪浩喜です。

19日金曜日は、札幌高裁の裁判のため
札幌に出かけました。
私は、冬の北海道は初めてでしたが、
やはり白い世界で、仙台とは違いますね。

帰りは晴れていて、
札幌駅から新千歳空港へ向かう電車の車窓から
きらきらと輝く雪原がとても綺麗でした。

冬の北海道も素敵ですね!(とても寒いですけど)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、宮城では、河北新報という新聞がメジャーで
私も購読しているのですが、
その4コマまんがは「ちびまる子ちゃん」
が連載されています。

以前見たまんがで、食いしん坊キャラの男の子が、
給食を「うめぇ~」とおいしそうに食べているのを、
別の男の子が見て何か幸せそうだなと思い
「うめぇ~」と真似して食べてみると
ご飯がさらにおいしく感じたというのがありました。


確かにそうですよね。


実際に試してみるとよく分かるのですが、
食事を食べているときに「あ、おいしいかも」と
感じたのであれば、
実際に口にだして「おいしい!」と
言ってみるとさらにおいしく感じてきます。


「これは、うまい!」「何ておいしいんだ!」

そう言って食べてみると、
ますます料理はおいしく感じられるのです。


同じように、温泉に入っていい気分になったとき
「あ~極楽、ごくらく~最高だね~」
何て言ってみると、さらにいい気分になってきます。


仕事で何かうまくいったとき
「やった~!」「よっしゃー!」とか言ってみると、
さらにうまくいったことの充実感が胸にひろがってきます。


逆に、仕事がうまくいかなかったとき
「あ~あ」とため息をついたり
「もう私ってダメね」とつい言いたくなりますが、
そのとおりため息をついたり言ってみたらどうでしょう。
気分はさらに「どよ~ん」と落ち込んできませんか。


今ひとつの料理に「まずいなあ」と言ったら
ますますまずく感じることでしょう。



このように、言葉は、プラスの感情もマイナスの感情も
その時の感情を増幅させる力があるのだと思います。


そうだとするならば、言葉をうまくつかうと、
幸せな感情はさらに増幅させ、
逆にマイナスの感情のときは、
増幅させないという選択ができそうです。


ですから、幸せでありたい私は、幸せな感情が湧いてきたら、
それを意識的に言葉で増幅させるようにしています。


ご飯を食べて、おいしいなと少しでも感じたら
「おいしい!」と言ってみる。

ちょっとした仕事でも一つ片づいたら「よし!」と言ってみる。

ちょっとした嬉しい出来事があったら、
「ラッキー!」「今日はいい日だね!」

人に何かしてもらったら
「ありがたいね~」
なんて実際に口に出して言ってみるわけです。

勝つかどうか微妙な裁判で勝訴判決をもらった
時には、「よっしゃー!!」と大声で叫びながら
ガッツポーズをしています

(判決を電話で確認する場合です。法廷等で、

相手方がいるときは、心の中でやります)


いい気分や充実した気分が、言葉によって
増幅されて、さらにいい気分になり、
次の行動にも弾みがつくわけです。


逆に、うまくいかなかったときには、「ダメだな~」
とかその時の感情を増幅させるような
言葉は言わないようにしています。


基本的に
「ま、そういうこともあるよね~」
「ま、いっか」と
流すようにしまいます。


もちろん、反省すべきところは反省し、
学ぶべきところは学習しなければなりませんが、
つい自分や他人を責めたり、後悔したりする言葉を
言ってしまいがちなので、「ま、いっか~」と先に言ってしまって
その後で「この出来事は何を私に教えようとしているのだろう」
と問いかけるようにしています。


言葉には、強力な力があります。
言葉自体に、自分や他人の感情を動かす力があるのです。



明るく思いやりある言葉からは、
明るく思いやりある感情が湧き出てきます。

逆に、暗く人を傷つける言葉からは、人に対しても自分に対しても
暗く、重苦しい感情が導き出されるのです。


そして、思うだけでなく、口に出して言葉を言った時や
紙に書いて表現した時、その力はとても大きなものとなります。



私は、人に不用意に言ってしまった一言で、どれだけ失敗したことか・・・



特に、妻への不用意な一言で、地雷を踏み、
余計な雷や嵐を呼んでしまったことか・・・



あ~怖かった・・・


・・・・・


ま、それはさておき、幸せになりたい、
幸せでありたいというのであれば
どのような言葉を使うのかが、大きなポイントになってくるのですね。


言葉を大切にして、幸せにつながる言葉を表現することを習慣化する


表現する言葉が、幸せと深くつながっているのです。


幸せにつながる言葉をお互いが自然と表現することができるなら、
多くの人は今以上、きっと幸せになれ、
そして思いやりをベースにした温かな社会になるのではないか
と私は思っています。


あなたは、幸せにつながる究極の言葉って何だと思われます?



私は、その言葉とは、相手の存在や行為への感謝をあらわす言葉である



「ありがとう」



かなと思っています。



あなたも、ほんの少しだけでも、今まで以上に
幸せにつながる言葉、特に「ありがとう」を使うことを
意識されてみてはいかがでしょうか。


あなたから、たくさんの「ありがとう」があふれ出てきたとき、
あなたやあなたの大切な人に、
きっと素敵な変化があらわれることと思いますよ。



あなたが、言葉の力を味方につけることができますように!



それでは、また。



※関連のお話です。
3つの言葉に味付けを

日々たくさんのありがとうを

これから、そして私から。

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平成22年2月16日(火)


 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

先週末、同期の弁護士さん達と
スキーを兼ねた泊まりがけの懇親会に行ってきました。

私は、ちょっと風邪気味だったので
スキーはせずに鎌先温泉で、温泉にゆっくり
つかっていました。

あ~、体の芯から温まるいい湯でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて前回のお話では、
人が幸せに生きていく上で
とても大切な自己肯定感を育てるために
自分やお子さんを「他の誰かとは比べないで」
というお願いをしました。


このメルマガの中で、私は、いろいろと
私が信じる幸せにつながるものの見方・考え方や行動を
提案させていただいているのですが、
そんな提案を受け取っていただく際に、
注意していただきたいことが二つあります。



これは、ついついやってしまうことでもあります。



一つは、今まで、仮にそれができなかったとしても、
決して自分を責めたり、ダメだししたりしないで
いただきたいということです。


たとえば、前回の「人と比べない」ということについて
これまで、人と比べてばかりいた、自分の子どもにがんばって
ほしくて、比べるような言葉を子どもになげかけていた方って
きっと多いことでしょう。
もしかすると、あなたもそうかも知れませんね。

たとえそうであっても、
決して自分を責めたり、落ち込んだりしないでください。


終わったことはいいんです。
過去のことはいいんです。
それは、それで何らかの意味があったんです。


問題は、これからなのです。


私が、こんな提案をしているのは、
これから、「人と比べない」ということを意識して、
実践していただきたいからです。


私自身、これまで、自分自身や子ども達を、
ついつい人と比べてしまっていました。
むしろ比べることが多かったかも知れません。


特に、自分自身を、他の誰かと比べて、落ち込んだり
羨んだり、うぬぼれたり・・・


正直これからも、つい比べてしまうことはあると思います。


それでも、こうしてあなたに「人と比べないで」と提案するのは、
そういう考え方やいき方が幸せにつながるということに、
気づいたからなのです。





次に、もう一つ



他者に転嫁しないでいただきたいということです。


つまり、「人と比べない」ということであれば、
あなたのことを「誰かと比べている人」を責めたり、
変えようとしないでほしいということです。



過去に親から比べられてきたという方もおられるでしょう。
いや、むしろ比べられるのが普通ですから、
ほとんどの方が多かれ少なかれ親から、誰かと
比べられてきたかと思います。


とても辛いご経験だったと思います。
今でも、心に傷をおっているかもしれませんね。


私自身、親から人と比べられたことはありませんが、
他の誰かから、人と比べられ「お前はダメな奴」だと言われ
傷ついたことはあります。



そんな経験、きっとあなたにもあるのではないでしょうか。




辛かったですよね。

傷つきましたよね。



それでも、あなたを、他の誰かと比べてきたお父さんやお母さん
をもう責めないでいただけないでしょうか。



なかなか難しいことかも知れませんが、
彼らを許してあげることはできないでしょうか。



あなたのお父さん、お母さんも、あなたの親とはいえ
完璧ではなく、日々悩みながら学びながら
生きている人たちなんです。



多くは、あなたに奮起してほしい
頑張ってほしいと、あなたの幸せを願いながら
そんな言葉を言っていたのでしょう。



またお父さんやお母さん自身、
日々の生活の中での辛さや忙しさから、心に余裕がなく、
あなたにあたってしまったこともあるかも知れません。


人は、誰しも弱いものなのではないでしょうか。


未熟で、弱いながら、悩みながら、精一杯あなたを育ててきた
お父さんやお母さんを、許してあげませんか。


お父さんやお母さんの弱さや悲しみに
思いを巡らせていただけないでしょうか。


あなた自身の幸せのために、
あなたの親を包み込んで許してあげませんか。



私の言葉に、何かを感じ取ることができるあなたならば、
きっと彼らを包み込むことができるのではないかと思います。



私がお話しているのは、親やあなたの側にいる人を責めたり
ダメだししてほしいからではなくて、
あなた自身の幸せにつながる行動や考え方の
提案をしているのです。


過去と他人は変えられません。



しかし



未来と自分は変えられます。



そして、
未来の自分に過去や他人を生かすことができます。
過去や他人から学ぶことはできるのです。


これからの自分の考え方や行動は
あなたの意思で、よりよく変えていくことはできるのです。


もし、あなたがこれまで、人と比べられ、またあなたの側にいる人を
誰かと比べてきたとしても


「これから」


「あなたが」


あなたの目の前にいる人を他の誰かと比べない
ことを選択することは、できるのです。


そして、私にとって大切なあなたには、
「比べない」という選択をして欲しいのです。


自分の成長、自分らしさに目を向けていただきたいのです。


過ぎ去ったことはいいんです。
他人から受けたことはいいんです。




「これから、そして私から。」




あなたが、これから幸せな選択をされていくことを祈っています。



それでは、また。 




※関連のお話です。


ねぎらってもらえない時に

すべては、これから。

他の誰かと比べないで

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平成22年2月12日(金) (平成24年9月15日改訂)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

昨日は、祭日で事務所はお休みだったのですが、事務所に出て仕事してきました。

答弁書、争点整理メモ作成、法教育出前授業準備といくつかのメール書き。電話がかかってこないので、文書作成はかどりました。

でも、全く電話がかかってこないのもちょっと淋しいような・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、前回は、「どうしてあなたは、あなたであろうとしなかったのか」という質問をご紹介しました。

そして、あなたは、あなたらしく「好き」や「やりたいこと」をベースに生きてみてはいかがでしょうかと提案させていただきました。

あなたはあなたらしく生きていけばいい

あのお話を、他者との関係からみてみると「人と比べない」ということでもあります。

でも、私たちは、つい人と比べ、あの人のようだったら・・・と思ってしまいがちですよね。


あの人のようにお金があったら。
あの人のように仕事があったら。
あの人のように頭がよかったら。
あの人のように素敵な旦那さんがいたら。
あの人のように美人だったらと・・・


自分を他の誰かと比べてしまうことは、ある程度はやむを得ないことだとは思います。
比べることによって、やる気が高まることもあるでしょう。

この現代社会に生きていくうえで、あらゆる場面で、順位をつけられ、払ったお金で差が生じてくる世界において、全く人と比べないということは、難しいことでしょう。

また、人は人と人との間で生きていく以上、人との関係性の中で、自分の居場所を得ているのですが、そこには、比較の視点もどうしても必要になってこらざるをえない現実もあります。


しかし、他の誰かと比べてばかりいると、劣等感、優越感、嫉妬や傲慢の感情に囚われやすくなってしまいます。

そして劣等感は、幸せに生きる上で大きな障害となってきます。


劣等感があると、人は競争相手であり、自分は人より優れていたいと思い、人との温かなつながりを持ちづらくなってしまうのです。


ですから、なかなか難しいことではありますが、できるかぎり人と比べないことを意識した方がいいと私は思います。


人との比較で、自分の価値を確かめようとしないことです。


もし、あなたにお子さんがいらっしゃるのであれば、私からお願いがあります。


あなたの大切なお子さんを、他の誰かと比べないで欲しいのです。

 

 


友達の○○くんは、勉強ができるのに、あなたは・・・
お隣の○○ちゃんは、かけっこが速いのに、あなたは・・・
お姉ちゃんは、素直なのに、あなたはわがままなんだから・・・


こんなことをつい言っていたりしませんか。


それは、あなたが、お子さんに奮起して欲しい、頑張って欲しい、そう思っておっしゃっているのかも知れません。


そのお気持ち、よくわかります。
つい、私も子どもに「誰かと比べる言葉」を言ってしまいそうになるときもありますから。


しかし、この「誰かと比べる言葉」は、子どもの心から、大切な自己肯定感を奪い、劣等感や優越感のはざ間に漂わせ、
自分らしく生きることを妨げてしまうのです。


いつも自分を誰かと比べて、その位置を確認しなければならなくなり、優れていなければ自分には価値がない、勝たなければ意味がない、いつも頑張らなければいけないとそんな思い込みに囚われてしまうのです。


あなたも子どものころ、他の誰かと比べられて、辛い思いをしたことってありませんでしたか。

いや、今大人になって仕事をしていても誰かと比べられて、「それにひきかえ、あなたっていう人は・・・」なんていわれ悲しい思いをしているかも知れませんね。


あなたがご家庭の主婦で、旦那さんから「隣の旦那さんによれば、隣の奥さんは、とても料理が上手だということだぞ。それにひきかえ、お前の料理は・・・」と言われたらどうですか?


あなたに奥さんがいて、奥さんから「隣の奥さんによると、隣の旦那さんは、毎日家事を手伝ってくれるそうよ。それにひきかえ、あなたは・・・」と言われたら、どうでしょう?

決して、いい気はしませんよね。

言っている本人は、「隣の○○さんを見習って頑張って欲しい」と言っているつもりなのでしょうが、言われた方は、「どうせ私なんか」といじけたり、あるいはムッときて「あなたの方こそ・・」と言い返したりしたくなりますよね。


今、人の親になってみると自分の子どもを他の何かができる誰かとつい比べたくなってしまいます。


「かけっこが速い」「元気な挨拶ができる」「さかあがりができる」・・・
他のお子さんと比べて、自分の子どもができないことについ目がいってしまいます。

 

それでも、比べない。それは結構難しいことだと思います。


あなたは、あなたのお子さんに幸せになってもらいたいですよね。のびのびと、自分らしく輝いていって欲しいですよね。


そのためには、どうかお子さんを他の誰かと比べないようにしていただけないでしょうか。


お子さんを、他の誰かと比べて、決してため息なんかつかないでいただけますでしょうか。


他の誰かと比べて、その誰かに追いつけ、追い越せとお子さんを追い立てないでいただけますでしょうか。


あなたの子は、素晴らしいお子さんだと思います。


奮起してほしい、頑張って欲しいのであれば、お子さんが、頑張って、少しでも新しい何かができるようになったとき「がんばったね」「できるようになったね」「すごいね」と声をかけて欲しいのです。


他の誰かではなく、過去のお子さんとの比較において、成長したことに注目して欲しいのです。


それから、より根本的なことを言えば、うまくできなくてもお子さんの何かを頑張ろうとする姿勢、それ自体を褒めてあげて
いただけないでしょうか。

あなたの大切なお子さんが、何かを目指して一生懸命頑張る姿、それ自体とても素晴らしいことだと思います。


自分は、自分なんです。
あなたは、あなたなのです。
あなたの人生は、他の誰でもないあなたの人生であり、
あなたのお子さんは、他の誰でもないあなたのお子さんの人生なんです。


幸せに生きることが目的ならば、他の誰かと比べる必要なんてないのです。
あなたが、あなたらしくさえいれば、それでいいのです。
お子さんは、お子さんらしく、のびのびと育ってくれればそれで十分なのではないでしょうか。


無理に、誰かになろうとする必要なんてありません。
無理に、世間一般が捉えている「幸せの形」に、自分やお子さんを押し込もうとする必要なんてありません。


人と比べずに、自分の心の声に従って主体的に生きること、そしてあなたの大切な人を、他の誰かと比べずに、ありのままを受け容れること、それが自由に幸せに生きるコツなのではないかと思っています。


それでは、また。

 

あなたがますます幸せでありますように!

 



※関連のお話です。


人生の主役は誰ですか?

あなたらしく生きていけばいい

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平成22年2月7日(日)

 

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

昨日は、大雪で、雪かき隊初出動しました。
今日は、晴れましたので
子ども達と雪遊びをしました。

ソリ遊び、雪玉投げ、ゆきだるまづくり。

結構楽しいものです。

子どもにムキになって、雪玉をなげつけたり。

 

子どもっぽくてすみません・・・ 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、今日は、心理カウンセラー衛藤信之さんの
本「心時代の夜明け」の中にでてくる一節
をもとにしたお話をしたいと思います。


********************


男が人生を終えて、神様の前に現れました。

男は、親から、安定が一番だと言われ、親が勧める大学に入り、
大手の会社につとめ、結婚してからは、家族のためだということで
やりたいことをやらないで、安定した生活を維持し、一生を終えました。

はたからみたら、穏やかないい人生でした。
しかし、男は、やりたいことをやっている人を羨ましく思い、
嫉妬しながらも何もせず死んだのでした。


神様は、何と男に話しかけたでしょうか。


神様は、決して、

「あなたはなぜ、成功しなかったのか」

とは問いませんでした。


人生において、社会的地位が高くならなかったこと、
偉大な功績を残さなかったこと、お金持ちにならなかったこと、
そんなことは問いませんでした。

神様にとっては、そんなことはどうでもいいことです。


神様は、男にこう聞きました。


「どうしてあなたは、あなたであろうとしなかったのか」


神様は、残念そうな顔をして、続けて男にこういいました。

「私は、あなたにはあなたの人生を与えたのに。
そう、喜びや悲しみ、そしてその中にあるあなただけの人生の答えを。

それをどうしてあなたは他人をうらやみ、
他人と比べてばかりで
あなただけの大切な人生を楽しまなかったのか?

私はすべての人に、その人ならではの人生を与えたはず
なのに、あなたはどうしてそれを楽しめなかったのか 」



*************************



もし、あなたの目の前に、神様があらわれたとしたら、
こんなことを言われそうですか。


もし、神様からこんなこと言われたら、
「いえいえ。私は、わたしだけの人生を楽しみました。
自分の人生を自分らしく生きてきました。幸せでした」

そう自信をもって答えられるでしょうか。


そう答えられるとしたらとても素晴らしいですね!


もし、そうでなかったとしたら、今からでも遅くありません。
他人と比べない、自分の人生を楽しみましょう。


好きをベースにして、自分らしい人生を生きてみてはいかがでしょうか。





あなたはあなたのままでいいんです。

あなたの人生を誰かのものと取り替える
ことはできないし、その必要もありません。

そのままでいいんです。
そしてあなたは、あなたらしく、
生きていけばいいのです。

あなたの人生は、あなたのもの。
他の誰かの人生ではありません。
あなたの人生は、あなたのもの。
あなただけの人生なんです。



その人生、
あなただけのかけがえのない人生なんです。



ですから、
人と比べずに、あなたらしく、この人生を楽しんでみませんか。



世間の評判や人からの評価ではなく、
あなたの心の底から湧き上がってくるやりたいことを
あなたらしくやってみませんか。



もちろん、日々の生活の中には、「やりたいこと」ばかりではなく
「やらなければならないこと」も多々あります。


でも、私たちは、日々の日常に流されて、
本当は「やりたいこと」ができるのに
「やりたいことなんでできるはずがない」
「そんなの無理に決まっている」と思いこみ
どこかであきらめてしまっていないでしょうか。


もしかするとそんな思いこみが
あなたにあるかも知れないと思い
あなたに「やりたいこと」「やりたいことがやれること」
を意識してもらいたくて、今日のお話をしました。



「やりたいこと」「好きなこと」をベースにした人生

それが、あなたらしい人生、あなたを輝かせる人生なんだろうと
私は思っています。


それが、きっとあなた自身を、
そしてあなたの大切な人を幸せにしていくのです。


これはまた、日本国憲法が保障する「幸福追求権」を生かす生き方、
自分が自分らしく自らの幸せを追求していく生き方に他なりません。


あなたやあなたの大切な人が、
そんな生き方ができることを願っています。


そして、多くの人々が、そんな生き方ができるといいなと
夢みています。


それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

自己肯定感と法教育

平成22年2月5日(金)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

一昨日は、節分。
家で豆まきをしました。
どういうわけか私が「鬼」役で、豆をぶつけられました。

でも、妻が怒った時の方がどうみても「鬼」役にぴったりなのにな~
(妻にはくれぐれも内密に願います!)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、前回、法教育シンポでの
「法教育の意義」についてお話しました。
今回は、シンポ後半部分の発言です。

コーディネーターの方からの質問は
「法教育における法律家の関与の現状はどのようなものですか?
今後の課題は何ですか?」
というものでした。

私は、質問を受け、法教育出前授業やサマースクールといった
仙台弁護士会法教育委員会の活動を紹介した後、
弁護士だけでは、広がりに限界があること、

また教育のプロは学校の先生であり、
法教育についてもいずれは先生が主役になって、
弁護士はそのアドバイザー、サポーター役であるのが望ましい
ということをお話しました。

そして、次のようなお話をして学校の先生方へ、
法教育についての協力、弁護士との連携をお願いしました。



*********************************


学校の先生の皆様へ



私が法教育にかかわって6年、今なおはまっているのは、
もともと私が、学校の先生になりたいと思ったからかも知れません。


私が小学生のころ、先生に発表することを褒められたことが
とても嬉しく、励みになりました。


あの遠い昔に先生に褒められたことが
実は今でもずっと私の心を温かくしているのです。


だから、自分もいつか学校の先生になって、子どもを励ます
先生になりたいなと思ったのです。


会場の皆様にも、きっと、子どものころの
あの先生の励ましがとても嬉しかった、
今の自分があるのはあの先生の言葉があったから
ということがあるのではないでしょうか。



学校の先生、教師という仕事は大変なお仕事
だと思いますが、とても素晴らしい仕事だと思います。


教師が、子どもに
「あなたは大丈夫だ」「がんばったね」
「よくやったね」といった言葉を言うことで
子どもの心に、
「自分はこの世に生きていい存在なんだ」
「かけがえのない存在なんだ」
といった自己肯定感が育てられ、
大人になってもずっと心を温め続けているのです。


私は、教育の核心は、「自己肯定感」
を育てることだと思います。


自己肯定感があるから、他者に共感することができる
思いやることができる。
人とあたたかくつながることができ、幸せになれるのです。


そして、法教育も、「教育」として
自己肯定感を養うことにつながると思います。

それも、非常に、効果的に。



法教育では、人はそれぞれ違って、尊いから、人の話をよくきこう、
そして自分の意見を話そうというものです。


そこでは、自分の話を聞いてもらえる。自分の話が他者に影響を
与えていくということを体験します。


自分がそこに存在する、役に立っているということ
を実感できるのです。

人と人との間にあって、
自分がここにいていいんだ、役に立つんだという
「自分の居場所」
をみつけられるのです。


教師は、子どもの「自己肯定感」を育てるプロです。


実務法律家は、法や法の考え方に基づき、人と人との間を
調整するプロです。


そして、自己肯定感は、人と人との間で育まれる。
他方、人と人との関係の調整の前提となるのは、
他者への思いやりと自己肯定感です。


つまり、教師も実務法律家も、その役割の根本的なところでは
つながり、重なっているのですね。


ですから、そのプロ同士が連携し協力するならば、
何かとても素敵な効果が生まれるのではないかなと私は思っています。


ということで、学校の先生方!
実務法律家と一緒に法教育をやっていきませんか。
一緒に連携してやっていただけるととても嬉しいです。


どうぞよろしくお願いいたします。

 

********************************** 

 

法教育シンポのパネリスト、
私にとってはとてもプレッシャーのかかる役でした。

この仕事が振られたとき「どうして私が?」と思いましたが、
結論としてやってみてとてもよかったです。

負荷がかかりましたが、その負荷がかかった分
心も技術も鍛えられてくるのですね。

大変よい勉強になりました。
そして、一緒に勉強してくれたT先生をはじめ、
いろいろな方から助けてもらったことも嬉しかったです。

一見大変なことの後ろに、幸せや成長がくっついているものなんですね
そんなことを改めて感じた出来事でした。



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!


※関連のお話です。

ホメホメ達人
あなたがいてよかった。
受容-そこにいていいんだよ。

「法教育」って何だろう?

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平成22年2月2日(火)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

今日は、平成22年2月2日
「2222」とぞろ目の日ですね。
何かいいことあるかな? 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、私は、1月30日の土曜日、仙台市青年文化センターで開催された
法務省主催の「法教育シンポジウム」に、パネリストとして参加しました。

他のパネリストは、
東京大学教授の大村敦志さん
前最高裁長官の島田仁郎さん
文部科学省の大倉泰裕さん
宮城教育大学教授の松岡尚敏さん
リポーターの東海林のり子さん
といったそうそうたるメンバーです。


その中で、私は、全く役不足なのですが、たまたまシンポが仙台で開かれ、
たまたま私が日弁連市民のための法教育委員会の委員であったこともあって、
弁護士枠で私がパネリストになってしまいました。


とても緊張しました。


舞台の上で、前最高裁長官と民法の大先生に挟まれて
「何で、私は、こんなところにいるんだろう?」
と天井のライトを見上げながら思いました。

しかし、やらなければなりません。
コーディネーターの大谷太さん(仙台家裁・地裁判事補)
から質問を受けます。


「法律実務家として業務にあたる中で、
法教育の意義についてどのように考えますか?」


少し震える手で、マイクをとり、話をはじます。

あ、声も震えているぞ~

**************************


私は弁護士なのですが、弁護士の仕事というのは、
主に人と人との間でトラブルが起きている中に入っていく仕事です。
トラブルの解決にあたります。


トラブルが起きている状態は、幸せな状態ではありません。
当事者の方の多くは辛い思いをされています。


できれば、トラブルにあうことってない方がいいですよね。
それに、もしトラブルがあってもこじらせずに解決できるといいですよね。


トラブルをできる限り防ぐこと、
トラブルが起きてもこじらせずに解決できること
そういったスキルを養うのが「法教育」の一つの意義なんだと思います。


会場の皆さんの中には「そもそも法教育って何?」
と思われている方もいらっしゃるかと思います。


私が考えている「法教育」というものは、
法律的な知識を教えるのではなく、
様々な価値観・考え方の人がいる社会において


憲法が求める究極の価値である「個人の尊重」
すなわち「一人ひとりの人をかけがえのない人として大切にするということ」
を核としつつ、


正義や公正、公平といった法の原理原則をふまえた
法的なものの見方・考え方を「感覚的」に身につけてもらうものです。


そして法教育の目指すところは
自らの幸福追求を自由になしうる自律した個人
つまり、自分の頭で考え、自分が自分らしく生きることができる個人、

他者と協調・共生し、民主主義社会の主体たる個人を育成しようとするものです。


要するに、法教育をうけることによって、
多様な価値観の人が存在する中で、自由に自分らしく生き、
幸せに他者や社会とつながるための心と技術
を身につけてもらえるのではないかと思っています。


私は、幸せとは、自分が他者と「温かなつながり」をもてること、
共感の絆で結ばれること、助け合い、支え合うことだと思いますが、
法教育というものは、その絆づくりのスキルやマインド
につながるのだと思うのです。


どうして、法教育で、幸せに生きること、
他者とあたたかなつながりがもてるのでしょうか?


法は人の本質に根ざした、社会の中で人が幸せに生きる上で、
必要不可欠なものです。

人の本質、私は、二つあると思います。

一つめ、人は、社会的な生きものであるということ。
一人では生きていけません。人は人と人との間にあって、人間となります。
人という漢字は、支え合うことを意味しています。


人は人から傷つけられたり、人との関係で悩んだりしますが、
それでも人は、人と支え合っていかなければ生きていけない
本来的に社会的な生きものです。


人とのあたたかなつながりが、
人が人らしく生きていく上での前提なのです。
これが人の一つめの本質。


そして、もう一つの本質は、
自分も他者も誰も一人しかこの世に存在しないということ、
誰もかけがえのない存在であり、
人それぞれ違う価値観を持っていることです。


人というのは、自分のフィルターを通して、
世の中に起きる出来事を見て、解釈しています。
同じものを見ていても、人それぞれ受け止め方が違います。


例えば、雨がふって運動会が延期になってがっかりするお子さんもいれば、
中には運動ぎらいで喜ぶお子さんもいることでしょう。


そして、多くの人は、そんな自分自身のフィルターを通して見ているものを、
他者も同じように見ていると思いがちなんですね。


ところが、実際はそうではない。
自分と人とは違っている。
人それぞれの価値観、考え方がある。


そこで、食い違いが生じる。
どうしてあなたは、そんなことをするんだと
相手のことを理解できずに責めてしまう。
トラブルが生じてしまう。


他人の考えを理解するのは、まずは、自分の価値観が絶対でないこと、
人それぞれの価値観があることを理解しなければなりません。
そして、相手の立場にたって考える。
想像してみる。そういうことが大切です。


そしてはじめて、相手とつながることが可能になるのです。

自分の価値観が絶対で、相手は間違っていると思いこむと、
どうしても、自分の価値観を押しつけ、相手を責めたり、
排斥したり、無視したりします。
それがお互い様になるととても「つながり」ようがありません。


多様性を受け容れられない社会は、ギスギスした社会です。
人を信じられなくさせてしまいます。
当然トラブルが起きやすく、トラブルが起きればこじれやすく、
なかなか解決に向かいません。つまり幸せではない。
弁護士の仕事は増えて商売繁盛していくかも知れませんが、
私は増えて欲しくない。


さらに現代社会においては、リアルな人間関係は希薄になる一方で、
ネットの中だけで自分と同質的な人とつながり、
それでよしとするという傾向があります。
そうすると自分とは価値観の違う人とふれあうこともなく、
自分と考えと違う人を怖がってしまいがちです。ますますギスギスしやすい。


これは、何とかしなければいけませんよね。



そこで、法を生かすのです。
法の多様性を前提として、個人の尊重をベースに、
多角的な視点から物事を考えていくという思考を生かしていくのです。


法というものは、あらゆる価値観を持つ人々が共存・共生し、
ともに幸せになることを目指すものです。


いろいろな価値観をもつ人がいて、
それぞれが幸せに共に生きることができるように調整し、
バランスを図ろうとするものなんですね。


人はみなちがって多様性があるからこそ、
調整としての法やルールが必要になってくるわけです。


そして、法教育というものは
人それぞれ価値観が違うこと、多様性をうけいれた上で、
他者と共に幸せに生きていくことを目指していく、
他者を排斥せずに受け入れ、相手の立場、
違ったものの見方を身に付けていくトレーニングをしてもらうものです。


例えばゴミ置場のルール作りの授業で、実際にルールを作ろうとすると、
人々にはいろいろな立場があるので、自然といろいろ立場にたって、
いろいろな視点に目を配らなければならないでしょう。


法教育授業では、知識を教えるのではく、
「話し合う」ということがポイントです。
人はみな違うからこそ、相手のよく話をきき、自分の考えを話すのです。
表現しなければ分かり合えません。
よく話し合わなければ、グループの中でいいルールはできません。


多様性を受け容れいれること。
これは憲法が究極の価値とする個人を尊重するということでもあります。
一人ひとりをかけがえのない存在として認めるということです。


法教育は、ゴミ置場のルール作りもうそうですし、
刑事模擬裁判で有罪か無罪かを考えるとき、
被告人の視点から物事を考えてみるわけです。


また別の人の意見を聞くと自分とは違った見方をする意見に触れるわけです。
様々な考え方があることを知る。
そこで、他者の考えを聞き、自分の考えを話すことを繰り返す。
そこで多様性や多面的な視点を体感していきます。


そして、これが法教育の法教育たるゆえんなのですが、
自分が考えることの軸に、法の究極の価値である
「個人の尊重」や公平や公正、原理原則、
例えば刑事裁判であれば無罪推定原則を意識する。そこから考えていく。


「個人の尊重」や無罪推定原則といった原則は、
人の歴史、主に苦難の歴史、失敗の歴史によって
つちかわれてきた英知の結晶のようなものです。


その原則を意識するという思考体験を繰り返すことによって、
一つの考える軸をもって、他者に依存せず、他者を排斥せず、
自分の考えを押しつけず、他者の意見をききつつ、
自分の頭で考えて表現する個人が確立してくのではないかと思います。

すなわち、自分の足で立ち、
自由に幸福追求をなしうる個人が確立していくのではないかと思うのです。


そんな確立された個人と個人との間では、
いたずらにトラブルが生じることはなく、
もしトラブルが生じたとしても解決しやすい、
そして温かなつながりができやすいのではないでしょうか。


ということで、法教育が普及すれば、自分が自分らしく生きることができ、
他者と温かくつながりやすくなり、
民主主義社会に貢献できる個人が育成されるのではないかと思っています。


それが、私の考える法教育の意義です。
                                                  


******************************

 

このようにお話した私なりの「法教育の意義」、
実は、私一人で考え出されたものではありません。


私より弁護士経験も浅く、年齢も若いのですが、私が尊敬している弁護士のT先生との対話を通じて作られたものです。


T先生は、「法教育とは何か?」の問いに答えるために、
法とは何か?正義とは何か?法的なものの見方とは?
そんなことを真正面から一生懸命に私と考えてくれました。


おかげで、私は、自分なりの法教育についての基軸ができ、
お話したような言葉となったのです。
私にとって本当にありがたいことでした。
感謝の気持ちでいっぱいです。



それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

 
※関連のお話です。
幸せの源泉-温かなつながり

幸福追求権

 

何かを大切に思う気持ち-ジュニアロースクール2010

花嫁を語らないスピーチ

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平成22年1月24日(日)

 

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

気がつけば1月も下旬。 
今はまだまだ冬の底で、一番寒い時期ですが、
日は長くなってきたことを感じさせます。

春が、少しずつ、でも着実に近づいてきていますね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日のお話は、私が、昨年12月に後輩弁護士さん
の結婚式に出席したときに聞いた結婚式のスピーチをもとに、
物語にしたものです。


よろしければお付き合い下さい。

***********************


新婦の親族を代表して、あるおじいさんがスピーチを指名されました。
新婦のサキさんが、
「ぜひスピーチをしてほしい」と頼んだおじいさんです。


新婦のサキさんは、瞳の澄んだ綺麗な女性でした。
穏やかな笑顔が優しい人柄をうかがわせます。
細身の身体に白いウエディングドレスがよく似合っていました。


おじいさんがマイクの前まで、よたよたと歩いてきました。
眼鏡をかけ、顔には、たくさんのしわがあります。
緊張しているのかおじいさんの額のしわに少し汗がにじんでいます。


「サキちゃん、結婚おめでとう」


おじいさんは、ゆっくりと穏やかな口調で話しはじめました。


ところが、この後、新婦の話をするのかと思いきや、
どういうわけか、おじいさんは自分の奥さんの話、
それも自慢話を延々としはじめました。


「 わしのかあさんはね。

とってもいい人なんだ。
いつも明るくて、にこにこしていて、たくさんの人から慕われていた。

かあさんのおかげで、わしのうちには、
いつもたくさんの人が来ていたよ。
いつも賑やかで楽しかったな。

料理もおいしかったぞ。
かあさん、わしのためにおいしい料理をつくろうと頑張ってくれてた。

それになかなか綺麗だったよ。
そしてなによりわしのために綺麗であろうと
がんばってくれていたことがうれしかったな。
かわいげがあった。


わしにはもったいない奥さんだよ 」




こんな感じで、おじいさんは新婦の話ではなく、
自分の奥さん自慢を延々としだしたのでした。



あれれ?なんだなんだ?困ったな~

新婦の話ではなく延々と奥さんの自慢話をきかされるのかな。
披露宴の場が
「あのおじいさんにこのまましゃべらせて大丈夫?」
そんな雰囲気になりました。


おじいさんの様子を見かねて親戚の男性が、
おじいさんに、
「まあまあ、ここで奥さんの自慢話はいいから。あとでゆっくり聞くから」
と話しかけました。


それでもおじいさんは、ニコニコしながら奥さんの自慢話を続けました。


「かあさんは、本当に優しい人だった。
わしは、あんな人と一緒になれて幸せだった。


あんなに優しくて、明るくみんなから慕われていた・・・
わしに、いろいろなものを残してくれた。

かあさんのおかげで、今のわしがあるようなものだ。



だけど・・・




だけど、どうして・・

かあさん、わしより先に逝ってしまったんだ。

このわしをおいて・・・




うっ、うっ・・・

おじいさんの眼鏡の奥の優しそうな目から
涙があふれていました。

しばらくおじいさんから言葉はでてきませんでした。



そして、声をふりしぼるように、おじいさんは涙ながらに言いました。



「 サキちゃん、


サキちゃんも、わしのかあさんのようになってください。


サキちゃんなら、きっとなれると思います。


結婚おめでとう。お幸せに・・・ 」



綺麗な瞳のサキさんの目からも、涙があふれていました。


「ありがとう。おじさん。最高のスピーチをありがとう。

おばさまのような人になれるよう、私が選んだこの人と一緒に

がんばってまいります  」


サキさんは、そう心の中でいい、今この時の、幸せをかみしめました。


************************


花嫁のことは何も語らない不思議なスピーチでした。


でも花嫁の心に染み渡る最高のスピーチではないでしょうか。

花嫁さんにとって何よりのお祝いの言葉ではないでしょうか。


おじいさん、奥さんのことを心底愛しているんですね。
これまでも、今も、そしてこれからも。

とても素敵なことですね!


私も涙をまぶたにためながら、
おじいさんのようでありたいなと思った昼下がりでした。

それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 



※関連のお話です。
よきことがシャワーのように。

妻の名誉のために

緊張してもいいんだよ。

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※パピヨンの女の子
名前は「マリ」です。どうぞよろしく。

平成22年1月17日(日)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 

このところ休日で天気のいい日には、家族4人と子犬を連れて 近所に散歩にでかけます。

 

この子犬、とても臆病で、散歩といってもまだ自分で歩くのが怖くて、私が抱っこしながらでの散歩です。

抱っこしているときも、びくびく震えています。

はやく緊張がとけて慣れてくれるといいな。

 

ところで、あなたは、緊張しやすいタイプですか、緊張しにくいタイプですか?


弁護士に相談される方は、緊張される方もおられます。

普段は緊張しない方でも弁護士というだけで、緊張される方もおられるかと思います。


弁護士というと偉そう、こわそう、弁護士の言っていることが難しくて分からないんじゃないか、こんなこと相談してもいいのかなそんな不安もあって緊張感も高まるのでしょう。


だから、緊張しやすいタイプの方にとって、弁護士に相談に行くというのは、なおさら勇気のいることではないでしょうか。

そんな中、弁護士へ相談に行かれた方は勇気がある方だと思います。


緊張しやすいかについて、私がどうかというと、私は昔からもともと緊張しやすいタイプですし、実は今でもそうです。


ですから、相談される方が緊張していると、そのお気持ちがよく分かるので愛おしく感じます。


「あ、私如きにそんなに緊張されなくてもいいですよ。どうかリラックスしてください」と声をかけたくなります。


それに、私に対して、緊張してくれるということは、私のことを大切な人と思ってくれているのかな~と思って、嬉しくなるのです。

だから、緊張しやすいタイプの方、弁護士さんにうまく相談できるかなと弁護士への相談を迷っている方の力になりたいなと思っています。

とはいえ、緊張しやすくて困っている方もおられるでしょう。

緊張で、言いたいことが言えなくなってしまう。伝えたいことがうまく伝えられない。相手に馬鹿にされないかな・・・


緊張しないようになりたい!

緊張しやすい方にとって、それは切実な願いです。

そんな方、ちょっとこういう風に考えてみてはいかがでしょうか。



まず、あなたが緊張する相手ってどんな相手ですか?


社会的地位の高い人
役職の高い上の上司
面接試験官
警察官
重要な商談の相手
義理のお母さん(お姑さん)
好きだけど好きと言えない人・・・


どうでしょう。

緊張する相手というのは、あなたを評価してくる人、あなたが重要な人、大切な人と考えている人ですよね。


緊張することは、相手を重要に思っているからこそ、緊張する。
相手を大切な人だと思っているから、緊張する。


視点を切り替えて、あなたは人から大切に思われると嬉しいですか、重要視されると嬉しいですか。
当然嬉しいですよね。


あなたの目の前の人が、緊張しながらも、懸命に何かを伝えようとしている様子をみたらどうですか?
その人のことをどう思われますか?


優しいあなたなら、その人のことを、決して馬鹿にしたりしないはずです。

むしろ、自分のために緊張してくれて、緊張しながらも何かを伝えようとする姿勢をみて、いい人だなと感じるのではないでしょうか。


だから、緊張することは、相手を尊重して、嬉しくさせているんですね。


ということは、緊張するのはむしろいいことなんですよ。

緊張してもいいんですよ、緊張OK!なんです。


・・・そういうくらいに思ってみてはいかがでしょうか。


そうすると少し楽になりませんか。


緊張してはいけない。
緊張することは恥ずかしいことだ。

そういう意識が強すぎるとますます緊張してきます。


緊張してもいいんだ。
緊張は相手を大切にしているというメッセージなんだ。
相手を嬉しくさせているんだ。


そんなふうに緊張を受け容れる意識をもつと、不思議と緊張から心が解放されていくのです。


もともと緊張しやすいタイプの私は、そんなことを意識するようになってから、以前と比べて、人とあう場面で緊張して困ってしまうということはかなり減ってきました。


あなたが、緊張しやすいタイプの方で、人と会う場面に出くわしたら、「緊張することは、相手を大切に思うメッセージで、いいことなんだ」「緊張OK!」と唱えてみてはいかがでしょうか。


少しリラックスできるかも知れません。


よろしければ、お試しを。

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それでは、また。

 

あなたがますます幸せでありますように!



※関連のお話です。
受容-そこにいていいんだよ。

あなたはすでに愛されている

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平成22年1月15日(金)

 


 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
昨日から寒波がやってきているようで、今日も冷え込んでいます。
週間予報を見ると、しばらくは寒いとのこと。

今年初の雪かき隊出動もあるのかな?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、前回は、「あなたがいてよかった」
という感謝のメッセージが
あなたの大切な人、そしてあなた自身を幸せにしていくという
お話をしました。

あなたがいてよかった。



しかし、自分の存在への信頼がないときは、
感謝のメッセージを伝えることがいいと分かっていても
心に余裕がなくて出来ないことかも知れません。


自分の存在への信頼がないと、自分の無価値への不安、
自分の存在価値の証明や、いつ負けるのかわからない不安に心を奪われ
自分のことで精一杯で、他者を思いやる余裕がなかったりします。


優しくすればいいと頭では分かっていてもそれができない。
優しくしたいのだけれども、それができない。
そんな方もおられるでしょう。


自分の存在への信頼というのは、
いいかえると、自分は「ありのままの存在として愛されていること」
への信頼です。


幸せにも、子どもの頃、お父さんやお母さんから、ありのままの存在を愛されて
育った方は、この信頼は既にお持ちなのかもしれません。


しかし、世の中には、親に愛されなかった方もおられます。


もしかするとあなたもそうかも知れませんね。


その方は、自分の存在への信頼は持てないのでしょうか。
幸せの前提となる、自己肯定感は持てないのでしょうか。


私は、それでもなお、持つことができると思います。
親に愛されなかったとしても、自分の存在への信頼は
「自分自身で育てる」
ことができると思います。


幸せをあきらめる必要はありません。

むしろこれまで親に愛されなかった方こそ、
私は、自分の存在への信頼を自分で育てて、
これから幸せになって欲しいと思います。


その方法とは一体何なのでしょう。


一つは、それでもなお「自分発の優しさ配り」をしてみることです。

ポイントは、ほんのささやかなことから始めるということです。

「ありがとう」と声をかけるだけでもいい。
にっこりするだけでもいい。

そんな小さな優しさ配りにチャレンジしてみると、
少しずつですが、変化が起き、
より素敵な優しさ配りができるようになってくるはずです。


そして、もう一つ。いいおまじないがあります。


こう唱えてみるのです。




私は、ありのままで、すでに愛されている





えっ!?すでに愛されているだって?




ええ。



本当のことをいえば、あなたは、これまで既に愛され、
これからもずっと愛されているのです。


あなたは、気づいていなかったかも知れません。





でもね。





あなたは、間違いなくもうすでに愛されているのです。


生まれたときから、ずっと愛されていたのです。

この世に生をうけたときから、ありのままを愛されていたのです。


あなたが気づかなかっただけで、
生まれたときからずっと愛されていたのですよ。



「何でそんなこと言えるんだ!」



そうあなたは、思われるかも知れません。


あなたは、今生きていますよね。


胸に手をあててみてください。
あなたの心臓は一定のリズムで動いていますよね。



その心臓、あなたが動かしていますか。
あなたの意思で、あなたの心臓は動いているのでしょうか。



違いますよね。



心臓は、あなたの意思にかかわらず動いています。
夜あなたが眠っているときも絶えず動いています。



あなたは、この世に生まれてきた。
お母さんの胎内から生まれてきた。
お父さんの精子とお母さんの卵子が出会うことで、命が宿った。


それは、あなたの意思ですか。
あなたの意思はどこからやってきたのですか。


あなたという命が生まれたこと、
あなたという存在がこの世にあらわれたこと
それはあなたの意思ではありません。



今、あなたの心臓が今動いていることも
あなたがこの世に生まれてきたことも
あなたの意思ではないのです。




そうだとするなら・・・





あなたは、何ものかの意思に従って、
この世に、生まれ、今生かされている。
何ものかによって命を授けられている。


そんな気がしてきませんか。


あなたが、この世には、必要だからこそ、
生まれてきたのではないでしょうか。


あなたが、ありのままで存在する価値があるからこそ、
今、ここにあなたが存在しているのではないでしょうか。


だから、あなたは、存在する価値があるのです。
つまり、もうすでに愛されているのです。


起きることには意味がある


以前、そんなお話をしました。


まさしくあなたが、この世に生まれたこと、
命を授かったことにも
当然何かの意味があるということです。


ここで意味を問う必要はありません。

意味が分からなくてもかまいません。


でも、「きっと何か」の意味があるのです。

その何かの意味が存在することを信頼してみませんか。


望まれた生まれたんだ、何かの意味があって生まれたんだ
そんな信頼感があると、とても心が安らぎます。


心に余裕ができて、自由に幸福を追求できそうな気がしてきます。
自分らしく自分の良心にそって自由に生きることが
できそうな気がしてきます。


「私は私のままでいいんだ」と思えてきます。




「わたしは、もうすでに愛されている」」




あなたが、辛いことがあって、自信をなくしたとき
「私なんて、誰も愛してくれない」
「私のことを誰も気づいてくれない」
そんな気持ちになったとき、おまじないだと思って


「私は、もうすでに愛されている」


と言ってみて下さいね(心の中だけでも結構ですよ)。



きっと心が温かくなることでしょう。




あなたは、すでにありのままで愛されているのです。

何らかの意味があってこの世に生まれ、今生かされているのです




そんな大切な命を、どうか大切にされて下さいね。



それでは、また。


あなたが、ますます幸せでありますように!

あなたがいてよかった

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平成22年1月12日(火)

 

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 


昨日のお昼すぎ、家族4人と子犬とで、家の近くを散歩しました。

頬をとおる風は冷たく、手もかじかむのですが、
日なたにいると、温かな日差しが
次の季節は春なんだということを教えてくれます。

冬来たりなば、春遠からじ。

なんですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は「愛か怖れか」というお話の続きです。
人の心にある「怖れ」とはどういうものがあるでしょうか。


中心となるのは、自己に対する無価値感、
自分は価値のない人間じゃないか
という怖れです。

人から嫌われるのではないか
人から軽くみられるのではないか
そして最たるものは、人から存在を無視されるのではないか

人は、心の底でそんな「怖れ」を抱えながら人と人の間に生きています。


自分の存在を無視されること
自分の存在に気づいてもらえないこと

人にとって、これほど傷つき、辛いことはありません。

いじめにもいろいろなパターンがありますが、
「しかと」されること、存在を無視されるというのは、
最たるいじめといっていいでしょう。


マザーテレサは、愛の反対は何ですか?とたずねられて

「愛の反対は無関心です」

と答えました。

愛の反対は、憎しみや恨みではなく、「無関心」。
誰からも、関心を寄せられないこと、存在を無視されること。
放っておかれること・・・


つい先日、日経新聞に、マザーテレサを取材した
映画監督千葉茂樹さんの記事が掲載されていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「死を待つ人の家」を中心に撮影した。
瀕死の路上生活者が毎日運び込まれ一人ずつ面倒をみる。
間もなく彼らは亡くなっていく。
「無駄ではないか」との思いがよぎった。
だがマザーは言う。

「人間にとって最大の不幸は必要とされないこと。
あなたは必要な人であり、望まれて生まれた。
生きてきてよかったと思ってほしい。それを伝えたいのだ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


人間にとっての最大の不幸は必要とされないこと、か・・・


その言葉をかみ締めます。


人は、誰でも、誰からも自分の存在を認められないことほど
辛いことはありません。悲しいことはありません。

そんな時、
「あなたがいてよかった」
「あなたは必要な人だ」
たった一言でも誰かにそう言ってもらえたら、
人は、どんなに救われることでしょうか。


不幸の反対が、幸せですから、
人を幸せにするためには、その存在を認めるということになります。
その人を大切な存在として必要とするということです。

「あなたがいてよかった」
「あなたに出会えてよかった」
「あなたは、私にとって大切な存在です」

という存在を認めるメッセージを伝えることです。


愛ある言葉というのは、すなわち、存在を認める言葉なんですね。
「あなたがいてよかった」とストレートに存在を認める言葉の他に

「ありがとう」
「がんばったね」
「キミのおかげで助かったよ」

といった感謝やねぎらいの言葉も、相手の存在を認める愛ある言葉です。


そして、

後ろ姿を見えなくなるまで見送ること
仕事で疲れた旦那さんのためにおいしい料理をつくること
奥さんの話をよく聞くこと
子どもをぎゅっと抱きしめること
温かな笑顔をむけること

そのような行動も、存在を認める愛ある行動ですね。


そんな愛ある言葉、愛ある行動をができるならば、
すなわち優しさ配りができるならば、
人は、人を幸せにできるのです。


あなたには、好きな人、大切な人がいますか?


おそらくいるかと思います。


では、そんな好きな人、大切な人を、幸せにしてあげたいですか?


もちろんあなたにとって大切な人ですから、
幸せにしてあげたいはずですよね。
決して不幸になんかにはなって欲しくはないですよね。


そうだとするならば、あなたは、一体どうすればいいのでしょうか?


あなたの大切な人を幸せにするためには、
どのような行動を選択すればいいのでしょうか?



そうです。

あなたは、あなたの大切な人に対して
「あなたがいてよかった」
というメッセージを伝える愛ある言葉や行動をすればいいわけです。


あなたは、現在、実践されていますか?


すでに実践している?

おお、それは、素晴らしい!

おそらくあなたは、今幸せに生きていらっしゃるのではないでしょうか。
その調子で、ますます存在承認のメッセージをあなたの大切な人に
注ぎ続けていって下さいね。


え?恥ずかしくて、面倒くさくてやっていない?

そうですね。お気持ちは分かります。
私もそうでしたから。

確かに「あなたがいてよかった」という存在を認めるストレートな言葉は、
照れてなかなか言えないかも知れません。
今さら・・・という気持ちも分からないではないです。

でも、何かの記念日、誕生日や結婚記念日とかなら、言えませんか。
言うのができないのなら、メッセージカードで
一言添えてみたらいかがでしょう。

「お母さんへ

お誕生日おめでとう!
お母さんが僕のお母さんで本当によかったです」


という感じで。

そして「あなたがいてよかった」は無理でも
「ありがとう」は言えないでしょうか。

どんなことでも、何かしてもらったり助けてもらったら
「ありがとう」という。
口癖のように「ありがとう」を連発する。


親しい人、特に家族の間では、そんなこと分かっているよという
感じで言わないままにしがちかと思いますから、
むしろ家族や親しい人に対してこそ意識して「ありがとう」
と言うことが大切かなと思います。


家族の間、特に夫婦の間でぎくしゃくしてしまうのは
「ありがとう」の言葉、つまり感謝の気持ちが、
枯渇していることが多いのではないでしょうか。


ですから、特に、夫婦の間で、溝ができてきたかなという方、
これ以上溝が深まって修復が困難にならないように、
これからすぐにでも「ありがとう」を
連発していただきたいなと思っています。


あなたの大切な人の存在を認めるということ
「あなたがいてよかった」という思いをあなたの大切な人に伝えること
この行動が、あなたの大切な人を幸せにします。


そして、あなたとあなたの大切な人との間で、
温かなつながりが生まれ、あなた自身も幸せになるのです。


さあ、どんどん「あなたがいてよかった」メッセージを
大切な人へ伝えていきましょう!



最後に私からあなたに一言。


私は、こうして私の言葉を受け取ってくれる

あなたがいて本当によかった

心からそう思っています。



ありがとうございました。


※関連のお話です。
日々たくさんのありがとうを

優しさ配り

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平成22年1月10日(日)

 

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
平成22年がスタートして一週間が経ちましたが、
調子はいかがですか。
目標に向かって何か行動されていますか?

スタートダッシュ成功の方はその調子で。
私のように今ひとつの方は、これからですよ。
がんばっていきましょう!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、昨年大晦日のブログで、
「幸せに生きるためには、
怖れの存在を排除せずに受け容れた上で、
愛、すなわち思いやりや優しさをベースにした行動を選択すること」
が大切だとお話しました。

※受容-そこにいていいんだよ
http://www.ayame-law.jp/article/13604055.html


今回は、その各論的なお話、幸せになるための行動について
お話ししたいと思います。


自分の怖れや弱さ、心の闇を受け容れるためには、
弱さを含めた自分自身が素晴らしい存在、
価値ある存在であるという信頼がなくては、難しいところです。


あなたの側にいる人、例えばご両親、ご主人や奥さん、
上司や同僚たちが、あなたの存在を認めてくれる優しい方であれば、
自分は価値ある存在であるという信頼感は持ちやすいでしょう。
そんな認めてくれる人がいるということは、とても有り難いことです。

では、そんな人が残念ながらあなたの側に

いない場合にはどうすればよいのでしょうか。


そんな環境にある以上、幸せになることを
あきらめなければならないのでしょうか。
誰か、認めてくれる人が現れることを、
じっと待つしかないのでしょうか。


いいえ、そんなことはありません。


たとえ今、あなたの存在を認めてくれる人がいないように思えたとしても、
あなたが誰にも必要とされていないと思えたとしても
幸せになることをあきらめる必要なんかありません。


いったいどうすればいいのでしょうか?


あなたのことを認めてくれる人があらわれるのを神様にお願いする?
認めてくれる人を探す?
私に気づいてと何か目立つことをする?

しかし、おそらくは、じっとしていても、神頼みしても、
うろうろ探しても、自己顕示をしても
認めてくれる人は、なかなかあらわれないでしょう。


では、いったいどうすればいいのでしょうか?
何か方法はないのでしょうか。


他人を変えることはなかなかできませんが、
自分を変えることはできます。
自分の行動を変えることは、これからできるのです。


こんなお話があります。


大地震のとき、がれきで生き埋めになっている救出作業を
している人のそばを、暴走族が通り過ぎようといました。
救出作業をしている人は、
「お前さんは人を見殺しにするのか。一緒に助けて欲しい」
と暴走族の男に頼みました。

暴走族の男はしぶしぶ救出作業を手伝いました。
そして、救出の結果、無事がれきに生き埋めになっていた人
が助け出されました。

すると暴走族の男は、救出された人から
「あなたは、命の恩人です。本当に、本当にありがとうございました」
と涙ながらに感謝されたそうです。


「えっ?今まで誰からも毛嫌いされていたこんな俺のことを、
命の恩人だなんて・・・
こんな俺でも感謝されるんだ。ありがとうっていわれるんだ・・・」
と男も泣きました。

「こんな世の中なんてつまらないと思っていた。

俺たちは邪魔な存在だ、暴れてやれと思って
今まで俺は、バイクで走り回っていた。
誰からも虫けらのように毛嫌いされていた。

でも、こんな俺でも人を助けたことで、ありがとうって言われた。
ああ、そうか。そうなんだ。こんな俺でも誰かを助ければ、
その誰かからありがとうって言われるんだ。」

そう暴走族の男は気づいたのでした。
そして、男はその後、暴走族をやめ、
バイクを使った震災物資の搬送ボランティアを一生懸命したそうです。



暴走族の男は、夜中にバイクを爆音を響かせて乗り回し、
人々に迷惑をかけていました。
自分なんて意味がない人間なんだと無価値感にとらわれていました。


過去に人に迷惑をかけ、自分を無価値だと思っていた男でも
人を助ける自らの行動で、感謝され、
自分の存在価値を確認できました。
自分は、生きる価値のある人間だと認めることができたのです。


男がしたこと。
それは、人を助けるという愛ある行動でした。


その愛をベースにした行動が、変化を起こしたんですね。


では、もしも仮にあなたが誰からも必要とされていない
と打ちひしがれていたとしたら、
あなたは一体これからどうすればいいのでしょうか?


そう、あなたから始めればいいのです。
あなたから、愛をベースにした行動を人に対してすればいいのです。


愛ある行動をすれば、あなたの心のカップに、
自分は存在価値のある人間だという実感が湧いてくるのです。


また、愛ある行動をした相手によっては、
「ありがとう。キミのおかげで助かったよ」

と愛ある言葉が返ってきて、あなたのカップの水はさらに増すことでしょう。


存在価値の水は、優しい誰かや環境待ちにすることなく、
自分自身の行動によって、増やすことができるのですね。


他人や環境待ちでなく、自分が動くことで、
存在価値の水を増やせるのです。


ならば、じっと誰かが助けてくれることを待ってたりしないで、
あなたから、側にいる人に思いやりある行動をしてみましょう。

大切な人、好きな人、縁あってあなたの目の前にあらわれた人に
愛ある行動=優しさ配りをしてみましょう。

「ありがとう」
「がんばったね。」
「キミのおかげで、本当に助かるよ」

そんな優しい言葉を投げかけることを習慣にしてしまいましょう。
そんな優しい言葉に沿った愛ある行動を習慣にしてしまいましょう。

そこから、きっと素敵な変化が訪れます。


そして、あなたは、きっと実感することでしょう。
「自分は素晴らしい人間だ」ということを。
そして
「自分は多くの人々に愛されている」ということを。 


そのとき、あなたは間違いなく幸せな気持ちに包まれています。


今がどんなに淋しくても、誰にも見向きされなくても、
自分発の愛をベースにした行動、優しさ配りから、
これから幸せになることができるのです。


さあ、これからあなた発の「優しさ配り」をどんどんしてみてくださいね!


きっと幸せになれるはずです。

・・・・



と言いながら、実は、今日のお話も、つい恥ずかしさに負けてしまって
「優しさ配り」ができない私自身に一番聞かせたいお話でした。


がんばろうっと。


それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!



※関連のお話です。
心の幸せカップ2
http://www.ayame-law.jp/article/13404566.html

H22.1.30法教育シンポジウムのお知らせ

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平成22年1月6日(水)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

仙台では、昨日から強風が吹き荒れています。 

 

さて、今日は、「法教育シンポジウム-未来拓く法教育inせんだい」のお知らせです。

 

このシンポは、法務省が主催で、文部科学省、最高裁判所、日本弁護士連合会が共催しています。

 

日時は、2010年1月30日(土)午後1時30分から午後5時(開場は午後1時から)

会場は、仙台市青年文化センター(仙台市営地下鉄旭ヶ丘駅近く)

です。参加費は無料で、どなたでも参加できます。

 

 

シンポの目的ですが、 

チラシの文言を引用しますと

「法教育は、法やルールの背景にある考え方や司法制度の機能・意義の理解を通して、

子どもたちに考える力、公正な判断力を身に付けさせるものです。

昨年5月に裁判員制度が実施されたことを踏まえ、

法教育の意義と実践の在り方を考えるため、

学校現場における法教育の実践報告を軸としたシンポジウムを開催します。」

 

 

プログラムは、

大村敦志先生(東京大学教授)の基調講演「法教育と市民教育-共通点と相違点-」

宮城教育大学附属小学校教頭の荒明聖先生の「学校現場における法教育実践報告」

(実際に小学4年生を対象にして行われた法教育授業の録画ビデオを公開する予定です)

 

その後、「新時代の法教育~学校現場で期待される法教育とは~」

と題としてパネルディスカッションが行われます。

 

ゲストパネラーとして、キャスター・リポーターとして活躍されている

東海林のり子さん(「3時のあなた等のワイドショーで、

レポーターで「現場の東海林です」と言っていたあの方です)

の他、法教育に詳しい方々

大倉泰裕さん(文科省教科調査官)

大村敦志さん(東大法学部教授)

島田仁郎さん(前最高裁判所長官)

松岡尚敏さん(宮城教育大学教授)

がパネラーです。

 

あと、このそうそうたる顔ぶれの前で、

全く役不足で申し訳ないのですが、私も弁護士枠でパネラーとなっています。

 

コーディネーターは、

大谷太さんです。

大谷さんは、現在仙台家庭・地方裁判所判事補ですが、前任は法務省司法法法制部付検事

として法教育に大変熱心に携わった方です。

 

そもそも「法教育って何?」という方が、多いかも知れませんが、

これから大いなる可能性を秘めたものであり、とても大切なものだと私は思っています。

 

法教育は、私の信条である「愛(個人の尊重)をベースにした温かい社会」

づくりにつながる軸となる活動であると思っています。

 

 

法教育って、一体何?

どういうことをするの? 

どんな可能性があるの?

やってどんないいことがあるの?

これまでの教育(学校教育・法学部教育)と何が違うの?

 

そのようなことを出来る限り分かりやすく一般の方へお伝えできれば

と思います。

 

もし、お時間が許すようであれば、ぜひご参加下さい!

 

 

法務省のHPにあった法教育シンポのチラシデータです。

詳しくはこちらをご覧いただければと思います。

「法教育シンポジウム-未来を拓く法教育in仙台」

 

*おかげさまで、無事終了しました。

私は、シンポで次のようなお話をしました

「法教育」って何だろう?

自己肯定感と法教育

今、私、生きている

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平成22年1月5日(火)


こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 

昨日から仕事はじめの方もおられるかと思いますが、
お正月はのんびり過ごされましたか。


私は、のんびりし過ぎてしまい、
お正月の間に、家で仕事の書類を作成しようと、
重い記録を持ち帰っていたのですが、
結局記録を一度も開かずに(ああ、情けない・・・)
今朝、そのまま事務所に、重いカバンと重い気分を抱えて出勤しました。

でも、事務所にでてみると嬉しいメールが入っていて
一気に明るい気分になり、
夕方までに何とか書き上げることができました。

あ~よかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は、あなたに質問があります。

しかし、重い質問ですので、いま深い悩みを抱えているとか、
落ち込んでいる方は、気持ちが落ち着く
までは、この先は読まないようにしてください。


それ以外の方にとっては、
自分を見つめるよいきっかけになる質問かと
思いますので、ぜひゆっくり思い出しながら答えてくださいね。


それでは、質問です。







あなたが、5年以上前に、一番辛かった時期はいつですか?

それは、どんな出来事で辛かったのですか?









ゆっくり一人落ち着ける場所で、思い出してください。
ゆっくり、ゆっくり辛かったことを思い出してください。


ただ、とても辛い、耐えられないという場合は、
決して無理をしないでください。

また、思い出す過程で、現在進行形の悩みや辛さも
同時に感じてしまう場合にはやめて下さい。



5年以上前の、既にあなたの中で「過去の出来事」となった
一番辛いことを思い出してみましょう。


ここで、目をつむって、深呼吸をしてもいいかも知れません。



いろいろな思いでが湧いてくると思います。



小学生のころ、病気で、ひとりぼっちだったこと。

中学生のころ、いじめられたこと。

高校生のころ、好きだった男の子から、酷いことを言われたこと。

大学受験で、不合格になったこと。

社会人になって、好きな人ができ、ずっと一緒と誓ったのに、
別れてしまったこと。

6年前、リストラにあって、次の就職先もなかなか決まらなかったこと。

愛する人を事故で亡くしてしまったこと・・・



・・・・・




辛かったですね。


本当に辛かったでしょう。


そんな辛い経験をして、よくこれまで頑張ってきましたね。





右手を開いて、心臓に手をあててみてください。


動いています。

あなたの心臓、確かに動いていますよね。



そう、あなたは今、生きています。


あんなに辛かったことがあって、
それでもなお、あなたは今までの人生をこうして生きぬいてきたのです。



すごいことじゃないですか!


今、生きることが辛くて、
日本では年に約3万人もの人々が自ら命を絶ってしまう時代です。


そんな時代を、あんな辛いことがあっても、あなたは、生きてきた。
そして、今、こうして生きている。

あんなに辛かったのに、あの辛さを乗り越えて生き抜いてきたんです。
素晴らしいことです。


誇りを持ってください。



そして、あなたは、あの辛い出来事から、何かを学びました。
人生における大切な意味を学びました。

それは健康のありがたさかも知れません。

人の心の痛み
人の優しさ
自分と同じ痛みを感じている人に寄り添おうとする愛・・・

そんなことを学んだかも知れません。


あんなに辛かったことは、もしかすると、
あなたにとって必要な出来事だったのかも知れません。


あなたなら乗り越えられると与えられたものだったのかも知れません。



あんなに辛かったことを乗り越えてきた素晴らしいあなた。



せっかくだから、あの辛い出来事を最大限生かしてあげてみませんか。

 

あなたの大切な人に、あの辛い出来事を乗り越えてきた

あなただからこそできる優しさを配ってあげてみてはいかがですか。


実際に体験した者でなければ分からない心の痛み、
そしてその心の痛みを知るものしかできない行動が必ずあるはずです。


あなたなら、きっと辛い体験を生かした優しさ配りが出来るはずです。


そして、優しさ配りが出来たとき、
あなたは、心の底から湧き上がってくる
温かな感情に満たされることでしょう。


幸せな気分になれるでしょう。


あなたが、これからも生き抜いて、あなたの大切な人に
優しさ配りができることを祈っています。

 

 

それでは、また。

 



※関連のお話です。
起きることには意味がある

すべては「思い」から

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平成22年1月1日(金)

 


あけましておめでとうございます。
 
神坪浩喜です。
 
さあ、平成22年、2010年がスタートしました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

あなたは、今年という年をどんな色に彩っていきたいですか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

年の初めにあたって、今年の夢や目標を立てられる方も
おられるかと思います。

あなたは、その夢を叶えたいですか。
その目標を達成したいですか。

当然叶えたいですよね!
だからこそ、あなたは夢や目標をたてたわけです。



であれば、その夢や目標をぜひ紙に書いてください。
それで、達成する確率はかなり高くなってきますから。



「紙に書こう会」代表で、
紙に書くことのパワーを実感している私としては、
大切なあなたには夢を叶えて欲しいので、
ぜひともこの機会に紙に書いていただきたいと思います。


人に見せる必要はありません。
自分一人で紙にこっそり書いて、
机の引き出しに入れておくだけで
構いません。

時々眺めて、目標を達成したときの感覚をイメージできるならば、
なお効果的です。


よく夢や目標は人に言う、宣言するといいという方もいますが、
かえってプレッシャーになってしまうこともあったり、
中には、あなたの夢にブレーキをかけてくる方もおられるので、
自分の性格や環境から見て、人に言うマイナス要因が大きいのであれば、
夢や目標は、人に言わなくても構いません。


もちろん、もしも、あなたのことを信頼し、
応援してくれる方がいるならば、
夢実現の大きな推進力になりますので、夢や目標を伝えてみて下さい。
(私にあなたの夢を教えていただければ、あなたを応援しますよ!)


ほとんどの方は、漠然と頭の中で、「○○○○だったらいいなあ」
と考えているだけで、自分の夢や目標を明確にすることはしません。


さらに、紙に書き出す人は滅多にいないかと思います。




本からの引用なのですが、ある大学の卒業生を
卒業後しばらくして調査した結果がありました。

3%・・・・・飛びぬけた社会的成功を収めている
10%・・・・余裕のある暮らしをしている
60%・・・・やっと生計を維持している
27%・・・・何らかの援助を必要としている

彼らにはそれぞれの行動に共通点があることが分かりました。

3%・・・・・将来の夢や目標を紙に書いて持っている
10%・・・・心に将来の夢や目標を描いている
60%・・・・漠然とした夢を持っている
27%・・・・夢を持っていない



だったそうです。
ちょっと「ぞっ」としません?


データの信ぴょう性について、
全く疑問がないわけではありませんが、

「明確な夢や目標をもっていること」

そして

「夢や目標を紙に書くこと」

が、夢を叶え、目標を達成する強力な手段であることは、
私の体験からみても納得できることです。


それに、夢を明確に持ち紙に書き出すことには
全くリスクもないですし、労力も、お金も時間もかかりませんよね。
単に、夢を描いて、紙に書くだけですから。

「そんなことしたって・・」

「え?まさか、そんな簡単なことで?」


そう思われる方にこそ、ぜひ試してみていただきたいなと思います。


紙に書いて夢が叶わなかったら、カッコ悪い?恥ずかしい?

ちょっと待って下さい。

一体誰にカッコつける必要があるのですか?
誰に恥ずかしがる必要があるのですか?


ここはダメもとでやってみましょう。
そんな簡単なことで夢が叶えばラッキーじゃないですか。


一旦紙に夢や目標を書いてしまうと、楽できなくなる!?


うん。その気持ちは、よ~く、わかります。

例えば、ダイエット。
「○○キロ痩せる!」という目標を立てるとき
それは食事を制限したり、運動をしなければならないという
プレッシャーを自分にかけることでもありますからね。


どこかで、そんなプレッシャーが嫌で逃げている部分もあり、
目標を紙に書き出せないこともあるでしょう。
紙に書くと、おいしい料理を目の前にしたとき我慢することや
運動をしないことについて、言い訳できなさそうで・・・


ここは、本気でその目標を達成したい、
どうしてもダイエットしたいと思うのならば
その迷いを断ち切って「○○キロ痩せる!」と、
えいやっ!と書いて下さい。
(結構、勇気がいるところですが・・・)


実際に夢や目標を紙に書き出してみると分かるのですが、
夢や目標を紙に書き出した時点で、あなたの夢実現スイッチがON
になり、それに関連する情報が目に入ってきたり、
関係する人と出会ったりしてきます。


あの憧れのクルマを手に入れたいと思えば、
そのクルマが目に飛び込んでくるようになります。


あの憧れの職業につきたいと思えば、その職業に関する情報が
入ってきたり、その仕事をしている人と出会ったりします。


どなたかがおっしゃっていたのですが、
散歩のついでに富士山に登った人はいません。

なるほど、その通りだと思いました。
確かに富士山の頂上に立った人は、
すべて富士山に登ろうと自分で決めた人です。
散歩のついでにふらっと富士山に登った人はいないでしょう。


私も、弁護士になろうと思って、弁護士になりました。
家を建てようと思って家を建てました。
妻と一緒になろうと思って一緒になりました。
江坂さんに、スタッフになってもらおうと思って、
頑張ってお願いをしてスタッフになってもらいました。


すべて、「思い」からスタートしているのですね。

そして、憧れが強く、実現が難しいと思われる夢や目標であるほど
その「思い」は明確かつ強固なものであったと思います。


もちろん、すべての「思い」が実現されるわけではありません。
世の中、そんなに甘いものではありません。


「思い」は、あっても、何ら努力をなければ実現しないでしょう。


それに、「人の縁」や「運」というのもあり、
例えばどんなにその人と結婚したいと思っても
縁がなく、結婚できないことだってあるでしょう。


「思い」は必要条件であって、十分条件ではないのです。


しかし、実現しようとした結果への「思い」があったからこそ、
その「思い」が実現されたのです。

「思い」がないところでは、思った結果が実現されることはありません。


思うのですが、人生というのは、自分の「思い」を縦軸として、
「人の縁」や「運」を横軸として織りなしていくもの
なのかも知れませんね。


とにかく確実に言えることは、まず「思い」ありきということ。

 

すべては「思い」からはじまるということ


そして「思い」が明確かつ強固であるほど、
その思いは実現しやすくなります。


自分の夢や目標を紙に書き出すことは、
「思い」を明確かつ強固にする手法として
簡単かつ効果的なものです。


だからこそ、夢や目標を紙に書き出すことで、
夢や目標が実現しやすくなるのでしょう。


夢や目標は、いつでも紙に書き出していいのですが、
年頭は、夢や目標を持つこと、そして紙に書き出すことの抵抗が少なく
気持ちも前向きになりやすい、絶好の時期だと思います。


ですから、もし、まだ夢や目標のない方やそれを
紙に書きだしていない方は
この機会に、ぜひぜひ書き出してみて下さいね!


あなたの夢が叶いますように!

 

 

それでは、また。

 


※関連のお話です。


「紙に書こう会」会員募集!

幸福追求権

受容-そこにいていいんだよ。

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平成21年12月31日(木)


 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
今日は平成21年の大晦日。
1年で最後の日です。 

この1年を振り返ってみて、あなたは
誰に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えたいですか?

もし言えるのであれば、面倒くさがらずに
恥ずかしがらずに「ありがとう」と伝えてみてくださいね。
伝えることができたなら、
きっと、今年を気持ちよく締めくくることができると思いますよ。
 
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今年の1月からはじめたメルマガもおかげさまで
1年で67号まで配信することができました。

こうして読んでくださるあなたの存在、
そして中には温かな感想や励ましを下さる方の声もあって
ここまで続けることができたと思います。

 
本当にありがとうございました。

 
私自身の1年を振り返ってみますと、この1年は
心を動かされることが多かった1年でした。


読んでくださる方の幸せにほんの少しでも貢献したいな
悩みや辛さを抱えた人の励ましやヒントになれば
いいなと書いていたのですが、
実は私自身が、一番、幸せな気持ちになったり、励まされたり
していたのかも知れません。


メルマガやブログは「幸せ」と「法」をテーマにしているのですが
メルマガやブログとともに歩みながら、幸せに生きるための考え方って
何だろうと考えていくうちに
幸せに生きるための一つのキーワードに行き着きました。


どんな言葉だと思います?





それは「受容」です。




受け容れるということです。

排斥や排除、無視ではなく、
ありのままの存在を認めてあげるということです。



以前、人が幸せに生きていくためには
他者と温かなつながりをもてること
そのためには、「自己肯定感」がとても大切であるということを
お話しました。

ホメホメ達人
  

自己肯定というのは、言い換えれば自己受容です。
ありのままの自分を価値ある存在であると
受け容れるということです。

「受容」こそが幸せに生きるための出発点、
原点ではないかと思うようになってきました。


しかし、自己受容って、現実にはなかなか難しいですよね。


両親をはじめ大人から、褒められて育つことがなく
叱られたり、ダメだしされることがむしろ多いというのも原因でしょう。


それから、自分自身の中の「心の闇」をうまくコントロールできないことも
原因なのではないかと思っています。


誰も心の中は、単純ではありません。
心の中は複雑で、100%単色ではありません。
ちょっとしたことで、ころころ変わるのも心です。


そして、どんないい人でも、優しそうな人でも、程度の差はあれ
心の闇、意地悪な心、嫉妬心や利己心、虚栄心をかかえ生きています。
(もちろん私もそうです)
 

そして、自分でも存在を認めたくない弱さ、淋しさを持っています。


そんな自分の中の心の闇や弱さ、淋しさとどう付き合っていくかが
幸せに生きるポイントとなっているような気がしてきました。


多くの人は、そんな心の闇、弱さや淋しさを
認めたくなくて、自分は強いんだ、優秀なんだ、人とは違うんだ等と
無視したり抑圧して、強がってしまいがちになります。


あるいは、心の闇、弱さや淋しさに支配されて
「自分なんて」と身動きがとれなくなり、
自分の殻に閉じこもってしまって
他者と温かなつながりをもつことができなくなってしまいます。


私自身、自分の心の弱さ、心の闇が嫌で、
無視し抑圧しようとしていました。

無理に強がってみせたり、
「どうせ自分なんて」
と自分の殻に閉じこもってしまったこともありました。


弱さや淋しさを消して、自分の中から排除してしまえば、
あとは強い心、明るい心、善なる心だけが残って、
自分で自分を許せる人間になる、
他者と温かなつながりをもつことができる・・・
そんな風に思っていました。



しかし、その考えは、間違っていました。


心の闇、弱さや淋しさを無視しようとすればするほど、
抑圧しようとすればするほど
心の弱さや心の闇は、抵抗し、疼き、
暴れだし自己主張をしてくるのですね。

心を支配してくるのですね。


そこに心の平穏はありません。
心に余裕は生まれません。

どこかで無理をしているようで、
とても他者と温かなつながりは持てないのです。


「こんなの自分じゃない」

「自分は本当はもっと悪い人間だ」
「自分は、自分らしく生きていない」


とそんな歪んだ感覚が自分の心の奥底に澱のようにたまっていくのです。


そして心が錆びついていくのです。


人が人とつながろうとする動機、人の行動の動機をつきつめれば
「愛」と「怖れ」の2種類しかないということをお話しました。

愛か怖れか



そのことを意識して、できるかぎり「愛」を選択しようとすると、
人と温かくつながりやすいということでした。


このようなお話をすると、
「愛が善であり、怖れが悪ということだね」
と二元論的に考えて、
怖れの存在を否定し、怖れを無視し、
排斥しようとする方もおられるかも知れません。


でも「怖れ」自体を心から排斥することは不可能ですし、
排斥しようとすると逆に暴れ出します。逆効果です。


怖れはあっていいのです。
怖れの存在は認めていいんです。
そして怖れは、生きている限り、
いつも人の心のどこかに必ず存在するものなのです。


私がお伝えしたいこと


それは、怖れを悪者扱いをして排斥しようとするのではなく、
怖れの存在を認めながら、「愛」を選択して下さいということです。


怖れ、すなわち、心の闇、淋しさ、不安に対して
「そこにいていいんだよ」
と存在を受け容れながら、
それでもあなたは怖れに支配されずに
「愛」ある行動を選択してくださいということなのです。

 
ですから、無理に、自分の中にある、あなたの中の「怖れ」
心の闇、弱さや淋しさを無視したり、
抑圧したり排除したりしないでくださいね。

 
怖れを排除しようとすると
愛ある行動をとりたいと一方で思っているのにどこかで
心にブレーキがかかってしまうのです。
 
神ならぬ人間に怖れは排除できるものではありません。
人間としてできることは、怖れの存在を受け容れつつ、
怖れに支配されないということです。 

 
それに、あなたにある淋しさや孤独への不安も
あなたの大切な一部なのです。


あなたらしさを構成する大切な一部分なのです。
「そこにいていいんだよ。」
そう自分の弱さを受け入れたとき、不思議と落ち着いてきます。
コントロール可能になってくるのです。


私は、怖れ、自分の中の心の闇や弱さを受容したとき、
排除せずに受け容れることに決めたとき
自分の内側に向いていたエネルギーが、外へ開かれるようになりました。


心の闇や淋しさを無視し排斥しようと内に向いたエネルギーを、
周りの人に思いやりや優しさを配ることに使える余裕がでてきたのです。
(まだまだ安定はしていませんが、
心の持ち方のコツは何となくつかんできました)
 

実に不思議な感覚でした。

「あ~これでいいのか!こうすればいいのか!!」

とドラゴンボールで孫悟空が、はじめてスーパーサイヤ人
になったときのような大きな変化が心の中で起こりました。
(変な例えですみません・・・)


強がる必要はありません。

誰かを見下す必要もありません。
自分の存在価値を証明しようとする必要もありません。

自分をダメだと思う必要もありません。



ただただ、周りの人、自分が大切だと思う人に
優しさや思いやりを配ろうとするだけでいい。 


自分も弱くて、淋しい。
そして他の人も、弱くて淋しい。

どんなに堂々としている人でも、強がっている人でも、
どんなに社会的地位のある偉い人でも
心のどこかで、不安や淋しさを抱えているものなのです。


決してあなただけではありません。


そこが出発点なのです。
そこから始まるのです。


淋しくて不安だからこそ、人は他者と温かなつながり
をもちたいと願い、つながろうとします。


そして、不安や淋しさを受け容れつつ、愛をベースにした
行動を人に対していけば、人と温かくつながることが
可能になってくるのです。

 
あなたが心を開き、怖れではなく愛をベースにした
行動をとることができるならば、
あなたにとって必要な人とは、自然と出会い、
あなたとラポール(信頼関係)が築かれていくことと思います。


幸せに生きるためには、
怖れの存在を排除せずに受け容れて、
愛、すなわち思いやりや優しさをベースにした行動を選択すること


今日のお話では、この流れを、ぜひ押さえて欲しいなと思います。



今回のお話は、抽象度がかなり高く、難しかったかも知れません。
おそらく一度では、ピンとこないと思います。
「この弁護士、一体何言ってるのだろう?」
と思われたかも知れませんね。


しかし、私としては、
幸せに生きるための核心中の核心のお話だと思っていますので
大切なあなたには、折りに触れて読み返していただいて、
ぜひ理解していただきたいなと思っています。


各論的なお話、具体的な心の持ち方や行動の提案については、
また次回以降にお話ししたいと思います。


※関連のお話です。
人を人として大切にする-個人の尊重

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今年も、あなたには大変お世話になり
本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、よいお年を。

来年という年が、あなたにとって素敵な1年になりますように!!

そして、私が、少しでもあなたの幸せに貢献できますように!

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