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日記・コラム

法律事務所で働く喜び

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平成21年12月29日(火)
 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
いよいよ今年も残すところあと3日。
いつものことながら、この時期、
1年があっという間に過ぎ去ったと感じます。

このブログやメルマガは、自分の心の奥底にある思いを
くみ取りながら言葉を紡いでいるのですが、
自分で書いておきながら、
時に「え?私ってこんなこと考えていたの!」
と自分で驚くこともあります。

何かとても不思議な感じです。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、前回、倒産する会社の従業員さん(佐藤さん)が、
自らの今後の不安をかかえながらも
しっかりその「船をきれいに沈める」仕事をまっとうされたお話をしました。

沈みゆく船の中で

 


そして、佐藤さんに会社の破産手続が無事終了したことの
連絡をしたところ、佐藤さんより嬉しいメールが届き、そのメールを
ご紹介しました。


その佐藤さんからの返信メールを受け取った時、
とても嬉しくなって、
当事務所スタッフの江坂さんとこの喜びを分かち合いたいと思い、
休日にもかかわらず、すぐに江坂さんの携帯に転送をしました。


そうしたら、江坂さんから、返信メールがきました。

江坂さんからのメールも、佐藤さんのメールで感動しているところ
さらに私の胸を打つ素敵なものでした。

 

===========================

神坪先生へ


佐藤さんのメール、拝見しました!
 

法律事務所に勤めて本当によかったと改めて感じ、
佐藤さんも新しい人生をスタートしていることを知り、
自分のことのように幸せな気持ちになりました。


事務所にいらっしゃるお客様は、
皆さん辛い悩みを抱えて険しい顔をしています。


そんなお客様が最後に安心した表情になって帰って行く姿は、
本当に嬉しく、私の頑張れるエネルギーになってます。

 
一年の最後に佐藤さんからのエネルギーをいただき、
来年も沢山の悩みを抱えたお客様に、
あやめ事務所に来てよかったと思ってもらえるよう頑張ります!
 


益々仕事が楽しくなってしまいそう!

 
神坪先生、エネルギーメールをありがとうございました!
 

よいお年をお過しください。


                                                                 江坂容子
=============================


おお!江坂さんって、やっぱり素晴らしい事務員さんだあ!
(身内で褒めてすみません・・・)


思わず、そう心の中で叫び、このような方と一緒に仕事ができて
改めて大変ありがたいなあと思いました。

 

彼女は、法律事務所で働く意味や喜びをしっかり見いだしていて
いるのですね。


江坂さんが、言ったとおり、法律事務所というところは
多くの方が悩みを抱え、辛い思いを抱えながら訪れるところです。


そんなお客さまの辛い表情を、安心した穏やかな表情に変えていく
ことが、弁護士や法律事務職員の仕事であり、
法律事務所というところであることを江坂さんや佐藤さんに
改めて気づかせてもらいました。


どの仕事も大変であるように
弁護士の仕事も決して、楽な仕事ではありません。


あなたが、されている仕事もきっと大変で
辛いことも多々あることでしょう。


法律事務所は、悩みを抱えたり、
困ったりされている方が訪れる場所、
そして、弁護士の仕事は、人々の紛争に立ち入る仕事です。


ですから、人々の重い感情の渦に巻き込まれそうになったり、
その責任の重さから大変だな、
しんどいなと心に余裕がなくなってしまう
ことが正直何度もあります。

そして、法的な問題の解決では、本当の解決にならなかったという
無力感を感じることも・・・


しかし、お客さまの辛い表情が、
事件が解決したときに安心した穏やかな表情に変わって
いく様子を見るというのは、とても嬉しく、幸せな気持ちになれます。


ああ、私たちが、この方の役に立ったんだあ!
ととても嬉しいのです。


人の心の痛みを知り、その辛さを和らげ、
笑顔に変えていくことを役割としている仕事というのは、
実に素晴らしい仕事なんだと思います。


佐藤さんや江坂さんのメールで、あらためて、
弁護士という仕事や法律事務所の
重要な意味を教えてもらった気がしました。

 

ありがとうございました。

 


あなたが、今している仕事の意味は何ですか?


誰の辛い表情を、安らぎの表情に変える仕事ですか。

誰の笑顔をつくる仕事ですか。


誰の役に立っていますか。

誰の幸せに貢献していますか。


実際に目に見えなくても、あなたの仕事は、
きっと誰かの幸せに貢献しているものです。


想像力を翼にして、目に見えない誰かの笑顔を
思い浮かべるといいかも知れませんね。


よろしければ、ちょっと想像してみてはいかがでしょうか。


その時、あなたが、見過ごしていた
仕事の意味に気がつくかもしれませんよ!


そして仕事の意味に気がついたとき、
その仕事が今よりもきっと好きになることでしょう。


そうなったら、素晴らしいですね!


それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!
 

※関連のお話です。
誰かの役に立っている

沈みゆく船の中で

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平成21年12月28日(月)
 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
今日は28日、仕事納め。
いくつかの書類作成をさっさと終わらせて
ごちゃごちゃした机の上を
少しくらい綺麗にしようと思います。

あなたの机の上は、美しいですか?
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、先のクリスマスイブの日に、私が携わった
山形の会社とその社長さんの破産手続が終了しました。


その破産手続の準備は、その会社の女性の社員さんが一手に引き受けて
やってくれました。


会社の破産申立にあたっては、債権者リスト、資産目録、売掛先のリスト、
現金出納帳、陳述書、清算貸借対照表等
様々な書類を準備しなければなりません。


また、倒産するということになると、取引先や借入先との関係から、
程度の差はあれ、一定の混乱が生じるものです。

貸したお金が返してもらえなくなったり、
頼んでいた仕事を予定どおりやってもらえなくなったりすることから、
「一体どういうことなんだ!」
と借入先や取引先から強い口調の電話もあったことでしょう。


そして、何より、従業員の立場からすると、
自分の生活の基盤だった職場が、
消えていくことになるわけです。


そんな「沈みゆく船」をきれいに沈めるために、
仕事をするということは
どれほど不安で辛いことでしょうか。


きれいに沈めることができるだろうか、私の給料は大丈夫だろうか、
そして私のこれからはどうなるのだろう、次の仕事は見つかるだろうか


いろいろな不安が心にうずまくなかで、
冷静に今やるべき仕事を行うというのは
本当に大変なことだろうと思います。


そんな中、この山形の会社の従業員さんは、
そんな不安や辛さを見せることなく
笑顔で、私がお願いした書類の準備を、
きっちりとこなしてくれました。


私も江坂さんも、この方のこと(仮名で佐藤真希子さんとします)
について
「佐藤さんってほんとにしっかりしてますよね」
と二人でよく言っていました。


そして、初めて会社の社長さんや佐藤さんと打ち合わせをしてから、
1年以上かけてようやく24日に、破産手続がすべて無事終了しました。


佐藤さんは、半年くらい前の破産開始決定申立の前の時点で、
会社を辞められていました。


25日に、江坂さんと雑談しているときに、江坂さんが言いました。
「佐藤さんって、今どうしているのかなあ。
佐藤さんって、ほんとに優秀でしたよね。
申立の準備は、佐藤さんがほとんど一人で
頑張ってやってくれたんですよね」

「そうだよね。今頃どうしているのかな。
あ、そうだ!佐藤さんは私のメルマガに登録してくれているから
メールで、すべて手続が終わったことを報告しよう!」


ということで、私は、佐藤さんにメールで、佐藤さんの頑張りのおかげで
無事破産手続が終わったことをご報告しました。


すると、佐藤さんからとても嬉しいご返事がありました。
(佐藤さんの了承を得ましたのでご紹介します)

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


神坪先生、江坂様、事務所の皆様

こんにちは、山形の株式会社Yでお世話になって
おりました、事務員の佐藤真希子です。

先日は、会社と社長についての手続き終了をお知らせ下さ
いまして、本当にありがとうございました。

退職いたしました後も、手続きが順調に進んでいるかどう
か、また、私の作成した書類に不備がなかったかどうか等、
気になっておりましたので、無事に終了したとのお話を聞
きまして、大変安心いたしました。 

…と同時に、身に余るお言葉をかけて頂き、嬉しくて涙が
出てしまいました。

会社の残務整理という、難しい仕事をなんとかこなせまし
たのも、ひとえに神坪先生や江坂様、事務所の皆様が、大
変親切にご指導くださったからです。 

本当に、心より感謝いたしております。

先生のメールマガジンも、いつも大切に拝読させて頂いて
おります。
現在は、新しい仕事に就くことができましたが、Y会社を
退職直後は仕事がなかなか決まらず、大変つらい思い
をしておりました。

そんな時、先生のメールマガジンを読ませて頂いて、何度
励まされたことでしょうか…。
先生のメールマガジンは、私のバイブルとなっております。

勤務先の倒産というのは、大変な事態でしたが、神坪先生
や江坂様と出会えましたことは、大変幸運な出来事でした。

神坪先生、江坂様、事務所の皆様、改めまして、本当にあ
りがとうございました。

皆様のこれからのご活躍を、これからも心より応援致して
おります。(^-^)


                                                             佐藤 真希子

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


自ら勤めていた会社の幕引きをすること
自分の生活基盤だった船を沈めることに携わること

それは、どれほど辛いことでしょうか。
どんなにやりきれないことでしょうか。

そして、これから私の生活、
人生は一体どうなってしまうのだろうという不安・・・


そんな辛さや不安を胸にかかえながらも、
それでもなおきちんと仕事をまっとうされた佐藤さん


佐藤さんのメールを読んで、
そんなことを思うと胸の奥がジーンときて
また涙があふれてきました。


=========================


佐藤さん、辛い中、本当によく頑張りましたね。


あなたの頑張りのおかげで、会社は無事その命を終えることができました。


ありがとうございました。


そして新しいお仕事が決まったとのこと。
よかったですね。本当によかった。


佐藤さんほどの能力と人柄があれば、どの職場でもやっていけると思います。
無理をせず、頑張ってくださいね。

あなたのような素晴らしい方に出会えてよかったです。


これからは、江坂さんや私と友達としてお付き合いして
いただけると嬉しいです。


=========================


法律事務所には、大きく人生の岐路に立つ方も訪れます。

私たちの事務所が、そのような方の心のケアも含めた
お役に立てればと思っています。


それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!
 

 
※関連のお話です。
免責審尋が終わって

愛か怖れか

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平成21年12月26日(土)

こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
クリスマスも終わり、お正月の準備で
ますます慌ただしくなってきました。

あ、年賀状かかなきゃ!
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
今年という1年は、あなたにとってどんな年でしたか?

楽しかったこと、嬉しかったこと、「やった!」という出来事もあれば、
逆に、辛かったこと、悲しかったこと、「がっくり・・」という出来事、
きっといろいろなことがあったことと思います。


私もいろいろありました。
レーシックで世の中がよく見えるようになったからか、
素晴らしい人々との出会いがあったからなのか
やたらと感動することの多い1年でした。


人は、人と人との間に生きて「人間」となる
そして、人は人との温かなつながりによって幸せを感じるもの
そう私は思っていたのですが、
自分の今年という1年を振り返ってみると、
改めてそのことを強く実感した1年でした。


人と出会い、その人の思いやりある行動に助けられ、支えられ、
そして逆に自分が、その人のために何か役に立ちたい、幸せに貢献したい
そんな温かい気持ちを持つことができたこと
それが、幸せということなんだと改めて気がついたのでした。


また、すぐそばにいる人だったのに、
その人から、どれだけ助けられていることか、支えられていることか
に今更ながら気がついたとき、
感謝の気持ちがあふれだし、幸せな気分になりました。

 

私は、人の本質は、愛だと思っています。
「大切な人を幸せにしよう、喜ばせよう」
そういう気持ちが、どんな人でも心の奥底にはあるのだと思います。


そして、そんな気持ち(=愛)をベースにして
人と温かくつながりたい、優しくしたい、優しくされたい
人と人との間で安心して安らぎの中でくつろいでいたい
と誰しも思っているのではないでしょうか。


精神医学者のジャンポルスキー博士は
「愛とは、怖れを手ばなすこと」という本で、

人は、人とのつながりにおいて
究極的には、「愛」でつながろうとするのか
「怖れ」でつながろうとするのか
その2種類しかないと述べています。

「愛を望まない人などいないにもかかわらず、
多くの人は愛を経験できません。
それは過去から引きずっている罪悪感に満ちた怖れが、
今、愛を差し出し、受け取る能力を妨害しているからなのです」

「怖れと愛を同時に経験することはできません。
どちらの感情を望むかは、つねに私たちが選ぶのです。
怖れではなく愛を選び続けることで、人とのかかわりの性質
や本質を変えることができるのです」

私は、この本や自分の経験にてらして、
私たちは、究極のところで、愛か怖れかを選びながら、
人の間で生きていることを知りました。


そして、自分が愛か怖れかを選ぶことができ、
愛を選択しようとすることが
生きる上でとても大切なことだと気づきました。


私もふくめ、多くの人がしてしまいやすいのは、
愛ではなく怖れをベースに行動を選択しがちなことです。


それは、自分に自信がないから。
自分は価値ある存在だと感じる「自己肯定感」が貧弱だから。

 

「怖れ」それは、不安な自分、自信のない自分、
人から受け容れられないことへの怖れです。
人がやってしまいがちなのは、
欠乏した自己肯定感を他者との関係で満たそうと、
人をけなし、人の悪口をいったりして、
優越感を得ることによって、自分を保とうとしたりします。
他者の不幸や失敗にほくそ笑みます。
それは相対的に自分の価値が上がるような錯覚が持てるからです。


しかし、自分の存在価値証明のために、他者をけおとし、
強さや優秀さを自己顕示し、人から認められようとするところに、
安らぎはありません。
優越感は本当の「自己肯定感」にはつながりません。


逆に、そんな怖れに支配されている人は、
ますます孤独になりがちです。
他者と温かなつながりを持つことはできません。
心が閉じて、攻撃的になっていては、
真の意味で人とつながることができないからです。


でも、誰しも、本当のところは、
人は人との間で温かなつながりを持ちたいと思っています。

淋しい、誰かにわかってほしい、だから人とつながりたい
と思っています。

でもそんな気持ちを言葉に出すこと
そんな気持ちが心の奥底にあることなんて知りもしないのが普通です。

いや、どこかでそんな気持ちがあることに気がついていながら
それを認めると負けになりそうで、惨めになりそうで
抑圧したり、無視したりします。


私もそうでした。いや、今でもそんな気持ちが少しあります。
これからもずっとあるでしょう。


でも、誰でも人間は、弱く不完全な存在です。
誰でも多かれ少なかれ淋しい、誰かに分かって欲しい、
誰かと温かなつながりを持ちたい
そう思っているものなのではないでしょうか。


強がらずに、まずは自分の中のそんな気持ちを認めてあげませんか。

そして、抱きしめてあげてみませんか。
「いままで辛かったね、そこにいていいんだよ」
と優しく受け容れてみませんか。

 

そうするとあなたの心のコアにある思いやりある
優しい気持ちが自由になってきます。


怖れや不安の霧が消えて、本来あった優しい気持ちがあらわれてきます。
自分自身に、愛の気持ちがあることに気がつくことができます。

 

そして、ここで想像してみましょう。

 

自分と同じように誰しも不安で、自信がないんだと。
あなただけが、不安なわけじゃないんだと。


誰しもその心の奥底では
「他者と怖れではなく愛をベースにしてつながりを持ちたい」
そう思っているのだと。

 

だとすると、あなたは、人との関係で、
愛を選択しますか、それとも怖れを選択しますか?


優しさや思いやりある言葉や行動をとりますか。

それとも相手を攻撃したり、裁いたり、ダメだししたりしますか。

 

私としては大切なあなたには、
ぜひ「愛」を選択する習慣をつけていただきたいなと
思っています。


それは、あなたの大切な人の幸せのためになると思うから。

そして何よりあなた自身の幸せのためになると思うから。

 

愛か怖れか、ほんの少しだけでいいですから、
「今この時」から意識されてみてくださいね。


きっとあなたに素敵な変化がおきることと思います。

 

私も引き続き愛をベースに行動を選択するように
意識したいと思っています。
 
あなたは、愛を選択しますか、それとも怖れを選択しますか? 


 
あなたから、優しさや思いやりの輪がひろがっていきますように!
 
 
それでは、また。

 

※関連のお話です。
温かなつながり-幸せの源泉

ホメホメ達人

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平成21年12月24日(木)
 
皆さん、こんばんは。

神坪浩喜です。

今日はクリスマスイブですね。
21日、ページェントの光のトンネルを10年ぶりくらいに
歩いてみました。

歩いてみてこう思いました。


ああ、ページェントさんごめんなさい!
キミがこんなに綺麗だなんて今まで気がつかなくって・・・


こうして身近にあって気がつかない素敵なものって、
実はいろいろとあったりするのかも知れませんね!


=============================

さて、近頃、私はとある道を究めてみようと決心しました。


その道とは、

「ホメホメ達人への道」です。


何じゃ、それ?
この弁護士、また変なこと言い出したな!

(どうも、すみません・・・)


ホメホメ達人とは読んで字のごとく、
人を褒めることの達人ということです。

人は、褒められると嬉しいですよね。もちろん私も嬉しいです。
お世辞ではなく、心からの褒め言葉。

しかし、日常、多くの人は、なかなか褒められたりすることはありません。
褒められるよりは、注文つけられたり、
ダメだしされることが多いのが普通でしょう。


どなたかが言っていた話で、子どもには
叱る割合1なら褒めるのはその10倍くらいで
丁度いいということでした。
だから子どもを1叱ったら、その10倍褒めるようにしましょうと。

私もそう思います。


人が生きていく上で大切な心の基盤となる感情として

「自分は存在する価値がある」
「生まれてきて良かった」
という「自己肯定感」があります。

私は「自己肯定感」というのは、他者に依存せず、他者を排斥せずに
他者と温かなつながりをもてること(=幸せになること)
の大前提だと思っていますので、とても大切なものと思っています。


「自己肯定感」を養っていくためには、
親をはじめとした人たちの絶え間ない愛情ある言葉、ほめ言葉
がとても大切です。

「あなたは大切な存在だ」
「あなたが生まれてきてよかった」
「あなたのお母さんでとても幸せ」
という愛情ある言葉

そして
「よくがんばったね!」
「やったね!」
「すごいね!」
という褒め言葉。

そんな愛ある言葉を注ぎ続けることで、
子どもの心に「自分は大切な存在だ」
という自己肯定感が醸成されていくのです。


ところが、多くの大人がしてしまうのは、
悪いところを修正させてもっと良くしようと思い、
悪いところばかり目がいってしまって、
よいところを褒めることはおろそかになっていたりします。


それは、やって当たり前。
そんなことはできて当たり前。
みたいな感じになりがちではないでしょうか。


通常放っておくと人のレンズの焦点は、
足りていないところ、欠けているところに
あうようになっているようです。
そして足りないところを、どうにかしようと、
ダメだしばかりしがちになります。


そしてダメだしばかりしていると
言われる方も、言う方も嫌になってしまいます。


叱ったり、注意したりすることは、時にはもちろん必要ですが、
褒めること、認めることをベースにした方が、
子どもの才能を伸ばし、温かくて優しい人になってもらうには
圧倒的に効果があると私は思っています。


人間は不完全な存在です。

大人も不完全です。

ましてや子どもは当然不完全な存在です。

そして、人は不完全でそれぞれ違うから素晴らしいのです。


欠けている別の面で、いいところ、頑張っているところ、
褒めるところ、きっとあるはずです。

レンズを引いて全体を眺め、
いいところ探しをしてみてはいかがでしょうか。
どんな子にも、どんな人にもきっと「いいところ」があるはずです。


そこを見つけ出してたくさん褒めてみましょう。


私が、ホメホメ達人を目指そうと思ったのは、
褒めてみて、褒めた相手も喜んでくれたし、
私自身も幸せな気分になったかったからです。


単純なことですが、周囲の方を褒めることで、
信頼関係ができて仕事のパフォーマンスも上がってきました。


もしかするとあなたは
相手が先に自分を褒めてくれたら、褒めてあげるけど、
自分が先に褒めるのはちょっと・・・

なんて思っていませんか?


いえいえここは先手必勝です。
先手をとって、あなたから褒めてみましょう。
先手をとった方が気分がいいですよ。
自分主導で変化が起きるのというのは、
とても気持ちがよく自信になりますよ。

 

ん?褒めてみても相手から何も反応がなくてつまらない??


うん。その気持ち、よく分かります。

確かに、褒めて「嬉しい!」等と反応があると自分も嬉しいけれど、
無反応だと褒めても意味がないんじゃないという気分になりますよね。


でも、大抵そういうものです。
「わ~嬉しい!!」なんて反応する方は滅多にいません。

特に日本人は謙虚な人が多いので褒められることになれていません。
「いやいや、そんなことはないですよ~」と謙遜したり(私もそうです)、
感情を表情に出すまいと頑張ってしまう人が、むしろ普通なのです。

それでも、顔に出さなくても、
褒めてもらえれば大抵の方は心の中では喜んでいるものです。

お世辞でなく心がこもった褒め言葉を投げ続けると、
確実に変化が訪れてきます。

目に見えないところで、
心のカップに温かい水は注がれているはずですよ。
そして、いつかあふれ出てくる日がやってきます。


ここぞ、というときに褒めた方が効果的で、
褒めすぎるとインフレを起こしてむしろ効果がなくなるのでは?

そう思う方もいらっしゃるかも知れませんね。

以前のメルマガでもお話しましたが、特に男性は、
日頃は奥さんを褒めもせず、放ったらかしにして、
記念日にガツンと奥さんの機嫌をとればよし等と考えてしまいがちです。

しかし、私の体験上、草花には、一度にたくさんの水を与えるのではなく
日々、少しずつでも水を注ぐことが大切なように、
褒め言葉は日々注ぎ続けた方が、
はるかに家庭の平和の維持には効果があったのです。


インフレなんて起きません。
何度でも、心からの褒め言葉は、やはり嬉しいものです。

ここは南フランスの太陽のように、
温かな褒め言葉を相手に明るく注ぎ続けましょう。
明るく、軽やかにあなたの大切な人を褒めまくりましょう。


私自身まだまだで、いつも恥ずかしさに負けてばかりですが
心のこもった褒め言葉に効果があることは実感し、
実践しようと意識しています。


あなたも、一緒に「ホメホメ達人」を目指しませんか?


ホメホメを意識するだけでも、
きっとあなたによい変化が訪れると思います。


ホメホメ習慣で、あなたから、幸せの輪がひろがっていきますように!
 
それでは、また。


※関連のお話です。
ひかりをあてる
心のズームレンズ

居酒屋結婚式

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平成21年12月21日(月)

皆さん、こんにちは。
神坪浩喜です。
 
仙台では、金曜日から雪がうっすらと積もっています。

私は、もとは南の人間で寒いのは苦手なのですが、白く澄んだ雪景色は、大好きです。

夜には、イルミネーションと雪があわさってまたなんとも綺麗なんですよね。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
さて、現在、メルマガの方は、H21.12.20時点で62号を配信しております。
 
60号の編集後記ではこんなことを書きました。

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~60号(12月12日配信)編集後記~

今日は、後輩の弁護士さんの結婚式に出席しました。
私と同じように、奥さんに支えられ、家族に支えられようやく弁護士になった方です。

彼の奥様やご両親への感謝と思いやりあるスピーチをきいて、自分の歴史と重なることもあり、感動し涙があふれてきました。

私と違って彼が偉いのは、ケジメをつけ合格して弁護士になってから結婚をしたこと。
そして、結婚式・結婚披露宴をきちんとしたこと。


私は、ケジメもなく、ただ妻の側にいたいと浪人時代に結婚した上に、結婚式・結婚披露宴もしていない奥さん不幸な男です。

ごめんなさい。


せめて、日頃の何気ない日常の中で、妻を大切にしなければと思った雨上がりの午後でした。

================================
このとおり、後輩の弁護士さんの結婚式・結婚披露宴に出席したことに触れて
「私は、結婚式・結婚披露宴もしていない奥さん不幸の男です。」
と書きました。
 
それに対して、私たちのことをよく知っているあるメルマガ読者の方から
「事実と異なるよ」と異議がでました。
 
確かに振り返ってみれば正確な記述ではありませんでした。
 
 
私たちは、私が浪人生であったため、確かに、世間一般にイメージされる結婚式や結婚披露宴はしておりません。

教会や結婚式場、ホテル等の場所で、妻にウエディングドレスや着物をきてもらっての結婚式や披露宴はしていません。
 
 
しかし、私たち共通の友人で、現在弁護士として活躍されているM先生のお声がけで、居酒屋での結婚お祝い会をしてもらいました。
 
 
M先生は、妻と同じ学年で、妻と一緒に勉強し、司法試験も大学卒業後すぐに妻と一緒に合格された方です。

妻の友達でもあるとともに、私の河上ゼミと東北大学無料法律相談所での後輩でもあり、私と妻がよく知り合うきっかけをつくってくれた方でもありました。
 
 
M先生は、結婚式も結婚披露宴もやらないはずだったそんな私たちを気遣ってくれて、私たちのために、手作りの結婚お祝い会を開いてくれたのでした。
 

妻のご両親が青森から、私の両親も北九州から遠路仙台まで来てくれました。
河上正二先生もお祝い会に出席してくれました。
 
 
私や妻は、お祝い会について何も準備をしなかったのですが、M先生を中心に河上ゼミや無料法律相談所の友人や後輩たちが、私たちのために、がんばって準備をしてくれて、お祝い会当日も温かく結婚を祝ってくれたのでした。
 
 
決して、豪華な結婚式や披露宴ではありません。

ウエディングドレスも、結婚指輪も、引き出物もありません。
料理も豪華なものではなく居酒屋の料理そのままです。
参加されたほとんどの方の服装は普段着です。 
 
 
それでも、心を込めてくれたとても温かな会でした。
 
 
 
豪華ではありませんが、小さなケーキもありました。
 
結婚指輪はありませんでしたが、M先生が赤いひもを準備してくれて、赤いひもを私の指から妻の指へとを結ぶ儀式をやりました。

河上先生や妻のお父様、私の父も心のこもった挨拶をしてくれました。 
 


もちろんその時、とても嬉しかったです。


だけど私は、どこか心の扉がとじていました。


M先生をはじめ、皆さんがこんなによくしてれていたのに、それなのに私は、温かな心遣いをすべて受け容れてはいなかったのです。


合格できずに結婚してしまう後ろめたさをどこかで抱え、世間一般の「結婚式」や「結婚披露宴」にとらわれそれができないことの情けなさを責めて、そんな温かい素敵な会を開いてくれた人の優しさや思いに本当のところでは気がついていませんでした。
 
 
どこかひねくれていて、斜に構えるところがありました。
心を完全に開いて受け入れていなかったのです。
 
 
私はM先生や後輩たち、河上先生や二人の両親の思いやりに本当のところでは気がついていなかったんです。


だから、自分は「結婚式も結婚披露宴もしていない」と思い込み、妻に申し訳なかったとずっと自分を責めていたのですね。
 
 
でも、今、気がつきました。

 
あの日、あのとき、あの居酒屋で、実はどんなに思いやりや愛があふれていたことか、
優しさが満ちていたことか・・・
 
 
今の今まで、私は優しさをうけとめる心の構えがなく、
受け入れていなかったのでした。
気がつかなかったのでした。
 
 
今、ようやく受け入れることができました。13年近い年月を経て、ようやく気がつくことができました。
 

あまりにも遅すぎますが、M先生をはじめあの日、私たちの門出をお祝いしてくれた皆様、本当にありがとうございました。
 
 
そして、今の今まで気がつかなくて、ごめんなさい。
 

今まで気がつかずに、「結婚式、披露宴をしていない」
と思い込んでいたこと、そこにあふれていた愛や優しさに気がつかなかったことにごめんなさい。
 
 
 
私たちは、間違いなく結婚式や披露宴をやりました。
 

それも他の方のどんな結婚式や結婚披露宴と比べても恥じない心のこもった素敵な結婚式や披露宴をしていたんですね。
 
 
 ここにお詫びの上、訂正いたします。
 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

こうして、私が気がつかなかったように
気がつかない大切なもの、
自分が気がつかない人の優しさや思いやりって、
意外とすぐそばにあったりするのかも知れませんね。

 
あなたには、そんな気がつかない大切なものってありませんか?
 

どうか心の目で見つけ出してあげてくださいね。 
そして、大切にしてあげてください。
 

それでは、また。
 
あなたがますます幸せでありますように。


 
※関連のお話です。
気がつかない大切なもの

秋のなごり

平成21年12月12日(土)
 
皆さん、こんにちは。
神坪浩喜です。
 
早いもので、12月も半ばにさしかかってきました。
今日から、仙台光のページェントもはじまります。
 
本格的な冬が来る前に
晩秋の写真、掲載しますね。

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榴ヶ岡公園 です。

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塩竈神社です。

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塩竈神社から塩竈港をのぞむ。

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東京・日比谷公園

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日比谷公園 銀杏のじゅうたん

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湯島聖堂わきの銀杏並木

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日比谷公園わきの歩道から
月がきれいでした。

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おまけ(?)の私の子ども達です。
七五三のお参りの後で。

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
 
 
それでは、また。

食事をご馳走するときに

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平成21年12月9日(水)

 
皆さん、こんにちは。
 
神坪浩喜です。

今回の下書き原稿は、先日、東京から仙台へ帰る新幹線で書きました。
 
車窓から、夕暮れの赤い空を背景に、黒く染まる富士山の姿が見えました。
その荘厳な姿と優しい稜線が何とも言えません。
 
ああ、富士山っていいなあ!

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
この時期、いろいろと忘年会に誘われる方も多いのではないでしょうか。
私も、これから予定が5本程度あります。
 
ところで、あなたは、同じ日に、二つ忘年会が重なったりしたとき、
何を基準にして行く方を選びますか?
 
料理?会費?
それもあるかも知れませんね。
 
でも多くの方は、きっとどちらの会が楽しそうか、
つまりどんな人たちが参加しているか
を基準にされているのではないでしょうか。


続いて関連の質問ですが、
これまで、あなたが、ああおいしいなあと感じたときって
どんなご飯を、誰と、どこで食べた料理でしたか?
 
 
お金がかかった料理でしたか?
高級中華、高級フレンチ、料亭、
高級食材の料理ですか。フォアグラ、キャビア、ふかひれ
ふぐ、かに、松坂牛のステーキ、マグロのおおとろ寿司、北京ダック・・・
(すいません、グルメ知識が貧弱なので・・・)
 
 
確かに、一般的にはお金をかけただけ、
おいしい料理が食べられるという
関係はありそうです。
 
 
でも、どうでしょう。
 
 
いっしょに食べる人が、あなたの嫌いな人だったら。
苦手な上司だったらどうでしょうか?
 
 
私は、グルメでないからかも知れませんが
私が、おいしいかったのは、高級料理ではなく、
好きな人たちとニコニコと笑いながら
リラックスして食べる素朴な料理がおいしいかったなと思います。
 
 
私の例でいえば、妻がはじめて私のために一生懸命つくってくれた
いびつな形のハンバーグを二人で食べたのが最高においしかったです。
 
 
大好きな人たちと、ピクニックにいって青空の下で
食べるおにぎりとか、お弁当とかも、とてもおいしいですよね。
 
 
お金がかかっていて手が込んでいた料理だとしても
緊張する人、苦手な人と食べると、せっかくにおいしいはずの料理も
ほとんど味わえなくなります。
 
 
 
私が、緊張しやすい性格なのかも知れませんが、
多かれ少なかれ、皆さんもきっとそうなのではないでしょうか。
 
 
ですから、相手を食事にさそって喜んでもらおうとするとき
おいしい料理、素敵な雰囲気のお店は、相手をもてなし
喜ばせる演出にはなりますが、
それが本質的なものではないと思っています。
 
 
自分自身が、相手にとってどんな存在なのかが
一番問題になってくるのだと思います。
 
 
ですから自分と相手の、
現在の「つながり」を認識することが大切です。
 
 
しかし、上の立場に立つ人間がおかしやすい過ちは
自分が相手にとって、どのような存在であるかを忘れてしまい、
とにかく高い料理をご馳走してやるから
いいだろう、ありがたく思えと気持ちおしつけてしまう
ことではないでしょうか。
 
 
さらには、上司が「おごってやるんだから、しっかり働いて」みたいな
何かの見返りを期待していることもあります。
 
 
そんな宴会や食事会だとすると
部下や従業員さん、後輩の人としては、
正直そんな食事会はごめんこうむりたいと思われるのではないでしょうか。

いわばつきあい、義務的な感覚で出るには出るけど、
出席しても、せっかくのおいしいはずの料理の味も
ほとんど味わえなくなってしまうのではないでしょうか。
 
 
そんな条件付なおごりだと料理が高ければ高いほど、気が重くなります。
「こんなにもてなしているから、しっかり働いて」という
裏のメッセージが見え、プレッシャーを感じてしまうのです。


結局、部下や後輩に別の新たな負担をかけてしまうことになるのです。
 

私も、近頃、私を助けてくれる人たちに
感謝したくて、その人たちを食事に誘うことも増えてきました。
 
 
ですから、そんな押し付けになっていないかは慎重に考えます。
かえって負担にならないかを、チェックするようにしています。
 
 
誘おうとする人たちにとって、私は、
どんな存在なんだろうということを考えます。
 
 
そして、少なくとも苦手とされておらずリラックスしてくれることを
確認した上で、誘うようにしています。
 
 
また決して、高価な食事をご馳走することはできませんが、
条件つきのものではなく、
ただただこれまで頑張ってくれたことについて「ありがとう」という
気持ちであろうと思っています。
 
 
そして、私が大好きな人と食べる素朴な料理で幸せを感じられるように
誘った方にもそんな気持ちになってもらえるには、
いったいどうすればいいのか考えます。
 
 
つまり、好きになってもらえること、信頼してもらえるということです。
 
 
部下や後輩とそういった温かなつながりをもてたときには、
おいしい料理や、素敵な雰囲気のお店が最高に活きて
相手に幸せな気分になってもらえるのだと思うのです。
 
 
おいしい料理や素敵なお店が先ではありません。
それさえ、確保しておけば、喜んでもらえる、
幸せになってもらえるというわけではないのです。

 
前回お話したとおり、
宝石などのスペシャルプレゼントが、
日ごろの「ありがとう」のプラスアルファだったように
おいしい料理と素敵なお店は
あなたと相手の温かなつながりの存在をベースとし、
さらにそれを発展させ、相手に幸せになってもらう
プラスアルファの次元のことなのです。
 
 
相手の立場にたって考えてみれば、残念ながら、現在苦手とされ、
嫌われているようであればまず、信頼関係をつくることが
まず先決なのではないでしょうか。
 
 
それは、やはり何気ない毎日の日常において、感謝や思いやり、
ねぎらいの言葉をシャワーのごとくかけ続けること。
それが基本だと思います。
 
 
お金をかけるスペシャルなことで、一気に挽回したり、
どうにかしようとするのではなく、
毎日の何気ない日常こそ、感謝と思いやりもって接することが大切なのです。
 
 
私自身、本当にまだまだなのですが、
日々の日常こそが問われていることにようやく最近気がついたのでした。
 
 

どうか、あなたも、何気ない毎日を、あなたを支えてくれる人に
たくさんの
 
「ありがとう」
「キミのおかげで助かったよ」
「頑張ったね」
のシャワーを注いであげていってくださいね!


きっといい変化が訪れることと思います。
 
それでは、また。

 
※関連のお話です。
おいしくご飯を食べるには

日々たくさんのありがとうを

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平成21年12月6日(日)



こんにちは。

神坪浩喜です。

12月に入り、住宅街の
クリスマスイルミネーション
もきれいになってきました。

仙台光のページェントももうすぐですね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、この時期、クリスマスシーズンを前に、
奥様や彼女に何かプレゼントをあげようかなと
考えておられる方もいることでしょう。


また、誕生日や結婚記念日にはスペシャルなプレゼントをして
奥さんや彼女の心をつかもう(機嫌をとろう?)と
考えている男性も多いことでしょう。


私もそうですが、男性は、日ごろは、何もしないで、
特定の日に、スペシャルなプレゼントを
して、あっと喜ばせるのがかっこいい、
それでよしとする傾向にあるのではないでしょうか。



極端なところでは定年までは仕事一筋で家庭を全く顧みずに、
退職してから、奥さん孝行をしようと思って
プレゼントをしたり、旅行に連れて行こうと思っているケースです。

ところが、
実際に退職して、さあ奥さん孝行をするぞとプレゼントを買ったころは
すでに、奥さんの心は離れてしまっていて、
離婚の話を切り出されたりすることもありがちな話です。



夫婦の溝は、突然深くなってしまうのではなく
少しずつ、毎日の些細な出来事の積み重ねで、
いつのまにか深くなってしまうということが
多いのではないでしょうか。



そして、恐ろしいのは、自分としては、
なんでもないと思っていたことが、
パートナーにとっては、いやなことで、
気づかずに溝が深くなってしまうということです。
何回か旦那さん、奥さんはそれがいやだ
と言ったことがあるかもしれません。

家庭を顧みてよ。私のことを大切にしてよ。そう言ったことが
あるかも知れません。


でもその後はもうこの人にいくら言ってもムダだと何も言わずに、
胸のそこにとどめ我慢していて
いつぞの日に、不満が一気に噴出してしまうのです。


何もいわないのがOKとは限らないのが怖いところです。


あなたに、何も不満がないというわけではなく、胸に溜め込んで、
失望をつのらせている場合だって可能性としてはありえるのです。


植物に水をあげるように、愛は注ぎ続けなければ
かれてしまいます。

一緒になるときどんなに強く愛を誓ったととしても、
その後何もしなければ萎んでいくのです。


花が枯れないように心を配って、
心のカップに思いやりの水を注ぎ続けなければ、
いつかはかれてしまうものなのです。


一年に一、二度記念日にプレゼントをすればいい
というものではありません。


ましてや定年後に高価な宝石を贈ればいいというものではありません。

もちろん、そういうことが不要だ、効果がないといっているわけではありません。
それも大切なことだと思います。

しかし、それはプラスアルファの次元のことです。


ごくたまのプレゼントより、毎日の何気ない日常にこそ
愛は問われているのではないでしょうか。



奥さんがしてくれていること
当たり前、当然、常識と思っていませんか。
当たり前と思って、たまにそれができなくなると
不平や不満を言ってしまったりしていないですか。


奥さんが毎日料理を作ってくれること、
洗濯や掃除をしてくれること、子どもの面倒をみてくれること
どれも、決して当たり前のことではありません。


あなたのために、あなたがいるからこそ、
そうしてくれているのではないですか。



そんなことについて、できることなら、
毎日でも「ありがとう」「助かっているよ」
といえること、それこそが、1年に1回宝石を贈るより、
はるかに大切なことではないでしょうか。


もちろん高価なものをたまにはプレゼントすれば、奥さんは喜ぶでしょう。

でも、それも、毎日の「ありがとう」がベースにあればこそ、
効果的なものになるのではないでしょうか。

何か贈り物をするとき、その贈り物が喜ばれるのは、
その贈り物そのものの価値だけではなく
その贈り物に、贈る人の心が宿っているからです。



「あなたのことを大切に思っていますよ」
という気持ちが物にのっかっているからです。


「私のために、頑張って買ってくれたのね」
とそう思えるからこそ心に響くのではないでしょうか。


物にのっかった気持ちが届くのは、
あなたとパートナーとの間の信頼関係を前提にしています。

ですから、信頼関係が壊れてしまったところで、いくら高いものを贈っても、
気持ちが届くことはありません。


私も、ここぞというときにスペシャルなプレゼントをすれば
奥さんの機嫌はしばらく安泰だなんて考えておりました。



しかし、現実はそうではありませんでした。



いつもは優しく、時に鬼や夜叉に変貌する妻とながらく暮らすうちに
分かってきました。


日ごろの接し方こそが大切なことなんだと。


もったいぶらずに、かっこつけずに、
日ごろから

「ありがとう」

「助かるよ」

と声をかけるほうが、
ごくたまのプレゼントより妻の機嫌を維持するのに、
圧倒的に効果があると気がついたのでした。


日常において、どのように接するかが大切なのです。

「大切に思っているよ」というメッセージを常に
そばにいる大切な人に贈り続けることが必要なのです。


決して記念日だけではないのです。




今、あなたは、奥さんや旦那さんに、
どれくらい感謝やねぎらいの言葉をかけていらっしゃいますか。


一日にどれくらい「ありがとう」と奥さんに声をかけていますか。



どんな些細なことでも、お互いに「ありがとう」がいえると
夫婦の間の溝はそう深まることはないと思います。


もし、あなたが、日ごろ奥さんや旦那さん
をほったらかしにしているのであれば
今すぐにでも、奥さんや旦那さんがしてくれたこと、
些細なことでも「ありがとう」といってみていただけないでしょうか。


それができるようになると、きっとあなたと奥さんとの溝が修復不可能
になるまで深くなることはないはずです。


私は、そう思っています。


実は、今日もまた、自分自身に言い聞かせるつもりで
書いたお話でした。


こんな私のお話に
お付合いいただきありがとうございました。



※関連のお話です。

気がつかない大切なもの

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平成21年12月1日(火)

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

先の日曜の朝、クルマのタイヤを冬タイヤに交換をしました。
まだ雪は降っていませんが、降ってからだと遅いですからね。


もう12月。今年、初めて雪が舞うのはいつかな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



前回は、夫婦の溝が深くなる前に、夫婦の間で、冷静に、また「私」を主語として
話し合ってみては、というお話をしました。
夫婦の溝が深くなる前に


しかし、溝が深くなって、もはや二人では話し合いが
できない段階になることもあります。



その場合は、一体どうすればよいでしょうか?



もし、冷静に話し合うことができないのであれば、
お互いが信頼できる第三者に入ってもらって話し合いをしてみましょう。


ただし、第三者といっても両親や親族はお勧めできません。

両親や親族は、必ずどちらかの立場に与し、
純然たる第三者たり得ませんので、
両家の争いにも発展して、かえってこじれる可能性が高いのです。



夫婦間でどうにも話ができない、食い違ってしまうというのであれば

まずは「家庭裁判所の夫婦円満調停」の利用をお勧めいたします。


家裁の調停というと、離婚するためのように思われるかも知れませんが、
調停は、決して別れるためにやるだけでなく、
修復方向でも活用できるものです。



だから離婚調停ではなく「夫婦円満調停」なのです。
(正式には、離婚調停も円満調停も「夫婦関係調整調停」といいます)

             
調停となれば、裁判所が選任した調停委員が、
ご夫婦の間に入って、それぞれから、問題となっている事実、
意見や感情を聞いて修復を図ります。


「調停手続では,当事者双方から事情を聞き,
夫婦関係が円満でなくなった原因はどこにあるのか,
その原因を各当事者がどのように努力して正すようにすれば
夫婦関係が改善していくか等,解決案を提示したり,
解決のために必要な助言をする形で進められます。」
(後記、裁判所のHPより)


裁判所の調停を利用するからといって、
必ず別れる方向に向かう訳ではありません。


むしろ原則としては、修復できないかをベースに模索していくものです。
修復できそうなものは、まず修復を検討するのが原則です。

やはり夫婦は円満にもどるのが理想ですから。


夫婦円満調停自体は、費用も安く1200円程度で
申し立てることができます。
(但し、弁護士に依頼される場合には、別途弁護士費用が必要となります。

費用は法律事務所によって異なりますが、
当事務所では着手金は10万~20万円程度です。月3万くらいの分割は可能です)。


申立の手続も家裁の方のアドバイスを聞きながら
所定の用紙に記入するだけで、比較的簡単なものです。


「裁判所」というと、どこか構えてしまうかも知れませんが、
第三者(それも識見のある第三者)を入れて
冷静に話しあいができる確実な場所ですから、
利用価値はとてもありますよ。


もし、夫婦間で冷静な話ができない段階になったら、
家裁の調停のご利用を考えるとよろしいかと思います。 


また、弁護士会によってはADR(弁護士が仲裁人となって間に入り、
柔軟に問題解決を目指すもの)もあります(仙台弁護士会にもあります)。

仙台弁護士会紛争解決支援センター

中立的な第三者が入って、話し合いをする場を提供するということで、
調停も弁護士会ADRも変わらないのですが、


弁護士会のADRが家庭裁判所の調停と違うところは、

  • 形式にこだわらない柔軟で納得のいく解決。
  • 審理回数は原則3期日、短期間で紛争解決。
  • 土日、祭日、夜間、法律事務所や現地での審理も可。
  • 手続きの最初から最後まで、仲裁人として弁護士が関与。

   というところです(仙台弁護士会HPより)。


私も、時々仲裁人をやっていますが、柔軟性が高く、
仲裁人は確実に弁護士ですから、法的な問題解決指向は安定していて
(調停委員は弁護士の場合もあるが、そうでないことが多いです)
事案によっては有用な手段ではないかと思います。


どちらの手続がいいかは、個別の事案によって異なることもありますので、
迷ったならば弁護士に相談されることをお勧めいたします。


夫婦間で、もはやどうにもならない感じになっても、
中立的な第三者(裁判所の調停委員や弁護士の仲裁人)が入ることで、
冷静に、話し合いが可能になります。
お互いの言い分をじっくり聞いて、相手に伝えます。


そこで、相手の真の考えを聞いたりすること、
こちらの真の希望を聞いてもらうことで、誤解がとけ、
絡まった感情の糸がほどけてくることもよくあるのです。



二人の間の話し合いではどうしようもならなくなった場合や
話し合いすらできなくなってしまった場合には、
とりうる手段としてぜひご検討されてみてください。


※最高裁HP
夫婦関係調整(円満)調停申立について
 手続の概要、必要書類、費用、申立書記入例がよくわかります。
見ると結構簡単ですよね。



今日は、なんだか普通の弁護士のようなお話になりました。


たまにはそうしないと、この人本当は弁護士じゃないんじゃないの?
と思われている方がいらっしゃるかとちょっと不安になりまして・・・



ともあれ、どちらのご夫婦も仲睦まじくお幸せでありますように。

それでは、また。

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平成21年11月28日(土)



皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。


青葉通沿いを歩いていると 
ケヤキの落ち葉がはらはらと舞い落ちています。
晩翠通りの銀杏の葉っぱもすっかり黄色くなりました。

11月も残りわずかですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、ここ数回、捨て身技のような私たち夫婦の話をしてきました。


このブログをご覧になっている方には、現在、夫婦仲がうまくいっている方もいれば
そうでない方、さらに別居中や、離婚を考えている方もおられるかも知れませんね。
 

私は、どちらの夫婦も仲むつまじく幸せであるように願うのですが、
弁護士の仕事をして、離婚事件を扱うことも多いので、
一定のラインをこえて、もう既に修復不可能になっている場合には、
早く夫婦関係を解消して次の人生のステップに進んだ方が
よい場合があることも分かります。


溝がまだ浅いうちならば、自分の考えや行動を変えることで、

修復可能な場合もありますが、相手との関係から、自分がどう努力しても

修復ができない場合もあります。


また暴力を振るったり、あなたの個人の尊厳を傷つけてくるような
相手ならば、なるべく早いうちに別れてしまった方がよいでしょう。


そして、相手が別れてくれないのであれば、早めに弁護士に相談してください。



とはいえ、ちょっと相手が気に入らなくなった、
夫婦喧嘩したからといって、
すぐに「性格の不一致だ!」と離婚へ動いてしまうこと
はお勧めいたしません。



もともと夫婦の性格は一致していないのですから。


夫婦といえども、違う人格を持った人間なのです。
価値観も考え方、嗜好も違います。
生きてきた歴史もつながってきた人々も違うのです。


一緒に暮らしていると、
もともとお互いが違うことを忘れてしまって、
当然自分が思っているようにパートナーも思っていると考え、
さらに自らの価値観や期待を押しつけてしまうと溝が生まれてくるのです。


「○○するのが当然でしょ!」

「○○しないのが常識でしょ!」

「何でそんな当たり前のことができないの!」

と、お互いに、「当然」「常識」「当たり前」といった言葉が出てきて、

相手を責め、裁いてしまいます。


そうして、夫婦の溝は深くなっていく。


夫婦の溝は、いきなり深くなるのではなく、
少しずつ深くなっていくものですから、
傷が浅いうちにその都度修復を図ることが大切です。


愛情の維持には日々のメンテナンスが必要だと思います。


植物を育てるように、
日々相手に、愛情の水を注ぐことを怠らないにしないと、愛は枯れてしまうのです。


常に、相手の幸せカップから、水をくみ出さないこと、
そしてカップに水を注ぐことをお互いに意識することが必要なんだと思います。



では、夫婦の溝ができたとき、溝が深まってしまったとき、
一体どうすればいいのでしょうか?




当たり前のことですが、まずは夫婦間でよく話し合うこと。



なぜなら、二人の溝は、お互いの価値観や考え方が違うことから
発生するものですから、相手の価値観、考えを知ることが大前提になるのです。


そして、価値観や考えとお互いに知るためには、自分の価値観を言葉で伝え、
相手の価値観について相手の話を聞くしかありません。



二人の性格や価値観が違うことを前提として、相手の考えを知り、
自分の考えを相手に伝えるために、相手の言葉に耳を傾け、
自分の気持ちを相手に伝えるのです。



そして心の眼で、相手の悲しみや不安を見てみましょう。
相手が心の底で、感じている感情を理解しようとしてみましょう。

それができると、相手の困った行動の背景にある相手の悲しみが見え
それまで許せないと思っていた相手を許すことができるかも知れません。



そして話し合う際には「冷静に」話し合うこと。


どうしても感情的になりやすいので、意識して「冷静に」話し合うことです。
(お互いに感情が高ぶっているときには、決して話し合わないでください)
 


自分が感じている悲しさや淋しさ、不安を
「落ち着いて」パートナーに伝えてください。


そこでの注意点は、

「あなたが○○してよ!」

「あなたは○○してくれない!」

「あなたが○○する(しない)のがダメ!」

等と相手を責めたり、裁いたりしないようにすることです。



「あなたが○○」と相手(YOU)が主語となる表現は避けてください。



「あなたが」に続く言葉は、自然と相手を攻撃する言葉、
相手に変化を要求する言葉になってしまいます。


責めたりすると、相手も、きっとあなたの「○○が悪い」と反撃し、
ほぼ間違いなく喧嘩になるからです。


人は、人から「変われ」といわれるとかえって
変わりたくなくなるものなのです。


あなたも、相手から「お前が変われ」といわれたら変わりたくありませんよね。
「そちらこそ先に変わってよ」と、きっと思うはずです。

怒りをぶつければ、怒りが返ってきます。



仮に怒りが返ってこず、相手が黙ってしまったとしても
相手のあなたへの信頼や愛情はますます壊れていっています。
 


「あなた」を主語にするのではなく「私」「自分」と「I」を主語として、
あなたの心の底にある気持ち(淋しい、悲しい、不安)を素直に伝えてみましょう。


「私は、あなたが仕事ばかりに夢中で私のことに無関心で淋しい」

「私はあなたが浮気をしているのが悲しい」


そういった「私」を主語とした一人称から語られる言葉は、
相手を責める言葉、変えようとする言葉ではないので、
相手の心に届きやすくなる、結論として相手の変化を促しやすくなると思います。


話をしていてうまく伝えられない、
あるいはどうしても感情的になってしまうという場合には、
手紙を書くというやり方もあります。


紙に自分の思いを言葉にあらわしていくと、
自分自身の気持ちが整理できることもあります。


手紙を書く場合でも、相手を責めるのではなく、
怒りや不平不満をぶつけるのではなく、あなたの淋しさ、
不安、悲しさを伝えるようにしましょう。


冷静に考えてみて、自分の側に何か少しでも過ちがあることに気づいたならば

(よく考えると大抵、自分の側にも何らかの原因があることが多いでしょう)


勇気を出して、パートナーに「ごめんね」と伝えてみて下さい。

 

「ごめんね」は、愛を示す強力な言葉です。

 

この言葉を先に伝えることには、どこか負けたような気がして

相当抵抗があるかもしれませんが、相手の心を動かし、関係を修復するという

目的達成のためには、最強最良の言葉なのです。

 

 

 

目的は、仲直りすること、二人の愛を取り戻すこと。

相手に対して自分の正しさを証明したり、相手を説得したり、

ましてや相手を打ち負かすのが目的ではありません。

 

そして傷ついた二人の関係を癒し、愛を取り戻すための

最強の言葉が「ごめんね」なんだと思います。

(だから、私も、優しい妻が鬼や夜叉に変貌したときは、さっさと「ごめんね」と

いうようにしています。)



もし、あなたがパートナーと別れたいと思ったたとしても
その相手、もともとは、あなたが一生伴侶となること誓い選択した相手なのです。
結婚した時には、「この人ならばと」一緒になった相手なのです。



そんな相手に、別れを決めてしまう前に、
自分の本当の気持ちを心からを伝え、
相手の心の声に耳を傾けてみてのもいいのではないでしょうか。



恥ずかしがらずに、あなたの心の底にある、悲しみや寂しさ、
相手への愛しさ、そして「ごめんね」を伝えてみてください。


もし、うまく言葉が見つからないのであれば、私でよければ、
あなたの心の声を言葉にするお手伝いをしますよ!

(私、ちょっと自信あります)



弁護士の仕事は何も攻撃的な内容証明郵便を相手に送りつけるだけではありません。
修復や和解にむけ、自らの心を伝え、相手の心を動かす手紙を書くことも
弁護士の仕事だと私は思っています。

 


私に相談することによって、あなた自身の気持ちが整理され、
また私の質問によって、あなた自身が気づいていない心の声を

引き出すことができるかも知れません。



二人の溝が深まる前に、早めに手をうちましょう。




いつまでも夫婦仲むつまじく幸せであるために。




あなたが、幸せでありますように!

 

 

それでは、また。

 


※関連のお話です。 
 
自分コマ、相手コマ

 

心の幸せカップ

妻の名誉のために-生命線の人

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平成21年11月25日(水)

 


皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 
昨日、事務の江坂さんと雑談で
タレントの伊東美咲さんが結婚したね~という話をしました。

伊東美咲さんは、江坂さんと同じいわき市出身で、
何と江坂さんの高校の先輩にあたるそうです。

このことで、

「いわき市、特に江坂さんの高校には、美人が多いのか!」

と思う私でした(2人のサンプルによる過度の一般化です)。


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さて、以前のお話で

 

あなたのこれまでの人生での成功体験ベスト3は何ですか?

という質問をしました。

 

質問をしておきながら、私は自分では問いに答えていませんでしたね。
 

その時「私にとっては、やはり司法試験の合格という体験がとても大きなものです。」

といいました。


 
確かに司法試験合格は、ベスト3には入りますが、決して1番ではありません。



長い時間をかけてようやく合格できましたし、頑張ったこと、
嬉しかったことは間違いありません。




ですが、1番ではありません。司法試験合格は2番です。 




では、神坪の人生最高の成功体験は何だと思います?

 


あ、興味のない方も、どうかそのまま聞いてくださいね。


大事な話ですから。



私のこれまでの人生で一番の成功体験、

 

それは、

 

断然

 

 

妻を奥さんに出来たこと

 



なのです!(ジャジャーン!本当ですよ!!)

 

 

私が、妻のことを、怖い、恐ろしい、時に鬼や夜叉のようだ
(そこまではいっていなかったでしたか?)

と、これまでメルマガやブログに書いたのを見たご感想の中で、
私が恐妻家だというご指摘も一部にありましたが、

それは断じて違います!
(怖いのは本当に怖いのですが・・・)

 


妻は、私の生命線です。

 



私は、もともと自分に自信がない人間でした。

そんな中、東北大学無料法律相談所の相談体験で、こんな自分でも喜ばれるんだ、
人の役に立てるんだということが弁護士を目指した一つのきっかけでした。

そして、もっと自分に自信を持ちたいという気持ちもありました。


ところが、人に役立つことを通じて自信を持つために、
目指した弁護士なのに、なかなか合格できず、何度も司法試験に落ちて,
かえって自信は、しぼむところまでしぼみました。





でも、何とか耐えられたのですね。



それは、試験に落ち続けながら、それでもなお妻は私を愛してくれていたから。


妻のような素敵な人に、愛されていたことで、私は何とか自信をたもつことができました。


こんな素晴らしい人が私の奥さんである自分は,
まんざらでもないぞ!そう思うことができました。


何度も司法試験に落ちて、ダメだしされていても、それでも妻から信頼され、
愛されていることが,自分をしっかり保つことができた唯一の生命線でした。


浪人当時の私は、資格はない、能力もない、お金もないし、仕事もありません。

さらに、人柄がよいわけでもなく、
むしろ私は、私の合格を信じて待ってくれている彼女の辛さも分からず、
自分が一番辛いんだと彼女にあたったり、愚痴や不満ばかりいう、
どうしようもない男でした。


私は、心の優しい彼女を

「私がそばにいるから、かえってこの人はダメになってしまう。」

と思わせるまで追いつめてしまいました。


そんなしょぼくれ、ひねくれていた私なんかより、
優しくきれいな妻がその気になり周りを見わたせば、
いくらでもいい男はいました。


司法修習時代も私と結婚していなければ、
きっと多くの男性修習生から言い寄られたと思います。



それでも妻は、何もない私を愛し、信じて待っていてくれました。


ありのままの私を愛してくれました。




そのことが、私の最大の拠り所だったのです。



仕事とか、年収だとかではなく、ありのままの私を信じてくれました。

妻がいなければ、私はきっと司法試験にも合格しなかったでしょうし、
こうして弁護士をやっていることもなかった。
今でも自分に自信がないまま生きてきたことでしょう。



だから、私の人生最高の成功体験は、間違いなく、



妻を奥さんにできたこと。



今こうして怒られても、とても怖く感じても、

私には、もったいない奥さんなのです。





本当にありがたく、奇跡のような成功体験だと思っています。



・・・・・・





さあ、これで、妻の名誉(私の名誉?)は回復できたでしょうか。

あなたの、私の妻は恐ろしい(旦那は情けない)というイメージは払拭できたでしょうか。



それができたとしたら目標達成です。
ありがとうございます。




こんな私のお話に最後までおつきあいいただき
ありがとうございました。






あなたの生命線の人は誰ですか?




どうか、そんな大切な人をしっかり大切にしてあげてくださいね!




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


このブログやメルマガ、妻は見ていません。
ですから、こうして好き勝手に書けるわけです。

とても見せたシロモノではありません。考えただけでもぞっとします。


ですから、妻をご存じの方は、どうか妻には内緒にしていてくださいね!
どうぞよろしくお願いいたします。



ただ、もしも私に何かあったときには、教えてあげてください。


せめて、言葉だけでも彼女のそばに寄り添ってあげたいですから。




それでは、また!

あなたが、幸せでありますように!

 

※関連のお話です。

キミが見えなくなるまで

 

待ってくれてたんだね。

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平成21年11月23日(月)

 


皆さん、こんばんは。 

神坪浩喜です。 


今日は、勤労感謝の日。
私の上の子どもは、こう言いました。

「働くお母さんをいたわる日だね。」

「お、偉いぞ。で、お父さんは?」

「・・・・・」

こうして、
子どもにはいたわってもらえない父でした。

と・ほ・ほ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ワークライフバランスという言葉があります。

仕事と家庭とのバランスをはかるということですが、意味合いとしては、仕事偏重ではなく、家族やプライベートの時間も大切にしましょうということでしょうか。 



どの仕事でもそうですが、女性弁護士で、結婚し子どもを育てる場合には、仕事と家庭のバランスということが問題となってきます。



特に、弁護士という仕事の場合、その責任の重さや時間の不規則さから、家庭と両立するのは、大変な努力を要するものだと思います。
 

そんな大変な中で、仕事と家庭を両立しておられる女性弁護士の方はとても素晴らしいなと思います。



実際、妻と一緒に勉強をし、いっしょに司法試験に合格した女性の弁護士さんは私たちと同じように男の子、女の子の二人を育てながら弁護士の旦那さんとバリバリ仕事をされています。


しかし、私の妻は、自らの生き方として、弁護士の仕事をやめ、家庭に重心をおきました。

 

あやめ法律事務所を開設当時は、妻は、子ども達を幼稚園の延長保育に預けながらして、少しずつ弁護士の仕事を増やしていこうとしました。
 

私も、妻と一緒に弁護士の仕事をする、小さいながらも温かな法律事務所をつくることが妻と出会ってからの夢でしたので、初めて彼女といっしょに相談や打ち合わせができたときはとても嬉しかったです。


そして、これからこんな時間が増えていくのかなと思っていました。

 

しかし、お母さんと一緒の時間が減ることは、子ども達、特に下の娘にとっては、とても辛いことでした。


そんな辛そうな子どもの様子を見る妻も辛かったのでした。




娘が幼稚園でつくった七夕の短冊に願い事を書きました。


おかあさんとずっといっしょにいられますように

 





夫の私が育児で頼りにならなかったのかも知れません。

私が自分のことで精一杯で彼女を支えてあげられなかったからかも知れません。



弁護士資格があり、弁護士として働くことを期待されているのに
やめるなんて。そんな心の声も聞こえてきたことでしょう。



いろいろと悩んだ上で妻は、自らの選択で弁護士をやめました。

妻が私に、弁護士をやめることを話したときは、
既に決心は固く、私としてはどうしようもありませんでした。
(結構、頑固一徹、星一徹、ちゃぶ台返しです。)
 

いろいろな生き方があると思います。




端から見れば資格も能力もあって、もったいないという気もしますが、


彼女にとって、どんな生き方がよいのかを考え、納得した上での生き方なのです。


実際、やめてしばらく経つ今なお、彼女が弁護士として稼働していた頃のこと(わずか2年ほど)をご存じの先輩の弁護士さん、一度あっただけの事務員さんら何人もの方から、


「逢坂先生はお元気ですか?いつ復帰されるのですか?」


とよく聞かれます。

そして、私が、当分復帰をする予定がないことをいうと

「もったいないですね。」と言葉が返ってきます。
 

確かに・・・。




私も、妻には、私よりは弁護士としての潜在能力や資質はあり、弁護士の仕事をすれば、きっと多くの人を幸せにできる人だと思っていますので、「もったいない」と思っています。

 

そして、その能力を引き出せないことが、私としては正直残念です。

 

でも、いいのです。



彼女自身が、弁護士を続けるより、家庭、子ども達に重心を置くことに決めたのですから。


他ならない、彼女自身の人生なのですから。 

 



それは、得意なものや能力、ましてや周囲の期待とかではなく、 「好き」をベースに選択したのだと思います。

自分にとって、今何が大切かという心の声に従った選択をしたのだと思います。


 

それが、彼女にとって幸せだと思いますから。

そして、夫として、妻を幸せにすることが、何より大切なことですから。

 



今、妻は、事務所では経理担当事務員として、家庭内では、家事・育児と本当によくやってくれて感謝しています。

 


料理の腕も、あがりました。
趣味の着物着付けやガーデニング、小学校のPTA役員活動と充実した毎日を送っています。
たくさんのお母さん方から慕われているようです。


弁護士をしていた頃より、はるかに幸せそうで生き生きしています。 
 


子ども達も、お母さんと一緒の時間が多くて、とても幸せそうです。

 

そんな妻や子ども達の様子をみて、「これでよかったんだ」と思っています。





こうして、妻と二人で弁護士をやるという私の夢は、とぎれたのでした。
 

でも今、別の形で夢を見つけ、それを実現しようと思っています。

夢の続きは終わっていません。




あなたは、「好き」や「やりたいこと」をベースに生きておられますか?

今何が大切かという心の声に、従って生きておられますか?


そうだとしたら、とても素晴らしいですね!


ぜひその調子で。

それが、あなたがあなたらしく幸せに生きることだと思いますから。


私もあらためて「好き」や「やりたいこと」をベースに、


今何が大切なのかという心の声に従って生きていこうと思います。

 

 

それでは、また。


 

※関連のお話です。 
 
2005事務所開設のご挨拶

プレゼント。

妻の名誉のために-生命線の人

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平成21年11月22日(日)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

今日は、いい夫婦の日。

理想の有名人夫婦は、4年連続、三浦友和さん山口百恵さんご夫婦だそうです。

確かに、感じいいですよね。

 

 

一緒に勉強したり、仕事をする関係で、弁護士同士の夫婦も結構いらっしゃいます。

私と妻もそうでした(正確に言えば、今は、妻は弁護士ではありません)。 

 

仙台の弁護士をみても現在10組くらいは、弁護士夫婦がいらっしゃるようです。

 

 

 

 

弁護士夫婦って、皆さん、どんなイメージをもたれるでしょうか?

 

 

財産はしっかり分けて、家庭でも法律や事件の話をし、 夫婦げんかともなれば、冷静で、論理的な応酬をくりかえす・・・

 

もしかするとこんなイメージを持たれるかも知れませんね。

 

 

他のご夫婦は、どうか分かりませんが、

私のところは、家計管理は奥さんにまかせっきりで(財布は握られていて!?)

法律や事件の話は、めったにせず、子ども関係の話ばかりで、

夫婦げんか(というか、妻から私が怒られること)は、十分情緒的です。

 

妻の機嫌が何より家庭の平和、私や子ども達の心の平穏にとって一番大切ですから、私は、すぐに「ごめんなさい」と謝ります。

 

いつもはとても優しい妻が怒ると、何というか、恐ろしいというか、空気が凍るというか・・・

いや、ほんと怖いのです(しつこくてすみません)。 

 

その時は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかありません。 

 

 

要するに、弁護士夫婦であっても、基本的には一般のご夫婦とあまり変わらないのじゃないかなと思います。

 

仙台の弁護士夫婦を見てみますと、多くは、ご夫婦で一緒に事務所をされているようです。

(女性弁護士の名前は、多くは通称名で出していて、旦那さんと別の姓ですから一見、夫婦とはわかりません。)

 

大先輩のご夫婦の先生が、朝、ご夫婦で一緒に仲良く通勤されている様子をみると、 「あ、素敵だなあ!」と思ってしまいます。 

 

 

家庭でも一緒、仕事も一緒というのは、旦那さんが、国分町(仙台の繁華街)で遊びたい人の場合には、自由がきかず抵抗があるかも知れませんが、安心感はあるのかなと思います。 

 

 

どのようにして、弁護士夫婦は誕生するのでしょうか? 

 

お互い知り合ったきっかけは、 

大学で知り合った。

ロースクールで知り合った。

受験勉強中に知り合った。

合格後、司法研修所で知り合った。

弁護士になって知り合った。 

 

おおまかに言えば、こんなところでしょうか。ちなみに私と妻は、大学の民法ゼミで出会ったのでした。

 

 

ところで、法学部、法科大学院、司法試験受験生、司法研修所、弁護士(とりあえず法曹ラインとしておきましょう)とどの段階においても女性の数は、男性の数に比べて、圧倒的に少ないのです。

 

 

私の感覚ですと、女性は全体の2割から3割弱くらいでしょうか。 時代をさかのぼるにつれて、さらに女性の割合が減るようです。 加えて、司法試験に合格し、司法修習生、弁護士になる女性は、やはり知的ですし、自分をしっかりもった素敵な女性が多いのです(本当ですよ!)。 おまけに、綺麗な方も結構おられます。

 

ですから、法曹ラインにいる女性は基本的にもてるようで、大先輩の女性弁護士さんは、学生時代や修習時代に男性からたくさん手紙をもらった、 たくさんの男性に言い寄られてとても困ったというお話をされていました。

 

だから、法曹ラインの男性からすると法曹ラインの女性とおつき合いしたい、結婚したいと思うと、競争率が高いなかを勝ち抜かなければなりません。

 

男は、頑張らねばなりません。

(え?私?もちろん頑張りましたよ。頑張った。うん。返す返すも我ながらあの頃はよくやった。いや妻が単にもの好きだった?単に運がよかった?う~ん、そうかなあ?) 

 

 

ですから今、ご夫婦となられている弁護士夫婦にも、大抵いろいろとドラマがあったのだと思います(あくまで私の勝手な想像ですが)。

 

そして、そこでは、弁護士や司法修習生同士だからといって論理ではなく、情緒的なものでドラマは展開されるでしょう。

 

好きな人は、理屈ではなく心で好きなんですから。

 

 

さらに、日常の勉強や仕事では論理的な色彩が強いことをやっているのですが、根底には情緒的なものが気持ちや行動を支配しているので、そのギャップやねじれから 一般の方同士より複雑で濃い人間ドラマが展開されるような気もしています。

 

 

仙台の弁護士ご夫婦に取材して、物語を書くと面白いかも?

 

 

いい夫婦の日に、そんな変なことを少し考えてみました。 

 

 

ともあれ、どちらの夫婦も、仲むつまじくお幸せでありますように。 

 

 

そして、願わくば弁護士の出る幕がありませぬように。

 

 

 

それでは、また。 

赤信号の横断歩道

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平成21年11月21日(土)



皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

11月も下旬。そろそろ忘年会シーズンですね。

私も何件か忘年会の予定がありますが、
お腹をいたわりながら、楽しくやりたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、事務所の近くの青葉通り沿いに、
晩翠草堂(「荒城の月」を作詞した土井晩翠の晩年の居宅)があります。

そのそばに、約4メートルの信号機付きの横断歩道があります。


 
自動車は一方通行。短い横断歩道です。

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ここで、あなたに質問です。

 


あなたは、その短い横断歩道の手前まで歩いてきました。 


歩行者信号が今赤信号になったばかりです。

横断歩道は、とても短い。約4メートルくらいです。

 

自動車はしばらく来る様子はありません。

 


あなたは、その横断歩道をわたりますか?


それとも歩行者信号が青になるまで待ちますか?





あなたは、予定があり少し急いでいます。


その場合はどうでしょうか?

 

他の人は、赤信号でも横断歩道を渡っていたらどうですか?

 

他の人が、青信号になるまで待っていたらどうですか?

 

小さな子どもがお母さんと手をつないで待っていたらどうですか?

 

警察官が一緒に待っていたらどうでしょうか?

 

赤信号の横断歩道を渡るかどうかだけでも、
いろいろと人の判断基準が見えてきそうですね。


私は、信号が変わるのを待ちながら、横断歩道に近づいてきた人を眺めて
この人は渡る人かな、それとも渡らない人かなと観察しています。
 


クルマが全く来なくても、他の人が平気で渡っていても、
渡らない人は、どんな価値判断から横断歩道を渡らないのでしょう。

 
おそらく「交通ルールは、守らなければならない」という
しっかりとした価値判断がありそうですね。


逆に、警察官がいなければ、渡ってしまうというのは、
警察官から注意されなければ構わないという価値判断でしょうか。


「クルマが来ないのに、待つなんて馬鹿らしい。自分は忙しいのだ。
急いでいるんだ。」

と思っているのかも知れません。
 

子どもがいる時には、渡らないという人は
子どもには「ルールを守りなさい」と言っているのに、
ルールを守らない大人と思われるのは格好悪いだとか、
子どもの教育上よくないかと思っているのかも知れませんね。 




私は、当たり前のことかも知れませんが、
赤信号なら

「渡らない」

ことにしています。



法律を生業とする弁護士ですし、2人の子どもの父親ですし、
法教育で子ども達にルールについて考えてもらったりしていることもあります。 



でも、一番の理由は、赤信号で渡るのが
どこか「気持ち悪い」と感じてしまうからです。

 
正直なことを言えば、昔、この短い横断歩道、クルマが来ないことを確認して
赤信号で何回か渡ってしまったことがありました(ごめんなさい)。



でも渡ったとき、心の底がむずむずするのです。


心の中で、こんな会話をしてしまうのです。

「おい、お前、赤信号で渡ったな。それでいいのか?」

「だって、急いでいるんだ。忙しいんだ。」



「信号は、守る。ルールは守る。当たり前のことができないのか?」

「だって、他の人も、たくさん渡っているし、別にクルマは来ていないしいいじゃない。」
 


「それで、お前、子ども達に交通ルールは守ろうって言えるのか?」

「・・・・・」

 

こうして、湧いてくる心の声に押され、プチ自己嫌悪に陥ってしまう訳です。


それが実に気持ち悪くて、もう「渡らない」と決めたのでした。
 

今でも、何もクルマが来ないときに、
多くの人がスタスタ平気で渡っていくところで
信号が青に変わるのを待つのは、私って、ちょっと間抜けなのかなと思う時も正直あります。
 

「杓子定規に考えずにクルマが来なければ渡ってもいいのよ、
大人は忙しい。それがクールな大人の判断だ。」

と渡ってしまうのが大人らしいという気もしてきます。



でも、もう渡らないことに決めました。


それは、自分の良心に素直に従うことが、
実はとても大切なことだと気がついたからです。



人には、それぞれの価値観、判断基準があり、

私は、赤信号で横断歩道を渡る人を責めたり、非難する気はありません
(ただせめて、子どもが待っている時には渡って欲しくないなとは思いますが・・・・)。

実際に赤信号の横断歩道を渡る人を注意したこともありません。



しかし、赤信号の横断歩道を渡ることは、いろいろと自分自身にダメージを与えているのではないかと思っています。

 

赤信号の横断歩道を渡る時は、赤信号は渡っていけないとどこかで分かっていながら、
横断歩道を渡る訳です。


そうすると

「自分は信号を守らない人なんだ」

「自分はルール、約束を守らない人だ」

と暗示(アファーメーション)をかけてしまっている訳です。

 
他の人や警察官が見ていなくても、天のみならず、他ならぬ自分自身は知っているのです。

「自分は信号を守らない人」

「自分はルール、約束を守らない人」

ということを。


実質的な面でも問題があると思います。

統計をとった訳ではありませんが、
交通事故紛争処理センターの仕事をやっていると
交通事故に遭いやすい人と遭いにくい人が確実にいます。


そして、事故に遭いやすい人は、おそらく日常的に、
赤信号の横断歩道を渡り、

「自分は信号を守らない人なんだ」

と行動による自己暗示をかけている人なのではないかという気がしています。

信号を守らないことを繰り返していると、
本当に信号を守らなければ事故にあう場面でも、
ついいつもの癖で信号を守らず、
事故にあう可能性が高くなるのではないでしょうか。


人は、習慣で行動しますから。



加えて、子どもに「交通ルールは守りなさい」と言っておきながら
守らない自分を知っている訳で、後ろめたさを感じ、言葉に力は入りませんし、

自分は裏表のある人間だと言っているようなものです。


おそらくは、その子どもも、信号を守らない自分と同じように信号を守らない子どもになるでしょう。


そして何より「自分はルール、社会の約束を守らない人」という暗示は、
自己の良心に反するものですから、自分を尊重する、自分を大切にするということから

離れていくように思います。



端的に言えば、どこかで、自分の心を傷つけているような気がするのです。 


はっきり感じなくても、心の底では、私が感じたような気持ち悪さが
たまっていくのではないでしょうか。


それが、つもりつもって酸のように心を蝕んでいく。
そんな気がしています。

 
もしかすると、あなたは

「たかだか、短い横断歩道を渡るくらいいいじゃない!」

と思われるかも知れませんね。


 

でもね。



こんな些細な行動が意外と馬鹿にならないんですよ。 

 

だから、私としては、クルマが来なくても、
他の人々がスタスタと渡っていても、横断歩道が短くても

大切なあなたには、赤信号の横断歩道は渡らないでほしいなと思っています。

 

そして、渡らなかったら、

「私って、社会の約束をきちんと守るいい人だね。」

と自分をほめてあげてくださいね。

 

それを積み重ねることによって、約束を守る自分のことが好きになりますし
約束をきちんと守る人、つまり人から信頼される人という
人格が形成されていくのではないかと思います。


今日のお話は、いつもよりさらに説教っぽくてすみません。



でも、私としては、おそらく多くの方が気がつかないけれど実は大切なことだと思って
お話をしました。

 

ちなみに、私が、もし新しいスタッフを採用するような際には、


短い横断歩道を青信号になるまできちんと待つ人を選びたいなと思います。


それは、自分の良心と信義を大切にしている人と一緒に仕事をしたいから。


 
あなたは、赤信号の横断歩道を渡る人ですか?

それとも渡らない人ですか?



余計なお世話かも知れませんが、どうか、渡らない人であってくださいね!
 

※関連のお話です。

 

死刑のない国が気づいたこと


約束を守れなかった時に

ちょっとしたことで。

「好き」をベ-スにして

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平成21年11月19日(木) 


こんにちは。

神坪浩喜です。

今朝は、とても冷え込みました。
通勤途中のクルマのディスプレーに表示された
今朝8時半の外気温は、2.5℃。

ほんとに寒くなりましたね。


さて、今私がのっているクルマ、約3年前に、試乗3日間お試しキャンペーンで
試乗したところ、惚れ込んでしまって、そのまま購入したものです。

試乗車あがりということ(中古車扱い)ですので、安く購入できました。
3年のローンも今月で完済です。 
 

3年ほど乗っていますが、今なお、外から見ては「格好いいなあ。」とほれぼれし、
ハンドルを握っては、「このまがる感覚は最高だね!」なんて思っています。

ナビもなく、オーディオも調子が悪かったりしますが、このクルマが大好きです。


一日の仕事が終わって、このクルマで帰宅する時は、結構いい気分です。 

 

このクルマを購入する以前、いろいろと悩みました。

あちらこちらの販売店に出かけ、いろいろなクルマの試乗をしました。
中には、2シーターのオープンカーだったり、
ロータリーエンジンのスポーツカーとかにも乗ってみました。


候補に挙がったクルマをならべ 
デザイン、操縦性、パワー、装備、燃費、費用、イメージ、販売店の対応等を表にして
「どれにしようかな?」と多いに悩みました。


あまりに悩みすぎて、途中、妻から

「うじうじ悩んでないで、とっとと決めちゃいなさい!」

と怒られたりもしました(怖かったです・・・・)。

 

こうして分析的に選ぼうとしたのですが、結局のところは、
試乗3日で付き合ってみて、感覚に訴えられて
「ころっ」とやられてしまったのですね。

このクルマに惚れてしまったのでした。 


好きだから、好きなんです。


そういう感覚です。


理屈ではありません。 


性能を比較すれば、このクルマよりパワーや燃費がいいクルマはありました。

ナビがついていたり、中にはコールセンターにつながって
ナビを操作してくれるというような便利なクルマもありました。
 

でも、今のクルマを好きになったのです。
 

どうして、好きなの?


と聞かれて、うーん、このエンジン音、自分を中心にクルマが曲がる感じ?等
あれこれ答えようとしますが、どうしても後付けです。
 

心を捉えられたものに理屈はありません。


好きなものは、好きなんです。 


そして、そんな物を持つことが幸せに感じるのです。
  



何かを選択する際には、
綿密な分析をして、メリットとデメリット、
リターンとリスク、コスト等を事前に検証して、選択すべきときももちろんあります。
ビジネスの世界では、それが普通です。

私の仕事でも
和解をするか、判決をもらうかも、分析的にそれぞれの
メリットデメリットを提示して依頼者の方と相談して判断したりします。


でも大切なパートナーとか、仕事の仲間、友達、仕事は、
あれこれ分析して頭でっかちな状態で選ぶよりも
自らの「好き」を信頼して、選んだ方が、結果として満足することが多いのではないでしょうか。


自らの心の底からの直感、

「好き!」

「あ、いいな!」

「素敵だな!」

という声に素直に従って、選択したものの方が、
いろいろ頭で分析して選んだものより
結果として後悔は少ないのではないでしょうか。



「婚活」というのがありますよね。

結婚相手を選ぶのに、まず通常、職業や年収、学歴によってスクリーニングをかけます。
一定の条件をクリアした人に対象を絞るわけです。
 

それは、それでありだとは思います。
結婚するということは、現実の生活が伴いますので
経済的な安定は、大切なことには間違いありません。


ただ、「それだけで」選択するというのはどうでしょうか。


感覚的なもの、心の直感を無視して、分析的な視点だけから選ばれたというのは、
その条件が崩れてしまうと、もうダメになりそうで怖くありませんか。



結婚当時は、条件を満たしていても、いつ失業やリストラにあうかも知れません。
収入は下がるかもしれません。

その時、そういった条件だけで選んだパートナーだとしたら、

どうしても

「こんなはずじゃなかったのに!」

と思ってしまうでしょう。



それは選んだ方はもちろん、選ばれた方にとっても実に不幸なことです。 
 

だから、私としては、分析的な目で見て、
条件面からは何の不足がないように思えたとしても、

もし直感が「NO」といった場合、何となく違和感を感じる、
好きになれないという場合には、
その人や物は選ばない方がよいと思います。


逆に、分析した結果は、いま一つであっても、
心の底の直感が、その人や物を好きだと伝え、
「YES!」や「GO!」と言ってくるならば、
その人や物を選択してもよいのではないでしょうか。 


私としては、大切なあなたが、これからパートナーや一緒に仕事をする人、
付き合う人を選ぶ際には、冷静で分析的な目で見つつも、
ぜひあなたの心の「好き」をベースにして、選んでいただきたいなと思います。
 


好きな人と心でつながっている生活は、とても幸せなものです。


好きな物に囲まれている生活は、とても心地よいものです。



そして「好き」というのは、理屈ではなく、心の底の直感から導かれるもの。


だから、直感を大切にして、心の声に耳を傾けて、つきあう人や買う物を選択していくと
幸せで、心地よい生活を送ることができるのではないでしょうか。
 




あなたは、今、好きな物に囲まれていますか?


 

あなたは、今、好きな人と心でつながっていますか?



ぜひ、あなたの心の中の「好き」をベースにして、つきあう人や物を選んでくださいね!

そして、あなたが好きな人と温かな心のつながりが持てますように!

 

 

それでは、また。 



※関連のお話です。

人生の主役は誰ですか?

夢の続き

ただいま。おかえり。

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平成21年11月8日(日)

 


皆さん、こんにちは。 
神坪浩喜です。  

仙台では、ここ数日秋晴れのさわやかな天気が続いています。

青空に、色とりどりの葉っぱが映えて、とてもきれいです。



さて、一日の仕事を終えて家に帰宅するとご家族の間で

「ただいま。」

「おかえり。」

と当たり前のようなやりとりを毎日繰り返している方も多いと思います。


私も、子どものころは、学校や外遊びから帰ったときに
母に「ただいま」といい、母が「おかえり」といってくれました。


私は、生まれ育った北九州から、
大学入学とともに仙台に来てから一人暮らしをするようになりました。

憧れた一人暮らしでしたが、帰ったとき
それまであった「ただいま。」「おかえり。」のやりとりは当然ながらありません。


部屋は暗く、冬は冷え切っていました。
それまでは、母が「おかえり。」といってくれ、家は明るく、暖かかったのに。


その時「ただいま。」「おかえり。」の当たり前のようなやりとりが、
とてもありがたいものなんだと気がつきました。


結婚して家庭をもってからは、
妻や子ども達との間に「ただいま。」「おかえり。」のやりとりがあります。


再び「だだいま。」「おかえり。」が当たり前のようになっていますが、
よく考えてみるとそのやりとりができるって、
とてもありがたいことなんですよね。


「ただいま。」「おかえり。」は、なにげない言葉ですが、

あなたの存在を認めていますよ、

あなたのことを大切に思っていますよ、

というメッセージを伝えるものです。


学校や仕事で辛い目にあったときやへとへとに疲れて家に帰ってきたとき、
お母さんや奥さんが、優しく「おかえり。」と言って迎えてくれると、
ホッとしますよね。

「自分は大切にされている」

「自分には帰れる場所がある」

「こうして待ってくれている人がいる」

という安心感は、とても心地のよいものです。



独り暮らしの時でも、ワンちゃんやネコちゃんがいて、
帰宅したとき、すりよってきて、
しっぽを振って「おかえり。」といってもらえる(吠えてもらう、鳴いてもらう?)と、
仕事の疲れも随分癒されたりしますよね。


逆に、帰宅しても、何も声をかけず、無視する、無視されるような状況はどうでしょう。
「ここに自分の居場所はないのかな。」と悲しくなりませんか。


相手の存在は、自分には関係ない、単なる同居人という感じになってしまいそうです。


もしもあなたが、一日外で頑張って働いて帰宅したのに、
奥さんや旦那さんが顔を合わせない、何も言葉を交わさなかったらどうでしょう。


もしもあなたが、旦那さんや奥さんの帰りを待っていたのに、
旦那さんや奥さんが「ただいま」と言わず、すぐに自分の部屋に行ったらどうでしょう。


言葉を交わさないことが続いていくと、いずれ
「あ~私ってこの人にとって一体何なんだろう?」と思うことでしょう。


お互いがそう思ってしまうと、冷たい風が夫婦の間に吹くばかりとなってしまいます。
二人の溝は深まるばかりです。


逆にいうとちょっと夫婦げんかしていても「ただいま。」「おかえり。」のやりとりが、
維持されているのであれば、きっと大丈夫です。


だから、もし、夫婦げんかをしたとしても「ただいま。」「おかえり。」のやりとりは、
意識的に、何とか続けてくださいね。
(私も自分自身にも言いきかせています。)


旦那さんや奥さんだけではなく、
お子さんに対しても同じように「おかえり。」は、
大切なメッセージを含んでいます。

あなたは大切な家族に一員ですよ、あなたが安心して帰れる場所がありますよ
というメッセージを伝えています。


だから、お子さんが反抗したりして、一時的に可愛くないなと思ったとしても
なんとか「おかえり。」だけは言ってあげてくださいね。
子どもにとって、お父さんやお母さんから愛されているという信頼感こそが、
お子さんが育つ上で、何より大切ですから。



何気ない、毎日の

「ただいま。」

「おかえり。」

それは、簡単だけど、相手の存在を認め、大切だと伝えるメッセージ。




今日も、あなたの家で、そんな当たり前だけど大切な言葉のやりとりがありますように!

それでは、また。



※関連のお話です。
「ひかり」をあてる
 
気がつかない大切なもの

晩秋の装い3

平成21年11月7日(土)

 

こんにちは、神坪浩喜です。

 

仙台では、ここ数日、いい天気が続いていますね。

晩秋の装い

晩秋の装い2

の後も、「あ、きれいだな。」に出会うことが多く

ついシャッターを切ってしまいます。

 

仕事先に向かう途中やお昼の散歩のときに

撮った写真です。

 

よろしければ、おつき合い下さい。

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銀杏と建築中の超高層ビル
たっかいなあ。

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勝山公園です。
 落ち葉のじゅうたん。

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子どもたちの遊び声のもとへ
 はらはらと枯れ葉が落ちていました。

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宮教大附属小の校庭でみかけた
一本の木

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大橋から南方を見た広瀬川
 学生さんが河原でいもに会をしていました。

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大橋から隅櫓方面をのぞみます。

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この池、フィギュアスケート発祥の池だそうです。

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仙台市博物館の木々
博物館は、改装中で、しばらくお休みとのこと。

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仙台市国際センターの西側です。

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落ち葉の小道

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東側(街側)をのぞみます。

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よちよち歩きの子どもの手をひくお母さん

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赤いもみじです。
うちの近くのもみじとは、色合いが違っていました。

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大橋から、北側をのぞみます。
川は、穏やかな流れでした。

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大橋の下に降りてみました。

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橋のアーチごしに、見た南方面
いもに会のたき火のにおいがただよってきました。

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青葉通のけやきを見上げながら、事務所に戻りました。

おつき合いいただきありがとうございました。

 

あなたの心も明るく色づきますように!

 

 

それでは、また。

七五三のおんぶ

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平成21年11月5日(木)


こんにちは。
神坪浩喜です。


仙台は、今日も素晴らしい青空が広がっています。
紅葉がとても色鮮やかできれいですね。

昨日、江坂さんと七五三のことで雑談をしました。
江坂さん、七五三のとき、
お父さんにおんぶしてもらって、山の上の祠(ほこら)にお参りにいったそうです。

それを聞いて、ふっと湧いてきた物語です。


よろしければおつきあい下さい。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「七五三のおんぶ」


 
 
ねえ、お父さん。

 
おぼえてる?
 
 
七五三のとき、私をおんぶしてくれていたよね。

 
お父さんはお山の小さな「ほこら」まで、小さな私を背負って歩いてくれました。
 
 
11月、お山には、たくさんの葉っぱが落ちていました。
枯れ葉のじゅうたんは、滑りやすい。
 

だから、お父さんは
赤い着物を着て、草履をはいて、おめかししていた
私をおんぶしてくれました。
 
 
がさっ、がさっと
落ち葉を踏みしめる音が優しく聞こえてきました。
 


黄色い葉っぱ、茶色い葉っぱ、赤い葉っぱ
いろいろな色の葉っぱが、静かに目にはいってきました。


 
山の中は、夏のときとは違う、穏やかなかおりがしてきました。
 
 
 

お父さんの背中って広かったな。
 
 

お父さんの背中ってごつごつしてたな。
 
 
 
 
 
お父さんの背中って・・・
 
 
 
 
 
あったかかったな・・・・
 
 
 
 
 
お父さんって、不器用で、無口で、わがままで
お母さんがいなければ何もできないような人だけど
私のこと、おんぶしてくれていたんだよね。
 
 

背負ってくれていたんだよね。
 
 
七五三の時だけじゃなくて
 
 
 

 
ずっと。


 
 

私に辛い出来事がたくさん降りかかった時、
私が、悲しみに沈み、自分なんて何の取り得もない
と自信をなくしたときも、
お父さんは、私のことを背負ってくれていたんだよね。
 
 

 
そしてその時、本当はお父さんもとても辛かったんだよね。
でも、お父さんは、黙って私を背負い続けてくれた。

 
 
 
それなのに、私、
自分だけが辛いと思って
お父さんの気持ちも知らずに
お父さんに、あたったり、冷たくしちゃった。
 
 

ごめんね。

 

 



お父さん。
 

 
 
七五三のおめかしした可愛い女の子を
見ると、思い出します。
 
 

お父さんの温かい背中を思い出します。
 
 

 

ありがとう。

 
 
 

お父さん。

 
 

(おしまい)
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 

あなたのお父さんの背中は、どんな背中ですか?


あなたのお父さんも、あなたのことを、
優しく見守ってくれているのかも知れません。


お父さんでなくても、別の誰かが、
あなたを優しく見守ってくれているのかも知れません。


そんな目に気がつくことができるといいですね。

 

 

それでは、また。



※関連のお話です。

親に選んでくれてありがとう。

キミが見えなくなるまで

晩秋の装い2

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「せせらぎ通り」をゆっくり進みました。

平成21年11月4日(水)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

今朝も冷え込み、蔵王では初冠雪だとか。 

 

前回に引き続き、秋をきりとった写真です。

昨日、子どもの自転車を借りて、団地内をぐるっと一周してきました。

そこで、見かけた「あ、きれいだな!」です。

よろしければ、おつき合い下さい。

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青空が、赤と緑にはさまれて。

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ため池をかこむ緑です。

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赤の葉っぱがきれいだな。

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赤い葉っぱにひきよせられました。

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いろいろな色のグラデーション

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青い空に、赤が映えます。

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自転車をとめて しばらくここでボーッとしていました。

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赤いもみじ
 これから赤くなるもみじ

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赤くなりかけのもみじの葉っぱ

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柿です。
しぶい?あまい?

おつき合いいただきありがとうございました。

 

あなたの心も明るく色づきますように!

 

それでは、また。

晩秋の装い

平成21年11月3日(火)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

今朝は、この秋一番の冷え込み。

空気がしゃっきりしています

この季節は、木々が色づいてとてもきれいですね。

 

毎年この時期、写真が撮ることがふえますが、

今朝もちょっと公園にでかけて、何枚か写真をとってきました。

 

よろしければ、ご一緒にお散歩、おつき合い下さい。

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雨に濡れたベンチと落ち葉です。

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落ち葉が 太陽の光にあたってきらきら輝いていました。

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既に落葉になった木とこれから落葉する木

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ドウダンツツジは、いい赤色をだしていました。

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雲は、すでに冬の雲。

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黄色い木々です。

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冬ももうすぐですね。

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おまけのネコちゃんです。
(日比谷公園) 

散歩におつき合いいただきありがとうございました。

 

あなたの心も明るく色づきますように!

 

それでは、また。

 

 

※関連のブログです。

落ち葉ひらひら

秋が過ぎ去る前に2

秋の並木道

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平成21年11月2日(月)

 

皆さん、こんばんは。

神坪浩喜です。

 

11月に入り、今年も残り2か月となりました。

今日は、寒気が入ってきているようで

とても肌寒いです。

 

さて、前回は、ハロウィン「おばけ」と男の子のお話をしました。

 

あのお話から、何か温かいものを感じていただけると嬉しいです。 

 

お話で、私が伝えたかったことの一つは

人の奥底には、温かい心、優しい心があること

そして人とつながりを持ちたいという気持ちがあること

 

ところが、人は、孤独の時、人とつながるために

逆に、人を傷つける行動、人と温かいつながりをもてない行動をとってしまいがちであるということでした。

 

 

私は、人との温かいつながりが、幸せの源泉であると思っています。

人と共感の架け橋でつながったとき、穏やかで幸せな気分に満たされますよね。

 

おばけは、子どもを驚かし、怖がらせることで、自分の存在をアピールしていました。

自分の存在価値を証明しようとしていました。

どうせ自分は嫌われ者なんだという投げやりな気持ちを抱いていました。

 

でも、本当は、子ども達と友達になりたかったん。

本当は、温かいつながりを持ちたかった。

だけどおばけは「こんなボクなんかと一体誰が友達になってくれるものか」

と期待しないことにして、ともだちになりたい気持ちを封印していました。

 

でも、自分が存在することは認められたい。無視されたくない。

だから、子どもを怖がらせるということで、自分の寂しさを紛らわそうとしていたのです。

 

 

そんな中、ハルは心の目で、そんなおばけの寂しさとその奥にある優しさを見てくれました。

キミは、優しいおばけだよ、友達になろうよといってくれました。

 

そんな温かい言葉が、おばけ自身が忘れていた温かい心を思いださせたのですね。

 

 

おばけは、自分のことを嫌われ者だと思っていました。

自分の存在価値に自信がありませんでした。

 

自分の存在価値に自信をもてないことから、

おばけは、子どもを怖がらせることで何とか自分の価値を満たそうとしました。

でも、そのような行為が、ますますおばけを孤独にしていったのですね。

 

自分を素晴らしい存在と思えない。だから他者も大切な存在と思えない。

 

自分に対しても、他者に対しても「NO」と言っている状況からは、 

どうしても、人との温かなつながり、

すなわち幸せな気持ちは生まれてくることはありません。

 

自分に自信がもてないと 

つい力や権威、お金で、人を操作しようとしてしまいます。

他人は、比べ、競争する対象で、劣等感と優越感、嫉妬や傲慢のはざまに漂うことになります。 

しかし、それでは、人と温かなつながりを築くことはできません。

 

 

以前、日本国憲法は、個人の尊重を最大の価値としているというお話をしました。

個人の尊重とは「一人ひとりをかけがえのない存在として大切にする」ということです。

 

憲法は、第一義的には、国家に向けられたものであり、個人を大切にする主体は、「国家」ですが、

「一人ひとりを大切にする」という理念は、「国家対個人」のみならず、

「個人対個人」との間にも、理想として共有されるべきものと考えています。

 

「一人ひとりを大切にする」というのは、他者を大切にするというだけではありません、

自分自身を大切にすることも含むものです。

むしろ、自分を大切にすることから出発すると理解してもよいと思います。

 

自分をかけがえのない存在として本当に大切できるのであれば、

他者も自分同様にかけがえのない存在として大切にできるでしょう。

 

自分を素晴らしい大切な存在として見ることができれば、

自分の存在価値を無理に証明しようとする必要はありません。

他者の評価を得ようとすることなく、他者に依存することなく、

自由に、自立した個を確立した上で、

他者との温かなつながりを持とうと思考し行動すること

ができると思います。

 

他者の幸せを考えて、他者と共感の架け橋をつくることができると思います。

それが自分の幸せにつながります。

 

つまり、自分を素晴らしい存在として見ることができれば、

他者の評価に依存することなく、自らの自由な意思に基づき、

自分らしい生き方をすることができるのです。

 

 

しかし、「自分を素晴らしい存在」として見ることは

子どものころから、人と比べられ、ダメだしされることの多い

この社会において、なかなか難しいことなのかも知れませんね。 

 

私自身、何度も自信をなくすこと、「自分なんて」という声に引きずられそうな時もありました。 

 

あなたも、もしかすると、いろいろな事情で

「自分なんて」と思い、とても自分を「素晴らしい存在」だなんて

思っていられないのかも知れませんね。

 

 

それでも、幸せになることをあきらめる必要はありません。

これからハルのように、あなたの素晴らしさを思い出さしてくれる人と出会うかも知れません。

それに、あなたが気がついていなくても、あなたに感謝している人が、結構いたりするものです。

 

あなたは、何か仕事をしていますか。

仕事をしているということは、間違いなく誰かの役に立っていることです。

社会に貢献しています。

お金をいただけるだけのことをしているわけです。

 

主婦の方も、毎日、ご飯をつくったり、洗濯をしたりして、

旦那さんやお子さんにとってなくてはならない大切な存在です。

 

子どもはどうでしょう。確かに仕事はしていないかも知れません。

でも、子どもは、お父さんやお母さんにとって、大切な「たからもの」です。

ただ存在それ自体が、お父さんやお母さんにとって、ありがたい存在なのです。 

 

 

そして、あなたは、これから自由意思のもと、何をするのか選択することができます。

人と温かくつながるための行動を選択することもできるのです。

あなた自身が、ハルのように、心の目と温かな言葉や行動で、

凍り付いた人の心を温めることもできるかも知れません。

 

そうすれば、あなたは、多くの人にとってますますかけがえのない存在となることでしょう。

そして、あなた自身も、温かな人とのつながり、幸せを感じていることと思います。

 

 

間違いなくあなたは素晴らしい存在です。

 

あなたは、これまで多くの人々の役に立ってきました。

あなたのことをとても感謝している人もいます。

それはあなたの側にいる人だけでなく、あなたが見知らぬ人もいるはずです。

そして、きっと、これからも、あなたは誰かの役に立って生きていくことでしょう。

 

 

どうか、自分を大切にして、温かな共感のかけ橋を、人にかけていって下さいね。

 

まずは、家族や一緒に仕事をしている身近な人から。

そして、多くの人に。

 

 

私もがんばります!

 

あなたが、どんどん幸せになりますように!

 

 

 

それでは、また。

 

※関連のお話です

自分の居場所  

幸福追求権

ハッピーハロウィン!

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平成21年10月31日(土)

 

皆さん、こんばんは。

神坪浩喜です。

 

早いもので、今日で10月もおしまい。

そして今日は、ハロウィンですね。

家のテーブルには「おばけ」の人形が飾られています。

 

それを見ていて、ふと、思い浮かんだ物語。

よろしければ、おつき合い下さい。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 

「ハッピーハロウィン」

 

月が静かに光る夜のことでした。

おばけが、ふわりふわり空をとんでいます。

 

 

ぼくは、おばけ。

今日はハロウィン。

ハロウィンの主役はぼくたちおばけなんだ。

 

今年も、たくさんの子ども達を驚かせ、怖がらせよう。

ぼくを見ると、みんな怖がる。布団にもぐる。

泣いてしまう子も多いよ。

 

どんなガキ大将でも、ぼくが

「おばけだぞ~!食べちゃうぞ~!」

と姿をあらわせば、泣いちゃうのさ。

それがとても痛快だ。

どんな子もボクには勝てないのさ。

 

さあ、今年は、どの子を怖がらせようかな?

 

 

おばけは、赤い屋根の小さな家をみつけました。

 

よし、あの家にしよう。

 

その家には、ちいさな男の子がお父さん、お母さんと住んでいました。

ちいさな男の子は、ハルといいました。

 

 

夜も更けて、お父さんもお母さんもすでに眠っています。

でも、ハルは、今日はなぜか眠ることができませんでした。

ベッドの上で、寝返りをうっているその時・・・・

 

 

ガタガタ、ガタガタ。

 

 

窓が揺れる音がしました。

 

 

今日は、風がつよいのかな?

 

 

ガタガタ、ガタガタ。

 

 

部屋に、風が吹き込んできました。

 

 

どうしたのだろう?

ハルは不思議に思いました。

 

「おばけだぞ~。食べちゃうぞ~」

 

人の声とは思えない、おどろおどろしい声が聞こえてきました。 

 

 

おばけ???

 

くらやみの中で、目をこらしてみると白くふわふわ浮いているものがぼんやり見えました。 

 

ハルはとても驚きました。

 

おばけなの!?本当におばけなの?

 

 

おばけは、ハルが驚いた様子に満足し、今度は怖がらせようと

また「おばけだぞ~。食べちゃうぞ~」とさらにおどろおどろしく言いました。

 

 

でも、ハルは、じっとこちらを見たまま驚きません。

 

おい、こら!おばけだぞ。怖いだろう。もっと怖がってよ。怖がるもんだぞ。

 

 

おばけは、もっともっとおどろおどろしい声で

「おばけだぞ~食べちゃうぞ~」

と言いました。

 

それでも、ハルは怖がってくれません。

それどころか、おばけを見る目は、むしろ嬉しそうです。

 

 

どうしてだろう。

おばけは、ハルが怖がらないことが不思議で、

思い切ってハルに聞いてみました。

 

 

「ねえ。おばけが怖くないの?

 どんな子どももボクを見ると怖がって泣いたりするのに、どうしてキミは怖くないの?」

 

 

ハルは、にっこりして言いました。

「ぼくの名前は、ハル。よろしく。

ぼくはね、病気であと1年くらいしか生きられないんだ。

お父さんやお母さんは、僕を悲しませないように、ぼくにそんなことは言わないけれど、

ぼくは知っているんだ。

 

死んだら消えてなくなると思って寂しかったけど、

キミを見て、消えなくてすむんじゃないなと思うと嬉しくなったんだ。

 

それに、キミ、本当は、いい人でしょう。あ、人じゃないか。いいおばけでしょう。

僕、わかるんだ。」

 

 

おばけは、その白い柔らかな体を、固くしていいました。

「・・・そうなの。そうだったの。ハルは、1年くらいして死んじゃうの。

ハルの病気って治らない病気なの。

でも、おばけというのは、ボクのようにいい加減に生きてしまった人がなっちゃうんだよ。

ハルは、見たところおばけにはなれないな。

それに、おばけというのは、嫌われ者だから、ならない方がいいよ。」

 

 

ハルは、その小さな体をベッドから起こし、おばけに近づきながら言いました。

「そんなことないよ。嫌われものなんかじゃないよ。

だって僕は、キミのことが好きだよ。

キミは本当は優しいおばけだよ。

キミとは、いい友達になれそうな気がしているんだ。」

 

 

おばけは、目をぱちくりさせて、じっとハルを見つめました。

「ともだち!?この嫌われ者のボクの友達だって?どうして?」

 

 

おばけは、困ってしまいました。

 

自分は、子どもを怖がらせて、いじめるのを楽しもうとしたのに、

この子は、自分のことを好きだって、いい友達になれそうだって?

こいつは何て変な子だろう。

そして何てバカな子なんだろう。

 

ハルは、澄んだ目で、自分を優しくみつめていました。 

 

 

 

「と・も・だ・ち」か・・・・

 

 

 

 

あれれ?

どうしたんだろう?

 

 

ポカポカ。ポカポカ。 

 

 

 

ボク、いったいどうしちゃったんだろう?

 

 

 

 

ポカポカ。ふんわり。ポカポカ。

 

 

 

おばけには、ないはずの温かいものが

おばけの胸の奥底からわき出してきたのでした。

 

 

 

ぽたぽた。

 

 

 

おばけにないはずのものがさらに出てきました。 

 

 

 

ぽたぽた。ぽたぽた。

 

 

 

おばけの目から、一つぶ、二つぶ・・・と

次から次へと大粒の温かい涙が出て落ちてきました。 

 

 

どうしてだろう?

 

おばけのボクに、どうしてこんなものが流れているのだろう。

こんな温かい気持ちになっているのはどうしてだろう。 

 

 

ハルを見ると 

ハルの目からも涙が落ちていました。

にっこり笑いながら、泣いていました。

 

 

 

ハルは、ボク自身が、すっかり忘れていたものを、心の目でみつけてくれた。

 

 

そう、ボクは、寂しかった。人から無視されるのが嫌だった。

ボクの存在を認めてほしかった。

だからボクの姿が人から見えるハロウィンの日には、人から認めてもらいたくて

怖がらせようとしてきた。

 

本当は、ともだちが欲しかった。

そう、ともだちが欲しかったんだ。

 

 

そんなボクの気持ちを、ハルは心の目でみつけてくれたんだ。

みんなボクを嫌っていたのに・・・ 

 

 

おばけは、突然、甲高い声で叫びました。 

「ハル!キミが、あと1年の命なんて早すぎるよ!

もっとこちらの世の中で、生きるべきだ!!

その心の目で、ボクのように忘れてしまった多くの人の温かい心をみつけてあげるべきだ!」

 

 

ハルは、おばけの目を優しくみつめながら首をふり、

「ありがとう。でも、仕方がないんだ。

お父さんやお母さんのためにも、できるかぎり生きる努力はするけど、

神様の決めたことで、仕方がないんだ。」と言いました。

 

「それにね。キミとすぐに友達になれたように、これからの1年でもたくさん友達できると思うんだ。

そして、キミや友達の心の中に、生き続けることができる。」

ハルは、うつむき声を震わせながら、言いました。

 

 

「ハル・・・・」

 

 

その時、 

おばけのからだは、少しずつ薄く見えなくなりました。

おばけは、長く人の目の前にはいられないのです。

 

 

「時間なのかい。消えちゃうのかい。」 

 

「うん。」 

 

 

「いいかい。生きることを決してあきらめるんじゃないよ。

あきらめたりしたら、許さないぞ!友達になってやんないぞ!

今度こそ、怖がらせてやるぞ!」

おばけは、泣きながら叫びました。

 

「ありがとう。あきらめないよ。

ありがとう。キミに出会えてよかった・・・」

ハルは顔をくしゃくしゃにしながら、声を絞り出すようにいいました。

 

 

 

「ハッピーハロウィン。さようなら、おばけくん」

 

 

 

「ハッピーハロウィン。さようなら、ハル・・・」

 

 

 

おばけは、静かに消えて見えなくなりました。

 

 

ハルが、窓から夜空を見上げると、西の空に上弦の月が静かに光っていました。

 

 

(おしまい) 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

おつき合いして下さってありがとうございました。

 

あなたのそばに、無理して強がっている人はいませんか?

そんな人を心の目でみると、違うものが見えてくるかも知れません。 

 

ハッピーハロウィン。

 

あなたに幸せが降り注ぎますように。 

 

それでは、また。

 

 

※関連のお話です。

心の中ではいつも。

はるのゆきだるま3

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平成21年10月25日(日)

 

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

 

突然ですが、皆さんは、ケーキ好きですか?

私、結構好きです。

まるいクリスマスケーキや誕生日おめでとうケーキを見ると

いまだにワクワクします。 

 

 

 

ここに3人の子どもがいます。

サトシくん、タケシくん、ヒカリさんとしましょう。

 

 

まるいケーキを3人で、どうわけるのか話あっています。

 

ケーキはおいしそうなイチゴのデコレーションケーキ

チョコレートでできたプレートや家、うさぎの砂糖菓子ものっています。

 

 

どう分けるのが「公平」でしょうか?

 

 

そんなの簡単じゃない、単に3等分にすればいいんじゃない。

 

 

そうですね。

原則として、3等分、内角が120度の角度になるようにケーキを切って

3人で分ければ、よさそうですね。 

 

 

でも、どうでしょう。

3人のうちの誰かがこんなことを言い出したら・・・

分け方、変わってきますか?

 

 

1 男女で区別

 

サトシ 「男の方が、偉いのだ。ヒカリは、俺たちの2分の1ぐらいでがまんしてよ。」

ヒカリ 「何いってんのよ!男は女性に優しくするものでしょ!甘いものが好きなんて男らしくないわ。

私が半分で、残り半分をサトシとタケシで分ければいいでしょ!」

 

あなたなら、どう分けます?

おそらく、変わらない、やっぱり3等分ですよね。

 

では次のケース。

 

2 年齢、体の大きさ

 

タケシ 「3人の中で、僕が10歳で、一番年長だ。サトシが9歳、ヒカリは8歳、年齢に応じて、 僕、サトシ、ヒカリの順に大きさを変えていくべきだ。」

ヒカリ 「え~!年上の人は、年下の人に優しくするべきよ。年下の私が、ケーキ大好きなんだから 私に多く分けてよ!!」

サトシ 「俺は、タケシより年下だけど、体はタケシより大きいぜ。体の大きい順に分けた方が公平ってもんじゃないか?大きなクルマの方がガソリンたくさん使うし。」

 

ん~。どうわけましょうか?

 

 

3 お金を出した額

 

このまるいケーキは1200円のケーキでした。

サトシ 「このケーキ、俺が600円を出して、タケシとヒカリは300円ずつだして買ったんだよね。お金を出した割合に応じて、俺が2分の1、タケシとヒカリは4分の1ずつにしよう。」

ヒカリ 「でも、サトシってお小遣い、私やタケシよりたくさんもらっているんじゃない?

サトシにはお金がたくさんあるんだから、たくさん出してもいいじゃない。ケーキはやっぱり3等分よ!」

タケシ 「お金を出した金額って関係あるのかなあ?」 

 

さあ、あなたなら、どう分けます?

 

4 ケーキへの愛着、お腹の空き具合

 

ヒカリ 「私、ケーキって大好き!その中でもイチゴのケーキは最高!!サトシ、タケシは、私ほど好きじゃないでしょ。譲りなさいよ。」

サトシ 「俺だってケーキ好きだよ。それに、たくさん外で遊んでお腹ペコペコでたおれそうなんだ。そんなかわいそうな俺に、多くあげてもいいじゃないか。」

タケシ 「僕だって、ケーキは大好きだ。ところで、ヒカリは、ダイエット中じゃなかったか?」

ヒカリ 「関係ないでしょ!!」

 

さあ、どう分けましょうか?

 

5 テストの点数

 

ヒカリ 「算数テストの点数がよかった方が、たくさんもらえるっていうのはどう?実力主義よ。私は、85点だったわ。」

サトシ 「テストの点数だって!俺は43点だったよ。ト・ホ・ホ。それはないよ~。」

タケシ 「僕は、76点だったけど。でもテストの点数って関係ないような気がするけど。」

 

どうしましょう?

 

他に、サトシ君の誕生日で、誕生日ケーキとして買ったものだったらどうでしょうか?

ヒカリさんが3人を代表してお店にケーキを買いにいった場合はどうでしょうか?

あるいは、タケシ君は、あまりケーキに執着しない人だったらどうでしょうか? 

 

 

実際には、いろいろな事情があったりします。

単純に3等分がいいとは言い切れない場合もあります。

単純に3等分すると、かえって不公平な場合もありえます。

 

あるものをどう分けるのが公平なのかというのは、

様々な個別具体的事情を考慮しなければならない判断できないこともあるのです。

 

「ケーキの分け方」のケースにあるように、

まず大切なのは、自らの希望と事情を伝えて、話し合うことです。

 

個別具体的な事情の中には、ケーキを受ける際に

考慮すべき事情と考慮すべきでない事情があり、

考慮すべき事情の中には、大いに考慮すべき事情とそれほど考慮しなくても

いい事情と程度が別れます。 

 

 

男だから、女だから、年長だから、年少だからという事情は

公平の観点、第三者的に見れば考慮すべき事情にはなりません。

ただ、話をしてみて、それで相手が考慮して、合意に至ればそれはそれでありなのです。

 

またお腹が空いている、ケーキが大好きだという主観的事情も、第三者的に見れば

考慮しても副次的な事情ですが、主張すれば、相手が考慮してくれることは

日常的には多かったりするでしょう。

 

 

公平の視点からすると

3等分を原則として

ケーキへの貢献度、誰が多くお金を出したかというのは、

考慮することが公平にかなうと一般的にはいえるでしょう。

サトシくんが、たくさんお金を出したのなら、サトシくんがその分ケーキをたくさん獲得できるというのは合理的な考え方です。

 

しかし、ヒカリさんが言ったように、富める者がたくさん負担する(でも享受する利益は同じ) という観点から、考慮しないということもありえます。

この国の税制だって、たくさん収入がある人はたくさん税金を納める(でも国から受けるものは変わらない)累進課税制度ですからね。

 

テストの成績というのは、ケーキへの貢献に直結しないので、 事後的にテストの点数で決めるというのは、合理性はありません (もちろん3人でそれでいいと合意すればOKです)。

 

もっとも、テストの平均点が高いと先生からケーキがもらえるという事情があって、

獲得したケーキならば、テストの点数が高い人は、ケーキの獲得により貢献したことになりますから、考慮事情になってきます。 

 

 

当事者の立場に立って、よりケーキを獲得するためには

第一次的に、ケーキへの貢献度

副次的に、ケーキの必要性、愛着

を軸にして、他の人へ伝えて理解を求めることになろうかと思います。

 

ケーキの貢献度というのは、

ケーキを買うお金をたくさん出した、

ケーキを買いにいったという事情。

 

ケーキの必要性は、

私がケーキをこんなにも大好きであること

お腹が空いていること、この前食べたご飯が○時間も前であることといった事情

 

だから、多くケーキをもらえないだろうかと他の人達に主張するわけです。 

 

そして、お互いにいろいろと話し合ってみると解決案が見えてくることもあります。

 

 

例えば、ヒカリさんは、イチゴが大好きなので、イチゴがたくさん乗っている部分を

もらったり、タケシくんのイチゴをいくつかもらうことで、ケーキ自体は減らして、タケシくんのケーキの割合をふやしたりすることもできたりします。

チョコの家やプレート、うさぎの砂糖菓子で調整できるかも知れませんね。

また、今回は、お腹ペコペコで倒れそうなサトシくんに多くあげて、

次回のケーキを分ける際には、サトシくんの分を少なくするといった案もあるでしょう。 

 

 

さあ皆さん、

「公平にわける」という感覚をつかんでいただけたでしょうか。

 

原則は、人数割りで分けていくものですが、

実際には、様々な具体的事情があり考慮する必要があること

分ける際の考慮事情としては、分ける対象への貢献度を第一に考慮し

分ける対象への必要性や愛着を副次的に考慮していくことを

今日は、おさえていただければと思います。 

 

そして、大切なことは、

公平な分配に関係する事情を中心に、

自らの具体的事情と希望を相手に説明し、

他方で、相手の事情や希望もよく聞いて、「冷静に」話し合うことです。

 

そうすると、お互いが納得できたり、ハッピーになれる

分配案や解決案が見つかることもあります。

 

 

つい当事者になると、自分はこんなに貢献したんだ、こんなに好きなんだ

と主張して、相手の話については「そんなの関係ない。」と思い、

お互いに相手のことを「欲張りだなあ」とか「わからずや」とか思ってしまいがちに

なります。 

 

「公平」って難しいんですよ。

でもお互いに「公平」の感覚を理解し、「公平」であろうとする心があれば、

それがないときよりずっと、お互いにハッピーな「ケーキの分け方」

ができるのでないかなあと思っています。

 

 

今日は、小学生対象を対象とした「公平」についての法教育授業のお話でした。

いかがでしたでしょうか。

 

 

「公平」とは、へだたらないこと、かたよらないこと、

感情に巻き込まれず、心をニュートラルにして、個別事情を考慮しつつ、複数のものを等しく取り扱うこと 

 

 

ケーキの分け方で、けんかすることなく、みんな仲良くおいしくいただけますように! 

 

 

 

あ、ケーキの話をしていたら、何かケーキ食べたくなりました。

栗のモンブランなんかいいかも? 

 

 

 

それでは、また。

誰かの役に立っている

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平成21年10月24日(土)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

そろそろ自宅の蓄熱式暖房機の電源を入れようか

と思うような寒さを感じるようになりました。

 

蓄熱式暖房機の電源は、一度いれると春までつけっぱなしになります。

電気代も相当かかりますので、つけるタイミングを考えます。

ちなみに昨年は10月30日でした。

今年ももうそろそろかな?

 

さて、先週の土曜日17日、東北大学無料法律相談所のお手伝いにいってきました。

8月の花巻に出張しての相談で、4年生は引退し、10月からは、3年生が法律相談を

行っています(2年生は同席して記録を書いたり受付を、1年生は同席して勉強です。)。

 

法学部棟が現在耐震工事中で、文学部教育学部棟で、

毎週土曜日の午後に相談活動をしています。

 

私は、相談所OBなのですが、3年生の後期に、法律相談をやりはじめたとき、

初めて一人でクルマを運転した時のような緊張感と充実感で、ワクワク、ドキドキしていました。

 

大学1年から3年の前期まで、先輩の相談活動は見ているものの、

助手席にいるのと、ハンドルを握って運転しているのが全然違うように、

はたで見ているのと実際に相談をやるのは全く違います。

 

 

分からない質問がとんでくると、「あれ?分からない?どうしよう!」

とあぶら汗が出てきました。

焦って本を調べたり、みんなに聞いたり、議論したりして、何とか回答できたこともよくありました。 

 

 

そんなこんなで、何とか相談が終わって、相談者の方から、「ありがとうございました。」と

いっていただくと、「あ~よかった。」とほっとするとともに嬉しく充実した気持ちになりました。

 

 

これまで相談をしたこともなく、大学で法律を勉強してきたとはいえ、よく理解はしていない状況で 

余裕なんかは全くありません。

もういっぱいいっぱいのところで、何とか相談をしていたのが現実です。 

 

 

そんな私の相談でも、相談者の方、喜んでくれたのですね。

この「喜ばれる」「役に立っている」という実感は、

心の芯をポカポカととても温かくしてくれました。

 

 

「あ、いいな。この感覚。心地いいな。」

 

 

自分に自信が持てなかった当時の私にとって、

この温かな感覚は、とても心地のよいものでした。

 

 

「法律を勉強することで、こんな自分でも、こうして誰かの役に立てる。喜ばれるんだ。」

 

 

学生による法律相談活動の効用は、生きた法律の勉強になることはもちろんですが、

「人の役に立っている」「人から喜ばれる」という精神的な報酬体験が、

これから社会に出た後、仕事を行う上での指針になるところが大きいのではないかと思います。

 

 

自分の努力によって得た知識や能力が 

「人から喜ばれる」「人の役に立っている」につながっている。

それを体験として知ることで、仕事にのぞむ軸ができてきた気がしています。

 

 

思うのですが、 

仕事がうまくいかないとき、頑張っても上司から評価されないときにでも、

今の自分の仕事は「人から喜ばれる」「人の役に立っている」につながっている

と心のどこかで留めておくことができれば、

なんとか自分を支えることができるのではないでしょうか。

 

 

仕事というものは実際やってみると、ときに辛くて大変なものです。

なかなか思うようにうまくはいきません。

上司や部下、同僚や取引先、お客さんとの関係で悩むこともあるでしょう。 

 

 

でも、間違いなく誰かの役に立っている、誰かに喜びを与える活動です。

 

 

もし、あなたが、仕事が辛くなったり、自分の能力に自信をなくしたら、

あなたのおかげで助かった人、あなたが喜ばせた人の顔を想像してみては

いかがでしょうか。

 

「ありがとう」と言われた時のことを思い出してはいかがでしょうか。 

 

 

ほら、あの人も、この人も、その人も・・・

あなたのおかげで、助かった人です。

(もしかすると、私もあなたに助けてもらった人の一人かも知れませんね。

ありがとうございました。) 

 

ゆっくり思い出してみると 

あなたのおかげで助かったり喜んだり人って結構いるのではないですか。

あなたのことを感謝している人はたくさんいるのではないですか。 

 

 

そして、その笑顔を思い出してみると

同時に、あなたが、助けてもらった人のことを思い出すかも知れません。

あなたが「ありがとう」と言った人のことが頭に浮かぶかも知れません。 

 

 

あなたも、誰かの仕事によって支えられてきました。

助けてもらいました。 

 

仕事を通じて、 人は人とつながっています。

「ありがとう」をベースに人とつながっています。

 

 

人のためになる何かを提供したから、あなたは、経済的報酬としてのお金と

お客さんや社長、上司からの「ありがとう」という言葉やあなた自身が感じる

「人の役に立っている」という精神的な報酬を得ることができるのです。

 

 

与えて、与えられる。

「ありがとう」が、人と人との間をいったりきたりしている。

そして人は他の人や社会とつながる。

自分の居場所を築いていく。

 

 

そんな視点で、毎日の仕事を眺めてみると、

何かあたらしい喜びを見つけることができるのかも知れません。

 

 

あなたの仕事は、どなたの役に立っていますか? 

 

 

それでは、また。 

 

 

※関連のお話です。

東北大学無料法律相談所

仕事の報酬

社会とのリンク

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平成21年10月15日(木)

 

 

皆さん、こんばんは。

神坪浩喜です。

 

朝晩はすっかり冷え込むようになりましたね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「あれ、なんだっけ?」

 

 

歳だとは思いたくないのですが、並行的に事件をやっていると

時々、その事件がどういう状況で、これから何をすべきかを忘れてしまうことがあります。

 

 

そこで、きちんとメモをしておくことが必要不可欠です。

 

 

 

今、私がつくっているメモの一つについて、ご紹介いたしますね。

 

本格的なものではありませんが、その分簡単で取り入れやすく、

また、あなた仕様に工夫できる余地がたくさんあるかと思います。

 

 

使うのはエクセルで、「Aさん経過表」というタイトルです。

事件ごとの経過表です。

 

 

日付  事実経過 タスク 
H21.10.1 相談・受任2日までに内容証明案作成・Aさんに送付し確認してもらう 
10.2内容証明作成・Aさんへ送付  
10.5Aさんから内容証明OKとのこと、発送  
10.12 先方より回答書、Aさんに送付

 Aさん確認後、今後のことについて打ち合わせ

 

10.15 Aさんと打ち合わせ 訴訟へと  10.30までに訴状案作成、Aさんへ送付
   
   
   
   

 

とこんな感じです。

事実が積み重なるごとに、事実経過の欄に入力し、事実から、やるべきことがでてきたら

タスクの欄に「何時までに、何をやるのか」を入力していきます。

 

 

最低限書いておいた方がよいこととして、

 

①日付

②実際にあった事実

③これからやるべきこと(タスク)です。

 

現在メモをとる習慣のない方は、この3点だけおさえたメモをつくっておくと

 

「あれ?なんだっけ?」

「何時までに、何をしておけばよかったんだっけ?」

 

と慌てることは、かなりなくなりますし、

 

精神的にも、これさえやっておけば大丈夫と見えてきて楽ですよ。

 

 

依頼者や相手方から、突然電話があったときも、経過表を見て

「現在は○○の状況で、これから□□の予定です。」 

とすぐに的確に答えることができます。

 

そして、これはおまけ的な効用なのかも知れませんが

積み重なる事実経過を見てみると

 

「お、結構、私って頑張っていろいろ仕事したなあ。」

 

といい気分になったりします。

 

 

このようなメモ、

「あ、これって、いいかも」

と感じた方は、 

是非試してみてくださいね! 

 

 

それでは、また。

 

 

 

※関連のお話です。 

 棚卸し作業

人生の主役は誰ですか?

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平成21年10月13日(火)

 

皆さん、こんにちは。

神坪浩喜です。

 

昨日は、家族と江坂さんとで、蔵王の陶芸教室に行ってきました。

粘土をこねて、コップやお皿をつくりました。

娘は、ハローウィン「おばけ」の置物にチャレンジしました。

先生は、教え上手、褒め上手なので、気持ちよくそれなりのものが出来上がります。

焼き上がりがとても楽しみです。 

 

 

 

 

さて、前回は、人にねぎらってもらうことや評価されることをあまり期待せずに、

自分主役の生き方を選んでみてはいかがでしょうか、というお話をしました。

 

 

他人に依存する幸せは実にもろいものです。

 

 

どんな上司であっても、いつも期待どおりのことをしてくれるとは限りません。

上司自体、自分自身のことで精一杯だったり、あるいは何か悩みがあって、部下のことを思いやる余裕がないのかも知れません。

 

上司が、理解のある優しい人だったら、幸せなのに

夫の給料がもっと多ければ幸せなのに

子どもが、素直で親の言うことを聞いてくれたら幸せなのに・・・・

 

 

このように考えてしまうと 

人に、自分自身の幸せを預けてしまうことになります。

人まかせ、風まかせとなります。

 

 

しつこくてすみませんが、 

他人は、基本的にあなたが望むように変わるものではありません。

変わってよ、気づいてよ、と願ったところで、なかなか変わらないものです。 

 

 

幸せというのは、環境や運や他人次第なのでしょうか。

 

 

自分自身の意思や選択、そして行動で幸せになることはできないのでしょうか。

 

 

 

私は、自分自身の意思や選択、行動によって

幸せな生き方をすることができるのだと思います。

他人まかせでなく、主体的に生きることができるのだと思います。

 

 

もちろん、自分の意思ではどうにもならなかった災難や不運はあります。

誰か心ない人によって、傷つけられたり、苦しめられたりすることもあるでしょう。

 

ですが、同じ出来事に遭遇しても、ある人は、落ち込み、出来事を恨み続ける

のに対して、別の人は、そんな辛い出来事さえも、自分の人生の糧にしたり、

同じ辛い目にあった人を救おうとする人もいます。 

 

心の受け止め方で、苦難を、成長や幸せに展開させる方もいるのです。 

 

 

ただ、私もそうなりがちですが、多くの人がとってしまうのは、

「○○のせいでこうなってしまった。」

「□□が、なければよかったんだ。」

という受け身的な考え方です。

 

 

こうして、つい他人や運に自分の幸せを預けてしまうのではないでしょうか。

 

 

ちょっとここで「選択」の視点から 

これまでの人生を振り返ってみましょう。

あなたは、これまでたくさんの「選択」をしてきました。

 

誰とつきあうのか。 

どの高校や大学に入るのか。

どの会社に入るのか。

どんな職業を選択するのか。

誰と結婚するのか。

どこに住むのか。

何を食べ、どんな本を読むのか。 

よいことに目を向けるのか、悪いことに文句をいうのか 

チャレンジするのか、現状維持を選ぶのか・・・・

 

 

そのあなたが「選択」が、どのような結果をもたらしましたか。

 

いろいろな選択の結果、今のあなたがそこにいます。

 

あなたのこれまでの様々な選択の結果が、今のあなたなのです。

親や誰かから、こうした方がいいと言われて、

そのとおりやったとしても決めたのはあなた自身なのです。 

 

 

自分の人生の主役は、自分です。

あなたの人生の主役は、あなた自身です。

あなたの目の前に、舵、ハンドルはあるのです。

 

 

その目の前の舵、手放して、人まかせ、風任せにしますか?

それとも、しっかり握って、自分の行きたい方向へ、舵取りをしますか?

 

どちらを選ぶこともできます。

あなたは、どちらを選びますか? 

 

 

 

私としては、大切なあなたには、ぜひ後者の生き方、

つまり自らの手で舵をしっかり握って行きたい方向へ、動かしてもらいたいなあと思ってます。

 

 

それは、その生き方が幸せな生き方だと思うからです。

あなたには、幸せになって欲しいからです。

 

 

しかし、舵をしっかり握るということは勇気を伴います。

 

 

人が悪い、社会や政治が悪い、環境や運が悪いといっていれば、

自分を正当化させ、自尊心を守り、何もしない現状維持を肯定することができますが、

舵をにぎることはそれができなくなるからです。

今、ある結果は、自分の責任じゃないとどこかで思いたいからです。

 

 

とても怖いことです。自分と向き合うことは勇気がいります。

 

 

でも、ここが踏ん張りどころだと思います。

依存の人生を送るのか、主体的に生きるのか。

 

 

もし、あなたが他人や環境に依存してきたとしても 

これまでのことはいいんです。過去は過ぎ去りました。

これから、幸せになって欲しいのです。

そして、なれると思います。

 

 

そのために、しっかりと舵を握って、舵を動かして欲しいのです。

 

 

さあ、舵をしっかり握ってください。

 

 

あなたは、勇気を出して舵を握りました。

どこへ行きましょう。

 

あなたの夢は何ですか?

あなたはどんな人生を送りたいですか?

 

その行きたいところへ向かうために、 

今、あなた自身ができることは何でしょうか?

 

 

どのようなものの見方、考え方を「選択」すればよいでしょうか。

どのような行動を起こせばよいでしょうか。 

 

 

一番のヒントは、あなたがこれまでしてきた「選択」と「結果」にあるかと思います。

また、別の人の「選択」と「結果」からも学ぶところは多いでしょう。

 

それをヒントにして、 

今、自分自身ができること、自分自身がコントロールできることに

意識を集中させてみましょう。

 

 

何ができますか?

 

 

 

 

あなたが、あなた自身の幸せのために、できることは、結構あるのではないでしょうか。

どんな些細なことでも構いません。

あなたができる小さな一歩を、紙に書きだし、行動してみましょう。

 

 

もし思いつかなければ、あなたが信頼できる人や専門家に相談してみるという行動を選択するのもよいかと思います。 

 

 

 

あなたが、幸せになるために、今できる具体的な行動は何ですか? 

 

 

 

あなたの人生の主役は、他の誰でもない「あなた」です。

あなた自身で、これからのあなたの人生を創っていくことができるのです。

 

 

 

あなたが、幸せでありますように! 

 

 

それでは、また。

 

 

※ご注意下さい

今回の私からの質問は、重い質問もありますので、

落ち込んでいる時や、神経が高ぶっているときはではなく、心が落ち着いている時に

問いかけてみてくださいね。

決して、自分が悪いんだ、自分はダメなんだと自分を責めたり、いじめないようにして下さい。

ここまで、しつこく重い私の話を聞いてくれたあなたは、きっと心の澄んだ優しい方だと思います。

また、実際に誰かから深刻な攻撃を受けているとき(いじめ、DV、パワハラ等)には、

決してあなたの責任ではありません。我慢せずに、助けを求めて下さい。

 

 

※関連のお話です。

人生のハンドル

すべては自分が選んだ結果

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平成21年10月12日(月)

 

 

皆さん、こんにちは。



神坪浩喜です。 

昨日、近くのジャスコに行ったら、
もうクリスマス飾りが売り場にならんでいました。
書店では、来年の手帳やカレンダーコーナーが。

早いものですね~。

 

さて、前回は、誰かに何か仕事をしてもらったら、ねぎらったり、いたわったり、
感謝したりする習慣を持つといいのではないかというお話をしました。



前回の話を読んで、


「これからもっと、同僚や部下に何かしてもらったらもっとねぎらうようにしよう。」

と思ってくれた方もいらっしゃるかと思います。
そう思ってくれたとしたら嬉しいです。

是非実践してみて下さいね。


ただ、きっと多くのかたは、それよりは、前回のブログを

「あの上司に読ませたい。」

「自分勝手な夫に読ませたい。」

「妻に読ませたい。」

と、ねぎらってくれない上司や旦那さんや奥さんの顔を思い浮かべたのではないでしょうか。


そして、


「少しくらいねぎらってくれてもいいのに。」

「変わってくれないかな。」

「どうしてねぎらってくれないのだろう。気づかないのかな。」

と思ったかも知れませんね。
 

そのお気持ち、よ~く分かります。
 

 

でもね。


他人は簡単に変わることはありません。

まず変わらないものだと思って下さい。そういうものです。




やった仕事に対して、きちんとねぎらいや感謝の言葉をかけたりする上司は、
実際そんなにいないものです。

そんな上司は、スペシャルな人なんです。



こういっている私自身、頑張ってくれている事務の江坂さんや弁護士会事務局の方に
きちんとねぎらいや感謝の言葉をかけているかはちょっと怪しいものです。



上司が変わることは、期待しない方が心は穏やかです。

では、一体どうすればいいのでしょうか?




もし、あなたが、頑張って頼まれた仕事をやっても、何らねぎらいや感謝の言葉もなく、
重箱の隅をつつくようなダメだし専科の上司の部下だとしたら、
どのように対応しますか?                 



いくつかの選択肢があるかと思います。


① こんな上司の元でもう働きたくないとふてくされ会社を辞める。


② もう嫌だなあ、とやる気をなくして、いい加減な仕事をする。


③ 仕方がないか、と言われたことだけ、淡々とやる。


④ 上司から言われたことに、提案や工夫、付加価値を付け加えて、上司から言われたこと以上のことをする。



もし、あなたが部下だったとしたなら、どの行動を選択しますか。



それぞれの行動を選択した場合、どのようなことになるでしょうか。
少し想像してみましょう。


①の場合
会社を辞めても就職できるか分からない。転職できてもきっと多分同じような上司がいるパターンが多いかと思います。
同じようなことを繰り返す可能性大です。

 

 

②の場合
いい加減な仕事をしていれば、ますます上司から怒られ、
ストレスはたまるばかりでしょう。
同僚からも評価されず、その程度の人と見られてしまいます。

 

 

③の場合
言われたことをやるのはいいですが、あなた自身の成長はあまりありませんし、上司もこれまで同様、文句ばかりつけてくる可能性が大きいでしょう。

 

 

④の場合
上司から言われたこと以上、期待以上のことをやっていると、よほどひねくれた酷い上司でなければ、あなたの働きぶりを評価するはずです。


口に出して言わないまでも、「この人、なかなか仕事できるな。」という印象はきっと持つはずです。


その上司に評価されなくてもあなた自身の能力は高まり、
きっと上司以外の誰かがそんな能力のあるあなたを放っておきません。

直属の上司とは別の上司が、あなたの働きぶりを評価して、新しいポストを与えてくれたり

かつての上司が、新しい会社に、あなたを誘ってくれるかも知れません。


      
それに、仕事に工夫や付加価値をつけることをしていると、
きっとその仕事自体が楽しくなってくるでしょう。
      


こうして、検討してみると、そんな上司でも、
いやそんな上司だからこそ、腐らずに、落ち込まずに
上司の期待以上の仕事をするようにしてみるという④の行動が断然よさそうですよね。


でも、分かっているけれど、期待以上の仕事をするように頑張るなんて、
実際のところなかなか難しいよ。


そうあなたは、おっしゃるかもしれません。




確かに。

 


つい、こんな上司の下でやってられないとか、
こんな上司を喜ばせたくないとか、
とにかく辛い、辛いと思って仕事に身が入らなくなるのが普通だと思います。



多分、私がその立場におかれれば、まずはそんな気持ちになると思います。


だから、考えたいのです。

そんな時、心の持ち方としては、どうすればいいのだろう?

 

考えてみた一つの案なのですが、
自分は、上司のために仕事をしているのではない、
上司に認められるため、褒められるために仕事をしているのではない、

私は、自分自身の能力を最大限発揮するための、いい仕事をするためのゲームをしている、
上司は、そのゲームに登場している単なる一キャラクター、脇役にすぎないと考えてみるのはどうでしょうか。


脇役に、自分の人生の幸せ、不幸せを決めてもらいたくはありませんよね。

自分自身で、上司がどうあろうとも、幸せになることを選ぶことはできるのです。



ねぎらってもらったり、感謝されたりすることは、もちろん嬉しいことですが、
そういったことは最初から期待しません。



期待せずに、仕事それ自体に意識を集中させてみる。
自分として、精一杯やったかだけを基準とする。


そうすると④の行動を選択しやすいような気がします。



上司がねぎらいもなく、ダメだしばかりする人であっても
だからといって、あなたは、決して不幸になる必要はありません。


そんな上司でも、あなた自身の意思によって、成長や幸せを手にすることはできるのです。

いや、場合によっては、そんな上司だからこそ、あなたの能力が磨かれているのかも知れませんよ。

 

いつか、そんな上司に感謝する時が来るかもしれまん。

「あの上司のおかげで、私は素晴らしい人生を歩むことができました」と。

 

 

 

それでは、また。 

 

 

 

※関連のお話です。
自分の気持ちは、相手には分からないもの

「労」&「労」-仕事の報酬

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平成21年10月10日(土)
 
皆さん、こんにちは。
神坪浩喜です。
 
今日は、さわやかな青空が広がっています。
半分にかけた白い月が西の青空に浮かんでいました。
空が高いですね。
 
 
さて、ある本で読んだとある会社のエピソードです。
 
 
ある会社の部署で、新しい部長が配属されました。
その部の業績は、他の部にくらべてとても悪かったので、前の部長が更迭され、
新しい部長が配属されたのです。
 
 
新しい部長は、不思議に思いました。
「どうしてだろう?部内の一人ひとりは、みんな優秀な人達なのに、どうして部全体の業績はあがらないのだろう。」
 
部下達をしばらく観察した後、 
新しい部長は、たった一つだけ、前の部長がやらなかったことをやってみたそうです。
そうすると、一人ひとりの業績がアップし、部全体の業績も飛躍的に伸びたそうです。
 
 
 
部長は、一体どんなことをやったのでしょうか?
 
 
 
 
 
新しい部長は、部下達に、こんな声がけをしました。
 
「営業の外回り、暑い中大変だったね。ご苦労様。」
「君のおかげで、とても助かったよ。ありがとう。」
「あの仕事、がんばってくれたね。おかげさまでこの仕事うまくいったよ。」
「ますます頼りにしているよ。」
 
 
こんなねぎらいの言葉を、ひんぱんに部下にかけたそうです。
 
 
 
仕事の報酬って何でしょうか?
 
 
お金?
 
そうですね。もちろん労働の対価として賃金、つまりお金をもらいます。
 
 
でも、お金だけでしょうか?
 
 
私は、仕事の報酬には、経済的報酬とともに、心の充足という精神的報酬があると思います。
人に役立った、喜ばれたという実感。
人から感謝されること。
人とあたたかいつながりが持てたこと。
そんな心の充足があって、仕事にやりがいをもつことができるのだろうと思います。
 
そういった精神的な報酬があるからこそ、人は仕事をするのだろうと思います。
 
 
お客さんに、直接「ありがとう」と感謝される仕事であれば、まだいいのですが、
そうでない場合、仕事をふった経営者や上司が、ねぎらったり、感謝したりするのでなければ、
そんな精神的な報酬を得る機会は、乏しくなってしまいます。
 
 
ところが、
給料をあげているのだから、指揮に従って、仕事をするのは当然
部下は、上司がまかせた仕事をやるのは当然
と思っている経営者や上司が意外に多いのではないでしょうか。 
 
当然とおもって、頼んだ仕事を部下がやってくれても、何も言わず
口を開いたとしても、それは結果への不満やミスを指摘するばかりになっていないでしょうか。
 
 
家庭の中でも、奥さんに頼んだことを奥さんがやってくれても、何も言わず
口を開いても、注文をつけたりしていないでしょうか。 
 
 
逆の立場にたってみましょう。
 
 
上司に頼まれたことを頑張ってやっても、何も感謝されない、ねぎらってくれない。
さらには、文句ばかり、ダメだしばかりされてしまう・・・。
 
 
辛いですよね。 
 
 
そんな立場にしばらく立つと、当然やる気はしぼんでしまって、パフォーマンスは落ちていくばかりです。
心が萎えていきます。人を信頼できなくなります。
人と信頼のつながりを保てなくなり、自分の居場所がここにはないと感じていきます。 
 
 
個人の力が落ち、個人と個人とをつなぐ絆がゆらいでいくと 
当然、チーム全体のパフォーマンスも落ちるわけです。 
 
 
「労をねぎらう」という「ねぎらう」を漢字で書くと「労を労う」になります。
「労をいたわる」という「いたわる」を漢字で書くと「労を労る」になります。
 
 
「労う」といのは、労苦や骨を折ってくれたことを慰め感謝すること
「労る」というのは、優しく大切に扱うこと、ねぎらうこと
 
 
部下や同僚、奥さんや旦那さんに、何か「労」を頼んで、
その仕事をしてくれたならば、ぜひ、その後に「労う」や「労る」を続けたいものです。
 
 
それが、一人ひとりが幸せに働けて、チーム全体としても活性化する大切なポイント
ではないかなと思っています。
 
もし、誰かに「労」を頼んでやってくれたならば、
後で必ず「労い」「労り」の「労」もセットにしてみて下さいね。
 
そして、やや、オーバー目くらいでいいと思います。
「頑張ってくれて、ありがとう!」
というくらいに。 
 
 
きっとよい変化が訪れることと思います。 
 
 
「労」&「労」
 
 
それは、あなたが頼んだ人やチーム全体のために。
 
そして、あなた自身の幸せのために。
 
 
それでは、また。
 
 
※関連のお話です。
給料袋の一言
いつも頑張ってくれてありがとう。

楽しい予定をカレンダーに。

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平成21年10月9日(金)
 
皆さん、こんにちは。
神坪です。
 
昨日は、台風が東北地方を縦断しました。
大変な嵐でしたね。 子どもが通う小学校も休校になりました。
今日は、道にたくさんの葉や枝が落ちていました。
この台風で、季節がまたぐっと進みそうです。
 
 
さて、明日から3連休の方も多いかと思いますが、
あなたは、何か楽しい予定は入っていますか。
 
休日に、楽しい旅行をしたり、好きなことをしているとき 
って幸せな気分ですよね。
 
それから、
大好きなペットとじゃれたり
 
大好きな人と楽しい会話をしたり
 
大好きな料理を食べたりすると
幸せ気分になると思います。
 
 
大好きなことに関連していると幸せ感はあがります。

 
そして、実際に、大好きな人が目の前にいなくても、ものが近くにいなくても
その人やもののことを考えるだけでも、幸せな気分になりませんか。
 
逆に、苦手な人や嫌いなものを考えるだけでもドヨーンとしてきます。
 
考えるだけで、明るいいい気分にもなれば、暗い気分にもなる。
 
 
とすると、できるかぎり好きな人やもの、楽しいことを考えると
いいですよね。 
 
 
とはいえ、私もそうですが、楽しいこと、好きなものを思い浮かべればいいと分かっていても、
なかなかできない、つい逆の暗い方向に考えてしまうのが普通ではないでしょうか。 
 
 
 
何か、楽しいこと、好きなものを思い浮かべやすくするコツってないのかなあ?

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先日、学校遠足の準備のために、
娘と一緒にお菓子をお店に買いに行きました。
 
私のころは、300円までといった金額制限があったのですが、
娘が通う小学校では、金額制限はなく「食べられるだけ」買ってもってきていいそうです。
(い~な~)
 
おいしそうだね。どれもおいしそうなお菓子で迷っちゃうね。
 
どのお菓子にしようかな?と迷いながら、娘はとても楽しそうでした。
 
遠足している時間も楽しいのですが、こういった遠足の準備をしているときも
とても楽しいひとときですよね。
 
頭の中は、楽しい遠足のことを考えて、幸せないい気分です。
 
 
楽しい予定が入っている。旅行だったり、趣味だったり。
時に、旅行中よりも、むしろ旅行の準備をしている時が楽しかったりします。
楽しい将来のことを、頭の中で浮かべている時って、幸せですよね。
 
 
だから、目の前に大変な仕事があったとしても、
仕事が終わった後に楽しい旅行の予定が入っていれば、結構がんばれたりします。
 
今この時は、旅行に行っていなくても、頭の中では旅行を思い浮かべて幸せなのです。 
 
 
楽しい予定、好きなことをする予定が入っていると
それを思い浮かべやすくなる。 
 
 
そこで、私、そんな事前の幸せ気分を味わいたくて
近頃、好きなことをする予定、楽しい予定を、意識的に「ちょっと先」に入れるようにしました。
「ちょっと先かな」と自分が感じる1か月先くらいに、旅行や飲み会の予定を入れておく。
 
 
そして、事前の幸せ気分につなげるコツとして
楽しい予定を、紙に書いておく(またまたでました。「紙に書こう会!」) 
 
 
楽しい予定を手帳やカレンダーといった日頃目にするような紙に書いておくのです。 
 
 
そういった「仕込み」をしておくと、一体どうなると思います?
 
 
 
自然と手帳やカレンダーの楽しい予定を目にして
頭では、自動的に将来の楽しい予定や好きなことが浮かんでくるようになります。
そして、幸せな気分の時間が長くなりました。
 
 
 
好きなことをする楽しい予定を「ちょっと先」に入れておく
そしてそれを
よく目にする手帳やカレンダーといった紙に書いておく 
 
 
そうすることで、 
自然と、楽しいことや好きなものを思い浮かべることが
多くなります。
幸せな時間が増えてきます。
 
 
簡単ですが、なかなか効果的ですので、 
あなたも、よろしければちょっと試してみて下さいね!
 
 
それでは、また。

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平成21年10月6日(火)
 
皆さん、こんにちは。 

神坪浩喜です。

一昨日、子ども達と一緒に家の側の掃除をしました。
カツラの枯れ葉がたくさん落ちていて
あっという間にゴミ袋がいっぱいになりました。


作業をしていると、なぜか、焼き芋が食べたくなりました。
どうしてだろう?

さて前回のブログで、「頂きはどこにある?」(スペンサー・ジョンソン著)
という本を紹介しました。
順境を山、逆境を谷に例えて、「山と谷の対処法」、仕事と人生における
良い時期と悪い時期をどのように捉え、生きるとよいのかの物語です。


順境の時は、つい実際の事実よりよく物事を見てしまいがちになること、
傲慢になって、それが谷へ落ちてしまう原因になるということでした。


ですから、心の持ち方として、
過大視していないか事実を冷静に見ること、
そして意識的に「感謝」と「謙虚」な気持ちを持つようにすること
が大切だというお話をしました。


今回は、逆境の時の心の持ち方についてです。

 

何をやってもうまくいかない、そんな時期ってありますよね。
トンネルの中、暗闇の中。


そんな時、とても不安になります。
ずっとこんな時期が続くのではないか、
いやもっと今より状況は悪くなっていくのではないか
とそんな気になったりします。


順境の時は、実際の事実よりよく見てしまいがちということでした。


逆に、逆境の時は、実際の事実より、悪く見てしまいがちです。
悲観的に事実をとらえがちです。
実際の事実を、必要以上に深刻に捉えてしまいがちです。


逆境の時は、物事を実際より悪く思いがちで、
悲観的になる引力が働いているのです。


そして悲しい気持ち、落ち込んだ気持ちを、増幅させてしまいます。


「私ってダメね。」
「どうせ私なんて。」
こうして、自己嫌悪に陥り、自分をいたずらに傷つけていく。


あるいは
自分を正当化し、運や人、環境のせいにすることもあります。
「どうしてあの人は、ああなんだろう。」
「どうして私ばかり、いつも貧乏くじなんだろう。」
運や人・環境のせいばかりにしてしまうとそこで成長は閉ざされます。
嫉妬や恨みの気持ちを持つと心も穏やかではありません。
誰かを「許せない」と責める気持ちは、自分自身の心を傷つけてしまいます。


事実を深刻に捉え、悲観的な感情を増幅させていくと
その逆境が、泥沼化していくおそれがあります。
なかなか逆境から抜け出せなくなってしまいます。


逆境を抜け出すには、自らの「建設的な行動」しかないのですが、
不安な気持ち、絶望的な気持ちに心を支配されると立ちすくんで行動を起こすことができません。

また、運や人のせいばかりにしていると、運や人を恨むばかりで、自分は行動しないことを選んでそこに留まってしまいます。

 


では、逆境の時、どういう心の持ち方をすればよいのでしょうか?

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逆境の時も順境の時と同じく、事実がありのまま見えにくくなるということですから、
まずは、順境の時と、同じように心をニュートラルにして、事実を冷静に捉えることです。


必要以上に、悪く悲観的に捉えないよう意識して、事実をいろいろな角度から検証することです。

 

谷は、ずっと続くわけではありません。
トンネルも、夜もずっと続くわけではありません。
必ずや出口があり、夜明けがやってきます。

 

今、自分がおかれている客観的な状況はどのようなものでしょうか?

ありのままの事実は、どんな事実ですか?

必要以上に、悲観的に捉えていませんか?

もしかすると自分をいたずらに悲劇の主人公にしてしまったりしていませんか?

 


冷静に、いろいろな立場から眺めて見ましょう。

いまどんな事実が起きているのか、紙に書き出してみましょう。

誰か、信頼できる人に話を聞いてもらってもいいかも知れません。

 

そして、どうすればこの状況を打開できるか、改善できるか考えてみます。
信頼できる人がいれば、その人と一緒に考えてみましょう。


具体的にどのような行動を起こせばよいでしょうか。
まず、最初の一歩はどんな行動でしょうか。


その改善策を考えるとき、逆境に至った原因の中にヒントが隠されていることが多かったりします。
逆境の中の、利点を探します。
この逆境から、何が学べるのだろうかと問いかけます。

 

それは、順境の時に、慢心に陥って、反省や準備を怠ったからかも知れません。
部下や同僚のアドバイスに耳を傾けなかったからかも知れません。
危機管理対策を怠ったからかも知れません。

 

そこで、二度と同じ過ちをしないための防止策をうったり、
状況を打開するための改善策をうってみます。


逆境は、あなたに何かを気づいて欲しくて起きているのかも知れません。
逆境という事実を通じて、あなたに大切なメッセージを送っているのかも知れません。


谷の苦しみは、それまで無視してきた真実に気づかせてくれるものかも知れません。


以前、起きることには必ず意味があるというお話をしました。


逆境の時に、いたずらに深刻にならずに、正面から事実を向き合い、
打開や改善の行動を起こすことで、植物が地中に根を伸ばすように、
目に見えないところで、心の芯を太くしているような気がします。
人により深く優しくなれたりします。
逆境の時というのは、辛い時期ですが、人としての成長の側面からすると、恵まれている時期なのかもしれません。

 


もちろん逆境には、さまざまなものがあります。
病気、事故、失業、愛する人を失うこと、
信じていた人から裏切られること
自分の力ではどうにもならないものもあったりします。

運命を責めたくなることだってあるでしょう。

しばらく、一人っきりになって静かに悲しみを感じることも必要でしょう。

 

でも、人というのは素晴らしいものです。

そんな辛い出来事に対しても
事実を冷静に受けとめ、そのような事実から大切なことを学び
さらにはその経験を生かして誰か他人の役に立とうとする方もいらっしゃいます。


あなたの辛い体験、逆境はあなたにとって、
あなた以外の誰かにとって何か役に立つものなのかも知れません。


そして、あなたに、その辛い体験があったからこそ救える誰かがいるのかも知れません。

 

逆境を生かすことができる心の構え。

それが持てると人生はさらに素晴らしいものとなるのではないでしょうか。

 

私自身、まだまだなので、かかる心の構えを、持てるようになりたいと思っています。

 

それでは、また。


あなたが、幸せでありますように!
 

 
※関連のお話です。
起きることには意味がある

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