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日記・コラム

初日の出から。-冬の朝に2

平成24年1月28日(土)

  

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

毎朝、犬のマリと散歩をしているのですが、日の出や朝焼けの美しさに魅せられて、

「日の出オタク」となり、ついついシャッターを押してしまいます。

 

初日の出から10日までの、冬の朝の写真です。

よろしければお付き合いください。

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初日の出です。
今年がよい年でありますように!

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雲を透過したマイルドな
初日の出でした。

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1月2日の朝日です。
キラーンとまぶしい光でした。

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1月3日の日の出です。
快晴の朝でした。

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1月5日の日の出です。
1月5日ころが、日の出の時刻が一年で一番遅い時期だそうです(仙台で、午前6時56分)。

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上の写真の続きです。
太陽が少しずつ昇ってきました。

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 1月7日の日の出です。
快晴の寒い朝でした。

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1月7日のマリです。
  何を見ているのかな?

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1月8日の日の出です。
 雲の隙間からまぶしい光がもれてきます。

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1月8日、雪の公園で。
 遠くで散歩している柴犬を見ていました。

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1月9日の朝の雲です。

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 1月10日、東の空に浮かんでいた雲です。
 ちょっと「竜」に見えませんか?
 今年は、辰年、「縁起がいいかも!」と嬉しくなりました。

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朝日と雪とマリと。

ご覧いただき、ありがとうございました!

 

今年という一年が、みなさまにとって素敵な一年になりますように。

明るい光が、あなたを照らしますように。

 

※年末に撮った冬の朝の写真です。

冬の朝に

民事調停について思うこと-その3 ボールのやりとり

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平成24年1月22日(日)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

 

先日、妻の見た感じが変わったので、

「ん?美容院に行った?」

と聞きました。

 

妻は、「うん、行ったよ」と答えました。

 

「お~よかった。気づいてよかった。セ-フ!」と私は内心ホッとしました。

 

 

そして妻は言葉を続けました。

 

 

「昨日のことだけどねっ!」

 

 

うわっ、しまった!

全然セーフじゃなかった!(汗)

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

民事調停のお話の続きです。

 

前回のお話では、民事調停は、話し合いの出発点で当事者双方が求めるものを「真意」を含めて確認し、

「事実」と「評価」を意識して、結論としての食い違いもたらす違いを明らかしていくこと、

判断の前提となる事実、情報の共有をめざすことについて、お話しました。

 

 

===============================

 

3 合意形成のために

  

(4)ボールのやりとり

 

 

双方の主張の根拠となる事実、評価について「まな板」に乗せてもらって、当事者双方の共通認識になった後、当事者のどちらか一方から「ボール」=解決案を投げてもらいます。

 

先方から出してもらった情報や先方の評価や思いをふまえた上で、最初に出した主張から変化がないかを検討してもらい、話し合いによる解決に向けた新しい提案ができないかをたずねます。

 

 

「○○さんの出した事実から、○○の点は了承しました。また○○さんが○○と考えていることも分かりました。

しかし、○○の点は、やはり理解していただきたいので、○○という解決案ではどうでしょうか?」

 

 という感じで、解決案を出してもらうのが理想的です。

 

 

ボールを最初に投げてもらう当事者に対しては、お互いにどの部分が共通で、どの部分が食い違っていて、食い違っている部分がどのような理由からなのかを、なるべく分かりやすく説明することにつとめます。

 

調停委員が、改めて問題点を整理して、それを当事者に提供することによって、当事者が、自ら解決案を提案しやすくなります。

  

当事者が、検討し、従前より、他方当事者の主張に歩み寄った解決案が提案されたのであれば、それを他方当事者に伝えます。

 

当事者一方から他方当事者へ、話し合いによる解決に向けた「ボール」が投げられたことになります。

 

 

この「ボール」を他方当事者に伝える際には、それは、あくまでボールを投げた当事者の「提案」であり「お願い」であることを強調します。

 

当事者の方は、相手の主張を押しつけられること、要求をのまされると感じることを嫌がるものです。

 

ですから、調停の折りに触れて、私は次ぎのようなお話をします。

 

 

---------------------------------

 

 

調停は、話し合いであり、この場で、誰かが誰かに何かを押しつけたり、強制することはできません。

私たち(調停委員会)が、押しつけることもできません。

 

 

ここでのやりとりは、すべて希望であり、提案であり、お願いになります。

 

自分が投げた提案というボールを、相手が受けとめれば、それで合意が成立し、解決となります。

相手が投げてきたボールを、自分が受けとめれば、それで合意が成立し、解決となります。

 

相手が投げたボールを受けとめるのも、受けとめないのも○○さんの自由です。

○○さんが、自由に選ぶことができるのですよ。

 

相手からのボールを受けとめないときは、逆に○○さんから、相手に新しいボールを投げ返すこともできます。

 

さて、今、相手の○○さんからボールが投げられました。

 

それは、○○という理由から、○○という希望です。

 

○○さんは、相手が投げてきたボールを受けとめて、合意を成立させ、話し合いを終わりにすることもできますが、いかがされますか?

 

それとも、それでは受けとめられないとして、○○さんの方から、相手に新しいボールを投げますか?

 

 

--------------------------------

 

 

この「ボールのやりとり」をする際には、基本的には、個別に話しを聞いて、一方から他方へ伝えます。

 

このボールを伝える際には、言葉を整えて、柔らかい表現にするようにして先方に伝えることがポイントになります。

 

 

当事者の生の表現は、時に思いが強く、攻撃的なものになりがちです。

 

 

その言葉を調停委員は、その言葉が出てくる気持ちも理解しつつも、相手に伝える際には、ダイレクトに伝えるのではなく、表現を柔らかくして伝えるようにします。

 

それは、強い言葉、激しい言葉をダイレクトに伝えると、「なんだと!こっちだって!」となりがちで、解決案の冷静な検討ができないからです。

 

 

例えば、金銭請求の場面で「100万円くらい払うのが当然だ。払ってよ」等と言っている場合に相手には、「○○の理由から、100万円を支払って欲しいというご希望です」と伝えたり、立ち退きの場面で「さっさと立ち退いてよ」等と言っているような場合に、相手には「○○の理由から、少しでも早く立ち退いてもらえないかというご希望です」と伝えたりします。

 

 

そっくりそのまま伝えるのではなく、先方に合理的理性的に考えられるように言葉を整えるのです。

調停委員が緩衝材となって、言葉を整え、整った言葉で、相手に伝えると、相手も冷静に考えやすくなります。

 

 

「アダプター」というのがありますよね。

 

パソコンや携帯電話の電源をコンセントからひいてくるときに必要なものです。

 

アダプターは、交流を直流にしたりして、電流を整えて、電圧を下げるものなのですが、調停委員もあの「アダプター」のようなものかなと思います。

 

 

当事者一方からの言葉を、相手が合理的理性的に考えられるように、うまく整えて、伝えることができならば、話し合いによる解決可能性は高まる気がしています。

 

  (その4に続く)

 

 

================================

 

 

以上のお話は、

当事者に自主的な解決をしてもらうために

 

① お互いに自らの主張を押し付け合うのではなく、あくまで提案、希望であり受けいれるのか、代案を提案するのかはお互いに自由であることを意識してもらうということ

 

② 間に入る調停委員としては、当事者一方の言葉を、思いに配慮しつつも、整えて他方当事者に伝えること

 

が、ポイントだということです。

 

それは、自らに起こったトラブルを、理性に従った判断によって、自律的に解決することに資するからに他なりません。

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次回は、調停委員会が出す解決案(調停案)について、お話ししたいと思います。

 

 

※関連のお話です。

 

自分で間合いをとれるのですよ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

言葉を丁寧に扱うこと、大切にすることは、調停や弁護士の仕事の場面だけではなく、あらゆる場面で、幸せに生きていく上で、とても大切なことだと感じています。

 

 

自分が発する言葉によって、誰かを励ましたり、誰かのためになったりすることもあれば、誰かを傷つけたり、辛くさせてしまったりすることもあります。

 

 

誰もが神さまではありませんから、ついつい誰かに意地悪なことを言ってしまったり、気がつかずに傷つけてしまうこともあるでしょう。

そばにいる大切な人に対しても、どこか甘える気持ちもあって、本当は大切な人なのに、傷つく言葉を放ってしまうことも・・・。

 

 

だからこそ、「言葉を大切にする」という意識をいつも心に抱いて暮らしていくことが、大事なことなのではないかなと思うのです。

 

 

 

自らが発する言葉が、いつしか自分の人格を形づくっていきます。

  

自らが発する言葉に、自分が導かれていきます。

 

  

自らが発する言葉を粗雑に扱わずに、大切にして、自分の味方にしていけたらいいですね。

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

民事調停について思うこと-その2
情報をまな板にのせる

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平成24年1月16日(月)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

 

おかげさまで、メルマガ配信も丸3年となりました。 

 

お伝えしたいことが、今なおどんどん湧き出てくるのですが、「直接お会いしてお話がしたい!」という気持ちも強くなりました。

 

そこで、もし私にお話させていただく機会をいただけるのであれば、無料で、どこへでもお伺いしようと思います。

 

詳しくは、終わりのところで。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

さて、民事調停について思うことの続きです。

 

 

前回のお話では、民事調停は、基本的に話し合いであり、合意形成を目指すものであること、合意形成のためには、まずは調停委員が当事者から信頼されること、そして話し合いの出発点では当事者双方が求めるものを確認し、結論としての食い違いを明らかにすること、また表に現れにくい「真意」を見きわめることが大切ですと、お話しました。

 

今日は、その続きです。

 

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3 合意形成のために

 (2)結論に影響を与える食い違いを明らかにする

 

 双方の結論の食い違いを確認した後は、どうしてその結論に食い違いが生じるのか「結論に影響を与える食い違い」を明らかにしていきます。

 

ここでの意識としては、当事者双方、調停委員会の三者が、「どこが食い違っているのか」について、共通認識を持とうとすることです。

 

当事者それぞれに、結論を導く思考過程、理由、根拠となる書類を出してもらって、先方に伝えます。

 

イメージとしては、同じ「まな板」の上に、それぞれが持つ情報を載せていってもらって、三者が共有する、同じものを眺めるという感じです。

 

話し合いの目標は合意形成であり、紛争というのは、お互いの言い分に食い違いがある状態でした。

 

食い違いの原因の主なものとして、それぞれが認識している事実、情報が異なっていることがあります。

すなわち、意思決定のメカニズムとして、人が、何かを判断する場合には、自分が把握している事実を前提として、それに自分の価値判断、人それぞれが持つ「自分フィルター」を通して、その事実を眺め、評価をして、意思決定を行うものです。

 

ですから、判断となっている前提事実について、相手の出す事実が加わることによって、新たな判断材料としての情報が与えられ、判断が変化することもありうるのです。

 

また、事実を相互に出し合うことで、食い違っているところだけではなく、共通のところも確認できます。

共通の事実は、前提事実として、他の事実の推認に利用できますし、評価のよりどころになりえます。

 

加えて、お互いに事実を出し合ったことで、意外に共通のところがあったりすることが確認できる場合もあり、それで先方への誤解が解けることもあるでしょう。

  

(3)事実の食い違いと評価の食い違い

 

結論に影響を与える食い違いの中には、事実認識の食い違いと評価の食い違いがあります。

 

食い違いを明らかにする過程では、「事実と評価(意見)」のいずれの食い違いなのかを分けることです。

 

例えば、交通事故の過失割合が争いになっている場合には、事故状況といった事実が争いである場合(停止していたか、青信号だったか等)、事故状況には争いがないもののそれに対する評価が違っている場合があります。

 

事実に食い違いがある場合には、いわゆる事実認定の問題として、主張する事実を裏付ける証拠や別の事実を土台に、社会通念に照らした経験則によってその事実があったのかなかったのか判断されます。

 

意見や評価が食い違っている場合には、どちらの意見が合理的で説得力があるかにかかります。

その支えとして、法令や裁判例が参考にはなりますが、いずれも社会常識がベースとなっており、調停委員の皆さまの豊富な人生経験・社会経験が活かされる場面です。

  

ですから、進行としては、事実が相互に食い違っている場合には、裏付けの証拠があればそれを出してもらうように促します。

 

同じ事実をみながら、評価・意見が食い違っている場合には、意見のよりどころとなる理由を示してもらうようにします。

 

評価の場面では、評価する人の価値観、感情が絡んできます。

感情の取り扱いは実に難しいところですが、感情については「無視はしないが、分けてとらえる」というスタンスでいるとよいと思います。

感情に巻き込まれないように、まずは合理的理性的な見方でどうなるかをふまえた上で、当事者の感情に配慮するということです。

言い換えるならば、当事者の感情に寄り添いながらも、合理的理性的なものの見方を軸にして、話し合いを進めるということです。

 

そして、ここがポイントなのですが、双方の事実認識や証拠、意見と理由を出してもらう場面では、まだ評価を加えません。

 

原則として当事者が出してきたものについて否定も肯定もしません。

 

当事者がそういっているという事実だけを受け入れます。「○○さんは、○○とご主張されるのですね」と受け止めます。

相手の主張を伝える際にも「○○さんは、○○とおっしゃっています」とあくまで相手の主張や希望に過ぎないことを伝えます。

 

ここで、当事者に事実認識や証拠、意見やその理由を出してもらうのは、先方に判断材料としての新しい情報を提供して、当方の希望について検討してもらうためのものという位置づけになります。

この場面では、なぜ評価を控えるのかといいますと、ここで調停委員会が評価をしてしまうと、当事者の自律的な判断を阻害する可能性がありますし、否定的な評価をされた当事者は、調停委員は自分の言い分をよく聞いてくれない、相手に偏っているのではといった不満を抱きやすいからです。

 

また調停委員会自体が自らの先入観にしばられて、事案全体を見渡した適切な評価ができない恐れもあります。

 

  (その3に続く)

 

 

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以上のお話は、

「結論に違いをもたらす違いが何か」を、明らかにした上で、そこに焦点をあてて、当事者が持つ情報を「まな板」にのせてもらうというものです。

 

まず話し合いのターゲットを、お互いが共通認識とすることに意識をそそぎます。

ターゲットは、「(結論に)違いをもたらす違い」の部分です。

 

その違いを明らかにして、どうして違うのか、「事実」と「評価」とに分けて見ていくわけです。

 

それは意思決定、判断というものは、事実を認識し、それに対して、自分なりの価値観を通して評価を加え、判断されるものだからです。

 

「事実」や「評価」に関するお互いの情報を当事者双方が「まな板」にのせて、当事者双方の共通認識にすることを目指します。

「まな板」に情報をのせていくのは、当事者同士の「共同作業」なのですね。

 

こうした「共同作業」をすることによって、感情的なものはちょっと脇において、ものごとを客観的にとらえ、合理的理性的な判断がなされやすく、単に相手をやみくもに非難したり、自分の希望を押しつけたり、譲歩を迫るだけではない

「お互いにとって望ましい」解決方法を導きやすいのかなと感じています。

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※関連のお話です。

 

それは事実かな?意見かな?

 

何かを大切に思う気持ちに違いはないこと

 

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冒頭でお話しましたように、講演会講師の依頼を引き受けさせていただくことにしました。

講師料は不要で、交通費実費をいただければ、どこにでもお伺いしたいと思います。

 

弁護士の仕事は、主にトラブルに巻き込まれて、悩んでいる方の問題解決を図るものです。

私が弁護士の仕事や民事調停の仕事をしてきた中で、またメルマガを書き続けていく中で、一般の方や子どもたちに、いろいろとお話ししたくなりました。

 

ほんのちょっと知っておくだけで、トラブルに巻き込まれなかったり、もし巻き込まれてもうまく対処できる知識があります。

 

ちょっとした法的なものの見方や、考え方、伝え方をするだけで、発生したトラブルをこじらせずに話し合いで円満に解決できることもあります。

 

心にかかるストレスを、減らすこともできます。

人と温かなつながりを持ち、幸せに生きるヒントにもなると思っています。

 

そんなことをぜひ多くの方に直接会ってお伝えできればと思います。

 

「講演会の講師をお引き受けいたします」 

 

どうぞよろしくお願いいたします!

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

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平成24年1月10日(月)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

妻が買ってきた「おみくじクッキー」が末吉だったので、

翌日リベンジをしに、近くの神社で、気合いを入れておみくじを引きました。

 

 

結果は「中吉」でした。

 

 

でも、書かれてあることは結構厳しくて、

「自分の気持ちだけで行動せずに、相手のこともよく考えければ災いが起きるよ」というものでした。

 

 

ん?相手って妻のこと!?

 

 

これは、くれぐれも注意しなければ!とそう思うのでした・・・(汗)

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

さて、私は、平成22年の10月から、仙台簡易裁判所で民事調停官(非常勤裁判官)を

週1回やっているのですが、先月2日に、民事調停委員の方々を対象に、1時間半ほど

民事調停について思っていることをざっくばらんにお話しました。

 

そこでお話した内容に少し手を加えて、みなさんにも何回かに分けてお話したいと思います。

 

 

ちょっと堅い文章ですが、よろしければお付き合いください。

 

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 1 調停のスタンス

  

私は、調停には二つの軸があると思います。

 

一つは、調停が話し合いの場であることです。

 

双方当事者の合意形成をめざすところであり、当事者が相手との対話を通じて、自分で考え、自らの力で問題解決をめざし、調停委員会はそのサポート役であるというものです。

  

もう一つは、裁判所の考え方や判断を示すところであるというもので、

調停委員会が、お互いの言い分を聞いたうえで、調停案や17条決定を示す主体的な役割を担うものです。

 

この二つの軸のどちらに重点をおくかは、事案や進行状況で変化しますが、私は、後者の意識を常に根底にもちつつ、前者の合意形成サポート、当事者による自律的解決を基本とするのがよいと思います。

  

それは問題の解決にあたっては、誰かの意思に従うのではなく、自らの表現活動、相手との対話を通じて、自らの自由な意思決定に基づいて、問題の解決を試みるのがよいからです。

 

対話を通じて、合理的に物事を捉え、相手の立場や言い分も理解し、合理的な解決を自らの意思で選びとることができたらならば、その紛争は外形のみならず、心理的にも解決できたといえるでしょう。

 

 2 話し合いの場の設定

 

調停の基本は、話し合いであり、当事者同士の自律的な解決を目指すということですから、当事者が安心して話し合いができる場を設定することがまずは重要です。

 

そのためには、まず調停委員が当事者から信頼されなければなりません。

信頼関係を築くことが大切です。当たり前のことですが、当事者の方に礼を持って接することが基本になります。

 

「申立人」「相手方」と呼ぶのではなく「○○さん」と名前を呼ぶこと、基本的に笑顔で接すること、そして話を聴こうとする姿勢を示すことが望ましいと思います。

話を聴いているというメッセージを送るには、「○○さんは、□□とおっしゃっているのですね」と要約できると効果的です。

  

心が開けば、言葉は相手の心に届きます。

心が開かないうちに、いくらいい言葉を発したとしても、相手の心には届かないものです。

 

理屈の正しさも重要ですが、「この人がそう言っているのなら、間違いないだろう」と信頼してもらえると、解決可能性はぐんと高くなるものです。

 

このような原則をおさえつつ、当事者の特性や価値観にあわせて、臨機応変に対応を変えて、信頼関係を築いていけるといいでしょう。

 

 

2 合意形成のために

 

(1)出発点―結論としての食い違いの確認

 

話し合いの最終目標は、合意形成です。

当事者双方の意思が合致したときに合意が成立し、調停が成立します。

 

そこで、話し合いの場にたったときの双方の主張、出発点を明確にします。

基本的には、求める結論は、申立の趣旨とそれに対する相手方の答弁で明らかにされていますので、その確認となります。

 

出発点として、結論の食い違いの確認をすることは簡単なことですがとても重要なことです。

 

申立人は、相手方に対して、いったい何を求めているのか(請求)を明確にします。

 それを、相手方に伝えて、相手方がその希望に対して、どのように答えるのかを明確にします。

 

紛争というのは、自分の期待と相手の実際とに食い違いがある状態です。

相手が自分の思うとおりに、行動してくれない場合です。

 

ただ、時に、調停の前の段階において、相手に対して、何を求めるのか伝えていない場合があり、さらには、自分自身の中でも相手に対して何を求めているのか混乱している場合もあります。

 

そこで、調停の場において、申立人が相手に求めることを明確にして、相手方に伝えるだけで、相手も同じことを実は考えていたような場合には、その確認だけで合意形成に至ります。

 

申立人の請求を確認する場合には、表向きは金銭請求となっているものの、時に金額に現れない「思い」があることにも配慮が必要です。

 

何かの慰謝料請求事件の場合、相手に真摯に謝罪してほしい、痛みを感じてほしいといった真意があり、相手方や調停委員会から「結局お金の問題だ」とまとめられてしまうのを嫌がることもあります。

 

また、請求の背景にある「真意」、何のためにそれを求めているのかを探ってみると、実は食い違いがなかったこともあります。

 

例えば、先の場合で、相手方として慰謝料としての金銭は手元になくあまり払えないが、真摯な謝罪はしたいと思っている場合には、その真意を双方に確認することだけで、合意形成ができることもあるのです。

 

 ですから、形式上の請求とあわせて、その「真意」を確認する作業は、話し合いの出発点としてとても重要です。

 

 

  (その2に続く)

 

 

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紛争の場面において、

「相手を理屈でやっつけてやろう、言い負かしてやろう」

「優秀な弁護士というのは、相手の論理の弱点を攻撃し論破して、勝利を勝ち取るもの」

そう思われる方も多いのかも知れませんね。

 

しかし、調停というのは、基本は話し合いであり、トラブルの円満解決を目指すところで、相手を痛めつけたり、ギャフンと言わせたりするところではありません。

 

トラブルが生じたときの解決方法は、暴力や威圧ではなく、対話によって解決を図るというのが、自由で公正な民主主義社会のルールです。

 

まずは、当事者間での話し合いです。

そして、当事者間で話し合いがまとまらなければ、中立的な第三者に間に入ってもらうのが、有効な手段となります。

 

昔々は、村の長老が、間に入って、話をまとめていたことでしょうし、兄弟げんかや生徒どうしのけんかなら、親や教師が間に入って、仲裁をはかるものですよね。

 

お話しました民事調停や弁護士会等のADRは、話し合いがこじれたときやちょっと当事者同士だけでは話し合いがしづらい状況の時などに、中立的な第三者かつ仲裁の専門家に間に入ってもらうものですから

うまく活用されれば、かなり使い勝手のよいものだと思います。

 

その中での話し合いは、非公開で、民事調停の調停委員もADRの仲裁人も守秘義務をおっています(他方で、裁判の場合は基本は公開の法廷です)。

 

話し合いがうまくいかないなあ、話し合いたいけど不安だなあとお困りの方は、民事調停やADRの活用を検討されてみてください。

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※関連のお話です。

 

民事調停官になりました。

 

自分の気持ちは相手には分からないもの

 

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「誰が、誰に対して、いったい何を求めているのか?」

 

をまず明らかにすることが、調停(話し合い)では、大切だとお話しましたが、実は、自分自身の中の「対話」でも重要なことです。

  

ただ漫然と生きていくのではなく、

「私は、何を求めているのか?どうありたいのか?」

と自分自身に問い続け、明確にしていくことで、自らの生きる軸が定まっていきます。

 

自分が心の底から求めていることを明確にすること、そしてそれを表現し、実践することは、幸せに生きる上で大切なことではないかなと思います。

(やはり紙に書くことがオススメですよ!)

 

私もまだまだですが、自らに問い続け、できることから実践していきたいなと思っています。

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それでは、また。

 

あなたが、幸せでありますように!

あけましておめでとうございます2012-心に火を灯す

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平成24年1月1日(日)

 

あけましておめでとうございます。

 

神坪浩喜です。

 

新しい年が始まりましたね。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

今朝、妻が買ってきた「おみくじクッキー」なるおみくじをひいてみました。

クッキーの中に、紙のおみくじが入っていました。

 

さあ、今年の運勢は?

 

 

末吉でした・・・。

 

 よし!神社に行って、リベンジしてやる(笑)。

 

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さて、友人のAさんが、素敵な言葉を教えてくれました。

 

 

英国の教育学者ウィリアム・アーサーは言いました。

 

「凡庸な教師はただ喋る。

少しましな教師は理解させようと努める。

優れた教師は自らやってみせる。

本当に優れた教師は心に火を点ける。」

 

ん~なるほど!

 

自分のことについて、振り返ってみても、心に火を灯してくれた先生のことは、ずっと忘れません。

火を点けられると、その火が、自分を後押ししてくれます。

 

弁護士として、また法教育を実践する者として、縁あって出会った人の心に火を灯すことができたら、

とても素晴らしいと思います。

 

このお話を聞いて、司馬遼太郎さんの本「二十一世紀に生きる君たちへ」(世界文化社)の中にある

「洪庵のたいまつ」というお話を思い出しました。

江戸末期の洋学研究者で医師の緒方洪庵は、適塾という塾をつくりました。

緒方洪庵は、教育によって、自らが受け継いだ「たいまつの火」を福沢諭吉や大村益次郎をはじめ一人ひとりの塾生の心に移しつづけました。

 

そのお話の最後の部分です。

 

「洪庵は、自分の恩師たちから引きついだたいまつの火を、よりいっそう大きくした人であった。

かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。

弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。

やがてはその火の群れが、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。

後世のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。」

 

 

かっこいいですよね!

 

吉田松陰も福沢諭吉もそうですが、優れた教育者というのは、「自分の炎を、生徒の心に移して、生徒の心に火を点けた」人なのです。

最初は、少なくて小さな光が、少しづつ増えていって、それぞれ輝いていって、大きな明かりとなる・・・。

それが、教育のすごさであり醍醐味です。

すぐに目に見える変化は起きませんが、灯した炎は、いつか大きな明かりとなりうるのです。

 

私も、まだまだ未熟ですが、教育に携わる者として、誰かの心に火が点けられるように、しっかりと自分のたいまつの火を燃やし、

縁あって出会った方の心に火を点けることができるよう頑張りたいと思います。

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※関連のお話です。

 

自己肯定感と法教育

 

 

 

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あやめ法律事務所の今年の年賀状をご紹介したいと思います!

 

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幸多き一年でありますように

昨年は、新しいスタッフの加入、事務所の泉中央への移転、そして東日本大震災といろいろなことがあった年でした。

そのような中、大変お世話になりありがとうございました。

本年も変わらぬご指導をよろしくお願いいたします。

 

「スタッフの一言」

 

弁護士 神坪浩喜

事件の解決とともに心のケアもできるようにがんばります。

 

弁護士 塩谷久仁子

より丁寧な仕事を目指します。

 

事務局 江坂容子

1日8時間の睡眠を心がけたいです。

 

事務局 安沢典子

今年も自分に負けないように頑張ります。

 

事務局 逢坂由紀子

経理担当として依頼者のためになにができるのか、常に考えつつ業務にあたりたいと思います。

 

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たくさんある法律事務所の中から、私たちの事務所を選んでくださった方の抱えている問題を解決し、

悩みを癒し、幸せに少しでも貢献できればと思っております。

 

どうぞよろしくお願いいたします!

 

初日の出です。

  よい年になりますように。

冬の朝に。

平成23年12月25日(日)

  

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

今日は、クリスマス。

朝起きるとうっすらと粉雪が積もっていました。

 

毎朝、小犬のマリと散歩をしているのですが、朝焼けや日の出に魅せられて、

ついつい写真を撮ってしまいます。

 

今回は、そんな写真の一部をご紹介いたします。

よろしければ、お付き合いください。

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25日、クリスマスの日の出です。

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25日の朝、うっすらと粉雪が
つもっていました。
ホワイトクリスマスですね。

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24日の日の出です。
雲からお日さまが今まさに
出ようとする瞬間です。
 実際の光景はもっときれい
でしたよ。

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20日の日の出です。

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18日の日の出です。

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17日の朝です。
雪がしっかり積もりました。 「犬、日の出をみる」

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17日の日の出です。
 白く雪化粧した木々に、日の光があたってキラキラしています。

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雲が黄金に輝きました。

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夜明け前、一瞬だけ、空があかく燃えました。

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朝焼けとかつらの木。

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14日の朝焼け。
もこもこ雲があかく
染まりました。

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今日もまた日は昇る

 ご覧いただきありがとうございました!

 

 

日の出に出会い、その光を浴びることができると、「よし!今日も一日がんばろう!」という気持ちになれます。

もう私は、「日の出オタク?」になってしまっているかも知れませんね(笑)。

 

 

読んだ本によると朝日を浴びるとセロトニンという脳内物質が出るということで、ストレスの解消や快眠にいいらしいですよ。

確かに、日の出習慣をはじめて、私、夜眠れるようになった気がしています。

よろしければ、あなたもいかがですか?

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今年も大変お世話になり、ありがとうございました!

 

来年という年があなたにとって幸多き一年でありますように!!

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平成23年12月18日(日)

 
 
こんにちは。

神坪浩喜です。

もうすぐ冬至ですね。
それは昼の時間が一年で一番短い日。

先日、TBCラジオをきいていると、気象予報士のまさくんが
日が暮れるのが一番早い時期は、冬至ではなくて、12月8日だそうです(仙台で午後4時16分)。
それからは、夕方は明るくなっていくということですね。

日が昇るのが一番遅い時期は、1月5日ころということでした。

冬至が一番昼が短いのは確かなのですが、だからといって
冬至の日の出が一番遅く、日が暮れるのが一番早い日という訳ではないんだ。

あなたは、ご存じでしたか?

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回は、私のこれまでのお話の中で、お気に入りのお話をリニューアルしてお届けしようと思います。

それは、主に現在、辛いこと、悲しいことの渦中にいる方(弁護士の目の前にあらわれる方の多くはそうです)に向けたお話でした。

あなたも、この1年間に起こった出来事を振り返ってみて、読んでいただけると何か感じられるものがあるかもしれません。

よろしければ、お付き合いください。


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さて、あなたは、今、運がいいですか、悪いですか。


運の波というのは、きっとどなたも感じられることがあるかと思います。


何だか、近頃、ついていないな~
運が悪いな~
思い通りにいかなかったり、気持ちがすれ違ったり、体調が悪かったり、
大切にしていたものをなくしてしまったり、
信じていた人に裏切られたり・・・。


そういう時期って、誰にでもあるものです。


もしかするとあなたも、今まさに、運気が落ち込んでいる渦中、
運の底にいる時期かも知れませんね。


そして、運が悪い時期は、運のよい時期に比べて、運が悪いことが連鎖しやすく感じられことでしょう。


災難や悪いことが、次々と起こって、自分に引き寄せられてくるようで、
「もう、いい加減にして!!」
「どうして私ばかりこんな目に!」
と叫びたくなることも・・・。


そして、このままずっとこんな感じなのかな~とずっと悪いことが続きそうな気がして気が滅入ってきたりします。
運の悪い渦中にいるときは、そう思ってしまうことに無理はありません。



でも、運が悪い時期がずっと続く訳ではありません。

一生、ずっと運が悪い人なんていないのです。



「あ~運が悪い!最悪だあ~」

と思っているときは、意外と運気の底にいるときで、これからゆっくりとでも運気が上昇したりするものなのです。


あなたが、もし今、運がよかったり、普通の時だとよく分かると思いますが、
過去の運が悪かった時期を振り返ってみれば分かるように、その運が悪い時期がずっと続いてはいませんよね。
だって今は運がよい時期、普通の時期なのですから。


ですから、運が悪い時期には、
「ずっと運が悪い人なんていないよ」
「今は運の底、これから運は良くなっていくんだ」
と、自分に言い聞かせてあげてくださいね。



そして、運が悪かった時期の後に、運気が上昇したり、あるいは、運が悪かった時期を乗り越えた後に、
大きな成長や幸せを感じられたりしたことってあるかと思います。


運が悪かった時期を耐えて、それでもやけにならず、あきらめず、
他人や運命のせいにせずコツコツと頑張った後には、多かれ少なかれ、いいことが起きているような気がします。


失恋してしまったけど、もっと素敵な相手と一緒になることができた!

とか、


就活に失敗したけど、資格をとって、やりがいのある仕事をしている!

とか、


いじめられたり、落ちこぼれたりしたあの辛い体験があるからこそ、
人の心の痛みがわかって優しくすることができる・・・


とか・・・・。



だから、「このついていない時期の体験は、後で活きてくるんだ」ということも自分に話してあげてくださいね。


今、この時期だけをとらえてみれば、辛く、悲しい時期なのですが、
時間を長い目で見てみると、この辛い時期は、次の幸せな時期につながっているものなのです。



それに運が悪いことって、時に何かのサインであることもあったりするのではないでしょうか。


体調が悪いというようなことであれば、「今はゆっくり休んでみて」というサインなのかも知れません。

人間関係がこじれてうまく行かないということであれば、
「その人との距離の取り方、接し方を今一度考えてみて」
というサインなのかも知れません。

頑張って努力しても成果がなかなかでないということであれば
「今が踏ん張り処で、あともう少し」とか
「やり方を変えて、別の角度からやってみては」
ということかも知れませんね。




起きることには何らかの意味があります。

人生に意味のないことは起こらないのです。


人生に無駄なんてないのです。


その意味は分かりませんが、あなたにとってどうしても必要なことだから、今、起きているのです。


本当にお辛いことだと思いますが、心の持ち方として、そう信じてみてはいただけないでしょうか。


その出来事は、あなたに何かを気づいてほしくて、あなたの人生の中でどうしても必要なものとして起きた出来事なのです。


もしかすると、その出来事は、将来、あなたが、あなたと同じ辛さや悲しみに沈む人を助けるためだったり、
あなたの天命に関連して起きているのかも知れません。


とってもお辛いことで、今はとても信じられないことかも知れませんが、勇気を出して、そう受けとめることで、自分を傷つけたり、他者や運命を恨みがちなマイナスエネルギーが、「今ここを生きる」プラスエネルギーに変えることができるような気がするのです。


とっても難しいことですが、運が悪いときには、人や運を恨まず、自分をダメだと責めず、投げやりになることなく淡々と困った事実を受けとめ、その事実をプラスのエネルギーにして、これからの生き方に生かしていくことができると、運が悪かった出来事は、後から考えると逆に運がよかった出来事にさえ転化するのです。


そうなると素晴らしいことですよね。


もちろん、どうしようもない大きな災難はあります。
災難としかいえない災難もあるでしょう。


そのときは、思いっきり泣いたり、嘆いたり、落ち込んだりしていいと思います。

辛いのは、どうしたって辛いものなのですから。
悲しいのは、どうしたった悲しいものなのですから。


思いっきり泣いて、自分の感情を涙にして流してみましょう。


でも、しばし泣いた後は、必ず浮かび上がってきてくださいね。
プールに飛び込んで、しばし沈んだ後は、水面に浮かび上がってくるように浮き上がってきてください。


深く沈みこんだなら、深く沈みこんだだけ、身体にかかる上昇の浮力は大きくなっていくのです。
その浮力を心で感じとって浮き上がってきてください。


運の底は、永久に底ではありません。



運が底にあるということは、その後、運は必ず上がっていきます。


寒い冬の底の後には、必ず暖かい春が待っているのです。


だから、今、もしあなたが運が悪くても、春がくることを信じて、希望を捨てないで前に歩いていってくださいね。


それから、一人でがんばらなくてもいいのですよ。
あなたのことを助けたい人は、必ずいます。
どうか無理をせずに、恥ずかしがらずに、申し訳ないと思わずに、助けをもとめてくださいね。
誰もが支え合って生きています。今はあなたが誰かに支えられる場面なのです。


ずっと、運が悪い人なんていません。


夜の後は朝が、冬の後には春が、必ずやってきます。


どうか、そのことを忘れないでくださいね。

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※関連のお話です。

今、私、生きている

誰かがあなたを必要としています。

 

ずっと運が悪い人はいませんよ。

 

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毎朝、小犬のマリと散歩しています。
冬が深まってきて、寒くなってきました。

 

でも、そこで朝焼けや日の出を見ることができるといい気分になります。

 

少しずつ空が明るくなって、光が雲に反射して、太陽がきらりと顔を出し、地上に光を届けてくれた瞬間は、とても綺麗で神々しいものです。

 

太陽は、こうしていつも昇ってきてくれるのだなあと思うのでした。

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それでは、また。


あなたがますます幸せでありますように!

みんなちがって、みんないい。

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平成23年12月12日(月)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

先月、妻が簿記2級試験を初めて受験したのですが、先週合格発表があり、おかげさまで無事合格しました(パチ、パチ、パチ)。

 

妻は、昨年3級の試験に合格した後、すぐに2級を目指したのですが、いろいろと忙しく、受験ができませんでした。

 ※簿記試験を受けました。

なので今年の事務所の年賀状の一言に、妻は「簿記2級試験を受験します!」と書きました。

 

ここで「合格します!」ではなく「受験します!」と書いていることが、一見控えめにも思えるのですが、

実は、自分は受験しさえすれば合格するということなのかも知れません。

だとすると何だかすごい自信ですね~。羨ましい。

 

でもこうして実際に1回目の受験で合格してしまうのは、さすがなのでした。

 

こうして「経理の鬼?」「家計の鬼?」度はさらにアップしそうです・・・。

 

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さて、誰かと比べて、どうして自分はこうなんだろうと落ち込むことってあったりしますよね。

 

幸せそうに見える誰かを、つい羨んだり、嫉妬してしまったり、そしてそんなことを思ってしまう自分のこと嫌になってしまったり・・・。

 

また、自分は、誰かに自分と同じように考えて欲しいのに、その人は違う考え方をすることについてイラっとすることもありがちです。

 

「こうして欲しいのに!」「こうするのが当然でしょう。なのにあの人はどうしてそうしてくれないの!」

 

こうした思いが、心を曇らせていきます。

 

 

そんな時に、オススメの詩があります。

 

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「私と小鳥と鈴と」

金子みすゞ

 

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私にように、

地面を速くは走れない。

 

私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のように、

たくさんな唄は知らないよ。

 

鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。

 

「金子みすゞ童謡全集」(JURA出版局)より

 

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そう、「みんなちがって、みんないい」のですね。

 

 

私は、私であってあなたではない。

あなたは、あなたであって私ではない。

私たちは、それぞれ独立した存在として、それぞれの人生を歩んでいます。

 

お互いが、お互いの存在を、かけがえのない違う存在として、認め、尊重できると素晴らしいですね。

 

ところが、つい人は、相手も自分と同じように考えてくれると思い、自分の価値観、考え方を相手に押しつけようとしてしまいがちです。

 

 

特に、パートナーや子ども、親しい友人には、自分と同じであって欲しいと、自分の思うとおりになって欲しいと願ってしまいます。

 

そのような願いは、決して悪いわけではありません。自然な感情でもあります。

 

しかし、自分の思いを強制しようとしたり、相手の考えを否定しようとしたりすると諍いが起きるものです。

 

あなたの子どもであっても、パートナーであっても、それぞれかけがえのない自分の人生を歩んでいることを理解してあげて欲しいのです。

 

一人の人格を持った存在として、相手が大切にしている価値観を大切にしていただきたいのです。

 

「こうあるべきだ」とか価値観を押しつけたり、「お前には無理だ」と可能性を打ち砕くことは、あなたと大切な人とのつながりを傷つけることになります。

 

 

日本国憲法が、その核心としている「個人の尊重」は、人それぞれが違うことを前提として、一人ひとりをかけがえのない存在として大切にすることというものです。

 

そう、「みんなちがって、みんないい」ということを前提にしているのですね。

みんな違っていることを前提に、国家が一人ひとりを個人として尊重することを基本としています。

 

人はそれぞれ違うからこそ、違うことを受け入れて、みんな大切にしようとすることが大事だよといっているわけです。

 

 

逆にいえば、つい国家や人は、人は境遇も価値観もそれぞれ違っているのに、一まとめにしてしまって、自らの都合のよい価値観を押しつけようとする危険性があるからこそ「個人の尊重」が大事なんだよ、一人ひとり違うことを大切にしないといかんよと言いきかせているのです。

 

いろいろな人がいて、誰もがかけがえのない存在として生きています。

 

 

誰もが、それぞれの大切なものをもっていて、それを誰かに否定されたり、奪われたりすることのないように憲法は保障しているのです。

 

 

「私は、私らしく自分の人生を生きていけばいい。

あの人もあの人の人生を生きていけばいい。

 

私は、あの人にはなれないし、あの人のいうがままに生きる必要もない。

あの人と比べる必要もない。羨ましく思う必要もない。

そして、自分に大切なものがあるように、誰かの大切なものも尊重しよう。

 

私は、私の価値観を大切にして他の誰でもない私の道を歩いていこう。」

 

 

一人ひとりが、そう思うことができるならば、

自分を大切にし、他者を大切にすることができるならば、

きっと人は人と温かなつながりが持つことができて、自由に、自分らしく生きることができるような気がしています。

 

「みんなちがって、みんないい。」

 

金子みすゞさんの思いが、多くの人の心に浸透していくといいなと思っています。

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※関連のお話です。

 

あなたの人生、私の人生

 

何かを大切に思う気持ちに違いはないこと

 

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いつのまにか12月も半ばになり、今年も残りわずかとなりました。

 

今年一年を振り返ってみると、この一年は、あなたにとってどのような一年でしたか?

 

今年は、震災があったりして、大きな人生の転機となった方も多いかと思います。

大変辛い思いの中で、新しい道を歩まれた方もおられるでしょう。

 

直接の震災体験がなくても、震災をきっかけに、これからの自分の人生や人とのつながりについて

真剣に考えて、新しい決断をしようとされている方もおられるかも知れませんね。

 

 

何かを決断するとき、私が、その判断のよりどころとして欲しいのは、その選択が「あなたらしい道なのかどうか」です。

 

誰かの期待や常識ではこうだろうという判断ではなく「あなたらしい」かどうかです。

 

5年先、10年先を見据えて、その道の先に何が見えるかを考えてみられてくださいね。

 

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

すべてはつながっている

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平成23年12月3日(土)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

今日は、12月3日。
1月23日もそうですが、1,2,3(ダー!)の日で、何だか勢いを感じます(私だけかな?)

あやめ法律事務所の住所は、「仙台市泉区泉中央1丁目23-4ノースファンシービル5F」と
「1-23-4-5」なのですよ。
全くの偶然だったのですが「1,2,3・・・」と数がつみ上がっていくというのは、何となくいい気分です。

このような感じで、当事務所も、訪れた方とのご縁を少しずつでも着実に
積み上げていけたらいいな~と思っています。

 

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NHK教育テレビ「100de名著」のブッダの「真理のことば」に触れてよかったので
シリーズのテキストは、全部取り寄せてみました。
正見-真理のことば

そのテキストの中で、19世紀ドイツの哲学者ニーチェの「ツァラトウストラ」の言葉を紹介した中で次のような文章がありました。

「あなたがたはかつて一つの悦びに対して『然り』と肯定したことがあるか?
おお、わたしの友人たちよ。もしそうだったら、あなたがたはまた全ての苦痛に対しても『然り』といったことになる。万物は鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされているのだから」

解説者の西さんは、このニーチェの言葉について
「万物はすべてつながっている。苦しいことも悲しいことも含め、人生のさまざまな構成要素はすべてがつながっている。だから、一つでも心からうれしいことがあって「然り(イエス)」といったならば、ほかの苦悩もひきつれて、この人生に「然り」といったことになるのだ」と解説しています。

すべてのものはつながっている。
苦悩も悦びもつながっているということですね。

私もそのとおりだと思います。


今、仮に、あなたが何かの幸せをかみしめているとします。


何かを成し遂げた!
合格した!
プロジェクトに成功した!
好きな人と心のふれあいを持てた!
誰かの役に立った!

いや~嬉しいことですよね。

でも、その時、その事実だけが独立して存在している訳ではありません。
そこに至る過程が必ずあったはずです。


その過程の中には、苦しかったこと、悲しかったこともあるでしょう。


今、このプロジェクトに成功したのは、あの辛さを経験したからかも知れません。

今、この人と出会い、心を通わせあえるのは、あの悲しい別れがあったからかも知れません。


あなたのこれまでの人生の中でも、きっとそんな体験があると思います。


苦しみも悲しみもあるつながりの中で、幸せな出来事も存在するのですね。
辛くて悲しい出来事の延長線上に幸せな出来事があったのです。



今度は、逆に、今、あなたがとても辛い思いをしているとします。

仕事で大きな失敗をしてしまった。
一生懸命がんばったのに評価されなかった
信じていた誰かに裏切られた・・・。


その時は、本当に辛くて悲しいですよね。

どうしてこんな辛い目に遭わなければならないのか!

と運命を呪いたくなることもあるでしょう。


でも、幸せな出来事がぽつんと独立して存在しないように、
辛くて悲しい出来事も独立して存在していません。


すべてはつながっているのです。


辛くて悲しい出来事の背後には、幸せな出来事が控えていることもあるのです。


どうしても、辛くて悲しい出来事に直面している場面では、とても信じられないかも知れませんが、実はそれが「素晴らしい出来事の前触れ」だったりするものなのです。


辛くて悲しい出来事を受けとめ、乗り越えたとき、素晴らしい出来事がやってくるものなのです。


起きることには何かの意味があります。


その意味は、それだけを取り出して分かるものではありません。
いろいろな事実が積み重なっていく流れの中で、その出来事は起きました。
「原因」→「結果」の因果の流れは、蜘蛛の巣のように張りめぐらされてつながっています。


だから、随分後になってはじめて「ああ、あの辛くて悲しい出来事は、こういう意味だったのか!」と気づくこともあるのです。


ここで、私からのお願いなのですが、今、もしあなたが、辛くて悲しい思いをされているのであれば、
辛くて悲しい出来事の背後には、きっと幸せな出来事がやってくることを信じていただけませんか。

幸せな出来事の予兆として、今はその悲しい出来事が起きているのです。


希望を捨てずに、それでも前に歩いていってください。
投げ出さず、腐らず、近くの誰かにあたらず、歩いていってください。

そのとき、一人で、がんばる必要はありません。
強がる必要もありません。

助けを求めてもいいのですよ。


私もこれまで随分多くの優しい人達に助けられ、支えらえて、ここまで歩いてきました。


助けを借りながら、前に歩いていけば、今はどんなに辛くても、必ずや「悦び」の時を迎えることと思います。
 

そう、すべてはつながっているのですから・・・。


※関連のお話です。

ずっと運が悪い人はいませんよ。


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昨日、裁判所で調停委員の先生方を対象にして、1時間半ほどお話する機会をいただきました。
調停委員の先生方は、人生経験が豊富で立派な方が多く、とても緊張しました。

民事調停官を1年ほど経験した上で、調停について、思っていること、心がけていることをざっくばらんにお話しました。


お話しながら、気づいたのですが、調停と法教育とは、深くつながっているのですね。
そして、法教育の目的を達成する授業として、模擬調停を子ども達にやってもらうといいのかも!
と思ったのでした。

調停で行う、人と人とのつながりを、表現交流・対話によって調整していくこと、
自らが直面した問題について、自分の頭で考え、判断し、自律的主体的に解決を図ろうとすることは、まさに法教育が目指すところなのです。


よし!調停を素材とした授業案、つくってみようっと。

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それでは、また。
 
あなたが、ますます幸せでありますように!

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悩んでいる暇なんてありません。

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平成23年11月24日(木)

 

こんにちは。
 
神坪浩喜です。

事務所の窓から、泉ヶ岳がよく見えるのですが、ここ数日の冷え込みで、雪が積もり、山肌が白くなりました。スキーシーズンももう少しですね。

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前回のお話では、コントロールできることと、できないことを見きわめて、コントロールできないことについては、考えても意味がないので、もう考えないようにしましょう、というお話をしました。


とはいえ、ついついコントロールできない過去のことをクヨクヨしてしまったり、将来のことについていろいろと不安に思ってしまうものですよね。


そんなときにオススメなのは、そんなことを考える暇がないように、やらなければならないことで、頭と身体を忙しくすることです。「悩んでいる暇なんてない状況」に自分をおいてみることです。


大切な誰かが亡くなって、お葬式をしなければならないとき、お葬式の準備や接客で、わたわたと忙しくしているときは、悲しみが紛れているのですが、お葬式が終わって、落ち着いた後になって、ぐわーと悲しみが押し寄せたりするものです。


それは、それまでは、やらなければならないことで悲しむ暇もなくいっぱいだった頭の中に、
お葬式が終わるとぽっかり空間ができて、そこに悲しみがどっと入り込むからでしょう。


この震災で、大切な人を亡くされた方がたくさんおられますが、仕事等があって何かをやらなければならないと外で動いている方の方が、何もやることがなく、家の中でじっとしている方よりも、心のダメージの回復は早いのだと思います。


ですから、コントロールできない悩みで自分を消耗させないためには、考える暇がない、悩んでいる暇がないように、やるべきことを自分に課してみるというのも一つの手です。

単純な作業よりも、身体と一緒に頭も使う仕事や作業がよいでしょう。
創意工夫が要求される仕事だとなおよいです。
さらにその仕事で、誰かに笑顔を見ることができると最高です。

ここでのポイントは「やらなければならないこと」をやることです。
趣味とか、やってもいいこと、やりたいことではなくて「やるべきこと、やらねばならないこと」です。

「私がやらねば、誰がやる!」といった使命感で動くようなことだとより素晴らしいと思います。

それは「やらなければならないこと」というぐらいの自分への強制力がないと、身体はなかなか動きませんし、つい悲しみや不安で、頭の中は簡単に占領されてしまうからです。


今、仕事があるならば、その仕事に打ち込んでいきましょう。
仕事を迎え撃っていきましょう。
もし今、仕事がなければ、仕事をとりにいきましょう。
それでも仕事がなければボランティアだってありますよ。

もし、あなたの側に落ち込んでいる人がいる場合、落ち込んでいるからそっとしておこうとなりがちですが、落ち込んでいるからこそ、仕事や何かをお願いする方が、落ち込みからの回復が早いこともあります。

それに、仕事をお願いするときには、当然その人を一人にせずに、声をかけるということになります。


そして、仕事をやってもらったとき、
「ありがとう、助かりました。大変お疲れ様」と感謝と労いの言葉をかけると、その人の心を潤わせることなるでしょう。
(ただし、落ち込みがひどい場合には、そっとしておいた方がよい場合もあるので、無理は禁物です)


まずは簡単な仕事をお願いして、仕事に頭と身体を使ってもらう。
考えても仕方のないことに、頭の中を占領されないように、頭を使ってもらう。


そして、実際に仕事をしてもらったら、感謝と労いの言葉を伝える。

そうすることによって、「私は大丈夫なんだ、こんな苦難に負けないんだ、誰かに必要とされているんだ」とその人は思うことでしょう。

それが、思考をコントロールし、回復していく力、生きぬいていく力になっていくのだろうと思います。


「悩んでいる暇なんてありません」


そういう状況にあえて自分を追い込んでみることで、コントロールできない悩みに支配されずにすむかと思います。

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悩む暇があるからどうしても悩んでしまう・・・。
だったら悩む暇をなくしてしまえばいい。


ついつい落ち込みがち、引っ込みがちな自分にあえて仕事を与えて、外の世界に連れ出してあげてくださいね。

 

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平成23年11月18日(木)


 
こんにちは。
 
神坪浩喜です。
 
11月も半ばを過ぎました。

いつのまにかお店では、クリスマス商品が並び、いろいろな忘年会の予定も入ってきました。

今年は、震災もあって、辛い思いをした方も多いかと思います。
辛いこと、悲しいことは、忘れることができるといいですね。
(とはいえ、なかなか、忘れられませんし、無理に忘れようとしなくてもいいですよ・・・)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
前回は「事実と意見を分ける」というお話をしました。

今回は「自分でコントロールできることと、できないことを分ける」ことについてのお話です。


人は、悩みや不安を抱えているとき、何度もぐるぐると同じことを考えてしまいがちです。
終わった過去のことや自分の力ではどうしようもないことをつい悩み続けてしまうものです。


悩むことで、事態が好転すればいいのですが、実際のところ悩んでも仕方がないことに
悩み続けて、ますます辛くなったりしてしまいます。

客観的にみると、コントロールできないことに、悩むことは「もったいない」ですよね。
できれば、悩まないですむにこしたことはありません。

コントロールできないことについて、悩まないためには、いったいどうすればいいでしょうか?



そのための出発点としては、今悩んでいることが、コントロールできることのか、
それともコントロールできないことなのかを見きわめることだと思います。


もし悩みがあるならば、まずは自分がいったい何に悩んでいるのかを明らかにさせましょう。


ネガティブな感情がどこから生まれているのかを言葉にします。
やはり紙に書き出してみるとよいでしょう。


その上で、その悩みに対して、自分がコントロールできるのか、コントロールできないのかを区別していきます。


例えば「試験を受けたがうまくいかずに落ち込んでいる」とします。


ああ、うまく答えられなかった。
あの問題、間違ってしまった。
う~多分だめだ、どうしよう。


その場合「受け終わった試験の結果が不安」と書き出します。

その上で、それが自分でコントロール可能なことなのか、コントロールできないものなのか問いかけてみます。


「受け終わった試験の結果」は、コントロールできるものでしょうか、コントロールできないものでしょうか?
 


そう、コントロールできないものですよね。


試験を受ける前であれば、試験に合格するために最善を尽くすということができますが
試験を受け終わった後では、もう如何とも仕様がありません。
「ああ、できなかった」と考えても仕方がありません。
「多分ダメだ、どうしよう~」と考えても試験に合格する訳ではありません。

試験を受け終わった段階で、自分ができることは終わったのです。
受け終わった試験の結果は、もう自分ではどうしようもないことです。
(もちろん、神様に合格をよ~くお願いするというのはアリですが・・・)


そして、コントロールできないものについては、潔くあきらめて、
考えること、そこにエネルギーを注ぐことはやめてしまうのが合理的だといえます。
 

その時間やエネルギーは、コントロールできることに向けてしまうのです。


とはいえ、実際のところ、そうは分かっていても、悩まないこと、考えないことは、なかなか難しいことですが、
「それは考えても意味がない、悩んでも仕方がない」と明確にするだけでも、明確にしていない時より、
心はかなりラクになるかと思います。


コンロトールできること、できないことを分けて、コントロールできないことに頭を使うのではなく、
コントロールできることに集中して、頭を使い、行動していけば、自分の心もラクになりますし、よい結果も生まれてくることでしょう。


「試験の結果」という例をあげましたが、その他、生活の場面でいろいろと悩んでも意味がないことに、私たちはついつい考えたり悩んだりしてしまいがちです。


終わった過去のことは変えられないもの、コントロールできないものです。
お天気もそうでしょう。
誰かの自分のことをとやかく言うことも、コントロールできないものです。
将来の天災について、あれこれと不安に思うこともありますが、天災が起こるかどうかはコントロールできません。

人の性格も、その心も、基本的に変えられるものではありません。
自分の思うとおり、期待どおりにはならないものと思う方が、ラクかと思います。
むしろ、誰かを変えようとすると、逆にその人は反発して変わらないものなのです。
(ただし、自分の行動で人とのつながりを変えることはできますよ!)

確かに、コントロールできないものがあります。
厳しい現実、悲しい現実に向き合わなければいけない時もあるでしょう。
 

悲しむこと、落ち込むことも大切な過程かもしれません。
人生の中でなくてはならない体験かもしれません。


それでも悩み過ぎないでくださいね。
自分をいじめすぎないようにされてください。


コントロールできないことを考えても、頭を悩ませても、心を痛めても結果は変わらないのです。


そのエネルギーや時間をコントロールできることに注いでいった方が
幸せになるためにはいいことだと、心にとどめていただければと思います。


それに、コントロールできないことは確かにいろいろとありますが、コントロールできることも結構あるのですよ。

自分が「できない」と思っていても、単に自分で限界をもうけて、

無理だと思いこんでいるだけで、意外とできることってあったりします。


コントロールできるものに時間とエネルギーを集中させていくとコントロールできることは広がっていきます。
その過程で自分が生きているという実感も持つことになるでしょう。


コントロールできることに集中すれば、自分の思考や行動が、結果に影響を与えて事態が変わっていき、
自分が人生の主人公であることを実感できるようになることでしょう。

そして、自分が人生の主人公であることを実感する過程において、人は生きる喜び、自己実現を感じていくのだろうと思います。


まとめましょう。


何かに悩んだりしているとき、

1 まず自分が今何に悩んでいるのか、その悩みを紙に書き出してみます。

2 次にその悩みは、自分がコントロールできることなのか、コントロールできないのかを見きわめます。

3 そして、コントロールできないことならば「悩んでも意味がないこと」として、もう悩まないことにします。
コントロールできない悩みや不安が浮かんできたら「やめよう、意味がない」と言いきかせます。

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4 コントロールできること(できそうなこと)ならば、具体的にどうすればいいのかを考えていきます。

 
あなたが何かに悩んでおられたとしたら、ちょっと試してみてくださいね。

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前回、「書店で、パピヨンカレンダーを探したけどなくて残念!」ということを書いたところ、
な、何と、ある読者の方が、パピヨンカレンダーをプレゼントしてくださいました!

う・う・う、かわいいです!パピヨンカレンダーがあったんですね。 
とても嬉しかったです。そして、その方の優しい心遣いに感動したのでした。


そのカレンダーを眺めていると、来年はよい年になりそうな気がします。


あなたの来年もよい年になるといいですね!


・・・って、そう言うにはまだちょっと早かったですね(笑)


それでは、また。
 
あなたが、ますます幸せでありますように!

それは事実かな?意見かな?

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平成23年11月6日(日)

 

こんにちは。

 

神坪浩喜です。

 

はやいもので、もう11月になりましたね。

書店では、来年のカレンダーや手帳、日記が並んでいました。

 

犬のカレンダーもあり、柴犬やトイプードルといった犬種ごとのカレンダーもあったので、

マリと同じパピヨンのカレンダーはないかな~と探してみたのですが、パピヨンはメジャーじゃないのか、ありませんでした。

 

むむむ・・・残念。

 

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さて、先日、教育テレビ「読み書きのツボ」を何となく見ていました。

事実と意見を分けるというお話です。

 

 

パペットマメットの「カエルくん」と「うしくん」が出演していたのですが

そのカエルくんは、こんなことを言いました。

 

①うしくんは、けちだ。

②うしくんが、ぼくに本をくれた。

③その本は、古くてボロボロの本だった。

④うしくんは、「7回も読んだよ」といった。

⑤こんなボロボロの本をくれるなんて、うしくんは、やっぱりけちだ。

 

番組では、このような文章の中で、どれが「事実」をいっていて、どれが「意見」を言っているのかを分けてみましょうということでした。

 

 

あなたは、どの文章が「事実」を言っていて、どの文章が、「意見」を言っているのか分かりますか?

 

 

①「うしくんはけちだ」というのは、一見すると、うしくんがけちであるという事実を言っているようにも思えます。

カエルくんの立場からすると、「これは事実に間違いない!」そう思っているのかも知れません。

 

でも、これはカエルくんの「意見」ですね。

 

 

カエルくんが、うしくんのことをけちだと思っているにすぎません。

別の人(動物)から見ると、うしくんは、本をプレゼントするなんて、けちどころか気前のいい奴と思えるかも知れませんよね。

 

 

次に②「うしくんが、ぼくに本をくれた」はどうでしょうか?

 

 

これは、「事実」です。

うしくんが、カエルくんに本をくれたという事実を述べています。

 

 

では、③「その本は、古くてボロボロの本だった」というのはどうでしょう?

 

これは、「意見」ですね。

カエルくんが、その本について「古くてボロボロの本だった」と評価して、意見を述べているのです。

 

もちろん、多くの人が見てもその本は「古くてボロボロの本」だと評価するのかも知れません。

しかし、何をもって「古くてボロボロ」といえるのかは、人それぞれの受け止め方、評価にかかる部分です。

だから事実ではなく意見です。

 

 

④『うしくんは「7回も読んだよ」といった』は、「事実」ですね。

 

⑤「こんな本をくれるなんて、うしくんはやっぱりけちだ」というのは、カエルくんの「意見」です。

 

 

もしあなたが、「あの人は、いい人だな~」という時、それはあなたの意見です。

 

もし私が「妻は、恐ろしいなあ」という時、それは私の単なる主観的な評価であり、意見です。けっして「事実」という訳ではありません(笑)。

 

 

ある人が思ったとおりのことを別の人が思うとは限りません。

あなたが思うとおりのことを、相手が思うとも限りません。

 

私が「我ながら片づけをよくがんばっているよ」と自分で自分をほめていても、妻は「もっとちゃんと整理整頓してよ」と思っているものなのです。そういうものなのです・・・(汗)。

 

評価や意見は、傾向はあるにせよ人それぞれです。

 

 

他方で、事実は一つです。

 

 

同じ事実でも、どのような角度から見るのかによって見え方が変わったり、どの部分を取り出すかで感じ方は変わってきますが、基本的に事実は一つです。

 

ところが、人それぞれで異なっている意見や評価を、あたかも一つしかない事実のように捉えてしまいがちですよね。

そして、そのことから、ものごとがクリアに見えてきませんし、相手の単なる意見にいたずらに傷ついたり、反発をしたりしてしまうものです。

 

 

カエルくんの話を続けましょう。

 

カエルくんは、事実と意見をおりまぜた会話をしています。

 

 

カエルくんの主張・意見は「うしくんはけちだ」というものです。

その論拠として、7回も読んでボロボロになった古い本を自分にくれたことをあげています。

 

・うしくんが、カエルくんに本をあげたこと

・その本はうしくんが「7回読んだ」といったこと

が事実です。

 

これで、カエルくんのいうとおり「うしくんはけちだ」と評価されることになるのでしょうか?

 

番組の中である小学生の子が答えていました。

 

「うしくんは、自分が7回も読んだお気に入りの本をカエルくんにプレゼントをしたのだから「けち」ではないと思います」

 

そうですよね。

うしくんの行動をそのように評価することもできます。

もうこれは捨てるしかないと思っているものを誰かに押しつけるのであれば「けち」という評価もできるでしょう。

 

でも、うしくんが自分でこの本を読んでみて、7回も繰り返し読むほどいい本だと思ったから、カエルくんにプレゼントしようと思ってあげたのならば、うしくんを「けち」だとは評価できませんよね。

 

 

弁護士の仕事をしていると、一つの事実に対する評価や受け止め方、意見が、当方と先方とでこうも違うのかということによく出くわします。

 

ですから、その人が話していることについて、まずは、それは事実なのか、意見なのかを見極めることを意識するようにしています。

 

 

前提となっている事実が食い違っているのか、それとも同じ事実に対する評価、意見の食い違いなのかを見極めていくのです。

 

 

ある女性が離婚の相談をしているとします。

「夫は、酷い人です」は意見ですね。

「夫は、生活費も全く入れないで別の女性のところへ行きました。」は事実です。

「生活費を入れない」や「別の女性のところへ行った」という事実を前提にして、だから「夫は酷い人です」と意見を導いているのです。

事実が意見の理由となっている訳です。

 

○○の事実があるから、私は○○と思う(○○と主張する)。

 

この事実と意見を分けるということは、ものごとを客観視するためにつながり、人とのトラブル防止やトラブル解決に加えて、心を平静に保つ上でも有効なことです。

 

 

仮に甲さんが、あなたのことをけちだといっている、としましょう。

 

 

「私は、けちなんかじゃない!」

 

とあなたは甲さんに怒って反論したくなるかも知れません。

さらに、甲さんに対して「あなたのほうこそ!」と反撃したくなるかも知れません。こうして紛争が勃発するのです。

 

 

でも甲さんが言っていることは、単に甲さんがそういっているだけで、「事実」ではありません。甲さんがあなたのことをけちだと発言したこと自体は事実ですが、だからといって、あなたがけちだということが事実という訳ではありません。

 

意見や評価は人それぞれですから、甲さんのいう「けち」の意味とあなたが考える「けち」の意味も違うかも知れません。

甲さんの「けち」には、あなたに軽く親しみをこめて言ったのかも知れません。

 

それに甲さんが、心とはうらはらの発言をしてしまった可能性もあります。

 

とにかく、「けちだ」というのは甲さんの単なる意見に過ぎないのです。

 

 

あなたのこれまでの人生の中で、誰かからもっと酷い心ない言葉を言われたこともあるでしょう。

深く傷ついたこともありますよね。

 

 

それは、父親や母親だったかも知れません。

信じていた友人や恋人だったかも知れません・・・。

 

 

どうしてそんなことを言うの。許せない!

 

 

・・・・・

 

 

 

そう思うのも無理はありません。

 

時に言葉の暴力というのは、より深く胸に突き刺さるものですから。

 

ただ、多くの方が、事実と意見をまぜこぜにして、あの人が私のことをそのようにいっているから、そのとおりなんだと自信をなくしたり、落ち込んだりしてしまいがちです。ダメージを大きくしがちなのです。

 

また、そんな事実と違うことを言うなんて許せない!

と相手に対する怒りの感情で心を満たしてしまいがちになります。

 

 

場合によっては何年たっても恨みつづけていたり・・・。

 

でも、誰かが言っている酷い言葉は、決して事実ではありません。単にその人がそう言ったに過ぎないのです。

 

究極的に言えば、その人が、ただある音声を発したというだけです。

 

その音声に、意味を持たせたのは、あなた自身だということもできるのです。

 

そんなただの音声に、ずっと傷つきつづけるなんて、よく考えてみると、ちょっともったいないことですよね。

 

 

そう思うとほんの少しだけでも心がラクになりませんか?

 

 

悪意にみちた言葉を気にする必要はありません。

放っておきましょう。そんな言葉を何度も心の中で繰り返す必要はないのですよ。

 

 

それは、その人が単にそのような意見を述べているだけで、あなたの価値とは全く関係のないことなのですから。

 

 

もちろん、信頼できる人からの意見については、無視したりせずに耳を傾けてみることは大切です。

また、クレームについても、クレームだといって全て無視せずに、そこには参考になる貴重な意見も含まれていることもありますから、いったんは受け取って検討してみる必要はあるでしょう。

 

ですが、心ない意見を気にしなくてもいいのですよ。ただの音声に意味を与えているのは、実は、他ならない自分自身なのですから、自分でコントロールできるのです。

  

それは事実なのだろうか、意見なのだろうか?

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練習問題として、今度誰かの話を「それは事実、これはこの人の意見」だなんて分析しながら聞いてみてみるとなかなか面白いかもしれませんよ!

 

よろしければお試しください。

 

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先日、札幌地方裁判所にかかっている事件の尋問期日のために札幌に行きました。

 

遠方の裁判所で裁判がある場合、多くの期日は、電話で裁判に出席できるのですが、尋問はさすがに現地の裁判所に行かなければなりません。

 

宿泊していたホテルから大通り公園内を歩いて札幌地裁に向かいましたが、紅葉がきれいで、とても素敵な光景でした。

 

 

でも同じ光景をみても、何も感じない人もいることでしょう。

 

 

できるかぎり多くのことについて、「素敵だな~」と思えるように、素敵なものを感じ取る感受性を高めていけるといいのかも知れませんね。

 

 

そう、当たり前のことを「ありがたいことだな~」と感謝できることと同じように。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

 

※関連のお話です。

 

その前提事実は、本当に正しいのかな?

 

気持ちのコントロール

何を求めているのだろう-目的は何か?

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平成23年10月30日(日)


こんにちは。

神坪浩喜です。

昨日、子どもの学習発表会(学芸会)がありました。
上の子の学年は、岡本真夜さんの「TOMORROW」の合唱をしました。

「涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように
見るものすべてに怯えないで 明日は来るよ 君のために

涙の数だけ強くなろうよ 風に揺れている花のように
自分をそのまま信じていてね 明日は来るよ どんなときも」


そう、どんなときも明日はやってきます。
辛さ、悲しみをのり越えて、自分らしい花を咲かせていけるといいですね。

 

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弁護士や調停官の仕事をしているとき、必ず念頭に置いていることは、
「この方は、いったい何を求めているのだろうか?」ということです。

いったい何に困って、どうしたいのか?
これから誰に何をしてもらいたいのか?
を確認します。

例えば、誰にお金をいくら支払って欲しいのか?
離婚ということであれば、財産分与、慰謝料、子の親権、養育費はどうなのか?

いわば目標、ターゲットを定めるということですね。


そして、それが法的に請求可能なものか、どのような法的請求になるのかを考えていきます。


調停官として、中立的な立場に立っているときには、まずお互いの希望を確認します。

話し合いのスタートラインを決めます。
お互いにどれだけ食い違っているのか、出発点における相互の溝はどれくらいなのかを確認するのです。

例えば交通事故の損害賠償請求調停の場合、
被害者の申立人は、賠償額を300万円と希望している。他方、加害者の相手方は100万円と主張している。


双方の当事者は何を求めているのか。どういう結論となるのが、お互いが納得がいき、公正妥当なのかを
常に念頭におきつつ、話し合いをすすめていきます。


というのは、意外とありがちなことですが、つい何をしたいのか、何を目的としているのかを忘れてしまって
話し合いのための話し合いになって関係のない時間を費やしたり、お互いに非難合戦をしたりして、溝を深めてしまうだけになるおそれもあるからです。


いったい何を求めているのか。
その行動は何のためにやっているのか。


自分が生きていく上でも、目的を明確にするということは大切なことです。


目的を意識的に思い出すようにしておかないと、つい何が目的なのかを忘れてしまって
目的達成のための単なる手段を、あたかもそれ自体が目的のようにしがみついてしまうことがあったりします。


例えば・・・


何かを話し合って決める必要があるからこそ、会議を開いているはずなのに、会議すること自体を目的にしてしまって意味のない会議を続けたり

試験に合格することが目的なのに、勉強すること自体が目的化してしまって、合格するためには役に立たない勉強をつづけたり

家族を幸せにするためにお金を稼ごうと思っていたのに、お金を稼ぐことそれ自体を目的化してしまって、
仕事ばかりをして、家族を放っておいて家族を寂しくさせたり・・・


こんなことにならないためには
「いったい何のためにやっているのだろう?」
「いったい何を求めているのだろう?」
「目的は何か?」
という思考を、自分の頭の中の基軸に据えておくことが大切なのだろうと思います。


「何が目的なのか。その目的達成のための手段は何がよいのか」
「何が問題となっているのか。その問題解決のための方策はどのようなものがよいのか」

こういった思考や分析能力を子どもたちに、身につけてもらうのが法教育の一つの目的でもあります。

でも、出発点は、なにより「何が目的か」をはっきりさせることなのです。
目的を明確にすることがスタートラインです。



目的をしっかり意識し、今自分がしている行動は目的にどのようにつながっているかを意識すると
道に迷ってしまうことは少なくなるでしょう。
それに大切な時間を無駄にすることなく有効に使えることでしょう。


あなたの目的は何ですか。


あなたは何を求めておられますか。

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余計なお世話かも知れませんが、
時々、目的を確認して、その行動が目的と本当につながっているものなのかチェックされてみてくださいね。
(・・・・と私も私自身に言いきかせています)


お互いに、目的を明確にして、目的に向かってがんばっていきましょう。

 

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学習発表会、下の子の学年は、たぬきばやしの劇でした。

タヌキ達と和尚さんとの抗争話です。
1人目、2人目の和尚さんは、気位が高かったり、腕力のある和尚さんで
タヌキ達をお寺から追い出そうとしたのですが、タヌキ達から逆に追い出されてしまいました。

3人目の和尚さんは、酔っぱらいのダメダメ和尚でした。
ところが「まあ、いっぱい飲めや」とタヌキ達にお酒をすすめて、いっしょにお酒を飲んだり
タヌキ達といっしょにお腹をぽんぽこしてして
仲よくなり、お寺で共生していくことになるのですね。

すべてがそうという訳にはいかないでしょうが、こんな感じに
いっしょに仲よくいられるのであれば、「排除」ではなく「共生」ができたらいいと思います。


目的は、追い出すことではなく、つながりの中で幸せに生きることですからね。
 
それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

安の滝恋ものがたり

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平成23年10月24日(月)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。


10月はじめに、秋田県森吉山に登山をした翌日、「安の滝」という滝を見に行きました。
デコボコ道の林道をクルマでとおって、その後沢をしばらく歩きます。

小雨がふる中、あざやかな緑と川の清流が心を和ませます。

途中、狭く滑りやすいところもあり、「ここで滑ったら川まで落ちていくなあ」と思いつつ歩をすすめました。
少し息もはずみました。

そして、ようやくたどりついた「安の滝」。
二段で雄大かつ繊細な流れが、とってもきれいでした。
「うわ~見事だな~」と思わず声に出してしまいました。

この「安の滝」、日本の滝100選に選ばれ、かつ上位入賞の名瀑です。

そして、この美しい滝には、伝説が言い伝えられています。

北秋田市のHPに掲載されているものに、ちょっと私が手を加えたものをご紹介いたしますね。

 

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享保の初めごろといいますから18世紀初めのことです。

打当(うっとう)の奥に見崎金山が山師津の国屋藤八によって開かれると、
黄金の夢に吸い寄せられるように若者たちが集まってきました。

金山にはむらの若い娘たちも働いていましたが、そのなかにヤスという17歳になる娘がいました。
ヤスは顔立ちもよく気立てのいい娘でしたから、若者たちの憧れの的でした。
その艶やかな黒髪はきらきらと眩しく輝いていました。
言い寄る男はたくさんいましたが、ヤスはだれも近づけようとしませんでした。


そのヤスが恋をしたのです。相手は腕もよく実直な久太郎という評判のいい男でした。
久太郎も見崎小町といわれるほどのヤスでしたから、ヤスのことがとても気になっていました。

しかし山には男女の仲はご法度という固い掟があり、逢瀬も思うようになりません。

ある日山菜取りの帰り道、久太郎の小屋の前をとおりかかると、久太郎が一人で留守番をしていました。
日ごろ人目があってろくに口も聞けないヤスは、思い切って久太郎のもとにかけより愛を告げました。

それからヤスは、人目を忍んで、久太郎の小屋に訪れるようになりました。

ある日小屋にやってきたヤスに向かって
「ヤス、これをあげるから、よかったら使ってくれないか」
と久太郎は、ヤスに瑠璃色の櫛を差し出しました。
ヤスは、頬を朱に染めながら、にっこりと笑顔をみせてその櫛を受けとりました。
ヤスは艶やかな黒髪をその櫛ですいて、久太郎に向かって「うれしい・・・」と微笑んだのでした。

 

 

しかし、二人の幸せな時は、そう長くは続きませんでした。



ある日、小屋で二人でいたときに、運悪く、そこへ仲間たちがやってきたのです。
そして、二人の仲を妬んでいた仲間たちは、男女の仲はご法度だと騒ぎ立てました。

難がヤスに及ぶのを恐れた久太郎は
「いつかはきっと迎えにくるとヤスに伝えてくれ」
と友人に頼んで、山を下り故郷へ帰ってしまいました。
ところが、仲間の制裁を恐れた友人は、伝言をヤスに伝えませんでした。

「久太郎は、どうして私を迎えにきてくれないの。どうして・・・。」
とヤスは悶々、久太郎を思いつづけるのでした。

しかし、夏が過ぎ秋がきても、久太郎は姿を見せませんでした。
久太郎は、法度を犯した罪でとらえられ、山を追われてしまったのでした。
そして久太郎は再び捕らえられることを恐れヤスを迎えにいくことができなかったのです。

あるとき、仲間の一人が
 「久太郎は法度を犯した罪でとらえられたから、もうあいつのことは 思いきったほうがいい」とヤスに伝えました。
ヤスがおどろき、悲しんだのはいうまでもありません。
中秋名月の夜、ヤスが思い出の小屋に行ってみると、小屋はすっかり荒れはてていました。

ヤスの胸の中で、何かが弾け壊れていくのでした。

ヤスはそのまま山道を滝のほうへたどり、あとを追ってきた仲間たちが追いつこうとしたとき、
「久太郎!久太郎!久太郎!」
と三度愛しい人の名を呼んで、千尋の滝へ身を投げたのでした。



久太郎は、ヤスが滝に身を投げたことを仲間から聞いて、その場で地面にへたりこみました。
そして、涙をぽろぽろと流しながら
「ヤス!ヤス!すまない。どうして迎えに行かなかったのだろう。
どうして一番大切なものを大切にできなかったのだろう。すまない、ヤス・・・。」
と地面に拳を何度も叩きつけながら泣きわびたのでした。

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以来、ヤスが身を投げたこの滝を「ヤスの滝」と呼ぶようになり、
この滝へくると恋が叶えられると、若い男女がやってくるようになりました。
そしていまでも月夜には、ヤスが荘厳な風景をバックに、黒髪をすいている姿を見ることがあるそうです。

 

 

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ああ、何ということでしょう。


二人とも愛しあっていたのに・・・。
 

山の掟、嫉妬心、そしてすれ違いが生んだ悲しいお話です。


ヤスは久太郎が戻ってくるのを信じて待っていたのですが、
久太郎は、戻ってきてはくれませんでした。
久太郎は、山の法度を犯したことで、もう会いに行くことができなかったのです。

あの人はもう戻ってこない・・・。

そう思ったとき、ヤスは悲嘆にくれ、生きる希望をなくしてしまいました。

大切に思っている人をなくしてしまったときや去られてしまったとき
そう思ってしまうことも無理もないことです。
その人への思いが強ければ強いほど、離れてしまったときの心の痛みは深いものです。



でもね。



それでも生きることをやめてしまってはいかんのですよ。
自らで自らの命を投げ出してはだめですよ。


どんなに辛くても、悲しくても、それでも人は生きていかなくてはいけないのだと思います。


確かに、大切な人をなくしたことは、大変辛いことでしょう。悲しいことでしょう。
そんな時は思いっきり泣いてもいいと思います。
一人でため込まないで誰かに話しを聴いてもらってもいいのです。



それでも、その大切な命を投げ出すことだけはして欲しくないのです。


それぞれの人は、何かの意味があって生まれてきました。
その命を授かったということには必ず何らかの意味があるのです。
投げ出しもいい命なんてものはないのです。


苦しいこと、悲しいことが永遠に続くわけでは決してありません。
苦難はいつか必ず乗り越えられるようになっているものです。


こんなにも辛くて悲しいことがあるならば、これから幸せに包まれる時期もきっとあるはずです。
辛くて苦しくて悲しい経験があったからこそ、それを糧にして力強く生きたり、誰かに優しくすることだってできるのです。


生きてさえいれば、いろいろな可能性が開けてきます。
自分で自分自身を幸せにしていくことだってこれからできるのですよ。


今は、悲嘆にくれ、暗闇に包まれ、土砂降りの雨の中にいたとしても、
雲の上にはまぶしい太陽が輝いているのです。


そして、あなたがこの世に存在することだけで救われている人が
必ずいることをどうか忘れないでくださいね。


だから、どんなに辛いときも人生を投げ出さずに、がんばって歩いていきましょう。

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※関連のお話です。
雲の上はいつも晴れ


今、私、生きている

 

 

昨日の朝に、町内会の清掃がありました。
カツラの落ち葉がたくさん落ちていて、汗も少しにじんでくる結構な作業となりました。


落ち葉を集めているとき、カツラの落ち葉からほのかな甘い香りがしてきました。

そしてその香りから、「これを燃やして焼き芋を焼いたらいいだろうな~うまいだろうな~」と
毎度おなじみの想像をしてしまうのでした。

 

これから秋もますます深まって行きますね。

 

どうかお風邪など召しませぬように。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

自分で間合いをとれるのですよ。

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平成23年10月16日(日)



こんにちは。

神坪浩喜です。


この10月で、仙台簡易裁判所の民事調停官になってから1年が経ちました。
あっという間のような気がしています。

毎週水曜日の朝は、弁護士バッジを外し
「よし、今日は調停官の日だ!」
と気持ちを弁護士から裁判官にチェンジして裁判所に出勤しています。

思うようにまとまらないことや自分の力量不足を痛感することもあったりしますが、

調停がうまくまとまって、当事者の方がほっとした表情になるのを見ることができたときは、実に気分がよいものです。

「よし!やったあ~」と心の中で喜んでいるのでした。

これも調停委員の先生方や担当書記官のSさん他、裁判所の皆さんのおかげです。
ありがたいことです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


調停官や弁護士の仕事の多くは、人と人とのつながり、関係がこじれたときに
法やその背景にある正義や公正の理念に従ってその調整をはかるものです。


離婚、相続、借金問題、賃貸借の問題・・・
相手方がいて、その人との関係について悩んでいる方がほとんどです。

弁護士に依頼したり、裁判にならなくても人と人との関係で悩んだり、辛い思いをしたりすることは、多かれ少なかれどの人も経験することでしょう。

人との関係が良好であること、人と温かなつながりをもっていることは、幸せなことですよね。

加山雄三さんの雑誌のインタビュー記事(PHP11月号)に、人間関係に関して、次のようなことが書かれていました。
「そうだよね~」と共感しましたので、ご紹介しますね。



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人間関係の距離感に悩んでいる人がいるとすれば、心の距離のとり方が分からないのでしょう。
これを解決するためには、まずは相手の性格を知ることです。

人のタイプはさまざまです。
誰に対しても同じようなつきあい方をするのではなく、その人にあった対応をしてあげること
相手の性格にあったつきあい方を自分自身が演出すること

大人の関係とは、互いの性格を測りつつ、相手に合わせるという気持ちをもつこと


若い頃、週刊誌の記者に追い回され、根も葉もないことまで書かれ頭に血が上ったことも幾度となくありました。
ところが、「彼らにも養う家族がいる」とそう思ったときから、私は彼らを敵対視するのではなく同じ人間同士、男同士として接するようにしました。
時には本音でぶつかり合ったこともありました。そうするうちに適度な距離感が芽生え、信頼関係が生まれてきた。
そうなるともう、彼らは私の悪口なんて書けません。別に悪口を書かれたくないからそうしたのではない。

ただ、彼らの立場や性格を理解しようと努めただけです。


人に対する感謝の気持ちは思いやりに変わります。
思いやりの心には温かさが宿ります。
そして、温かさに溢れた場所に人は必ず帰ってくる。

家庭という場所だけでなく、こういう温かな帰る場所をもっていること。
それこそが人間として幸福なことだと思います。

人間は一人では生きてはゆけない。
家族や友人、あるいは仕事仲間に囲まれて生きている。
自分が生きているその場所が温かさに包まれていれば、それほど素晴らしいことはありません。

そしてその温かさを演出するのは、誰でもない自分自身なのです。
人に何かをしてもらうことばかり考えないで、自分がやってあげられることを考えることです。

いい人間関係を望むのなら、自分自身が温かい気持ちをもち、素直な性格になること。

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最後に、私の心に残る言葉を贈ります。

 

「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつかあなたの運命になるから」

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加山さんは、人間関係を良好に保つためには、誰に対しても同じようなつきあい方をするのではなく
まず、相手を観察して、どのような人かを見て、その相手にあわせた個別具体的な対応をすることをすすめています。

誠実に接することは前提にしながら、その相手に応じた距離をとるということですね。


そして、人間として幸福なことは「温かさに溢れた場所」を持っていること、
つまりは、誠実な人と温かくつながること、囲まれることだと話しています。

そして、もしそう願うのならば、人に何かをしてもらうのではなく、

自分が人に対して何ができるのかを考えること
自分自身が誠実な心、温かな気持ちを持つことが大切だといっています。


世の中にはいろいろな人がいます。
あなたが出会う人の中にも、いろいろな人がいるでしょう。
尊敬できる人もいれば、あまり近寄りたくない人だっている。


中には、あなたのことをいたずらに傷つようとする人、

あなたを道具として利用する酷い人もいるかも知れません。
つながりをもつよりは、遠い距離をとったり、いっそのこと切り離してしまった方がいい関係もあるでしょう。


弁護士の仕事をしていると、距離が近すぎるがゆえに、他者への依存や過度の期待によって、

関係がこじれていることによく遭遇します。


特に近しい人は、本当は仲よくできたらいいのに、それができないで、こじれてしまうと実に辛いものですよね。


そのような時、解決するためには、まずは自分自身で、相手との距離、

間合いを変えることができることを思い出すことが出発点かなと私は思います。


意外と多くの人が、「自分自身で間合いをとれる」ということに気がつかず、
いたずらに相手を非難したり、自分の運の悪さを嘆いたりしているのかも知れません。


そうするとますます関係はこじれ、悩みは深くなっていくものです。



人は、自らの自由意思でつながる人を選ぶことができます。

つながる人と、どのような距離をとるか、どのようなつながりにするかを選ぶことができるのです。

民法上「契約自由の原則」という原則がありますが、

誰とどのような法的なつながりを持つのかも原則として自由なのです。


法的な効果を発生させないつながりについても、

誰とどのようなつながりを持つかは原則として自由なのです。


自分が主体的に動くことで、相手との距離を近づけようとすることも、

離れることもできるということに気づいたとき、
「では、この人と私の適切な間合い、つきあいはどのようなものだろう?」
と思考は次のステップにすすむことができます。


そして、その際のポイントが、加山さんがいうように、相手の性格や価値観をよく観察することになるのかなと思います。


今、もしあなたが、人間関係に恵まれないなあと思っていても、

これから相手をよく見て、温かな人を選んで、その人と温かなつながりを創り上げていくことだってできるのですよ。


それに、仮に今、ある人とのつながりが辛いもの、煩わしく感じたとしても、

間合いを変えたり、つながりの質を変化させてみると、温かなつながりに変化する可能性だってあるでしょう。


それから、実はあなたのそばに、単にあなたが気がついていないだけの「温かな支え」というものもあるかも知れません。


感謝や思いやりをベースにした思考、言葉そして行動を心がけて、

縁あって出会った人と適切な間合いをとって、温かなつながりを築いていけるといいですね。


私も、まだまだですが、がんばっていこうと思います。
 

 

それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

被災地が一日も早く復興しますように!

すぐそこにある素敵なもの

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平成23年10月9日(日)

 

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

今日は、秋晴れの爽やかな一日でした。

子ども達と3人で、自転車で団地内を一周をしました。
出発するときには、「子ども達が、ついてこれるようにゆっくりいくか」等と思っていました。

ところが、いざ出発すると私の自転車は、思うように前に進みません。
「おっかしいな~。がんばってペダルをこいでいるのにな~」

そうこう思っていると、子ども達の自転車はどんどん前に進んでいって小さくなっていきます。

「あれっ、ちょっと待って、速いぞ、ゆっくり行こうよ」
と声をだすも、声はとどかず、二人に置いて行かれたのでした・・・。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつもとは違う道を歩いてみる。裏の路地に入ってみる。
ちょっと遠回りをしてみる。


そういうとき、偶然にラーメン屋さんとかパン屋さんとかケーキ屋さんとかカレー屋さんとか(あ、食べもの屋さんばかりでしたね)美味しそうなお店を見つけるということがあります。


うれしい瞬間ですよね。


そして、ちょっと勇気を出して、お店に入って食べてみて、実際に美味しかったならば、
「お~こんなところに、こんな美味しいものが食べられるお店があったのか!」
と実に幸せな気持ちになります。


特に、自分が暮らしているところ、働いているところの近くにこんなお店を見つけたら
「どうして今まで気がつかなかったんだろう!」
「気がつかなくてごめんなさい!」と嬉しく思うことでしょう。


今まで気がつかなかったすぐそこにある素敵なお店って、実は意外と多いのかも知れません。
人も同じで、そばにいるのに気づかなかっただけで、実は素敵な人だったということもあるでしょう。


お店もそうですが、そばにいる人について、

「お~実はこんなに素敵な人だったんだ!」と気づいたときは、
何ともいえない幸せな気分になります。


自分にとって、存在するものというものは、ただ物理的な一定の空間内にあることではありません。


自分が気づいたものが、自分にとって初めて「存在するもの」「意味あるもの」となります。 


そこにはもともとあったものでも、気がつかないものは、どんなに素敵なものでも、素晴らしいものであってもそれまでは自分にとっては「存在しないもの」なのです。


気づいた時に初めて「存在するもの」として、心に投影されるのです。

いつもと違う道を歩いてみる。動いてみる。違う角度から眺めてみる。
そういうことで、はじめてその存在に気づくことがあります。


見方をかえたり、自分が動くこと、そして心が変わることで、突然自分の視界に入り、それが存在するもの、自分にとって意味あるものとなるわけです。


その発見の喜びを感じたとき、実に幸せな気分になります。


だから、すぐそばにある素敵なものに、よく気づくことができたら、幸せなことですよね。


何か、遠くにあるものを努力して手に入れるということも、幸せなのかも知れませんが
日々の暮らしの中で、すぐそばにある素敵なものに気づく、味わうことができるということも
幸せに生きるコツなのかな~と私は思います。


だから、傷つくことを怖れてじっと閉じこもらずに、とにかく動くこと、歩くこと、いろいろな見方をしてみること、そして、何か美味しそうなものはないかな~とうろうろ、きょろきょろすること(笑)を意識的にやってみましょう。


そして、動くなかで、縁あって、ある人と出会ったならば、
「この人のいいところはどんなところだろう?」
といろいろな角度から眺めてみると、その人の素敵なところに気づくかも知れません。


それから、ここが重要ですが、また照れくさくてかなり勇気がいるかも知れませんが、
もしその人の素敵なところに気づいたならば、それを素直に表現されてみてくださいね。



その人に向かって「あなたの○○のところがいいね!」「○○というところが素晴らしいよ!」と教えてあげてください。

その人は、きっと幸せな気分になり、あなたの心もぽかぽかと温かくなると思います。


こうして、あなたとその人との間に、温かなつながりが生まれて、幸せな気持ちがあふれ出してくることでしょう。
もしかすると、その人は、あなたにとってかけがえのない人になるかも知れません。

「美味しいもの、素敵なものはないかな?」と動くこと、きょろきょろすること、
「この人のいいところはどこかな?」と眺めてみること、そして「おいしいね~」「素敵だね~」と素直に表現すること、このちょっとしたことで、きっと今より人生は好転していくはずですよ。


ぜひ、試してみてくださいね。


 

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※関連のお話です。
気がつかない大切なもの

自分が見ているのは「見かけ上」のことかも。

 

 

 

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先週の土曜日に、秋田北部の森吉山(1454M)に登ってきました。
 
山登りは、高校1年の時に、集団訓練とかいうことで、
みんな黄緑色のジャージを着て、ぞろぞろと大分の久住(くじゅう)にのぼったのですが、
それが実に苦渋の経験でしたので、山登りには縁がありませんでした。
(あ、おやじギャグ入りました。すみません!)


ところが、山登りをされているI先生が、「流れ出る汗とともに日頃のストレスが一緒に流れていくようで気持ちいいんですよ!」
と楽しそうに語る様子に興味を持って山の話を聞いていたら、I先生が、山登りに誘ってくれたのでした。


苦渋の経験があり、また体力に不安があって、「みなさんについていけるかな」とも思いましたが、これも何かのご縁かと思って、参加させていただきました。


山に行く途中、東北道から秋田道へ北上するうちに、何度も虹を見ました。
きれいだな~と虹をみつつ、しばらくすると雨が降って、また晴れて虹が出て、また雨が降ってを何回も繰り返して、現地は、晴れかな雨かなどうかな~と思ったら・・・・


残念、雨でした!(泣)。
 

ゴンドラで1200メートル弱ぐらいのところまで行きましたので、登りは1時間半くらいで頂上につきました。
事務所までの階段登りで鍛えていたおかげで(?)、何とか同行したみなさんのペースについていくことができました。

 
頂上付近では、視界がまったくききませんでした。晴れていれば、八幡平、岩手山や鳥海山等も見えるということでしたが、近くの木々でさえもガスでかすんで見えませんでした。
 

さらに頂上では、雨が雪にかわっていました。初雪です。寒かったです・・・。


こうして遠くの景色を見ることはできませんでしたが、自然の中の道を歩くのは、気持ちがいいものですね。


高校時代の苦渋の経験もこうして流れて去っていったのでした・・・。
よかったです。


今回の件を機会に、せっかく山登りグッズをそろえたので、
近場の初心者向きの山にまた行ってみようかな~と思っています。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

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平成23年9月26日(月)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。


週末は、とても穏やかなよい天気に恵まれました。
窓を開けると、爽やかな風が入ってきて、何だか幸せな気分になりましたよ。

猛々しかったあの夏は、もうどこかへ行ってしまったのですね~


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さて、前回は、ブッダの「正見」のお話をさせていただきました。

苦しみを取り除くには、自らで心を制御すること、そのためには煩悩をコントロールすることが必要だということ、そして煩悩をコントロールするためには、「正見」すなわち、独りよがりのものの見方・考え方から離れて、ものごとを客観的に正しく見ることが大切だということでした。


正しく見るということは、どういうことなのでしょうか?

正しく見るために一体どうすればいいのでしょうか?



ブッダ曰く、正しくものごとを見るために、必ず押さえておかなければならないこととして「諸行無常」があります。

「『因果関係によって作り出されたすべてのものは無常である』(諸行無常)と智慧によって見る時、人は苦しみを厭い離れる。これが、人が清らかになるための道である」ダンマパダ277


「諸行無常」(しょぎょうむじょう)とは、すべてはうつろうこと、すべてのものは時々刻々と変化するものであり、永遠不滅のものなど、どこにもないことを言います。「平家物語」の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」の「諸行無常」ですね。

生命にはじまりがあれば、必ず終わりがあります。
どんなに大切に思う人とも、いつかはお別れをしなければなりません。
堅牢なビルもいつかは壊れていきます。この地球もいつかは消えて無くなる運命にあります・・・。


このように、変化すること、永遠のものなどないことを少し考えれば分かるのですが、人は、そのことをつい忘れてしまいがちです。


調子のいいときは、「こんな素晴らしい生活が、ずっと続くような気がする」とつい思ってしまいますし、逆に、辛い時期には「私の人生は、ずっとこのまま暗いような気がする」とふさぎ込んでしまうものです。

ものごとがうまくいっている時期は、周囲の状況は刻々と変化しているのに、今の恵まれた状況に安住してしまって、何も努力をしなかったり、同じことを繰り返して漫然と過ごしてしまいがちです。そうしているうちに、変化を受けいれることができずに、人や環境のせいばかりにしてしまい、「どうしてこうなったんだ!」と身動きがとれなくなってしまうこともよくあることです。


「チーズはどこへ消えた?」の小人は、まさにそうでした。


小人は、苦労してやっと見つけたチーズが、ずっとそこにあるような思いこみをして、食べつくせば無くなること、変化することは当然なのに、それを受け入れることができずに、「どうして?」「そんなのおかしい!」と思うばかりで、チーズを探そうとしませんでした。

そして、他方で、無くなったものにしがみついても仕方がないと、さっさとあたらしいチーズを探しに動きだしたねずみは、新しいチーズを手に入れるのです。


「すべては、変化している」


そのことを意識し、受け入れることが、正しくものごとを見るためのスタートラインというわけです。

その上で、変化を楽しみ、変化を活かしていくことを考えていく。そして、決して永遠ではなない今というこの時を、どう主体的に生きるのかという視点に切り替えていくのです。


すべては、変化していること、ものごとは変化するものだということを受け入れることで、起きた出来事に対して、柔軟な対応が可能になってきます。


人は、何かに安住したときに、歩みを止めてしまったときに、その成長はとまり、さらには後退していくのかも知れません。
自分の古い考えにしがみついて、他者の意見に耳を傾けることができなくなる。自分の昔の成功体験にしがみついて、同じやり方で押し通そうとしてしまう。

「こうしてうまくいった」
そんな体験は、もちろん貴重な体験であり、同じような問題に直面したときに参考にできるものです。
ただ、それが絶対だとか、そうしておけば間違いないと思いこんでしまうと変化に対応できず、大きな間違いを起こしてしまうことにもなりかねません。


結婚式で、永遠の愛を誓ったとしても、ただそれだけで、愛が続くというわけではありません。その後の日々の生活の中で、お互いが相手の変化を受け入れて、相手を大切に思いやり、愛を注ぎ続けなければ、続くものではありません。


もう結婚したから大丈夫、愛を誓ったから大丈夫、だなんて相手を放ったらかしにしていると突然「さようなら。」と置き手紙が置いてあることだってあるかも知れないのです・・・。
(「恐怖の物語」)


川の水は常に流れています。人の体内を流れる血液も常に流れています。流れがとまると、澱み、濁って腐っていくものです。流れは必要なことなのです。変化は必要なことなのです。


だから、人もまた時の流れの中で、変化の中で、変化を受け入れて生きていくしかないのです。
変化を受け入れたものの見方考え方、そして行動をとり続けていくことが、幸せに生きるためには大切なのです。


調子がいいときは、どうしても、ずっとこのまま調子がいいような気がするもので、いい気になってしまいがちなのですが、浮かれずに、心を落ち着かせて、次にやってくる変化に対応できるようにしたいものですね。


それから、逆に運が悪いなあ、ついていないなあと思うときは、このままずっと暗い人生が続いてしまうと思いがちですが、運が悪い状態がずっと続くわけではありませんから、投げやりにならずに、今できることをコツコツとやっていってくださいね。
(「ずっと運が悪い人はいませんよ」)

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以上、「正しくものごとを見るためには、すべて変化しているということを知ることが大切ですよ!」
というお話でした。


私も自分に言い聞かせて、妻の心の動きに柔軟に対応して、心穏やかな生活ができるようにがんばりたいと思います(笑)。

 

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朝午前6時ころ、小犬のマリの散歩に出かけるのですが、昨日との空気の違い、季節の移り変わりを感じます。

昨日まで咲いていた花が枯れたものもあれば、今日新しく咲いている花もあります。

咲いていた花が枯れたことを残念に思うことも、新しく咲いた花を見て嬉しく思うことも、自由なんですよね。


うつろう世界の中で、できるかぎり自分の気持ちが安らぎ、楽しくなるものにフォーカスしていくといいのかも知れません。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

被災地が一日も早く復興しますように!

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平成23年9月19日(月)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

9月も半ばを過ぎましたが、昨日の日中は真夏のような暑さでした。
それでも、朝晩は、虫の鳴き声が心地よいです。

マリの散歩道には、萩の花も咲いていましたよ。

 

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さて、先週末に書店をぶらついていましたら、
NHK教育テレビの100分de名著のテキスト「ブッダ 真理のことば」佐々木閑著
という本が目にとまって、面白そうなので買って読んでみました。


読んでみて「なるほど~。さすがお釈迦様!」と感心したのでした(笑)


テレビの方も第1回を見てみましたが勉強になりました。


仏教というと、仏像があってそれを拝んだり、念仏をとなえたりするイメージがあるのですが、
ブッダの教えそのものは、仏像を拝んだり、念仏をとなえていれば大丈夫のようなこととは全然言っていません。

『自分の救済者は自分自身である。他の誰が救ってくれようか。自分を正しく制御してはじめて、人は得難い救済者を手に入れるのだ。」
(ダンマパダ160)

というように、ブッダは「自分で何とかせよ」「自分を正しくコントロールせよ」とビシビシ厳しい方なんですね。

でも逆に、何かにすがらなくても、救世主が現れなくても、白馬の王子さまがやってこなくても(笑)
「自分で何とかなる」「自らで切り拓くことができる」
ということですから、自分次第ということで、希望が持てていいのかも知れません。


テキストには、読みながらいろいろと線を引きましたが、その一つに「正見」-正しいものの見方、というところに線を引きました。

正見は、人がその苦しみを取り除くため=煩悩をなくすための八つの道(八正道-はっしょうどう)
に、まず最初にくるものです。

一番 正見(正しいものの見方)
二番 正思惟(しょうしゆい-正見にもとづいた正しい考えをもつこと)
三番 正語(しょうご-正見にもとづいた正しい言葉を語る)
四番 正業(しょうごう-正見にもとづいた正しい行いをする)
五番 正命(しょうみょう-正見にもとづいた正しい生活を送る)
六番 正精進(しょうしょうじん-正見にもとづいた正しい努力をする)
七番 正念(しょうねん-正見にもとづいた正しい自覚をする)
八番 正定(しょうじょう-正見にもとづいた正しい瞑想をする)

二番の「正思惟」から八番「正定」まで、いずれも「正見にもとづいた○○」というように、

「正見」が基礎にあり、大前提であり、これができないと他のいずれの行いもできなくなる煩悩をなくす道の要諦です。


正見とは、自分中心の誤った見方を捨て、この世の有り様を客観的に合理的みることが大切であること
人は、ついこの世に起こっているものごとを自分の都合でねじ曲げてとらえてしまいがちで、
なかなか現実をありのままに正しく認識することができないことを言っています。 


人は誰もが、自分自身のフィルターを通して、この世の中を認識しているのですが、
それがあたかも客観的に見ている、他の人も同じように見ていると思いがちです。

今までの経験、親から受けた影響、自分の興味や価値観をベースに、見るものとそうでないものを選択し、見たもののうち自分にとって重要なものとそうでないものを選択し、
認識した情報から自分の価値観を通して、どういう意味があるのかを判断していきます。

「自分フィルター」からは離れようがないのです。そして、その「自分フィルター」は人それぞれで違うものです。

ですから、自分が見ているようには、人は見ているとは限らないし、自分が感じているようには、人が感じているとは限らず、むしろ食い違っているのが普通なのです。

ところが、人は、自分が見ていること、自分が感じていることが、当然のことであり、それがあたかも「客観的なもの」と思い込んでしまいがちなのですよね。
そこで、お互いに相手の考えを理解できずに、自分の考えを見直すことができずに押しつけあって、紛争が生じてしまったり、紛争がこじれてしまうのでしょう。


究極的には、「客観的にみること」は、おおよそ不可能なことかも知れません。
ですが、いろいろな角度から、ものごとを捉えることで、「客観的なものの見方」に近づくことは可能です。


そして、自分は客観的に見てはいないことを自覚して、できるだけ客観的に物事を見ようと意識するだけでも、ものの見え方は、グッと変わってくるものです。

「おお、こんなものの見方、考え方があるのか!」と今まで見えなかったものが、目に飛び込んでくるはずです。


そうすれば、相手や他者のものの見方も一定の理解ができるようになり、お互いにとっていい解決法を考え、いたずらにお互いを傷つけあったりすることも減っていくことでしょう。
自らの人生における判断においても、より適切な判断ができるようになると思います。


私自身も、正直に言えば、まだまだ物事を客観的に見ることがなかなができていません。


ですが、「自分は客観的に見てはいないこと」を自覚すること、
だからこそ「客観的に見ようと心がけること」によって、視界は、以前より随分開けてきたような気がしています。
生きやすくなってきた気がするのです。


このことは私が「法教育」で、お伝えしたいところにもつながるところです


自分のものの見方や尊敬する偉い先生が言っているものの見方についても
尊重し、大切にしつつも、心のどこかで「間違っているかも知れない」、
少なくとも、今の判断として私や先生はこう判断しているが「それも絶対ではない」
という留保を付けておくことが、大事なんだと思います。


そういう留保を付けておきながら、相手に考えを述べ、相手の意見を聞いて
自分の考えをいつでも柔軟に再構築できるようにしておくこと。


そうすることで、自分が、自分らしく生きることができるようになり、他者と温かくつながりやすくなる、温かな人と人とのつながりができやすくなるのではないかと思っています。


お釈迦さまがいうとおり、苦しみを消し、幸せに生きるために、まず大切なことは
「自分はものごとを必ずしも客観的には見ていない」ことに気づくこと
その上で「ものごとを客観的に見ようと努力すること」なんですよね。


私も幸せに生きるために、「正見」をもっと意識して過ごしてみようと思います。

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※関連のお話です。
何かを大切に思う気持ちに違いはないこと

その前提事実は本当に正しいのかな?

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いきなり何なのですが、結婚というものは、ある意味「修行」なのかも知れません。


私は、客観的にものごとを見る「正見」を身につけるための実にありがたい修行のような気がしてきました。


生まれ育った環境も、何が好きかも、経験してきたことも、価値観も違う男女が、一つ屋根の下で一緒に暮らすというのは、
「えっ、そういうものの見方、考え方もあるのか!」と否が応でも気がつかされるものです。


そういう修行の中で、いろいろと「ものの見方、考え方」が鍛えられるわけです。


私も、もうそろそろ、「妻のものの見方、考え方」を習得して、危険回避できてもいいはずなのに
私の学習能力が乏しいのか、未だに
「うそ~!こんなところに地雷が埋まっていたなんて!」
と妻の怒りにおののくとともに、自分の未熟さを思い知らされるのでした・・・。


あ~まだまだ「修行」が足りません・・・・(泣)。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

被災地が一日も早く復興しますように!

網地島調査探訪記-その3

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平成23年8月30日(火)

 


こんにちは。

神坪浩喜です。

日曜のお昼は、家族で、事務所からクルマで5分くらいのところにある
「五福星(イーフーシン)」というラーメン屋さんに行きました。

妻が前から行きたいと言っていた有名店です。
11時30分の開店時間にあわせて行ったのですが、さすが有名店、
駐車場は、その時間でもほぼ一杯で10分くらいは待ったのでした。

このお店では、女川や石巻といった沿岸部の被災地に行って、ラーメンの炊き出しをして
いるということで、店内にラーメンを美味しそうに食べる被災者の方々の写真がたくさん飾っていました。

美味しいものを食べているときの表情というのは、実にいいですよね。

このお店の定番メニューの「肉そば」をいただきました。

確かに、行列のできるラーメン屋さんらしく、美味しかったです。
私は、背脂たっぷりのスープは残したのですが、妻は、ガツガツ食べて、スープも全て飲み干し
ついでに、子どもが残したスープまで飲み干しました。


妻は、肉食系のいい表情をしておりました(笑)。

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さて、前回、前々回と、弁護士会の仕事で、網地島に被災状況の調査に行ったお話をしました。

「網地島調査探訪記-その1」

「網地島調査探訪記-その2」

 


午後1時半に、区長さんのお宅に伺って話をきく予定でした。

神社で、パンを食べたり、ねこと遊んだりした後で、区長さんのお宅に向かいました。

古い蔵があり地震の影響からか、壁がはげ落ちていました。


区長さんからは、震災被害のいろいろなデータや実情を教えていただきました。

避難誘導はスムーズに行って、島の中では、一人も亡くなった方はいなかったこと
(島民で石巻に行かれていて被災し亡くなった方が1名おられるとのこと)
地震の5日後から自衛隊のヘリコプターで救援物資が届くようになったこと
災害対策本部で、のみ水、ガソリン、灯油を配ったこと
生活用水は、井戸水を使ったが、高齢者には水をくんであげたりしたこと

漁業被害について、船の多くが津波で壊されたこと
養殖の銀鮭が、大きくなっていたときに流されてしまったこと
港が地盤沈下して船が着く場所がなくなってしまったこと

おおくの家で畑があり、野菜を育てているが、それでも野菜が足らないので
毎週水曜日に公民館で、「復港青空市場」を開いて、石巻青果市場からの野菜販売を行っていること

自宅が壊されてしまった方は、島内の空き家に住んだりしていること
5月27日に避難所は閉鎖され、災害対策本部も終わりになったこと

区長さんも親切にいろいろと教えてくれました。


船が出る時間が近づき、そろそろおいとましようかなと思った、そのときです。


「ガタ、ガタ、ガタ、ガタ!」

突然、激しい揺れを感じました。地震です!
「これは、結構大きいぞ!」とテーブルの下に、3人で隠れました。
携帯の緊急地震速報もブーブー鳴っています。


しばらく揺れた後、揺れがおさまって、ホッとしました。

しかし、その後、「あっ、ここは、網地島なんだ」ということを思い出し
「え、津波がくるのか!帰りの船は出るのか!帰れない・・・
・・・・あっ!、石巻港に駐めてきた私のクルマが津波で流されるかも!!」

と焦り、不安といろいろな感情が湧いてきたのでした。


T先生は、準備よろしく携帯ラジオを持参していました。
きけば、相当大きな地震で、津波注意報が発令されているとのこと・・・・。

津波注意報が出ていると船は、港には近づくことはできません。
既にこちらの島に向かっているはずの船は、石巻に戻っていくことになるかも知れません。

とりあえず網地の港に行ってみましょうということで、区長さんのお宅を出て、バスが通る道ぞいに行きました。
バス停というものはないので、ここにいたらバスが来るからという場所に連れて行って貰いました。

船は来るのか、帰れるのか、いろいろと考えていると軽のワンボックスカーがとまり、運転している男性の方が区長さんに話かけてきました。
バスではないのですが、そのクルマを運転している方も網地の港に行くということで、私たちも乗せていただきました。

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網地の港に着くと、何人かの方が、壊れた待合所にいて、「はたして船が出るのだろうか」と不安そうに話をしていました。


船会社の職員さんが、津波注意報が出ている間は、船は港に入れないこと


津波注意報が解除されたら、こちらに船がやってくるということをいいました。

 

 

見れば、沖合遠くに、「マーメイド号」はとまっています。


マーメイド=人魚姫は、果たして私たちのもとへやってきてくれるのでしょうか・・・。


しばらくして、ラジオを聞いていたT先生が、「津波注意報が解除されました!」と言いました。
船会社の職員さんも、「注意報が解除されたので大丈夫です」と言いました。

そして、沖合の「人魚姫」を見ると、近づいて来てくれるではないですか!

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ああ、よかった!

近づいてきてくれる「人魚姫」が何とも愛しく思えたのでした。

 

 

 

こうして、私たちは、島に取り残されることなく、無事網地島を後にしました。


帰りは、1階の船室であったことや最初の商店で買った酔い止めの薬が効いたこともあって、船酔いはしませんでした。
出航して1時間を過ぎたころ、デッキに上がってみました。

後ろに、田代島や網地島、右に牡鹿半島、そして前方に石巻の港が目に入ります。
美しい眺めです。
晴れ間も見えて潮風が心地よく感じます。

調査の目的を達成できたこと、無事に帰還出来そうなこと、島の方々の優しい人情に触れたこと
可愛いねこ達と遊べたこと・・・


日帰りでしたが、とても遠いところへ行ってきたような気持ちになりました。
 

いや、実際にとても遠いところでした。私が暮らす世界とは、違う別世界でした。
全く違う時間が、この島では流れていました。


コンビニもスーパーもありません。カラオケ屋もパチンコもありません。銀行も学校もありません。


それでも人と人との温かなつながりは、しっかりありました。

自然の中で、人と人とが支え合って暮らしていました。



この島で、争いごと、もめごとは、あまりないことでしょう。
この島には、弁護士なんて者は、きっと不要ですね(笑)


またいつか、この素敵な島に、訪れてみたいと思っています。
次は、弁護士ではなく、純粋な旅人として。


そして、今度こそ「ウニ、アワビ」をたらふく食べてやる!


(おしまい)

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3回にわたってお送りした「網地島調査探訪記」、お付き合いいただきましてありがとうございました。

網地島の人口は、約500名弱、過疎化が進んでいる島です。
空き家も多数あり、そこに震災で家をなくした方が入ることで、仮設住宅に入る必要はないとのことでした。

椎名誠さんの本で紹介されていた島の中学校も、今は廃校となっていました。

区長さんのお話では、高齢化も進み、多くの方は、年金主体の生活をされているということでした。
漁業収入は、100万円がやっとで200万もあれば凄いとのこと。

ただ、畑で野菜を作っている家庭も多く、また島の生活で、お金を使うこともあまりないので
多くの方は、ほそぼそと、でも堅実に暮らしているとのことでした。

ここでもそこに住む人の暮らしはあって、その島の人々にとっては当たり前の日常が展開されています。

でも、便利なものに囲まれ、欲しい物はお店に行けば大抵のものが売っていて、
時間に追われることが当たり前の私たちにとって、この島の生活は、非日常的です。不思議な世界です。
時間が穏やかに過ぎていきます。


何かに深く傷ついた時、心が折れてしまった時、こんな島に行って、
しばらく釣りをしたり、ねこと遊んだりして、のんびりと過ごしてみると元気になれるのかも知れませんね。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

被災地が一日も早く復興しますように!

網地島調査探訪記-その2

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平成23年8月28日(日)

 

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

ここ数日、ずっとぐずついていた天気でしたが、
昨日から晴れ間がひろがってきました。

でも以前の暑さとは変わって、空気が入れ替わったように涼しくなりました。
気仙沼のサンマをムシャムシャと食べたい!と思うのでした。


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さて、前回は、弁護士会の仕事で、網地島に被災状況の調査に行ったお話をしました。

「網地島調査探訪記-その1」



今日は、その続きです。

看板のない商店に入って、おばあさんからいろいろと親切に教えてもらった後、次の調査に向かいました。

その商店の斜め向かいのお宅に、三輪車がありました。
私たちは、その小さなお子さんがいるだろうと思われるお宅の玄関前に立ちました。

インターホンというものはありません。

「こんにちは~」そう言いながら、玄関の引き戸を開けようとしました。


しかし、中からの応答はなく、また玄関の戸にも鍵がかかって開きませんでした。


む・む・む・・・留守ですか。残念です。


気を取り直して、次、行ってみましょう。


坂道を少しのぼったところに「かつまた商店」という看板が目に入りました。

私たちはそこに行ってみることにしました。

実に立派な木造のお宅でした。住宅の一画に商店のスペースがあるという感じでした。

「こんにちは~」

扉を開けながら、そういって商店の中に入りました。

中からおばあさんが出てきてくれました。

2回目ではありましたが、やはり緊張しつつ、被災状況について教えていただけないか、とお願いしてみました。

するとおばあさん、「どうぞ」と商店スペースから、家の中に案内してくれました。


広い立派なお宅です。柱や梁が太く頑丈そうでした。
「地震のときは、いかがでしたか?」とたずねると、「この家は、びくともしなかったよ」と
おばあさんはちょっと誇らしげに話をしてくれたのでした。


棚を見ると、お孫さんらしき写真が飾っていました。

「孫たちは、お盆に来てくれたんだよ。そしてお盆が終わってもどっていった。」
ほんの数日前、ここでは、小さな子どもの声が聞こえてきて、きっと賑やかだったのだなあ
と、広くて立派な部屋を眺めながら、そう思いました。


おばあさんは、網地島では、漁師をしている人が多いこと、島を出て、石巻の沿岸地域に家を建てて漁師をして暮らしている人も多いということ、だからこの震災で、兄弟や親戚や亡くされた島の方も多いということ・・・そんな話をしてくれました。

おばあさんは、途中で、パックのあんみつを出してくれました。
さらに、お茶が出てきました。
加えて、何とタクアンまで出てきました。


ああ、そんなにお気遣いされないでください。すみません。
あ、ありがとうございます・・・。


そういえば、椎名誠さんの本の中でも、商店にて「あんみつ、お茶、タクアン」の3点セットが出てきたなあ、と思いつつ、この最高級のおもてなしが心に染みるのでした。

話を聞かせていただいた後、私はあんぱんを、T先生はポカリスエットを買って、
「ありがとうございました」
と「かつまた商店」を後にしました。


次に公民館に行ってみることにしました。
避難所となっていて、避難生活をされているかも知れないと思ってです。

家と家との間を縫う細い坂道をのぼったところに公民館はありました。
「長渡復港青空市場」と横看板がありました。
「復興」と「復港」をかけているのですね。

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しかし、外から見ても、誰もいないことがはっきり分かりました。
避難生活をされている方はいませんし、市場は開かれていないようでした。

公民館と同じ敷地に、駐在所がありました。
しかし、漁協「JF」ののぼりがはためいていました。


長渡港の漁協の建物は、津波によって破壊されていたので、漁協が駐在所の建物に間借りしているようです。

そこで、漁協の方々に、話を聞いてみようということで扉を開けました。

2人の女性の方、1人の男性の方が仕事をされていました。

島全体で約130ある船の8割以上が津波によって被害を受けたこと
30件くらいが、3分の2の購入費用を支弁してもらえる補助事業をつかって再建を図っている
しかし、心折れてしまっていて、もう漁業を辞めようという漁師さんも多数いるとのこと・・・

島の主な産業、男性の仕事が漁業なので、漁業の衰退は、島の産業、ひいては島で暮らすことをやめることにつながります。

建物自体は、比較的被害が少ない網地島でしたが、船の被害は深刻でした。

漁協の方々にお礼を言って、駐在所を後にしました。

時間は、いつのまにかお昼どきです。

「お腹すいてきたね」
「できれば、島の食堂で、何かおいしいものを食べたいよね」

と私は、T先生に向かって言い、食堂を探しました。

港が壊滅的な打撃を受けていること、漁ができないことは分かってはいましたが、
それでも「ウニ、アワビ、ウニ!アワビ!」とついつい妄想が膨らむのでした。

食堂は見当たりませんでしたが、「大国旅館」という旅館の看板を見つけました。
旅館ならば、もしかするとお昼ご飯を出してくれるかも知れないと旅館の扉をあけたのでした。

「あの~すみません、お昼ご飯ってやっておられますか?」

しかし、やはり、お昼ご飯はおろか、旅館自体もお客さんがいないこと、
お客さんの目当てである「ウニ、アワビ」が全くとれないことから、休業ということでした。

く~残念!!


その後、網地島郵便局に入って、郵便局の方に、食堂はありますか?とたずねて見ましたが、やはり食堂はないといのことでした・・・。

ああ、さよなら、ウニ、アワビ・・・


仕方なく、食堂がないことも想定して買っていたパンを食べることにしました。

どこで食べようか?

見渡すと目に神社が入ってきました。そこで食べることにしました。
境内の灯ろうや石碑は、倒れ、壊れたままになっていました。

神社の建物の縁側にT先生と二人腰掛けて、パンをかじりました。

二人で、「私的整理ガイドラインってどうなのかなあ?使えるのかなあ?」
とそんな話をしながら、パンをかじったのでした。

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ねこがいつの間にかやってきて、私のそばでまったりしていました。


午後からは、T先生がアポイントをとってくれていた
長渡地区の区長さんから、お話を伺う予定になっていました。

網地島調査探訪記―その3に続く)


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見知らぬ土地に出かけて、そこで親切にされるととても嬉しいものです。

転校された経験のある方なら、転校先のクラスの人達から親切にされたことの嬉しさを
きっと、憶えておられることでしょう。
(逆に、溶け込めなくて辛い経験をされた方もおられるかも知れませんね・・・)


この震災で、多くの子ども達が、転校を余儀なくされて、今までとは違うところで
学びはじめています。


震災による転校ですから、子ども達は、多かれ少なかれ心に傷を負って転校してきているのだと思います。
できれば、転校なんてしたくなかった、前の友だちと別れたくなかった、とそう思っているかも知れません。

そんな気持ちや、新しい環境への不安もあって、なかなか自分からは声をかけられない転校生もいることでしょう。


そんな時は、ちょっと勇気がいるかも知れませんが、迎える側が声をかけてあげられるといいですね。

最初は「私は○○。よろしく!何か分からないことがあったら遠慮なく聞いてね」とか。


そんな優しさを、転校生はとても嬉しく思うことでしょう。
あなたのことを、ずっと忘れないで憶えていてくれるかも知れません。


そして、あなたにとって大切な友だちになるかも・・・。

とても素敵なことですよね!


「旅人と転校生には、特に優しくしましょう」

それは、旅人や転校生を幸せにするだけではなくて
きっと、自分自身を幸せにすることにつながるのだと思います。

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

被災地が一日も早く復興しますように!

網地島調査探訪記-その1

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平成23年8月22日(月)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

仙台では、4日ほど前から、天気がぐずつき気温も下がってきました。

今日も一日中雨模様でした。
一雨ごとに秋が近づいているのかも知れませんね。
うんざりしていた暑さなのに、急に涼しくなって、不思議と寂しい気もします。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、19日、牡鹿半島の先端南部に浮かぶ網地島(あじしま)に行ってきました。

私は、仙台弁護士会の災害復興対策特別委員会に所属しているのですが、
その委員会で、被災地域の被災状況や復興の状況について、現地に行って被災者方の生の声を聴いてみようということで、沿岸の被災地域を約50名の委員で分担して調査することになりました。

調査の結果は、弁護士会における今後のまちづくりや政策提言、相談活動に生かそうとするものです。

そして、私は石巻に事務所を構えるT先生と網地島担当となったのでした。

網地島へ行くには、石巻工業港を朝8時に出港する船で約1時間半ほどかかります。

結構遠いです。朝がめちゃめちゃ早いです・・・。


調査先は、約25地域の中から、希望で先着順でした。
普通ならば、近場にしようかなと思うところです。


ところが、相棒となったT先生から電話があり
「網地島は、遠いので、石巻の自分が行かなければならないと思います。
すみませんが、神坪先生もお付き合いください」
ということで、その心意気に引っ張られて、私は網地島に行くことになったのでした・・・。

 




恥ずかしながら、宮城県に長く住んでいながら網地島がどんなところはおろか、その存在すら知りませんでした。

「網地島?え、そんな島が宮城にあるの?どんな島なんだろう?」

T先生いわく、震災前は、日本のバリ島と呼ばれていて、海がきれいな素敵なところということでした。
あ、T先生もこれまで行ったことはないそうですが・・・。

事務所の塩谷さんに、おそらく知らないだろうと思いつつ
「今度、網地島に調査に行くことになったんだ。網地島って知ってる?」

 

とたずねると、何と塩谷さん、知っているではないですか!

塩谷さんは、東京の弁護士会では、環境保全委員会に所属していた関係で
西表島等の離島に行って環境調査をしていたこともあり、離島にはちょっと詳しかったのでした。


そして、塩谷さんは、私に「はい。これ」と一冊の文庫本を手渡してくれました。


それは、椎名誠さんの日本の離島探訪記「風のかなたのひみつ島」(新潮文庫)という本でした。
そこで8つの離島が紹介されているのですが、2番目に網地島が紹介されていました。


なになに?


ねこがとぐろをまいている
ウニ、アワビ
晴耕雨読で、カツカレーとビール
絶景のどわめき崎でどわめく
ベーリング像と握手


ふ~ん、何だか面白いかも!と楽しみになってきたのでした。


あ、すみません、遊びに行くのではありませんでした。
震災復興のための調査でした。
現地の様子をこの目でみて、肌で感じて、そこに暮らす人たちから、被災についての生の声を聴いてくるのでした。

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当日は、朝5時30分に自宅を出て、石巻工業港に朝7時40分に集合し、船に乗船しました。
「マーメード号」という名の船で、人魚姫のマンガが船に描かれていました。

 


震災前までの石巻市街に近い岸壁は津波で使えなくなったということで、石巻工業港からの出向です。
この港も地盤沈下しているのがはっきりわかります。海面がすぐそばにありました。

 


自分の車でこの港に来たのですが、もし今日津波が来たら、確実に流されるな~
とちょっと恐怖が頭によぎるのでした。

 


天気は、小雨が降る雨模様です。
沖合にでると船は、結構揺れました。どんぶらこ、どんぶらこと波をかき分けて船は進んでいきます。

こんなに揺れるんだ・・・。具合が悪くなって、船内の客室から甲板に出て海風にあたりました。
2階の船室にいたので、揺れも大きかったのかも知れません。

 


出航のときには、降っていた雨もやみ、空のところどころは明るくなっています。
目の前にひろがるのは、藍色の海と牡鹿半島、船首方向に目を向けると船が向かう田代島と網地島が見えます。
見事な眺めです。
く~船酔いさえなければもっといい気分なのに・・・。

 

1時間15分くらいで、船はまず田代島に到着します。
瓦礫の山があって、ここでも津波の被害があったことがわかります。

 


その後、船は田代島を出て、15分くらいかけて網地島に到着しました。
岸壁の地盤沈下は激しく海面上にある桟橋は海水につかっていました。
応急の桟橋をつくっていることが分かりました。

海岸には津波で破壊された家屋や小屋、自動車が転がっていました。
船の待合室の上に家屋の残骸が乗っかっていました。

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船がつく場所は、網地という集落の網地港なのですが、主な調査先は、長渡(ふたわたし)であったので、すぐに長渡行きの島内マイクロバスに乗り込み、長渡へ向かいました。



道に信号は一切ありません。集落内の道は狭く、家と家との間を縫うようにくねくねと曲がっています。
集落をぬけると広い道が開けてきました。島の山の尾根を走る道で、右を見れば森の先に海が見え、左を見ればやはり眼下に海が見えるのでした。

バスは、好きなところで降りることができ、また見かければ手をあげると止まってくれるようでした。

マイクロバスで、10分くらいでしょうか、長渡の集落につきました。


さあ、調査開始です。
長渡の港もやはり地盤沈下が激しく、海岸沿いの建物は、津波によって破壊されていました。
漁協の建物もボロボロです。
居酒屋「海人」という看板が瓦礫の中で、悲しそうに転がっていました。


道は狭く、坂道になっています。
海岸からすぐ坂道になって、平野部分は見当たりません。
軽自動車でなければ、つらい道です。
実際、普通自動車を目にすることなく、見かける自動車は軽トラックか軽のワンボックスカーでした。


何枚か被災状況の写真を撮った後、現地の方に話をうかがうことにしました。

でも、いきなり見ず知らずの方に話かけるのは、勇気がいります。


一軒家にいきなり訪ねるのは、気が引けたので、まずは商店の方に話を聞こうと思いました。


商店、といっても看板もない小さな商店ですが、中で人がいるのが目に入ったので
思い切って「こんにちは!」と扉を開けて商店に入りました。

中にいたのは、おばあさんとお客さんでした。

ちょっと声がうわずりながら、
「あの~すみません。私たち仙台弁護士会の弁護士なのですが、今、被災地の現場にいって
被災者の方から直接お話をきいて、今後の相談活動等に役立てたいと思っております。
すみませんが、被災後の生活状況とか、少しお話をお聞かせいただけませんか?」
と噛みまくりながら言いました。


気が引け、腰も引けていて、時間を取らせてしまうことが申し訳ない気もして、店に入ると
目の前のアーモンドチョコレートの袋が目に入ったので思わず「あ、これください」とチョコを買ったのでした。


お店のおばあさんは、ご近所の方と思われるお客さんの対応をされていました。

商品棚に目をやると、酔い止めの薬がありました。
「あ、チョコより、これを買えばよかった!」と後悔しました。
結局、酔い止め薬(1200円)も買ってしまいました(笑)。


おばあさんとお客さんの会話は長く、ぼーっと店内で待っていたのですが、
棚の商品で、何だか古いなあと思った食品の賞味期限をみてみると、何と「2001年」でした。

おお、10年ものですか!


慌ててチョコの賞味期限を確かめましたが、まだセーフでした(笑)。


お客さんが帰ったあと、おばあさんは、私たちの質問に親切にこたえてくれました。


少し高台にあるこのお店まで津波が迫ってきたこと
地震の後に津波がくる、すぐに避難してくださいと言われて、クルマに乗せてもらって避難したこと
電気、生活物資、飲料水に不自由をしたこと
でも島内では、犠牲になった方はいなくてよかったこと
島の人たちの中で、もめごとが起きたということは聞いていないこと・・・。


言葉が地元の言葉で私には、ところどころ分からなかったのですが、
いろいろと親切に質問に答えてくれたおばあさんに、「ありがとうございました」とお礼を告げて、
お店を出て次の調査に向かいました。


斜め向かいのお宅に、三輪車がありました。
網地島には、子どもは、極端に少なく、既に小学校、中学校は廃校となっていました。
だから、お子さんがいる家庭は珍しいのです。調査価値があります。

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よし、行ってみようか!

一度の成功経験が、次の行動を後押ししてくれます。

私たちは、小さなお子さんがいるだろうと思われるお宅の玄関前に立ちました。


網地島調査探訪記-その2に続く)

 

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網地島は、となりの田代島と同様に、ねこの多い島として知られています。

椎名さんの本でも、ねこがたくさんいると書かれていたので、どんなものかなあと
楽しみにしていました。

 


ねこに遭遇したときを考え、手ぶらで行くのも何だからと、
うちの小犬のマリも好きなスルメを石巻のコンビニで買って島に行きました。

 

島を歩いていると、いました、いました、ねこがいましたよ。

 

人によく慣れていて、私にも親しげに近づいてきました。


3匹ほど一緒にねこがいたところで、スルメを取り出しました。
すると、寄ってくるわ寄ってくるわ、ねこ達が寄って来ました。私は、一気に人気者?になれたのでした。
可愛いねこ達にモテモテで、ちょっといい気分です。

 


ねこもこの震災では、大変な目にあったことでしょう。人でさえ食べるものに
不自由したのですから、ねこ達もきっとひもじい思いをしたのでしょう。

 


ねこ達は、漁師さんがとってきた魚を分けて貰っていたとすると、漁師さんはまだ漁に出られないのですから、今なお魚にありつけていないのでしょうか。

 


人もねこも他の生きものも元通りの生活に一日も早く戻ることができるといいですね。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

被災地が一日も早く復興しますように!

どうすれば喜んでもらえるだろう?-道化師の魂

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平成23年8月16日(火)


こんにちは。

神坪浩喜です。


暑い日が続いていますが、お元気で過ごしていらっしゃいますか。

これほど暑いと、ついついアイスとか冷たいものばかりを食べて、お腹を壊したり栄養が偏ってしまいがちですので、注意してくださいね(・・・ってそれは、私のことでした!)


でも、暑い日のアイスは、やっぱり美味しいですよね~。


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先日、「人脈ソムリエ」と言われ、私にもいろいろと素敵な人を紹介してくれる東京の友人Mさんの誘いで、気仙沼の日門海岸で、地区のお祭りのボランティアに参加してきました。


Mさんの知り合いで、名古屋で、クラウン(道化師)を養成・派遣や企業講演を行い、

自らもクラウンとして活躍している大棟耕介さんの一行が、気仙沼の小さなお祭りを盛り上げようと名古屋名物「みそかつの矢場とん」とタイアップして、パフォーマンスをしたり、手羽先や串カツを振る舞ったりしたのでした。

また、お菓子や文房具等の景品を子ども達に配ったりしました。


私は、ほとんど足手まとい状態でしたが、アイスクリームを配ったり、景品を配ることをやらせていただきました。


お祭りの場所は、日門海岸で、本来ならば、海水客が賑わいそうなきれいな砂浜の海岸です。

海を眺めて見れば、いつもと変わらぬ美しい海がそこにひろがっています。

しかし、今年の夏は、津波のために、海で泳ぐ人の姿はありません。 

視線を陸地に目を向けるとあちらこちらで、瓦礫が目に入ってきます。
気仙沼線のトンネルの上には、壊れた家が乗っかっており、そこにあったという線路はあとかたもなく流されていました。


大漁旗がいくつもはためく小さな広場で、ボランティアのお店が出店されていました。
被災者の方に元気を出して貰おう、楽しい時間を過ごして貰おうということで、無料ないし低価格で、いくつかのテントで、食べ物や品物が振る舞われました。

子ども用浴衣のおさがりプレゼントや無料マッサージというのもありました。


ステージのショーで、「クラウンK」こと大棟さん、そして他に2名の女性クラウンがパフォーマンスを行いました。

技巧的な部分もさることながら、ついつい引き込まれてしまう演出は、さすがプロの技です。


最初は、まばらだった観客も、増えていき、多くの視線がステージに注がれていきました。
最初は「何をやっているのだろう?」と見ていた人達もぐいぐい引き込まれていく様子が、よく見てとれました。
会場の雰囲気が、どんどん明るく柔らかいものに変わって行きました。


「す、すごい、すごいなあ・・・。」


私もついアイス配りをさぼって(?)
人の心をつかんでいくクラウン達のパフォーマンスに引き込まれてしまったのでした。


クラウンは、ある意味、人を楽しませるために、自分自身を投げ出しているようなものです。
相手から拒絶されるかも知れないという怖さを振り切って、自分を笑いものにして、相手の心に飛び込んでいるように見えました。


「ほら、こんな生き方もありますよ。」

「こんなに陽気に、自分を笑いとばしながら、自分に誇りをもつような生き方もあるんですよ。
人を喜ばせるために、自分を投げ出すことは楽しいことなんですよ。」


そう身体全体で、語っているような気がしたのでした。


私たちは、ついつい人の目を気にしすぎて、人からどう思われるのかが気になって身動きがとれなくなることがあります。



こんなことをしたら、誰かから笑われないだろうか、何やってんだと思われないだろうか
○○さんは、拒絶するのではないか、馬鹿にするのではないか・・・。


よく思われたい、失敗したくない、馬鹿にされたくない、ダメな奴だと思われたくない
批判されたくない、無視されたくない・・・・。


こうして、心にブレーキをかけてしまって、せっかく心に芽生えた夢や目標、素敵なアイデアを実行せずに、ほうむりさってしまうことも、よくあることです。

もしかすると、あなたもそうかも知れませんね。

あ、いや、私もそうでしたからね。


「あ、こんなことしたらいいかも。やってみようかな」と言う心の声が聞こえても、ついつい「失敗したら恥ずかしい」「スベったらかっこ悪い・・・」といった声にかき消されてしまうことってないでしょうか。


そんな心のブレーキを外してしまえば、生きることは、今よりもっと楽しくなるかも知れません。


クラウンの目指すところ、志は、目の前の人を笑顔にすること、喜んでもらうことでしょう。

その目的達成の手段として、コミュニケーションの取り方があり、パフォーマンス技術の習得が
あり、自分を笑い飛ばしているはずです。


そして、人に喜んでもらう、笑顔にするという目的がしっかりとしているからこそ、自分を思い切って投げ出すことや観客の懐に飛び込むことができるのだろうと思います。


自分を投げ出すことができるからこそ、その人とのつながりを構築して、温かな橋をかけることができるのでしょう。 


私たちは、クラウンのように、極端に、自分を投げ出すことはできないかも知れませんが、人を喜ばせること、人を笑顔にすることに焦点をあわせて生きることは、今この時からできることです。

 

人からどう思われるかは、ちょっと脇において、ただただ大切な人を喜ばせようと行動することはできるはずです。



逆説的なのですが、自分が人からどう思われるのかを捨てて、ただただ大切な人を喜ばせようと生きようとするとき、それが自分自身を喜ばせることにつながります。


大切な人を喜ばせようと行動している自分のことが好きになり、幸せを感じやすくなっていくのです。


自分を喜ばせたい、幸せにしたいのならば、

大切な人や好きな人を喜ばせよう、幸せにしようと行動した方が近道なのです。



どうすれば喜んでもらえるだろう?

 


この問いを繰り返し自分に問いかけて、生きる上での中心軸に据えてみると、人からどのように見られるかのブレーキがはずれやすくなっていきます。
そして、今より「心の素直な声」に従って行動しやすく、生きやすくなるのではないでしょうか。


そして、心の素直な声に従って行動できたならば、結果はともあれ、まずは行動できたことを
自分自身で認めて、ほめてあげてくださいね。


それが習慣になると、きっと自分のことが今より好きになって、幸せを感じやすくなっていくことと思います。

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よろしければ、試してみてくださいね!



※関連のお話です。

優しさ配り

 

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午後7時ころに、テントを撤収し、お祭り会場の日門海岸を後にして、仙台への帰路につきました。

気仙沼から45号線を通って海岸沿いを南下します。

本吉や歌津といった美しかった海辺の街たちは、夜の闇に沈んでいました。
ワンボックスカーのライトに照らされて、廃墟となったコンクリートの建物、橋脚だけの橋、家の基礎だけの部分、瓦礫の山々が時折目に入ってきました。

行きがけにその街たちを見たときとは、違った何かが胸からこみ上げてくるのでした。


この暗闇の底から、この街は本当に蘇ることができるのだろうか。
街に灯りがともり、以前のような美しい街を取り戻せるのだろうか。

どれだけの人が、突然その命を絶たれてしまったことだろう、大切な人を亡くしてしまったのだろう。

ここに住んでいた人々は、どれほど心に傷を負ったのだろう、一体これからどのようにして暮らしていくのだろう・・・。


どうして、こんなことが起きてしまったのだろう。


・・・・・



ふと海を眺めていると空の低いところで、満月が明るくひかっていました。
月の光は、海面を優しく照らしています。
一筋のひかりが海を伝わって私たちに向かってきているようでした。


この地上の哀しい暗闇を照らすように、月は穏やかに光っていました。
ひかりを届けてくれていました。


今は、とても想像できないけれど、今こんなにも深い暗闇に沈むこの街も、
いつかきっと明るい灯がともる日がやってくる、きっと美しい海辺の街によみがえる日がやってくる。


そう信じています。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

そして、被災地が一日も早く復興しますように!

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平成23年7月31日(日)


こんにちは。

神坪浩喜です。


昨日は、仙台弁護士会のジュニア・ロースクールでした。

若手の弁護士さん達が一生懸命がんばって準備をしてくれたおかげで、とても充実したものになりました。

生徒さん達のアンケートの声も「とても楽しかった!」「勉強になった!」「来年もまた来たい!」
等と言ってくれてとても嬉しいものでした。

参加した生徒さんも、私たち弁護士もきっと楽しい夏の思い出として記憶に残ることでしょう。

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さて、今回は、「チーズはどこへ消えた?」(スペンサー・ジョンソン著 扶桑社)をもとに、「執着を手放すこと」についてお話しようと思います。

この本も、有名な本なので読まれた方も多いかも知れませんね。この本では、物語を通じて、状況の変化にいかに対応すべきかを説いています。

この物語に登場するのは、ネズミのスニッフとスカリー、小人のヘムとホー。

2匹と2人は「迷路」のなかに住み、「チーズ」を探します。

「チーズ」とは、私たちが人生で求めるもの、つまり仕事、家族、財産、健康、精神的な安定・・・等々の象徴

「迷路」とは、チーズを追いもとめる場所、つまり、会社、地域社会、家庭・・・・等々の象徴です。


ネズミのスニッフとスカリーは、単純で非能率的な方法、つまり試行錯誤を繰り返しながらチーズを探していました。
ある通路を進んでいって何もなければ、引き返して今度は別の通路を探すのです。

あまり考えることなく、そこにチーズがないなら、別の道を行くというように、行動重視なのですね。


小人のヘムとホーは過去の経験から得た教訓と思考による方法をとっていましたが、複雑な頭脳により、思考重視でチーズを得ようとしていました。

二人はうまくいくときもありましたが、強力な人間の信念と感情がものの見方を鈍らせてしまうこともありました。そのため迷路の中で生きるのがいっそう複雑で難しいものになっていたのです。

ある時、二匹と二人は、チーズ・ステーションCで、大量のチーズをみつけました。

「これだけあればずっと大丈夫だ」小人たちは幸せになり、うまくいったことを喜び、自分たちは安泰だと思いました。


ところが、しばらくすると、当たり前のことですが、チーズは食べ尽くされて消えてしまったのです。

ネズミたちは、事態をくわしく分析したりはせずに、ステーションCのチーズがなくなったのだから別のところを探そうということで、すぐに新しいチーズを探しに出かけました。ところが、小人達は、あきらめ切れずに、またステーションCにやってきて・・・


(以下、本からの引用)


事態は変わっていなかった。チーズはなかった。
二人は途方にくれ、まるで銅像のようにただ突っ立っていた。

「われわれは小人だぞ。特別なんだ。こんなことがあっていいわけはない。
少なくとも何か得することがなくちゃならない」

「どうして?」ホーが聞いた。

「われわれには権利がある」ヘムはきっぱり言った。

「何に対する権利?」
「われわれのチーズにだよ」
「どうして?」
「この事態はわれわれのせいじゃないからだ。誰かほかの者のせいなんだから、
われわれはこうなったことで何かもらうべきだ」

ホーが提案した。
「もうあれこれ事態を分析するのはやめて、見切りをつけて新しいチーズをみつけたほうがいいと思うんだが」

「だめだ」ヘムは言い張った。「なんとしても真相を究明するんだ」

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いかがでしょうか。端から見るとヘムの執着は、愚かな感じがしますよね。


自分の責任を問わず、事態は変化するものであり、あったものもなくなるのは必然なのに、自分は何もしていないからといって従前あった「チーズ」に執着すること、そして、真相究明だと言って、あれこれ事態を分析することに、時間を費やしてしまうこと、他者や運の勢にして、きっと「チーズ」がなくなったことの代償がもらえるはずだとそこで待ち続けること・・・・。


客観的に眺めていると、ヘムに対して「さっさと諦めて動きなさいよ!動かないと事態はよくならないよ!」とつっこみたくなるところです。

でも、当事者の立場に立つと、苦労して、一旦手に入れた「チーズ」があることの幸せを知った後で、その「チーズ」がなくなった場合、その事実を受け入れて、あきらめることは、とても難しいことです。


あんなにも苦労して手にいれた仕事をなくしてしまった・・・。

あんなに仲が良かったパートナーと別れてしまった・・・。
一緒にいれて幸せだったな。でも今は、いなくなってしまった。


「どうしてだろう。なぜだろう。いったい何がいけなかったのだろう?」


こうして、頭の中で、ぐるぐると「どうして、どうして?」の問いかけがこだまするばかりです。


もちろん、原因を調べて、改善することは大切なことです。しかし、真相究明は次の行動をするためのものであって、それ自体を目的にすることは意味がありません。真相究明を、その場にとどまったり、何もしないでいることの正当化にしてしまうと、「チーズ」を手に入れることはできないのです。

この物語のとおり、人は、ついつい何かに執着したり、その場にとどまってしまったり、考えすぎて恐れに支配されて、結局何もできなくなってしまいがちです。苦労して手に入れたもの、大切なものほど、そうなりがちになります。
心情として、どうしても執着したくなります。「今まで、あったのだから、これからもあるはず」とか、「自分は、何も悪いことしていないのだから、もとにもどるはず」とか・・・。

しかし、世の中、全て自分の思い通りになる訳ではありません。すべては、移ろい変わるもので、永遠とか絶対のものは、存在しないのが現実なのです(だからこそ、「今この時」や「今この時の人とのつながり」がかけがえのないものであり、愛おしいものといえます)。

しかし、人の願いとしては、どうしても永遠や絶対を求めてしまうものでしょう。その願いに囚われてしまうと、移ろう現実を見ずに、変化を受け入れることができなくなってしまいます。変化するという事実を受け入れることが怖くて、目を背けてしまいがちなのです。


だからこそ、「チーズ」がなくなること、変化は起きるもの、そういうものだとということをふまえて、考えすぎずに恐れずに行動することが大切になってくると、この本は説いているようです。

どこか「思い出ばかりにひたってはいかんよ」とも言われているような・・・。

私にも、身に覚えがあるだけに、イタ・タ・タ・タ・・・でした(笑)。


思い出は思い出として、大切にとっておくことにして、その場所を離れ、歩き出せばまた新しい「チーズ」を見つけることができるかも知れません。もし、今、何かに執着しているならば、幸せに生きるためには、その執着を勇気をもって手放し、新しい道に踏み出すことができるといいですね。



※関連のお話です。

実践する人、しない人

 

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今年のジュニア・ロースクールの模擬裁判では、私は「被告人」になりました。

電気倉庫に窃盗目的で侵入したのではないかと窃盗未遂の疑いで裁判にかけられている被告人です。

 

なるべく有罪方向に傾くようにと、若手の弁護士さんによってシナリオは作られたのですが、私は、それでも無罪を勝ち取るべく、最終意見陳述は、好きに言わせていただきました。

キャラクター設定は、どういうわけか自由奔放な妻に振りまわされる哀れな夫、愛妻家(恐妻家?)で、妻の名は「沢尻ユリカ」といいます。

 

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(最終意見陳述)

 

私は、確かに人様の倉庫に勝手に入るという悪いことをしました。
深く反省しています。

 

でも、電化製品を盗むつもりで入ったわけではありません。
倉庫には、雨宿りをしようと思って入っただけなんです。

 

私は、ユリカの喜ぶ顔がみたくて、ユリカが望むものは
何でも買ってあげたいと思っていました。

 

そう思って、借金までして、ユリカが欲しいものを買ってしまいました。
でも、だからといって人様のものを盗もうだなんて思ったりしていません。

 

泥棒をするつもりなんてなかったのです!

 

私は、ユリカのことを心から愛しています。
私には、ユリカが必要だし、ユリカには私がそばにいなくてはいけないのです。

 

みなさん、どうか真実を見抜いて、私をユリカのもとに帰してください。

 

どうか、よろしくお願いします! 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

この「愛の訴え」が効いたのか(いや、目撃証人の信用性のなさに助けられました)、
無罪26:有罪20で、かろうじて窃盗未遂無罪になりました。

 

判決を聞くまでは、私も結果は分かりませんでしたので、判決を聞くときは
ドキドキでしたし、無罪ということが分かると、本当に嬉しかったです。

 

思わず「やったあ!!」と叫び、ユリカのもとに駆け寄って手を握り合って喜んだのでした。

そう、やはり最後に愛は勝つのです!(笑)

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

被災地が一日も早く復興しますように!

二手に分かれる道の前で-「雲の遙か」

平成23年7月24日(日)



こんにちは。

神坪浩喜です。

子どもたちの夏休みがはじまりました。
震災で、春休みが長くなってしまったので、
今年の夏休みは、お盆までと短いようです。

夏休みの宿題も少なめなのかな?いつもと同じなのかな?
同じだとすると大変ですね。

あなたは、宿題をすぐやる派?それともギリギリ派?
えっ!誰かにやって貰う派?

なるほど~!


だけど、自分の人生に与えられた宿題・課題は、
自分自身で向き合い、解いていくしかないのですよね。

宿題を自分で解いてこそ、力がついていくように、
人生に起こる困難や悩みと正面から向き合い、乗り越えていくことで、
人は成長し、自分らしい人生を生きていくことができるのですから・・・。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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先日、ラジオを聞いていたら、思わず吸い込まれてしまう歌が流れてきました。
温かい気持ちが、心の芯から溢れてくるような素敵な歌でした。


「雲の遙か」熊谷育美
http://www.youtube.com/watch?v=suri4Y9XgPY


ご存じでしたか?
熊谷さんは、気仙沼在住のシンガーソングライターです。


まだ、聴いたことがない方は、できれば一度聴いた上で、続きを読んでくださいね。



「僕は、夢に向かって歩き出し、ここまでがんばってきたけれど
うまくいかないことばかりで、今、二手に分かれる道の前で立ちすくんでいる・・・。」


夢に向かってがんばっている人には、とても胸に響く歌です。



あなたは、今、何か夢に向かって歩いていますか?



きっと、うまくいかないことだらけで、努力がなかなか形にならないということもあるでしょう。

がんばっても がんばっても うまくいかない・・・。


「今 僕は夢に迷って二手に分かれる道の前で
拳をぎゅっと握りしめるけど 逃げたいです 挫けそうです」


そう思うこともあるでしょう。


もう諦めた方がいいのかな。もともと私には無理だったんだ。

そもそも、こんな夢を見たこと自体が間違いだったんだ・・・



いや、諦めたくない。あともう少しなのかも知れない。

ここで諦めたら、今までの努力が無になってしまう。あともう少しだ、がんばろう。




いったい私は、どうすればいいのだろう?


「がんばって今の道を歩き続けるか、それともあきらめて別の道に進むのか」



この問いは、人生において、誰もが直面するものだと思います。




・今の会社の仕事を続けるのか、それとも転職をするのか


・この試験の合格を目指して勉強を続けるのか、それともあきらめて別の資格をめざすのか


・今のパートナーとこのまま一緒にいるのか、それとも別れるのか・・・・。



あなたも二手に分かれた道の前で立ちすくんだことがあるかも知れませんね。

いや、もしかすると、今、まさに迷っているところなのかも知れません。



とても難しいことですが、そんな時、どのように判断すればいいのでしょうか?

どちらの道を歩けばよいのでしょうか?



静かな落ち着くところで目をつむって、自分自身に、自分の心の芯に問いかけてみましょう。



あなたは、これからどうしたいのですか?



あなたの志は、何ですか?



そこで、あなたの心の芯が
「私は、どうしても○○になりたい、○○をしたい、○○を実現したい」
と答えてくるのであれば、その夢は、叶う可能性は十分あると思います。

ですから、まけないで、くじけないで、もう少しがんばってみてください。
その夢に向かう道を、自分を信じて、歩き続けていってください。


そうではなく、ただなんとなく、周囲の期待やかっこがいいかなという感じで
歩いているというのであれば、別の道を選んだ方がいいかも知れません。


心の底から湧き出てくる強い思い、志(=誰かの役に立とうとする思い)が、自分を夢の実現に運んでいくからです。


そんな心の声に従って、歩き続けたならば、途中、いろいろな試練がやってくるとしても
きっと乗り越え、その夢は叶うことでしょう。


そして、そんな心の声につき動かされて、あなたが、がんばってきたならば
もしも、その夢は実現されなくとも、その道を歩く途中で、
充実した時を過ごすことができ、大切な何かを手に入れているはずです。


ただ、漫然と歩いて来たならば、このまま時間を費やしたとしても
夢が叶うということは、まずないでしょう。
かけがえのない貴重な時間を無駄にしてしまうかも知れません。


執着しないで、しがみつかないで、別の道を選んだ方がいいでしょう。
別の道に進むことは、これまでの道のりを考えるととても勇気がいることです。
でも、勇気を出して何かを手放すことによって、
はじめて自分の道を歩き始めることができるのです。


いろいろな障害や試練は、夢への思いが、試されているのかも知れません。


困難やうまくいかないことは、その夢が、借り物の夢ではなく、
あなたの心の芯から湧き出てきた本当の夢なのかを
神さまが、教えてくれようとしているのかも知れません。



「辛いけど、苦しいけど、私は、この道を歩き続けたい。
なぜなら、この道は、私が心の底から叶えたいと思って選んだ道だから」 



そう思えたならば、その道を歩き続けてください。

そして、今こそがふんばりどきです。


今は辛く、苦しいけれど、どうか負けないでください。


いつかきっと、その夢は、叶います。


あなたが、あなたらしく生きる道を選び、
そして、あなたの本当の夢が叶いますように!



※関連のお話です。
自分の中の小さな子ども

あなたの夢は何ですか?2

 

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二手に分かれた道で立ちすくんで、判断に迷ったとき、
自分の心の声に耳を傾けるとともに、
信頼できる誰かに話しを聴いてもらうということもいいと思います。

 

立ちすくみ、迷っているその時も貴重な時間は過ぎ去っていきます。


一番もったいないのが、迷い続けて、考えすぎて、どちらの道にも進まずにその場にとどまってしまうこと。


運の悪さを嘆いたり、人の勢にしてしまったり、あるいは自分を責めてしまったりして、心を傷つけてしまうこと。


迷うこと、立ちすくむことは無理もないことです。


大切なことは、その分かれ道に立ったとき、できるだけ早く適切な判断を下して、次の一歩を踏み出せるかどうかです。


そんな時、信頼できる誰かに、話を聴いてもらうと、次の一歩が踏み出せるきっかけになることもあるものです。


ですから、あなたが、道に迷っているならば、信頼できる誰かに、相談してみてくださいね。
(だたし、信頼できる誰かの言葉は、あくまで参考であって、
自分の心の声を一番大切にして、自分自身で道を決めてくださいね)


あなたが、信頼している人ならば、きっとあなたのことを助けたい、応援したいと思っていることでしょう。
勇気を出して、話をしてみて下さい。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

被災地が一日も早く復興しますように!

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平成23年7月17日(日)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

ここのところ暑い日が続いておりますが、お元気ですか?

私は、少し睡眠不足気味ではありましたが、
週末、しっかり昼寝をして、元気を回復しました。

この暑さに負けないように栄養のあるものを食べて、しっかり睡眠をとって、涼しいうちにマリの散歩をしてしっかり体調管理をしていきたいところです。

まだまだ暑い日が続きそうですので、あなたも、お身体をご自愛くださいね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、この週末、三連休という方も多いかと思います。
連休明けに出勤するときは、ちょっと憂うつになる方もおられるでしょう。
「もう少し、休みたいなあ」とか「あ~仕事に行きたくないなあ~」とか・・・。

でも、もしも、ずっと休みだったら、何も働かなくてすむとしたら、どうでしょうか。


ここで、「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司著 あさ出版)
の一節をご紹介したいと思います。
ベストセラーにもなった本ですので、ご存じの方もおられるかも知れませんね。

そこで、5つの素晴らしい中小企業が紹介されているのですが、
冒頭のチョーク製造会社の「日本理化学工業」のところでこんなことが書いてありました。

日本理化学工業では、社員のおよそ7割が知的障害を持っている方だそうです。


その会社で、障害者を少しずつ採用するようになったころのこと。

社長の大山さんには、一つだけわからないことがありました。
(障害者の方々は)どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せではないかと思えたのです。

なかなか言うことを聞いてくれず、ミスをしたときなどに「施設に帰すよ」と言うと、
泣きながらいやがる障害者の気持ちが、はじめはわからなかったのです。

そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問をたずねてみたそうです。

するとお坊さんは、

「そんなこと当たり前でしょう。幸福とは、
①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役にたつこと、④人に必要とされること

です。そのうちの②人にほめられること、③人の役にたつこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」

と教えてくれたそうです。


「その四つの幸せのなかの三つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。
だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。
施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビを見るのが幸せではないんです。
真の幸せは働くことなんです」


大山さんにとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。

・・・

大山さんは「人間にとって、”生きる”とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」ということに気づいたそうです。


=============================


仕事をする、働くというのは、時にしんどいものであります。
いつもうまくいくとは限りません。ストレスもかかってきます。

単調でつまらないものなのかも知れません。

努力して時間をかけてやっても、時に社長や上司、お客さんの期待に添えないこともあるでしょう。

がんばっても、がんばってもなかなか成果がでず、認めてもらえず、涼しげに成果をあげていく同僚が恨めしく思うときもあるかも知れません。

何かに追い立てられるかのように仕事をしていたり、意地悪な上司や同僚と一緒に仕事をしていたりして人間関係に悩むこともあるかも知れません。

仕事=辛いもの、大変なもの、そしてできるならばやりたくないもの
生活していくために、食べていくために、お金のためにやむを得ずやっているもの。


そう、思っている方も世の中には多いことでしょう。


宝くじが当たって大金が入ったら、今の仕事なんかさっさとやめて、遊んでくらすぞ!!ってね。


でも、どうでしょう。
お金がふんだんにあって、仕事をせずに暮らしていけるとしても、それで本当に幸せなのでしょうか。


当初は、南の島のビーチでごろごろしたり、旅行したり、遊んだりして楽しめたとしても、しばらくするとつまらなくなってくるのはないでしょうか。


誰にも必要とされないって、耐えられないのではないでしょうか。


私が、司法浪人のころ、時折、

「あ~自分って社会のなんの役にたっていないな、必要とされていないな~、これでいいのかな?」
といった声が聞こえてくるのでした。


そのときのことを思うと、こうして仕事をしていることというのは、実にありがたいことなんだなと思います。


仕事をしていること、働いているということは誰かから必要とされ、誰かの役にたち、そして時に誰かから「よくやったね」と評価されることもあり、確かに、何ともいえない幸せな気持ちになるのですよね。


そして「ありがとうございました」と言う言葉が胸にしみこんでいきます。


いろいろな事情で、働きたくても働けない人も多くいる中で、こうして仕事があること、誰かから必要とされ働くことができることって、ありがたいことなんです。


お坊さんが言った幸福になる四つのポイントは、そのとおりだと思います。



では、四つの幸せを実現するために、人はどう行動すればいいでしょうか?


幸いにして働く場所がある方は、その場所で、与えられた仕事、期待された仕事を誠実にしっかりやるとよさそうですよね。


そうすれば、社長や上司、お客さんといった仕事に関係する人たちから
②ほめられる可能性が増え、③役にたち、ますます④社長やお客さんから必要とされることでしょう。
あなた自身の能力もアップして、ますます②~④の幸せの上昇気流が起こりそうです。


そして、前向きにがんばっているあなたの姿は、生き生きとしていい雰囲気をだしていますから、
きっと、多くの人たちから①愛されるようになることでしょう。

それに、生き生きと輝いている人は、同じように輝いている人を引き寄せますから、素敵なパートナーができるかも知れませんよ!


仕事を今、やっていない人、学生さんはどうしたらよいでしょうか?


そのような方は、これから人の役にたち、人から必要とされるような仕事につくために
必要な人格や能力を身につけることを意識し行動するとよいでしょう。


こつこつと地道に自分を高めていくと、必ずチャンスは訪れるはずです。
「役立ち力」「必要とされ力」はアップしてくるのです。


それから、人は、人と人とのつながりの中で生きていますから、誰かを幸せにしようとすると
それがはね返ってくることも多いものです。


あなたから、①人を愛し、②人をほめ、③人の何か助けを求め、④人を必要とするという行動を起こすと、その相手を幸せにするとともにその反射的な作用があなたにおきる確率は高くなるものなのです。


つまり、あなたが、
①誰かを愛し、愛情表現をすれば、その相手から愛が返ってくること
②誰かをほめれば、その誰かから逆にほめられること
③誰かに何かを頼みごとをすると、その誰かから役割を与えられること
④誰かを必要とすれば、その誰かから必要とされること
そういうことが起きやすくなるのではないでしょうか。


ですから、あなたから、大切な誰かに対して、①愛し②ほめ③助けをもとめ④必要とする行動を起こすといいのかも知れませんね。

相手は幸せを感じ、あなたにもそれが反射されてくるのです。
それを、あなたが受け取り、幸せと感じる。


また、その直接の相手の反射だけではなく、別の誰かが、あなたのがんばりを見て、あなたを必要とすることがあるかも知れません。


逆に、幸せになりたいのに、誰かを、傷つけたり、無視したり、人格を軽視する行動をしてはいけないということですね。


誰かを傷つけたり、人格を軽んじることをすると、相手を不幸にするばかりか、自分も不幸になってしまうものなのです。


まとめてみましょう。

幸せになるポイントとしては、

1 誰かの役にたとうと誠実に仕事をすること(役に立てるように人格や能力を高めること) 
2 誰かを①愛し、②ほめ、③助けを求めたり、④仕事をお願いしたりすること

3 誰かを傷つけたり、人格を軽んじる行動を絶対にしないこと


ということになりそうですね。


これは、究極的には、「自分を含めた人を、一人の人格として尊重し、大切にするということ」に
つながるのだと思います。


そう、やっぱり「個人の尊重」なんですよ!



あなたのことを必要とする人は、必ずいます。


あなたが役に立つことはたくさんあるはずです。


もしも、あなたが今は働いていなくても、何の役にたっていないと思っているとしても
自分の人格と能力を高めていけば、将来、必ずあなたを必要とする人が、きっとあらわれてくるはずです。


その人のために、そして自分のために、あきらめないで、がんばっていきましょう。


あなたは、間違いなく、この社会において、必要な存在なのです。


なぜなら、あなたは、この社会に、何らかの意味があって生まれてきたのですから。

何かの意味があって、今ここに存在しているのですから・・・。


※関連のお話です。
誰かの役に立っている。 
社会とのリンク

 

頑張って仕事をしているからこそ、仕事が終わった後の一杯や休日にゆっくり過ごしたり、遊んだりすることが、とても幸せに感じられるのだと思います。

仕事をだらだらやっていたり、楽にのんびり仕事をしていては、仕事後の一杯もそれほど美味しいとは感じられないものです。

がんばって働いたからこその美酒なのです。


がんばった自分への「ごほうび」習慣をもっている方もおられるかも知れませんね。

自分の大好きなものを食べたり、好きなところへ行ったり、マッサージをしてもらったり、好きな映画をみたり音楽を聞いたり・・・・

それって、いい習慣だと思いますよ。
(ただ、収入と釣り合わない贅沢をされないようにしてくださいね。)


友人のAさんは日曜日に
「インドカレー屋でスパイスの効いたカレーを食べて本を眺めながら食後のコーヒーを飲み、日帰りの温泉に出かける」
と一週間仕事を頑張った自分にごほうびをあげているそうです。


ちなみに私は、週末に「家のソファで、ごろんと小犬のマリと一緒に横になり、本を読みながら、うとうとして、そのまま昼寝をする」ということかな~。


でも、近頃は、暑くて、マリもあまり一緒にいてくれないですけどね!(笑)


仕事をしっかりやって、「今週もよくがんばった!お疲れ様!えらいぞ私!」と
自分が喜ぶごほうびをあげましょう。


本当にあなたは、がんばっています。

お疲れさまでした。


しっかり自分で、自分をねぎらってあげてくださいね。


あなたは、自分にどのような「頑張ったごほうび」をあげていますか?

よろしければあなたの「ごほうび習慣」を私に教えて下さいね。

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それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

ほのかな想いが引き寄せている。

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平成23年6月27日(月)


こんにちは。

神坪浩喜です。

昨日は、一日雨模様でした。今朝も雨が降っています。
梅雨本番ですね。

庭に咲いている紫や白のクレマチスが雨にうたれて静かに揺れていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、このHPのトップページ、弁護士プロフィールのページにあやめのイラストを掲載しました。

あやめの素敵なイラストがあるといいな~と前から想っていたのですが、
東京の友人のMさんのつながりで、イラストレーターの方と出会い、お願いして、素敵なあやめのイラストを描いてくれたのでした。
(イラストレーターのWさん、ありがとうございました!)


う~ん、不思議です。


「ほのかな想いが引き寄せる」

そんなことを実感しています。


この状況って、そういえば昔、ほのかに想っていたことだったよね。

自分でも忘れかけていたのに、「あっ、これって昔、夢みていたんだ。それが叶っているんだ」
と驚いたりすることが、近頃よくあるのです。


熱望していた時ではなく、熱く願って頑張っていた時には、なかなか叶わなかったことが、
ちょっと、力を抜いて、心の底にしまったころに、ふっと実現したりする。


これまでの人生を振り返ってみると、そんなことが不思議とよくあるのです。


例えば・・・


大学時代、民事調停委員になりたいなと友人に話しをしたら、友人から、民事調停委員は人生経験豊かで人格識見にすぐれた人しかなれないよと言われ、諦め、忘れていたころに、横断歩道のすれ違いざまに、O先生に偶然声をかけられて、民事調停官になったり・・・。


小学校を卒業する時に、小学校の先生になっていつか学校に戻ってきたいなと思っていたら、
弁護士になった後で、法教育なるものに出会って、小学校に法教育授業に行くことになったり・・・。


あ、この人と一緒に仕事ができたらどんなに素晴らしいことだろう~
と想っていたら、しばらくした後で、縁があって一緒に仕事をしていたり・・・。


大学の大きな講義室で、誰だろうあの娘、優しそうで感じいいなあ~
と遠くから眺めていたら、しばらくして、同じゼミになって、さらには同じ班になって、奥さんになってしまった・・・。
(その後の、恐ろしさは予見できませんでしたが!!)



今、あらためて振り返ってみても不思議です。


どうしてなんでしょう?



これが、いわゆる「引き寄せの法則」というものなのでしょうか。


あなたにも、このような経験がありませんか?



あ~この光景、この状態って、そういえば、昔願っていたこと、ほのかに想っていたことじゃないのと気がついたりすることってありませんか?


強く願っていたころ、頑張っていたころには、なかなか実現しなかったのに、
しばらく時間がたって、自分でも忘れかけていたころに、いつの間にか、ふとした出来事や出会いで実現していることってありませんか?


紙に書こう会」では、夢や願いを紙に書くことをお勧めしています。


この紙に書いたことも、すぐに実現することは、実際のところあまりないかも知れませんが、
忘れたころに、「時間差」で実現することは意外と多いのかも知れません。



部屋の整理をしていて、久しぶりにその夢を書いた紙を見つけて、
「えっ!これって実現しているじゃない!」と驚いたりして・・・。


種は、すぐには実がなることはありませんが、昔蒔いていた種が、忘れかけたころに、実がなっているということがあります。


もちろん放っておいていいというわけではありません。
種を植え続けるということ、水を与え続けてきたからこそ、そして想いを心のどこかで抱き続けていたからこそ、収穫の時を迎えることができたのだと思います。


今日のお話で、あなたにお伝えしたいこと。


それは、あなたの夢は、もしかすると、がんばっても、がんばっても、すぐには叶わないかも知れないけれど、それでもなお夢を描いてくださいということです。


なかなか思い通りにいかなくて、夢なんて叶うわけがないんだともし今は思えたとしても
肩の力を抜いて、目の前のことを大切にしていたならば、諦めずに、種まきや水やりをやっていたのならば、いつの日にか、実がなり、実現しているということもあるということです。

想っていたこととは、別の形で、思いも寄らない出来事や出会いによって実現することもあるのです。

仮に、願っていたその職業につけなくても、別の形で、その職業で実現しようとしたことが実現することもあるのです。 

 

願っていた人と一緒になれなくても、もっとあなたにふさわしい人と一緒になれるかも知れません。

 

だから、やはり、夢を心に描いてくださいね。


夢なんて持たない方がいい、夢なんて持つだけ虚しくなるだけだ、だから、夢なんて描かないことにしているという方も多いのではないでしょうか。


その気持ち、よ~く分かります。


でも、せっかくこの世に生をうけているのですから、諦めないで、心に素敵な夢を描いてみてくださいね。

 

想うだけで、心が温かくなる夢をほんのりと描いてみてくれませんか。


それは、他人からみれば、ささやかな夢であっても構いません。
逆に、大きな夢を描いてももちろんOKです。
人の目なんて気にする必要はありません。
人がどう思うと、あなたがこうありたいと想う夢を描けばそれでいいのです。



心に、夢を描いたときから、あなたの物語がはじまります。

あなたを主人公とした物語がはじまることとでしょう。


物語ですから、辛いこと、悲しいこと、うまくいかないこともきっとあるでしょう。

意地悪で嫌な登場人物もあらわれてくることでしょう。

 

でも、そんな辛い出来事も、意地悪な人物も、あなたの物語を盛り上げるために、必要な出来事、必要な人物なのかも知れません。



あなたは、あなたの物語を、どんな物語にしていきたいですか?


あなたらしい夢を心に描いて、あなたの人生を素敵な物語にしていってくださいね。

 


それでは、また。

あなたが、ますます幸せでありますように!

そして被災地が一日も早く復興しますように!

 

※関連のお話です。

すべては思いから。

震災時の子どもの支援

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平成23年6月19日(日)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

今朝、上の子が、小学校の行事で花山に一泊二日の野外活動に出かけました。

幼稚園の年長以来のお泊まり会です。

あの頃より、もう随分たくましくなってきて、お母さんと離れて眠るのは、
平気なのかな?少しは、寂しいのかな?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、「震災法律相談Q&A」について、「子どもの問題」をテーマにしてまとめてみました。

親は、法律上は、親権者として、子の法定代理権、身上監護や財産管理をする権利を有しています。

その親が亡くなった場合に、法定代理権、身上監護権、財産管理権はいったいどうなるのでしょうか?

親を亡くした子に対して、どのような支援があるのでしょうか?


===================================

Q1 震災で両親を亡くした小学生の甥っ子の財産管理や面倒をみていきたいと思っているがどうすればいいの?

A  子どもの財産管理を行うためには「未成年後見人」になる必要があります。
親権者である両親が亡くなった場合、本人や親族が、家庭裁判所に申し立てることによって「未成年後見人」が選任され、
未成年後見人になりますと、親権者と同様に子どもの財産管理及び身上監護を行っていくことができます。

また養子縁組をして、子どもの「養親」になる方法もあります。
この場合、法律上の「親子」として、子どもの姓も変わり、相続も生じます。
その場合、家庭裁判所の許可、また15歳未満の子どもを養子にする場合については
法定代理人である未成年後見人の承諾が必要になります。

子どもの面倒をみていく方法としては、児童相談所に「親族里親」に登録する方法もあります。

親族里親になることで、財産管理をすることは当然にはできませんが
(やはり「未成年後見人」か「養親」になる必要があります)、
事実上、子どもの身上監護が行える形になります。
また、子どもを里子として預かって養育するための費用や教育費が毎月支給されますので、経済的な支えにもなります。
詳しくは、児童相談所にお問い合わせ下さい。
 

Q2 震災で親を亡くした子どもに、何か支援はあるの?

A まず、子どもにも大人と同様の災害弔慰金、生活再建支援金の支援があります。

弔慰金、支援金は、「未成年後見人」を選任しなくても子ども本人が受領できます。
震災遺児の支援制度としては、必ずしも震災遺児を対象としているものではありませんが、
各地方にある児童擁護施設での支援制度や各市町村が独自に行っている遺児支援制度(毎月一定金額の給付や就学助成等)があります。
ただし、各市町村によって具体的な支援制度の内容は異なりますので、お住まいの市町村にお問い合わせ下さい。

また、「あしなが育英会」からの支給もあります。この震災で親を失った0歳から大
学院生(震災時18歳以下なら就学・就労していない遺児も含む)は、あしなが育英会に申請をすれば、150万円の「特別一時金」が、あしなが育英会から支給されます(返済不要、申し込み期限平成24年3月10日)。また、高校・大学・専修学校・各種学校・大学院の奨学金制度の特例措置もあります。
詳しくは、あしなが育英会被災者専用フリーダイアル(0120-778-565)にお問い合わ
せ下さい。

※H23.10にあしなが育英会から、特別一時金の支給額を一律「150万円」にすると発表されました。

※あしなが育英会のHP http://www.ashinaga.org/news/press/entry-308.html

 

※震災で両親を亡くした子どもが相続人の場合、未成年後見人が選任されて相続の開始を認識するまでは相続放棄の期間は進行しません。

※相続放棄をしても、保険金の受取人に指定されていれば、保険金は受け取れます。

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親を亡くしたお子さんのお気持ち、お子さんを亡くされたご両親のお気持ちを
思うと胸が締め付けられます。


この震災では、多くの方が大切な人を亡くしてしまうという
とても過酷な現実に直面されています。


また、震災ではなくても、交通事故等によって、突然大切な人を亡くして
しまう体験をされている方もおられるでしょう。


そんな体験をされている方に対して、何とも言えませんが、何もできませんが、
少しでも、その深く傷ついた心が癒されていくことを祈っています。



※関連のお話です。
遺産相続の基礎知識

 

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一昨年の夏から、妻のリーダーシップで、年に1,2回、みちのく湖畔公園のキャンプ場
に出かけて、一泊二日のキャンプをしています。

そのために、ガスコンロ、ランタン、水をいれるタンク、食器類等のキャンプ用品
を購入していたのですが、そのキャンプ用品が、この震災で電気や水道が止まっていた時期、大変役に立ちました。


電気がとまった冷蔵庫にある肉を食べなければということで、
当初は焼き肉をしたりして、栄養のあるものを食べることができたのでした。


妻が思いつき(?)で「よし、キャンプにいこう!」と言い出し、あっという間にテント等のキャンプ用品を買いそろえたとき、
内心「休みに出かけるなら、温泉旅館でのんびりする方がいいよな~」
と私は思ったものですが(妻には内緒ですよ!)、今は、妻の思いつきと行動力に感謝しています。


キャンプって野外生活をすることなので、キャンプ用品というのは震災時に役にたつサバイバルセットでもあるのですよね。


自然の中で、テントを一緒に組み立てたり、料理をつくったり、ご飯を食べたり
するということは、確かに面倒なことですが、日頃の生活とは違って新鮮で、楽しい体験でした。

そして、早朝の澄んだ空気の中、野鳥のさえずりを聞きながら、緑を見ながら
飲むコーヒーは格別だったなあ・・・。


妻次第ですが、今年は、キャンプに行くのかな?

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

そして被災地が一日も早く復興しますように!

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平成23年6月11日(土)

 

こんにちは。

神坪浩喜です。

3月11日の震災から今日でちょうど3か月です。

私にとって、この3か月というのは、長かったような短かったような不思議な3か月でした。
人と人とのつながりの大切さを、より意識した3か月でした。

あなたにとって、この3か月というのは、どんなものでしたか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、河北新報に連載されていた「震災法律問題Q&A」を参照しつつ遺産相続についての基礎知識をまとめてみました。

・誰が相続するの?いったいどう分けるの?
・相続財産の調査方法は?
・借金も相続しなければならないの?相続放棄とは?

等について書いています。よろしければおつきあいください。


===================================

Q1 震災で身内が亡くなったが、誰が財産を引き継ぐの?

A  まず、亡くなった方(被相続人)が、遺言書を書いていた場合には、原則として、その遺言書の内容に従って、財産が承継されます。

もっとも、被相続人の配偶者や子ども、父母については、遺言により、相続財産を取得できない場合であっても、遺留分(いりゅうぶん)という権利を行使することにより、一定の財産を取得できる可能性があります(兄弟姉妹に遺留分はありません)。

遺言書がない場合には、民法の規定に従って相続人と相続分が決定されます。
① 配偶者(妻または夫)は常に相続人になります。
② 子どもは、配偶者とともに相続人になります。
③ 父母は子どもがいないときに、相続人になります。
④ 兄弟姉妹は、子どもも、父母もいないときに相続人になります。
相続分は、配偶者と子の場合は1:1、配偶者と父母の場合は2:1、配偶者と兄弟姉妹の場合は3:1です。
※子が複数いる場合には、子の相続分を人数で均等配分します。
例えば、配偶者がいて子2人の場合 配偶者2分の1、子4分の1、4分の1
①につき、離婚した配偶者や内縁関係の夫や妻には相続されません。
②につき、
ア)被相続人死亡時に胎児であった子どもも生まれてきた場合には相続人になります。
イ)婚姻外で生まれてきた子どもについては、認知されていれば相続人となります(但し相続分は実子の2分の1)。
被相続人が亡くなった後で、裁判所に認知を請求する手続もあります。
ウ)被相続人が亡くなったとき、既に被相続人の子どもが亡くなっていて、
その子ども(=被相続人の孫)や孫(被相続人のひ孫)がいる場合には、
その方が相続人になります(代襲相続)。
③につき、被相続人が亡くなったとき、被相続人の父母はいないが、
祖父母がいるときは、祖父母が、相続人となります。
④につき、兄弟姉妹についても、代襲相続があり、甥や姪が相続人になることもあ ります。
なお、相続人が誰もいない場合には、利害関係人の請求によって、家庭裁判所において相続財産の管理手続が行われ、特別縁故者に対して相続財産の分与がなされる場合があります。


Q2 震災で身内がなくなったが、相続財産としてどのようなものがあるか分からない。調査方法はあるの?

A 相続財産としては、不動産(土地、建物)、預貯金、現金、有価証券、動産(自動車、宝石、骨董品他)があります。
多額の相続財産があることが明らかである場合には、相続税申告のため、相続人が税理士に依頼していることが多く、ある程度調査が進んでいるケースが多いものと思われます。
以下は、自ら調査しなければならない場合の調査方法です。

○不動産:法務局で登記簿謄本を取得し、名義を確認してみて下さい。
被相続人名義の不動産が一覧になっている名寄帳(土地家屋課税台帳とも呼ばれます)を不動産所在地の市町村役所の資産税課で取り寄せることができる場合もあり、その場合、被相続人の所有不動産が分かります。

○預貯金:通帳がある場合には、発行支店において残高証明書の発行・取引履歴の照会を依頼してみて下さい。通帳がない場合には、年金や給与の振込先の銀行に照会をかけるなど、被相続人の生活圏に存在する金融機関を一通りあたってみると預金の存在が分かる可能性があります
(その場合、被相続人の生前の状況から貸金庫の契約などをしている可能性があれば、併せて問い合わせてみるとよいでしょう)。

○有価証券:自宅内を調査することによって、証券や証券会社からの郵便物から有価証券の存在が見つかる場合もありますが、そうでない場合、通帳の履歴、銀行から取り寄せた取引履歴から、分かる場合もあるでしょう。

被相続人宛の郵便物、預金通帳の履歴を調べることで、被相続人の財産状況についていろいろと分かることがありますので、ご確認下さい。
また、郵便物の中に請求書や催告書がある場合や被相続人の自宅に貸金業者に対する振込明細書や借用証等が発見された場合には、被相続人に借金が残っている可能性があります。
  その場合は、貸金業者等に対し、いくらの残債務が残っているのかを照会し、プラスの財産と比較して、急ぎ相続放棄の手続をしたほうがよいかを検討して下さい(すぐに相続放棄をするかどうか判断できない場合、「相続放棄の期間の伸長」もご検討ください)。


Q3 津波で亡くなった夫が、借金を負っていたが、支払わなければならないの?

A 借金も「相続財産」として、相続人(配偶者、子等)が引き継ぐことになりますが、相続人が、自己のために相続の開始があったことを知ったとき(=原則として、被相続人が亡くなったことを知ったとき)から3か月以内に、家庭裁判所に「相続放棄」の手続をとれば、借金を引き継がずにすむことができます。ただし、被相続人名義の不動産の登記を自分名義にしたり、被相続人の預金を引き出して使った場合には、相続を承認してしまうことになりますので、相続放棄をすることはできません。
もっとも、相続放棄をしますと、プラスの資産についても相続することができなくなるので注意が必要です。
震災後の大変な状況の下で、亡くなった方に財産や借金がどれくらいあるのかを3か月では調査することができずに、相続放棄をしたらよいのかを迷うこともあるでしょう。その場合には、急ぎ「相続放棄の期間の伸長」を家庭裁判所に申し立てて下さい。
※裁判所の「相続放棄の期間の伸長」に関するHP
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui/kazi/kazi_06_25.html
※亡くなった方が、保証人になっていたときには、相続人は、保証債務も相続することになるので注意が必要です。
※震災で両親を亡くした子どもが相続人の場合、未成年後見人が選任されて相続の開始を認識するまでは相続放棄の期間は進行しません。
※相続放棄をしても、保険金の受取人に指定されていれば、保険金は受け取れます。

 

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相続問題は、時に「争族」になることがあります。


あんなに仲がよかった兄弟が、親の相続に直面して、いさかいが生じることもあるのです。
例えば、長男が親と同居し、次男が家を出て独立している時に、父親が亡くなったケース。
法定相続分に従えば、どちらも同じということになります。

しかし、親と同居して、親の面倒や介護をしてきたと思う長男からすると、家を離れていった次男と同じ分割というのは、納得がいかないこともあるでしょう。

逆に、家を離れていった次男は、親と同居している長男が苦労していることを知らず、
逆に親からいろいろ援助してもらっていると思ったりして、長男が自分より多く財産をもらえることが納得できず、自分は、当然相続分どおりの権利を主張する!といったりします。


親としては、こんな事態を避けるためには、亡くなる前に、きちんと遺産の分け方の意思表示をしておくこと、すなわち遺言書を書いておくことが大切です。


遺言書には、自分で簡単に作成できる自筆証書遺言もありますが、紛争予防のためには、弁護士に相談した上での公正証書遺言を作成されるのがよいでしょう。

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この震災を通じて、親族、血縁関係というのは、援助してもらったり、
助け合ったりして、ありがたいもの、頼りになるものだなと感じられた方も多いかと思います。


ただ、夫婦の関係と同様に、親族、血縁関係は近しい関係であるがゆえに、
依存してしまったり、干渉しすぎてしまったりして、いさかいも生じやすいことも事実です。


しかし、お互いが思いやりをもって、干渉せずに、ほどよい距離感をもつことができれば、親族は、生きていく上で、とても頼りになる「つながり」なのだと思います。


あなたの血のつながりは、どのようなつながりですか?


一度、家系図を書いて「自分は、どんなつながりの中にいるのだろう?」と眺めてみると面白いかもしれません。


よろしかったら、ぜひ、試してみてくださいね。

※関連のお話です。
登場人物相関図

 

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子どものころ、父がアルバムの表紙の裏に、「家系図」を書きながら、親族の関係について説明してくれたことがありました。


私がいて、姉がいて、父と母がいて、父と母のそれぞれにまた父と母(祖父、祖母)がいて、
父と母の兄弟(おじさん、おばさん)がいて、いとこがいて、祖父、祖母には、またそれぞれ父と母がいてと・・・・


あ~こんなにいるんだあ。

あ、このいとこは、こういう関係なんだ。

いろいろとつながっているんだあ・・・。


と、とても面白かったです。


上のつながり、父と母、祖父と祖母、曾祖父と曾祖母・・・・
どこかが途切れていれば、自分はこの世に生まれてこなかったのですよね。
ずっとつながっていなければ、私はいなかったのです。


父と母の出会いを含め、いくつもの偶然が重なりあわなければ、私はいなかったのです。



そうすると自分が、こうして生まれてきたこと、今、生きていることって、とても奇跡的なことなんですよね!


こんな奇跡的なことなのですから、やはり生まれてきたことには意味があるのではないでしょうか。


そう、きっと何かの意味があるのです。


あなたが、今ここに存在していることも、ものすごいことで、とても奇跡的なことで、きっと何かの意味があるのだと思いますよ。


その意味は、今は、よく分からないかも知れませんが、何かの意味があると信じていると、とても自分を粗末にはできません。


そして、同じように、何かの意味があって存在している人であり、何かの意味があって、自分の目の前に現れた人を粗末には扱うことはできなくなるような気がしています。



すべては、縦横無尽に網の目のように、つながっている。


縦にも横にも、時間を超えてもどこかでつながっている。
そんな気がしています。


そういえば、あなたと私も、今、こうしてこのブログを通じて、つながっているんですね。



ありがとうございます!



これからも、よろしくお願いしますね!

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

そして被災地が一日も早く復興しますように!

まずは人を承認することから。

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平成23年6月5日(日)

  
こんにちは。

神坪浩喜です。

「だだいま。」というと「おかえり。」と返ってくる。
当たり前の日常ですが、家族(小犬のマリも含む)が青森に疎開していたときは
それが、とてもありがたいことに思えました。

今、私が、帰宅して「ただいマリ~♪」と言うと
小犬のマリは、ぴょんぴょんと跳ねてすり寄ってきて
「おかえり~」と全身で、嬉しさを表現してくれます。

う~かわいい!



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さて、きっと誰もがそうだと思いますが、
人には、他者から認められたいという気持ちが多かれ少なかれあります。

人から、大切にされたり、認められると嬉しいし、安心できますよね。
逆に、人から、軽く扱われたり、無視されたりするととても辛いものです。


人と人との争いの背景には、相手から軽く扱われたことへの感情的なしこりが大抵あるものです。


人は他者から、自分の存在を認められることによって幸福を感じる生きものなのです。


そこで、他者から認められるために、人は行動します。



どんな行動をとるでしょうか?


よくあるのは、自己顕示する。目立つように頑張る。


みてみて私はここにいるよ。

ほら、私ってこんなことができるんだよ。こんな特技があるんだよ。能力あるんだよ。
こんな学歴があって、こんな仕事をしていて、こんなに収入があって、こんな物だって持っているんだよ。
有名な○○さんと知り合いなんだよ。

ほら素敵でしょ。素晴らしいでしょ。凄いでしょ。格好いいでしょ。


褒めてほしい。認めて欲しい。ちやほやしてほしい。尊敬して欲しい・・・。


ううん、ただただ私が、ここにいることに気づいてほしい。
無視しないで欲しい。存在を分かってほしい・・・。



でも、現実は、人は、自分が期待するほど、自分のことを認めてはくれないものです。


どうして思うほど人は、私のことを認めてくれないのだろう?
声をかけてくれないのだろう?どうしてだろう?


こんな風に他者からの承認を求めて、でも思い通りにいかなくて悩んでいる方も多いのかも知れません。


そして、認めてくれない他者に不満を募らせたり、自分が価値のない人間だと思いこんだりしてしまって辛くなってしまう。


そうすると、そのような気持ちでいるとき、不機嫌な雰囲気を醸し出していたりして、
ますます人は、あなたと距離を置いたりしてしまうかも知れません。


いや、あのね、私自身が、かつてそうでしたから。


自分が有能になれば、強くなれば、弁護士になれば、他者から認めてもらえるとどこか思っていました。



思い通りにならずに、いじけてしまって、時には、うまくいっている人を批判したり、
運や環境のせいにして、自分の自尊心を守ろうとしていたこともありました。


そうして、ますます人をよせつけない壁を作ってしまった。


自分を認めてもらうこととは、おおよそ逆のことをしていたのですね。



でも、ようやく気がついたこと。



単純なことですが、自分が他者から認めてもらいたいのであれば、まずは自分から他者を認めようとすることです。


自分にこだわらず、自分を空にして、他者を承認し、人として大切にするということです。

人は、自分を大切にしてくれた人、認めてくれた人を好きになるものですから。


政治学者の姜山尚さんは、「悩む力」(集英社新書)の中でこう述べています。

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自分を主張したい、守りたいあるいは否定されたくない。

誰もが「自分の城」を頑強にして、塀も高くしていけば、自分というものが立てられると思うのではないでしょうか。
守れると思ってしまうのではないでしょうか。
あるいは強くなれるような気がするのではないでしょうか。


しかし、それは誤解で、自分の城だけを作ろうとしても、自分は立てられないのです。


その理由を究極的に言えば、自我というものは他者との関係の中でしか成立しないからです。


すなわち、人とのつながりの中でしか、「私」というものはありえないのです。
私は、自我というものは他者との「相互承認」の産物だといいたいのです。


そして、もっと重要なことは、承認してもらうためには、自分を他者に対して投げ出す必要があるということです。


他者を認めると、自分が折れることになるような気がして納得ができなかったこともあります。

しかし、他者を承認することは、自分を曲げることではありません。


自分が相手を承認して、自分も相手に承認される。
そこからもらった力で、私は私として生きていけるようになったと思います。

私が私であることの意味が確信できたと思います。

そして、私が私として生きていく意味を確信したら、心が開けてきました。


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私も、そうだと思います。


人は、人とのつながりの中で、はじめて自分を知る。


人とつながりあって、認め合って、お互いに承認しあって、はじめて社会の中に存在します。


そして、承認されるためには、まず自分を他者に対して、投げ出すこと、
つまり、自分から先に他者を認めることなんですね。


もちろん、自分を高めること、能力や技術を身につけることによって、他者からの承認を得ることができる場合もあるでしょう。

尊敬されることもあるでしょう。


でも、自分を高めること、能力や技術を身につけることは、自己顕示の手段ではなく、他の誰かの役に立つための手段として捉え、そのように実践した方が、はるかに他者からの承認を得られるのではないでしょうか。


そのような自分を高めて、誰かの役に立ちたい、社会の役の役に立ちたいと志のある人には、
人をひきつける心地よい雰囲気が醸し出されることでしょう。


自分から、先に人を認める。素直に褒める。ねぎらう。
そして、人の役にたつために自分を高めようとする。


それが、自分が他者から認められ、人と温かなつながりをもつ秘訣なのかなと思っています。


自分が、自分自身をかけがえのない大切な存在として認めるために、
まずは、自分から他者を大切な存在として認めるということ。


このことに、多くの人が気づき、実践することができたならば、
今より、きっと人と人との間に温かないつながりが増えていくことでしょう。


そして、人が、自分を大切にし、他者を大切にする社会、お互いにその存在を認め合って、幸せに生きることができる社会、すなわち、日本国憲法が目指す「個人の尊重」が人々の間に根付く社会になるような気がしています。


あなたは、もう既にこのことに気づき、実践されているかも知れませんね。

これからもその調子で、歩いていってくださいね。

そんなあなたには、きっと温かなつながりが生まれてくることと思います。


あなたから、自分を大切にし、他者を大切にする素敵な流れが広まっていきますように!


※関連のお話です。

ハッピーハロウィン2 


人とのつながりに目を向ける。

受容-そこにいていいんだよ。

 

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本編で、他者からの承認を得るために「私をみてみて」と自己顕示するよりは、他者を認めた方が効果的ですよ、というお話をしましたが、自己表現することを否定するものではありません。


自分を表現することは大切なことだと思います。


あなたが、あなたらしさを周りに表現することで、あなたに引き寄せられる人もいて、新しい素敵な出会いがあるかも知れません。
そこから、温かなつながりが生まれることもあるでしょう。


「私はここにいます」「私はこんな人です」「私はこんなことができます」
と情報発信することをためらう必要はないのです。


ただ、「私をみてみて」というような飢餓感から行動が生まれているとき、
他者からの承認待ちという受け身の姿勢になって、かえって思うように認めてくれない他者への不満感に転化しやすいことに注意が必要だということです。


謙虚で控えめなあなたが、本編のお話で、自己表現はいけないことだと、
表現をためらってしまわないかな~と思って、少し補足させていただきました。


ちなみに、かつては謙虚で控えめで大人しくて、可憐だった妻は、
どういわけか今は、自由に、言いたいことを言って、やりたいことをやって、
夜はぐっすり眠って、時々私を怒って、自分らしく、強くたくましく幸せそうに生きているのでした・・・。


・・・・・ふ~っ。

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それでは、また。

 

あなたが、ますます幸せでありますように!

 

そして被災地が一日も早く復興しますように!

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